地球でお会いしましょう-記録Ⅰ

記録Ⅰ 要点……サンの飛行機の起点は西暦一九〇〇年である。
 地球の青さをそのまま映しとったような空に、とつぜん、小さい何かが飛来した。誰もが鳥と見紛うそれは、いつまでも残って消えない白い一直線を尾から引いている。不思議なほどに丁寧な白線を描く鳥を人々はしばらく眺めていたが、飛び方が速いのと陽の眩しさに目がやられてすぐについと目を逸らした。そうしていつものように働き、子は遊び、やがて自分の棲家にもどっていく。
 正確には、それは鳥ではなかった。それの正体は、今でいう飛行機と呼ばれるものだ。陽の光を受けて煌めく体躯、両脇に抱える立派な発射機。P38ライトニング、戦闘機だが操縦席の少年・サンは発射弾を持ち合わせることはしない。サンが父のもとに生まれて、物心ついたときからずっとそばにある機体は、暮らしている白い部屋から宇宙を経由して地球に来訪するための交通手段となっていた。
 ただ、宇宙空間を通ることのできる殊勝な飛行機だが、特別な機能はどうやら他にもあるらしい。それがどういったものなのか探るというのが、今回のサンの任務のひとつだった。
 地球の表面が少しずつ見えてくる。ハンドルを握る手に力が入る。静かに揺れる波間に光が差し込んで、星空のように瞬いている海。その広さを堪能すると、やがて大陸の淵が見えてくる。その形はやはり地図と同じでおもしろい。陸地を覆う緑の正体は森であった。それをなす木々の一本一本が風に揺れてお互いを撫で合っている。サンは飛ぶスピードを心持ち落としつつ、しばらく地球の俯瞰で見た景色に見惚れていた。地上の人々に、上空を休むことなく飛び続けている鳥だと間違われていることには露も気づかないでいた。
 さて、そろそろ降り立たなくてはいけない。サンは周遊する中で、着地点に良さそうな広大な土地に目星をつけていた。明るい緑が生い茂る草原がいくつか、あとは陽光に焼かれている砂漠が何点か。高い木や建物が無いのはもちろん、周囲に人がいない所が良い。
「君の飛行機が、地球上にすでに存在する時代に降り立つかはわからないからね」
「飛行機は地球のものってこと?」
「まぁ、そう。サンのは地球歴一九四〇年代の戦闘機に似ている」
「じゃあ、地球のひとが飛行機をつくったのかな?」
「知らないよ。その話はやめなさい、サン。全く、人類が一丁前に空を飛び回っちゃって。大体、人類のは君のみたいに素敵なものじゃない。飛行機を命を奪い合う兵器として使うのさ。馬鹿の常套手段だ」
 困り顔で俯いたわが子の顔を見て、父は深呼吸をした。まぁ、とにかく人目につかないように。そう締めくくられた父との会話を思い出して、サンはここのところ、父が毛嫌いするほどの人類という存在に興味を持ち始めていた。しかし、行く直前にも飛行機をひとに見られないように、と念を押されたことも思い出して、とりあえずその言いつけ()()は守ろうと心に誓っていた。
 サンは窓越しに見える下の景色を見回した。広々としていて、人に見つかりにくいのは砂漠だが、なぜだかサンは砂漠に降りるのを躊躇った。迷っているうちに、ブレーキをかけ始めた機体は徐々に降下してゆく。仕方なく、サンはある大陸の草原に拠点を決めた。ゆっくり気をつけて着地していくが、巨大な体躯が巻き起こす防風に低い草木が薙ぎ倒されるのが見える。やはり砂漠が一番良いかもしれない。サンはそう思った。田舎風の広い草原だが、人里に近く、見つかってしまう可能性が大きい。それに、再び飛び立った後、倒れた草木の跡が不自然に丸く残ってしまうだろう。
 まあ、飛行機を隠せれば良いか。父の厳しい言いつけをまた反芻する。降り立った地上世界、この時代に、飛行機というものがすでに存在しているのかさえわからないのだから。
「――あ」
 驚嘆が声にならないほど小さい呟きとなって飛び出した。目の前に、少し遠くに見える丘の上に、ひとが立っているではないか。操縦席から出たサンは、飛行機越しの向こうに男の姿を見た。しまった、と冷や汗をかいてももう遅い。男はこちらを――まだプロペラが回り続ける飛行機をまじまじと見つめている。すぐにでも走り去りたいのに、足が固まって一歩も動かない。愛機を置いて逃げるわけにもいかないし、もう一度乗り込んで飛んでいくのは言語道断だ。
 だからサンは、とりあえず微笑んで軽く会釈してみた。誤魔化すように肩をすくめた笑いだったが、相手も戸惑いの表情を浮かべつつ頭をもたげてくれた。それからお互いに、一歩ずつ距離を詰めていく。男の方は逃げもしないようだ。それがサンにとっては救いだった。不用意に騒がれて、謎の飛行機の噂がどんどん広まっては困る。むしろ、サンと飛行機とを交互に見る視線には、一種の興味関心の熱が含まれているように見えた。やがてプロペラの機械音も止まり、会話できるほどに近づいた。高い鼻筋の先がちらちらと飛行機の方を見つつ、捲ったシャツの袖口からがっしりと大きな手が差し出される。興奮を抑えたような素ぶりの男に、サンは手を受け取りつつおずおずと切り出した。
「あのう、つかぬことをお聞きしますが。今、地球上は西暦何年でしょうか?」
 途端、こわばった笑い方が男の顔にみるみる広がっていく。しまった。焦らなくてよかったのに。人里に行けば自然に聞くこともできたのに。あーもう、それと、地球上は余計だったか。サンは心の内で舌を出した。
「はぁ……今は一九〇〇年ですが。あなたは未来から来た人ですか?それとも火星人?」
 相手の冗談めかした質問には答えないで、汗が噴き出す顔になんとか愛想笑いだけ浮かべる。心の内では一九〇〇、一九〇〇と繰り返し唱えていた。相手の男はただずっと、サンを飛び越えた視線の先にある機体に釘付けだった。――これは人類を知るチャンスかもしれない。サンは身を翻して、惚けている男の顔を覗き込んだ。
「格好いいでしょう。僕の飛行機」
「飛行機。……飛行機というのか。素晴らしい……」
「でしょう。お兄さん、飛行機が好きなの?」
「俺は……夢でも見ているのか?」
 今度は男の方がサンの言葉に答えなかった。頬を軽くつねって目をぎゅっと閉じる。ぱっと見開くと、飛行機と少年はそこにまだ在った。
 次第に男の身体が震えだし、サンが制止するより早いか、飛行機に身体が触れるくらいに近づいた。それから、まるで最上級の美術品でも眺めるように、感嘆の声を漏らしながら飛行機を目で愛で始めた。艶のある硬い金属の肌、風に軽く揺れるプロペラ、陽を受けて煌めく両翼。一つひとつをパーツとして味わうように眺める。それでも足りなくて、思わず手が伸びてしまった。男の掌が機体の出入り口近くに触れる。まだ十二分に残った熱が全身に伝わって、男はまた身震いした。やがて少年の視線を感じたのか、ぱっと腕を離した。
「失敬」
「いいよ。お兄さん、本当に飛行機が好きなんだねぇ」
 サンは目を細めて、機体に両腕をもたれかかせる。相手をじっと見つめると、男は手を擦りつつはにかんだ。名残惜しそうなその仕草に、サンは心持ち首を傾げた。
「俺は……弟と一緒に、人が空を飛ぶ機械をつくっている」
 ()()()()()()。――やっぱり!?人類が!
「へぇぇ!それはすごいや」
「でも、これを見せられちゃあな」
 男は再び手を伸ばしかけて、やめた。まだ金属熱が冷め切らない拳をぎゅっと握りしめる。機体には少しだけ大きい掌の跡が残っていた。サンは自分のものと似た、五本指のある跡をなぞるように指を滑らせると、男の固い拳を取った。その()に拳は溶かされるようにほどけた。そうして、今度は指先だけが軽く機体に触れる。爪の先だけでも、男は熱を感じた。
「もう一度、さっきの質問だ。君は未来から来たのか?それとも月か?火星か?」
「僕は……自分どこから来たのかわからない」
「はぁ……じゃあ、どうやって帰るんだ」
「帰り方はわかるんだ。でも、僕の帰る場所が、どこに存在するのかはわからない、って言ったらいいのかな」
 サンの曖昧すぎる答えに、男はもう詮索することを諦めた。サンが嘘を言っていないことは、聡明な男にもわかった。代わりに、突然現れた()()()と、それに()()()()()少年に話したいことが溢れてくる。空を見上げると、一羽の鳥が風を切って、飛行機よりもゆるやかに飛んでいた。
「この間、やっと人を乗せて飛ばすグライダーができたんだ。知ってるか?鳥は翼で風を受けながら、ひねることで自在に飛ぶ。それをまねて、足で翼をひねって操縦できるようになったんだ。この間は十二回も飛んだ」
 男の熱が言葉となって迸る。サンは目いっぱいに瞳を輝かせて何度も頷いた。――父の元に生まれついてからずっとある愛機、P38ライトニング。どこへ行っても帰ってこられて、今日に至っては地球まで行くことのできた飛行機は、一体どこからやってきたのだろうか。――自身の中に燻る純粋な疑問が少しずつ解かれていく。
「僕が未来から来たと言えば。飛行機が――人を乗せて飛ぶ機械が当たり前に存在する未来がじきにやってくる。そう言いたいんだね?」
「これは――俺が今見ているこの飛行機は、まさに希望だ」
 目前に立つ男の掌の熱に、飛行機を眺める視線に、その答えの一端を見た気がした。飛行機がもしも、地球に発生した人類という生物の、「憧れ」の産物なのだとしたら。無力な人類自らが生み出した、発明なのだとしたら。サンの鼓動が跳ねた。――人類って、父が言うよりももっともっとおもしろくて、すばらしい存在なのかもしれない。
「忘れないでいてね。君のこの夢を。この熱を忘れなければ、きっと現実になるから」
「やめてくれよ。それはどっちの夢だ?」
 一迅、風が吹いた。男は目を細めた。その次にはもう、ひとりの飛行機乗りの少年も、そのそばにあったはずの飛行機も、跡形もなく消え去っていた。それでも男は動じなかった。未だに熱の残る指先で、瞳に溢れるあついものを拭って空を見上げる。悠々と飛ぶ一羽の翼が、青空に浮かぶ星のように一度だけ煌めいた。

地球でお会いしましょう-記録Ⅰ

✳︎本作品は、以前投稿していた『二重連星掌編集』のエピソード(チャプター)を加筆修正し、投稿したものです。

地球でお会いしましょう-記録Ⅰ

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-07-27

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