名前はまだない

 今でもふとした時に——何の前触れもなく、因果関係も不明だが——私は、幼少の頃の記憶が蘇ることがある。しかし、そこに明確な映像は伴わない。感情と感覚の世界。恐怖と不安、そして、闇と振動。狭い部屋。喉の渇きと孤独。草葉の匂い……果たして、自分に一体何が起きたのか、全く思い出せないでいる。しかし、それまでの平和で安穏な暮らしが、突然崩壊したことは理解した。いや、奪われたのかもしれない。どちらでも大差ないのだが。
 時々、音声の記憶が伴うこともある。大人達の会話。苛立つ男、感情的な女。ヒステリックな罵り合い。投げやりな態度。私への攻撃的な言葉。同情と諦念……理由は分からない。何を言い争っているのだろう? 何故、私は忌避されるのだろう?
 prestoで、激しく波打つ鼓動のリズムが呼び戻される。全身の筋肉が強張っており、全力疾走した後のように呼吸が乱れる。しかし、ほんの数分前のことが思い出せない。何故、私はこんなに疲れているのだろう。今まで、私は何をしていたのだろう。いつも答えが見つからぬまま、現実に呼び戻される。何事もなかったように、日常に吸収される。夢か記憶か判断出来ず、何度も何度も同じ体験を繰り返す。

「MRIの結果、左脳に問題があることが判明しました。左の大脳半球ですが、脳実質が菲薄化しており、その代償性として水頭症になっています」
 県内唯一の高度医療センターで、私は担当医から検査結果の説明を受けていた。九月も下旬に差し掛かろうとしているのに、今年は晩夏のまま季節が足踏みしていた。夕方特有の殺人的な西陽が建物を照射している為か、或いは空調システムにエラーが生じたのか、いや、私の自律神経の問題なのか、若しくは、意外と緊張しているのか……どうであれ、診察室の中が、まるでサウナのように蒸し暑く感じることには違いない。背中と首筋から不快な汗が噴き出しており、素肌に貼り付く化学繊維の衣服が苛立ちを募らせる。せめてもの救いが、ノータイで来たことだ。それだけでも、自分を褒めてあげたいと思う。それぐらい、不快な暑さが堪えた。
 もう一つ、予想からかけ離れた現実があった。来院するまでは、ここはエリート医師の寄せ集めだと想像していたのだ。しかし、明らかに私より一回り以上は歳下の、ややもすればチャラくさえ見える茶髪イケメン医師が担当と知った時、一縷の不安と共に若干戸惑ったものだ。

「MRIでは、原因の特定までは出来ません。なので、推測ですが、一番考えられることは先天性の奇形……専門的には孔脳症と言いますが、この可能性が挙げられます。他には、出産時の事故、例えば、母親に踏まれた、何かに圧迫された、或いは激しくぶつけたとか、そういった外的要因、まぁちょっとした外傷ですね、その時に、たまたま打ち所が悪くて壊死したってことも考えられます。あとは、可能性は低いのですが、感染症による脳炎もあり得ます」
 若い医師は、無表情で機械的に喋り続ける。頭脳は明晰だろうが、感情は希薄のようだ。クランケを商品と見做しているのか、情感のない音声ガイダンスにも近しい説明は、私の苛立ちを増幅させた。きっと、ペッパー君の方が温かみを感じただろう。

「血液検査の結果は良好です。内臓疾患からの派生は除外しましょう。感染症なら、トキソプラズマかボルナウイルスか……あとはFIPの可能性もありますね」
 聞き慣れない専門用語を当たり前のように使い、補足もしない。常識的な配慮の欠如からして、やはりこの医師は、人間的に何かが欠落しているのか、若しくは、頭脳以外は未熟なのだろう。
「FIPは、発症すれば致死率99%と言われております。キャリアのまま、発症せずに生涯を終えるケースも多いのですが、残念ながら既に神経障害を繰り返していますので、もしそうなら発症したと見做すべきです。つまり、ほぼ助かりません。この子は生後三ヶ月弱ですからね、FIPなら……最善は尽くしますが、覚悟も必要です。海外で発表された新薬を、一か八か試してみる価値はあるでしょう」
 相変わらず、何の感情もない平坦な説明は、患者の生命に無関心であることを自白しているようだ。おそらく、原因や対処にのみ、学術的な関心があるのだろう。そう、希少な事例を期待しているようにも受け取れる。こんな奴に命を預けるしかない不遇を、呪うしかない。
「不勉強で恐縮ですが、FIPという感染症はどういう病気でしょうか?」
 こんな若造相手に、諂いとも取られかねないぐらい最大限に謙り、恐る恐る聞いてみた。立場が違えば、こんなヤツ、とっくに怒鳴りつけている。
「はぁ……そうですね、そこから説明が必要でしたね。FIPとは、Feline Infectious Peritonitisの略でして、猫伝染性腹膜炎のことを言います。これは、猫コロナウイルスの突然変異による病気ですが、まだ未解明な部分も多く、ワクチンもありません。それどころか、有効な治療方法も確立されていません。さっき申し上げた新薬が、ひょっとすると延命の可能性がある、という程度の難しい病気です」
 医師が初めて見せた表情は、これ以上ないぐらいに面倒臭そうな顔だった。私は、殺意すら含む負の感情を、仔猫の為にグッと堪え飲み込んだ。
「感染症の検査は、採取した脳髄液を別の機関に送り届けて、そちらで行ないます。結果が出るまでに十日程度掛かりますので、それまでは対処療法しかありません」
 高額な別料金が発生する感染症の検査を、実施すべきか決め兼ねている私に、この若造は受けて当たり前とばかりに確認すら省略している。そもそも、既に脳髄液を採取したのだろうか。MRIだけでも恐ろしい数の諭吉が私の元から旅立った。飼うと決めたわけでもない名無しの仔猫の為に、我が家の家計はかなり圧迫されている。
「抗癲癇薬の新薬があります。取り敢えず、二週間はこれを試してみましょう。一日三回、且つ、最低六時間以上空けて服用して下さい。他に、抗生剤も出しておきます。こちらは一日二回、朝晩服用ですが、時間はシビアに捉える必要はありません。二週間後に抗癲癇薬の血中濃度を測定します。その時には、感染症の検査結果も出てますので、改めて治療方法を考えましょう」
 つまり、薬を替えただけで、今までと何も変わらないようだ。何かが治ったわけではない。治る見込みも立たない。わざわざ動物高度医療センターに来院したというのに、費用対効果は最低だったことになる。
「では、二週間後にまたご来院下さい。もちろん、それまでに何か異変がありましたら、いつでも連絡頂ければ対応はします」
 医師が二度目に見せた表情の変化は、気怠そうな残像を私の脳裏に刻印しただけだ。

 時間を一ヶ月ほど巻き戻そう。これは、まだ夏休み中の出来事だ。その日も、早朝から近くの公園で毎年恒例のラジオ体操が行われていた。子ども会が主催するイベントで、お菓子が貰える為だけに参加する子ども達以外、運営も保護者も誰も望んでいない企画だが、何故か打ち切ることも出来ずに、何年もズルズルと継続している。
 私の妻も、今年はラジオ体操に参加していた。と言うより、子ども会の役員が回ってきた為、否応なく参加せざるを得ないのだ。その日も渋々早起きして徒歩一分の公園へ息子と出向き、十五分後には二人で帰宅した。いつもと同じだ。ただ、一つだけ、いつもと違う点があった。
 妻は、仔猫を抱いて帰ってきたのだ。

「何考えてるんだ?」
 嬉々と仔猫と戯れる妻と息子に、「怒呆」という自作の新語でしか表現出来ない感情に包まれ、つい喧嘩腰に言い放ってしまった。自営業の私にとって、久し振りに確保出来た休日が、この小さな命により潰されてしまうような予感がしたのだ。
 妻は、大の猫好きだ。幼少よりずっと猫を飼ってきたらしく、実は今も我が家では二匹飼っている。どちらも保護した捨て猫だが、かく言う私も猫は好きなので、二匹までなら飼育を許していた。だが、もう一匹となると話は別だ。なにより、ここで歯止めを掛けないと、見つける度に保護していたら増え続ける一方だ。経済的にもキツくなるし、それだけ世話も大変になる。
「違うのよ。この子、美玲ちゃんが飼うの」
「ダメだよ、僕の猫ちゃんなの!」
 佐藤美玲は、近所に住む五年生の女の子だ。子ども会にも入っており、ラジオ体操にも皆勤賞のマクドナルドの割引券が欲しくて、休まずに参加していた。
「和樹は黙ってなさい」
「だって、僕と美玲ちゃんが見つけたんだもん」
「分かったよ。でも、うちではこれ以上飼えないから、美玲ちゃんに飼ってもらおうね。さ、もういいから、ちょっと寝なさい」
 息子は、毎朝無理して早起きしてるだけで、ラジオ体操から帰ると再び布団に吸い込まれる。二年生の和樹にとって、生活習慣を無理に捻じ曲げてまで行うイベントに、どれだけの意味があるのだろうか。
「僕がちゃんとお世話するから、うちで飼おうよ! ねぇ、お願い!」
「そんなこと、簡単に決められないよ。とにかく、和樹は寝なさい」
「分かったよ……」
 ブツブツ文句を垂れながら、自室のベッドに雪崩れ込む低学年の息子に、動物を飼うことの重みを、深い理解まで求めるのは無理があろう。今いる二匹の先住猫は、息子が生まれる前から飼っている老猫だ。ある意味、達観した境地にまで辿り着いており、後からやってきた息子のことを完全に見下している。そのことに、息子自身も気付いている。だからこそ、自分より下の立場になる仔猫が欲しいのだろう。

「美玲ちゃんが飼うのに、なんでお前が持って帰ってきたんだ?」
 今度は、苛立ちの矛先を妻に向けた。
「だって、仕方なかったもん。美玲ちゃんも、お母さんの許可なしに突然連れて帰れないわよ」
「だからって、うちに連れて来なくてもいいだろ?」
「じゃあ、置いてきたら良かったの? この子、捨てられたのよ。昨日は居なかったし、あんな所で野良が子育てしないわ。多分、昨日の夜か今日の朝早くに誰かが捨てたのよ」
「そんなこと、分からないだろ? 飼い猫が逃げ出したのかもしれないし」
「そんなわけないでしょ! この子、どう見ても二ヶ月も経ってないわ。飼猫の赤ちゃんなら、お母さん猫にべったりの時期よ。逃げ出すなんてあり得ない! それに、見るからにグッタリしてるし、あの公園はカラスもいるし、この暑さでしょ。ろくに歩けないから、あと数時間で死んでたよ。無視出来なかったの」
 その辺の考察は、おそらく妻の言い分が正しいとは思う。確かに、野良にせよ飼い猫にせよ、単独行動の出来る月齢には達していないようだ。
「本当に美玲ちゃんが飼うんだな?」
「美玲ちゃんちは、去年まで三匹飼ってたんだって。年明けに一匹死んじゃったみたいだけど、ずっと三匹だったからね。もう一匹増えても大丈夫なんじゃない? お母さんも凄い欲しがってるって言ってたから、飼ってくれるよ」
 その話を聞き、少し安堵した私は、初めて仔猫を直視した。真っ黒の仔猫。小さくて何とも頼りない造形物。小刻みの呼吸と穢れのない大きな瞳。恐怖も猜疑も知らず、妻の腕に大人しく包まっている。
「かわいいね」
 無意識に口に出してしまう。この生命体を見て、それ以外の感情を抱く人間っているのだろうか?
「でも、弱ってるの。お腹空かせてると思うし、水も飲まさないと。ねぇ、うちのカリカリ、お湯でふやかしてよ」
「ミルクは?」
「バカ。今時仔猫に牛乳なんて、タブーもいいところよ」
「え? ダメなの?」
「牛乳の乳糖を分解するラクターゼっていう酵素がね、猫によってはほとんどないのよ。この子がどうかなんて分かんないじゃん。ラクターゼがないと、すごい下痢するわ。ただでさえ脱水気味で体力も落ちてるのに、今下痢したら命に関わるわよ!」
「へぇ、そうなんだ。詳しいね」
「さっき、スマホで調べたの」
「なんじゃそれ。まぁいいや、とにかくお湯に浸せばいいんだね?」
「うん、お願い。私、今忙しいの」
「忙しいって、抱っこしてるだけじゃん」
「そうだよ、手が離せないでしょ?」

 一時間も経たないうちに、佐藤美玲の母、真澄から電話があった。どうやら、旦那の佐藤基がなかなか首を縦に振らないそうだ。
「ゴメンね、何とか説得するからさ、今日だけ預かってもらえるかしら?」
「まぁ、それぐらいなら構わないけど……ご主人、ちゃんと説得してね」
「もちろんよ! 私、昔からずっと黒猫に憧れてたの! それに、美玲も飼う気まんまんで名前考えてるし……あ、そうそう、女の子なんだよね?」
「どうだろ? 分かんないけど、今から病院連れて行くから聞いておくね」
「そんなことまでさせちゃって、ホント、ゴメンね。病院代はちゃんと払うから、遠慮しないで請求してね」
「うん、そうさせてもらう。うちも主人が反対だから、早く引き取ってね」
「ご主人に謝っといてね。うちの旦那、もう仕事に行っちゃったから、夜にまた説得するよ」
 佐藤真澄は、少なくともこの会話の時点では、間違いなくこの名無しの黒猫を育てるつもりでいた。私も妻も、その明確な意思表示に安堵したものだ。しかし、この後、誰も予想しなかったことが判明し、事態は急激な展開を迎えることになる。

 その日の午前中、仔猫を連れて、先住猫がお世話になっている動物病院へ家族で出向いた。拾い猫なので一通り診て頂いたが、所見では特に問題はないとのことだ。妻の機転で、出発直前に採取出来た便も持参し、寄生虫の検査もしてもらえた。結果は陰性。血液検査の結果、猫エイズや白血病も陰性だと確認出来た。
 また、ノミやダニも見付からず、野良猫がよく罹患しているヘルぺスも、全く心配ないそうだ。耳の中も清潔に保たれており、鼻水や目ヤニもない。指先から軽い出血の跡が見受けられるが、これは個体が小さい為に爪切りの際に失敗したか、外に放置されてる間に何かで傷付いたのかもしれない。軽い脱水症状こそ見られるものの、毛並みも肉付きも良く、健康体そのものと診断された。あらゆる状況から、飼猫だったことが推測される。
 体重は720g。生後六~七週間のメスのようだ。まだ乳歯が生え揃っておらず、野良だと母乳がメインの時期だが、この子は仔猫用の缶詰を当たり前のように食べた。このことからも、もう間違いなく飼猫だったのだろうと断言出来るそうだ。
 佐藤真澄にこの診察の結果を報告すると、とても喜んでいた。引き取るのが待ち遠しいようで、診察代を払いがてら会いに行ってもいいかしら? と懇願されたぐらいだ。勿論、妻は面会を許可し、真澄と美玲の親子は仔猫を見にうちに来た。ものの十数分とは言え、奪い合うように仔猫を抱っこしていた。そのまま持ち帰ってくれていれば……いや、その時に強引にでも引き取らすべきだったと、後悔したこともあった。同時に、引き渡さなくて良かったとも思った。

 その日の夕方のことだ。例の猫のことを、我が家では名前を付けず、「仔猫ちゃん」と呼んでいた。幸いなことに、老齢の先住猫は二匹とも仔猫を好意的に受け入れ、それどころか、まるでお気に入りのオモチャを取り合うかのように代わる代わる可愛がった。二匹とも、仔猫に飛び掛かられても噛まれても、穏やかな表情で為すがままに耐えていた。いや、むしろ喜んでいるようさえ見受けられた。
 その時も、仔猫は七倍も体重の重い一匹の老猫をターゲットに、毛を逆立てて闘いを挑んでいた。意を決して飛び掛ったところで全く相手にならず、軽くあしらわれて跳ね返されたのだが、仔猫は直ぐに体勢を立て直し、四本の足を突っ張ってカマドウマのように背中を丸め、再度飛び付こうとしていた。
 その時、突然仔猫は動きを止め、四つ足で目一杯カーペットに踏ん張り、低く唸った。この小さな身体の、一体何処からそんな声が出るのか不思議なぐらい、不気味でデモーニッシュな重低音を唸らせたのだ。明らかな異変に私達家族は目が点になり、戸惑うしかなかった。本能的に、触ってはいけない! と思ったのだ。仔猫は全身をますます強張らせ、小刻みな痙攣が始まり、口から泡を吹いた。異様に見開いた瞳は視点が定まらずに血走っており、床を握り潰すかの様に立てた爪が折れた。そのまま、不気味な痙攣は、毛を逆立てながら一分ほど継続し、唐突に打ち止めになった。
 嵐のような痙攣が静まると、全身の硬直は解かれ、荒れた呼吸も次第にリタルダンドし、いつものアンダンテで収束した。仔猫はピュアな幼い表情に戻り、何事もなかったように一人遊びを再開した。時折、自分の体液で濡れた前足と軽く出血してる爪を気にしつつも、無邪気でやんちゃな仔猫に戻っていた。

「検査に出ないところで、この子、何か異常があるのかな?」
 不安そうな顔で呟く妻に、私はそうじゃないと答えた。これは、身体の異常じゃない。通常の簡易的な血液検査からは、分かりっこないのだ。
 間違いなく、さっきの痙攣は、癲癇(てんかん)の発作なのだ。

 夕方、動物病院に再度出向いた。日中に起きたことを話すと、医師もおそらく癲癇だろうとの見解を示した。しかし、断言は出来ない。ただでさえ、猫は犬の5%程度と言われているぐらい、癲癇は少ない。その上、仔猫となると滅多にない症例なのだ。もしそうならば、身体そのものは健康であることから、脳か神経系の疾患の可能性が高く、先天性の異常ということだろう。何せ、まだ生後六~七週間だ。
 その説明を聞いている時、幸か不幸か、医師の前で二度目の発作が始まった。慌てて押さえようとする私に、医師は冷静に「こういう時は触ったらダメですよ」と諭してくれた。薬物中毒の人間の禁断症状と同じで、筋肉の電気信号にエラーが生じてコントロールが効かず、あり得ない様な力が出る状態なのだそうだ。仔猫とは言え、この時に噛まれると縫う様な大怪我をするかもしれないし、引っ掻かれても然り。速やかに安全な場所に猫を移動させ、治るまでそっとしておくことがベストな対応とのこと。医師は、素早く仔猫を床に下ろし、飛んで来た看護師が、仔猫の周りにドーナツ状に毛布の壁を作った。
 仔猫の発作は、お昼の時とは比較にならないぐらい激しかった。悪霊に取り憑かれたかのように身体を痙攣され、身体を横たえたまま、四本の足は全力疾走のように空を蹴り続けた。その間ずっと、口から泡を吹きながら不気味な咆哮を唸っていた。時間にして、僅か一分ぐらいの発作だが、このまま永遠に続くかのような恐怖と不安に苛まれた。

「やはり、癲癇とみて間違いないでしょう」
 医師は、いつでも冷静だ。動揺を隠せない看護師を尻目に、何事もなかったように仔猫を抱き上げ、瞳孔をチェックしながらそう言った。
「ご存知かもしれませんが、癲癇は病気ではなく症状のことです。脳や脊髄、稀に内臓などの異常から出る神経疾患のことです。先に結論を言いますと、ほぼ根治は不可能ですが、薬で抑えることによるコントロールは可能です」
「ほぼ不可能ってことは、治ることもあるのですか?」
 もしその可能性があるのなら、治してあげたい。あの発作は、見てる方も辛いが、本人はもっと辛いだろう。自分の身体なのに、制御不能になり暴発するのだ。
「そうですね……根治の為には、まず何よりも原因を探る必要があります。例えば、ですけど、脳腫瘍が原因の発作だとして、その腫瘍がたまたま容易に摘出出来る条件が揃っていれば、開頭手術により治る可能性も微かにある……まぁ、可能性と言っても、せいぜいその程度の確率です」
「原因の特定には、どうすればいいのですか?」
「それは、今はまだMRIしかありません。ただ、リスクも大きいです。動物のMRIは全身麻酔が必要なので、この子がこの身体で耐えられるのか……100%大丈夫ですよ、とはとても言えません」
「そうですか……」
「あと、経済的な問題もあります。MRIの検査なんて、ここでは出来ません。動物高度医療センターという所に出向いてもらう必要があるのですが、軽く数万円は掛かります。勿論、検査をご希望でしたら診断書と紹介状は書きますが、MRIを受けるかどうかの最終判断は、高度医療センターに委ねることになりますね。でも、仔猫の癲癇はとても珍しい症例ですので、正直なところ、今後のことも考えますと、どちらにしても高度医療センターで治療すべき子だとは思います」
 その日は、抗癲癇薬を処方してもらい、高度医療センターの受診については結論を先延ばしにさせてもらうことにした。そもそも、この仔猫は今朝妻が一時的に持って帰ってきただけで、美玲が飼う予定なのだ。私には、そこまで面倒見る義務はない。経済的な負担も、佐藤家が負うべきだろう。

 電話を切った妻は、見たこともないぐらいの怒りに燃えていた。美玲の母、佐藤真澄に仔猫の癲癇の件を説明したのだ。どうだった? と聞くまでもなく、「あのババア、最低!」と肩を震わせていた。
 佐藤真澄は、病気持ちの猫ならうちはいらないわ、そもそもうちの猫じゃないし、と開き直ったのだ。妻は呆れ果て、「何言ってるの? うちは美玲ちゃんに頼まれて、一時的に預かってあげてるだけでしょ? 真澄さんにもきちんと説明もしたし、確認もしたよね? その上で、一日だけ預かって、ってあなたが言ったんだよね? 今朝のことだよ? 責任持って引き取ってよ。その後どうするのかは、そちらで考えるべきでしょ?」と訴えた。すると、真澄は逆ギレ気味に、仔猫を拾うなんて非常識な行動、子ども会の役員なら止めないとダメだったんじゃないの? うちに押し付けないでくれるかしら、と言い出したそうだ。
 いやいや、役員皆んなで止めたのに、私が飼うから! とわがままを通したのは美玲だし、その場で電話して真澄の許可をもらった上で、妻が一時的に保護したのだ。冷静にその点を説明すると、真澄はヒステリックに喚き散らし、うちは関係ない、勝手に連れて帰ったあなたが責任持てと、妻に責任をなすり付けてきた。

 埒があかないので、その夜、私は佐藤の自宅を訪問し、美玲の父、佐藤基と面会した。警戒と拒絶と怠惰を隠そうともせず、蔑んだ目で見下す佐藤に、私はこれまでの経緯を最初から懇々と説明した。真澄が事実を捻じ曲げて報告している可能性もあるので、最初から丁寧に時系列に沿って説明した。
 美玲がラジオ体操の最中に仔猫を見つけ拾ったこと、うちで飼う! 持って帰る! と駄々をこね、全員に迷惑を掛けたこと、妻が役員を代表して話を聞き、止むを得ず、一旦預かることになったこと、その場で美玲の母、真澄にも連絡し、里親になる承諾を得た事、その際、真澄は直ぐにでも連れて帰りたいと言っていたこと、ご主人を説得するから一日だけ預かって欲しいと頼まれたこと……なのに、病気と分かった瞬間に、全てなかったことにするのはあまりにも非常識ではないか? うちは、そちらが飼いたくて保護したのを一時的に預かってるだけでしょ? だから、無責任なこと言わず、きちんと仔猫を引き取るべきでしょ? とお願いした。
 すると、佐藤は露骨に嫌悪感を剥き出しにし、半ば喧嘩腰に私に言い放った。
「はぁ? あのさぁ、あなたの奥さんが勝手に連れて帰ったのでしょ? 私に言わせれば、子どもの話を真に受ける方がどうかしてるよ」と。
 そのセリフで、私の忍耐はついに沸点に達した。
「妻が勝手に連れて帰っただと? 話聞いてたのか? 妻はアンタの娘と嫁に、一日だけって約束で押し付けられただけだろ! それに、アンタは何を言ってんだ? 子どもの話を真に受けてって、正気か? その子どもってのはアンタの娘じゃねぇか。それじゃ、アンタの娘さんは嘘つきだから、信用した妻が悪いってことか? 子どもの純粋な感情を信用することが、どうかしてるだと? 自分の娘の話は信じるなってことか? どうかしてるのは、そっちだろ!」と怒鳴りつけてしまったのだ。
 すると、「ちょっと、夜ですよ。ご近所さんに迷惑なんで、もっと小さな声でお願いしますよ」と蔑視混じりの冷ややかな目で睨みつけてきた。
「ご近所に迷惑? 違うだろ、自分達家族のやってることを、ご近所さんに聞かれたくないだけだろ?」と言い返すと、「はいはい、分かりましたよ。じゃ、私が責任を持って、元居た所に置いておきますよ。それでいいのですよね?」と、とんでもないことを言い出したのだ。
「あのさ、自分が何言ってるか分かってるのか? もういいや。でも、最後に警告しておきますよ。ちょっと考えたら分かると思うけどさ、これは、うちとお宅だけの問題じゃないからな。今朝の出来事は、二十人以上の子ども達と四人の子ども会役員のお母さん方、三人のボランティアの地域委員の方、三人とも自治会のお偉いさんだぜ、今言った全員が見ていたんだよ。言うまでもなく、何があったのかみんな知ってますよ。今日だけで、何十通と妻のところにはラインやメールが来てます。誰が仔猫を拾い、何故うちにいるのか、その経緯は皆んなが知ってるし、その後どうなったのかも皆んなが気にしてるんだ。仲の良いママ友さんには、病気持ちだったみたいよって話もしてるしな。その上で、元居た所に戻せるんなら、やってみるといい。下手したら、明日、皆んなが集まる頃には死んでるよ。まぁ、生きてても衰弱してるだろうし、そこにいること自体、不思議に思われるだろな。もし、死体を隠滅しても、私も家内も黙ってないからそのつもりでな。皆んなに、何もかも全部説明するから。どうせ、皆んなに聞かれるし、アンタ達を庇うつもりもない。その結果、どうなるのか……よく考えてから発言しな」
 見る見るうちに表情が曇り出し、青ざめてきた佐藤は、ようやく事の重大性を理解したようだ。
「いや、そんなつもりじゃ……申し訳ない。命の大切さは理解しているし、子ども達にも教えていかないといけないことは分かっています。急なことでつい気が動転してまして、とんでもないことを口走ってしまいました。娘の我儘で大変なことに巻き込んでしまい、本当に申し訳ございません。でも、うちでは飼えないのです。その代わり、治療費の半分程度は負担させて頂きますので……そのぉ、そちらで何とか……」
 呆れ果てた私は、最後に佐藤に言い放った。
「いや、いいです。お話出来て良かったです。よく分かりました。逆に、仔猫を引き取ってもらえなくて良かったと思ってます。あなたは、動物を飼う資格なんてありません。あの子はね、間違いなく飼猫だったそうですよ。多分ね、あなたの様な人に飼われてたのでしょうね。それで、癲癇持ちって判明したから捨てられたのでは? というのが医者の見解でした。そんなことする人いるのか? と思ったのですが、まさか身近にも似たような考えの方もいるとはね。勉強になりました」
 憮然とした表情を浮かべつつも、何も言い返せない佐藤に丁重に挨拶を述べ、私は佐藤宅をあとにした。

「どうだった?」
 帰宅するなり、妻が神妙な顔で聞いてきた。全て説明すると、「夫婦揃って最低ね」と吐き捨てた。
「もう、うちで飼おうよ、この子すごく可愛いよ!」
 金銭的な心配を他所に、妻はもう飼う気になっている。
「いや、先生の話だと、治る可能性もあるからね、もし治ったら里親を探そう」
 それが私の本音でもあった。かなり高額な検査になるが、MRIを受けるしかない。治る可能性が少しでもあるなら、この子の為にも賭けてみる意義はある。
 その時、妻の携帯に佐藤真澄から着信があった。私に聞かせる為か、妻はスピーカーに切り替えて電話に出た。すると、真澄は一方的に謝罪を始めた。「旦那がご主人に失礼なこと言って……」だの、「美玲が勝手に押し付けた為に、大変なことになって……」だの。挙句、何とかうちで飼うように準備するので、と言い出した。その言葉の裏に、仔猫のことを思い遣る気持ちなどない。近所の視線、子ども達の声、役員達の態度……つまり、自分の立場だけを鑑みた結論だろう。
「ねぇ、真澄さん、無理しなくていいわ。仔猫ってね、本当に飼いたい人が飼うべきだと思うの。あなたの話だと、飼いたいって気持ちが全く感じないわ。世間体の為に飼わないとまずいって思い直しただけでしょ? 真澄さん、私に言ったわよね? 仔猫を拾うなんて非常識なこと、どうして止めなかったの? って。私、あの発言は許さないわよ。その拾った猫のことを可愛い仔猫ねって、黒猫に憧れてたんだとか言って、最初は興奮して早く連れて帰りたい! って言ってたのにね。病気と聞いたら掌返して。猫はアクセサリーじゃないわ。はっきり言わせてもらうとね、あなたにはね、この子を任せられないの」

 翌朝のラジオ体操に、美玲は来なかった。あれだけ欲しがってたマクドナルドの割引券も、親の意向で放棄したのだろう。妻と息子は、皆から仔猫のことで質問責めにあったが、「まだうちにいるよ」と答えるに留め、詳しいことは何も話さなかった。
 午前中に動物病院に電話して、動物高度医療センターでの検査を受けたい旨を伝えた。しかし、センターからの回答は、MRIは体重が1.5kgを超えてからにしたいとのことだ。やはり、あまりに小さ過ぎる個体だと命を失うリスクが高く、ある程度の成長を待ってからにしたいそうだ。つまり、約一ヶ月は、毎日三回、抗癲癇薬を服用させながら待つしかないのだ。しばらくは、うちで飼うしかない。
 その間にも、時々発作は起きた。その都度、病院へ連れて行き、注射を打ってもらった。内服薬とは違い、皮下注射は効きが強いらしく、一度打つと数日は発作が治まった。それとは別に、五日に一回の定期健診に通った。十日に一度は、抗癲癇薬の血中濃度を測定する血液検査も必要だった。薬は毎回五日分しか出ない。成長期の仔猫なので、日毎体重が増加する。それに伴い、抗癲癇薬の分量も増やさないといけないのだ。通院だけでも大変だが、薬代や検査代もばかにならない。毎回再診料と薬代に数千円掛かり、注射を打つとプラス数千円……あっという間に数万円が消え、明らかに家計を圧迫した。
 金銭的にも時間的にも、かなり生活に影響が出てくると、どうしても佐藤を恨めしく思ってしまった。でも、もしあの時強引にでも佐藤に引き渡していたら、おそらく今頃は安楽死させられていたかもしれないことを考えると、現状を受け入れる方がずっとマシなのだ。
 そして、約一ヶ月後、ようやく動物高度医療センターでの受診が叶い、MRIの検査を受けることになったのだ。

 MRIの検査から二週間経過した十月上旬のこと。脳髄液の感染症の検査結果を聞きに、私は高度医療センターを再訪していた。この二週間、新薬の効果だろうか、一度も発作が起きなかった。仔猫は毎日元気に駆けずり回り、食べたら眠り、遊んでは甘え、薬を服用していることを除けば、何の変哲も無い仔猫にしか見えなかった。やんちゃで好奇心旺盛で、向こう見ずで甘えん坊で、兎に角愛くるしかった。人に懐くことはない子なのに、矛盾するようだが、誰にでも甘える子だった。
 感染症の結果は、全て陰性だ。つまり、左脳の菲薄化の原因として、FIPを含めた感染症による脳炎の可能性は完全に消えた。残るは、先天性の脳異常か出産時の外傷からの壊死。何れにしても、これ以上の特定は出来ないし、そこに意味もない。そして、根治は不可能だと確定したことになる。この仔猫は、一生抗癲癇薬を飲み続けるしかない。発作を起こさないように薬で抑制し、薬の血中濃度を下げないように、尚且つ、副作用との臨界点を見極めながら、常に気を配らないといけない。そう、人為的なコントロールなしでは、生きていけない子なのだ。

 妻も息子も、仔猫のことをすっかり我が家の家族として認識している。しかし、私はまだ認めていない。「そろそろ名前付けてあげようよ」と懇願する息子に、「名前は貰ってくれる人が付けないとね」と言って逃げている。
 実際問題として、生涯高額な薬を飲み続けないといけないことが確定した癲癇持ちの仔猫なんて、貰い手はまず見つからないだろう。そもそも、いつまで生きられるのかさえ分からない。
 もっと言えば、この仔猫は左脳の菲薄化が原因で、いつしか右目と右耳が不自由になっていた。特に、右目はほぼ見えていないようだ。それに、正直なところ、他の猫と比べても明らかに頭も悪い。このことに関しては、文字通りの「ノータリン」、脳の足りない子なので仕方ないのだが。性格も、ずっと仔猫のままで成長の見込みはないようだ。人に懐くことはないだろうし、そもそもニャーと泣くこともない。要求も出来ないし、ご飯のおねだりも出来ない。
 それでも、私はこの健気で無邪気な名無しの仔猫が、今では愛しくて仕方なかった。まだ飼うとは決めていないが、ずっとうちに置いておくしかないのだ。今更、100%の信頼をもって、安心してこの子を引き渡せる人なんて、地球上の何処を探しても、まず見つからないことも分かっている。その点は認めつつ、名前を付けないことだけが、私のどうでもいい最後の意地になっていた。
 妻も息子も、既にこの仔猫を「ジャスミン」と呼ぶようになっていたが、私の中ではずっと名無しの仔猫ちゃんだ。仮に、誰かに欲しいと言われても、絶対に手放すものかと思いつつ。

後日談

 件の仔猫は、結局そのままうちで飼うことになった。必然でもあるし、そういう縁だったのかなとも思っている。ともあれ、「名無しの仔猫」は家族として共に暮らし、彼女の特異な体質との付き合いが、我が家では最優先事項として取扱いされるようになった。
 二匹の先住猫をはじめ、我が家の犬や兎にまで、不思議なぐらいにこの仔猫は可愛がられた。私達家族にとっても、いつしかかけがえのない存在となり、特に妻は自分の身体の一部のように仔猫と密に繋がっていた。
 しかし、名無しの仔猫との生活は、現実的な困難との闘いでもあった。毎日三回投薬しないといけないので、家族旅行には行けなくなったし、投薬の時間も決められているので、遠出も出来なくなった。夜に体調が急変することもあったので、いつでも車が出せるようにお酒をやめた。もっとも、二人とも普段から大して飲まないのだが、完全にやめたのだ。
 それどころか、妻は仕事も休業することにした。元々自営ではあったが、夜はともかく、毎朝八時半と夕方四時〜五時の投薬を厳守する為には、実質的に仕事を続けることには無理があった。
 投薬だけの問題でもない。名無しの仔猫は、左脳が穴ボコだらけなので、当然ながら知能はものすごく低かったのだ。赤ちゃんが家の中をうろちょろしている感じだ。週に二〜三回、同じカーペットの染みを見て何かと勘違いして驚いてパニックになったり、家の中で迷子になったり、予測も理解も出来ない行動が頻繁にあったので、目が離せなかったのだ。
 また、運動能力も低く、片目が見えないことと相まって、猫のクセに高いところに登れなかったり、家具にぶつかったりもした。お風呂にも何度か落ちた。名無しの仔猫が来てからは、我が家では必ずお風呂の水を抜くルールを施行していたが、水がなくても骨折の恐れは否めないので、扉の締め忘れは皆んなで厳重に注意し合うことになった。
 つまり、誰かが側にいてあげないと、危なっかしくてどうしようもない子だったのだ。同時に、この仔猫は、天使のように純粋で、無垢で穢れのない存在で、あどけなくて、誰からも愛された。

 高度医療センターに通院するようになり、数週間は発作もなく、普通の仔猫のように無邪気に狭い我が家を駆け回っていた。
 第一印象で受け付けなかった茶髪のチャラい担当医も、数日に一度の頻度で会っているうちに、次第に私達家族と打ち解けるようになった。そして、彼は単にコミュニケーションの苦手な、極度に内気な人だと判明した。というのも、何度か通院しているうちに、時折冗談も口にするようになったし、不器用ながらも、誰よりも仔猫を可愛がってくれたのだ。やっぱり、第一印象は修正しないといけない。彼は、無類の動物好きなのだ。何とか仔猫を救いたい思いが、時を重ねる毎に強く感じ取れるようになった。
 また、雑談で佐藤の話をすると、彼は私達以上に憤慨した。抑え込んだ怒りが、今にも噴火しそうで怖かったぐらいだ。こういうタイプの人間は危険だ。本気で夜襲でもしないか心配になった。そして、佐藤夫妻以上に、この子を捨てた何処かの誰かさんを、異常なぐらいに憎んでいた。

 そんなある日のこと、定期検診で病院を訪れると、仔猫の診察券が書き換えられていた。MIX猫と書かれていた欄が、『ボンベイ』と聞きなれない言葉に変わっていたのだ。このボンベイってどういう意味ですか? と聞くと、医師は無表情に「この子はボンベイですよ」と言った。相変わらず、言葉足らずの説明だ。でも、私も彼の対応には慣れており、こんなことではムッとしなくなっていた。「へぇ。そうなんですね。で、ボンベイって何ですか?」と再度聞き直すと、渋々といった感じで説明を始めた。通常運転だ。
「黒猫って猫種はなくてね、普通は黒毛の猫って意味です。更にその殆んどはMIXです。よく観察すると、肉球とか鼻とかお腹とか髭とか、黒くない所も必ずあるんですよ。もちろん、ない子もいますけどね。でも、それとは別に、ボンベイという猫種がありましてね、ボンベイは、完璧な黒猫、理想的な黒猫を求めて改良された品種です。この子は、肉球も鼻も髭も全身が真っ黒でしょ? それに、目の色、耳の大きさと位置、形、体型、尻尾の形と長さ、全てがボンベイの特徴そのまんまです。まず間違いないですよ」

 私にとって、この子は名無しの仔猫。それ以上でも以下でもないし、ボンベイでも和猫でもどうでもいいことだ。しかし、いつになく力説するチャラい医師に、私はつい本音をぶつけてみた。
「それで、この子がボンベイだとして……何か治療方針とか変わるのでしょうか?」
 すると、医師は手書きのメモをポケットからそっと取り出した。何かのリストのようだ。
「これは、ボンベイをブリードしてる猫舎です。ボンベイなんて、まだ日本ではそんなに流通してないですから、繁殖させてる業者も全国に数件しかありません」
「えぇと、どういうことですか?」
「私は最初から確信していましたが、この子は普通の捨て猫じゃない。悪質なブリーダーに捨てられたんですよ。不良品の不法投棄と一緒です。売れない上に維持費が掛かる。安楽死させようにも、先天性異常の可能性もあることがバレると、他の子も売れなくなる。流石に、自分の手で殺す勇気はない。だから、捨てたのです。卑怯なやり方です。調べた限り、県内にはボンベイを繁殖してる所はありません。一番近いのが〇〇県(※作者居住地の隣県)に一箇所。深夜早朝なら車で一時間ちょいで来れます。他はかなり遠方なので、この業者が怪しいです」
 どうやら、この獣医は、復讐や制裁を考えているようだ。それもこれも仔猫に対する愛から育った憎悪なのだが、これは何としても止めなければならない。では、どう言って止めるべきか迷っていた矢先、同じことを思った妻が、先に言葉を発した。
「そうなんですね! じゃ、この業者さんにお礼を言わないといけないですね! この子と出会えたのは、この業者さんのおかげなんだね! 調べてくださり、ありがとうございます」
 妻の明るいテンションは、それが意図的だとは見抜けず、一緒に報復に燃えると期待していたであろう医師には想定外だったようだ。見るからに拍子抜けした医師は、マゴマゴしながらメモを妻に手渡した。そして、言い訳のように言葉を添えた。
「あ、でも、個人でやってる小さなブリーダーの可能性もあるから……」と。もちろん、私も妻も、何処が犯人か分かったところで、突撃するつもりなんて全くない。

 仔猫の体調は、生後四ヶ月ぐらいになると、不安定になってきた。抗癲癇薬は、ここまでの間に五〜六回、変更を余儀なくされた。耐性が付くのか、成長の所為か、数日使うと薬が効かなくなるのだ。それでも、発作こそ度々繰り返したものの、身体はスクスクと成長していた。医師による成長曲線からの予想では、大人になると4〜4.5kgで落ち着くのでは? という話だった。
 しかし、生後半年ぐらいで、仔猫はピタッと成長が止まった。2.6kg……以降、薬の影響で一時的に2.9kgまで太ったことはあるものの、普段は2.5〜2.6kgで落ち着いてしまった。これには、医師も驚いていた。小さな猫で2.5kg以下の子もいるにはいるのだが、普通は一〜二年間掛けてその体重になる。大きかれ小さかれ、成長とはそういうものだ。おそらく薬によるホルモン異常とのことだが、名無しの仔猫は、半年で成長が——体重だけでなく骨格そのものが——完全に止まったのだ。元々、知能や性格の発達遅延は分かっていたが、これで、見た目まで生涯仔猫のままになったのだ。だから、「名無しの仔猫」の名称はずっと使えることになった。
 投薬においては、体重が止まったことは幸いとも言える。体重測定も血中濃度の検査も頻度が落とせるので、経済的負担も軽くなる。しかし、その頃から仔猫の体調は更に不安定になっていた。癲癇だけでなく、副作用による肝臓の負担も危険な域に突入したが、時折起きる発作を止めることが最優先だった。

 そして、更に数ヶ月後、ついに恐れていた事態が発生した。発作が頻発し、治らなくなったのだ。重積発作という、最も危険な状態だ。そのまま緊急入院。ICUに入り、麻酔を打たれ、抗癲癇薬の点滴を打つ。肝臓の数値はかなり危険なレベルに達した。二十四時間体制で見守る中、麻酔が切れ、目を覚ました仔猫は、直ぐにまた発作を起こした。体力的にも、もう限界を超えている。
 病院に呼ばれた私達は、ついに、医師から安楽死の選択を提示された。心なしか、例の茶髪イケメン医師も、必死に涙を堪えているようだ。妻は、頑なに拒否をする。でも、もう助かる見込みはない。肝臓も破裂し兼ねない。そんな中、再び仔猫は目を覚ました。決断出来ない私達を尻目に、仔猫は穏やかな表情で差し出した妻の手を舐めた。そのままクルッと裏返しになり、人に甘えることを知らない仔猫は、妻の手でしばらく遊んだ。ほんの二、三分、そうやって無邪気に戯れていた。やがて、疲れたのか、動きが鎮まっていき、そのまま静かに……とても穏やかに……眠りについた。純粋で罪のない小さな命の灯火が、そっと消えた。

 以上が、私と仔猫の物語だ。彼女のことを、皆が『ジャスミン』と呼んでいたが、名前はまだない。


(了)

名前はまだない

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-03-05

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