真紅の禁戒 第一章・第二章

  第一章 薔薇貞節守護宣言

 恋愛、禁止。
 わが戒律。うら若き「(わたし)」と久遠と匿名に林立する「わたし」とを縛る、肉体と魂との不可視の契り。かの聖なるものにさずけられた至高のくるしみ。使命への一途なる貞節。いわく、わが意志による孤独の守護への同意。復唱しよう。恋愛、禁止。
 わたしは祈ってもいるのだった、いつやそれ、淋しさと愛への渇望に磨きぬかれて、果ては睡る水晶どうように純化されんことを。さればそれ、わたしは微笑でもって、他者へあけわたすのみなのである、まるでこどもが綺麗な石ころを、愛するひとのてのひらへ、そっと手渡すようなきがるさで。
 そう。わたしは、アイドル。ファンなるひとびとへの、奉仕の美である。
 天上の音階を駆け昇る高貴なる妖婦にして、俗なる海の底に身をうずくまらせる聖女なる職業。わたし、この俗のきわみにのみ宿りえる聖性を、こころから愛している。他者をよろこばせ、娯しませたいという魂本来の一途にして素朴な感情の迸りに従うこと、みずからを、その「商品性」に徹しさせるひたむきな努力こそが、わたしの使命の第一条件なのである。
 アイドルとは、仮面としてのガーリーなコスチュームに純粋へ剥がれて往く魂を蔽い、ファンにすらそれを売淫することを拒む、あまりにもピュアにしてコケティッシュな、瑕だらけの生のうごきをいう言葉だ。

  *

 齢、二十二。扨て、どこから語りはじめよう。
 わがIDOLとの邂逅──それから、語ろうか。
 少女時代、いまでもそうであるのだが、わたしには一日いちにちが、ただ生存にせいいっぱいであった、当時、なにがわたしにそうさせているかすら解らず、おそらくや、この世界の空気のようなものが、わたしの躰には合っていないのではないかという自己憐憫めいた訝りが、「この推測は果して真であるか偽であるか、この苦しみは善か悪か、この感情は美であるか醜か」、そう絶え間なくわたしに問いかけていたのだった。正しく、美しい、善い世界。まちがっていて、醜い、悪いわたし。色彩の異なり、罅割れ浮きあがり乖離してゆく、わたしに対立する世界と、疎外者としてのわたし。世界より迫るリフジンという名の敵との、死への渇望必至の闘い。そんな二元的な世界観を、幼少期より現実に適応する為にもったのが、少女時代のわたし。いまにもわが身を呑みこもうとする死の誘惑からひっしで躰をひきはなすうごきに、わが身はまるで疲れ果てていたのだった。
 病んでいる。そう想ってもらって、かまわない。わたしはわが病状の報告を、いまここでつまびらかにする意思はない。わが病の報告をするのならば──シモーヌ・ヴェイユの真白と、シャルル・ボオドレールの漆黒を偏愛しており、その色彩は、自己無化という意味において互いが上と下という矛盾をもちながらも、色彩学の通例どおりにおなじものだと想っている。青色へ往かんとし、真紅を吐きだしたいという妄念に苛まれ、黒の病める少女衣装に身を包み、そして、ましろの美を怖れる。それで、いったん説明を終えよう。
 高校生になるまで友達なんていなかった、ダンゴムシ、それくらいだった。かれ等、よわくて惨めったらしく、リフジンに押しつぶされる社会的弱者のように住処は石の下、些細なことでうずくまるように丸まって、やはり、わたしのファンの男のひとに似ている。握手会で、ほんのすこし怒ったふりをしたらあたふたして平謝りする、わがいとしきファンたち。愛らしい。そうも想うのだ。けれどもわたし、こういう男を恋愛対象にはみられない。優しくても、勿論よわさをもっていてもいいけれど、背をおおいかぶさるような巨きな愛と信頼に身をゆだね、心と心に結われてみたい。
 そんな少女であったわたし、テレビを見ていて、ひとりの女性アイドルが目にはいる。ヘアスタイルは当時に限ってはアイドルらしくしていたものの、その吐き捨てるような口調、まるでアイドルとは想えないようなぼそぼそと籠った低音の、まったく媚を偽装る気の伝わらない、しかし、暗みの籠る色香が鋭く迸るようなそれであった。まるで暴力の兆、銀の音立て硬くかたく薫るよう。
「清楚な女子は染まってない? 莫迦じゃないですか、そんなの男性の願望の投影ですよ。わたしの考えでは、清楚っていうのは、無疵のものにいう言葉ではないですよ」
 その言葉に、透明に焦がれ、だんだん汚れて往くみずからを責めていたわたし、息をのんだ。
 そのアイドル、その荒んだ言葉に反し、淋しいほどに透徹した眸をして、こういったのだった。
「清楚とは、瑕を負いつづけて、磨き剥いてゆくものです。不純を引き離し、削ぎ落して立ち現れるもの、それが純粋です」
 水樹晶。
「プラトニック・スキャンダル」という、元々地下で活動していた女性アイドルグループの、人気最高メンバーにしてイメージ最低(褒めている)の問題児。
 どこか暗みが輝いていたような二〇一〇年代後半を、まるでアイコンとして象徴されるようなアイドルの一人。不器用、失言多し、態度悪し、社会不適合者、生きる力がよわそう、あふれでる教室の外れ者感、アングラでしか生きられない異端者がまちがえて表で光を浴びてしまい、きっと睨みつけるも滲み出る人見知りオーラ、それが後光と射すような凄まじい場違い感、その割に我がつよく、空気は読めるのか読めないのか、思い遣りはあるのかないのか判断不能(この辺り、ファンは買いかぶりすぎであるかもしれない)、発言は基本的にマイノリティな価値観による攻撃的なそれ、根は優しくて繊細だけれど誤解されやすい(これはファンだけがいう)、そんなイメージで売っていた彼女、いつの時代も一定数存在する、生きづらさを抱えた病める少年少女たちに、カリスマ的人気を誇ったメジャーアイドルであった。国民的アイドルであったか否か。支持率・好感度という尺度をもってすればおそらくそうとはいえないであろうが、しかし、露出の頻度やカリスマとしての周囲の持ち上げ方は、はやファンのわたしからみても過剰といえるほどであったかもしれない。
「あれはセックス・ピストルズのシド・ヴィシャスの人気に似ているんですよ」
 とあるアイドル評論家が、そう書いているのを読んだ。
「自分じしんでしかいられない、いわば、パーソナリティをつくれない。社会的な人格を構築できないんです。そうじゃないかもしれないけれど──シドもそうじゃなかったしね──すくなくとも、そういうブランドイメージをもっている。歌もダンスも下手でしょう、ただ、正直なパフォーマンスをするでしょう。あのひとはあのひとでありつづけることで商品価値が宿って、一種のイタいとみなされるひとたちに勇気を与えるんです。まあ、パンクではあると思いますよ。引退したらパンクバンドを結成して、作曲も楽器もできない下手くそボーカルで食っていけるんじゃないですか」
 引退したら──わたしはこの言葉のつづきを、はや、読むことができない。
 当時のプロフィール。まだ、グループにいた頃のもの──彼女、一年で脱退したのだ。

 名前:水樹晶
 身長:一六〇センチ
 好きなアーティスト:Ms.Machine、バッハ、ワーグナー、フォーレ、シド・バレット(かれがいた時のピンクフロイド)、ニルヴァーナ、ブラック・フラッグ、Pファンク、灰野敬二、ヤニス・クセナキス、ジャニス・ジョプリン、ビル・エヴァンス、キース・ジャレット。
 尊敬する人物:いない。
 仲のいいメンバー:いない。
 好きなファッションスタイル:服に興味ない。
 将来の夢:ない。生き抜けたらいいな。
 五年後のあなたはなにしてる?:アイドルはやってない。
 ファンに一言:応援してくれてありがとう。表以外で関わらないで。

 学校に一人はいそうな、ぽつんと机に座り、ヘッドフォンをつけ周囲を拒絶した印象の、教室に馴染めない、しかし内に淋しさと過剰な自意識を抱えた少女が、その熱情を劣等感と炎と膨れる自意識込みで迸らせたような、そんなキャラクター。思春期の自尊心、劣等感、淋しさ、怖れ、そんなものが複雑に混合し、罅割れ揺れる玻璃の青い花のように不安定な印象の、きんと蠱惑めくあやうさを帯びる、銀の硬質な香気を散らす言葉たち。それがかっこよくみえたのは、彼女が、美しかったからだろうか──しかしファン以外からは、しばしばルックスを批判されていた、たしかに、芸能界のなかでは、とりわけ綺麗な顔立ちをしているわけではなかった。
 否。否。否。ルックスなんかじゃない、水樹晶は、ステージの上で、どこまでも格好よかったのだ。Primitiveな、いわく人性の根源よりわき昇る幼稚な衝動──「インチキに埋れて生き損なってんじゃねえよ!」とでもいいたげな、破壊的で率直なパフォーマンス、たしかにアイドルというより、パンクロッカーみたいだった。しかしその歌詞、大人が書いたものであり、彼女それを拒絶し、ソロアイドルになったというのが定説である。
 そう。彼女はアイドル、大人たちにしっかり商品として加工され、メディアにいいようにわるいように印象操作され、水樹は、そのイメージと自意識との──そしておそらくや、彼女固有の理想との──乖離にくるしんで、たびたびインタビューで死にたい気持を暗示するようになり、さすれば構ってちゃんだと揶揄され、そうして、さながら約束を果たすように、丁寧に死の縁へ寝返りを打ち、死の欲望にいっせいにたたみこまれるように舞い墜ちて、投身自殺を果たした。

  *

 以下、ブログの更新最終日より。

  ブログタイトル:ご報告

  遺書
 わたし、不良なんかじゃありません。
 スクールカースト底辺の、英雄なんかじゃありません。
 インチキを告発するホールデン少年さながらの、ナードなロックスターでもありません。
 ただ、幾ら工夫し無理に装っても社会にぜったい馴染めない、純粋な愛と正直なやさしさに憧れる、ひとりの、病的に内気で臆病なエゴイストでしかないのです。嘘をつきたくない、正直に生きたい、(優しくなりたい)、これはほんとうだけれども、わたしがそれを歌うたび、ファンはわたしの闇と怒りだけをみて高揚喝采し、それ以外のひとびと、それこそがインチキだと罵り喚く、たしかにいい齢をしたわたしのそれには幼児めいた不気味さが籠るのは自覚しているけれども、わたしには、その自他より為される批判に耐えうる(つよ)い神経がないのです。生きているだけで、神経が痛い。いうなれば、自殺の理由はまさにそれ。痛くて、いたくて、耐えられないので、死ぬことにします。逃げ。弱さ。甘え。どうか、それ等だけでわたしの死を片づけてください。どうぞ、全的に軽蔑してください。それだけが、わたしからのお願いです。
 わたし、シモーヌ・ヴェイユみたいに、靭く、(やさ)しく、かよわく、美しく、さながら、紗の砂はらはらと零れるがように、しんとしずかなましろの寝台に横臥わるがように死にたかったな。美と善の落す翳の重なる領域に、うっすらと月光を浴びて、かのひとの捧げ花のような骸、幾らかのそれを星のようにほの青く反映さえして、屹度横臥してあったのでしょう。剥ぎ落されたましろい光。まっさらに剥かれた音楽。そが闇へ閉ざされんとするまっくらな死は、はや、めざめの黎明をさながら月影から真の月が昇るがように、上澄と浮ばせたようであったことでしょう。…
 お父さん。
 お母さん。
 そして、弟よ。
 けっして、断じてあなたたちにわたしの死の責任があると想わないでください。ひとの人格をかたちづくるのは、産まれもっての気質と環境との相互関係に宿る相性であるとわたしはかんがえている、意思によるものは自我のうごきであると想うけれどもそれの存在の有無・全貌のうごきいわくわたしには不可解、たといわたし自身にだって、わが身がここまで苦しむわけを亮と識ることはできないのです。唯、ひとには各々の不可視の苦痛があり、それは他者にはけっして理解できず癒すことすら不可能であり、わたしに生れついたわたし固有のそれは、すべて抱え込むにはまるでわたしに向いていなかった、そういうことではないかしら。信じて。わたしは、あなたたちに、せいいっぱい愛されていました。愛されていました。こんなにも愛されても死をえらぶ内気な性格に閉ざされたわたしはもしや、受けた愛を自覚するシステムを躰にもたないのかもしれません。
 さようなら。
 わたし、アイドルですらなかったようでありました。
 傀儡としてわたしの翳を売淫しただけの、人間になるまえの何か、よく解らない、肉と観念の混合と乖離の、肉塊の付着した一つの神経であったようでありました。

  *

 もっとも彼女の遺志を裏切った者等、それはファンなのであった。
 ファンはこの自死を、尾崎なんとかやなんとかコベイン等の嘗てのロックスターのそれ等と重ね合わせ、どこまでも、どこまでも純粋な生と死であったと祀り上げたのだった。死後につくられたファンサイトは、「宗教のにおいしかしない」「ファンの書き込みが病んでいる」からとして、一部では「閲覧注意」とされている。
 一度だけ読んだことがあるのだけれど、ファンの男性たちの、まるで死美人の裸体を淫らなる意欲で舐めまわすような視線で「美少女アイドル・水樹晶の悲愴な死」という美麗にすぎるまでに装飾し塗りたくられた観念を眺めまわし弄るその眼差は、おなじファンであるわたしをして、劇しい嫌悪の感情へと駆らしめた。
 もしほんとうに水樹を愛するのなら、その生き方を信じるのなら──現実を、塗るな。その本性まで、いたみながら、剥け。
「純粋さとは、穢れをじっとみつめうる力である」
 かのシモーヌ・ヴェイユのあらわした、世にも美しく硬質で強靭、それの促す生のうごきにおいて脆くも柔らかい領域をむきだしにするような箴言を大切にしていたのは、水樹晶、嗚そのひとであったのに。

  *

 わたしは水樹に、いや、「晶ちゃん」に、誤解によって命を救われていたのだった、彼女が与えたイメージ、「社会不適合者でも、死にたい気持をもっていても、そのひとらしく頑張っていたらかっこいい! 訳アリ人間の必死で生きる姿って可憐じゃん! 病んでるのって個性じゃん! わたしの生きたい生き方を生きていい、わたしの闘いたい闘いを闘っていい、わたしの愛するうごきでわたしの愛したいものためにうごいていいんだ!」に、自殺を延期されてもらったのだった。励まされていたのだった。水樹のおかげ、水樹のおかげでわたしは生き抜き、シモーヌを知って、虚無を起点と踏み虚ろに赫う城へ腕ふり立ちあがる勇気、わたしの「わたし」を生きようと走る或いは佇む勇気がえられ、そうして、くるしみたい苦しみをくるしめる歓び、まるでわが肌と神経でいたみを伴い識ったのだった。
 然し、水樹の自殺を知って数日後の話、死んだように睡り学校をさぼっていた十七歳のわたし、真夜中、なにかに操作されたように脚をうごかされて、無思考のまま、部屋のベランダからわが身を突き落としていた。記憶はない、気づいたらベッド、しばらく経てば精神病院の閉鎖病棟。そして、まるで故郷を喪ったあわれなエルフといっても信じてしまうような、浮世ばなれしてふしぎな淋しさをただよわせた患者たちや、やたらとひとあたりの柔らかい医師と話す日々を経て、二つの診断名がついた。数か月後、退院。
 わたしは高校を辞め、十八と偽ってコンセプトカフェで働き貧しかった家に金をいれながら、亦アイドルオーディションへの交通費などを調達できなかった為に、十八になれば短期で身売に自己を投じたりしながら(誰にもいわなかった)、地下アイドルの面接を受けつづけた。
「アイドルなんてさ、」
 と、当時の友人がいったことをおぼえている。
 彼女、わたしが辞めた高校の同級生で、社会で活躍する向上心をもちだしていて、だんだん、わたしとは話が合わなくなってきていたのだった。何故って自殺未遂以来、わたしははや、下降したいとしか欲求しなかったから。退行しか、したくない。堕落だ、堕落。重力に従い墜落して往きながら、理不尽に背を圧しつけられて、そのなかで、魂の鎌首をぐいともちあげ、まるで翔べない翼はためかせて天へと昇る筋力を鍛えあげる、そして、全我の重量を掛け蒼穹見据え、どうにか、美と善の落す翳の重なる処、あかるめようとしていたのだから。嗚、水樹晶。かのひとのように。わたしは、水樹のうごきを、模倣しようとしていた。
「商品じゃん。大人にいいように利用されていうこと聞いて、男ウケのいい嘘のパッケージ貼られて、若さと性を売るだけでしょ。商品になりたいの? 若さと性的魅力を消費されたいの? わたしは価値あるものを作り出す側になりたいけどね」
「商品?」
 わたしはふだん大人しい、気弱だ、しかし、激情を抱え込んだ、いわゆる、情緒の安定しない人間である。ある起爆剤を踏まれれば、たたみこむように不可解な反駁を打つ攻撃的な臆病者だ。
 十八歳。武装様式は「地雷系」、いつや爆発いたします。
「わたしは、商品でいい。純粋な商品性に徹したい。ひとを喜ばせたい、娯しませたい、これは、人性より迸る素直な気持になりえるの。おぼえてる? わたしたちの愛情のはじまりは、だいすきなひと──それは多くの場合親であるけれど──喜ばせて、喜んでいる顔がみたいという、一途なそれではなかったかしら? わたしは、感情と行為、現象をすべて優しい光で一途に透したい、それは不可能ではあるけれど、それがわたしのめざす生き方なの。
 わたしはほかのひとびとと同様に、たくさんの悪を享けた、暴力を受けた、理不尽なそれだった、わたしが一途な優しさを行使できなくなったのが、わたしたちは不幸であるという証拠なのかもしれない。悪を受ける。だからこそそれを他者へ投げつけたいという欲望をもった、けれどもそれでは悪は連鎖する。連鎖するでしょう? 悪を享けて、理不尽な暴力を受けて、そのうごきによって水晶を瑕に磨いて、引き離して、純粋さって闘いだ、無疵のそれなんかじゃない、その光りの水晶を他者へ一途なる音楽に徹して明けわたし、さっとこの世から消えること。それが、わたしの夢なんです。商品、上等です。使ってください、どうぞ使用してください。魂だけはけっして売らないけれど、肉に属すものであればなんだって売淫りましょう。そんな、気持です」
 彼女はこちらを見もせずにストローをくわえたまま静止し、「ふーん」とだけいうと、
「うん、それがナオちゃんの夢なんだね。全然否定する気ないよ。いろんな生き方あるよね。でも自分のこと不幸って喚くのはみっともないよ、与えられたもので幸福なんだって自覚して、その配られたカードでせいぜい成功できるよう頑張んなさいね」
 わたしたちは、またと会わなかった。

  *

 十八歳と七か月、漸く、地下アイドルグループの面接の書類選考を通った。ここまで掛かった理由の推測であるが、どうやらわたし、ある程度の猫かぶりくらいはできるけれど──それ、後ろめたくもあるけれど──容姿の魅力に、乏しいらしい。構わない。アイプチ。やや濃いめのノーズシャドウ。とるにたらない。わたしは、IDOLへのうごきを身振と模していたいだけ。神殿は蒼穹であり、あるいは現実の理不尽という冷然非情の風景、それ双頭の女神ともいえ、教会はわが部屋のアイドルオタク領域──死者の記憶の一群が刻まれている、厳粛な領域。
 レッスン。ほどほどの、厳しさ。会社に従属させようとする意思は伝わるが、運動のレベルとして大したことはない。従順な練習生として育て上げようとする一方で、幾分ぎこちのない、一種愛らしいうごきでデビューさせようとする事務所の意図を感じる。ここに拘りはない。どちらでも、構わない──いや、わたしは運動神経がわるいから、たすかったのかもしれない。
 そのデビューを目指すグループのコンセプトは、「アッパー&ダウナー↓クラッシュ」、曲調はハードコア・パンクとグランジ・ロック、サイケデリック・ミュージックのミックスを基調とし、しかしメロディはポップでメロディアスなそれを志向、衣装のデザインに少女らしさはみいだされるものの、破けていたりどぎついペイズリー柄だったりしていて、いわく「病みカワ」以外は部屋着しか所有しないわたしには、よくわからない感じである。しかしこのコンセプト、もしやわたしに、世にも調和するそれであるかもしれない。
 そう。年齢のそれでなく「概念」の意味における「少女」、わたしいわく「概念少女」とは、劇しく炎ゆる激情と蒼ざめた憂鬱を抱えこみ、その混濁の挙句、何らかのものを紫の曳く閃光と貫き破壊せんとする危険な存在。して、パブロ・ピカソがそういったように、産まれもっての芸術家である筈だ。裏切らない。わたしの本能からをも堕ちた領域にある本性のわたし、魂の睡る領域、いわく、「わたし」をけっして裏切らない。その貞節をさえ守護すれば、わたしたちはみな芸術家であり、その決意とうごきとを殺さないかぎり、少女は「少女」として、勁くつよくなりえるのである。果てに素直な心情に従って、澄む光のいきれを毀せるようになるならば、はや、詩人的といってもいいかもしれない。
 ところで、「少女」なる言葉を解体し、幻想・理想をモデルに縫い合わせ再構築して、さればそれ、虚数として追究してみよう。何故虚数といえるというに、それ実在しない概念であるが確かに宿ると信じられるにあたいすると判断されることにくわえて、聖性という、赫う城へ到達するという不可能への推論を投げるために目的のための道具として必要とする、天上に浮ぶ金属質の豊穣かな砂漠ともいうべく概念であるから。そして、虚数は実在しない。しかし、在る。不在として、たしかに、在る。
 扨て、「少女」とはその前提として、高貴性というものを必要とする。異論に関心はない。しかしその高貴性というのは身分や社会的価値等外部から与えられたそれでなく、ただ産れもったそれを守り抜こうと、心身ともにズタズタになっている状態をいう。純粋さを守護し、汚れつづけるそれを瑕に磨いていく狂おしい勇敢なうごきをしつづけられている、これが、概念的な意味での「少女」の条件である。「少女」の魂から高貴が香気と昇るのは、もしそのひとが「少女」であるならば、屹度それ本能的に識っているであろう。湧きあがる無辜の激情は、他者の善を信じ抜きたいという甘ったれたそれであり、ごくごく自然に、愛という不可解きわまる狂気的な言説に美しい夢をもつ。恋愛と愛を亮と区別することを全身全霊で拒み、愛を実現し立証する恋愛の他いっさいの恋愛をそれと認めず、その余りを軽蔑、そして唾棄さえする──ここに、「少女」特有の冷酷・残酷がみいだしえる。「ほんとうに大切なことは目にみえない」、当然きわまるものとして、「少女」の魂はそれをすっと心の根から理解する。Primitive──わたしたちは、そうでありたいのです。其処まで底まで根まで墜落、「我」を匿名と久遠の林立する「わたし」へと、一途に堕として往きたいのです。
 紗の音を立て砂と抛り、希みをいだき、真直ぐに墜落して往く所存である。
 このうごき、このうごきに血とともにかよう光と音楽の共同舞踏、それ果たして、高貴でなくてなんであろうか? 有機に宿りえる高貴とは、優しさに出発した勇気のうごき、そこより薫る鮮血と純化された体液の深紅な香気をいうのである。少女とは、わが魂を天上のうつしみとして翳とわが胸に抱き、けがれることを怖れ、そうして、既にしてけがれた部分をどこまでも嫌悪する。剥ぎ落そう、剥ぎ落そうと四苦八苦する。純粋。優しさ。頸さ。闘い。素直に生きて、優しくて、愛らしい戦士に、たとえば、魔法少女のようなものになってみたいのです。そのためであるならば、何処までも、どこまでも戦い抜くのがわたしたちだ。

  *

 概念少女の倫理学。誤りの例。
・Xをしなければならぬ、とされている。故に、それをしなければならぬ。
 不可。わたしは、「わたし」に従うから。わたしの倫理は、わたしだけのものだ。
・Xをしたい。故に、それをする。
 不可。「わたし」ではないわたしの意欲に、従いたくもないから。

概念少女の倫理学。唯一の正答。
・Xを「わたし」はしたい。そのために、前提として注意ぶかい思索とくるしみを重ねた。従って、全我を賭けてそれをしなければならぬ。──同意。


  第二章 少女戦闘同意手続書

 戦闘、同意。
 その戦闘を開始するには、先ず手続を経ねばならない。
 以下、同意書。

・世界に在る鋼の巨人、理不尽に従属しながらも、わが美と善を抱き決してそれから手を離さないうごき、理不尽に斃れ、頸元をそいつにぐっと圧しつけられながらも、魂の鎌首を全身全霊で挙げて、美をみすえ、善くうごきつづけるというくるしみをひきうけることができますか?──同意。

・勇気ある有機のうごきをしつづけることができますか?──同意。

・されば「わたし」に付着した虚栄をできるだけ剥ぎ落そうとする、観念的な、あまりに観念的なくるしみにくるしみぬくという「損ない」を被ることができますか?──同意。

・それが果して有意味であるか、みずからを良い方向へ導くか、まるで不可解の混沌のなかで生を台無しにする覚悟でそれに賭けんとする、脱落と墜落と失墜のうごきを、「全てそれでいい」と投げ遣りに愛する不可解へ、幻の絶対的な城へ走ることに同意できますか?──同意。

・わたしとして、死ぬ迄を生き抜くことができますか?──同意。

 これ等のうごきは、芸能界という理不尽きわまる環境で、世にも稀なほど充実していて、わたし、この環境にこころから感謝を捧げる者である。

  *

 ところで、遅ればせながらも自己紹介。
 わたし、その名を「鈴木直子」、公私ともに愛称は「ナオちゃん」で、みずからによってつけられた芸名、我ながら少女趣味的潔癖の薫るようなそれ、「紗希(すずき)なお」であります。この苗字は水樹の遺書にある失望の「紗」の砂と、そこへとび立たんとする「希」望からとったそれなのです。わたしはこんな自分の趣味を、如何にも愛らしいものと想ってもいる。サイトのプロフィールに書かれてある座右の銘は、「きちんと生きて、きちんと傷ついていく」。今更の、自己紹介である。
 つまりは、創と記す如く丁寧に、概念少女的倫理に照らし浄く正しく、然るべく疵を負っていかねばならぬ、そう戒めている人間がわたしだということである。傷負わぬ頑丈な防衛を背に負うのが大人であるのなら、わたし、大人になる気はさらさらない。わたしは、神経をまっさらへ剥きたい、「悪」をまるで肌に徹していたみへ純化して、神経の隅々までそれを感受して、踏み外したひとの偽の悪い本性に、まるで世界をはじめて訝しげに眺める落ちてきた幼児のように愕き、慄き、傷つき、されば一度死にぞこなったわたし、その背にましろの「雪の制服」──澄む淋しさと見紛うほどに、清む死を照りかえすそれ──さっと羽織るように負って、ひとのこころの風景の、切なくも林立する透徹した美を夢みなければいけない。
 されば美をみすえ、善くうごく。憧れへ、迸るままに舞踊する。
 心の底から一途に歌い、現実という仮の主人へ弓を吹き、理不尽を舞踊り、いつや、月夜に舞踏る。
 わたしの仕事は、アイドルである。ファンに求められる虚像を演じ、ファンの喜びを増やし、悲しみを減らす職業だ。
 わたしは愛玩の道具である、というとぞっとする程自虐めくけれど、しかし、わたしのような疎外感を所有した人間にとって、自己と観念的な憧れを繋ぐ媒介となる「世間」なるものと、どうにか関係するための道具というのが何らかの仮面に自己を合わせるであるとわたしは考えていて、その虚栄性のようなものは殆どの職業にいえることであろう。職業とは、そのひとと社会を仲介させるある種媒介道具だ。わたしは職務にわたしの心身のシステムを合わせる気はさらさらないが、だからこそその違和を銀に締め、背骨にわななかせ、労働なるものを全力でやるつもりだ。
 わたし、その猫かぶりな仮面をさいごのさいごに不合理と砕き割り飛翔させるうごき、それが、「愛のうごき」ではないかしらとも疑っている者だ。
 聴いて。
 セックスなんかの話じゃない。わたしの推測では、愛とは、もしそれがあるとするならば、「わたし」によりすべての装飾と肉を脱がせ、他へ全的に投げだすものである。
 わたしへの注意。わたしの純粋への悲願はわたしのみに適用せねばならず、いうなればみずからを王国と変容させる作業でもあるが、その純粋への主義を集団へ適用すれば、わたしはどこまでも国家主義的となりえるであろう。従って、わたしは孤独でありつづけなければならぬ。孤独でありつづけなければならぬ。
 わたしは、みずからを王国へ装飾するのだ。女王様は、燦りかがやく月硝子城。
 すべてを脱ぎ肉からも脱獄した人間がそれでもなお人間であるということ、それを立証する為に、わたしは死ぬ迄を生きる。ひとの善心を信じるために、死にたいほどのくるしみに抵抗する。わたしの信仰を信じるに値するとみなすために、わたしは生き抜く。わたしが生き切ろうとするのは、生きることそのものが祈りであるからだ。
 わたしを世間と関係させるものは演技であり、仮面であり、それは淋しいことであるかもしれないけれど、しかし、わたしがこれまでしていたことと何ら変わりはない筈である。ということは、実はわたし、アイドルが性に合っているのかもしれない。

  *

 アイドルの仕事とは、表面を美しく磨き、愛してくれるひとびとの喜びへの奉仕に徹し、自己を「商品」に剥いて往けばいくほどに、逆説的にその生き方が商品性から離れて往くという点において、ある種の芸術家のそれに、よく似ているよう。
「名声なぞ欲しくない、俺は大衆に迎合しない」とうそぶく、孤高の思想家ぶった堅物のそれよりも、みずからを戯画と示した芸術家の、内奥の領域を瑕つけ磨きぬかれた商品を、わたしは愛する。
 何故といい、けだしそれこそが天へ投げ放って銀の瞼を剥がし、仮の神なるものを引き摺りおろしえる作物であるから。
 ボオドレール。わたしはカイン。カインに奉仕しようとするカイン。仮の神へ弓噴く背徳の俗悪人。即ち、わたしはアイドル。ファンなるひとびとへの、奉仕の美。

  *

 デビューお披露目に遡ろう。十八歳であった。其処は地下劇場であった。
 ややしか高さのないステージに、別のアイドルグループを推す男性たちが百人程度、なんだか壁は煤けていて、男性たちの体臭がステージの裏にまでむっと香り、如何にも地下の偏見どおりといおうか、アングラな領域だという感じがした。わたしは俗悪美を愛好しているので、むしろこの雰囲気は望ましい。抑々わたしは体臭というものに嫌悪がない。
 わたしたちは二番目だった。一番目のグループがステージに上がり、観衆がわっと歓声をあげる。ここに立ち歓声を浴びた人間というものは、忘れることの不能な強烈な歓びをえるらしい。脳内からなにかの物質が迸るのであろう。従って、わたしはそれから「わたし」を守護するために、銀を注ぎこまれた背骨をきっと立たせ、ひとの背にレリーフと構築されその聖性を表面に月影と浮ばせた突起、世にも美しい線を意識してその場にいるありとある人間と意識のなかで林立、そして、着せられた奇妙奇天烈な衣装に躰を防御し悉くを撥ねかえす決意に、ふたたび身をかためた。
「ドキドキするね」
 と、ひと懐っこく愛嬌があるが幾分自分の話が長くわたしを辟易させるメンバー(彼女のアイドル的パーソナリティーは、大方これを活かすべきだと想われる、素でかわいいとことがある)、川野春子先輩が緊張のしすぎによる笑みを浮べながら、わたしに話しかけてくる。
 やや悪いようにいってしまったけれど、わたし含め五人のメンバーのなかで、わたしとにこにこしながら会話してくれるのは、春子先輩のみである。
「はい、わたしステージに上がるの初めてです。春子さんもやっぱり緊張するんですね」
 と、ふだんの習慣どおりに嘘をつかないように注意しながら、なるべく本心と言葉を徹すように、然し相手への失礼のないように軌道を修正させて話す。
 大森は、以前べつのアイドルグループで活動していたために、年下ではあるが先輩である。
「するよー。久々だし、なんか膝破けすぎだし」
 大森のスキニーは、ダメージが幾らなんでも入りすぎている。それにピンクと黒のストライプのカットソー(然り女児を想起させる)、黒髪は眉までの前髪をそろえたツインテール。小柄で童顔だが体型のバランスのいい彼女に、よく似合っている。
 翻ってわたしの衣装はわたしを美しく装飾するには、わたしの骨格ストレートというものを理解していない。イエローベース春の肌の色にも合っていない。不服。わたしには自分はファッションセンスがあると自負することはけっしてできないが、ふだんわたしの美意識と独自研究によりアレンジされた「病みカワ(兵器としてのそれはむろん嫌悪の対象であるけれども、わたしは「地雷」という言葉の暗みの火花散るセンシティブな字面・音韻をどちらかといえば愛しているほうである、が、「系」で括ることは概念少女的倫理に反しているため、よっぽど自虐的反抗をしたいとき以外は「病みカワ」という言葉を使用することにしている、わたしはふだん無口なほうであるが部屋で書き殴る文章においては大森の何倍も喋りすぎていて、これは屡々ブログの書き方に指摘されてきたわたしの傾向でもあろう、だがわたし自身より湧く正直な気質がありとある方向より射す自意識に揺らめき、この横にぶれていきながら劇しいグラフをえがくような文体を迸らせるのであるため、わたしはこれに従うほかはなく、されば…自制。)」を愛好しているために、「わたしには似合っていない」と殆どいいきれるのである。
「そろそろステージです」
 扉が開け放たれた。わたしは愛していもない男たちに躰を投げだすように跳びこみ、そして「わたし」を何ひとつ明け渡さない決意に貞操を固めた。…

  *

 二階堂奥歯、『八本脚の蝶』。
 わたしは高揚と自尊心向上を毀し、浄化させるようにこれを真夜中に読み耽った。「精神の浄化」という不潔きわまりない概念を嗤いながら。
 わたしはこの書物を、水樹晶のブログで知った。危険な悪書。それであった。というのも彼女の言葉は、ある意味において、わたしを殺したのだ。はや以前のわたしにはもどりえない迄にわが身を砕き、破壊した。わたしはけだしそれゆえにこの書物に惹かれた。絶世の殺意がこもり、ともすれば真白な爪で鋭く読者を剥ぎ殺すような言葉を、わたしたちが愛する。
 穢してください、利用してどうぞ。毀してください、殺して、いいよ。
 その悉く、わたしの「わたし」は撥ねかえすから。
 わたしはおまえの発情材(ポルノ)じゃない、現実が「わたし」の発火材(ポルノ)だよ。炎えあがってやる。炎えあがってやるんだ。つよく。冷たく。青々と。
 低潔になりたい。低潔になりたい。
 わたしたちが縛られ嬲られ躰を利用され尽くしてみたいというのと、われわれを性的に搾取しようとする男たちの欲望を是認しないということは、けっして矛盾しない。なぜってわたしたちに、躰なんていらないのだから。躰があるということが、不気味きわまりないのだ。躰と水晶の関係は、いわく不穏。
 ポーリーヌ・レアージュ、『O嬢の物語』。
 共感? していませんけれども。「共苦」まで、レッスンするのみ。今宵は、以上。おやすみなさい。

真紅の禁戒 第一章・第二章

真紅の禁戒 第一章・第二章

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更新日
登録日
2024-03-09

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