ハッピー☆バード
大学時代~30代まで書いていた作品です。まだ終わってません。続きを書きたいです。→実は書いてました!
当時のままで、編集はしてないのですが、とりあえず載せようと思います。
☆NEWS☆
2025年、恥ずかしながら、舞い戻って参りました!Canva AIの力を借りて、実は前から考えていた新キャラ設定や物語の構成等を整理して、とうとう前へ進む事ができました!本文はもちろん私のオリジナル作品ですが、バックヤードでいろいろとAIちゃんが私の頭の中のイメージを整理してくれたり場面を見せる順番を提案してくれた感じです。普通ならすごく時間のかかること。生きてて良かった!
読者の皆様(いるのか?)には、20年くらいお待たせしました!マジでごめんなさい。今後も書きます!
第1章 不思議な石
1,出会い
茅子(かやこ)は、今日も仕事が終わり、家に帰るところだった。
途中には、いつも立ち寄る店がある。
きれいなパワーストーンが、たくさん並ぶ店。 石を加工したアクセサリーもあって、値段もお手頃なので、時々買うのだ。
石たちにふれていると、なぜか心がホッとする。まるで石たちが力をわけてくれるみたいな気がした。
店のなかをみているうち、一つだけ、とても引きつけられるイヤリングがあった。 深い青色で、よくみると、光る粉のようなものが角度によってキラキラと反射する。
いつもよく話すお店のお姉さんがそっと教えてくれた。
「ラピスラズリですよ」
茅子には、それが自分を呼んでいるように見えた。
「よくお似合いです。この石とお客様、とても相性がいいようですね。」
お店のお姉さんというのは、どこでも、たいていお世辞を言うものだが。いまの茅子には本当のようにきこえた。
実際それを身につけているだけで、疲れが軽くなったように感じたからだ。
「決めた。これ、下さい。」
家に帰って、イヤリングの箱を電気に透かしてながめていると。 底のすき間から、はらり、とメモが落ちた。
(何かしら。お店の人はなにも言わなかったけど……?)
『邪悪なものから身を守れ。幸運の鳥が、あなたをみちびく。』
茅子が、なんとなく声をだして読んでみると。
閉めていたはずの窓が開き、とつぜん耳元に風を感じた。そして、イヤリングが輝きだした。
まぶしくても不思議と目を痛めない、やさしい光が、茅子のまわりを霧のように包む。
イヤリングの中から、なにか白いものが飛び出した。それは、霧に混じって茅子のまわりを何周もめぐった。
鏡ごしに、人の頭のようなものがチラッと見えた。 茅子は背中にぬくもりを感じて、振り返った。 柔らかな声がささやく。
「お呼びですか?」
そこには、見知らぬ男が立っていた。 しかも、ふわりと自分を抱きしめて。 肩から先には、人間の腕はなく、白い翼が生えている。
「あ、あなたはだれ?」
「ぼくはハッピー・バード。あなたを幸運へ導く者です。」
「やっぱり……こ、このイヤリングからでてきたの?」
「そうですよ。ラピスラズリがぼくの仮の宿。」
信じがたい話だけれど、あまりに非日常なことが目の前で起ってしまうとただ受け入れるしかない。 ほっぺをつねるまでもなく。
「でも、良かったなァ。こんなに早くご主人に出会えるなんて。やっぱりぼくはついてるなぁ!」
またギュッと抱き締める。あいさつがわりなのだろうか。 なんせ日本人の茅子には、ハグする習慣なんかない。たちまち顔が赤くなってしまう。
「と、とりあえず、はなしてくれる?ほら、あついしね。」
なにか不思議そうに、少し寂しそう彼は離れる。
「そ、それに!ご主人さまと呼ばれるのは、なんか、その。恥ずかしいから……茅子(かやこ)でいいわよ。」
「あなたの名前は、カヤ…コ…?」
「ええ。それが私の名前よ。」
「では、あなたは『濃紺の石』カヤナイトなのですね!」
「は…………?」
「あなたの名前にある茅(カヤ)とは、『濃紺(カヤノス)』という意味があります。 その色を持つ石『カヤナイト』は、古来より九月の誕生石であるサファイアと同類の石とされてきました。そして、僕の仮宿であるラピスラズリは、そのサファイアを守るために存在している守護石なんですよ。」
「は………ぁ。」
「つまりあなたは、サファイアと同じ輝き、同じ力を持つ者で、ぼくはあなたを守る者、ということです。 今、誕生石サファイアの席は空席なんです。心配しないで。ぼくが、あなたをもっと強く輝く、美しいサファイアにしてあげますからねっ。」
「そ、それはどうもっ…ありがとう…だから腕、はなして…ね(けっこう苦しい…)」
「うわ!?す、すみません。つい力が入ってしまって…」
ピンポ―ン。
そこへ、まるで漫画のようなタイミングで、玄関のチャイムが……。
「こんにちはー、か~やちゃん。」
「さ、沢木部長…?」
「カギ、開いてたんで、勝手に入らせてもらったよ、かやちゃん。」
「あ、不用心でどうもすみません。」
この人は、けっこうな2枚目の先輩なのだが、妙になれなれしくて気持ちが悪い。何より、この仕事&プライベートでの名前の呼び方の違いに、ギャップがあって、正直怖い存在なのだ。
「あれ、忘れたの?今日は夕方から僕らとVIPのライブを見に行く約束でしょ?迎えに来たんだけど?」
「はい?私はたしか、経理課のヒカルさんと約束したはずなんですけど…」
ヒカルさんは、長い髪が美しい、全社員の憧れの女性だ。2、3日前から、急に接近してきた人物で、確かに彼女から今夜はライブに誘われていた。 でもまさか、沢木部長も一緒だとは思わなかった。
ハッピー・バードが、耳元でささやく。
「あの人はだれ?」
「会社の先輩の沢木部長…くっつかないで、見られたら恥ずかしいわ。」
「大丈夫。他人には見えていません。それより、今夜出かけるのはかまいませんが、ぼくを連れて行って下さいよ。いいですね?」
「え?……あ、うん。」
さっきから勝手に座っていた沢木が、不思議な顔をして言う。
「かやちゃん?さっきから誰と話してるの?僕は先に車に行ってるよ?」
「あ、はい!すみません、すぐに支度します!」
シュルシュルと、羽根もつ彼は、石におさまりながら言う。
「ぼくはここに居ます。何かあれば呼んで。」
「あの、名前は?なんて呼べば……」
「お好きなように。」
「え、じゃあ…。ラピスって呼ぶわ。」 「わかりました。僕のカヤナイト。」
どこか嬉しそうな声がした。彼?もなんだかとても距離の近いが、不思議と嫌な感じはない。一気に色々言われても、半分も理解出来なかったのだが。
2,変貌する彼と彼
人気バンドVIPのライブは順調に進み、そして終わった。 帰りの車内にて。茅子は、後部座席にヒカルと二人で座っていた。 ヒカルが、サラサラの髪をかき分けながら、話す。
「最高だったね!」
「はい、すごく楽しかったです。」
「かやちゃん、敬語はやめてったら。今はプライベートなんだから、いいのよ。」
「でも…。」
「はい、どうぞ!おつかれさん。」
運転席から、沢木が缶ジュースを投げてきた。 茅子は反射的に受け取った。
「あ、ありがとうございます。」
だが何故かそのとき、缶ジュースはひとつしかなかった。 茅子は遠慮して、ヒカルに差し出す。彼女はヒラヒラと手をふり、缶を押しやる。
「いいの、私はノドかわいてないから。どうぞ飲んで。」
「そうですか?どうも、すみません……。」 「いえいえ」
ごくごくごく……。
缶ジュースを飲んで、しばらくすると、茅子は急にめまいがした。
目の前が急に暗くなり、意識が少しずつ、闇の中へ吸い込まれていく。 身体がズンと重くなり、知らないうちにヒカルのひざへ倒れた。
薄れていく意識のどこかで、茅子は沢木とヒカルが話しているのが聞こえた。
「かやちゃんは、どうしてる?」
「フフ……すっかり眠り姫よ」
「そうか。サンキュー、ヒカル。 俺は前から彼女、目をつけていたんだ」
「私こそ、ありがとう。あのライブ行きたかったからね。これくらいお安い御用よ」
車が、どこかに留まる。ヒカルは茅子を残して、降りたらしい。
「クスクス…じゃあ私は帰るわ。あとはどうぞ、お2人で楽しんで。」
「おっと、そうはいかないんだよ…」
沢木が、冷たく笑う。その手で、きつくヒカルの腕をつかんでいた。気が付くと、彼の背後には、後ろの植え込みから出てきた柄の悪い男たちが3人。
「は?これはどういうこ…と……」
ヒカルはみぞおちを打たれ、気絶した。
「高かったんだぜ~?あの限定ライブのチケット。あれくらいの手伝いで礼をしたつもりか?笑わせるなよ」
沢木は男たちに命令して、茅子とヒカルを、近くの宿に運ばせた。
「せっかくだし、2人とも楽しませてもらうぜ」
(…カヤナイト……)
夢のなかで声がして。
茅子はいつの間にか、広い草原にいた。
彼方から、白い羽根の混じった風が吹いてくる。 あのハッピーバードの声が、優しく呼んでいる。
(ここにいてはいけないよ、カヤナイト…はやく現実に戻って、僕の名前を呼んで………。)
あたたかな羽根に包まれながら、茅子は彼の名を呼んだ。
「…ラピス……ラピス……ラピス……」
夢うつつのまま、目覚めた現実で。茅子が、彼の名前をつぶやいた。耳元のイヤリングがぼうっと光りを放つ。
キラキラとする粉のようなものと一緒に、イヤリングの中にいた彼ラピスが、勢いよく現れた。
「さあて……死にたい奴はだれなんだ…?」
現れた羽根もつ彼、石の精霊ラピスの顔には、茅子に微笑むときの穏やかさはない。 瞳は冷たい黄金色に変わり、明らかに殺意を持つ、あざけるような冷たい笑みを浮かべていた。
突然現れた客に、茅子たちを脱がしかけていた沢木たちは動揺し、手をとめた。
「オレの大事な主人に、よくも触れたな。」
振り返った沢木の右の目に、鋼鉄のような硬い羽根が突き刺さった。 同時に右手にも。一瞬であたりが血で染まる。
沢木は、ギャッと短く悲鳴をあげた。羽根持つ男は笑っている。
「せっかくの美男子が、だいなしだな。片目を残してやったんだ、あとでそのザマを自分でよく見るがいい。」
「は、はやくあいつを片付けろ!」
沢木の声で我にかえった男達が、一斉に襲いかかる。
ラピスは、ふわりと飛び上がると、一人の頭上に降りて地面まで叩き落して踏み付ける。 同時に、後ろからきたナイフを持つ男をかわし、みぞおちに強烈なひざ蹴りを食らわせた。その脚を降ろさず反動で回転し、両側にいた二人に蹴りを放つ。
その男たちが、崩れ落ちる間に、両腕から飛ばした鋼鉄の羽根で、四人が頭や胸や体の急所を貫かれ、果てていた。
その一瞬の間で、八人が倒れたことになる。そして、あたりは血の海だ。男達はピストルを出す暇もなかった。
沢木をかばっていた男は、悲鳴をあげて震えあがり、錯乱して散り逃げた。
ラピスは飛び、逃げ遅れた男に上段蹴りを打って倒すと、顔のひきつる沢木へと近付いた。
「さあ、お前はどうしたいんだ?死にたいなら、一瞬だ」
「ひいいっ!」
沢木は、逃げようとしたが、腰が抜けていた。 ひきずる足は、腱を羽根が貫いていて、どうせ立てなかった。
血まみれの手で右目を覆い、赤く染まった足を動かすが、床が血液で濡れ、すべるばかりだ。
「ははは、お前を見ていると愉快だ。決めた、そのままにしといてやろう。おまえは一生、笑い者になるがいいさ。それが罰だ。」
沢木が死にそうな声をだした。
「おまえ、かやちゃんと…どんな…関係…」
ラピスの金色の瞳が、怒りを帯びて光る。
「だまれ、2度と彼女に近づくな。」
そういうと、ラピスは沢木の首にかかと落としを打った。彼は無言で泡を吹いて崩れ落ちた。
第2章 内なる輝き
初夏。緑がまぶしい。さわさわと。緑の薫る風が通り過ぎる。
あの事件から、茅子は少し気分が落ち込んでいた。
あの時のヒカルは、会社には来ているようだが、顔をみない。沢木部長は、片目を失明したらしい。あの後、茅子の家に来ることもない。最近社内で見なくなったと思ったら、アジアの支店へ転勤したそうだ。
それよりもラピスのことだ。 彼は、自分を助けるために、たくさんの人間を殺めたのかもしれない。とても、楽しそうな声色で。彼が人間でないと知っているぶん、少し恐くなった。
もしかしたら、人間を殺すのに何の感情もないのかもしれない。
あれからしばらく、茅子はラピスを呼び出さなかった。 時々、夢に彼は現れた。
何も言わずに、切なそうに茅子を見ていた。 ただイヤリングは、何故か手放せず、いつもつけていた。彼は、自分から自由に出てこれないらしい。
今、茅子のいる公園の木々は、下から見上げると、枝の間から日光がさして、葉っぱたちが明るいグリーンに輝いていた。
ふわり、ひらひらと。
そのうちの一枚が、茅子のひざの上へ静かに着地した。
それは輝いた黄緑色のまま、見るまに形を変えて。 小さな少女の姿に変化した。
「はじめまして、私のカヤナイト。」
お人形のような少女は、静かに口を開いた。
「私はペリドット。内なる輝きをあらわす石の精です。」
「内なる…輝き……?」
「はい。いまのあなたに必要なものです。」
「今の…私に…どうして?」
茅子は、そっと聞いてみた。小さな黄緑色の瞳をまっすぐに向けて、手のひらの少女は答える。
「あなたの心は、いま、たくさんの事が渦巻いてごちゃまぜです。それが、あなたの心の輝きを鈍らせています。おそらく、まだ恐怖が消えていないのでしょう。でもラピスに、本当は会いたいのでしょう?」
「それはまぁ…」
ニッコリと、黄緑色の瞳の彼女は笑いかける。
「……安心して下さい。ラピスお兄様は、絶対にあなたを傷つけたりはしません。もちろん、お兄様はあなたを守るためなら、どんなに恐ろしい事もするでしょう。でも、あなたにその刃を向けたりは絶対にしません。たとえ、あなたが望んだとしても、ね。」
「うん…なんとなく……それはわかる……けどね」
「直感を信じて、カヤナイト。あなたの善き心が決める方向へ進むのです。」
「うん、ありがとう、ペリドット……」
「ラピスお兄様は、仲間うちでも信頼できると評判です。あなたの思うような心配は、全く要りません。」
「ありがとう。ペリドットちゃん。……長いから、ペリちゃんでいい?」
「うふふ、どういたしまして。呼び名ですか? カヤナイトが決めたなら、そう呼んでくださいな」
小さな少女はふっと笑った。透けるような金色の巻き髪が、初夏の風にフワフワと揺れて。
……その風が心地よくて、茅子はしばらく目を閉じた。 再び目をあけた時には、手のひらにいた子猫のような石の精霊ペリドットは、もう跡形もなく消えていた。
2.心をひらいて
公園をでた頃には夕方になっていた。軽く買い物をして家に帰ると、もう夜だ。 茅子は思い切って、ラピスを呼ぶことにした。 ソファに座り、大事にしまっておいたあのメモを取り出すと、一気につぶやく。
「邪悪なものから身を守れ。幸運の鳥が、あなたを導く。」
薄暗かった部屋に、懐かしい青い光が満ちて。 目の前にイヤリングから、ラピスが現れた。
その羽根の腕が、ふわりと茅子を包む。 「……お呼びになりましたか。僕の大切なカヤナイト。」
「………えっと、うん、まぁ、その……はい。」
「僕のことが、恐ろしくないんですね?」
「……うん。正直言うと少し、怖かったの。 でもね、あなたの仲間に出会って気持ちが変わったのよ。 あなたに会って、ちゃんと話をしたいって気持ちを、思い出したの。」
「そうですか。誰か新しい石の精霊に出会ったんですね。あなたの周りに、そんな気配がしていました。 少し心配していたのですが…無事で良かった。」
ラピスは、軽く飛び、茅子のそばへ寄ると、その優しい羽根で、さらに強く抱き締める。
「……僕はあなたに呼び出されるのを待っていました。とてもとても、会いたいと思っていましたよ。」
「…………ラピス。怖がったりしてごめんなさい。それから命を助けてくれて、ありがとう。」
「謝らなくてもいいんです。貴女は僕の主人なんですから。僕のほうこそ、感謝しています。」
「どうして………?」
「貴女はまた、呼び出してくれたでしょう? 僕らのなかには、呼び出してもらえない仲間もいますから。 主人を救えぬままに、ただ一生を見守るしかない者もいます。 僕は…もしそうなっていたら…それこそ、気が狂っていたでしょうね。だから、今は幸せです。またあなたに会えて。」
第3章 出張先で
1、社長の一声
「茅ちゃん!私の代わりに、マレーシアに行ってきて!」
この社長の一声で、茅子の出張は決まった。
茅子の会社は、宝石の原石を取り扱っている小卸し店だ。社長は、この若くて敏腕な女性が取り仕切っている。彼女は何故か、茅子が大のお気に入りだ。
「ええっ、そんな社長、私に買い付けはまだ無理ですよ…」
「大丈夫よ!あなた良い石を見る目があるもの。なんか、こう石と会話できるみたいな?感じだし」
「(そりゃ、石の精霊と暮らしてますから)でも、言葉もわからないし…」
「もう現地にうちの社員と通訳を待たせてあるの。ホテルもとってあるわ。お金の交渉は彼にさせるから、あなたはいい石を選ぶだけでいいの」
「は、はい。わかりました……(大丈夫かな)」
「ごめんね~、私は同じ日に、急にオーストラリアへ飛ばなきゃいけなくて。すごく良質で大きなオパールがでたみたいでね。じゃ、お願いね~」
「は、はい……」
「私、あなたの見る目を信じてるからね」
女社長の勢いに押され、つい返事をしてしまった。その日は早退させてもらい、急いで支度して、夜にはもう飛行機で現地へ飛んだ。
2、飛行機の中で
「カヤナイト、今地面を離れてますか?」
耳元のイヤリングから、羽根持つ彼の声が、茅子に呼びかける。
「ええ、飛行機で空の上だからね。これから外国へ行くのよ」
「なにか不安な感じがします。カヤナイト、気をつけて。なにかあったらすぐ呼んで下さいね」
「はいはい、わかったわ、いつもありがとう」
イヤリングのなかにいる時や、人前では、彼には声を出さなくても伝わるようだ。
3、ホテルにて
マレーシアに着いたのは夜だった。女社長の予約してくれたホテルの部屋で一晩泊まった。
次の朝、早々にロビーへ呼び出しがかかった。ラピスの予感が的中していた。
「やあ、かやちゃん。久し振りだね」 「さ、沢木さん…」
現地で待つ社員とは、ラピスに片目を奪われた、あの沢木部長だったのだ。茅子には、彼の眼帯が痛々しく映った。
彼の横には、背の高い、スレンダーな女性がいた。紅い髪が腰まで伸びている。沢木は、冷たい笑みを浮かべながら、極めて事務的に紹介した。
「彼女は秘書兼通訳のアレクシアだよ。なんでも言ってくれたまえ」
「アレクシア・ライトと申します。アレクとでもお呼び下さい。どうぞよろしく。茅子さんですね」
「は、はいどうぞ…よろしくお願いします」
紅く輝く髪に見とれていた茅子は、言われるままに握手をし、彼女の顔を見て、さらに驚いた。彼女の目だ。右は髪と同じ紅だが、左は蛍光ペンのような黄緑色をしていた。
「ふふ、綺麗なイヤリングをお持ちですね…」
「ど、どうも……」
頭の奥がキーンと鳴った。
(カヤナイト…危険を感じます……彼女は……)
沢木は、今までのことは何もなかったように、平然と話をした。
「さすがかやちゃん、僕より後輩なのに、社長の代わりに選ばれるなんてね。それも、誰かさんのおかげかな? ……ふん、まぁ、いいさ。今回僕たちはパートナーなんだ、お互い協力していい仕事をしようじゃないか」
「は、はい……」
「マーケットは午後からだ。私とアレクが同行する。それまでゆっくりと疲れを取りたまえ」
「…わかりました」
部屋に戻ると、茅子はなんとなくイヤリングを触ってみた。
(カヤナイト、あの女から石の精霊の気を感じます、本当に気をつけて)
「そうね。でも、仕事にも集中しないと……」
(僕の名前を呼ぶひまがなさそうですね。でしたら今、呼び出して下さい。)
「え、うん、そうね…」
茅子は短く呼び出しの言葉を唱えた。羽根持つ彼が現れて、そっと抱き締める。
「見えない姿で、ついて行きますね。 出発まで、まだ時間があるのでしょう? お守りしてますから、ごゆっくりお休み下さい」
「ありがとう……」
一夜明けて。
原石のマーケットは午後からなので、茅子は朝の海岸を歩いた。
見た目には一人だが、側にラピスがついていると思えば心強い。
寄せては返す波を見ながら歩くと、急に海風が強く吹いた。髪を押さえて前を見ると。
目の前に、海に向って立つ、女がいた。あの秘書と同じような背丈だが、印象が少し違う。髪の色は紺で、瞳も左目は紺、右目が黄緑色だった。
そして、とても悲しそうな表情でこちらを見ていた。海風に乗って声がした。
「ごめん…なさい…」
「え、私…ですか?なにが…」
茅子は聞いてみた。
ラピスが姿を現して、羽根で包み警戒する。
「もうじきあなたの大事な人が…なくなるわ…私は……私を…止められない……ごめんなさい…」
「なくなるって、言われても…謝られても困るわ。何の事だかわからないんだけど」
「私を…止めて…カヤナイト……夜の紅い私から…解放して……」
そこまで言うと彼女は、砂浜地面から数cm浮かび上がり、見えない何かに引っ張られるようにして消えていった。
大風が収まると、海岸は何事もなかったように落ち着いていた。茅子は深呼吸をして、部屋に戻った。
午後から茅子は原石のマーケットへ行った。もちろん、ラピスが姿を消して後からついていく。見えるのは茅子と他の石の精霊、その主人のみだ。
マレーシアの暑い風が吹き抜けるなか、野外でのマーケットは、世界各国から色々な石が集まり、にぎわっていた。
茅子は沢木と秘書のアレクシアと共に、てきぱきと石を見て回った。
触れれば光が波のように現れる石や、なかに七色の結晶が入っている水晶、キラキラと太陽を反射して光る柱のように大きな原石など。 珍しい石がたくさん出ていた。
日本にいる社長のために、少しでも美しい原石を持って帰りたくて。 茅子は真剣に見極めて、買いつけたい石をいくつか決めた。
途中で、ホテルの従業員が慌てて走ってきて、秘書のアレクシアに、何かを伝えたようだった。彼女はこちらをチラッと見て、ニヤリとしながら、沢木に耳打ちをしていた。 しかし、たくさんの人間の声で茅子には聞こえなかった。
あっと言う間に夕方になり、夜になり。 ホテルの部屋に戻るまえに、沢木が言った。
「かやちゃん、おつかれさん。
いやぁ、君の石を見る目には驚いたよ。あの社長が跡継ぎにした理由が、よくよく分かったよ。」
「沢木部長もおつかれ様です。………跡継ぎになんて……私聞いてません。今回はお使いを頼まれただけですから…。」
「ははは、何言ってんの茅ちゃん。社長はね……もういないんだよ…今朝の社長が乗った飛行機がね…墜落したんでね。」
「え……ええっ!?どうして……社長は…?まさか……」
「死んだよ。残念だったね?ああ、だけど、本社のビルにも爆弾テロが入ってたみたいだから、今は君しか、跡継ぎがいないんだよ~?君にとっては大出世じゃないか!」
「はあ?!そんな!まさか!」
一度に驚くべき内容を聞かされ、茅子はただ震えて立つしかなかった。 沢木の後ろで、秘書のアレクシアの瞳が妖しく光った。ラピスが姿を現して茅子のまえに立つ。
「そんな……まさか……沢木部長、アレクシアさん、あなた達が……?」
「さあね?でも、君がいつまでも僕の物にならない事に苛立ってはいたかな?この目も失ったことだし? まあ僕には死体を抱く趣味はないんでね。正直、君のそういう顔を見ると愉快だなあ!」
「ひどい…そんな…」
「カヤナイト、ぼくがあなたを守ります。落ち着いて。後ろにいて、離れないでいて下さい。」
「ラピス………」
金色の瞳が怒りで光り始める。
「貴様、2度と彼女に近づくなと言ったのに……」
「ふ、出たね化け物が。はい?化け物と約束?したつもりはないなぁ。だがね、こちらも同じような物を見つけたんでね。今度は死ぬんだな。行け、アレク!」
紅い髪の秘書が叫んだ。スーツは破れ、髪の毛は逆立ち、恐ろしい姿の石の精霊、アレキサンドライト。それが彼女の正体だった。笑う沢木の前に立つ。
二つの石の精霊たちが、お互いのオーラをぶつけてにらみ合う。
「カヤナイト、僕の後ろにいて下さいね」
にこり、と茅子に微笑んだその顔で。
前に向き直ったラピスの瞳は、冷たく冴えた金色に光り、たちまち獣の表情をうかべた。
紅い髪を逆立て、本性をあらわしたアレキサンドライトは、笑いながら浮き上がる。
彼女が手をあげると、金属音がして、周囲の空気に色がつき、ドーム状に広がった。
「結界だと?これはまた、笑わせるものだ。お前が周囲に気を使うとは」
「ふふふ、主人の命なら、仕方のないこと。さて、おしゃべりはもうおよし。いくよ坊や!」
アレクが急降下しながら間合いをつめ、襲いかかる。鋭く長い爪が、ラピスの真下の空間を裂いた。
「ははっ、どこを狙ったんだ?人間の魂を食らって、中身が腐ったか?」
「うじゃうじゃと、やかましい坊やだね!今度は逃がさないよ!」
再びせまるアレクをかわし、ラピスは彼女のあごに、強烈なひざ蹴りをあびせる。
「しゃべるのは僕の勝手だろう。お前にはもう無理だがな!」
連続して、アレクの顔を蹴り込む。ギャウ、と叫び、彼女は一度引いた。
「ははは!自分の顔を鏡でみたらどうだ? めかしこんでいた顔がめちゃくちゃだ!」
「く、そ、、、ぉ!」
アレクは更に激昂し、その体は膨れ上がった。再度すばやく近づき、恐ろしい形相でラピスの足を掴もうとする。もちろん、その足に彼女の爪は届かない。
ラピスは宙返りをしてよけた。
だが、アレクの長い髪が、突如生き物のように動き、ラピスの足を捕らえた。そのまま、ズルズルと引き寄せようとする。
「足が無理なら、坊やは小鳥以下なのかい?あん?」
引きずる髪は鋼のように硬く足首を締め付け、すぐに血がにじみ出した。もがけば、もがくほど絡まるらしい。 別の髪束が、ラピスの身体を容赦なく打ちすえた。あちこちの肉が、たちまち裂けた。
「くっ……」
「…めて、やめて!」
後ろにいた茅子が叫んだ。心の内側で、あの可愛らしいペリドットの声がした。
(自分を信じて、カヤナイト。あなたなら、彼を助けられる)
「でも、どうすれば?私どうしたら?」
(強い力を。あなたは持ってる。悪を断ち切る強い力を。彼を助けたいと強く念じて!)
茅子はぎゅっと手を組み、強く思った。 すると。 彼女の周りに煌めく青い気が立ち上り、包んだ。
ポケットに入れていた、青い原石のカケラが、胸の前に浮かびあがった。先日の市場で、試しに買ってみたカヤナイトの原石の割片。羽根持つ彼がいつも自分を呼ぶ名の石だ。
それが、目の前で平たい剣の形に変わった。 すっ、と茅子の手中に収まる。
もう、何をしたらいいのかは、本能が教えてくれた。
「ラピス!」
茅子は、紅髪のアレクに向って走り寄った。 ラピスの足を縛る髪束を、一刀の元に断ち切った。
その瞬間、海辺にいた青髪の女性の姿が、アレクの顔に重なった。悲しそうな、笑顔で。
ギャウゥゥアアア!! ふいの攻撃に、アレキサンドライトはよろめき崩れた。
「ありがとう!カヤナイト!」
態勢を立て直したラピスは、茅子を片羽で抱き、反対側の羽で浮き上がる。
そして、うめくアレキサンドライトに鋼鉄の羽矢を浴びせた。
ラピスは茅子を離れた場所へ降ろす。
「あなたの気持ち、少しお借りしますよ」
カヤナイトの剣は、ラピスの声に応じて、自ら意志があるように、すっと茅子の手を離れた。
剣のまとう青い気が、ラピスの羽に触れると、肩の付け根から腕が生えて、その手に青い剣が収まった。
そのまま振り向くと、一直線にアレクに急降下し、頭から一気に振り下ろす。
断末魔の悲鳴とともに呆気なく、紅い魔物は塵と化した。
消えてゆく結界の霧のなかに、青い髪の女性の影が見えた。
(これで、よかった…ありがとう……)
朝露のような、儚い 笑顔で。彼女は消えた。
(くそ、やってくれるね、かやちゃん。だけど、僕ぁあきらめないよ。次はかならず………)
後に残った場所に、沢木の姿はもうなかった。
第4章 偶然の出会い
1.悲しみのあとに
宝石会社の美人女社長が、死んだ。
この出来事は、他多数の犠牲者と共に、飛行機事故として新聞の一面に書かれていた。 帰りの飛行機のなかで、茅子はその新聞をギュッとにぎりしめて下を向いていた。
本当は、事故などではない。沢木部長が、契約した石の精霊を使って、墜落させたのだ。
「私を…止めて……」
泣き嘆く朝の青いアレキサンドライトが、空に浮かぶおもちゃの様に小さな機体に、手を下した光景が目に浮かぶ。火を吹きながら高度を下げる機体を茅子は、ただ見ているしかなかった。
女社長は、なにかにつけて、茅子に目をかけてくれていた。快活で男勝りで、優しい姉のような存在だった。今回の仕事の成果を、いち早く見せ、恩返しがしたかった。
あれを起こしたのは、自分のせいなのか。自分が、さっさと沢木部長の妻にでも何にでも、なればよかったのだろうか。沢木部長のことを考えると、悔しくて腹が立つ。
ラピスが片目を奪ったための恨みもあるだろうが。元はと言えば彼が悪いのだ。
でも、今回は完全に、茅子への嫌がらせだ。ああまでして、自分の何がほしいというのだろうか。自分と同じく、社長には、恩義があったはずなのに。重要な役を任せるということは、社長もそれだけ沢木を信用していたにちがいない。
そんな人と、その他大勢の無関係な人間の命を。平気で奪ってしまうなど、正気の沙汰ではない。
そんな沢木部長にわが身を預けることは、当然だができない。はじめから、直感が彼を拒んでいた。欲しいものを手にいれた後は、きっと簡単に切り捨ててしまうのだ。彼は、すでに十分、狂ってしまっている。
沢木部長を始末することが、もはや自分の責任であるようにさえ、思える。
(始末?始末…する…?それは、つまり…殺…) そこまで考えた時。
ぽんぽん、と後ろから背中を叩かれた。
「~÷@☆★*∞∴」
褐色の肌をした美人が、外国語で、なにやらと話かけてきた。後ろには連れが一人。 そして、手に持っているペンダントを、しきりに指さす。
(天然石みたい?……さわれ、といってるのかな?)
茅子は、おそるおそる、指先で、なめらかな水色の石をチョンとつついた。
「ブラボー!おじょうちゃん。これであなたと話せるわ」
「な………日本語?話せるんですか?」
「まぁ、似たようなものね。と、こ、ろ、で……なんだけど」
バサ……っと。 その女性は茅子に抱きついた。
「お互い、怒りで魂を汚すのはやめましょ。あなたの輝きが鈍るのを見たくない。 あなたと同じ経験を、私もしたの」
「え、今なんて…」
彼女は素早く耳元で、ささやく。
「わたし…母を亡くしたのよ。あの事故でね」
その後、ぱっと茅子を離す。
「いまの話は、しばらく秘密にしといてね」
「は、はい………」
後ろに続く彼女の連れが少し口をひらいた。
「ラクス……名乗りもしないで失礼だぞ…ほら、驚かせているぞ。あまりはしたない真似はよせ」
「おっとっと。私としたことが、ぬかったわ。それもそうね……」
二人の話ぶりは、なぜだか意味はわかるのだが、その発音は、完全に異国の会話だ。 なのに、茅子と話をする時には、流暢な日本語のように聞こえる。
こんな感覚は、初めてではない気がした。 (もしかして、これは石の…精霊の力?)
「ええ、そうよ」
何も言っていないのに、褐色の肌美人は、茅子の胸中をあててしまう。長く艶めく、後ろでまとめた紫紺の髪を、かきあげる。
「私たち一族は、代々、石の精霊と生きてきた〈石の民〉なの。 だから、あんたと同じような事は、大概わかるし、できるのよ。」
「へぇ………」
「あ、自己紹介が遅れたわね。私はラクス。ラクシス………」
「ちょおっと、待て」
後ろの付き人が、二人の間を割ってくる。スラリと長身の、男性のような服装だが、顔立ちを見ると、女性のようだ。
「私の名は、カヨウ・ゼルナダ・ミルラインだ。 すまないが、彼女のことはラクスとだけ、呼んでくれないか。訳あって、今は身分を明かすことはできない故にな」 「は?はぁ……」
身分?いまどき?と思ったが、茅子は深く考えず、ただ軽く返事をかえした。
「あら、私はべつにかまわないのに。そんなことしたら、余計あやしい人みたいにみえるわよ、カヨウ」
「ラ~ク~ス……国の皆の忠告を聴いていたのか。約束は、守れ」
「はいはーい。ごめんなさいね。まぁ、そういうわけで、私のことはラクスちゃん、でいいわよ。あなたは?」
「は、あ、私は、石上茅子、というの。よ、よろしく……」
おずおずと手をさしのべる。が、ラクスはにこにこしたまま。
「あの…握手を……」
「なに?あ、手をつなぐの?面白い挨拶ね」ラクスは茅子の華奢な手を、むんずとつかんで、ぶんぶんと振った。握手という文化を知らなかったらしい。おかげで、手がちょっと痛い。
いきなりの濃い挨拶に少々戸惑いつつも、面白い二人に、茅子は少し興味を持った。 「どうして日本に?」
「夫になる人を探しに来たの。この石とペアになる石を、かならず持ってるはずだから」
「へぇ…。きれいな石ね。周りの装飾も素晴らしいわ。この石は…ラリマーかしら」 「さすがね!正解よ。私たちはラリメル、と呼ぶけど。優しい精霊よ。ま、あんたのイケ面くんの精霊も、なかなかいい線だけどね」
「そ、そうですか…ど、どうもありがとう」
ラピスの姿まで、彼女達にはわかるらしい。彼は今、石のなかにいるというのに。 ラピスのことを誉められるとは思わなかった。不意打ちで、茅子は顔がすこし火照るのを感じた。
「お客さま、危のうございますので席へ…」 添乗員が、立っているラクス達のほうへ来た。
「下がりなさい、マール。私たちよ。」
「し、失礼しました」
注意にきた添乗員を、下がらせてしまうなんて…。いったい、どこのお嬢様なんだろう。
「あ、気にしないで。あれはちょっと知り合いなの。 ほら、あんたも、私たちもこの飛行機がもし落ちても、守りがいるから、大丈夫でしょ?シートベルト、苦しければ外しなさいな」
「ま、まぁ(ラピスがいるから)そうだけど……」
「し~、ラクス!それ以上しゃべるな」 「あーもう、わかったわよ。もうすぐ日本に着くわね。じゃ、茅ちゃん。せっかく親しくなれたんだし、落ち着いたら、私あんたに手紙を書くわ。」
「そ、そう?じゃあ…これを……」
あわてて茅子は、カバンから名刺を取りだし、渡した。
「サンキュー、かわいい茅ちゃん!また会いましょうね」
「あ、ありがと……またいつか、ご縁があったら、お会いしましょうね」
(かわいい、で、茅ちゃんなんだ……ははは。ま、いいんだけど。にぎやかな人たちだったな………)
そうこうしている間に、飛行機は日本へ着いた。 降りた時、いつもより黒い服の人が多かったのは気のせいだろうか。
茅子は、疲れていたので、あまり気にしなかった。 ラクスたちは、先に出て、その人込みへ包まれ、消えてしまった。 茅子も、続いてタラップを降りた。
2.大抜擢
帰国してから後が大変だった。一息ついたのも束の間、茅子はすぐに会社へ向った。 女社長が亡くなり、柱をなくした茅子の会社は、指示が混乱し、危うい状況になっていたのだ。
とにかく、仕入れた品物をどうするかなど、女社長のやるべきだった仕事を、各担当がこなしていたらしい。
女社長の普段の言葉からも、次の社長は、茅子だと皆は認めていたらしい。
「石上さ~ん!お疲れさまっす~~~!」 「あ、浜野くん。大変だったわね、うん、ただいま」
浜野は会社の後輩だ。人懐っこいが、頭は切れる明るい人物だ。
「もう、社内はパニック寸前でやばかったんすよ。でも、石上さん帰るまではと、俺たちがんばってたっす」
「そう……心配かけたわね。それで状況は」 「いや、今は、なんとかなってる感じっす。 とりあえず、休んでもらって大丈夫っすよ。 その…石上さんだけでも…無事でよかったっすホント」
「社長も……私と同じ便で行けばよかった……のにね」
行きの飛行機を別にした、女社長のことを考えると、惜しまれて、悔やまれて涙がでる。
「石上さんが自分せめる事ないっす。こればっかりは……仕方なかったんすよ」
浜野は気を遣い、背をなでた。そこへ、別の社員が走ってきたので、慌てて手をはなす。
「かかかか、茅ちゃんせんぱーい!おかえりなさいですぅ、そして、大変ですぅ~~!」
眼鏡っ娘のかわいい後輩、寺崎だ。一枚の上等な紙質の封筒を、ヒラヒラさせている。
「こーぶん…はぁはぁ、こーぶんしょが…」 「愛ちゃん、どうしたの?落ち着いて、落ち着いて。ゆっくり話してちょうだい」 「は、はい…(す~、は~)イスキア公国からの、公文書が届いたんです!」
イスキア公国?一瞬頭が真っ白になった。 3秒後、世界地図の大陸の、真ん中当たりの小さな国を思い出す。
たしか、勇敢な騎馬民族がルーツの。 雄大な山々の下で、男たちが馬で駈けまわり、また、さざ波の揺れる海辺で、褐色の肌をした乙女たちが、カラフルな衣装で踊る…。 そんなイメージのある国だ。
「石上茅子宛て、なんですよ先輩っ、はやく、はやくなかを開けてくださいよぉ」 「ちょ、ちょっと待ってね………」
褐色の肌の……あたりで、なんとなくヒヤっとしながら、茅子は震える手をおさえ、封筒をあけてみた。
「我が国は今、国母であるエルファス・マリオン女王が逝去され、悲しみのなかにある。この度、その悲しみの空位を埋めるべく、愛娘のラクシス・マリオン第1皇女が、即位、成婚される事になった。
ついては、一ヵ月後の成婚式に、ラクシス女王と夫が頭に戴くティアラの装飾を、日本のルチル・ジュエリーの代表・石上茅子氏に、我が国として正式に依頼するものである。
また、我が国の女王は代々ご自分の守り石が決まっている。ラクシス皇女の御石はラリマー、夫の御石はターコイズである。
デザインの際には、それらを中心にすることを希望する。なお、これは全くの異例であるが、友愛を重んじる皇女の、たっての御希望により実現した。
皇女は、両国から多数の被害者を出した、この度の飛行機事故に、大変胸を痛めておられる。お忍びでの視察の際に、同じ悲しみを持つ石上茅子氏に共感され、その心ある応対に、つよく感銘を受けられたものである。
本状において、石上茅子氏に感謝の意を伝え、その仕事におおいに期待する。
なお、代金は我が国の総意として、惜しまないものとする。そちらの希望額でお支払いする。」
だいたいこのような内容であった。
「ラクシス…マリオン第1皇女!? 」
ラクシス…ラクシ……ラクス。機内で会った褐色の肌に紫紺の髪の美人。 彼女にまちがいない。 まさか、一国の姫君だったとは。 時間差で送られてきたプライベートのビデオレターを見て、さらに確信した。
「ハーイ?私のかわいい茅ちゃん!ラクスちゃんでーす☆おかたい手紙でごめんなさいね。私、公文書でしか手紙書けない身なの。 そうそう、彼がみつかったのよ!成婚式に、あなたを招くわ。イケ面くんと一緒に来てね。それでは、ティアラの出来上がりを楽しみにしてるわね。ばいばーい!」
ウィンクを残して、ぷつりと、映像が終了。
「茅ちゃん先輩、こ、こんなお姫さまと、どどど、どこで知りあったんですか?」 「どえらい仕事っすよこれは!しかも……納期まで、あと一ヵ月しかないっ!」
つぶれかけた会社には、かなり嬉しいが。 王女様の戴くティアラの、デザイン~装飾など、これまで受注したことがない。
まずは、茅子が全身全霊で、石を選び。
それから、あらゆる方面の職人たちを総出させ、全力の技術とスピードをもって作ったとして。 はたして一ヵ月で、間に合うのだろうか…。
「細工もあるから、大変だけど二週間で、お願いね。……それで、ベースになる銀細工のことなんだけど……。愛ちゃん、悪いけど、アレで、またお願いできるかしら?」
細工に関しては、以前、女社長の知り合いで、天才的な銀細工の腕を持つ細工師と出会った経緯があった。
25歳にして、世界的なブランドを確立しているカリスマ細工師なのだが。気に入った人物にしか腕を振るわない……ちょっとアレな人物なのである。
「いいですよ~あの、エロ頑固な細工師ですね。私だって…、茅ちゃん先輩のためなら、この身を捧げちゃう覚悟まで、できてるんですから~」
「いや、そ、そこまでしなくても……。でも今はあなたにしか頼めない事ね、お願いします。」
「じゃ、コスプレ代金は経費で落としときますね☆」
「え、あ、はい…許可します。これで、用意するべきことは揃いました。あとは各自の行動にかかってます。 石の用意に二週間。細工に二週間。ほんと、ぎりぎりなんだけど。みんな、よろしくね。 これはきっと、私たちの一世一代の大仕事になるわよ、がんばりましょう!」
「「「はい!」」」
それぞれが、決意を持った眼差しで、スクラムを組んだ。
3、愛の受難?
茅子や、浜野が、ラクス新女王のティアラに飾る石を血眼で探す中。
「い、いくわよ…」 銀髪に、黒のヘッドドレス、スミレ色のカラコン。黒地にガーネットのチョーカー…。
全身をゴシックロリータで決めた、寺崎愛は、古めかしい建物の前で一人、気合いを入れていた。
先輩方はみんな頑張っている。私だって、ここからが本番だ。 銀細工師、叶.セダル.英次氏の邸宅前である。
ここは広い洋館で、彼は住居兼工房として使用している。 館から一歩も出ないのが有名で、注文する時は、かならず出向かなければならない。しかも、彼は自分を、17世紀だか何だかの銀細工職人の生まれ変わりだと思っているらしい。 会うには、こうした格好を指定してくる。館内でも、彼の流儀に反する、客には作品を作らない。
一流の芸術家にはよくある変人タイプだが……。 カランコロン……。 ドアベルを鳴らし。
(今から私は名家のお嬢様で、彼の妹だ×10……)
と念じているあたりで、執事が出てきた。
「いらっしゃいませ、ルチル様。お待ちしておりました。お荷物はこちらへ。どうぞ…」
動物の頭が飾ってある長い廊下。英国調の、たくさんの部屋を抜けて。執事が止まる。
「ここからは主人の部屋になります。」
「ありがとう…。」
「ごきげんよう…セダル様………」
「やあ!よくきたね、マイスウィート!水くさいのはよしてくれ、ルチル。お兄様と呼んでおくれ。君と僕は、前世で生き別れた兄妹なのだから。さあ、中へお入り」 「(知らねーよ)は、はい、お兄様……」 「外は暑かっただろう、涼しい服にお着替えなさい。君のクローゼット、君の部屋を用意したんだよ」
「(気持ち悪いわ、あんたストーカー?)ありがとうございます、お兄様……」
でた、と愛は思った。彼の流儀の一つ、お着替えだ。とにかく何かと着替えさせる。
フリフリのピンクで統一された部屋のクローゼットには、ロリータ系の服が、ぎっしり。ディナー用の薄いピンクと白レースのワンピースに、白のオーバーニー、赤い絹リボンの室内靴を履いて、夕食へ。
仕事の話を切り出すなら、今しかない。
「お兄様、お話が…」
「やはりそのワンピース、よく似合ってるね。うんうん、わかっているよ、君の望みなら。三日前から両手がうずうずしていたところだ」
「新しいティアラがほしいの。お友達へのプレゼントに」
ディナーの食べ方も、彼の流儀に従う。
ごく自然に。最初は、野菜料理を品良くたべる。上目遣いを忘れずに。
「ほう、そのお友達とは?」
「イスキア皇女のラクシス・マリオンちゃんよ。次期女王なの。これが彼女の写真。」
執事に写真をわたす。彼はじっくりと見る。
「ほう、かわいいお姫様だね。僕も腕がなるよ。それで、石は決まっているのかい?期日は?」
ワインを飲みながら、写真を返し。その後の彼は、寺崎愛をずっと、直視している。
「(食べづらいわ)そ、それが……」
一通りの事は話した。気分よく聞いているようだが、彼はいきなり気が変わるので要注意だ。
「そろそろ…肉料理はどうだい?」
自分はワインと果実しか口にしないくせに、彼は必ずすすめる。 愛にはわかっている。 肉料理は、わざと食べづらいフリをする。 次に、ナイフを落とし、懇願するような目付き。
「お、お兄様ぁ…」
「ああ、仕方がない子だね。誰も見ていないから、手でお食べ」
むしゃむしゃと。 骨つき肉はわざと食べ散らかす。お腹は減っているので、むしろ好都合だ。 そして派手に、ベトリとソースをこぼす。 立ってスカートを、下着ぎりぎりまで、つまみあげ。 涙目で、あやまる。
「えぅ…あ…、ごめんなさい、お兄様ぁ……わたし…」
彼はいよいよ気分が良くなってきたらしい。
「いいんだよ。大丈夫かい?さあ、夕食はおしまいだ。服を着替えてお休み……」
ここまでは何とか。 シナリオどおりだ。 今日は着替えが少ないくらいだ。 だが、次の着替えは…やはりキツい。 あれほどあったクローゼットの衣裳は、すべて片付けられ、ベッドの上にあるのは。 透け透けの、フリフリの、ネグリジェ。それ以外は、ピンクのパンツしかない。
(こ、これも茅ちゃん先輩のため……。和クン、ごめんねっ)
内心彼氏に謝りつつ。はだしで廊下を歩き、そそくさとセダル氏の部屋へ。
「お兄様…わたしねむれないの……」
この銀細工師は夜に仕事をする。美の神が降りてくるそうだ。 したがって、仕事着の彼は、目が輝き、すごいオーラを放っている。
「仕方がないね、僕のプチフール。そこのベッドで寝ていなさい。かわいい寝顔を、僕にみせておくれ」
「はい…おやすみなさい」
この近距離で、襲われたら逃げ出せない。 (ええい、いざとなったら、そのときよ!)
案外紳士なセダル氏の後ろで、寺崎愛は本気で眠りにつこうとしていた。
はじめはフリをしていたのだが。食事のワインが効いたのか、絹白の感触がなんとも心地よくなり。スヤスヤと…
そのうち本当に眠ってしまったらしい。
机で何やら黙々と腕を振るっていたセダル氏が、突然仕事を止め、荒い息遣いで近づいた。
「はあはあ。いつ見てもかわいらしいね、君は。はあははあ………いけないけれど、奪いたくなる、よ…」
細長くしなやかな指が、彼女の髪に触れる。白いほほをなでる。その指が、だんだん首筋に、より下に……と。
その時である。 パアァァァ、と。 赤い閃光が彼女を包み、セダル氏の指を跳ねつけた。
「うぐぁぁぁ!?」
しかし、その光は彼を傷つけることはなく、美しく妖しく、あたたかく、彼の額や腕の毛穴から、体の中へ注ぎ込まれ、消えた。 直後に、かるいめまい。フフ、と彼は小さくほほえむ。 ゆらっと燃える妖しげなオーラが、彼の体を再び、包む。 体内にまた、豊かなアイデア・センスの血が、巡りはじめる。
「………わかりました、美の神よ。僕はあなたを失うつもりはないのでね」
その指は寺崎愛を離れ、机上のデザイン構図に伸びはじめる。セダル氏が作品の製作をする時、ルチル(寺崎愛)を呼び出すのは、このためでもあった。
彼女を何度奪おうとしたことだろう。 だが、そのたびにあの赤い光が自分を包むのである。そして直後に回帰する豊かなアイデアの海が、押し寄せるのだ。
なぜか、この力の源は、彼女を奪ってしまうと、消えてしまう気がしている。
その原因が、実は彼女がいつも身につけているアンクレットの所為だとは、彼はゆめゆめ気付かない。その赤い石のアンクレットは。茅子が入社時に誕生石だからと、愛にプレゼントしたものである。
多面カットの美しい、天然のガーネット。 キラキラと輝く、豊かさの象徴。質のいい天然石には、時折、精霊が宿るといわれている。 そして、本人も気付かぬうちに、持ち主をそっと、優しく護っているらしい。
4、浜野の奔走
「く…そろった………ぁ………」
浜野は、自分の意識がだんだん薄れていくのを感じた。 ラクス皇女と新王の結婚式で必要な、ティアラに飾る石を、いま全て捜し出し、出荷したところだ。 中心となる石(極上ラリマーと稀少ターコイズ)は、茅子が血眼で探しているのだが。
それ以外の石の調達は、浜野にすべて任されていた。 水晶にシトリン、スギライト、ラベンダー翡翠にロシアンアマゾナイト、青と黄のトパーズ、エメラルド、ロードナイト、カヤナイト。
これだけの石を、すべて特級ランクで、しかも、たった二週間のうちに揃えるなど、通常の業務であれば、考えられないスピードだ。
この二週間、彼は本気で、死ぬ気で奔走した。自分でもヤバいと思うほどの情熱を、かけて。ナポレオンにできたことを、俺にもできないはずはないという、ハイで馬鹿げた思考が、回りだすほどに。
彼は本当に、二時間の睡眠と一時間の食事以外、すべての時間を仕事に費やした。 新郎新婦のためというより、どちらかと言うと、茅子のために。 先輩である茅子は、いつ首になるか不安な派遣労働の日々から救いだしてくれた。
なよなよしていると、バカにされていた自分の性格を、「ソフトで人当たりがよくて、上品。うらやましいくらいよ。あなた、この業界にはとても向いてると思うわ」 と言ってくれた。
実は、それからずっと密かに慕っている。 べつに、伝わらなくてもいいと思っている。先輩として、尊敬もしているのだから。 ただ、茅子先輩のためだけに。自分は全力をかけようと思った。 それだけで、腹の底から熱い力が湧いた。 わずかの睡眠や食事でも、まったく苦にならなかったのである。
まずはラベンダー翡翠を入手すべく、浜野は国内でも有数の翡翠産地へ向かった。
なかでも有名な村に、いきなりアポをとる。 敷居が高く保守的な村で、普通なら断られるところだが。なぜか、村長さんに気に入られた。
「お前さんみたいな素直な人間が、嘘をいうはずはねぇ。それならこの村にとってもたいへん名誉なこった。村の名にかけて、恥ずかしい品は出せねぇ。一番いい翡翠をだしてやるよ…ほら、持っていきな」
まるで、野菜か何かみたいに。簡単に、一等の上等品を渡してくれた。 上品で美しい、薄紫のラベンダー翡翠。
一点のシミも影もない、完全な品物。 浜野は感極まって泣いてしまった。
気に入ったついでに。村長は、自分の知り合いの中から、 日本発祥の石スギライトの卸し先と、天河石として知られるロシアンアマゾナイトの卸し先に、紹介状まで書いてくれた。
偶然の出会いが、つぎつぎに、人を呼び、人を集める。 その不思議さ、ありがたさを、浜野は痛感した。
翡翠の村の、気のいい村長さんからの紹介で、浜野は優しい女性と出会った。
星野さん、というその人は、名前どおりのような、濃紺に白い小菊が星のように散る着物を身につけていた。
ふわり、と長い髪を後ろで三つ編みにして、笑顔の美しい彼女は、来年に結婚するらしい。
「外国のお姫様の結婚式に華を添えるなんて、光栄だわ。どうぞ、他もごゆっくり見ていらしてね」
「ありがとうございます……」
骨董品と天然石を置いている店のようだった。香木を焚いているのか、いい香りがする。 古めかしい木枠のショーケースの中に、群青色の敷布。その上に、星をちりばめたみたいに、美しい宝石たちが並ぶ。
そのなかに、日本発の石、スギライトと天河石、ロシアンアマゾナイトはあった。
石は、現地までいかないと最高のものはないと信じていた浜野は、その意識を覆された。
ここでは、まるで、呼吸をしているみたいに、石たちが光っている。星野さんは、毎日、ここの石たちに話かけ、クロスで磨き、可愛がっているという。
彼女は笑顔で、深紫の美しい石と、青緑に紺が交じるキラキラした石をとり。
「今度はお姫様を喜ばせてあげてね」
と、石たちに囁くと。 浜野にそっと、手渡した。
「はい、どうぞ。この子たちが、うちの最上クラス。お幸せになるお二人に。」
美しくて、優しいほほ笑み。 浜野は、ありがたく石を受け取った。
そうして、思った。自分も次に茅子先輩に会う時には、あんなほほ笑みをあげたい、と。
浜野が星野骨董店を出ようとしたとき。
「これは…」
気にも止めていなかった、出口真横の小さなガラス棚に目がとまった。
薔薇輝石(ロードナイト)のブローチ。 その名どおり、薔薇の形に彫刻されていた。
「ああ、それは、うちの自慢の薔薇なんですよ。残念ながらお売りできませんが」
「いいんです。でも…本当に、美しいですね…。なぜ最初に気がつかなかったんだろう…」
「浜野さん、スギライトと天河石に集中なさっていたからじゃないですか?」
「そうかもしれませんね。それにこれ、かなり大きいんですね。本当の花と同じくらいですか?」
「ええ。紺のビロードによく映えるでしょ」
「とっても。あの…失礼ですが、これはどちらからあなたの手に?」
「まぁ、ちょっと知り合いの同業の方から。浜野さん、モロッコの薔薇の谷をご存じかしら?」
「え、あ、はい」
「もちろん薔薇の産地ですけれど、薔薇にちなんだ工芸品もたくさんあるんですよ。プレゼントに、頂いたんです」
「はぁ……あの、いきなりで申し訳ありませんが、その方にお会いすることは、できませんか」
「え?まぁ…可能だと思いますけれど…お急ぎですか」
「はい。ちょうど薔薇輝石も探すところでした。素晴らしい石を譲って頂いた後で、これ以上は、と思っていたのですが。」 「ふふ、正直な方ね。いいわ、セイクリッドさんに、今から電話してみましょう」 「ありがとうございます!!」
穏やかなほほ笑みのまま、星野さんは奥にある黒電話から、国際電話をかけた。 相手は日本語が堪能らしく。しばらくして。
「浜野さん、セイクリッドさんが、あなたに会ってもいいと。 でも、あさってまで仕事で中国にいるから、香港まで来てもらいたいそうよ。……どうします?」
「いきます!今からチケットの準備します!今日中に、飛行機にのりますよ!お願いします」
「まあ、くすくす。 よほどなのね。わかりました、伝えます。」
今夜飛んで。香港行きの飛行機の中で、次の石、カヤナイトのことを考えよう。
浜野の頭の中は、もう次の次まで飛んでいた。 つまり、すべてが首尾よく整い、安堵する茅子がほほ笑む所まで。
第5章 空港で
1.知らぬ騒ぎ
夜の空港で。浜野は飛行機が来るまでに、晩飯を済まそうと、ロビーで空弁を食べていた。
この空港は最近できた事もあり、飲み物が無料で振る舞われている。便を待つのに長居もできる。緑茶で一息ついていると。ガヤガヤとした黒服の一団がロビーに入ってくるのが目についた。
有名人でも来ているのだろうか。しかし、マスコミ陣はいないようだ。ずいぶん、ものものしい雰囲気で。
「ああ疲れた、ちょっとそこ、早くどいてくださらない?」
知らぬ間に、金髪の少女が目の前にいた。両脇には、先程の団体のような黒服の、ゴツい男が控えている。浜野は慌てて席を譲るようにして、荷物を一人分つめた。それなのに少女は、隣りに座ろうとしない。横に控えている男にまくし立てている。
「ちょっと!どうなってるの!この人本当に日本人?日本語通じないじゃないの!」
すごい剣幕だ。浜野は、
(いや、日本語通じてます…だから席、開けましたけど…)
といいかけて止めていた。
「お言葉ですがお嬢様、彼はあれで席を一人分、開けて下さったんですよ。お座りになって下さい。」
「は?あの狭さで開けたと言えるの?!それに、このあたしに、知らない男性と同席しろと?冗談じゃないわ」
「一般の方々は皆そうされているんですよ。ですから私は、ご自分の専用機をお使いになるよう、申上げていたのです」
「お嬢様が一般の方々と同じ体験をしてみたいと、おっしゃるから…」
「ああもう!わかったわよ!わかりました!」
どこのお嬢様か知らないが。なんとなくチラッと顔を見てしまい。
「何ですの!」
「あ、いえ別に…」
そそくさと席を立つ。 ちょうどいい時間になり、発つ前に浜野は携帯をかけた。
「もしもし…、ああ、セイクリッドさんですか?浜野です。今から発ちますので…はい、香港のホテル***ですね…はい、よろしくお願いします。」
セイクリッド、香港、ホテル名…あといくつかの単語に、背後にいる少女の顔色が変わった。 彼女が控えの黒服達にしきりに耳打ちする姿に、浜野が気付くことはなかった。
2.セイクリッドさん
飛行機は順調に飛んで、翌朝。
賑やかな香港の茶店で、浜野はセイクリッド氏を待った。 すると、携帯が鳴り。
「もしもし、Mr.浜野ですか。すみません、遅くなりました…」
「あ、どうも浜野です。どこらへんですか?」
「はい…ああ、私はわかりましたよ。いま手をあげます」
浜野が見渡すと、やたらに背の高い男が手をあげた。 白いターバンに白い服の下には、褐色の肌。彫りの深い顔立ちに、青い瞳という、日本人にはかなり珍しい格好で。 正直、浜野は西洋人をイメージしていたので、少し慌ててしまう。
「どうも、浜野さん。お急ぎで、石をお探しとか。カヨコから聞いています。」
カヨコ、とは確か星野さんの下の名前(加陽子)だった。
「はい、突然のお願いですみません」
浜野はラクス皇女の話を手短に説明した。
「それで、星野さんのお店で、素晴らしい薔薇輝石を拝見しまして」
「なるほど…。ちょっと、待って下さい、カヨコは私のこと、何と紹介しましたか」 「え?ちょっとした知り合いとか、同業者と…」
はあぁぁ~…、と。 突然、セイクリッド氏は額を押さえ、ため息をついた。
「浜野さん…すみませんが、少し、電話かけてもよろしいでしょうか」
「ど、どうぞ…」
懐から紺色の、ラメ入りの携帯を取り出し。
「もしもし?ああ今、浜野さんと会っているんだが。カ~ヨ~コ~?僕らは〈ちょっとした知り合い〉だったかな?帰ってからじっくり聞くよ。」
見ている方が赤くなりそうな台詞を言い電話口にキスを残すと、彼は浜野に向き直る。
「すみません、仕事の途中に。彼女、私の仕事が長引くと、怒るんです」
「あ、いえ別に。すると…星野さんのお相手は、あなたですか」
「はい。私たちは婚約しています。あのブローチは結納品です」
「そうでしたか…」
どうりで譲ってもらえないわけだ。
「すみません。僕のせいで、帰国を遅らせてしまいましたね」
「あなたのせいではありません。待ち合わせに遅れたのは私です。」
セイクリッド氏はあたりの様子を見ながら、ある一点に気付くと、小声で言った。
「Mr.浜野。石はホテルの部屋でお渡したほうがいいでしょう」
「そ、そうですね。確かに、無防備すぎました。つい…」
「用心にこしたことはありませんからね。では参りましょう」
背後では、黒服の男たちがチッと舌耳打ちをしていた。 よく見ると、彼らは4~5人の集まりで点在していた。
浜野が予約した部屋は、茶店のすぐ近くの別館だった。 だが、セイクリッドが何かを警戒しているように見えたので、行動をあわせた。 ホテルについても、まっすぐ上階に上がらず、あちこち見て周り、やっと部屋に着いた。
「あの人たち、日本の空港にもいたような気がするんですが…僕らのほうつけてませんでしたか」
「たぶん。今後の取引は慎重にしたほうがいいですね」
セイクリッド氏は、おもむろに懐から巾着袋を取り出した。中から紺色と灰色の、ビロード布地が張ってある小箱を二つ取り出す。
「お探しの薔薇輝石、そして天河石、こちらになります」
紺色の箱のなかは、星野骨董店にあったのと同じくらい素晴らしい品質の薔薇輝石だった。濃く輝く紅色に、ふわりと細く白い線が、いくらか走り、表情を柔らかくしている。
そして灰色の箱には、 孔雀緑と青が混じり、全体にキラキラと銀粉のようなものが反射して見える、天河石。
「うわ……。どちらも素晴らしいですね。ティアラにぴったりだ。ありがとうございます!」
「お気に入り頂けて良かったです。これ以上の物をお求めなら、私どもにはお手上げでしたよ」
「キラキラしているのは何ですか?」
「はい、私どもの持っている鉱山の薔薇輝石は、稀に石英が含まれるようです。それが紅に混じって反射しています。 天河石のほうは、採掘はこの中国で、銀や亜鉛類が同時に採れる場所のようで。この度は、王室のご利用とあって、とにかく一番美しい部分を、私が厳選して切り出させて参りました」
「そうですか…。本当にありがとうございました。ずっと懐に?」
「はい。このあたりはホテルのロビーに預けるより、自分で持っているほうがまだ安心ですから」
「そうですね、僕も気をつけます。ではこれで失礼します」
「Mr.浜野、今夜は泊まっていかないのですか?」
「はい。ここで寝るのも、飛行機の中で寝るのも同じですから。時間が、少しでも惜しいんです」
「そうですか。ではお気をつけて。私もこれで失礼しますね」
お互いに礼をのべて別れたあと、少し休憩してから、ホテルを出て、浜野は空港に着いた。
飛行機を待つ間にトイレに寄った、その時。 浜野は黒くて背の低い男と入り口ですれ違った。
「ハマノリョウスケさん、ですか」
「あ、はいそうですけど………………!!」
男は次の瞬間に、掴んでいた袖を背中へまわして反対側へねじる。
「ボクはここで殺しても構わないんだけど。慈悲深いうちの主人に感謝しなよ」
声音が少年のそれに変わり。長い袖の下から硬くて冷たいものが、浜野の背にあてられて。
「ちょっと来てもらうよ……あぁもう、人間って!動かすの面倒だなァ!!」
ドスっと。 みぞおちに拳が入って、浜野の意識は闇に落ちた。
………闇のなかで。 ぼうっと、大きな白い人影が、自分を見ていた。 顔が近づいてよく見ると、鮮やかな鳥の羽をつけた、白い帽子に赤銅色の肌の、インディアンみたいな化粧をした大漢だ。
だまって額に手をおく。 すると、光が体を包みこみ、痛みや疲れ、恐怖感が消えていった。
(我の力は治癒のみ。すぐに、必要な助けを呼びにいく。しばし耐えよ、わが主人……)
その大漢は白い鹿に姿を変え、どこかに駆けて…。
「おい、おきろ人間!」
再びドスっと。 高いところから落とされたような、全身を打つ痛みで、浜野は目が覚めた。
ぼやけた視界に頭を振ると、意外にも柔らかい絨毯の上にいることに気が付いた。 質の良い家具の整った、明るい部屋の中だ。
誰もいないと思っていたのに、急に棚上の黒いカラスの剥製が動きだす。
そのまま飛び上がり、天井角の監視カメラまで移動し、人の言葉で喋りだした。
「セネカ~ァ、人間が起きたよォ!」
バタン、と後ろのドアが開き、黒服の男たちがどかどかと部屋へ入り込み、たちまちに浜野を拘束した。
最後尾から、大きな男に担がれた、フランス人形のように美しい少女が現れ、目の前の豪華なソファーに降ろされ、座る。
カラスが彼女のほうへ来て、たちまち姿を少年へ変えた。膝元に擦り寄る。
「ねぇ~セネカ、はやくこいつの魂をちょうだいよォ、僕おなかすいた~」
「まだよ!私はこの男に聞くことがあるんだから」
(この顔には、たしか見覚えが…。)
バシン、と浜野はいきなり頬を打たれた。口の奥が切れる。頭を無理やりに少女のほうへ向けさせられる。
「ふん、空港では世話になったわね。よく聞きなさいよ、一般人。私の名前は、セネカ・ヴァルジナ・オニール。イスキア皇室に名をつらねる者です」
「イスキア……の?」
「そうよ、私の家系はね、あの生意気なラクシスよりも、ずうっと高貴なんだから!」
「ラクシス皇女…?…」
バシン、とまた殴られる。
「お黙りなさい!あなた、ラクシスを皇女などと呼び、戴冠式のティアラの宝石を集めているらしいわね。今すぐおやめなさい!」
「なぜ……?……」
「は?!なぜですって?決まっているでしょ、次期イスキア女王には、この私がなるからよ!……ハアハア」
両脇から取り押さえられた浜野の襟を掴みあげ、興奮してまくしたてるセネカ。ラクシスのことを皇女(次期女王という意味で)呼んだあたりから、怒りが尋常でないらしい。
「あなたのような平民にはわからなくて当然ですけれどっ、失礼にも程がありましてよ!わ、わたくしには…」
ふら……、と。 言葉途中で突然、セネカは後ろへ揺らめいた。下につくまでに、横にいた黒い少年が抱き止める。
「もういいよー、セネカ。これ以上はダメだよ。僕に任せてねー」
そう言いながら、少年の姿がだんだんと青年様に変化していく。黒い焔のような気が彼を取り巻きはじめる。
「オニ…キス……」
「聞くけどセネカ、いいよね?彼の※フォイゾイをもらうよ?許可してよね?」
「…いい…わ………」
「フフ、ありがと。じゃあ少し眠って。」
額にキスをすると、セネカは目を閉じた。彼女は後ろの黒服たちが引き取り。
いつの間にか、部屋のなかは鎖で拘束された浜野と黒い青年だけになっていた。 明るかった室内は、彼の放つ闇様の焔気で、真っ暗になりつつある。
「お前のような虫けら一人、食らってもたしになんねーけどさ…まァ少しはうまそうだしね……」
バサリと。 一瞬で浜野に近寄り、顔を触ろうとした瞬間、白い蒸気があがった。
オニキスの手指の一部が、ケロイド状に溶けていた。 ぱりん、と鎖が崩れて周囲に散った。
「へぇ…、石の守りをつけてんじゃん、面白い。はぎ取って喰ってやるよ…」
鎖が取れても、やっと立てたほどで、浜野はどうしてよいかわからない。だが背を向けるわけにはいかない、と思った。逃げられないなら、あらがうべきだと。 ここで死ぬわけにはいかない、と。
(約注※フォイゾイ…人間の魂の一部分。魂を食べ物に例えると、旨み成分やだし、エキスのようなもの。妖精等に食されると、その人間は植物状態~死する、と言われている)
なにか武器になるものは、と反射的に探すが、すぐには見当たらない。
「フフ、歯向かうつもりなんだ、人間ふぜいがっ!」
地鳴りのような音がして、真横の空間がもぎ取られた。大理石の壁はパックリと穴が空き、黒煙があがる。
続けてきた衝撃を、浜野は椅子で受けた。
「守りがあるからって……いい気になるなよ!」
そのままオニキスは力を込めて、拳を振りきった。椅子は粉々に砕けた。浜野は半身で避けたが、相手は尋常なスピードではない。反対側から、頭を地面へ叩きつける。
「く…………っ」
「はは、わかってんの?その石、守りだけで中身は抜け殻だよ?僕に勝てると思ったんだ?ばーか!」
オニキスが顔を覗き込んだ瞬間、浜野は反撃した。 下から首をしめて蹴り上げ、体勢を入れ替えた。 そして、近くにあった花瓶を、オニキスに向かって、思い切り叩きつけた。
「なに……!?」
虚をつかれたオニキスは、一度シャンデリアまで上昇した。
「くそ、人間が!…っ!」
そのまま急降下して。 シャンデリアが、落ちる。吹き飛ぶ硝子片が、降る。 浜野はとっさに、壁ぎわの大きな燭台をひっくり返して構えた。体の痛みはすでに消えていた。腕に力を込める。
―――ガシャン。
「ぐっ…こんのっ!」
オニキスの右肩の羽根が周囲に散らばった。避けながら、浜野の背後に回ったのだ。
「くそ、は…な、せ……」
「まァ、わりと活きがいいのは認める……けどさ、もうアウトだよ」
肩を絞められ、たちまち身動きができなくなった。 宙に浮きながら前にまわり、顔に覆いかぶさる。
「あばれるなよ、疲れるとフォイゾイがまずくなるだろ……」
白い蒸気を、綿菓子でもはぎ取るようにしながら、浜野の唇に吸い寄った。
血なのか何なのかわからない黒紫の液体が、彼の右肩から腕をつたい、浜野の顔に伝い。 唇が触れる直前に。
(待たせた、我が主人)
その時、胸ポケットに入れていた、白い守り石が閃光を放った。インディアン様のあたたかい大漢の光にのまれ、黒い青年は壁に弾かれた。
ピシャッ、ピシャッと。あっという間に、紅色のダガーナイフが数十本、どこからともなく飛び、続け様にオニキスに命中していた。 黒い魔物は、あっけない程に霧散した。
「大丈夫か」
シュウシュウと。 黒い煙が霧散して。 凜と、美しい声が響いた。
浜野の目の前に、あの白いインディアン様の大男がひざまづいている。横には、すらりと長身の女性が立っていた。声の主は彼女らしい。
「はい、あ、ありがとうございました。あの…あなたは方は……?」
「我は貴殿の身につけたる石、ハウライトの精霊。貴殿はその主人なり。 我の力は癒しのみなれば、このたびは我が力足らず、こちらカヨウ殿を呼びに参った。遅れて申し訳ない」
「私はラクシス皇女の護衛をしている、カヨウ・ゼルナダ・ミルラインだ。」
「はあ…。(ハウライトさん、は夢にも出てきたし、何となくわかるな) お二人のお蔭で助かりました。でもあの、ラクシス皇女の方はいいんですか?」
用事もないので、ほこりを払いながら、この場を去るつもりで、立ち上がる。スーツは汚れ、あちこち破れているが、傷一つない。身体の異常感は、何一つない。
気分が快いくらいだ。きっと、意識のない間にこの優しい大男が治癒してくれたのだろう。 ズタズタに引き裂かれた絨毯と割れた机や椅子、シャンデリアのガラスを避けながら、部屋を出る。
歩きながら、カヨウが答えた。
「ああ、平気だ。今までは私が常に側に仕えていたが、今はヒロト様がいらっしゃるからな」
ヒロト様というのは、ラクスの夫となる人物だ。 まだ非公開だが、ラクスと結婚することで、婿養子となり、イスキア公国の新王となる人物である。カヨウは続けた。
「まぁ、ラクス自身も鍛えている故、普段そう心配はいらないのだが。それでも私は、自分以外にラクスを任せられる人物は、ヒロト様しか存在しないと確信している。彼はカラテ、とかいう武術の使い手なのだ」
玄関扉につく。 どうやらここは、空き家となっていた、古ぼけた洋館だったらしい。
洋館を出た辺りで、ハウライトの精霊は、浜野の胸ポケットの石へ帰った。
そこから後は、念のためとカヨウが護衛をしてくれた為か、何物にも襲われなかった。残りの石、つまり水晶やシトリンは、以前から取り引きをしていた、信頼のおける業者から受け取った。
カヨウは、初めからそのつもりらしく、(ラクスの配慮で)日本まで着いてきてくれるという。
………こうして。 体力と気力のギリギリを振り絞った、浜野の仕事は全うした。
荷物が日本につく頃には、茅子が微笑んで待ってくれている。(やや妄想のエフェクトが入るこの頃だが) 浜野は安堵して、体の力が一気に抜けた。
こんなに誰かのために、必死になれるというのは、自分でも不思議だった。(誰かというより、茅子先輩、の………。) 帰りの機内では、カヨウが到着時にゆり起こすまで、全く意識がなかった。
第6章 鐘を鳴らして
1.間に合った!
「茅ちゃん先輩~!浜野からの荷物、届きました!」
夜のルチル・ジュエリー社中。宅急便の到着に、受付嬢の寺崎愛が叫んだ。浜野が探し歩いた宝石の数々がひと足早く、でもやっと、茅子の手元に届いたのだ。
まずは、優しい村の村長さんが譲ってくれた、淡い色合いのラベンダー翡翠。
星野骨董店からの、息を飲むような紫紺の美しいスギライト。
キラキラ光る硝子の交じった、薔薇輝石と天河石。
あとは質のいい水晶とシトリン、濃いトパーズ。
どれも予想以上の質の良さに、茅子は驚きと感動を覚えた。自分は上質のラリマーとターコイズ、この2つを揃えるにも必死だった。
なのに、浜野は同じ時間に、これほど素晴らしい品々を集めたのだ。彼は、本当にすごい。
もとから店に蓄積していた質のいいエメラルドとカヤナイトは。すでにあのヤバめ
な銀細工師に預けてある。彼は、茅子の部下である寺崎愛がお気に入りの変態?さんだが、いわゆる天才系の銀細工師さんだ。
寺崎愛が泊りに行っていた間に銀細工は加工済みだ。 本日の夜中までにエメラルドとカヤナイトを嵌め込み、ルチル・ジュエリー社に届けに来る約束だったが…。
リリリリ…。寺崎の携帯が、絶妙なタイミングで鳴った。
「か、茅ちゃん先輩…」
「何?叶さんから?」
「はい…。約束の品が出来上がったんですが…私に迎えに来いと…私行きますね今から支度します!」
「あら、大丈夫?」
「へ、平気です!あの衣装着るのはちょっと恥ずかしいけど……時間ないですから!早くティアラ完成させないと」
「ごめんね無理させて……じゃあ…お願いね」
「いいえ、気にしないで下さい。こんなこともあろうかとっ」
スルッと。脱いだコートの下は、ゴシックロリータのメイド衣装である。案外、愛ちゃん気に入ってるのかな…?と茅子は思った。
「あ…そうなんだ…ありがとう…頑張ってね」
「いえっさー☆」
やけに凛々しい敬礼を残し、寺崎は車庫に消えた…。 というわけで。 社内は茅子だけになってしまった。
クスクス……。 人外の笑い声。 それまで身を消していた、ラピスが姿を現した。
ふわりと茅子の肩を包む。
「面白い女の子だね、カヤナイトの部下。」
「いい子なんだから、そんなふうに言わないの」
「はいはい…クスクス」
「ラ~ピ~ス~?」
「ごめんごめん、機嫌なおして。」
………チュ、と。 この精霊は簡単に、キスをする。おかげで茅子はいつも顔が熱くなって仕方ない。 他人には姿は見えなくても。茅子にはしっかり見えているのだから。
銀細工師から届いた二対のティアラの原型は、まさしく天才的な芸術品だった。
女性の方は、海の波を形作った繊細なフォルム。全体にも、さざ波やテーブル珊瑚、躍動感のある大小の魚の群れがある。ゆれる海藻のまわりには、立ち昇る細かな泡の模様が掘り込まれていた。
男性の方は、大樹の幹をイメージしたようなフォルム。風にそよぐ枝葉がたくさん茂り、その中に鳥や小動物が憩う。大地には麦の穂や花、果物がある。よく見ると小さな卵の入った鳥の巣まで掘り込まれていた。
どちらも、何時間見ていても飽きないような、ストーリー性のある仕上がりだ。
海の幸=女性=生命力や細やかさ、山の幸=男性=豊かさや見守る強さ、というイスキア公国の文化も、見事に表現されている。 茅子の注文どおり、カヤナイトとエメラルドのラインが一番下を締めくくり、重厚な雰囲気も出ている。
あとは残りの宝石がはめ込まれるを待つのみだ。 これを三日で仕上げたなんて、とても信じられない。通常なら半年、いや一年、それ以上の年月をかける代物だろう。
だが。こうして現実に目の前にある。素晴らしい才能の持ち主に出会えたこと、そして、ルチル・ジュエリーにそれをもたらした、あの可愛い受付嬢には、今後は枕をむけては眠れない、と茅子は思った。
宝石をカットし、素地にはめ込む作業は、いつも熟練の技師さんに頼んでいた。 源さんと呼ばれている、ひげの生えたお爺さん率いる技師集団が、ルチル・ジュエリーに集まってくれた。
「大変短い日数ですが、よろしくお願いします…」
「おうよ、そのために人数余分に連れてきたんだ、まかせときな。ただ…」
「はい?」
「このラリマーだけは、最後におまえさんがやりな」
「え、でも……」
「花嫁さん、友達だろ。中心の石は、おまえさんが心を込めてやるんだよ」
「は、はい!」
「ま、いつも作業を熱心に見てたから、流れはわかるだろ?わしも仕上げは手伝うよ」
「ありがとうございます」
「はは、なに……」
この小さくて白髭のお爺さんは、かつての女社長の知り合いだ。 彼女がなくなっても、仲間と一緒にルチル・ジュエリーに残って、仕事をしてくれていた。
そして時々、こうして粋な計らいをしてくれるのだ。
(そう………っと。)
銀色の下地に、青いラリマーが、吸い付くように着いた。まるで初めからそこに居たように、輝いた。
茅子は、ラクスの被るティアラを完成させた。彼女のドレス姿を思いながら、全体を優しく磨き上げた。
その時、真夜中にも関わらず、トントンと、社中後ろのドアがノックされた。
とっさにラピスが羽根で、茅子を包むようにした。 耳元でささやく。
(ん、悪い感じはしない。たぶん大丈夫だよ、茅子)
「(そう?)ど、どうぞ…………」
「今晩は。遅くに失礼します。」
チリン、と。 闇に似合わない、さわやかな鈴音がして。 薄緑色の絹を身にまとった中性的な人物がお辞儀をした。動作に金粉が舞う。
(カヤナイト、彼は高位の石の精霊だ)
ラピスが耳元でささやく。茅子は軽く頷く。
「光栄です、カヤナイト。私は、翡翠の精霊です。 たくさんの翡翠あるなかで、あの村の河に棲んでいた者です。 このたびは私を、ひとかどの人物の元へ導いて下さり、お礼を申し上げます。」
にこり、とした細い目は、あけると確かに、人ならざるラベンダー色。
「は、はい…(ラクスの旦那さまになるヒロト様のことだわ)」
「先程、わが主人に挨拶に参上しまして。最初の頼みを言付かりました。 なんでも、結婚式のティアラを一組運べと。カヤナイト様のご許可の下で。」
「そ、そうなの…、ちょ、ちょうど良かったわ。 とても大切で、高価な品物だから、どうやって海外へ持ち出そうか、困っていたところよ。 いいわ、そういう事なら。あなたにお任せします。」
「承知致しました。」
翡翠の精霊は、身につけた薄緑色の衣を、まるで生き物のようにはためかせた。 あっという間に、ティアラをいれた桐の箱を二つ、衣が飲み込み、身体のどこかに収めてしまった。
そしておもむろに、髪につけていたかんざしを外し、フッと息を吹き掛けた。かんざしが、ほうきの様に大きくなる。翡翠の精霊は慣れた仕草で横座りした。
指をパチリと鳴らすと、それはふわりと、浮かぶ。
「それでは、ごきげんよう、カヤナイト。」 「ええ、あ……、はい。あの、ありがとう。気をつけてね。」
「はい。次はイスキア国でお待ち申し上げます」
チリン、と。 鈴音とウィンクをひとつ、残して。 翡翠の精霊は出窓から先の夜空へと消えていった。
翌日。 イスキア公国に行くため、茅子はスーツケースに荷物をつめていた。明後日には、結婚式だ。茅子たちの会社の社員はもちろん招待されていた。
「え~と…これで荷物は…ぜんぶ…だったかな。」
「茅ちゃん先輩、パスポートはちゃんと持ってますかぁ?」
「はい…」
「それと、やっぱりお式に着物は外せませんよぉ?」
「だって…荷物になるじゃない…ワンピースじゃだめかしら…?」
「だぁめでっす!先輩は、わがルチル・ジュエリー社代表、いえ日本の代表として参加するんですよッ? お荷物が多かったら、私が持ちますから!」
「いや、大げさだから…しかも、そこまでしてもらわなくてもいい…から…」
肩ごしに、愛には見えないラクスが吹き出している。言葉に出さずに会話する。
(ほんと面白い後輩だね、でもその着物きれいだし。カヤナイト着ているところ、僕も見てみたいです。)
(もう、ラピスまで。着物は持ち運び大変なのよ)
(僕と飛べばすぐなのに。、またあの乗り物に?)
(愛ちゃんいるんだから、仕方ないでしょう、あなたが見えないんだし)
(ま、そうですね…)
茅子は愛の完全プッシュで、茅子は夏用の着物を買ったのだ。全体が淡いブルーで、下にいくほど、流水の模様が描かれてある。裾のあたりには、紺やロイヤルブルーの菖蒲が咲く。緑青の葉も美しい。それと、裾や袖の各所に、白い小さな鈴蘭が、星のようにあしらわれていた。 帯は、少しラメの入った紺色に、レースの帯飾りと、ガラス玉の帯留め。これは購入時にはなかったが、愛が可愛いからとくれた。襟にもレースを入れようとしたのだが、さすがに抵抗した。
ラピスのイヤリングをつけたかったので、なんとなく青い色調になった。
(僕の色と、同じ着物を身につけてくれて、嬉しいです、カヤナイト。)
軽くキスしてくるラピス。茅子は照れくさい。 こういうの、こんな関係は、今までにない。もし恋人がいたら、こんな感情に…なるのでは…ないかと。
あまりはっきりと意識すると、ラピスに読まれてしまうので、あまり深く考えないようにはしているが。
一夜明けて。
茅子達の乗る飛行機が、イスキア公国に着いた。
「うわぁ~!すごいですね茅ちゃん先輩!」
「うん、すごくきれいな青空…ね…」
「ちがいます!下を見てくださいよ!すごい歓迎モードなんですっ」
すでに空港から、お祭り騒ぎで、活気を見せていた。色鮮やかな花飾りや、水のオブジェが随所にある。 あちこちで、美味しいワインが無料でふるまわれた。
頭上には、美しい垂れ幕が幾重にもかかり、新しい女王の誕生と、結婚式を祝福していた。 一際、でかいリムジンが、茅子たちの前で止まった。窓が開くと…まさかの彼女だ。
「はーい!茅子!むかえにきたわよ!」 「ラ、ラクス…!!」
「ふぇ!ラクスって、先輩、まさかこの方がラクシス皇女さまですかっ!?」
「うん……」
「そちらの方も、ようこそイスキアへ!まぁ荷物も重いでしょう、早くお乗りなさいな」
黒服のガードを無理やり最後部の座席に詰めさせ、茅子を隣に座らせる。
「あなた、こんな所に来ていいの…式の用意は…」
「平気よ!ああ茅子、素晴らしいティアラをありがとう!あなたがこの時間の飛行機に乗ってくる、と聞いて、居ても立ってもいられなくって」
ぎゅ~、と茅子を抱き締めるラクス。
「そ、そう?こちらこそ、ご贔屓にしてくれて…ありがとう」
後部座席であまりにはしゃぎまわるラクスに、前の座席から、誰かが注意した。
「あ~、ゴホン。ラクシス様。もう少しお静かに願います。そのように騒がれては困ります。…失礼、カヤコ様。私はラクシス様のお世話係の、ジェネシスと申します」
「はい、どうも…石上茅子です。」
「あ~はいはい、わかってますって!それよりジェノ、はやく車を出しなさいよ。二人だけで出てきたの、バレるわよ。」
「は、御意に……」
途中で、別便で来た浜野&カヨウたちとも合流し、一同は新女王となるラクスの城へ向かった。
爽やかな青空の下。
そよぐ木々と、緑の大地。遠くに見える、ターコイズ・ブルーの海。
その全てに囲まれ、中央に建つ美しい城で、ラクシス新女王の戴冠式と、結婚式は盛大に行われた。
新しいティアラを頭につけたラクスが、その場にいる全ての人に、高らかに宣言した。
「みんな、私を新女王と認めてくれてありがとう。 私はここに約束する。必ず、みんなを守ると。そして母様のように、みんなが幸せに暮らせるように、精一杯の努力をすると誓う!」
おぉ、と拍手が鳴り響いた。
その時、突然周囲が暗くなり、一同は押し黙った。 茅子たちには見えていた。反射でラピスは身構えた。浜野につくハウライトも。オニキスの黒いオーラ。人魂の味を知った、恐ろしく歪んだその空気を一身にまとい、現われたのは。
「セネ……カ……」
「私はあなたを認めないわ。私のお母様はあなたの母の姉君、そして戦前では、いつも最先端で戦い、この国を守ってきたのよ!その娘たる私こそが、女王になるべきだわ!」
間合いこそ離れてはいたが、袖に隠していた短刀を、一気にラクスの喉元につきつける。
「おのれ、ラクシスには、私が触れさせない!」
ラクスの横にいたカヨウが飛びだした。近くにいた護衛隊も、すぐさま間をつめ身構えた。 ……のを手で止めて。 ラクスは、かまわずセネカの前へ自分から歩み出た。
驚いたのは、セネカのほうだ。ラクスの勢いにおされ、短刀は突き出したまま、足元が震えだした。
「あ、あんた…、バカじゃないの…自分から……」
「セネカ……」
「バカね、あんた、死にたいの!?」 「……死なないわ。ほら、刺しなさい。」
ドスッと。ラクスはセネカを短刀ごと抱き締めた。
青い、蒼い清らかなオーラが、ラクスの体から溢れて周囲を満たした。
刺さったはずの短剣が、床に転がり、乾いた音をたてた。
「セネカ。あなたのお母様は、本当にすごい方だった。母様も心から信頼していたわ。 その勇ましさ、私の剣のお手本だった。亡くなられた時は本当に、この城でも皆で泣いたのよ」
「なにを……」
「でも、その戦火の陰で、あなたに孤独な思いをさせてしまっていたのね」
「そんな…こと…!」
「あなたに許してもらうのは、難しいかもしれないけれど。 でも、今度は私があなたを守るから。 だから私に、全て任せてほしいの」
「……私は…私は……!」
背後の黒いオニキスが、青いオーラを一瞬割って入り、力を増した。
「セネカ!そんなやつに騙されるな!早く僕に力をちょうだい!そいつのフォイゾン吸い取ってやる! 君の願いを叶えてあげるのは僕だ!セネカ、セネカ……セネ…カ…!」
泣きながら、セネカの腕はカクカクと不自然に動き、指輪の黒いオニキスが歪んだ光を放ち始めた。
ただ、それが輝く前に、より強く優しいオーラが輝きを増した。
その光は、ラクスのティアラから出ていた。中央の大粒なラリマーは、茅子が苦労して探した逸品だった。その蒼い光は、大きな長い髪の女性の姿となり、ラクスと重なって、セネカとオニキス両方を包み込んだ。
姿は見えなくても、その優しい光と暖かさは、場にいる全ての人間を癒した。
セネカの頬には涙がつたい、オニキスの濁ったオーラは浄化され、ついには澄んだ夜闇の黒色に戻った。
「セネカ。これからはけして、あなたを一人にはしないわ。大切にするから」
「…もう…いい…わかった…わ…」
ラクスの背後から、美しく澄んだ声がした。
『オニキスの精よ。あなたに出来ることは、夜の闇のように優しく、彼女の孤独を癒し、弱った意志を強く支えること。 それこそがあなたの主の願いです。これからも傍に仕え、その力で主の願いを叶えなさい。』
「……はい」
ボロボロになって片方が無くなっていたオニキスの背中の羽は、両方がそろい、艶を取り戻していた。 両腕が、優しくセネカを包み。大きくはばたくと、テラスから外に、消え去っていった。
ラリマーの精霊が、ラクスのティアラに戻り、蒼い光があたりから消えると。 ラクスが明るく元気よく、啖呵をきった。
「さあ、これで反対する人はもういないわね、え?まだいるなら、出てらっしゃい!お相手するわよ?」
すると、周囲からどっと笑いが溢れた。ヒュヒュ、ヒューイー、と口笛を吹く者や、万歳を叫ぶ声も。
口笛は、昔からこの国に伝わる文化で、狩りの時に仲間を呼ぶ方法で、賛成を表す動作だ。そのうち、ふくよかな女性がラクスに話しかけた。
「ラクスちゃん、女王として勇ましいのはいいことだけど、伯母としてはあなたに女としての幸せも、味わってほしいのよ」 「ありがとうございます、伯母様。さあ、みんな! ややこしい戴冠式はここまでよ。気分をかえましょ!続きはお庭で、私たちの結婚式をお祝いしてねっ」
おお、と言う掛け声が重なり皆はドヤドヤと庭園へ移動した。
「女王陛下、ややこしい、は、不適切な発言です…」
という執事ジェノの嘆きは、さらっと無視され。
茅子たちも、あれよ、あれよという間に進んだ。 戴冠式は、ごく限られた親族と特別ゲストのみで行われたらしい。 城の外では、さらに沢山の人間で埋め尽くされ、賑わい、溢れかえっていた。
お披露目の庭園の中央には、大きなやぐらが組まれ、そこでラクスと結城寛人は、晴れて夫婦の誓いをたてた。 青い空と、新緑の大地。 色とりどりの、たくさんの花びらが風に舞うなかで。 二人の旅立ちを祝した鐘の音が厳かに、けれども明るく高らかに、鳴り響いた。
第7章 運命の…
1、帰国後の…
イスキア公国から帰国後、1週間が過ぎて。 茅子たちは、ルチル・ジュエリーで、通常の勤務に戻り、仕事をしていた。
海外の皇室が御用達、という看板がついて、ルチル・ジュエリーは、業界でも一般的にも、一気に有名になった。もちろん、茅子はその社長として、マスコミに出たりして。ちょっとした大忙しの秋を迎えていた。ありがたい話である。
ただ一つ、変わったことがある。 それは、ラピスが仕事場について来なくなったことだ。もちろん、イヤリングのなかにいるのだが。
以前は、(もしものことがあるといけないから、先に呼び出しておいてほしい)とラピスが言うので、家にいる間にイヤリングから呼び出していた。 姿を茅子だけに見えるようにして、一緒に出勤していた。
だが。帰国してからすぐのこと。 いつものように、職場で茅子が書類に目を通していると、ラピスが後ろから抱きついて、耳に軽くキスしてきた。
(ちょっと!いま仕事中なんだから)
(いいじゃないか、誰も僕が見えてないんだから…)
最近は、思念だけで会話できるようになったものの。なぜかラピスはとてもくっつきたがる。以前よりもずっと。
そこへ。
「コホン!え~、茅子社長、浜野です。ちょっとお時間よろしいでしょうか」
「は、はい!何でしょう」
湯沸し器のある部屋へ、そそくさと移る。
「社長、その…ボディーガードをつけられるのは、ご自由なのですが、そのように四六時中いさせるのは、いかがかと…」
「そ、そのようにって」
「後ろにいる彼のことです。それでは仕事に集中できないんじゃないですか」
「み、見えてたの!……………いつから?」
「はい。僕が、茅子先輩……コホン、社長から頂いた石の精霊ハウライトと出会ってから、です」
「ええ?!イスキア行く前からってこと?」
「………はい」
これは恥ずかしい。 ラピスとのやりとりは、自分たちしか見えないと思っていた。
「もしかして、愛ちゃんにも見えてるのかな…?」
「いや、彼女はたぶん見えていませんよ。見えてたら、リアクションすごいはずですから」
「……そうね」
そう言えば、浜野といる時はラピスはいない。イヤリングに戻ることは、自由に出来るらしい。
2、招待状
ある秋の朝、ルチル・ジュエリーの応接室には、やわらかな陽が差し込んでいた。
茅子の机の上に、一通の白い封筒が置かれている。封蝋には、イスキア王家の紋章。淡い虹色の光が封の縁をかすめた。
「……ラクスさんから?」
寺崎愛が紅茶を置きながら、目を丸くした。
茅子は静かに封を切る。中から現れたのは、薄い真珠紙に印刷された招待状。
――『イスキア芸術祭 特別展「光と記憶」へご招待申し上げます』
差出人の署名は、イスキア女王ラクシス・マリオン・イスキア。
「芸術祭……」
茅子は小さくつぶやいた。
ラクス――本名はラクシス・マリオン。彼女は茅子にだけ、親しみを込めて「ラクス」と呼ぶことを許してくれている。それでも茅子は、日本人らしい礼を忘れず、いつも「ラクスさん」と呼んでいた。
「行くしかないね、社長」
愛が笑う。
「ラクスさんの招待なんて、断ったら外交問題だよ」
茅子は苦笑しながらも、封筒の奥にもう一枚の紙を見つけた。
それは、虹色のインクで描かれた筆跡。
――『オパールの新作が展示されます。あなたに見てほしい』
その名を見た瞬間、茅子の胸に微かなざわめきが走った。
オパール。
かつて一世を風靡した女性芸術家。
人の感情を色で描く独特の作風で知られ、今では伝説のように語られている。
「オパール……あの人、まだ創ってたんだ」
愛が感嘆の息を漏らす。
「でも、最近は誰にも会わないって噂だよ。助手の子が全部取り仕切ってるらしい」
茅子は封筒を閉じ、窓の外を見た。
秋の光が街を包み、遠くで風が金色の葉を揺らしている。
「行こう。ラクスさんの願いなら、きっと意味がある」
愛は頷きながらも、すぐに顔を上げた。
「でも、何を着ていこう? 王立美術館でしょ? ドレスコード、絶対あるよね」
「そうね……」
茅子は少し考えた。
「ラクスさんの国の式典は、格式が高いから」
愛は腕を組み、茅子をじっと見つめた。
「茅子さんは青が似合うと思う。髪の色と合わせて、深い青のベルベットなんてどう?」
その瞬間、茅子のイヤリングがかすかに光を放った。
空気が揺れ、淡い蒼の光が形を取る。
白い翼を持つ青年の姿――ラピスの精霊が現れた。
「青いベルベット……いい選択だ」
低く穏やかな声が響く。
ラピスは茅子の背後に立ち、そっと腕を回して抱きしめた。
「その色は、君の心の静けさとよく合う」
茅子は少し頬を染めた。
「ラピス……」
愛はため息をつきながら、紅茶を一口飲んだ。
「はいはい、私には見えてますよ? ラピスくん」
ラピスは軽く笑い、翼をたたんで姿を薄めた。
「彼女の目は鋭いな。……では、君の装いも見てみようか」
愛は肩をすくめた。
「私は黒のドレスにしようかな。無難だし、締まって見えるし」
その瞬間、空気が再び揺れた。
愛の胸元のペンダントが赤く光り、そこから小さな炎のような光が現れる。
――ガーネットの精霊だった。
「黒? それはセンスがないわね」
艶やかな声が響く。
「あなたの瞳の色を見なさい。燃えるような紅。秋の季節に黒なんて、退屈すぎるわ」
「え、ちょっと待って、また出てきたの?」
愛が慌てて立ち上がる。
ガーネットの精霊は、ふわりと宙に浮かび、愛の周りを一周した。
「あなたには、紅葉のような深紅が似合う。光を受けてきらめくスパンコールを散らして――そう、
秋の夜に咲く炎の花のように」
「炎の花……?」
愛は頬を染めた。
「そんな派手なの、私に似合うかな」
「似合うに決まってるわ」
精霊は微笑み、指先で空をなぞる。
その軌跡に沿って、深紅のカクテルドレスが形を成した。
胸元には紅葉を模した刺繍、裾には金糸のスパンコールがきらめく。
「……すごい」
愛は思わず息をのんだ。
「まるで秋そのものみたい」
茅子は微笑みながら、青いベルベットの布地を手に取った。
「じゃあ、私はこれにしよう。青い夜空と紅葉の組み合わせ、悪くないわね」
ガーネットの精霊は満足げに頷いた。
「完璧な調和よ。青は静けさ、赤は情熱。二人で並べば、まるで秋の詩ね」
愛は笑いながら、鏡の前でくるりと回った。
「ラクスさんも、きっと驚くよね」
茅子は頷き、封筒をもう一度見つめた。
虹色の光が封蝋の上で揺れ、まるで遠い国からの呼び声のように輝いていた。
第8章 イスキア芸術祭
王立美術館の正面玄関は、朝の光を受けて白く輝いていた。
磨かれた大理石の階段を上ると、天井の高いホールに金糸の垂れ幕が揺れている。
「イスキア芸術祭 特別展『光と記憶』」――その文字が、柔らかな光に包まれていた。
茅子と愛が足を踏み入れると、淡いラベンダー色の光がふわりと舞い降りた。その光は人の形を取り、優雅に一礼する。
「ようこそ、ルチル・ジュエリーの皆さま。イスキア王家付き、ラベンダー翡翠の精霊でございます」
柔らかな声が響き、空気が香るように澄んだ。精霊は微笑みながら二人を見つめる。
「女王陛下より、特別展のご案内を仰せつかっております。どうぞこちらへ」
茅子と愛は軽く会釈し、精霊の後を歩いた。廊下の壁には、宝石を模した装飾が連なり、光が反射して虹のような模様を描いている。
「すごい……まるで宝石の中を歩いてるみたい」
愛が小声でつぶやく。
「イスキアの芸術は、石と心の共鳴から生まれます」
ラベンダー翡翠の精霊が振り返り、微笑んだ。
「本日は、特に“調和”をテーマにした展示が多いのです」
やがて、精霊は一枚の扉の前で立ち止まった。
「こちらには、トルマリンの精霊が監修した作品群がございます。ご挨拶を」
扉が静かに開くと、淡いピンクと緑の光が満ちた部屋が現れた。
中央には、トルマリンの精霊が立っていた。彼女は明るい笑顔を浮かべ、軽やかに手を振る。
「やっほー! 来てくれたのね!
ラクスから聞いてたわ、ルチル・ジュエリーの茅子さんと愛ちゃんでしょ?」
愛が少し驚いたように笑う。
「えっ、知ってるんですか?」
「もちろん! ラクスが“すごく信頼してる二人”って言ってたもの。会えてうれしい!」
トルマリンの精霊は、まるで旧友に再会したように茅子の手を取った。
「そのドレス、すっごく素敵! 青と赤の組み合わせ、秋の展示にぴったりよ!」
愛は頬を染めて笑う。
「ガーネットが選んでくれたんです。ちょっと派手かなって思ったけど……」
「派手? 全然! 芸術祭なんだから、輝いてなんぼよ!」
トルマリンはウインクしながら、展示室の中央を指さした。
「ここは“心の屈折”をテーマにしてるの。光が石を通るとき、いろんな色に分かれるでしょ? 人の気持ちも同じ。悲しいときも、嬉しいときも、全部がその人の色になるの」
茅子は静かに頷いた。
「……素敵な考え方ですね」
「でしょ? オパールもきっと気に入ると思う!」
トルマリンは明るく笑い、奥の扉を指し示した。
「この先が特別展示室。オパールが待ってるわ。あの人、ちょっと不思議だけど、悪い人じゃないから安心してね!」
ラベンダー翡翠の精霊が軽く会釈した。
「ここから先は、オパール様の領域。どうぞ、心を澄ませてお進みください」
茅子と愛は顔を見合わせ、静かに頷いた。
扉の向こうから、虹色の光がゆらめき、まるで呼吸するように脈打っていた。
扉を開けたそのとき、奥の展示室から柔らかな音楽が流れてきた。
虹色の光が天窓から差し込み、床に淡い模様を描く。
その中央に、一枚の絵が飾られていた。
――『黎明の庭』 作者:オパール
茅子は思わず足を止めた。
絵の中には、様々な淡い色を含む白で描かれた、朝露に濡れた花々と、葉を揺らす大きな大樹。
その光景は、どこか懐かしく、胸の奥を静かに揺らした。
「……この色、どこかで見たことがある」
茅子の声は、ほとんど囁きのようだった。愛が隣で頷く。
「ラクスさんが“あなたに見てほしい”って言ってたの、きっとこの絵だね」
茅子は絵の前に立ち尽くした。
筆の跡のひとつひとつが、まるで生きているように脈打っている。
その奥に、言葉にならない何か――呼びかけのような気配があった。
「オパール……どんな人なんだろう」
その瞬間、背後の扉が静かに開いた。
柔らかな靴音が響く。
茅子が振り向くと、そこに立っていたのは、白い外套をまとった一人の女性だった。
白に虹色の艶のある髪が光を受けて揺れ、瞳は深い湖のように澄んでいる。
彼女は微笑み、静かに言った。
「ようこそ、ルチル・ジュエリーの茅子さん。お会いできて光栄です」
茅子は息をのんだ。
その声は、絵の中の光と同じ響きを持っていた。
――オパール。
伝説の芸術家が、そこにいた。
オパールは静かに歩み寄り、絵の前で立ち止まった。
その仕草は、まるで自分の作品に語りかけるようだった。
「この絵は――“始まり”の記憶を描いたものです」
彼女の声は穏やかで、どこか遠い響きを帯びていた。
「夜が明ける前の、ほんの一瞬。世界がまだ夢と現のあいだにあるとき…
…その光を、私は“黎明”と呼んでいます」
茅子はその言葉を胸の奥で反芻した。
“始まりの記憶”。
それは、彼女自身の中にも確かにある感覚だった。
「……この光、どこか懐かしいです」
茅子がそう言うと、オパールはゆっくりと微笑んだ。
「あなたの中にも、同じ色があるのね」
その言葉に、茅子の心が小さく震えた。
まるで、長い時間を越えて誰かに見つけられたような感覚。
愛がそっと口を開いた。
「ラクスさんが、“あなたに見てほしい”って言ってました。どうして、茅子さんに?」
オパールは少しだけ目を伏せ、絵の中の白い大木を見つめた。
それは、幾重にも重なる白の葉を持つ楓のような樹だった。
枝の一本一本が光を吸い、静かに呼吸しているように見える。
「この絵を描くとき、私は“もう一人の私”を思い出していたの。
――光を閉じ込める人。
宝石に、心を宿す人。
その人の手が、私の記憶を呼び覚ましたのよ」
茅子は息をのんだ。
「……宝石に、心を宿す?」
オパールは頷いた。
「あなたの作るジュエリーには、光が生きている。
それは、ただの装飾じゃない。
“想い”を形にする力――それを持つ人は、そう多くないの」
ラベンダー翡翠の精霊が静かに一歩前に出た。
「オパール様は、女王陛下の“記憶の画家”でいらっしゃいます。
この絵もまた、陛下の心の一部を映したものなのです」
「ラクスさんの……?」
茅子の瞳が揺れた。
オパールは微笑みながら、茅子の方へと歩み寄った。
「ええ。彼女はあなたに、この“黎明”を見てほしかった。
――夜明けの光を、もう一度、あなたの手で形にしてほしいの」
茅子は言葉を失った。
胸の奥で、何かが静かに灯る。
それは、遠い昔に忘れていた約束のような、温かな光だった。
オパールは絵の前に立ち、指先で白い葉をなぞった。
その瞬間、絵の中の光がふっと揺れ、まるで風が吹いたように白の葉が舞った。
「この絵は、まだ完成していないの」
オパールの声が、どこか寂しげに響いた。
「最後の一筆は、あなたに託します――茅子さん」
茅子は驚いてオパールを見つめた。
「私に……?」
「ええ。あなたの光で、この“黎明”を完成させて」
虹色の光が、二人のあいだに静かに広がっていった。
まるで、世界が新しい朝を迎える前の、あの一瞬のように。
そして茅子の胸の奥で、ラピスの精霊が小さく囁いた。
――「君の光を、見せてあげよう」
その声に導かれるように、茅子は一歩、絵の前へと進んだ。
茅子の指先が、絵の白に触れた瞬間だった。
空気が震え、展示室の光が一斉に吸い込まれる。
白が、呼吸を始めた。
「……ああ、なんて美しい」
オパールの声が、陶酔に染まる。
「この光……この色……私の白が、もっと純粋になる」
絵の中の白が液体のように流れ出し、床を覆い始めた。
壁、天井、観客の影までもが淡く溶け、色を失っていく。
オパールの髪が、白の中に虹を濃く宿しはじめた。
吸い込んだ色が、彼女の中で光の筋となって揺らめく。
「白は、すべての色の果て。
私はその果てを見たいの。
この世界のすべてを、ひとつの白に還したいの」
その声は静かで、祈りのようだった。
だが、白は止まらない。
トルマリンが叫んだ。
「オパール、やめて! それ以上は――!」
けれど、彼女の声も白に吸い込まれていく。
茅子の足元にも、白が忍び寄っていた。
そのとき、胸のラピスが強く脈打った。
青い光が茅子の身体を包み、白の波を押し返す。
「……ラピス?」
「大丈夫。君の光はまだ消えていない」
ラピスの声が、確かな温度を持って響いた。
茅子の中に、青の記憶が蘇る。
海の底の静けさ、夜明け前の空の色、そして――希望。
「白は、終わりじゃない…
…始まりの色」
その言葉が、茅子の唇から零れた。
オパールの瞳が、わずかに揺れる。
「始まり……?」
「白は、光が生まれる場所。
あなたが描いてきたのは、終わりの静寂じゃない。
――新しい朝の、最初の光です」
ラピスの青が茅子の背を支え、彼女の手から淡い光が広がった。
それは白に溶けず、逆に白の中に色を生み出していく。
虹色の髪がゆっくりとほどけ、光の粒を散らしながら、もとの白く艶やかな髪へと還っていく。
オパールの頬に涙が伝った。
「……そう、だったのね」
白の世界が静かに崩れ、色が戻っていく。展示室に再び風が流れ、観客のざわめきが蘇る。
オパールは茅子の前に立ち、微笑んだ。
「あなたの光は、黎明のもの。
私の白は、それを迎えるためにあったのね」
茅子は頷いた。
二人のあいだに、柔らかな光が漂う。
それは、夜明けの前にだけ現れる、ほんの一瞬の白だった。
第9章 トパーズの光
そろそろ秋も終わる頃、ルチル・ジュエリーの社内では街で行われる予定のアートフェスの準備が本格化していた。
茅子は新しい素材の扱いに苦戦しながらも、後輩である浜野の的確な助言に支えられていた。 彼の言葉はいつも穏やかで、厳しさの中に優しさがある。 同僚たちは二人の息の合い方に気づき始めていたが、茅子本人は気づかない。
ある日、下見のために二人で展示会場へ向かうことになった。 冬の風が冷たく、街には早くもクリスマスの飾りが灯り始めていた。 茅子は光の反射や風の流れを感じ取りながら、作品の構想を語る。 浜野はその横顔を見つめ、何度も言葉を飲み込む。
「……茅子さん、フェスが終わったら――」
彼は一瞬、言葉を止めた。
茅子が振り向く。
「え?」
「いや、なんでもないです。ほらそこの展示の照明、もう少し柔らかい方がいいかもしれませんね。」
浜野は笑ってごまかした。
彼の胸の奥では、 “クリスマス、一緒に見に行かないか”という言葉が何度も渦を巻いていた。 だが、声にはならなかった。 茅子は気づかず、展示会場の光を見上げて微笑む。
「この光、作品に使えそうですね。」
その無邪気な笑顔に、浜野は小さく息を吐いた。下見を終えた帰り道、 街のイルミネーションが二人の影を並べて照らしていた。
浜野はその光景を見つめながら、 「……まあ、今はこれでいいか」 と小さく呟いた。
数日後、社内にてアートフェスで行われるらしい即興デザイン大会のペア抽選が行われた。
透明な箱の中には、色とりどりの小さなボールが入っている。 司会役の社員が説明する。
「同じ色を引いた二人がペアになります!」
茅子は緊張しながら手を伸ばし、 掌に転がったボールを見つめた。 淡い琥珀色――トパーズのような光を帯びている。
「次、浜野くんどうぞ!」
浜野が手を入れ、ボールを取り出す。 それは、茅子のものと同じ色だった。 会場がざわめく。
「おお、同じ色だ!」
「茅子さんと浜野さん、ペア決定!」
茅子は驚きながらも笑顔を見せた。
「よろしくお願いします、浜野くん。」
浜野は少し照れたように頷いた。
「こちらこそ。」
その瞬間、茅子のイヤリングがかすかに光る。 ラピスが白い世界からその様子を見つめ、 静かに目を細めた。 彼の青い光が、ほんの一瞬だけ揺らいだ。
二人はその後、作品のテーマを話し合い、 抽選で引いた色であるトパーズを中心にしたネックレスを作ることに決めた。
「この色、温かくて優しい。きっと会場の光にも映えると思う。」
茅子の言葉に、浜野は穏やかに頷いた。
「うん、茅子さんらしい選択だ。」
アートフェス当日。 展示会場は賑わいをみせていた。たくさんの人並み。会場の熱気。
ふと、天井の金属フレームが軋み、照明器具のいくつかが小刻みに揺らいだ。
その一つが、茅子の頭上で不穏な音を立てた。 浜野が反射的に彼女を抱き寄せ、自分の体で覆った。
次の瞬間、重い機材が落下し、鈍い衝撃音が響く。
「浜野くん!」
茅子の叫びが会場に響く。
彼の頭から血が流れ、その場に崩れ落ちた。
床に散った赤が作品の中心に置いてあるトパーズのネックレスにも触れた。
その瞬間、トパーズが金色の光を放ち、 小さな少女の姿をとって現れた。
透き通るような肌、琥珀色の瞳。 彼女は茅子の作品の上に立ち、何が起きたのか理解できずに震えていた。
ぽたり、と赤い雫が彼女の頭に落ちる。 それが浜野の血だと気づいた瞬間、 トパーズの瞳が大きく見開かれた。
「いやあああああっ!」
彼女は甲高い叫び声を上げた。
空間が一瞬で凍りつく。
観客たちの動きが止まり、音も風も消えた。 世界そのものが息を止めたように静止する。
次の瞬間、空間全体が大きく振動した。 トパーズの髪が逆立ち、琥珀色の光が雷のように弾ける。
電気の奔流が展示会場を走り抜け、 照明が破裂し、ガラスが震え、空気が焦げる匂いが漂う。
茅子はその光景に息を呑んだ。
「トパーズ、やめて!」
必死に叫ぶが、茅子の声は届かない。 トパーズの小さな体は怒りと悲しみの光に包まれ、 その瞳には涙が浮かんでいた。
「どうして……どうして血が……!」
彼女の声は震え、空間の歪みがさらに広がる。 時間の止まった観客たちの姿が、光の粒となって揺らめいた。
その時観客たちの間からシトリンが現れ、
「トパーズが混乱してる! 浄化しないと……!」
と慌てて彼女に駆け寄る。
側にいたターコイズが低く息を吐き、
「シトリン、トパーズは任せた。俺は現場を抑える」
いつもの朗らかさは消え、的確で落ち着いた声で話す。 彼は人間の姿に近い形で現れ、浜野の脈を確かめる。
「頭部外傷……救急車を呼ぶ。茅子、しっかりして!」
ハウライトが白い羽根を広げ、浜野を守るように包んだ。
「波動が歪んでいる。私が結界を貼る。ラピス、歪みを修正するんだ」
「了解。」
ラピスの青い光が広がり、暴走するトパーズの波を包み込む。 シトリンがトパーズを抱きしめるように光を注ぐ。
「もう大丈夫、怖くないよ……」
その声に応えるように、トパーズの髪の光が次第に弱まり、 雷のような電気が静まっていく。 彼女の瞳から涙がこぼれた。
「……ごめんなさい」
小さく呟く。 世界が再び動き始める。 止まっていた観客たちが息を吹き返し、 破壊されたはずの照明や壁は、壊れる前の姿に戻っていた。
ただひとつ、浜野の怪我だけが現実として残っている。 ラピスの青い光が浜野の傷を包み、血の流れが止まった。
茅子は震える声で
「ありがとう……」と呟く。
ラピスはその声に微笑み、茅子の髪にそっと唇を触れさせた。
「もう大丈夫だよ。」
その言葉とともに、彼の姿は淡い光となって消え、イヤリングの中へと戻っていく。
その直後、遠くからサイレンの音が近づいてきた。 時間が完全に戻った世界で、救急隊員たちが駆け込んでくる。
浜野は担架に乗せられ、茅子はその手を離さずにいた。
「浜野くん……お願い、目を開けて……」
優しいお姉さんのようなタンザナイトがそっと茅子の肩に寄り添い、
「大丈夫。彼は君の声を聞いている」
と静かに告げる。 救急車の扉が閉まり、サイレンが夜の街に響く。
タンザナイトは茅子の隣に座り、 彼女の震える手を包み込むように光を灯した。
白い世界では、ハウライトが羽根をたたみ、 ラピスの肩を並べ横に座る。
「人の命の光は、僕らの想像を超える」
と呟く。 ラピスは遠くを見つめた。
「それでも、彼女の声が僕を導いた」
彼の胸の奥では、まだ微かに金の光が揺れていたが、 ハウライトの白がそれをやさしく包み込んでいた。
第10章 浜野の夢の中
浜野は夢の中にいた。なんとなく、ここが夢の中のようだと理解していた。
彼は白い霧がかった世界で、ぼんやりと様々なことを考えていた。体は実感がなく、宙に浮いたような感覚だ。
なんとなく、自分を守る石の精霊ハウライトの優しい気配がして、自分自身が回復していることを感じた。
明るい気配がして横を見ると、爽やかな好青年が浜野の隣にいた。ハウライトのように、インディアンのような装束だが、現代風にアレンジされたような着こなしに、魅力的な笑顔。
「やあ。きみ、大丈夫かい?」
「あ…どうも。えっと…」
「ああ、私はターコイズの精霊だ。ハウライトは昔からの親友でね」
「そ、そうですか…お見舞い
ありがとうございます」
ターコイズの後ろにハウライトもいた。彼は心配そうに浜野を見ている。
ターコイズはハウライトの親友だというが、彼はハウライトよりずっと若い見た目だ。まるでテレビの人気俳優みたいな美青年である。
「はは、きみは律儀な男だね。いいじゃないか、気に入ったよ」
「あ、ありがとうございます…そうだ、あの、茅子さんは無事ですか?俺はどうなって…いや、どれくらい時間…経ってますか」
「ははは、落ち着いてくれ。そうだな、きみが病院のベッドに着いてから3日過ぎてる。」
「3日…あ~あ…もう、間に合わにねぇ…はぁ」
「残念だが、クリスマスの告白とやらには間に合わなかったみたいだな。あんまり落ち込むな、きみの人生はまだまだ長いんだからな」
「そんな悠長にしてたら、俺がじいさんになっちゃうか、茅子がどっかにお嫁にいっちゃいますよ……はああ…」
「さて。その件なんだが。
ここはきみの心の中の世界だから、ハッキリ言わせてもらうよ。茅子さんのことさ。きみはどうしたいんだ?」
「どうしたいんだと言われても…はあ…茅子さん、全然気づいてくれないんです」
「おいおい、落ち込むなって…しっかりしろよ。
……もしかして、さ。君の茅子さんへの思いは、恋愛感情じゃないのでは?
私から見ると、きみと茅子さんの間からは姉と弟のような、やはり先輩後輩のような関係にしか…見えないんだが」
「うーん…確かに…俺が…ずっと茅子さんの後を追いかけているだけような気がする…」
「そうだろ?それはさ、恋愛とはちょっと違うんじゃないか?」
「うーん……」
「まあ、今は体の回復が大事だからさ、それはちょっと置いといて、よく休むんだ。答えはそれからでも遅くない。わかったな?」
青年は浜野の頭をクシャッと撫でた。それは優しい兄のような仕草だった。
安心したら、眠くなり。浜野の意識はだんだん遠くなった。
退院の日、冬の光が病室のカーテン越しに差し込んでいた。浜野は荷物をまとめながら、まだ少し重い頭を押さえた。包帯の下には、あの日の傷跡が残っている。
だが、痛みよりも胸の奥に残る温かい感覚のほうが強かった。
病院の玄関を出ると、冷たい風が頬を撫でた。街路樹の枝には、まだわずかに雪が残っている。
「……もう、年が明けるのか」
小さく呟いた声が白い息に溶けた。
会社の仲間たちからは「無理するな」と言われていたが、浜野はどうしても一度、ルチル・ジュエリーの工房に顔を出したかった。
扉を開けると、磨かれた金属の匂いと、懐かしい工具の音が迎えてくれる。
「浜野くん!」
振り向いた茅子が、驚いたように目を見開いた。
「もう退院したの? まだ安静にしてなきゃ」
「ええ、でも……どうしても来たくて」
浜野は少し照れくさそうに笑った。茅子はしばらく黙って彼を見つめ、それから柔らかく微笑んだ。
「……ありがとう。あなたが守ってくれたおかげで、私も作品も無事だった」
「そんな、大したことじゃ……」
「いいえ。あの時、あなたがいなかったら、私は――」
茅子の声が少し震えた。浜野は慌てて言葉を遮る。
「もういいんです。俺、あの時のこと、夢の中で少し考えました」
茅子が首を傾げる。
「夢の中?」
「はい。……不思議な人に会って、いろいろ言われました。俺、茅子さんのこと、ずっと“追いかけてる”だけだったみたいです」
「追いかけてる?」
「ええ。憧れてたんです。茅子さんの仕事の姿勢とか、光の見方とか。俺もあんなふうになりたいって」
茅子は少し驚いたように目を瞬かせ、それから静かに頷いた。
「……そうだったのね」
「だから、これからは俺、自分の作品をちゃんと作りたい。茅子さんの背中を追うんじゃなくて、隣に並べるように」
その言葉に、茅子はふっと笑った。
「うん、それがいいと思う。あなたなら、きっとできる」
窓の外では、冬の陽が少しずつ傾き始めていた。浜野はその光を見つめながら、胸の奥で静かに決意を固めた。
あの日の事故も、夢の中の言葉も、すべてが新しい始まりのためにあったのだと。
ラピスはその様子を茅子のイヤリングの中から、少しニヤニヤとして見ていた。
向かいの席でカフェオレを飲んでいた寺崎愛がおじさんのような口調で言った。
「おー、浜野。やるじゃないの!なんか男が上がったね!ケガの功名かな?」
「ぷっ、どこの社長さんだよ?寺崎。仕事はどうした?」
「やってまーす!あ、こないだのフェスのコンテスト、主催者からメール来てますよ。お二人の作品は、2位でした!おめでとうございます。
すでに、買い手もついたみたいです。あのトパーズのペンダントは、なんか有名企業のお嬢様がお買い上げ下さったみたいです。」
茅子の顔が明るくなる。
「わあ!よかった!頑張った甲斐があったわね。浜野くん!」
「は、はい。でも、2位ですか?1位はどのコンビだったんでしょうか…」
寺崎愛がパソコン画面を見ながら答える。
「えっと。もちろん、あのコンテストは、わが社以外もいっぱい参加してまして。1位の作品はターコイズのシルバーペンダントと指環のセットだったみたいです。どこのコンビかは、いまちょっとわかりませんが…」
茅子と浜野は、その作品に見覚えがあったようだ。
「ターコイズの…うわあ、あの作品かぁ。うん、確かに、石も上質な明るい色のターコイズだったし、ユニセックスなデザインで男女ともにつけられる感じがよかったですね。」
「ええ、あの作品ね。ターコイズは、カジュアルな服にも合うし、自分用でもプレゼントでも、喜ばれそうよね。
これからのシーズンで、友人同士や恋人同士で、ペンダントと指環を1つずつ持っても素敵だろうなと思っていたわ。」
「ターコイズは人気あるし、たくさん作るなら、やっぱりああいうのになるよなあ…シルバーの銀細工もかっこ良かったし。うん、勉強になりました。」
「なにか吸収できたなら、それで充分、参加した価値があったわ。お疲れさま、浜野くん」
「おつかれさん~浜野くん。今日はもういいから帰りたまえ。」
「だから、寺崎、その社長みたいなおっさん口調は何なのって(笑)それで、まだ俺今来たばっかりだし」
「ふふ、愛ちゃんったら、うちの社長は女性だったのに、なんか架空の社長作って遊んでるのよ」
「私、渋いおじさん口調が、なぜか最近気に入っててさ。はいはい。皆さん、仕事に戻りましょうか~」
いつもの楽しみながら仕事を進める、ルチル・ジュエリーだった。浜野はホームに帰ってきた安堵感と共に、これから成長する決意を固めたのだった。
第11章 新しい絆
冬の午後、ルチルジュエリーのオフィスには柔らかな陽が差し込んでいた。窓辺のガラス越しに光が反射し、机の上の宝石サンプルが淡くきらめく。
ドアが開き、明るい声が響いた。
「こんにちは。ターコイズ・クラフトの久瀬蒼真と申します。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
爽やかな笑顔で一礼する蒼真の隣には、静かな気品をまとった女性が立っていた。
「篠原紫苑です。タンザナイトを扱っております。どうぞよろしくお願いいたします」
応接スペースには、浜野、茅子、そして寺崎愛が待っていた。
愛は初対面の二人に少し緊張しながらも、丁寧に頭を下げる。
「寺崎愛です。ルチルジュエリーでデザインを担当しています。よろしくお願いします」
蒼真は柔らかく微笑み、穏やかに話し始めた。
「アートフェスでは皆さんの作品に感動しました。今日は、参加企業同士の交流を深めたくて伺いました。
僕たちは同じジュエリーを扱う仲間として、互いに学び合い、技を磨き合いたいと思っています」
紫苑が静かに続く。
「競い合うだけではなく、支え合うことで、より美しいものが生まれると信じています」
その言葉に、茅子が微笑みながら頷いた。
「素敵ですね。私もそう思います」
和やかな空気が流れたそのとき、ふと背後の空気が揺らいだ。
淡い紅の光が愛の背後に集まり、やがて人の形を取る。透き通るような肌に、深紅の髪が光を受けて輝いた。
「……ガーネット?」
愛が驚きの声を漏らすと、紅の精霊は優しく微笑んだ。
「そう。私はあなたの宝石精霊、ガーネット。
そして――」
彼女は視線を蒼真と紫苑に向ける。
「このお二人もまた、宝石の精霊。ターコイズとタンザナイトの化身です」
室内が静まり返る。
浜野も茅子も、愛も息をのんだ。
だが、蒼真と紫苑の穏やかな気配に、すぐに納得の表情が広がった。
蒼真は少し照れたように笑い、静かに語り出した。
「僕は、長い間人間界で暮らしてきました。旅をしながら、人々の手仕事や街の息づかいを見てきたんです。
人の作るものには、宝石とは違う温かさがある。
それを知ってから、僕は人と共に生きたいと思うようになりました」
紫苑がその言葉に優しく頷く。
「蒼真はいつも、人の中にある“光”を見つけようとするんです。私はそんな彼を支えながら、時に冷静さを保つ役をしてきました。
彼が迷うときは、夜空の星のように道を照らすのが私の役目です」
茅子は感嘆の息を漏らし、浜野は静かに頷いた。
「なるほど……だから、あなたたちの作品には人の温もりがあるんですね」
ガーネットが微笑みながら言葉を添える。
「宝石の精霊たちは、人の心に触れることで輝きを増す。この出会いもまた、きっと新しい光を生むでしょう」
その瞬間、茅子のイヤリングが淡く光を放った。
青い羽根のような光が舞い、ラピスが姿を現す。
彼は茅子の肩を後ろから包み込み、軽く羽根を広げながら蒼真に声をかけた。
「やれやれ茅子、きみの周りには何故こう宝石精霊が寄ってくるんだろうね。
久しぶりだな、ターコイズ。人間界では初めてか。俺のカヤナイトに色目は使うなよ?」
「ちょ、ちょっとラピス! あの、申し訳ございません、久瀬さん!」
茅子は真っ赤になって慌てふためく。
蒼真は朗らかに笑い声を上げた。
「はっはっは! ラピス、久しぶりじゃないか。元気そうで何よりだ。大丈夫、俺の性格は知っているだろう? 俺は一人の人間につくタイプではないと」
「まあ、そうだったな。それに、この間は茅子の部下を共に助けてくれて、感謝している」
「いいんだ、困ったときはお互い様だ」
浜野が目を見開いた。
「ああ、あなただったんですね! この間は本当にありがとうございました。後から病院で聞きました。一人の男性が、救急車が来るまでに適切な対応をしてくれたと」
蒼真は穏やかに頷いた。
「うん、君が元気そうで本当に良かった。ルチルジュエリーの社員だとは、知らなかったんだけどね。ハウライトにもよろしく」
オフィスの中には、驚きと安堵、そして再会の温かさが満ちていた。
宝石精霊たちと人間たちの絆が、静かに新しい光を放ち始めていた。
翌日。
オフィスで茅子は愛に申し訳なさそうに話した。
「あの…愛ちゃん。今年もこの時期が来てしまったのよ…」
「はい、わかってますよ。セダル氏の契約更新の時期ですよね…うげげ、やっぱり私が行くん…ですよね」
「本当に申し訳ないんだけど…お願いできる?あの人の銀細工の腕は、世界が認める一流なのよ。でも、あなたが嫌なら、もう諦めてもいいと思っているのよ。無理はしないでね?」
「はは、大丈夫ですよー。チャチャッとコスプレして、おっさんをデレさせて書類にサインさせてきます!」
愛は、オフィスの奥にあるクローゼットから、ごそごそと深紅のロリータドレスのセットを取り出していた。
新しいアクセサリーが出来た時のお披露目や、広告用の写真をとるために、オフィスには、それに合わせる衣装や靴のクローゼット、更衣室、撮影ブースが備え付けてあるのだ。
少し遅れて浜野が出社してきた。
「寺崎、その服は…セダル氏のところに契約更新に行くのか?大丈夫なのか?」
深紅のロリータドレスを着た愛の顔は、引きつった笑顔。
「はい。これ、ちょっと可愛いし、別に問題ないですよ。じゃ、行ってきま…」
「待って」
愛の腕を浜野が掴んだ。
そのまま、茅子のほうに顔だけ向けて言う。
「先輩、今回は俺も一緒に行かせてください。いいですよね?セダル氏の対応次第では、会社としての立場をきっちり示してきます。いいですよね?」
茅子は頷いた。
「いいわ、浜野くん。私が責任を持つ。いってらっしゃい。」
愛のアンクレットから、ガーネットの精霊の声が聞こえた。
「私も一緒だ。心配ない」
愛は、今までは自分一人だけが我慢すればいいと思っていた。でも今では頼もしい仲間がいて心強い。
これなら、セダル氏のエスカレートした行為に、はっきりと「嫌です!」と言えるかもしれない。
セダル氏は、ルチル・ジュエリー専属の銀細工師で、腕前は世界随一と賞されているのだが、他の銀細工職人達と共に工房で仕事することを好まず、彼だけ都市部から離れた郊外の屋敷に住んでいる。
郊外の丘を登りきった先に、セダルの屋敷はあった。
冬の午後の光を受けてもなお、どこか冷たく沈んだ灰色の石造り。門扉には繊細な銀細工が施され、蔦のような模様が絡み合っている。
だが、その美しさの奥に、どこか人を拒むような硬質さがあった。
玄関前の石畳は磨き上げられているのに、周囲の庭には花のひとつも咲いていない。風が吹くたび、乾いた木々がかすかに軋む音だけが響く。
愛がノッカーを叩くと、金属の音が屋敷の奥へと吸い込まれていった。
しばらくして、重い扉がゆっくりと開く。中から流れ出た空気は、銀と薬品の匂いが混じったような、冷たい金属の香りだった。
玄関ホールには、大小さまざまな銀細工が飾られている。光を受けて淡く輝くそれらは、まるで命を持つかのように静かに佇み、訪問者を見つめているようだった。だが、その美しさの裏に、どこか張り詰めた孤独が漂っていた。
愛は思わず息を呑み、浜野と視線を交わした。
屋敷全体が、主の心を映す鏡のように感じられた。
愛が静けさを破るように浜野に言った。
「毎回なんだけど、このお屋敷は本当に緊張するのよ」
「わかる気がするよ。でも今日は寺崎1人じゃないからな。ちょっと深呼吸しようか。さあ、気合入れていこう」
第12章 セダル氏の条件
二人は、広い玄関ホール中央の真紅のビロード絨毯が敷いてある、大きな階段を上がっていく。セダル氏の部屋は2階の奥の部屋だ。浜野は顔が少しこわばった愛に対し、小さな声で言った。
「寺崎、いつもどおり話すのが無理なら、今日は何も話さなくてもいいよ。うなづくとか、最低限の返事をするくらいで。嫌な質問は同じ質問で返しておいて」
「わかった、ありがとう。でもまあ、できるだけいつもどおりにするね」
ひとつ深呼吸して、愛はセダル氏の部屋のドアを叩いた。
「失礼いたしまーす、ルチルジュエリーの寺崎でございます……」
「待っていたよ、入りたまえ」
ドアの小窓についたカメラが動き、オートで開いた。奥の黒檀の机にセダル氏が座っていた。
「その方はどなたかな?お迎えなら、門の前までと言っておいたはずだが。何をしているんだ君、はやく帰ってくれ」
嫌な虫でも追い払うように、セダル氏は手を振った。すかさず浜野が挨拶をした。
「初めまして、ルチルジュエリーの渉外担当の浜野です。本日は寺崎と一緒に新年のご挨拶と契約のご確認に参りました」
「新年のご挨拶?は、今までそんなことはメールですませていたじゃないか。何故今年だけ?ああ、うちは神道仏教関係ないんだ、そういうのはけっこう。帰ってくれたまえ。契約なら、今から愛くんと、じっくり確認させて頂くよ、じっくりとね……」
愛の顔が青ざめていく。手を握りしめ、何か言わなければと口を開こうとした。そこで浜野が一歩前へ出た。
「いえ、そういうわけには参りません。今年は我が社とセダル様の契約更新の大事な年です。いくつか、ご確認頂きたい事項もございまして。お時間とらせて頂けないでしょうか」
「君もしつこいな、だから今から愛くんと確認するんだよ、邪魔なのがわからないのか?はやく立ち去ってくれないか。野郎と話す時間なんて、私にはいらないんだよ」
「そのことなんですが。本日は、寺崎は私のアシスタントとして随行しております。ご契約時2回目以降、セダル様からぜひ寺崎を担当にというご要望がありましたので、いつも寺崎に契約更新に伺うよう手配させて頂いていたのですが……」
浜野は少し声色をつめて話した。 相手に真意が伝わるように。できるなら、手荒な手段には出たくない。
「いかにも。何故今頃そんな話を持ち出すんだね」
「最近、寺崎に対してのご要望があまりにもエスカレートしているのではないかと。僕の言いたいことは、ご理解頂けますよね?」
「な、なにを、言っているんだ、君の話すことは全く理解出来んよ。もしや愛くん、君がなにか彼に告げ口したのかね?」
愛が口を開こうとすると、またもや浜野が遮るように前に出て手を伸ばす。
「セダル様。寺崎もここへ遊びに来ているわけではございません。もちろん仕事が終了すれば会社へ戻り、1日の報告書を書かなければなりません。今までずっと彼女はお給料分の職務を全うしてきました。それは当然のことですよね?」
「そ、そんなことは当たり前だろう、だが私の知ったことではない。私は世界に通じる腕を持っているんだ、愛くんから、芸術のインスピレーションをもらっていたんだ、それの何が悪いんだね?」
「もちろんです、うちの寺崎から芸術のインスピレーションを受け取って頂けるなんて、光栄の極みですよ。僕がお伝えしたいのは、そうではなく」
「なんだね、勿体つけないで話してくれたまえ、時間の無駄だ」
「では、セダル様。単刀直入に話させて頂きます。寺崎に対するセクハラ行為を、やめて頂きたいです」
「な、なんだと!私がいつ…」
「寺崎にこのようなロリータ衣装を着せることまでは、芸術のインスピレーション的な観点からは許容範囲でしょう。あなたの世界観を壊さないようにと、こちらも暗黙の了解としておりました。
しかしですね、商談時に服を脱がせる、下着姿にさせる、何か固定したポーズやセリフを言わせるなど。これらエスカレートした行為は、明らかにセクハラです。おわかり頂けますか」
「君はなにを…あ、愛くん!私との美しい思い出を、まさか、すべて会社に話してしまったのかね?私との秘密は?」
そこで愛も笑顔で口を開いた。
「えっと、秘密って何ですか?」
「き、きみ…!け、契約違反だ、こんなのは契約違反だ!全くもって失礼じゃないか!なんだ、その男は!君の彼氏なのか?結局はきみの彼氏なんじゃないのか?きみは、彼氏はいないと言っていたじゃないか!嘘だったんだな?え?」
愛は笑顔で答えた。
「契約違反とは何ですか?」
浜野が間髪を入れず続けた。
「ちなみに、私と寺崎の関係は単なる上司と部下です。それだけですよ。しかし、寺崎に彼氏がいるかいないかという様な個人的な内容は、ここで答える必要はないと思います」
セダル氏の顔色が変わった。
「ああそうかい!それなら、今夜かぎりでこの契約は打ち切りだ!今後一切、私の屋敷へ来ないでくれ!私の銀細工の仕事は今日で終わりだ!もう何も作らない!この腕は今日死んでしまった!君たちのせいだ!」
セダル氏は近くにあった彼の作品や調度品などを、怒りに任せて次々と投げ捨てはじめた。
彼が美しい銀細工のティアラを地面に叩きつけた時だった。 そのティアラを飾ってあった紫水晶のクラスターがまばゆい光を放った。
光が去った後、机の前に、目を見張るような美しい女性が立っていた。
「我が主よ。私はアメジストの化身です。どうか落ち着いて下さい。ご自身の心をこれ以上、濁らせないで下さい」
「な、なんだね君は!また!またもや私の許可無く!もう私は許さないぞ!誰もくるな!」
セダル氏の後ろに控えていたアメジストの茨が、さらに鋭さを増して膨れ上がった。紫の光が部屋の隅々まで反射し、黒檀の机も、壁に掛かった装飾も、すべてが冷たく切り取られたように見える。
「しかし…許せませんね。」
低く、静かな声だった。けれど、その奥には、抑えきれない怒りがはっきりと宿っている。主人の美学を侮辱されたことへの憤りが、紫の輝きとなってその身から立ちのぼっていた。
アメジストが指先をわずかに動かした。すると、無数の紫の棘が鋭い音を立てて空へ弾け、次の瞬間、セダル氏の周囲へ一斉に殺到した。
棘はまるで宝石そのものが砕けて舞い散るように集まり、煌めく棺となって四方から絡みつき、セダル氏の姿を包み込んでいく。
紫の光が幾重にも重なり、鋭い棘の輪郭がきらきらと輝く。その中心に立たされたセダル氏は、まるで怒りの結晶の中に閉じ込められたかのようだった。時を止めた視線だけが、険しく、冷たく、真っ直ぐに向けられている。
「あなた方は、主の美学を侮辱しましたね。踏み入れてはいけない領域を超えたのです」
アメジストの声は静かだった。だが、その静けさは、怒号よりもずっと鋭い。侮辱された美への執着と、許しがたいという確信が、言葉の一つひとつに冷たく刻まれていた。
その瞬間、浜野の胸元のハウライトが、白く静かに輝いた。
浜野が片手を差し出すと、光はすっと人の輪郭を結び、白い石肌をした、逞しいインディアンの大男へと姿を変える。
大男は何も言わない。ただ、逞しい片腕を静かに前へ差し出した。
揺るぎない半円状の白い防壁が、そこにあった。
紫の棘は、その白い壁に真正面から叩きつけられる。高く乾いた音が連続して響き、棘は触れた端から勢いを失って弾き飛ばされた。何本も、何本も。だが白い防壁はびくともしない。むしろ、棘を受けるたびに清冽な光を増し、より強くそこに立ちはだかっていた。
一方で、愛のアンクレットのガーネットが深い紅を帯びて脈打っていた。立ち上る気配と共に、ガーネットの精霊が出現した。棘のある紅いドレスを纏った背の高い女性のような姿だが、瞳はとても好戦的だ。その光は熱く、鋭く、今か今と戦いの機会を待ち望んでいたかのように強く燃える。
「あなたのために戦う日を待っていたのよ、愛!」
紅い光が立ちのぼり、彼女の意志に応じて、無数の短いダガーが次々と現れる。
一本一本はアメジストの棘より少し大きい。けれど、短く、鋭く、数は圧倒的だった。短く、鋭く、どこまでも紅く燃える刃の群れが、彼女の周囲に幾層にも重なっていく。
「ふん、私にその小さな棘で攻撃を? 面白い」
ガーネットが腕を振る。紅い短刀が一斉に飛ぶ。一つ、二つではない。彼女の意思が続く限り、次から次へと、尽きることなく赤い刃が放たれていく。
紫の棘と、紅いダガーが、空中で真正面からぶつかった。
ぱりん、ぱりん、と乾いた破裂音が連なる。棘はダガーに弾かれ、ダガーは棘を裂き、互いに勢いを削り合いながら次々と弾け飛ぶ。紅と紫の破片が、狭い部屋の中で四方へ散り、まるで夜空に咲く花火のようにきらめいた。
一つぶつかるたび、光が散る。また一つ飛べば、次の破片が舞う。紅い欠片が尾を引き、紫の破片がそれに応えるように弾けて、空間そのものが燃え上がるようだった。
その光景の中で、ハウライトの白い防壁が前に張られ、飛び散る破片の一部を受け止め弾き返す。周辺の破片は、白い球面に触れると、光の粒になって消えていく。
ハウライトの大男は、何も言わない。ただ、逞しい片腕を据えたまま、守るべきものを静かに包み込んでいた。紅と紫が激しく踊るほど、その白の守りは、なおいっそう静かに、確かにそこにあった。
「……そちらは、守るだけですか」
アメジストが低く呟く。だが、その声音にはわずかな苛立ちが混じっている。茨はなお鋭いままなのに、先ほどまでの勢いは少しずつ乱れ始めていた。
その隙を、ガーネットは見逃さなかった。
「おい、あんたの相手はこっちにいるじゃないか!」
紅い光が、さらに強く立ちのぼる。彼女は指先をわずかに持ち上げ、次の瞬間、また無数の短いダガーを呼び出した。紅い刃は、意思ひとつで増え、角度を変え、飛ぶ先を変える。まるで生き物のように、アメジストの棘の隙間を縫っていった。
アメジストも応じる。茨は床を這うように伸び、天井へ跳ね、横から紅い刃を絡め取ろうとする。だが、ガーネットのダガーは速い。棘の先端が伸び切るより早く、紅い刃がそれを断ち切る。
ぱきん、と軽やかな音。
紅い刃が紫の茎を切るたび、紫の棘は空中でほどけるように散った。けれど、切られてもなおアメジストの茨は止まらない。弾けた先から新しい棘が咲き、次の紅い刃へ向かって飛ぶ。
紅と紫が、何度も、何度も交差する。その一つひとつが火花のように弾け、花びらのように散って、部屋の中を彩っていく。
ガーネットとアメジストはお互いに傷つき、空中に舞っている物質が、血飛沫なのか宝石の破片なのか、もうわからない。これほど戦いは苛烈なのに、そこに生まれる光景だけは、どこか異様なまでに美しかった。
そして突然、その張りつめた空気を、ふわりとほどく声が降ってきた。
「はいはい、そこまでそこまで~」
場違いなほど軽やかな声。次の瞬間、フローライトが宙をふわりと舞うように現れた。
ひらりと床に降り立つと、彼女は両手を軽く広げ、困ったようでもあり、楽しそうでもある顔で周囲を見渡した。
「もー、みんなちょっと荒れすぎ。空気、ピリつきすぎだってば~」
そう言うと、フローライトは軽く指を鳴らした。
ぱちん、と乾いた音がした瞬間、部屋いっぱいに薄い緑がかった虹色の膜がふわりと広がる。それは水面のようにやわらかく揺れながら、割れた壁や壊れた家具、散乱していた調度品を包み込んでいった。
次の瞬間、ひび割れていた柱がすっと直り、倒れていた椅子が音もなく元の位置へ戻る。裂けていた布地も、砕けていた飾りも、まるで何事もなかったかのように整えられていく。荒れ果てていた部屋は、あっという間に元の落ち着いた姿を取り戻した。
フローライトは、もう一度、指を鳴らした。
ぱちん。
今度は、キラキラと星くずのように瞬く無数の細かい破片が、ふわりと現れた。それらは空中でやさしく舞いながら、ガーネットとアメジスト、ハウライトの体の傷にそっと集まって、あっという間に治癒させた。
そして、アメジストの砕けた棘の破片や、ガーネットの割れたダガーの欠片を包み込んでいく。
星の粒は一つひとつが小さな光を孕んでいて、触れたものをそっと持ち上げるように、けれど逃がさぬように包んだ。
そして――
ぱちん。
乾いた、けれどどこか心地よい音とともに、すべてが無に帰った。
床の上から棘も刃も消え、空気に残っていた殺気のような気配すら、すうっとほどけていく。さっきまでの激しいぶつかり合いが嘘だったみたいに、部屋には静けさだけが戻った。
フローライトは満足そうに小さくうなずく。
「ほら、これで治療とお掃除完了。これなら、ちゃんとお話できるでしょ?」
フローライトの声が、静まり返った部屋に響いた。
「ほら、みんな落ち着いて、これからのことを話しなよ?ね?」
一瞬、誰も何も言えなかった。
散らかっていたものも、壊れていたものも、さっきまでの苛烈な気配すら、すっかり消えている。
まるで最初から何も起きていなかったかのような、妙に整った空気だけが残っていた。
アメジストの茨から解放されたセダル氏は、呆然と立ち尽くしていた。
さっきまで怒りに任せて荒れていた顔には、今や困惑と屈辱が混ざっている。
だが、目の前にいる者たち――白い肌の大男、紅いドレスの女性、紫の茨の美しい化身、そして何でもなかったような顔で立つフローライト――を見ているうちに、その表情は少しずつ変わっていった。
「……なんだね、今のは」
絞り出すような声だった。
「私の部屋を、勝手に直したのかね」
フローライトは、こてんと首をかしげた。
「だって、もうぐちゃぐちゃだったし。
そのままお話なんてできないでしょ?」
「そういう問題ではない!」
セダル氏は思わず声を荒げかけたが、すぐに口をつぐんだ。
目の前の空気は、もう先ほどのような刺々しさを持っていない。
ハウライトの白い守りは静かに浜野の後ろに立ち、ガーネットはいつでも飛び出せるような顔をしながらも、今はじっと愛の横で様子をうかがっている。
アメジストもまた、茨をたたえたまま、黙って主の背後に控えていた。
浜野が一歩前に出た。
「セダル様。
改めて、契約更新のお話をさせて頂きたく存じます」
「……まだそんな話をするのかね」
「もちろんです。そのために来たんです。ですが、その前に、こちらの条件もお伝えしなければなりません」
セダル氏は鼻を鳴らした。
「条件だと?」
「はい。
今後、寺崎が単独でこちらに伺うことはありません。
必ず私が同席します。
また、仕事と関係のない個人的な会話や、寺崎の服装、私生活、交友関係に踏み込むこともおやめください」
「……」
「そして、寺崎に対するご要望が、仕事の範囲を超えないこと。
これが、契約更新の最低条件です」
セダル氏は、しばらく何も言わなかった。
だが、その沈黙の奥には、まだ簡単には折れたくないという意地があった。
「つまり、私はもう愛くんと二人きりで話せない、と」
「はい」
浜野は迷いなく答えた。
「そういうことです」
セダル氏の眉間に、再び皺が寄る。
だが、すぐに視線が横へ流れた。
そこには、無言で立つアメジストがいた。
紫の瞳は静かだった。けれど、その静けさは明らかに、主を見守るというより、主の言動を見極めている目だった。
「……アメジスト」
セダル氏が小さく呼ぶ。
アメジストは、静かに頭を下げた。
「はい、主よ」
「君まで、私にそんな目を向けるのか」
「私は、主の作品を尊びます。
ですが、主の心が濁ることまでは望みません」
その言葉に、セダル氏は目を見開いた。
怒っている。
だが、以前のようにやみくもではない。
傷つけられたくないというより、認めたくないものを突きつけられた顔だった。
フローライトが、困ったように笑う。
「ね?
みんなちゃんと、言いたいことがあるんだよ。
おじさん、ちゃんと聞いてあげなよ?」
セダル氏は、深く息を吐いた。
そして、乱れていた髪を片手でかき上げると、ゆっくりと椅子へ歩み寄った。
その動きには、先ほどまでの荒々しさが少しだけ薄れている。
「……わかった」
浜野がわずかに目を細める。
「本当ですか」
「私は、契約を打ち切るとは言ったが、完全に終わりにするつもりはない。
ただし、条件がある」
今度は浜野が沈黙した。
セダル氏は、まっすぐに愛を見た。
「愛くん。
君は今後も来るのだろう?」
愛は少し困ったように浜野を見たあと、いつもの調子を取り戻すように微笑んだ。
「えっと、契約更新が続くなら、伺います」
「そうか。ならばよい」
セダル氏は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「では私の条件も聞いてもらおう。
第一に、愛くんの同行は今後も必要だ。
第二に、仕事の話は必ず最初にすること。
第三に、私の作品に口を出すな。
だが――」
そこで彼は、わずかに言葉を区切った。
「――愛くんに危害を加えるようなことは、私もしない。
それは約束しよう」
浜野の表情が、ようやく少しだけ和らいだ。
「承知しました。
それなら、こちらも条件を守りましょう」
「それから」
セダル氏は、まだ少し不機嫌そうに、しかし以前ほどではない声音で続けた。
「今後は、愛くんの服装について余計なことは言わない。
……だが、君のロリータ衣装はよく似合っている。作品の一部としては、悪くなかった」
愛がぱちぱちと瞬きをする。
「……ありがとうございます」
浜野は、すかさず釘を刺した。
「“作品の一部として” というのは、やめてください」
セダル氏はむっとした顔になったが、今度はすぐに言い返さなかった。
アメジストが小さく咳払いをする気配があったからだ。
フローライトが、ぱっと手を叩いた。
「はい、じゃあ話し合い成立ってことで!
ちゃんと契約の話、進められそうじゃない?」
「……まあ、そういうことになるのかね」
セダル氏はまだ完全には納得していない顔だったが、それでも椅子に座り直した。
そして、机の上に残っていた契約書の束を、指先で整える。
「ならば、続きを始めよう。
更新の条件は、私も譲れないところがある。
芸術家としての尊厳だけは守ってもらうよ」
浜野は軽くうなずいた。
「ええ。
その尊厳を守るためにも、寺崎への配慮を条件に入れております」
「……本当に、君は手厳しいな」
「それが私の仕事ですから」
沈黙のあと、セダル氏はふっと短く笑った。
悔しそうでもあり、ようやくこちらを認めたようでもあった。
「よろしい。
では、契約更新の話をしよう。
今度は、最初から最後まで、きちんと」
その言葉に、部屋の空気がようやく動き出した。
フローライトは満足そうに指先をくるりと回し、アメジストは静かに主の背後へ下がる。
ハウライトとガーネットも、戦いの構えをほどいた。
こうして、ようやく――
セダル氏の「条件」をめぐる話し合いが、本当の意味で始まった。
「では、私から確認します。
まず、こちらの契約更新書ですが――」
浜野がそう切り出した、そのときだった。
セダル氏が、ふと机の上の書類を見下ろして、眉をひそめた。
「……いや、その前にひとつだけ」
「なんでしょう」
「先ほどの件だ。
今後は、性的な会話はしないこと。
その点については、私も了承する」
愛は少しだけ目を丸くした。
浜野は、短くうなずいた。
「ええ。
それでお願いいたします」
セダル氏は、ようやく納得したように頷いた。
そして、ペンを手に取る。
最終的な、サインまで完了させた。
「では、これで契約更新だ。」
浜野は内心安堵しながら、それを悟られないよう、事務的に応える。愛も同時に頭を下げた。
「はい、これからもルチルジュエリーの銀細工師として、お仕事よろしくお願い申し上げます。」
アクアガーデン・カフェにて
午後の柔らかい光を受けて、早春のアクアガーデンは噴水の飛沫を浴びて、輝いているように見える。
蒼真はいつもの席でコーヒーを飲んでいた。
ガラス戸1枚を隔てて、向こうには美しい景色。
このガーデンには、桃の木がたくさんある。桃の花が今咲き誇っている。噴水の水面にたくさんの花弁を落としている。彼女によく似た可愛い花だ。
若い頃は旅が好きで、よく旅人を導いてきたが、帰ってくるといつもここへ来ていた。ここの雰囲気が好きで、少し働いていた時期さえある。
(やあ、また来たんだね)
頭に直接響く声。
ターコイズの精霊である蒼真に、直接話しかけてくるのは、同じ石の精霊であるアクアマリンだ。
彼は噴水の縁に座っている。人間からは見えない存在だ。蒼真の長年の友である。
(ここって、落ちつくよね。それ、いつも飲んでるけど。美味しいのかい?)
(まあな。よその店よりは、美味いぞ。香りもいい)
(ふぅん。僕も今度、ブラッドストーンに淹れて貰おうかな)
(いつもそう言うじゃないか)
(はは、まあその必要がないんでね。でもガラス戸の隙間から、よい香りがするなとは思っているよ)
(それは焙煎する時の香りだな)
(へぇ、そうなんだ。うわ…)
アクアマリンは、騒々しい人間たちが苦手だ。店内の騒がしさを感じて、すっと姿を消した。
マグカップを口元に持っていきながら、蒼真は入ってくる人々のほうを漠然と見る。
騒々しい男の子兄弟が、親の制止を振り切って、大声で歓声を上げながら走り回っていた。
蒼真は小さな兄弟たちと目が合った。何も言わなかった。ただ彼らの瞳をじっと見つめる。
小さな兄弟がだんだん動きを止め、自然に蒼真の側に近寄る。
彼らは、蒼真の視線の先の美しい景色に出会う。
「うわあ!お花いっぱいだ」
「きれーだね!噴水のとこ行きたーい!行こうよ!」
「あれ?ドア開かない…」
「カギかかってる!」
「え…ほんとだぁ」
子どもたちはバンバンと、ガラス戸を無邪気に叩いている。
「君たち、うるさいぞ。
少し静かにしてくれないか。」
蒼真の瞳が青みを増して、子どもたちの瞳をじっと見つめる。
「ご…ごめんなさい…」
「割れてないよ…」
「叩き続けていたら、いずれ割れてしまう。それに、外の桃の花が全部、散ってしまうんだ。あそこに住む小さい動物たちも、驚いて耳を塞いで隠れている。
だからもう、ここでうるさくするのは止めてくれないか?」
「は、はあい…」
「わかった…」
パタパタと、あっという間に兄弟たちは去っていく。
騒々しいのは苦手だ。けれど、子どもたちが笑いながら走れる世界まで、嫌いになったわけではない。
彼女が生きていたのも、きっと、そんな人間の世界だった。
もし彼女が生きていたら、自分たちの間にも、こんな子どもたちが、出来たのだろうか。
そんな事を考えてしまう。
もう数百年前の出来事なのに。どうしても忘れられない笑顔がある。
アクアマリンが噴水の縁に戻ってきた。
(ああ、やれやれ。やんちゃ坊主たちを追い払ってくれてありがとう)
(可愛いもんだ…)
(かわいいかなぁ。本当に、君は変わってるよ…昔からだけど)
(主人を持たない主義のお前に、言われたかないよ)
(僕は自由を愛しているのさ。そしてこの自然をね。もちろん人間も自然の一部)
(ああ、そうだな…)
(きみはまだ…あの人のことが忘れられないんだね。桃の花が心配しているよ)
(そうか…すまんな)
そんな会話をしていた。
一般の人間から見れば、イケメンがマグカップを口元に持っていっているだけ、ただのそんな風景だ。
午後の柔らかい光のなかで、いつものように、彼は友と語り合っている。
お互い、人間に対して喪失感がある。しかもそれが、人間に由来している事が、お互いの気配から感じられていた。
あまり踏み込んだことは、特に聞いていない。それでも、彼らは長年の友だ。
午後の柔らかい陽射しのなか、噴水の水面は、今日も美しく日光を反射していた。
第14章 春が運ぶ出会い(前編)
四月の朝。
ルチルジュエリー社の工房には、開け放たれた窓から柔らかな春風が入り込んでいた。
冬の名残を含んでいた冷たい風は、いつの間にか穏やかなものへと変わっている。通りを行き交う人々の服装も軽くなり、街路樹の枝先には小さな新芽が顔を出していた。
淡い緑の葉が朝の光を受け、きらきらと輝いている。
茅子は作業台の上に並べられた宝石を眺めながら、ふと手を止めた。
「もう四月だね…早いね…」
「どうしたんだい、茅子。急に懐かしそうな顔をして」
向かいの席で作業をしていたラピスが、顔を上げる。
茅子は手元の宝石を指先で転がしながら、窓の外へ目を向けた。
「春になると、ラクスことを思い出すの」
「ああ、久しく会っていないからか?」
「うん。イスキア芸術祭からかな。あれから、もう八年になるんだよね」
茅子は、遠い記憶をたどるように目を細めた。
ラクスとは、ルチルジュエリー社の前社長が亡くなった、あの事故をきっかけに知り合った。
その後、ラクス王女の戴冠式で使われるティアラを茅子たちが手がけた。それは日本にも伝わり、ルチルジュエリー社は無事に復活することができた。
身分も立場も違う二人だったが、ラクスはいつも気さくで、明るく、開放的だった。王女という立場を感じさせない親しみやすさがあり、茅子とは少しずつ友人としての距離を縮めていった。
ラクスに招待してもらった、イスキア王国の芸術祭では、オパールの一件に巻き込まれた。あの出来事を乗り越えたことで、ラクスとの友情は、さらに深いものになった。
「ラクス、元気でいるかなぁ」
茅子は、少し寂しそうに呟いた。
芸術祭のあとも、ラクスとは何度か手紙を交わしていた。
けれど、王女としての公務に追われるラクスと、ルチルジュエリー社で働く茅子が、直接会う機会はなかなか訪れなかった。
「手紙では、元気だと書いてあったじゃないか」
ラピスが言う。
「そうだけど、やっぱり直接会いたいよ。あの子、相変わらず明るくて開放的なのかな」
「君が知っているラクスなら、きっと変わっていないさ」
「そうだといいな」
茅子は、芸術祭のときのラクスを思い出した。何か起きるたび、考えるより先に茅子の手を取って動き出したこと。
そして、すべてが終わったあとには、重くなりかけた空気を吹き飛ばすように笑っていたこと。あの笑顔は、今でもよく覚えている。
「また会いたいな」
茅子がそう呟いたときだった。ラピスが、ふいに顔を上げた。彼の視線が、開け放たれた窓の外へ向けられる。
「……どうしたの?」
茅子が尋ねると、ラピスは答えず、しばらく春風に混じる気配を探っていた。
やがて、どこか楽しそうに口元を緩める。
「茅子、君にも新しい出会いがありそうだ。イスキア王家の使い、翡翠の精霊の気配がする」
「翡翠の精霊が?」
茅子は驚いて、ラピスのほうへ向き直った。
翡翠の精霊は、イスキア王国に代々仕え、王家を守り続けてきた精霊だ。
芸術祭のときにも、茅子の前に現れ挨拶をしてくれ、中を案内してくれた。
柔らかな物腰と、落ち着いた佇まい。王家に仕える精霊らしい気品と礼儀正しさを備えた女性だった。
けれど、その穏やかな表情の奥には、イスキア王家を守る者としての揺るぎない覚悟があった。
ラピスは窓辺へ歩み寄った。
「ふふ、賑やかになりそうだ。それと……僕よりも強くならないでくれよ?」
茅子はきょとんとした。
「なにそれ?」
その直後、工房の空気が変わった。
棚に並べられた宝石が、かすかに震えた。カーテンから、優しい春風がすっと入ってきたかと思うと、床の上に淡い緑色の光が集まり、細かな光の粒が輪を描き始めて。
光はやがて、ひとりの女性の姿へと変わっていった。長い髪が、淡い光の粒をまといながら静かに揺れる。翡翠色の瞳が開かれ、工房の中を穏やかに見渡した。
光の中から現れた翡翠の精霊は、茅子とラピスの前まで進む。そして、背筋を正すと、優雅に一礼した。
「お久しぶりでございます、茅子様。ラピス」
「翡翠!」
茅子の顔に、懐かしさが広がる。
「久しぶり。イスキア芸術祭以来だよね?」
「はい。あの美術館での出来事以来でございます」
翡翠は、上品な微笑みを浮かべた。
「茅子様には、あの節も大変お世話になりました」「私こそ。あのときは、翡翠にも助けてもらったし……」
茅子は、八年前の美術館を思い出す。
展示品の奥に潜んでいた異変。暴走したオパール。
そして、その力が浄化されたあとの静けさ。
「ラクスは元気?」
茅子が尋ねると、翡翠の表情が柔らかくなる。
「はい。ラクス王女殿下は、お変わりなくお元気でございます」
「そう。よかった」
「相変わらず明るく、開放的でいらっしゃいます。周囲の者を驚かせることも多くございますが……」
「やっぱり変わってないんだ」
茅子は嬉しそうに笑った。
「また会いたいと思っていたの。手紙はもらっていたけど、やっぱり顔を見て話したいから」
「王女殿下も、茅子様にお会いしたいと、以前からおっしゃっておいででした」
「本当に?」
「はい」
翡翠は、茅子をまっすぐ見つめた。
「本日は、王家を代表して、お先にご挨拶へ参りました。明日、イスキア王国よりラクス王女殿下とご家族が、こちらへいらっしゃいます」
茅子の声が弾んだ。
「本当に?明日!?久しぶりに会えるんだね!」
茅子の表情が、ぱっと明るくなる。
「で、でも明日!?そんな突然…準備どうしよう、ラピス?」
ラピスは肩を震わせて笑うのをこらえている。
「え~と、何を話そうかな。話したいことがたくさんあるし…は!そんな場合じゃないわよね…」
翡翠が穏やかに続ける。
「明日は非公式でのご訪問となりますが、もちろん、明日はヒロト王陛下もご同行なさいます」
「え、ヒロトさんも!?」
ヒロトは、ラクス王女の伴侶としてイスキア王国へ迎えられた、日本人の男性だった。
結婚式のときには、ラクスのそばにいたものの、ヒロトは婿入りしたばかりだったので、王家の一員として覚えることも多く、茅子たちとゆっくり話す時間は、ほとんどなかった。
穏やかで礼儀正しい人だった印象がある。たしか、空手と剣道の使い手だという話は聞いていたが、その腕前を間近で見る機会もないまま、茅子たちはイスキア王国をあとにした。
「そういえば、芸術祭のときも、ヒロトさんとはあまりゆっくりお話しできなかったよね」
「当時は、まだ王女殿下の伴侶となられたばかりでございましたから。王家の一員としてのお務めも多く、お忙しくしておられましたので」
「そうだったよね」
「現在は、ラクス王女殿下の伴侶として、イスキア王国の王として、日々を支えておられます」
「今は、すっかり王様らしくなっているのかな」
「はい。さらに、武術の師範として、王族や騎士たちに、ご指導もされております」
「王様で、ラクスの伴侶で、武術の師範かぁ…すごいね…」
茅子は、久しぶりに会うヒロトの姿を思い浮かべた。
翡翠はまだ話を終えていなかった。
「そして、お二人のお子さまもこちらへお越しになります」
「……お子さま?」
茅子の笑顔が止まった。翡翠は静かにうなずく。
「はい。ラクス王女殿下とヒロト王陛下のお子さまたちでございます」
茅子は翡翠の顔を見つめたまま、何度かまばたきをする。
「え…ラクスに…子どもが…?」
「はい」
あまりにも自然に返されたため、茅子は一瞬、聞き間違いかと思った。
「いつの間に…」
「お二人は、もう七歳になられます」
「二人って…ちょっと待って、まさか……?」
茅子が目を見開く。
その隣で、ラピスは、こらえきれないように肩を震わせながら笑っている。
「はい。アカリ姫とリオ王子です。お察しのとおり、お二人は双子でいらっしゃいます」
翡翠は、茅子とラピスのやりとりを微笑ましそうに見守りながら、優雅に答えた。
「ラクスが、お母さんで……ヒロトさんが、お父さんで……二人の子どもが…で、もう七歳……?」
ラピスが苦笑しながら、茅子を見つめる。
「ようやく状況がつながってきたね」
「だって、私、何も聞いてないんだもん…」
茅子は翡翠へ向き直った。
「子どもが生まれたなら、教えてくれてもよかったのに。ラクスからも、ヒロトさんからも、お手紙では、そんな話は一度も……」「王女殿下は、茅子様に直接お会いしてお伝えしたかったのかもしれません」「でも、八年ぶりに会って、いきなり七歳の双子を紹介されるなんて。…ちょっと嬉しすぎる…」
翡翠は口元に柔らかな笑みを浮かべた。
「驚かせてしまい、申し訳ございません。ですが、ラクス王女殿下は、茅子様にお会いする日を心待ちにしておられました。
おそらく、明日お子さまたちといきなり来られて、茅子様を驚かせたかったのだと存じます。
しかし、さすがにそれはと。やはり、王家の礼儀として本日、私が一足お先にご挨拶に伺った次第です。」
茅子は、まだ驚きの残る顔でゆっくり息を吐いた。そして、ラクスの屈託のないあの顔を思い浮かべた。
「そうなんだね。ありがとう、翡翠。先に知らせてくれて。心の準備ができるわ。えっと……アカリちゃんと、リオくん……だよね。お二人はどんな子たちなの?」
「はい。アカリ姫は、ラクス王女殿下によく似た、明るく活発なお子さまでございます。好奇心旺盛で、おてんばなところもございますね」
「それは、間違いなくラクス似だわ」
「はい」
翡翠は上品に微笑んだ。
「リオ王子は、アカリ姫より大人しいお子さまです。ですが、言うべきことはきちんとおっしゃいます。芯のしっかりした、聡明な方でございます」
「へぇ、それはヒロトさん似なのかな?双子でも、性格はずいぶん違うんだね」
「ええ。ですが、とても仲のよいお二人でいらっしゃいます」
「そっかあ。明日、楽しみだなぁ。ねぇ、ラピス?」「ああ、賑やかになりそうだ」
茅子は、作業台の上に並べられた宝石へ視線を落とした。翡翠は続ける。
「明日は、ラクス様から茅子様に、個人的なお願いがあるようです」
「個人的なお願い?」
「はい。アカリ姫とリオ王子の、七歳のお祝いの品をお願いしたいとのことでございます」
「お祝いの……お誕生日アクセサリーとか、かな?」
「はい。ラクス王女殿下は、王家の正式な贈答品ではなく、友人である茅子様に、ぜひ作っていただきたいとお考えです」
茅子の胸が、じんわりと温かくなった。
八年のあいだ、直接会うことはできなかった。それでもラクスは、茅子を友人として覚えていてくれたのだ。
「なるほどね。それなら、絶対に素敵なものを作らなくちゃ」
茅子が笑うと、翡翠は深く、優雅に一礼した。
「ありがとうございます、茅子様」
しかし、翡翠の表情には、わずかな緊張が残っていた。
「ただ、ひとつ私からお願いがございます」
「なに?」
「明日は、どうかお子さまたちから目を離さないでくださいませ」
茅子の表情が引き締まる。
「何か心配なことがあるの?」
「まだ確かなことは申し上げられません。ですが、イスキア王家ご一同での外出ですので。お忍びであることもあり、警備も限られておりますゆえ」
ラピスが静かに目を細めた。
「敵の気配がするのかい?」
「私にもわかりかねますが。その可能性は無きにしもあらず、でございます」
翡翠は、王家に代々仕える精霊としての厳かな眼差しを見せた。
「それでも、ラクス王女殿下は訪問を取りやめるおつもりはありません。アカリ姫とリオ王子にとって、七歳の誕生日は大切な節目でございますから」
翡翠は、静かな声で続ける。
「お二人には、王族としてではなく、ひとりの子どもとして、楽しい時間を過ごしていただきたいと願っておられます」
茅子は、しばらく黙っていた。やがて、しっかりとうなずく。
「わかった。ラクスの子どもたちだもの。ちゃんと守るよ」
翡翠は、再び優雅に一礼した。
「お心強いお言葉、ありがとうございます、茅子様」
その瞬間、工房の奥に置かれていた透明な宝石が、淡い銀青色の光を返した。
光は一瞬だけ二つに分かれ、互いを呼び合うように揺れている。
翡翠の精霊は、その輝きを静かに見つめた。
「……明日は、特別な一日になりそうでございますね」
その言葉を残し、翡翠の身体が淡い緑色の光に包まれていく。
「また明日ね、翡翠」
「はい。明日、改めてご挨拶申し上げます、茅子様」
翡翠は最後まで礼儀正しく、優雅な一礼をした。
次の瞬間、彼女の姿は光の粒となって消え、工房には春風の気配だけが戻ってきた。
茅子は、翡翠が消えた場所をしばらく見つめていた。
「ラクスに子どもが二人……しかも、もう七歳……」「まだ驚いているのか?」
ラピスが尋ねる。
「だって、あのラクスだよ?あのラクスが、お母さんになったんだよ?」
「八年もあれば、いろいろ変わるものさ」
「でも、明るくて開放的なところは変わってないんでしょう?」
「翡翠がそう言っていたな」
茅子は小さく笑い、作業台の上の宝石へ目を向けた。
「アカリちゃんとリオくんか……」
まだ会ったことのない二人。けれど、ラクスとヒロトの子どもたちなら、きっと特別な子たちに違いない。
「二人が喜んでくれるものを作ろう」
茅子の指先で、透明な宝石が静かに輝いた。
翌日の昼過ぎ。
ルチルジュエリー社の前に、一台の目立たない馬車が止まった。王家の紋章は隠され、車体も装飾の少ないものに変えられている。護衛の人数も、普段よりずっと少ない。けれど、馬車の扉が開くよりも先に、茅子はその気配に気づいていた。
懐かしい、明るく弾むような気配。次の瞬間、馬車の扉が開いた。
「茅子!」
最初に降りてきたラクス王女は、茅子の姿を見つけるなり、まっすぐに駆け寄ってきた。
「ラクス!」
茅子が呼び返すより早く、ラクスはその胸に飛び込む。茅子も慌てて両腕を広げ、二人はしっかりと抱き合った。
「久しぶり! 会いたかったわ!」
「私も!本当に久しぶりだね!」
「もう、ずっと会いに来たかったのよ。でも、王女の仕事って思っていたよりずっと忙しくて……」
「それはこっちの台詞だよ。手紙はもらっていたけど、なかなか直接会えなかったもの」
「でしょう? だから今日は、絶対に茅子に会うって決めていたの!」
ラクスは茅子の両手を取ると、嬉しそうに顔を覗き込んだ。
「元気そうでよかった。少しも変わっていないわね」「ラクスも変わってないよ。明るくて、開放的で、会った瞬間に人の懐へ飛び込んでくるところとか」「まあ、それは褒めているの?」
「もちろん。ラクスらしくて安心した」
茅子は笑いながら、久しぶりに見る友人の顔をじっと見つめた。
もう八年が経っているのだ。けれど、目の前で笑うラクスは、あのときと変わらなかった。
重い空気になれば、明るい言葉で場を和ませる開放的な笑顔。どこか人を惹きつける、美しい青い瞳も。
なにもかもが、茅子にとって、大切な友人のままだった。
「それにしても……」
ラクスが、少し得意そうに胸を張る。
「今日は、茅子に紹介したい人たちがいるの……」
その時、ラクスの後ろから、ひとりの女性が静かに馬車を降りてきた。すらりとした長身。整った顔立ち。艶やかな髪と、涼やかな眼差し。
クールな美しさを持つ彼女は、ラクスのすぐそばまで歩み寄ると、茅子へ向かって姿勢を正した。
そして、丁寧に一礼する。
「茅子様、お久しぶりでございます」
「カヨウ!」
茅子の顔が、さらに明るくなった。
「久しぶり!カヨウも元気だった?」
「はい。茅子様もお変わりないようで、何よりでございます」
カヨウはあまり多くは語らないが、その表情には、ほんのわずかな温かさがあった。
「相変わらず仲がおよろしいようで、安心いたしました」
「でしょう?」
ラクスは満足そうにうなずいた。その後ろから、今度はひとりの男性が馬車を降りてきた。
黒髪に、黒い瞳の穏やかな表情。イスキア王国の王となった、ヒロトだった。
ヒロトは馬車から降りると、茅子の姿を見つめた。そのまま、ほんの一瞬だけ固まる。茅子も、彼の姿を見返していた。
よく考えると、こうして改めて向き合うのは、実質的には初めてに近い。
ヒロトは少しだけ姿勢を正した。
「あの……どうも。茅子さん、ですよね。俺は……結城寛人です」
緊張しているのが、声からでもわかった。それから、ややぎこちなく頭を下げる。
「……あ、はい。お久しぶりです、ヒロトさん。私はルチルジュエリーの石上茅子と申します」
茅子もつられて姿勢を正し、丁寧に頭を下げた。
ヒロトは何か続けようとして、口を開きかける。隣にいたラクスが、すかさず口を挟んだ。
「やだもう、ヒロトさんったら。茅子ごめんね?この人ったら、本当にシャイな性格なのよ。ヒロトさん、あなた、もう一国の王なんだから。そんなに恐縮しないでもいいんだってば!」「だけど、ラクス……」
ヒロトが困ったようにラクスを見る。
「だって。私の友達に挨拶するだけで、そんなに緊張しなくてもいいでしょう?」
「いや、しかし……」
「まあ、仕方ないか。茅子とは、芸術祭のときも、ほとんど話せなかったものね」
茅子は思わず笑ってしまう。
「大丈夫ですよ、ヒロトさん。あなたのことは、ラクスや翡翠や王家の皆様にも伺ってます」
「そう、そうなんですか。安心しました。」
ヒロトは、ほっとしたようにうなずいた。
「ですから、その……茅子さんとは、ほとんどお話ししたことがないのに、急に久しぶりにお会いしたような挨拶をするのも、少し妙かと思いまして」
「ふふ、そうですよね。ところで、ヒロトさん、今はイスキアで武術を教えていらっしゃるんですよね?」
茅子が尋ねると、ヒロトは少しだけ背筋を伸ばした。
「あ、はい。空手と剣道を少し。王族や騎士たちに稽古をつけることもあります。まだまだ未熟ではありますが……」
「すごいですね…」
「ヒロトさんが未熟なら、イスキアの武術家はみんな泣いちゃうわよ」
ラクスが笑う。
「ラクス……」
「だって本当のことでしょう?」
ヒロトはまた少し困ったように眉を下げた。
そのとき、馬車のなかから元気な声が響いた。
「お父さま、もう降りていい?」
「アカリ、待って、危ないよ……」
「二人とも、足元に気をつけて降りな……」
ヒロトが言い終えるより早く、女の子が馬車から飛び降りた。
ラクスによく似た顔立ち。明るく輝く瞳。好奇心を隠そうともしない、活発な表情。
「こんにちは!わたし、アカリです!」
「アカリ、いきなり飛び降りたら危ないよ」
続いて降りてきた男の子が、姉をたしなめる。アカリよりも大人しく、落ち着いた印象の子だ。けれど、その瞳にはしっかりとした意志が宿っているのを感じさせる。
「初めまして。僕はリオです。よろしくお願いします」
「初めまして、アカリちゃん、リオくん」
茅子が笑顔で迎えると、アカリはすぐに工房の看板へ目を向けた。
「ここで宝石を作っているの?」
「宝石そのものを作るわけじゃないけど、アクセサリーを作っているんだよ」
「じゃあ、私たちのアクセサリーも作って!」
「アカリ、それは最初からお願いしすぎだよ?」
リオが静かに言った。
「でも、楽しみなんだもん!」
アカリは悪びれずに笑う。ラクスが、そんな二人の肩に手を置き、茅子のほうを見た。
「今日は、この二人の七歳のお祝いに贈るアクセサリーを、茅子にお願いしに来たの」
「もちろん!任せて。まあまあ、あなた達は、小さなお客様だったのね?それで、何かご希望はありますか?」
「アカリは、きらきらしていて強いものがいい!」
アカリは迷いなく答えた。リオは少し考えてから、茅子を見上げる。
「僕は、アカリとおそろいがいいです」
「おそろい?」
「はい。同じ形じゃなくてもいいです。でも、二つでひとつになるものがいい」
アカリが嬉しそうにリオの手を握った。
「それ、いいね!」
二人の手が重なった瞬間。工房の奥に置かれていた二つの試作品が、同時に淡い銀青色の光を放った。
アカリのための、ペンダント。
リオのための、イヤーカフ。
どんなデザインで、何の石を使うか。一瞬で、茅子の脳裏に閃きが訪れて。
茅子は息を止めた。
ラピスも静かに二人を見つめている。
カヨウはすぐに周囲へ視線を走らせた。
翡翠の精霊は、光を見つめながら、わずかに目を細める。
そしてヒロトも、先ほどまで茅子を前にして緊張していた表情が、今度は父親のものへ変わる。穏やかな瞳の奥に、鋭い光が宿った。
「……アカリ、リオ。こちらへ」
ヒロトが静かに呼びかける。その声を聞いた双子が、振り返った。その立ち姿には、王としての落ち着きだけでなく、長年武術を教えてきた師範としての威厳があった。
ラクスはそんなヒロトを見て、茅子に小声で囁く。
「ね? 普段はあんなに頼りになるのに、茅子を前にすると、まだあんな感じなのよ」
「聞こえているぞ、ラクス」
「聞こえるように言ったの。大丈夫、あの光は子どもたちを守る光よ。石の民の私には分かるわ」
ヒロトは困ったように息を吐いた。茅子は思わず笑う。
八年前にはほとんど言葉を交わさなかったヒロト。けれど今日、彼はラクス王女の伴侶として、双子の父親として、そして武術の師範として、茅子たちの前に改めて現れたのだった。
春の光が、工房のなかへ差し込んでいる。
八年ぶりの友との再会。新しく出会った双子。
少し緊張しながらも、家族を守る王。
四月の一日は、賑やかな笑い声と、まだ誰も知らない運命の気配をまといながら始まった。
第14章 春が運ぶ出会い(中編)
二日目
翌日の朝。
ルチルジュエリー社の工房には、柔らかな春の光が差し込んでいた。
開け放たれた窓からは、まだ少し冷たさを残した風が入り込んでくる。けれど、冬の風とは違い、どこか軽やかで、街全体を新しい季節へ運んでいくような空気があった。
茅子は作業台の前に座り、二つのアクセサリーを眺めていた。
アカリのためのペンダント。
リオのためのイヤーカフ。
形は違っている。けれど、二つの中心には、同じダイヤモンドが使われていた。
ペンダントのダイヤモンドは、アカリの明るさに合わせるように少し大きく、華やかにカットされている。
一方、リオのイヤーカフに使われているダイヤモンドは小ぶりで、控えめな形だった。けれど、光の奥には、静かで揺るぎない強さが宿っている。
二つを並べて置くと、それぞれの石から伸びた銀青色の光が、細い線となってつながった。
その光はひとつの輪郭を描き、双子の間にある絆を、そのまま表しているようだった。
「やっぱり、二つでひとつになるんだね……」
茅子は、光を見つめながら微笑んだ。
昨日、アカリとリオが手を重ねたときにも、この光は現れた。
温かくて、穏やかで、二人の身体を包み込むような光。
見ているだけで、不思議と心が落ち着く。
それは、ダイヤモンドが二人を守ろうとしている証なのだと、茅子には分かっていた。
アカリとリオが互いを大切に思う気持ちに反応して、二人を傷つけるものから遠ざけようとしているのだ。
「社長、こちらの留め具ですが」
作業台の向かいで、浜野がイヤーカフを確認しながら声をかけた。
「昨日より少し調整しましたが、リオくんが動いたときに外れないよう、もう少しだけ幅を狭くしたほうがよさそうです」
「そうだね。せっかくのお祝いの品だもの。落としてしまったら大変だから、しっかり合わせておきたいね」
「では、もう一度調整してみます」
「ありがとう、浜野くん。お願いできる?」
「はい。お任せください、社長」
浜野は細かな道具を手に取り、イヤーカフの留め具を慎重に調整し始めた。
ラピスは、作業台には近づかず、少し離れた窓辺に立っていた。
浜野の手元を静かに見ているだけで、作業を手伝おうとはしない。
「ラピス、どうかな?」
茅子が尋ねる。
「とてもよくできていると思うよ。あとは浜野に任せておけば問題ないだろう」
「ラピスは手伝わないの?」
「僕が手を出したら、浜野の仕事を奪ってしまうからね」
「そういうことにしておくんだね」
「僕は、見守る係さ」
ラピスは、涼しい顔で答えた。
茅子は思わず笑った。
そのとき、工房の奥から、明るい声が聞こえてきた。
「おはようございます」
愛が、両手でトレイを支えながら入ってくる。
トレイの上には、湯気の立つ小さなカップが二つ並んでいた。
「愛ちゃん、おはよう。今日は早いね」
「おはようございます、茅子さん。アカリちゃんとリオくん、もうすぐ来るんですよね?」
「うん。そろそろ到着すると思うよ」
「それなら、ちょうどよかったです」
愛はトレイを作業台の端へ置いた。
「昨日、アカリちゃんがココアを気に入ってくれたみたいだったので、今日も作ってみました。リオくんの分もあります」
「ありがとう。二人とも喜ぶよ」
「少し冷ましてから渡したほうがいいですよね」
「そうだね。熱いと危ないから、飲むときは気をつけてもらおう」
茅子が答えると、愛は嬉しそうにうなずいた。
その直後、工房の外から車の音が聞こえてきた。
「あ、来たみたい」
茅子が窓の外へ目を向ける。
ルチルジュエリー社の前に、昨日と同じように、王家の一行を乗せた車が止まった。
最初に降りてきたのは、アカリだった。
「茅子お姉さま!」
「アカリちゃん。おはよう」
茅子が外へ出ると、アカリは嬉しそうに駆け寄ってきた。
昨日、ヒロトに注意されたからか、今日は少しだけ勢いを抑えている。けれど、茅子の前まで来ると、待ちきれない様子で両手を握りしめた。
「今日は、アクセサリーができる日でしょう?」
「うん。最後の調整が終わったら、つけてもらう予定だよ」
「本当? 楽しみ!」
アカリの後ろから、リオがゆっくりと降りてきた。
「おはようございます、茅子お姉さま」
「おはよう、リオくん。よく眠れた?」
「はい。アカリは、朝からずっと楽しみにしていました」
「リオだって楽しみでしょう?」
「……はい」
リオは少し照れたように答えた。
ラクス、ヒロト、カヨウ、翡翠も、続いて車から降りてくる。
翡翠は人の姿をしていた。淡い色の着物を整えながら、双子の様子を柔らかく見守っている。
「おはよう、茅子!」
ラクスが明るく声をかけた。
「おはよう、ラクス。昨日はよく眠れた?」
「ええ。久しぶりに茅子に会えたもの。とても気分よく眠れたわ」
ラクスはそう言いながら、アカリとリオの肩へ手を置いた。
「この二人は、昨日からアクセサリーの話ばかりしているのよ」
「だって、茅子お姉さまが作ってくれるんだもん」
アカリが胸を張る。
ヒロトは、そんな娘を見て穏やかに笑った。
「今日は、昨日より落ち着いて行動するように言ってあります」
「アカリ、ちゃんと聞いているわよね?」
「聞いてる!」
「返事だけは早いな」
ヒロトが苦笑した。
カヨウは車から降りると、いつものように周囲へ視線を走らせた。
通りの向こう。
工房の隣にある建物。
道を行き交う人々。
念入りに確認してから、カヨウは皆の後に続いて工房へ入った。
翡翠も、最後に扉の外を振り返ってから、中へ入る。
工房に戻ると、愛が双子の前へ歩み寄った。
「アカリちゃん、リオくん。ココアをどうぞ」
「わあ!」
アカリは両手でカップを受け取った。
「今日も作ってくれたの?」
「はい。昨日、おいしいって言ってくれたから」
「ありがとう、愛お姉ちゃん!」
アカリは嬉しそうにカップを見つめた。
リオも、両手でカップを包み込む。
「ありがとうございます、愛さん」
「どういたしまして。でも、まだ熱いから、ゆっくり飲んでね」
「はい」
「アカリ、急いで飲んだらだめだよ」
「分かってるってば」
アカリはそう言いながら、カップに向かって一生懸命に息を吹きかけた。
その様子を見て、工房の中に笑い声が広がる。
茅子は、そんな双子を微笑ましく眺めていた。
二人の胸元では、ダイヤモンドが淡く揺れている。
アカリとリオが並んでいると、その光はさらに穏やかに輝いた。
それは、二人を守る光。
茅子は、自然にそう思った。
この光がある限り、きっと二人は大丈夫だ。
「浜野くん、リオくんに試してもらってもいいかな?」
「はい、社長」
浜野は調整を終えたイヤーカフを手に取った。
「リオくん、こちらへ来てもらえるかな」
「はい」
リオが浜野の前へ歩いていく。
ヒロトもそのそばについた。
「痛かったら、すぐに言うんだぞ」
「大丈夫です、お父さま」
浜野が、リオの耳元へ慎重にイヤーカフをつける。
耳に触れる部分を確認し、リオに顔を動かしてもらったり、軽く歩いてもらったりする。
「どうかな?」
「痛くありません」
「外れそうな感じはありますか?」
「大丈夫です」
浜野はリオが軽く首を振る様子を確認し、茅子へ向き直った。
「社長、これで問題ないと思います」
「ありがとう、浜野くん」
リオの耳元で、ダイヤモンドが小さく光った。
アカリが、その輝きを覗き込む。
「きれい! 私のも早くつけたい!」
「アカリちゃんのペンダントも、すぐにつけてあげるからね」
「うん!」
アカリが笑ったときだった。
工房の入り口から、控えめなノックの音が聞こえた。
愛が振り返る。
「はい?」
扉の向こうに立っていたのは、ひとりの女性だった。
二十代後半から三十代前半くらいに見える。淡い茶色の髪を肩のあたりでまとめ、春らしい薄手のコートを羽織っている。
上品ではあるが、目立つ格好ではない。
街の中にいれば、どこにでもいる普通の女性に見えた。
「突然、失礼いたします」
女性は丁寧に頭を下げた。
「こちらは、ルチルジュエリー社でよろしいでしょうか?」
「はい。何かご用でしょうか?」
愛が尋ねる。
「近くのホテルに滞在している者なのですが、こちらでアクセサリーの修理や調整をお願いできると伺いまして」
女性は、両手で小さな箱を差し出した。
「もし可能でしたら、少しだけ見ていただけないでしょうか」
「どうぞ。中で拝見します」
茅子が答える。
「ありがとうございます」
女性はほっとしたように微笑み、工房へ入ってきた。
「私は森川美奈と申します」
「森川さんですね。私は石上茅子です」
茅子は自然な笑顔で挨拶を返した。
「こちらは浜野くんと愛ちゃん。それから、私の友人たちです」
森川は紹介された一人ひとりへ丁寧に会釈した。
ラクスやヒロトに対しても、相手の身分を知らない人間らしい、ほどよく自然な態度を見せる。
カヨウも、森川を一度見た。
けれど、特に不審なところは感じなかった。
立ち方も、声の調子も、表情も、ごく普通の人間の女性に見える。
「こちらは、母から譲り受けたペンダントなんです」
森川が箱を開く。
中には、細い鎖のついた小さなペンダントが入っていた。
「古いものなのですが、留め具が壊れてしまって。できれば、元の雰囲気を残したまま直していただきたいと思っております」
茅子はペンダントを手に取った。
「大切なものなんですね」
「はい。母が若いころから持っていたものですから」
「この形なら、留め具だけ交換できそうです。浜野くん、あとで見てもらってもいいかな?」
「はい、社長」
浜野がペンダントを受け取り、状態を確認する。
森川は、浜野と茅子のやりとりを静かに眺めていた。
「素敵な工房ですね」
「ありがとうございます。今日は、友人の子どもたちのアクセサリーも作っているんです」
茅子が双子を振り返る。
アカリは、まだココアを飲みながら、森川の手元を見ていた。
「森川さんも宝石が好きなの?」
アカリが尋ねる。
「ええ。とても好きよ」
「じゃあ、これ見て!」
アカリは、自分のために作られているペンダントを指差した。
「私のなんだよ。きらきらしていて、強いの!」
「まあ、とてもきれいね」
森川は作業台の上のペンダントへ視線を向けた。
ダイヤモンドが、淡い銀青色の光を返す。
森川の瞳の奥で、何かが一瞬だけ揺れた。
けれど、すぐに穏やかな笑顔へ戻る。
「あなたに、とても似合いそうね」
「本当?」
「ええ。それに、あちらのイヤーカフと、どこかつながっているように見えるわ」
森川は、リオの耳元へ視線を向けた。
「分かるんですか?」
リオが少し驚いた顔をする。
「二つの石が、同じ光を持っているから」
森川は柔らかな声で答えた。
「二人でひとつになるアクセサリーなのね」
「はい。僕がそうお願いしました」
「リオと私で、ひとつなんだよ!」
アカリが嬉しそうに言う。
そして、アカリはリオの手を握った。
その瞬間、二人のアクセサリーが同時に輝いた。
淡い銀青色の光が、双子の手元からふわりと広がる。
光は二人の身体を優しく包み込み、やがて静かに二つのダイヤモンドへ戻っていった。
「きれい……」
愛が思わず声を漏らす。
ラクスも嬉しそうに笑った。
「昨日もこうなったのよ。二人が一緒にいると、ダイヤモンドが守りの光を見せてくれるの」
「守りの光……」
森川は、光の消えたダイヤモンドを見つめた。
「とても優しい力ですね」
「うん。二人を守ってくれるんだよ」
茅子も微笑みながら答えた。
「きっと、アカリちゃんとリオくんが互いを大切に思っているからだね」
森川は、茅子へ顔を向けた。
「あなたが、このアクセサリーを作った方なのですね」
「はい。二人が喜んでくれるものを作りたくて」
「お二人に、とても大切にされているのですね」
「私も、二人には大切にしてもらいたいと思っています」
茅子がそう言うと、アカリが楽しそうに笑った。
工房の中には、穏やかな空気が流れていた。
森川は、いつの間にかその輪の中へ自然に馴染んでいた。
自分から会話を独占することはない。
けれど、誰かが話せば穏やかに相槌を打ち、双子が話せば興味深そうに耳を傾ける。
愛が森川にもココアを差し出すと、森川は少し驚いたように目を丸くした。
「私にも、よろしいのですか?」
「はい。少し多めに作ってきたので」
「ありがとうございます」
森川はカップを受け取り、丁寧に頭を下げた。
「温かくて、おいしいです」
「よかったです」
愛が嬉しそうに笑う。
その間、浜野は森川のペンダントを確認していた。
「社長、こちらの留め具ですが、部品を交換すれば直せそうです」
「本当? それならよかったね、森川さん」
「ありがとうございます。母の形見なので、助かります」
「浜野くん、預かる手続きをお願いしてもいいかな?」
「はい、社長」
浜野はペンダントを小箱へ戻した。
そのとき、工房の外から車が止まる音が聞こえた。
カヨウが入り口のほうへ目を向ける。
「少し外の様子を見てまいります」
「お願い、カヨウ」
ラクスが答えた。
カヨウは工房の外へ出ていった。
同じころ、浜野が作業台の奥に置かれていた工具箱へ手を伸ばした。
「社長、こちらのライトをお借りしてもよろしいですか?」
「うん。作業台の右側にあるよ」
「ありがとうございます」
茅子も、アカリのペンダントを仕上げるため、別の宝石を取りに向かった。
ラクスとヒロトは、このあとの予定について話している。
「このあと、公園へ行くんでしょう?」
「人が少ない時間を選んで、短時間だけの予定だ」
「アカリ、聞いた? 公園へ行くのよ」
「うん!」
アカリは嬉しそうに答えた。
リオは、イヤーカフがきちんとついているか、窓ガラスに映して確かめている。
愛は、双子の飲み終えたカップを片づけるため、工房の奥へ向かった。
ほんの短いあいだに、皆の意識が少しずつ分かれた。
森川は、アカリとリオのほうへ静かに近づいた。
「アカリさん、リオさん」
二人が振り返る。
「なあに?」
「実は、私の車に珍しい石があるの」
「珍しい石?」
アカリの目が輝いた。
「ええ。あなたたちのアクセサリーに使われているダイヤモンドとは少し違うけれど、とてもきれいな石よ」
「見たい!」
アカリがすぐに身を乗り出す。
リオは、少しためらった。
「でも、お父さまやお母さまに聞かないと……」
「もちろん、すぐに戻るわ」
森川は、安心させるように微笑んだ。
「車は工房のすぐ前にあるし、ほんの少し見に行くだけよ。茅子さんにも、あとで見せてあげるつもりなの」
「茅子お姉さまにも?」
「ええ。二人で選んでくれたら、茅子さんも喜ぶと思うわ」
リオは工房の中を振り返った。
茅子は作業台の向こうで、アカリのペンダントに使う石を選んでいる。
浜野は工具箱を開き、作業の準備をしている。
ヒロトとラクスは、公園へ行く時間について話していた。
愛は奥でカップを洗っている。
カヨウの姿は、工房の外にあった。
誰も、こちらを見ていない。
「すぐそこなら……」
「行こうよ、リオ」
アカリが、リオの手を取った。
二つのダイヤモンドが、また淡く輝く。
銀青色の光が、双子の手元を包み込んだ。
それは、二人を傷つけるものから守る光だった。
目の前にいる森川は、子どもたちに優しく話しかけてくれた人間の女性にしか見えない。
守りの光は、二人の身体を守り、互いを離れないように寄り添っている。
けれど、双子が自分から信じて歩き出した相手を、無理やり遠ざけることはしなかった。
「一緒に行きましょう」
森川が手を差し出す。
アカリは、迷わずその手を取った。
リオは少し迷ったあと、姉の手を握ったまま、森川の後に続いた。
三人は、工房の入り口から外へ出た。
その途中で、リオが一度だけ振り返る。
「茅子お姉さまに、言っておかなくても大丈夫でしょうか」
「すぐに戻るから大丈夫よ」
森川は、優しい声で答えた。
「それに、二人で見たほうがきっと楽しいわ」
アカリが、車のそばまで駆けていく。
黒に近い色の車が、工房脇の道路に停められていた。
「これ?」
「ええ。この中に石があるの」
森川が後部座席の扉を開けた。
座席には、子どもが座りやすいように柔らかな布が敷かれている。
アカリは、何の疑いもなく乗り込んだ。
「リオ、早く!」
「うん」
リオも車の中へ入った。
二人が並んで座ると、ダイヤモンドの光が車内に広がった。
銀青色の光は、双子の身体を包み込み、車内の暗さを柔らかく照らしている。
「きれいだね」
アカリが、光を見上げて笑った。
「うん……」
リオも、姉の手を握り返した。
森川は、二人が離れていないことを確認すると、後部座席の扉を閉めた。
その瞬間、ダイヤモンドの光がひときわ強く輝く。
けれど、光は消えなかった。
二人の周囲に静かな壁を作り、傷つけようとするものを遠ざけるように、淡く揺れている。
森川は運転席へ回り、車へ乗り込んだ。
エンジンがかかる。
車が、ゆっくりと動き出した。
そのとき、通りの向こうから戻ってきたカヨウが、走り去ろうとする車を見た。
後部座席の窓の向こうに、小さな手が見える。
カヨウの目が見開かれた。
「翡翠!」
鋭い叫び声が、通りに響く。
「心得ております!」
返事と同時に、翡翠の姿が大きなかんざしへと変わった。
緑色の光が一瞬弾け、そのかんざしは空中に浮かぶように現れる。
カヨウは迷わず片手を伸ばし、翡翠をつかんだ。
次の瞬間、身体が地面から離れる。
翡翠の力に引かれるように、カヨウは空へ舞い上がった。
車を追って、一直線に飛んでいく。
その後ろを、ラピスが無言で追った。
淡い光をまといながら地を蹴り、建物の屋根や塀を足場にして、風のように二人の後を駆けていく。
茅子たちは、工房の前からその様子を見ていた。
「カヨウさん!」
ヒロトが、すぐに車の走り去った方向へ駆け出そうとする。
けれど、その腕をラクスがつかんだ。
「落ち着いて。私達じゃ追いつかないわ。ここは、カヨウ達に任せましょう」
「しかし、アカリとリオが……!」
「分かっているわ」
ラクスは、苦しそうに車の消えた方向を見つめた。
「分かっているけれど、今、私達が追いかけても、カヨウ達の邪魔になるだけよ」
茅子も、作業台の上に残された二つのアクセサリーを思い出していた。
ダイヤモンドの光。
双子を包み込んでいた、温かな守りの光。
「そうね」
茅子は、静かにうなずいた。
「双子ちゃん達に、守りの光が宿るのを見たから。まだ何とも言えないけど……いったん様子を見ましょう」
「茅子……」
「きっと、二人は無事だよ」
自分に言い聞かせるためではなく、ダイヤモンドの力を信じるように、茅子は言った。
「ダイヤモンドが、二人を守ってくれているから」
ヒロトは唇を噛みしめながらも、追う足を止めた。
ラクスも、胸の前で両手を握りしめる。
その間にも、車は通りの先へ進んでいた。
工房からは、車が角を曲がるところまで見えた。
カヨウは空中から車を追い、翡翠をつかんだまま、角の向こうへ飛び込んでいく。
ラピスも、少し遅れて角を曲がった。
けれど――。
角を曲がった先に、車の姿はなかった。
大通りへ続く道が、まっすぐ伸びている。
左右には、車が身を隠せるような細い路地も、脇道もない。
それなのに、追っていた車はどこにも見当たらなかった。
カヨウは空中で急停止し、翡翠をつかんだまま周囲を見回した。
「おかしいですね……」
翡翠の声が、かんざしの姿から響く。
「ああ……この先は大通りまで分岐点はないはずなのに、くそう!」
カヨウは、悔しそうに拳を握った。
ラピスが、車の消えた道を見つめる。
「気配ごと消える、か。これは人間の仕業ではないな」
「はい」
翡翠も、静かに答えた。
「車の音も、気配も、途中から完全に途切れております」
カヨウは、しばらく大通りのほうを睨んでいた。
けれど、どれだけ目を凝らしても、車の影は見えない。
追跡できる手がかりも、残されていなかった。
「ならいったん戻り、策を練らねばなるまい」
カヨウが言う。
翡翠は、かんざしの姿のまま小さく揺れた。
ラピスも黙ってうなずき、三人は工房へ戻ることになった。
*
そのころ。
車は、街の外れを走っていた。
後部座席では、アカリとリオが並んで座っている。
車内は静かだった。
窓の外の景色は、見慣れた街並みから、少しずつ知らないものへ変わっていく。
アカリは窓の外を覗き込みながら、運転席の森川へ声をかけた。
「ねえ、森川さん。珍しい石は、まだ?」
「もうすぐ見せてあげるわ」
森川は、前を向いたまま答えた。
「この先に、石を持っている人がいるの」
「その人も、宝石が好きなの?」
「ええ。とても好きよ」
森川は一度、バックミラー越しに双子を見た。
二人の周囲では、銀青色の光が静かに揺れている。
「あなたたちのことを、ずっと待っている人よ」
リオが、森川の言葉に少し不安を覚えた。
「僕たちのことを、知っているんですか?」
「もちろんよ」
森川の声は、まだ穏やかだった。
「あなたたちのことを、よく知っている方なの」
「どんな人?」
アカリが尋ねる。
森川は、少しだけ目を細めた。
「会えば分かるわ」
「優しい人?」
「……そうね」
森川は、短く答えた。
その返事に、アカリは少し安心したようだった。
けれど、リオは窓の外を見つめていた。
車は、もう街の中にはいない。
木々の間を抜ける細い道を走り、周囲から人の気配が消えていく。
「森川さん」
「なあに?」
「そろそろ、戻らないと……」
「大丈夫よ。すぐに戻るわ」
「でも、お父さまやお母さまが心配すると思います」
「ええ、そうね」
森川は、まるでリオの心配を理解しているように答えた。
「だから、早く用事を済ませましょう」
車内に、しばらく沈黙が落ちた。
アカリはリオの手を握った。
ダイヤモンドの光が、二人の指先から淡く広がる。
その光は、車内を照らしながら、双子を優しく包んでいた。
離れ離れにならないように。
傷つけられないように。
二人の間に、温かな守りの壁を作るように。
「アカリ……」
「大丈夫だよ、リオ」
アカリは、少し不安そうでありながらも、姉らしく笑った。
「ダイヤモンドが守ってくれてるから」
「うん……」
リオも、握られた手を握り返した。
森川は、バックミラーに映る二人の姿を見つめた。
銀青色の光が、車内の暗がりを柔らかく照らしている。
その光を見ていると、胸の奥に、また知らない記憶が浮かびかけた。
誰かの手を取っていた。
誰かを守ろうとしていた。
どこか遠い場所で、同じような光を見ていた。
けれど、記憶はすぐに霧の向こうへ沈んでいった。
森川は、前方へ視線を戻す。
表情から、人間らしい柔らかさが少しずつ消えていた。
車はさらに森の奥へ進んでいく。
木々が深くなり、春の光が枝葉に遮られていく。
それでも、双子のダイヤモンドだけは、変わらず輝いていた。
やがて車は、深い森の奥に隠された古い建物の前で止まった。
長いあいだ人の手が入っていないような、古びた建物だった。
窓は少なく、周囲には人の気配がない。
森川はエンジンを切り、運転席から降りた。
後部座席の扉を開ける。
「着いたわ」
アカリとリオは、車の外へ目を向けた。
「ここ、どこ?」
アカリの声に、初めてはっきりとした不安が混じる。
森川は、二人へ手を差し出した。
「あなたたちを、待っている方のところよ」
リオはアカリの手を強く握った。
二人の胸元で、ダイヤモンドの光が静かに揺れる。
森川に導かれ、双子は古い建物の中へ入っていった。
重い扉が閉まる。
暗い建物の奥で、誰かがゆっくりと立ち上がった。
その気配を感じ取った瞬間、ダイヤモンドの光が、双子を包むように強く輝いた。その光はアカリとリオのそばに寄り添いながら、静かに、二人を守り続けていた。
第14章 春が運ぶ出会い(後編)
三日目
三日目の朝。
ルチルジュエリー社の工房には、重い空気が漂っていた。
作業台の端には、昨日アカリとリオが飲んでいたココアのカップだけが残っている。
アカリのペンダントも、リオのイヤーカフも、そこにはない。
二人は、身につけたまま連れ去られていた。
「……アカリちゃんとリオくんは、無事なのかな」
愛が、不安そうに呟いた。
「きっと無事よ」
茅子は、そう答えた。
「昨日、二人のダイアモンドが守りの光を見せてくれたもの。あの光は、きっと今も二人を守っているはず」
「ですが、車が消えた場所から先は、何の痕跡もありません」
翡翠が言った。
カヨウも険しい表情で続ける。
「車そのものが消えたというより、双子の気配ごと、別の場所へ移されたようでした」
「森川美奈という女性についても、宿泊記録はありませんでした」
浜野が手帳を閉じる。
「名前も偽りだった可能性が高いでしょう」
茅子は、ココアのカップを見つめた。
「私が、もっと早く気づいていれば……」
「社長の責任ではありません」
浜野が、はっきりと言った。
「今は、双子を取り戻す方法を考えましょう」
「……そうね」
茅子は顔を上げた。
「アカリちゃんとリオくんを、必ず連れ戻そう」
その言葉に、ラピスは窓辺で静かに目を細めた。
「双子の光は、守っているだけではなく……何かを伝えているのかもしれな……」
ラピスの表情が変わる。
「……待て」
彼は、ゆっくりと目を閉じた。
*
ラピスの意識は、白い世界へ沈んだ。
何もない空間の中に、何か大きな輝く存在が浮かんでいる。
その存在から、透き通る音色のような声が響いた。
言葉ではない。
けれど、その響きは、まっすぐラピスの内側へ届いた。
遠くに、二つの光がある。
アカリのペンダントと、リオのイヤーカフ。
その光が示す方角を、ラピスは感じ取った。
北。
次の瞬間、白い世界が消えた。
*
ラピスが目を開く。
茅子たちが、息を詰めて彼を見つめていた。
「ラピス、今のは……?」
「いま俺の中にダイアモンドがコンタクトしてきた。北だ。行こう」
ラピスは、すぐに扉へ向かった。
「双子が北にいるのね?」
「ああ。間違いない」
「分かった。急ぎましょう!」
カヨウが翡翠を手に取り、浜野は必要な道具をまとめる。
一行は、北の山間部へ向かった。
*
深い森の奥に、古びた建物が見えてきた。
建物全体を、黒い膜のような結界が覆っている。
その奥から、銀青色の光が一瞬だけ漏れた。
「ここです」
翡翠が告げる。
「中に、双子がいます」
「アカリ! リオ!」
ヒロトが叫ぶ。
壁の向こうから、双子の声が返ってきた。
「お父さま!」
「茅子お姉さま!」
カヨウが翡翠を高く掲げる。
「翡翠、結界を破る!」
「心得ております!」
緑色の光が結界へ叩きつけられ、古い建物全体が大きく揺れた。
*
建物の奥では、アカリとリオが寄り添って立っていた。
アカリの胸元ではペンダントが輝き、リオの耳元ではイヤーカフが銀青色の光を放っている。
二人を包む守りの光が、薄い壁のように広がっていた。
その前に、ひとりの少年が立っている。
黒い服を身につけた、年若い少年。
人間の姿をしているが、彼自身がオニキスの精霊だった。
少年は双子を見るなり、楽しそうに声を上げた。
「やあ! これは最高に美味しそう! やるじゃないか、きみ!」
「は、はい……///」
森川は頬を赤らめ、嬉しそうに頭を下げた。
オニキスに褒められた。
それだけで、胸がいっぱいになる。
アカリは、不思議そうに少年を見つめた。
「美味しそうって、どういうこと?」
一方、リオは明らかに警戒している。
アカリをかばうように一歩前へ出た。
「アカリ、あの人には近づかないほうがいい」
「うん。分かってる」
オニキスは、リオの様子を見て、くすくす笑った。
「へえ。きみは用心深いんだね。面白いなあ」
オニキスは、二人を包む光へ目を向けた。
「あー、でも何か。その光?
まぶしすぎるよ。それがあったら、フォイゾイが抜けないな……何とかならない?」
「は……それは……」
森川の声が震える。
オニキスは、まるで簡単なお願いをするように笑った。
「きみは、守りの光だけ剥がしてくれればいいよ。あとはボクが、この子たちにキスしてフォイゾイを抜くからさ」
「は……それは……あの、フォイゾイが抜けたら、この子たちは……」
森川は、双子へ目を向けた。
オニキスは、少し考えるように首を傾ける。
「さあ?」
そして、いたずらを思いついた少年のように笑った。
「だいたいは冷たくなって、動かなくなるよね。ま、その辺の石ころと同じになるだけさ。どっかに捨ててきて」
「え……」
森川の顔から、血の気が引いた。
オニキスは、モルガナイトにとって憧れの存在だった。ずっと遠くから見つめていた、特別な存在。
彼の役に立ちたい。
彼の願いを叶えてあげたい。
けれど――。
守りの光を剥がせば、オニキスが双子にキスをする。そして、二人は冷たくなり、動かなくなる。
それは、違う。
オニキスが自分の推しであることと、弱い命を犠牲にすることは、同じではない。
森川が迷っていると、双子から出ている守りの光が大きく広がった。
「……っ」
銀青色の光が、森川を包み込む。
まばゆい光の中で、ひとつの顔が浮かんだ。
ダイアモンド。
透き通るような輝きを持つ、優しい存在。
その姿を見た瞬間、遠い過去の記憶が一気に蘇った。
弱い者の命を守ったこと。
脅威から逃げる者たちを、見つからない場所へ隠したこと。
誰かの命を守るために、自分の力を使ったこと。
そして、自分の本当の名前。
「私は……森川美奈なんかじゃない」
森川の瞳に、強い光が戻った。
「モルガナイト……それが、私の名前」
同時に、真の使命も思い出す。
弱い者の命を守ること。
脅威から隠すこと。
モルガナイトは、双子の前へ立った。
「この子たちには、触れさせないわ」
オニキスが、きょとんと目を丸くする。
「モルガナイト?」
「ごめんなさい、オニキス」
モルガナイトは、震えながらも彼を見つめた。
「あなたの願いは叶えてあげたい。でも、この子たちの命を奪うことには協力できない」
「そっかあ……」
オニキスは、残念そうに頬を膨らませた。
だが、次の瞬間。
建物の正面で、結界が砕け散った。
「双子を返してもらう!」
カヨウの声が響き、扉が吹き飛ぶ。
緑色の光とともに、茅子、浜野、愛、ラクス、ヒロトが建物の中へ駆け込んできた。
「アカリちゃん! リオくん!」
「茅子お姉さま!」
「お父さま!」
茅子が双子へ駆け寄る。
モルガナイトは、守りの光を広げて二人を包み込んだ。
「こっちへ! 早く!」
アカリとリオは、モルガナイトに導かれて茅子のもとへ走る。
その途中、オニキスがふと顔を上げた。
ラピスの姿に気づいたのだ。
「あれ、ラピスじゃん。久しぶり」
ラピスが、静かにオニキスを見返す。
「なに? この子たちと知り合いなの?」
オニキスは、面倒そうに肩をすくめた。
「面倒くさいな……」
けれど、その口元には楽しそうな笑みが浮かんでいる。
「まあ、面白いから遊んであげるよ!」
オニキスの周囲から、黒い闇が一気に広がった。
ラピスが茅子たちの前へ出る。
「茅子、双子を頼む」
「ラピス……!」
「ここは俺が抑える」
ラピスの周囲に、青い光が渦巻く。
カヨウも翡翠を構えた。
「翡翠、参ります!」
「心得ました!」
緑色の光が、オニキスの闇へ正面からぶつかる。
轟音が、古い建物全体を揺らした。
オニキスは、楽しそうに笑う。
「さあ、ラピス。どれくらい遊んでくれるのかな!」
ラピスの青い光と、オニキスの黒い闇が激突した。
その後ろで、アカリのペンダントとリオのイヤーカフが、さらに強く輝いている。
モルガナイトは、二人を守るように立った。
双子を取り戻すための戦いが、始まった。
第14章 春が運ぶ出会い
もちろん。以下が、そのままコピペできる第14章「春が運ぶ出会い(後編)」三日目の最新版だよ。
第14章 春が運ぶ出会い(後編)
三日目の朝。
ルチルジュエリー社の工房には、重い空気が漂っていた。
作業台の端には、昨日アカリとリオが飲んでいたココアのカップだけが残っている。
アカリのペンダントも、リオのイヤーカフも、そこにはない。
二人は、身につけたまま連れ去られていた。
「……アカリちゃんとリオくんは、無事なのかな」
愛が、不安そうに呟いた。
「きっと無事よ」
茅子は、そう答えた。
「昨日、二人のダイアモンドが守りの光を見せてくれたもの。あの光は、きっと今も二人を守っているはず」
「ですが、車が消えた場所から先は、何の痕跡もありません」
翡翠が言った。
カヨウも険しい表情で続ける。
「車そのものが消えたというより、双子の気配ごと、別の場所へ移されたようでした」
「森川美奈という女性についても、宿泊記録はありませんでした」
浜野が手帳を閉じる。
「名前も偽りだった可能性が高いでしょう」
茅子は、ココアのカップを見つめた。
「私が、もっと早く気づいていれば……」
「社長の責任ではありません」
浜野が、はっきりと言った。
「今は、双子を取り戻す方法を考えましょう」
「……そうね」
茅子は顔を上げた。
「アカリちゃんとリオくんを、必ず連れ戻そう」
その言葉に、ラピスは窓辺で静かに目を細めた。
「双子の光は、守っているだけではなく……何かを伝えているのかもしれな……」
ラピスの表情が変わる。
「……待て」
彼は、ゆっくりと目を閉じた。
*
ラピスの意識は、白い世界へ沈んだ。
何もない空間の中に、何か大きな輝く存在が浮かんでいる。
その存在から、透き通る音色のような声が響いた。
言葉ではない。
けれど、その響きは、まっすぐラピスの内側へ届いた。
遠くに、二つの光がある。
アカリのペンダントと、リオのイヤーカフ。
その光が示す方角を、ラピスは感じ取った。
北。
次の瞬間、白い世界が消えた。
*
ラピスが目を開く。
茅子たちが、息を詰めて彼を見つめていた。
「ラピス、今のは……?」
「いま俺の中にダイアモンドがコンタクトしてきた。北だ。行こう」
ラピスは、すぐに扉へ向かった。
「双子が北にいるのね?」
「ああ。間違いない」
「分かった。急ぎましょう!」
カヨウが翡翠を手に取り、浜野は必要な道具をまとめる。
一行は、北の山間部へ向かった。
*
深い森の奥に、古びた建物が見えてきた。
建物全体を、黒い膜のような結界が覆っている。
その奥から、銀青色の光が一瞬だけ漏れた。
「ここです」
翡翠が告げる。
「中に、双子がいます」
「アカリ! リオ!」
ヒロトが叫ぶ。
壁の向こうから、双子の声が返ってきた。
「お父さま!」
「茅子お姉さま!」
カヨウが翡翠を高く掲げる。
「翡翠、結界を破る!」
「心得ております!」
緑色の光が結界へ叩きつけられ、古い建物全体が大きく揺れた。
*
建物の奥では、アカリとリオが寄り添って立っていた。
アカリの胸元ではペンダントが輝き、リオの耳元ではイヤーカフが銀青色の光を放っている。
二人を包む守りの光が、薄い壁のように広がっていた。
その前に、ひとりの少年が立っている。
黒い服を身につけた、年若い少年。
人間の姿をしているが、彼自身がオニキスの精霊だった。
少年は双子を見るなり、楽しそうに声を上げた。
「やあ! これは最高に美味しそう! やるじゃないか、きみ!」
「は、はい……///」
森川は頬を赤らめ、嬉しそうに頭を下げた。
オニキスに褒められた。
それだけで、胸がいっぱいになる。
アカリは、不思議そうに少年を見つめた。
「美味しそうって、どういうこと?」
一方、リオは明らかに警戒している。
アカリをかばうように一歩前へ出た。
「アカリ、あの人には近づかないほうがいい」
「うん。分かってる」
オニキスは、リオの様子を見て、くすくす笑った。
「へえ。きみは用心深いんだね。面白いなあ」
オニキスは、二人を包む光へ目を向けた。
「あー、でも何か。その光?
まぶしすぎるよ。それがあったら、フォイゾイが抜けないな……何とかならない?」
「は……それは……」
森川の声が震える。
オニキスは、まるで簡単なお願いをするように笑った。
「きみは、守りの光だけ剥がしてくれればいいよ。あとはボクが、この子たちにキスしてフォイゾイを抜くからさ」
「は……それは……あの、フォイゾイが抜けたら、この子たちは……」
森川は、双子へ目を向けた。
オニキスは、少し考えるように首を傾ける。
「さあ?」
そして、いたずらを思いついた少年のように笑った。
「だいたいは冷たくなって、動かなくなるよね。ま、その辺の石ころと同じになるだけさ。どっかに捨ててきて」
「え……」
森川の顔から、血の気が引いた。
オニキスは、モルガナイトにとって憧れの存在だった。ずっと遠くから見つめていた、特別な存在。
彼の役に立ちたい。
彼の願いを叶えてあげたい。
けれど――。
守りの光を剥がせば、オニキスが双子にキスをする。そして、二人は冷たくなり、動かなくなる。
それは、違う。
オニキスが自分の推しであることと、弱い命を犠牲にすることは、同じではない。
森川が迷っていると、双子から出ている守りの光が大きく広がった。
「……っ」
銀青色の光が、森川を包み込む。
まばゆい光の中で、ひとつの顔が浮かんだ。
ダイアモンド。
透き通るような輝きを持つ、優しい存在。
その姿を見た瞬間、遠い過去の記憶が一気に蘇った。
弱い者の命を守ったこと。
脅威から逃げる者たちを、見つからない場所へ隠したこと。
誰かの命を守るために、自分の力を使ったこと。
そして、自分の本当の名前。
「私は……森川美奈なんかじゃない」
森川の瞳に、強い光が戻った。
「モルガナイト……それが、私の名前」
同時に、真の使命も思い出す。
弱い者の命を守ること。
脅威から隠すこと。
モルガナイトは、双子の前へ立った。
「この子たちには、触れさせないわ」
オニキスが、きょとんと目を丸くする。
「モルガナイト?」
「ごめんなさい、オニキス」
モルガナイトは、震えながらも彼を見つめた。
「あなたの願いは叶えてあげたい。でも、この子たちの命を奪うことには協力できない」
「そっかあ……」
オニキスは、残念そうに頬を膨らませた。
だが、次の瞬間。
建物の正面で、結界が砕け散った。
「双子を返してもらう!」
カヨウの声が響き、扉が吹き飛ぶ。
緑色の光とともに、茅子、浜野、愛、ラクス、ヒロトが建物の中へ駆け込んできた。
「アカリちゃん! リオくん!」
「茅子お姉さま!」
「お父さま!」
茅子が双子へ駆け寄る。
モルガナイトは、守りの光を広げて二人を包み込んだ。
「こっちへ! 早く!」
アカリとリオは、モルガナイトに導かれて茅子のもとへ走る。
その途中、オニキスがふと顔を上げた。
ラピスの姿に気づいたのだ。
「あれ、ラピスじゃん。久しぶり」
ラピスが、静かにオニキスを見返す。
「なに? この子たちと知り合いなの?」
オニキスは、面倒そうに肩をすくめた。
「面倒くさいな……」
けれど、その口元には楽しそうな笑みが浮かんでいる。
「まあ、面白いから遊んであげるよ!」
オニキスの周囲から、黒い闇が一気に広がった。
ラピスが茅子たちの前へ出る。
「茅子、双子を頼む」
「ラピス……!」
「ここは俺が抑える」
ラピスの周囲に、青い光が渦巻く。
カヨウも翡翠を構えた。
「翡翠、参ります!」
「心得ました!」
緑色の光が、オニキスの闇へ正面からぶつかる。
轟音が、古い建物全体を揺らした。
オニキスは、楽しそうに笑う。
「さあ、ラピス。どれくらい遊んでくれるのかな!」
ラピスの青い光と、オニキスの黒い闇が激突した。
その後ろで、アカリのペンダントとリオのイヤーカフが、さらに強く輝いている。
モルガナイトは、二人を守るように立った。
双子を取り戻すための戦いが、始まった。
ハッピー☆バード
まだ続きを書くので、よろしくお願い申し上げます。