地球でお会いしましょう-記録Ⅲ

記録Ⅲ 要点……サンの飛行機は一九〇〇年を起点として、そこから過去に遡ることが可能。
 飛行機は速度を落とさない。まわりの景色を容赦なく切り裂いて、その跡が線になって流れていく。もはや音も光も超越していた。
 暗がりの景色をやっと突き抜けると、そこは雲の海だった。波打つようなかたちの雲の群れの上を、飛行機は徐々にスピードを落としながら推進していく。西方へ沈んでいく陽の光が、飛行機の翼を反射して眩しく映った。
 やがて広大な雲海の底を抜けて、その躰が露わになった。上空に突如として現れた飛行機の中でサンは得意になっていた。飛行機には今や透明化(ステルス)機能が備わっている。これが起動している間は、機体がすっかり見えなくなってしまうのだ。任務を一つ終え、その報酬としてアストライオスから貰った機能だ。それから、新しい機能がもう一つ。管制パネルの隅に取り付けられた時計のような機器は、一九〇〇から始まって一八九〇、一八八〇、一八七〇……とその数字を徐々に落としていき、今は一八〇一で止まっている。これは操縦士であるサンが降り立とうとしている地球の当時の西暦を表している。この機器はアストライオスとサンが星の土産から着想して造ったもので、置かれている場所の西暦を測定できる時計だ。その数字がどんどん遡って、今いる時代はちょうど一八〇一年と教えてくれている。
 つまるところ、サンは飛行機に乗って過去に行くことができた。
 これは新しくわかったこととして報告できる事項だ。飛行機に乗れば、地球の過去の時代をめぐることができる。このように、新しくわかったことがあるだけでアストライオスは褒めてくれてごほうびをくれる。それは嬉しいことだが、こう任務が早く終わりすぎてしまうと何だかつまらない。それより、サンは星に会いたかった。前回の任務を終えて帰ってきた時は、西暦測定器のヒントとなる「デジタル時計」を含めたさまざまな土産物を置いたきりで、また地球へ行っているようだった。いつもどこか寂しげな星が、地球のどこかでおもしろいものを見つけている。それは喜ばしいことだが、サンにとっては寂しい気持ちもあった。しかし、星が飛ばされたのは地球のいつの時代なのか、アストライオスは教えてくれなかった。
 だから、サンは星を探すことにした。自分が行くことができるのはどうやら一九〇〇年より過去の地球だが、もしもそれより過去の時代へ星が飛ばされていたら、もしかしたら会えるかもしれない。淡い期待を抱いて、サンは機体をどんどん降下させていく。

 壁には絵や絵画が並べ立てられ、天井からはクリスタルのシャンデリアが輝く。染みや皺の一つもないテーブルクロスの上には、艶のあるカップとソーサーが人数分。誰かが机を勢いよく叩くと、コーヒーがカップの中で揺れてせっかくのクロスに小さな染みをつくってしまう。それには誰も気づかないくらい、議論が白熱している。優雅で、昔ながらの洒落たコーヒーハウスはいつもの賑わいを見せていた。
 そこへ、とつぜん。巨大な機体が突っ込んでくる――!
 しかし、誰も動じなかった。それもそのはずだ。景色も、そこにあるもの全てをすり抜けていく透明の飛行機は、誰にも見えなくて気付かれない。サンは低空飛行で、絵に描いたように鮮やかな街並みを周遊する。石造りの壁、煉瓦の屋根、石畳の上を並んで歩く人々の表情、見えない風に吹かれる並木の合間を縫って、飛行機は速度を落とさずに操縦士の意のままに進んだ。サンだって、本当はコーヒーハウスで紅茶でも飲みながら、白熱する議論に耳を傾けてみたかった。しかし、任務外の行動をしていることがアストライオスにばれてはまずい。とにかく今は、急いで星を探さなければ。
 そうして街を一通り周ると、サンは何かに導かれるようにして一直線に進んでいく。その延長線上には城があった。一昔前の彫刻を思わせる、華やかな白壁の城だ。背は低いがいくつもの棟があり、またいくつもの窓がきちんと整列している。屋根は深い青で、空の色とはくっきりと境界線を引いて映えていた。
 あまりに低空で飛びすぎて、城前の湖上を車輪が滑った。小さい水鳥が驚いてどこかへ飛んでいく。湖を超えて城壁に触れられるくらい近づくと、サンは美術館で絵を眺めながら歩くくらいの速さまで落として、窓の中の一つ一つを観察した。こうして見ていくと、本当に窓の中のものは美術品みたいだ。華やかなレースの天蓋つきのベッド、ガラス窓の扉がついた本棚、光が反射するくらいに重石を磨いて、そのまま大きくしたような書斎机、不規則な文様の書かれた延々と長い食卓に規則正しく収まる、装飾が凝らされた椅子。絵本や写真の本でしか見たことがないものばかりで、サンは心奪われていた。何かに呼ばれたような気がしてこの城まで来たのだが――その目的でさえもしばし忘れてしまったようだ。
 幾度目かの感嘆を漏らしたその先で、北向きの棟にさしかかったとき、サンは慌てて飛行機が窓の向こうから見えないように機首を引っ込めた。窓の向こうに大きな板のようなものがあり、その目の前で影がうごめいている。――室内に人がいる。ステルスがあるのに、ついいつもの癖で身を隠しながらも、サンは興味津々に覗いた。窓は少しだけ開かれており、その隙間、風に揺らぐカーテンの隙間を縫って見えたものに、サンは息をのんだ。
 水色の隙間がまだらな曇天の背景に、大陽が朱く燃えている。――いや、よく目を凝らして見ると、それは大陽ではなかった。それはマントだった。風を受けたマントを翻して、金の装飾の帽子をかぶった男と目が合って、サンは一瞬ひやりとしたが、それでも引き付けられたように目が離せない。男は右の手で天を高らかに指差し、もう片方で純白の馬の手綱を握る。馬は鞍上の主人に応えるように、鬣と同じ小麦色の立派な蹄を上げる。今にも動き出して、険しい道でも軽々と越えてゆきそうだ。
 サンは半分だけ我に返って、今度は騎手の前に立ち尽くしている人影に視線を移した。こちらから見える背中は、サンと同じくらい騎手に心奪われていることを物語っているようで、ぴくりとも動かない。サンが念を送るようにじいっとみていると、やがてゆるくカールした茶髪が吹き込んできた風に揺られ、何か細いものを握りしめる拳がわずかに震えているのがわかった。サンはふと、縮こまる背中に相棒の影を見たような気がした。この構図はまるで――まるで、そう、アストライオスを前にした星くんみたいだった。
 「……あ、」
 そうしてやっと、サンは自分の目的を思い出した。もし星が先に帰っていたら、アストライオスと二人きりだ。サンは二人の間に流れる異様な空気感を思い出して、いてもたってもいられなくなってきた。そうだ、もしかしたら星はもう任務を終わらせているかもしれない。そうではなくても、自分が先に帰って待っているのが一番いい。サンが時計の操作盤に手をかけた、そのときだった。
「おい、誰だ。先刻から何を見ている」
 芯の通った声に揺さぶられて、危うく飛行機から落っこちるところだった。慌てて時計のメモリを未来に合わせ――られない。時計の数字は一八〇〇、一七九九と遡るばかりだ。サンの全身から冷や汗が噴き出した。
「奇妙な鳥に乗っているな。其れは貴様の使い魔か」
 しかも、相手は飛行機の姿までも捉えている。ステルスを確認しても、まだ起動中のままだ。どれだけ焦っても、狭い機内の中では身動きが取れないサンに対して、相手は傍らの小テーブルに手をかけてゆっくり振り向いた。
 サンと相手と、ばっちり目が合った。髪と同じ栗色の瞳は、声と同じくらいの意志の強さで見開かれている。真丸の瞳孔の間に刻まれた鋭い皺も含めて、厳しい印象を与えられた。機嫌を損ねた時はアストライオスよりも恐ろしそうだ、とサンは思った。目を逸らすのはばつが悪くなって、しばらく睨み合いが続く。もっとも、側から見ても猫と鼠の睨み合いだったが。
「あの……えっと、絵、素敵ですね」
 やはり、サンの方が先に負けてしまった。目を泳がせながらなんとか絞り出した声で絵の話題を振る。しかし、言った後でサンは後悔した。相手の眉間の皺が一段と深くなり、ついとそっぽを向かれてしまった。サンは心の内で、もっと言葉を絞り出すべきだと自分を責めた。絵を素敵だと思ったことは本当なのだ。言葉では言い表すことができないくらいに。だから、彼も――おそらく絵を描いた本人であろう彼のこともよく知ってから、最高の賛辞を贈るべきだったのに。ああ、画家の男は絵の一面を白い布で覆ってしまった。大陽のマントも、白金の馬も、主役の男も全部、見えなくなってしまった。いっそこのまま退散してしまおうか。体勢を整えて再びエンジンに手をかけた時、またしても待て、という低い声に止められる。声音に込められた怖気が少しだけ和らいだような気がして、サンは素直に従った。窓の隙間から入り込む風と一緒に、窓枠に手をかけて身を任せるように室内を覗いた。
「まだ見るな。未完なのでな」
「あっ、まだ見てほしくなかったから怒ってたのですか」
「私は怒ってなどいないが」
「僕、呼ばれたような気がして。その絵のひとだったのかな」
「この方が?貴様のような者などお呼びになるはずがない」
「そうかな」
「ああ。貴様、まさかこの方を存ぜぬのではあるまいな。この百虹菖国(イリスリリー)の時の王にして、永遠の王であるぞ」
百虹菖国(イリスリリー)の王さま――あっ、わかった!本で読んだことがある。ナポレオンだね」
「様をつけんか、愚か者」
 せっかく会話が弾み出したのに、パレットナイフが飛んできた。さっと身をかがめて金属がぶつかり合うような鋭い音を聞いた。両腕で守った頭を恐る恐る上げると、目の前にあるがっしりした手が差し出されていた。手の主を上目遣いで見るとそこにあったのは絵描きの顔、しかし丸い両目の間の皺は幾分か和らいでいる。サンは手を受け取ると、踏ん切りをつけて室内に飛び込んだ。床に足をつけた瞬間、操縦士のいなくなった飛行機は、景色を通り抜ける翼を翻して遠くに消えていった。
「甚だ珍妙な鳥だ」
「君の絵。素晴らしいと思ったんだ。本当に」
 こうして同じ場に相見えた二人の第一声はほぼ同時だった。絵描きはサンの空色の瞳にまっすぐ見つめられて、少しだけきまり悪そうに側の絵筆を取った。それから、室内に靴音を響かせつつゆっくり歩く。サンはまっすぐの視線をそのままに追いかける。
 絵描きが停止したのは、やはり白い布の前だ。背を向けて、改めてサンと対峙するその立ち姿は、絵を守っているように見えた。それでも――サンはついに、静かに目を伏せる。白い布に隠されて見えなくとも、頭の中で描くように思いを馳せる。それで十分だ。
「マントはね、大陽みたいだった。馬は白と金のドレスで、まるでナポレオン……様とお姫様が踊ってるみたいに見えた。踊りながら、険しい山でも軽やかに登っていってしまうんだ。右の人差し指も素敵。一振りで、曇り空も晴れにしてしまうような――」
「――魔術師(ソシエ)のお褒めに預かるとは。光栄だな」
 ここでサンの目がようやく見開かれた地球上で出会った最初の同胞を前に、二つの丸い空色は煌めきだした。
「やっぱり、君も魔術師なんだね?だから僕も飛行機も見えたんでしょう」
「いや、私は魔術師(ソシエ)ではない」
「えっ。じゃあ、怪異?」
「いいや。怪異(ミステ)でもない。会意(アカード)だ」
 会意。サンの地球語録に、新しい単語が刻まれた。
 怪異と魔術師の存在は知っていたが、会意というものはアストライオスからも聞いていなかった。首を傾げるサンの様子を鼻で笑った絵描きは、絵筆を置いて椅子にどっしりと腰掛けた。
「魔術師と怪異の間。私のようなのを、会意(アカード)という。魔術師のように、本も命題も持たない。かといって、怪異のように意思の無い化物じみたものでもない。そういう者もいるのだ」
 もっと教えて、と身を乗り出したサンに、絵描きは向かい側の席を促す。
「魔術師のように命題を持たない――生の指針がない。よって、生の意味を自ら見つけ、会わなければならない。会意には、どうやらそういった共通の習性があるらしい。生の意味を見つけて、名を残していく」
 命題。こちらの世界で任務をこなすために、サンは魔術師として生まれた。だから当然、本も命題も生まれつき与えられている。しかし、いざこちらの世界に来てみると、命題を持たない怪異――会意がいるというわけなのか。
 会意なんて教えられていないから、知らなかった。自分の人生の目標――命題が予め決められていない、だから自分で作り出せる存在。なんて自由で――うらやましい。サンは心の中で唇を噛み締めた。
 そんなサンの羨望を知ってか知らずか、絵描きは立ち上がると絵の側に寄った。そうしてもったいぶるように、白い布を指を絡めるように撫でつけた。
「私は会意だが、生まれついての絵描きでもある。だが革命家でもあった。革命を扇動する絵も描いてきた。そうして革命が成った暁に――ナポレオン様のお姿を見た」
 今度は絵描きが真っ直ぐ、白い布の方を見据えた。その目はしっかりと見張られている。布を焼き焦がし、その向こうに描かれた対象を顕にせんとするような視線だ。瞬きの少なさが、崇拝、敬意、憧憬――それらさえも超えた眼差しを物語っている。
「貴様が私の絵を見て称賛したようなこと――いや、それ以上のことを、私も心内に抱いたのだ。ああ、私はこの方にお会いするために生まれてきた。この方の威光を絵描き、遺していくために生まれてきたのだと」
 サンは息をのむほかなかった。この絵描きは自らの意志で、一生を捧げる意味に――王さまに出会うことができたのだ。それに比べて、僕は、僕らは。自分の本の名前も、命題のことでさえもよくわかっていない。それらは任務をこなす上での支障になるからと、アストライオスに()()()()()()()。いつだって、父の言いなりのままにしか動いてこなかった。でも、僕は飛行機を呼び出すことができた。星くんに会いたかったから。強く望み、自分の力で手にすることができるのなら。僕らだって、自由に生きることができるのではないか――?
「僕、本が読みたくなっちゃった。自分の本。家に忘れてきてしまった」
「それなら、早く戻るがいい。本は魔術師の命に変わるものだと聞く。全く、仕上げも進まなかったではないか」
 水入れを替えていた絵描きの口調は、段々と厳しく戻っていった。サンはゆっくり立ち上がると、この室に入ってきた窓に身を寄せた。カーテンが全て開かれると、遥か向こうの水平線が輝き、その橙色の光に辺りの景色が包まれていた。凪いだ風景を見つめたサンの空色の瞳が同じ色を映して落ち着いている。沈黙に耐えられなくなったのか、絵描きがまた口を開いた。
「会意のことはおろか、ナポレオン様のお姿も。自分の命題も存じぬとは。貴様、どこぞの国の屋敷育ちか」
「僕は……未来から来た」
 絵描きは鼻で笑いこそしたが、馬鹿にしたわけでも、同胞の言葉を信じられなかったわけでもなかった。それは感心の意を込めた笑いだった。
「ナポレオン様の御名は知っているということは、やはり永遠の王であらせられるのだな」
 一瞬間、強い風が吹き込んだ。音を立てて巻き上がったカーテンを越えて、白い布がずり落ちそうになる。絵描きは慌てて布の端をつまんで押しとどめる。テーブルの上から筆や絵の具が転がっていく。白い布の隙間に橙色が差し込んで、大陽の朱も、白金の馬の鬣も、ナポレオン王の眼光も全て反射して影帽子をつくった。窓の側、空色の瞳はいつになく消え去り、鳥の羽ばたきのような轟音がまだ青みの残る南天へと吸い込まれていった。

地球でお会いしましょう-記録Ⅲ

地球でお会いしましょう-記録Ⅲ

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-08-03

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