言葉でものを考えていない

人間は言葉でものを考える、って言い方がありますが。しっくりこない。
例えば読書してると文字を読んでいるって感覚じゃなくなってくるじゃないですか、とくに小説は。没入すると花の本(『花を飾ると、神舞い降りる』)でいうところの「観察」状態になるので(って私は思っている。)粒子が見回している風景を嗅いでいるとでもいうのか。読書でなくても対象の波形や質を感知して区分けしてそれらが落ち着くのを待った結果が「考え」になるという感じ。それを人に伝える必要があるときに言葉に変換しているのだと思う。私の体感だとそうなる。
でも例えば歩いているときに猛然と言葉が浮かんでくることもあるけど(そういうときってたいてい7・5調をとっていることが多い。)これって自力で考えているというよりはかってに湧き出てくるという感じです。
音楽が音を聴くのではなく旋律を追うのでもないのと同じと思う。

言葉でものを考えていない

言葉でものを考えていない

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-05-26

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