『おはよう。』

優しく手をとることすら、ためらわれた。
ほがらかに笑いかけるくちびるはかたく、ひきむすばれている。
だれもかれも何か他から奪いとって息をしている。



ここにヒーローも敵もいないことを僕たちはすでに知っている。
悲哀と憤怒を疑念でぬりかため、嘘をつくりだしていくのも僕たちなら。
ごまかしのきかない現実に圧倒されながら自分らに託されたものをただ精いっぱい、護って日々生きているのも僕たちだった。



合図をいくら送ってもつながることができない世界は、たやすく僕ときみの傷みをあばく。
重く、思い出せない哀しさ。
軽々とぬりつぶせない寂しさ。
荒れ果てた苦しみはずっと野ざらしだ。
存在ばかりの世界のなか。


砕けた創造から本当に何ひとつ生まれることはないのだろうか。
僕たちの足跡はもう笑えないほど黒点なのに。



だからこそ。
想像を僕たちは決して殺さない。
混沌のなかでさえ芽吹くものがある。
僕たちのちいさな瞳に青空は咲く。
不安と恐怖をかき分けて、それでも嘘ではない朝をきっと見つけ出す。



世界に言えない秘密と約束を、黙ってかたちあるものとして僕たちは受けとめた。
そうやって少しずつ広く勇気づけられていく。
僕たちはふたたび繋がることができると信じられるくらいには。



ヒーローに救われなくても敵を倒せなくてもかまわない。
護らなくても世界は続く。
いつだって正しくはない僕たちは、せめて間違っても立ちあがっていい。
そんな生き方をしていきたい。
ここから顔を上げる。
眼は、ふせない。



たしかに繋いだ。季節を絶たないために。
何度だって沈まない言葉を贈る。
きみと触れあえなくても。
変え続けている。僕は僕を。


また春めくことができるだろう。僕たちは。
思いどおりにならない、命が張り巡らされたこの光景のなかで。

『おはよう。』

『おはよう。』

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-06-03

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