途中下車でも愛して
夢を見ているときは
ほかのことを考えないでね
夕焼けの街。足を踏み入れたことのないそこは誰かによって導かれ、また想い出を引き起こすための材料になりました。
わたしは想い出によって生かされたり殺されたりするので、もう暮らしの中にそれを感じる場所を作らないでおこうと思いました。海みたいな川を見ながらまど・みちおさんの「どうしていつも」を思い出す。簡単なことなのです。ほんとうにどうしようもなく簡単な命題をわたしは、ありえないくらい複雑にし嘆いていたのです。
星、月、陽、全てどれだって一番古いものばかり一番あたらしかった。変わってゆくことは美しいと、思えなくとも理解しようとは思いました。けれど思えば思うほどひどく遠ざかります。置き去りにされるのです。おかしいですか、大きな深呼吸をひとつしないとばらばらに朽ちるほどわたしは、それが怖かった。切り取られた海の一部を見ながら変化しているねと笑ったあなたは怖くなかったんですか。まさかこれさえも記憶にして、しまいこんで、また行儀の好いときに「あれはああだった。」と、記憶のとりこになり雄弁に語るのですか。信じられない。
わたしは、きっと想い出がなにかの公式なら、中身を失った形だけの公式なら、誰かを新しい誰かをその場その場で当てはめていたのでしょうか。きっと愛していたんです。たしかにわたしはその時、いつだってきっと愛していたのです。それがうつろな瞳のわたしなら、もう助かる術などひとつもなかった。
連絡船への片道切符をぼろぼろにした。
くまの住処を帰らぬところにした。
代わりなんてないと、いってほしかった。
退廃的になってしまってもなお、がんばろうとは思います。惰性なんかではなく。
どうしようもなくてもおしまいでも分からなくてもそれでもなお、進まなくては生きてゆけないから。籠の中のわたしですら、レールを自らひかないと、わからないほどここは暗く静かだから。
理想を語って羊水のような文字に揺蕩い、さようならもいえなかった弱さを粉々にして、今日も行儀良く座っています。教えられた箸の持ち方を流し目で愛しみ、しんだ抜け殻をかわいそうにと撫でています。
いつどんなところにいても、ほがらかに笑うあなたを赦すことだけが真理と、楽になれた往復切符だと、心から思える愚かさがわたしでした。
途中下車でも愛して