Self-destructive behavior

この心は“正常”じゃない――
だから私は――お前を求めた

「遅い。紅茶を淹れるのにどれだけ時間が掛かっているの。……いいえ、そもそも帰宅する時間を伝えてあったのだからその時間に合わせて用意しているのが使用人として当然なのよ。それをお前ときたら、本当に使えないのね」
「申し訳ありません」
口先だけの謝罪で悪びれた様子もなくカップに紅茶を注ぎ台皿が卓子にぶつかる小さな音にさえ苛立ちが募っていくけれど一呼吸置いて、台皿を左手にカップを口元まで運び普段通りの美味しさの『お』の字もない紅茶に口をつける。夕陽の色が入り色彩を深めた紅茶。
「それともうちに来てもう二年にもなるというのにまだ白河の家の跡取りのつもり? お父上が作った莫大な借財を返済し倒産寸前だった会社を立て直して更には路頭に迷いかけていた貴方達家族の面倒を見ているのはこの桜木の家だって今一度よく思い出しなさいな」
「……ふぅ」
静寂の合間に溜息が零れる音が聞こえ、台皿を卓に置き斜め後ろに控えるお前のネクタイに手を伸ばす。そのまま力一杯に引っ張ると大きく卓が揺れ、カップの中の紅茶が波を立てる。射殺されると錯覚しそうなほどに睨み返された黒瞳の中に私の姿を見つける。
私を見下ろす艷やかな漆黒の黒髪が頬を掠める。吐息が掛かるほど近付いてお前以外の何も見えなくなる。
「言いたいことがあるなら言いなさいよ、溜息なんて吐かないで」
どれだけ悪態をついても不条理に八つ当たりしても自尊心を傷付けてもお前は何一つ私に吐き出さない。何の感情も映さない瞳で私を見下すか憎悪を宿す瞳で私を睨み付けることしかしない。その心に渦巻く感情を私には決して見せない。
だからこそ、私はずっと貴方が好きだった。
「……ん」
呼吸が掻き消される。ひたすらに乱暴なだけの口吻。目は開いたまま、相手を弄び踏み躙ることを目的とした稚拙極まりない口吸い。
黒瞳の中の愚かで醜い自分の姿から逃げるように目を閉じる。始めるのはいつだって私なのにお前の感情を知るのが怖くて逃げるのも私。

『初めまして、ご令嬢』
夜会で紹介された貴方は家柄も申し分無く、いかにもな美丈夫で立ち振る舞いも紳士的、まさに女性の理想を具現化したような男性だった。けれどそんなものよりも決して腹の底を見せないとでも言いたげに空々しい笑顔を浮かべる貴方に私は一目で惹かれた。
「っ……は、……お前なんてただの玩具なの、塵箱なの…! はっ、何か言い返したらどうなのよ……臆病者」
「…………っ」
「んんっ!」
暴いてやりたかった、あの笑顔の裏に隠してるモノを引き摺り出してやりたかった。必死に取り繕ってる本心を否応なく引き摺り出して貴方を私のものにしたかった。
だから白河の借財を買い集めた。桜木家は江戸から続く豪商の一族、金なんて湯水のように有り余っているしただの成金如き白河の借財を買い集めることも倒産を防ぐ為に出資することすら造作もない。全ては貴方を手に入れる為に画策したこと。
「俺はもう、ただの使用人です。そんな俺が貴女に逆らえる筈がありません」
「……だから、拒まないの? 仕えている家の娘だからこんな風に体よく扱われても我慢するとでも言うの?」
「………………」
「……また黙るのね、お前は」
言葉の代わりにまた強く揺さぶられ、哀れなものでも見るかのような瞳で私を見下ろす。ねぇ、私はそんなに哀れに見えるの?
「……目を閉じて頂戴。お前の目なんか大嫌いよ」
吐き捨てるように告げると左頬に綺麗な黒髪が掠め、汗ばんだ肌がより密着する。艷やかだった黒髪が毛先が汗が濡れ首筋に張り付く様が扇情的で諫めるよりも首筋に埋まり鎖骨に口付ける愛しい人の頭を撫でる。
「私ね……お前の髪は好きよ」
漆黒の闇のようにどこまでも深くて抗えないほど焦がれてやまない、私が求める結末とよく似ていて。夕陽の色すら差さないその闇色。

抱き合った気怠げな空気の中、火照った身体を押し付けお前の指先に自分のそれを絡めて弄ぶ。まるで恋人同士のようなじゃれ合いのような私達の儀式。でも指を絡めるのは私だけでお前は普段と同じく『拒まない』だけ。

――私はきっとお前を壊したい。
暴いて壊して穢して踏みつけて“ここ”まで堕としたい。

この心が正常でないことくらい私でも理解出来る。他人を傷付けて罪悪感ではなく満足感を得る心が壊れてると知っている。手中に入れるため欲しい物を平然と傷付けられる想いがまともな愛であるはずがないと気付いている。
けれど決定的に欠けたこの心では僅かに取り繕うことしか出来やしない。
だから同じように笑顔を貼り付けて何かを押し隠している貴方を知りたかった、その心を跡形も無く壊して隙間なく暴くことが出来たら私の求める結末を与えてくれる、この非現実感と既に壊れた心に終止符を打ってくれる唯一の人間になってくれることを願った。

「そういえばお前、硬貨遊びって知っていて? 硬貨を上に放って表か裏かを当てる遊びなんですって。楽しそうじゃない? 私達もやりましょうよ。お前と遊ぼうと思って卓子に出していたから取ってきて頂戴」
まだ熱の残る身体を離しお前は卓子にある硬貨を手に取る。表裏が一目で判断がつくように用意した十円を眺めながら寝台までの数歩の間で手の中で転がす。どうぞ、と十円を一撫でした後差し出した右の掌に十円が落とされる。掌に感じる微かな重みの正体を左手の指先で軽く一撫でして強く握る。
「でもただ遊ぶだけだと面白くないから何か賭けるのはどうかしら。……そうね、お前が勝ったら使用人から解放してあげてもいいわ。それも、家族全員路頭に迷わないように小さな家くらいなら用意してあげる」
「……旦那様に無断でそのようなことは」
「お父様はお前達になんてもう興味ないわよ、そもそもの目的は既に達成されていたし」
「………………」
「無駄口を叩かないところはお前の美徳ね、今更お前が喚いたところで何も出来やしないのだから、口を噤んでいるのが正しいわ」
「……お嬢様が勝ったら俺は何を」
「…………私が勝ったらその時に教えてあげる。先に選ばせてあげるのだからお前はせいぜい自分が勝つことを祈るのね」
「……なら、表で」
「それなら私が裏ね」
中指と親指の上に十円を置き、親指を真上に引き上げて弾く。硬貨はくるくると円を描きながら空中に放られる。一緒になって硬貨の行先を目で追うお前を一瞥して重力に沿って落ちてくる十円を手の甲から落ちないように上から押さえ付ける。
「気持ちの準備は出来た? おもてを向いた面を当てたほうが勝ちよ。お前が表で私が裏ね」
普段は何があっても高鳴りもしない心臓がやけに早く鼓動を刻んでいるのが分かる。柄にもなく緊張しているのかもしれない。
「…………表。お前の勝ちね。大丈夫よ、桜木の名に懸けてただの遊びであろうと約束を反故にはしない。今この瞬間からお前達は我が家の使用人じゃない。家族には私から伝えておくし何なら今日から本邸の客室を使っても構いやしないわ、家は、そうね、数日以内には用意してあげる」
「……お嬢様」
「何よ、嬉しいでしょう? 嬉しいのならこんな時くらい素直に喜びなさいよ。使用人でなくなったのなら私の部屋からさっさと出て行って下さらないかしら」
「お嬢様」
「黙りなさい!!」
振り返った瞬間強い力で肩を掴まれる。けれど食い込む爪の痛さなんて気にならないほど強い感情を向けられていると目の前の瞳に心が臆しかけ、さっきと比べ物にならないくらいに心臓が早く脈打つ。
「今さっき言ったことを忘れたの? お前の美徳は無駄口を叩かないところだと」
「なら最後にお聞きします、使用人としてではなく、白河家の嫡男として。……貴女は俺に何を求めようとしたのですか」
「………………………」
「黙るのはご勝手ですが、俺はこの答えを聞くまで貴女を離すつもりはありません」
「……何も求めてなんておりませんよ、若様。貴方こそ私に一体何を求めておいでですか? まさか貴方を慕ってた、側にいてほしいと哀願してほしいと?」
「違いますか?」
「…………………………逃げないのね」
いつの間にか離されていた肩。いつの間にか目の前の男の首に回していた腕。背伸びしてぶつかりそうになっている唇。逃げてほしい、受け止めてほしい、突き飛ばしてほしい、奪ってほしい、止めてほしい、愛してほしい、この壊れた人間性ごと全てを終わらせてほしい。
壊れた者同士、どこで惹き合ってしまったのだろう。
「哀れね。貴方も、私も、」

続く言葉は声にならず掻き消される。


(了)

Self-destructive behavior

Self-destructive behavior

大正時代、豪商の令嬢と無口な使用人の話

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2024-04-09

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