かえるろーど。(二)





 かえるたちは急いで跳んで来たのだった。けれども結果はついて来なかった。引き止めるつもりだったひとはもう発った。二度も帰って,来ないひとになった。
 先頭集団の中で一番前を跳んでいたかえるの若頭が階段の石畳に前足を乗せて立ち止まって,目だけで後ろに振り返れば,跳んでついて来ていた真後ろのかえるがぶつかって『ゲコッ』と驚き抗議した。しかし若頭の『その様子』に気付き,結局同じように振り返る。それが続けば雰囲気も場を支配する空気となる。前へ跳ぶ勢いも,後ろへといく度に失われていって最後に誰かが『ゲコッ』とも,鳴かなくなって,ひっくり返したバケツの水の終わり際のように静かになったかえるの皆の振り返りはもう,目だけにとどまらず身体ごとになって終わる。通りの一方を見つめている。そしてやっぱりもう遅い。振り返りはかの人が知らない見送りになって,引き止めるつもりだったそのひとはもう発った。二度と帰って来ないひとになった。
 神社のほうから下る通りに,埋まるいっぱいのかえるの思い。一度っきりの,かえるの思い。一番後ろの小さなかえるから,泣いたような鳴き声があがれば,大きな大人なかえるだって隣のかえるの目を憚らずに,泣いて,鳴いて,泣いていく。若頭のかえるは真一文字な口を開けず,人知れずの人真似で習った『ことば』を漏らさないようにした。別れる時,必ず交わした気持ちになる『ことば』であった。会った時には決していえない『ことば』であった。『またね。』なんて言えなかった。『またね。』だって何度でも,言いたい若頭のかえるの気持ちだった。




 かえるたちの仕事は神社を中心とする集落における生命線として横断するように囲った水脈を絶やすことなく掘り続け,濁すことなく懇々と綺麗な流れにすることである。その過程,その理路。失った時の重大さ。そこで働くかえるたちも知っていることを知った上で役割を果たし,そこでは働かない生き物たち(青い水草に黄色い花,小柄な蜥蜴と大柄な蝮,空飛ぶ烏が追い越す老亀,人参に芋,人に子犬。)は誰かが知っていることを知らないままでも感謝をして水を汲み,水を運んで分かち合いもしてから水を飲み,使ったりもして今日生き,また水を求めて明日も生きる。水は命に近いものになって,しかし命とは違うものとしても流れ出る。誰かから習うものとしてじゃなく実際にそういう事実として,あるがままの事実として,生きる流れに合わせて水はとても大切になっていく。
 だから,(仕事をサボるかえるが勿論,いてもいいと岩魚の大旦那だって言うのだけれども)かえるの皆が仕事をしないということになると近隣に住む生きとし生けるものは,とても困ることに看過できない事態になる。
 でもかえるたちは振り返ったままに動かない。
  一日目は『しょうがない。』と同情し,三日目は『やはり。』と確かめて十日目に,『そうだよな。』と『そうなんだよな。』と思い直したことに感じ入って二十日目に,何も言わずに誰もが涙しても,一ヶ月ともなれば皆が暮らしているというこの世の事情が表情と鼻息を変えて迫ってくる。この間にかえるの皆は水に浸からず飲みもせず,通りいっぱいに後ろを振り返ったままに,干からびて息絶えるものも,水面を飛び出した通りすがりのオオナマズの,心ない息継ぎついでの食事に食べられてしまうものもいた。水脈は掘り起こされずにしかも汚れ,個体のかえるのその絶対数も減っていき,雨雲も散って青空に浮かぶだけの今の時期に昼は燦々と,夜は煌々とこの世を照らすから,このままでは近いうちに生きとし生けるものが生きられない事態になることが公平平等な日光と,雨もくれない月光によって伝えられ続ける。毎日の昼と夜を越えてハチドリは,朝に帰って来て息も絶え絶えで誰に対してでも言ってしまう。『寄り添うのはそろそろ。気遣うのはもう。』。
 毎年毎年継いで代わる神社を守るそこの主は,去年は花の水仙で,一昨年は小柄な熊の若旦那であった。今年は人の,女の人。血の繋がらない子どもを連れていた。子どもは小さいが読み書きも出来て,一人で歩き,一人で走った。動物たちとも話し,恐らくかえるたちとも話したはずだった。小さい年頃にしては胆力は十分,注意力も結構なものでつい最近の出来事として若いオオカミに吠え方の説教をした。皆が寝静まる頃にする吠え方について,もっと高らかに(例えば月まで届くようにと),そしてできる限り無駄のない回数ですべきと言い,その場で座って実演までしていた。オオカミは若く耳が良く,その上手さに心打たれて子のいう事を良く聞いて従った。若いオオカミの遠吠えは満月に良く似合うようになった。
 言伝は夜,かえるたちの頭上を越えて流れ星を装って神社に届けられた。名宛人はやはり神社を守るそこの主であった。
『神社を守るそこの主。人の女。水も絶え絶えで皆ももう耐え難い陽。耐えられない日。かえるたちにもう一度振り返って貰うことは,やはり要る。神社を守るそこの主。人の女。主の子を要する。主の子の声が要る。かえるたちの元へ遣わせるべし。先頭の一番前。階段の石畳に足掛けた若旦那の元へ。主の子を遣わせるべし。主の子の声を聞かせるべし。』。
 朝に起きて言伝を受け取った人の女は神社を守るそこの主として連れ立つ子を呼び,かえるたちと,声を出して話すようにと言いつけた。子は黙って頷き,連れ立って来た人の女の前で一度だって欠かさなかった細い両足の小さな正座を,立ち上がるために崩し,歩くために二度はせずにそのまま社殿を出て鳥居に向かって進んでいってから,石畳の階段を降りていった。
 後ろを向いているかえるたちだから,子から見て,子が話し掛けたのは一番後ろで一番遠くを見ているかえるになった。随分と大きく呼吸するように見えるのは痩せているからで,触ると崩れそうな皮膚の印象は声をかけたら吹き飛びそうだった。立ち止まる子はかえるたちが見続けている方向を,探るように見る。通りを越えたさらに向こう。樹々が生い茂って作る山の形。鳥でも鳴いていそうな雰囲気の朝の早さ。見えたものはいつも見る風景な朝になった。
『もしもし。』
 一番近いかえるの背中を見て子は声を出し,話しかける。かえるは振り向かない予想は実際にそうなった。子は再び声を掛ける。
『もしもし。もしもし。』
  振り向かないそのかえるに子はまた声を掛ける。
『かえるさん。若頭さん。もしもし。もしもし。』
 しかしそのかえるは振り向かないから子は『かえるはもう死んでしまったのでないか。』,あるいは『もうことばは通じないか。』,そのいずれかでないかと思った。そしていずれのうちの一方を,『仮にそうである。』と決めれば子に出来ることは残りはするが,結果として実ることはなくなる。事態は,例えば神様が決めたように動く,ごく自然な,でも力づくな流れとなる。でも子は口を開いた。自分に出来ることをするためであった。自分が出来ることをするためであった。
『かえるさん,かえるさん。そのままで良いのでお聞き下さい。私はそこの,かえるさんたちが今見る方角からすればさらに後ろの,あの神社から来た者です。そしてそこに住む者です。ご存知だと思いますが,今年のあの神社を守るそこの主は人の女性で,私の母であり,私はその子です。連れ立つ子です。私は私の母から言伝を預かってきました。大事に預かってきた大事な言伝です。かえるさん,聞こえますか。あなたは後ろを,振り向けますか?』
 子は明瞭な声を発するように心掛けた声で,確認できないから確信できないままに,母から聞いた『若頭な位置』にいるかえるに挨拶と自己の紹介,そして用件を伝える。しかしそのかえるは振り返るどころかやはり動かない。子は『やっぱり。』と先程の思いを改めて思ってから自己の役割を果たすことに努めることにした。だからまずそのかえるを,もう若頭と決めてしまう。若頭なかえると決めてしまう。
『若頭なかえるさん。やはりそのままで良いです。振り返らなくて良いです。そのまま見続けて良いです。私は私で言伝を申し上げます。ここに立って申し上げます。良いですね?良いですね?』
 若頭なそのかえるは振り返らない。子は『やっぱり。』と,やはり思う。子は続ける。続けて言う。
『先日,喉を枯らした雲雀の娘が二度ほど,その枝葉を揺らした若木の息子と婚姻をしてしまったそうです。もう歌えないからといって,窪みのような小さな寝ぐらに届けられる,決して数多くない細長い根が吸う数滴の水があれば良いといって,無理な婚姻をしたそうです。また,いつも美味しい芋を近隣一帯に届けてくれた土竜の一家が全員,行方が知れなくなってもう随分経つそうです。皆が美味しいという芋を持参するために土竜の一家は,今まで行ったことがない深さに潜ったのだそうです。その芋を探しきれずいるのか,見つけたけれどもその芋の数が分けるのに足らないのか,あるいは見つけた芋を持参するために引き返している,深く長い帰り道の途中なのか。どちらなのか分かりません。いずれにしろその姿を見ることができません。入った穴は埋まらずまた,埋められることももうありません。しかしそれだけじゃありません。それだけじゃないのです。』
 若頭なかえるは振り返らない。子は話す。
『掘り起こされない水脈は,もう用無しかと思って細く細く眠ろうとしています。またはすぐ近くを流れて懇々と,綺麗な水の鼓動を打ち続けている隣町なかえるの水脈へと,大きな流れを変えつつあります。乾き乾くことがいつもになって,水があるのがたまになる。そんな大きな変化がこの辺りで,始まって止まないものになりつつあります。それはこの辺りで生きとし生けるものにとって大きなことです。そして重い事柄です。若頭なかえるさん,若頭なかえるさん。それはあなたたちも同じです。今もきちんと,あなたたちのお話です。』
 若頭なかえるは振り返らない。子はまだ話す。
『皆が皆で仰っています。もう戻りなさいと,お帰りなさいと,そう仰っています。心配もしています。仕事についてだけでありません。かえるさんたち皆の命も心配しています。私も同じです。他のものでありながら同じ生きるものとして生きているものなら,皆同じなのです。どうかご自愛下さい。そのために振り返って下さい。かえるさん,かえるさん。若頭なかえるさん。』
 言伝の要諦をことばでもって,そして肝心な気持ちを声を使って申し上げて,子は若頭なかえるを待った。返事を待ち,反応を待った。そうして待ってみて,子は通じ合える機会を持つのをやめた。若頭なかえるはやはりこちらを振り返らない。若頭なかえるじゃなくても誰も,振り返るかえるはいない。子は声が沈む気持ちで『やっぱり。』と思った。かえるはもう生きていないのだ。あるいは最初から,またはもう,かえるに通じることばはない。
 預かった言伝を若頭なかえるに申し上げたことは報告しようと子は振り返ってから,正面に見える社殿に向かって帰るために歩こうとした。子は子だ。身体の発達は急には訪れず,まだ小さなその身に詰めた胆力を持って大きな役割を果たしたからだ。だから子はほんの少し油断した。どれくらいかと言うと一言分だ。
『帰って来るよ,かのひとは。』。
 そんな一言分だ。漏れた歌のように淀みなく言った一言分だ。神社を守るそこの主である母に連れ立って,母と歌った一句の一言だ。一緒に父を待った,一句の一言だ。悪い気なんて物語としても,漂いもしない。
 しかしその機会と位置が良くはなかった。子が決めつけた『当たり』のとおりに若頭であったそのかえるは子の方に,というよりは子が歌のように漏らしたその一言の方に振り返った。そして子に問い掛けてきた。振り向いた子と動かした目でぶつかる視線をももって,問い掛けてきた。
『それは何時か?』
 問われた子は事態の急変についていけないばかりか,『皆のこと』を思ってしまって,若頭であるそのかえるが『かのひと』が『帰って来る』ことを疑うことなく,その時期を問いかけて来たことをどのように取り繕えば最も良いのかが,直ぐに判断出来なかった。賢いがまだ機転が足りず,気合いを入れて使った胆力は戻らないばかりで,注意力も散ってまた慌ててもいて,鼓動が打つたびちょっとずつ遠くに舞っていった。『最も良いこと』を普段から一番に考えていた子であるから,それは致し方ない動揺。だから子は作ってしまった。誰も言っていないことを,誰も聞いておらず誰からも聞いていないことを。
『かのひとは祭りが終われば帰って来ます。目を瞑れば音を聞き,耳を塞げば光を見て,そうすることが歩を戻し,終わる頃にここに着くからです。だからかのひとは,祭りが終われば帰って来ます。ここに帰ってきます。』
 若頭であるかえるは頷いた。そして乾いた身がボロボロと零れそうなぐらいに深く短く,大きな呼吸を一回してから,『ゲコーッ!』と強く鳴いた。その鳴き声の頭は人である子には聞こえたが,後は聞こえないくらいに高いものとなって,子には本当にかえるが鳴いたのか,仕草でそう見て,そう思うしかなかった。かえるたちは一斉に若頭のかえるがいるこちらに振り返った。中にはそうして命尽きて動かなくなるものもいた。パタパタと,ひと固まりにひと凹みが生まれるから分かることだった。
 あちこちからあがる『ゲコッ』という小さい鳴き声は,しかし段々と大きくなって集まっていく。輪唱にように前に迫ってくる鳴き声は一匹のかえるの意思のように最後に『ゲコッ』と纏まって止んだ。そうしてかえるたちは通りを出て行った。かえるたちが見続けた,再び振り返った通りの向こうの方向に向かって,出て行った。一番近くにいた若頭のかえるは子を振り返ることなく去っていった。通りはがらんと,何もいなくなった。
 ただ子は立っている。しかし子は思っていた。若頭のかえるは子と話せるのに,子にはかえるたちの鳴き声が鳴き声にしか聞こえなかった。それはわざとであって,意図したものだ。だから子は思った。『かえるさんたちは何を誓ったのだろう。』と。




 跳び帰りながら若頭であるかえるは思い出す。間に合わずに待ち続けているかのひとと,祭りのときの,出会いのとき。
 豊作の実りを祝う秋。皆が喜び歌う声,声,声。話せないかのひとに代わってかえるの皆は皆で歌い上げる。それは立派な輪唱となる。楽しいかえるの,歌である。かのひとは手を叩いてくれる。笑い声も上がらないからよく分かる,可愛い笑顔も見せてくれて,円を囲むかえるの真ん中にいる。紅葉のように赤々とした地の色に,実りのような黄色の線とはしゃぐ雨のような青色が幼い身体に向かって無数に走る振り袖を着て座って,かえるの皆と一緒である。どこまでも一緒である。一緒である。一緒である。







 信号待ちの短時間で考えられることを考えれば結論は,その時に特に抱えて気にしている問題になら答えられるかもしれない,ということかもしれない。例えばアイスクリーム屋で働くバイトの男性が同僚に女性が多く,また愛想良く迎えて見送るお客も女性が多いことで男性らしさを強く強調され過ぎて,自身の『性』について悩むとき,出せる答えは,いやそれでも人によることになる,かもしれない。
 例えば『より男性』になる人もいれば,『あるいは女性』に近づく人もいて,または歩道の真ん中を進んでしまったからそのままなのだという人も(歩道を無視して向こうに渡る人も),青になれば(あるいはならなくても),街中を行くのだろう。歩道を歩く姿からでは『その人』を知ることはできない。
 信号は無事,青にかわる。
 バイト先のアイスクリーム屋でお客様に人気のトップ3を並べるとバニラは入らないのが最近の流れらしい。新人で気鋭のハニーナッツ,フレーバーでも控えめなオレンジソルベ。そして『黒が基調であって白がおまけ。』と譲らない彼女が譲らずに言うチョコクッキー。これら3個のラインナップを縦に並べたトリプルで頂くツワモノなひとも,またペアな組み合わせを悩むダブルで楽しむカップルも,きちんと払ったお金のことも忘れて笑顔で店外へと歩いていく。冷えた感じでいいのかもしれない。アイスの適温を思って掬う,ディッシャーを洗って仕事を終える。内緒のお土産も内輪で貰って,半内緒のままに持って帰る。
 暖房はアイスクリーム屋でも効いていたから,自動に開くドアーの外は肌に痛くて気持ちの上でも寒いと思う。今年は帰郷しないと決めたからか,先月に亡くなった実家の愛犬を思ってか,新調し忘れて毎年の冬を越すマフラーを口元まで覆うように巻けば古臭い匂いも懐かしく感じる。ずっと古い家で育った子はその家の匂いがすると曽祖母が言っていた。人は家とともに育って死ぬと,曽祖母が言っていた。離婚して実家に帰ってきて,そして再度の結婚から再び離婚して子を連れ立って,しかし二度は実家の玄関の手触りも持っていけなかった曽祖母は曽祖父と建てた現実家で最後を迎えた。祖母から母へと伝わって,話される曽祖母の語りは息が近いもののように感じた。すぐそばで曽祖母が直接語っているような親近感は祖母,そして母が抱く相手への親しみの温度調整によるのであろう。久しぶりに灯した弱火から始まる,静かで静かな料理は鍋をカタカタ揺らして,寒くなって帰ってくる子を思う親だ。そこにいて,消えないのは。
 でも僕は実家に帰らない。皆が同じとはいかない。来年も帰らないだろう。これからもそうだろう。 
 その理由は曽祖母と関係ない。建て付けが悪くなる原因は,見えない綿ぼこりみたいに住めばどうしても舞って,アルバム収まる本棚の裏に溜まって誰も早々には気付かない。今年のある日を話したら,母は何も言わない溜息をくれた。答えたら,父は年代を感じる説教の一言目を口にし始めた。だから僕は,それを遮って答えた。
『不利益を知った上での選択だ。この選択に変わる気配は残っていない。この選択で僕自身に対するあなた方の評価が変わり,対外的に自慢な子のリストとして羅列できないというのなら,非公開にしたらいい。僕からの異議申し立てなんて,引っ掛かる釣り糸を心配するよりも無駄骨だ。僕は残る人生を進む。二人もそうする。交わらないという道が三本,とりあえず椅子に座ってテーブルを挟んでいるのが最後なんだ。』
 そうして二人は何も言わなかった。もう他人なのだ。気分が不快になるだけ性質(たち)の悪い,他人な二人と一人なのだった。
 シャカシャカと揺れる袋の中の、コンビニ出身の『雪見だいふく』は溶けることなく曇天の,実家の近所の公園で食べた。固かった。冷たかった。治療済みの歯にも凍みて,通う歯医者を探す後日にもなった。でも口の中でアイスは溶けるのだ。僕の体温は常温で,生きてまだ温かかったから。
 その日の終わり。最低気温が0度以下に都心。雪のように話ができない,その女の子とは電信柱の下で出会った。
 視線はずっと上を見て,まるで何かを心配するように,あるいは何かが寒がってしまわないように手をさすっていて(そう,今思い出しても,決して自分のためじゃないと確信できる。),その度に自らを覆っているコートであって蛍光灯で照らされている白が帰り忘れた雪のようのように揺れてぼやけて,その存在感を,片方ずつでも目をこすって確かめたくなる。歩みを止めないから縮まっていく遠目は女の子をより具体的に知る。髪は黒だ。そしてそのショートの程度はおかっぱといっていい。顔立ちは小さい。古風な可愛さでその頂点の高さをもってしても小ぶりで低めの鼻,それに続いて一度も荒れたことがないと信じてしまう小さく真っ赤な唇が印象的だ。一重まぶたでも丸い目は大きい。眼鏡をかければ似合うかもしれないと思う間に一度した瞬きで,長い睫毛も短く揺れた。細い身だ。そして背筋もいい。着物を着たら似合うと思う。そう例えばその振袖が紅葉のように,実りのように赤々とした,そんな着物。
 新幹線を降り,在来線に乗り換えて降りる最寄りの駅から徒歩で20分ほどの帰宅ルートは駅周辺以外は人とそう会わない。だからすれ違いなど起こらないし,時刻ももう0時を迎えて昨日という日を見送る明日を迎えようとしている。どこで見たのか忘れた,下手な絵の痴漢か変態さんに対して直接の注意を,立って行い続けていた看板を思い出す。だから一応,声を掛けた。
 女の子は話せない。それは後から知ったことだが,それはもう少し(しかし確実な)違う意味も持っていた。女の子は言葉を知らない。だから女の子には言葉による概念がない。言葉による概念がないから話し掛けても意味はない。実際,女の子に話し掛けたのはこの時ぐらいだ。あとのことは,後で話す。
 女の子はそれでも,相手が自分に対して関心を持ってするアプローチを体感できた。だから女の子はこっちを見て音がするぐらいに笑顔を向けた。でもそれは好意とかじゃない,と今なら言える。その時は疚しい期待もあったが,それは男子として仕方ないことして,でも女の子の笑顔はそういうものじゃない。言葉に変換すれば『こんばんわ。』。ただ心捉えるだけだ。それだけだ。
 『どうかしましたか?』とか『待ち合わせですか?』とか,『上に(と見上げてから),何かあるのですか?』など,女の子のその時していること,置かれている状況を知ろうと色々と質問したが当然に女の子は答えなかった。というか,答えられなかった。声を掛けたことを後悔するのは応えがないことと,困った笑みの素敵なセットだと,頭で分かる以上に痛感してから,逆に女の子を怪しんだりもした。そういう怪しみ方だ。これも仕方ないことだと思う。
 『すいません。』と何に対して謝っているのか,あるいは全てに謝ったかのようにして女の子から離れるために帰路を再開,前を向こうと思ったときに女の子は紙を差し出して来た。サイズは,そう,長めでもメモであるメモを書けるぐらいの正方形だった。色はオレンジ。紅葉な色だ。その紙には『東京都』ということまで書いて一連の住所が書かれていた。達筆だった。余計な事実,であるかもかもしれない。でも言いたい。それぐらい達筆だった。情報を上回る芸術は,蛍光灯下の午前0時を迎えて,映えていた。





 出来過ぎた話の妙味は偶然の不思議さでもなく,『それが事実であった。』という事実にある。女の子が差し出して見せてくれた住所はアパート名まで自宅とほぼ一緒であって,部屋番号が違うくらいだった。3階の303号室。2階にある203の真上。自室の天井に最も近い真上の部屋番号。
 察するに女の子は303号室の住人と待ち合わせをしていて(あるいは勝手に押しかけようと思って),しかし自分だけではそこまで行けず(ここら辺は番地の張り巡り方がややこしい。右向けば2丁目。左向けば5丁目。),そこまでの帰り道の途中であってよく目立つ,ここの白色蛍光の下で待っていた,というところだろう。そう推測した。今もこの推測は覆っていない。情報は足りなくて,反論なんて形成出来てさえいない。
 そして女の子は言葉を話せないとそこで知った(言葉を知らない,とまでは知らずに。)。いつもそうしているのだろう,これは誰かである別人が書いたと思われる普通の字で,『言葉を話せないです。』と書かれた二枚目のメモを一枚目の裏から取り出しそこに重ねて,見せてくれた。女の子は笑顔を崩さない。ただの事実だ。そこに脚色なんて要らない。
 一緒に行こうと,連れて行くと,そういう意思を身振り手振りで,女の子に向けて発信して,女の子は理解してくれたようだった。というか理解していた。笑顔が強くなって握手をして,女の子は一緒について来た。一緒に信号を待ち,変われば一緒に渡って(思えば女の子は社会の一定ルールも理解していた。),曲がり角で向かうべき先を指差し(女の子はやはり笑顔で頷いて),一緒に曲がり真っ直ぐも進んで自宅アパートに向かっていった。もう次の日になっていた世界とご近所様はいつも通りに人とすれ違わないひと気の無さで,静かで寒くて(摂氏0度に変わりはなく),でも帰り道として十分だった。女の子は隣にいた。隣を一緒に歩いていた。
 距離は広がることがないから,捉えた視界の通りに無事に,約20分で自宅アパートに着いた。背後に回り込んだりはしなかったが女の子は,一通りにアパートを眺めてからまた握手をして一緒に階段を上がり,一応3階まで一緒に行って『303』と文字が貼り付けられたプレートを指差した。女の子は見せてくれた先程のメモを確かめてからまた握手をし,笑顔をくれてチャイムを押した。だから振り返って階下に降りた。邪魔者な気分になったのもある。あとは色んな,気持ちがあった。
 鍵を束ねたキーケースはなかなか見つからなかった。大学の図書館によってレポートに必要な資料が太めで黒のPORTERにパンパンに,入っていたからかもしれない。とにかくよく見つからなかった。背後から覗く紛失の可能性と必死に探した。焦っていた。
 チャイムを押す数回の,動作の音。スイッチの無機質な『カコカコッ』とした音。そしてドアーが開く音がしない。それだけで鍵を探すことを確実にやめるのに十分だった。そこに居るのか居ないのか,いずれにしろ女の子はまだそこにいることは,これまた確かだ。女の子はまだ303号室の前にいる。
 (303号室は階段を上がる向きとは逆にあるから)階段を一階分だけ上がって振り返るような形で振り返って,女の子を視界に留めた。女の子はまたチャイムを押して,灰色のドアーの前で待っていた。もう一回押す。待つ。また押す。待つ。待つ。声を掛けようとして,やめてから,肩を叩けるだけ近付いていったら靴音で,女の子はこちらに気付いた。女の子は笑顔をくれた。
『あら,またお会いしましたね。どうなされました?』。
 言葉に変換すれば今度はそうなるような笑顔に向けて,居ないようだ。』ということと『自室で待たない?』ということを,伝えるのに苦労した。『足音で,来たの分かる。』と伝えるためにその場で何度も足踏みした。近所迷惑も甚だしかったと思う(特に302号室の住人に,とっても)。女の子は理解すれば強く笑う。そして必ず握手をする。この時もそうだった。だから今度もそうなるだろう。
 自室に女性を入れるのは半年前の彼女以来だったことを,思い出しては振り払って,女の子を203号室である自分の部屋に案内した。鍵を開けようとして鍵を探すべきことを思い出して,また焦った。紛失の可能性は今度は肩口から顔を出し,耳元に口を近付けて何事かを言っていた。しかしもう一度鞄を探れば鍵を束ねたキーケースはあった。隠れん坊に飽きた子のように資料の山の上に寝転がっていた。紛失の可能性は呆れ去って,自室の鍵を差して回せば,203号室は開いた。明かりを点ければ次の日を,一時間すぎた午前1時であった。
 1Kの室内の留守を守っていた暖房機の,『強』のスイッチを入れてから女の子に赤色の座椅子に座るように手で示した。女の子は笑顔で座る。それを見届けてから鞄をテーブル近くに放り投げて,キッチンでお湯を沸かしにかかる。甘いココアが1カップ分残っていたので(たまに飲むと甘くて美味しい。),それをティースプーンで黄色のコーヒーカップに入れてから,自分のコーヒーも準備して(これは緑のカップに入れて),笛吹き口から荒っぽく音を立てる銀のヤカンに促されて並ぶ2個のカップにお湯を注ぐ。
 溢すなんて失態を回避する冷静さと慎重さを隠した堂々さで部屋に戻る。女の子は放り投げられてからそのままの鞄を見ていた。正確にはキーケースを取り出してから口を開けたままの状態から,半端に顔を出した資料の数枚というところだった。テーブルに『コンッ』とカップを置く。そしてテーブルの一角に敷かれた座布団に座る。音は,あえて立てたものだった。案の定,女の子は音のする方を見て,こちらを見た。何度目でも良い笑顔はココアを飲んだ。カップを持って,握手は無しだった。
 鞄の方に歩みを向けて,鞄を引っ張って,また座布団に座る。出ていた資料は通りに関するものであった。後期の単位稼ぎのために履修した2単位貰える民俗学のレポートのためにコピー,あるいはプリントアウトしたものが一番顔を出していた。それを無作為で数枚取り出す。女の子が興味を持っていたようだし,これを会話がわりにする心積もりだった。印字されていたのは変わった通り名。例えばそう,『かえるろーど』。
 女の子は話せない。それだけじゃなくて女の子には文字による,概念がない。だからそこに意味はない。でもここでは意味は本当に,『意味のないこと』だったのかもしれない。文字は図形でもあるから,女の子は視線を外せず,軽い笑顔も忘れたのだろう。
 『かえるろーど』。
 女の子はそれを見ていた。




 迎えた朝までに女の子はココアを飲み切ってからもう一度,一階上の303号室に行くという仕草を見せてから203号室である自室を出て行った。履いていたのはムートンブーツだ。茶色の,落ち葉みたいな,色の。
 帰って来ないから会えたかと思い,しかし階段を上がる音も何より,人が部屋に入った音が頭上からしないから変に思ってキーケースを手に持ち,ローカットの黒のコンバースを履いて,玄関を出て鍵を閉め,階段を一階分上がって振り返るように303号室前へと,振り返った。
 女の子はいない。
 部屋に入ったことを確認したくてチャイムを鳴らすもやはり留守の様子が,物言わない灰色のドアーから聞こえてくるように分かる。では女の子は?どこへ行ったのだ?自宅であるアパートは三階立てであるからもう最上階のそこから,明るくなった建物周辺から,少し離れた近所の通り周辺も見回した。三階分降りて地に足をつけてから,日を跨いで一緒に歩いて来た道を戻って,駅までも行った。途中のあの,真下を白色の蛍光灯で照らしていた街灯の横を通り抜け,戻って来てから立ち止まりもした。しかし女の子は見当たらない。もう居ないとしか思えなかった。もう居ないと,思うしかないのかと思っていた。
 自宅であるアパートに戻ってくる。そして自室である203号室に向かって帰ることになる歩みを進める。途中,各部屋のために,各ポストがある。きちんと名札を出すのがこのアパート唯一の,守られている決まり事だ(郵便物に関するトラブルがあったらしい)。暗くなってからもポスト全体はすぐ上に設置された電灯に照らされて一晩中,明るいけど,昨日のチェックは済んでいない。着いたら真夜中だったし,それに一人じゃなかったのだ。それは仕方の,ないことだ。
 203号室をチェックする。無理なんてしなくても縦に一番近い303号室が目に入る。書かれた名前のない名札は,真新しいものとなっていた。覚えがあるその白さは,その日の午後に確かめられた。303号室に住む人は何度も階段を上がってからまた,下ったりしていた。アパート前の道。一台のトラック。運ばれる物。運ぶ人。律儀にも203号室に挨拶に来た女性は仕事の都合で予定早めに上京と引っ越しを同時にするしかなかったそうだ。新しい連絡先は知り合いという広いカテゴリーをもってしても,これから届けられる予定になって,その通りに実現された。彼女の交友関係は広かった。彼女より先に上京したりしていた人もいたのだろう。間を空けても数日後から途絶えない,足音は階段を今も上り下りする。
 午後の2時にまた家を出て,アイスクリーム屋に向かう。昨日と変わらないようにしか思えない寒さは昼から世界と自分を巻き込んで,冬を増して春から遠ざかる。ニットまで被った今日は髪も隠れて別人のように歩いてみる。大股開きだったり,肩をいからせたり,嫌に地面を睨んだりしておよそこれからディッシャーで,アイスクリームを掬ったりしそうにないような空気が自然に付いてくるような振る舞いをした。濁りが沈殿になって,目でも曇れば良いと思った。
 けれどもそれは無駄になって,そして意味も残らなかった。澄んでしまった目は視界も広げてしまったように色々なものを取ってきては意識の前に置いて『これはなに?』と聞いてくる。それは木,これは雲,あれは人で君もそうだと,言ってしまってからその度に気付く。隣は見知らぬ他人がいて信号は未だに青にならない。車は行き,バイクは走り,逆光で眩しくても街は動いて気配も死なない。勤務時間のバイトもまだ始まっていないのに今夜の帰り道が気になってたまらない。
 それは今も変わらない。女の子はやっぱりもういない。夏を迎える今であっても出会えたりは,していない。






 朝だからといって必ず,世界のすべてが温かいとは限らないし,そう断言したりもしてはいけない。けれども例えば朝の一光景として,霜を踏み締める場面がある。吐かれる息の白さがある。寒さでより澄んでしまったように高らかに,しかし小音にアスファルトを叩く足音がある。それはブーツの足音に似ていて,夜じゃないからといって急いだりもせず,朝だからといって妙にはしゃいだりもしていない。歩調も確かで,意思も感じる。真っ直ぐに進む,リズムも感じる。それが朝だというように,一秒だって進んでいる。その日の陽射しは良好のようだ。一人の影が綺麗に伸びて,とても温かそうに思える。
 例えば道行く少女は見つけたいものを見つけたように曲がり角を曲がるとして,それでもどこに行くかは分かっているのか,分からない。何もかも置きっ放しにしているような純粋そうな白さがそう思わせるのかもしれないし,目が合えば生まれる笑顔の,去ればほんのりと消えるそれまでの間が,そう印象付けるのかもしれない。そんな少女は例えば黒のおかっぱで,とても着物が似合いそうだ。顔立ちは小さい。鼻は小ぶりな低めで少女の顔の一部となっていて,真っ赤で小さい唇とともに少女の古風な可愛さを包み込んで保ち続ける。一重まぶたは凛として,大きな丸い目とそこにある。かけていない眼鏡が惜しい。睫毛は長く,瞬きで短く揺れて,朝を遠く見たりする。暫くそのままで立っていたりする。まるでそこから降ってくるものがあると言わんばかりの,見上げる時間だ。例えば,そう,季節を間違えた冬の楓の葉のようなもの。
 その少女が止まれば猫が横切る。その距離は近く,意図的にも思える。だから少女は気付いて猫に笑う。その笑顔を猫は待っていたとばかりにもっと近付いて,ひと鳴きする。少女は笑顔をより強くして,それは二回目の笑顔となる。言葉に変えればそれは丁寧で綻びない,『おはようございます。』になったかもしれない。
 少女は屈み,猫は抱き上げられて,手のひらと胸元で生きるもの同士の温かさが生まれる。少女は猫の喉元を撫でていて,猫はされるがままになる。幸せはお裾分けになって,ママと行く男の子は何も言わずに見つめつづけた。勿論少女はその子にも笑顔を向ける。振り返って男の子は『さよなら。』を意味する手を振る。少女は同じ動作をする。けれどその意味を分かっているのかは,分からない。
 鳴く猫に促されて猫に向き直った少女はまた喉元を撫でて,温かさを確かめている。そしてふと思い出したように,これまでに歩いて来た道を見るようにして,後ろを振り返った。三つ先の角を曲がるまでママと道行く男の子は小さくもまだ見えて,少女の笑顔はまた違った。まるで寒い中で温かい飲み物を飲んで綻んでしまったような,例えば感謝をしているような浮かび方であった。あるいは本当に感謝していたのかもしれない。最近出会った男の子に。直ぐに離れた男の子に。
 猫は『満足したからもういいよ。』というように身をよじって鳴いてから,少女から離れて去っていった。猫は振り返らない斑な背中を見せ,そして少女はそれを見届けてから小さくも手を振った。『さよなら。』のようであって,『またね。』のようでもあるような仕草になって少女はまた,朝を歩き始めた。靴音は高らかで(それは小音でも),確かなもので,リズムも良くてアスファルトを叩く,ブーツのようで急いだりしていなかった。妙にはしゃいだりもせず,その途中で小難しいことばかり言っているような男の子とすれ違って,今朝一番に射し込んでいる通りの奥の眩しい交差点に差し掛かる。そこの信号は青にまだ変わっていないから,少女は立って待つ。そうしてまた上を見上げる,細身の後ろ姿になる。車は行く。バイクも走る。信号は青に変わる。少女は気付く。
 そうすれば少女は渡るだろう。例えばそれは雪のように,淡いとけかたの最後になる。






(つづく。)

かえるろーど。(二)

かえるろーど。(二)

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-01-21

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