薔薇と拳銃〈Pistol〉

薔薇と拳銃〈Pistol〉

I submit to you that if a man hasn’t discovered something that he will die for, he isn’t fit to live.

そのために死ねる何かを見つけていない人間は、生きるのにふさわしくない。

Martin Luther King Jr.
(January 15, 1929 – April 4, 1968)

時刻は深夜零時ちょっと過ぎの海岸通。
寄せては返す波、梅雨明けをしたばかりの独特な空気を含んだ風、其の風に煽られ葉が揺れる椰子の木。
此の三つの自然現象の音以外には何も聴こえては来ない程、ひっそりとした雰囲気と夜の闇の中に包まれた道を繁華街に屯ろするチンピラ「排除」と言う「ひと仕事」を終えたのち退勤をしたばかりの黒瀬が咥え紫煙で歩いていると、此れ又二人組の変な輩が「知った顔」であるバー『波風』のスタッフの一人のマイに対し、常夜灯に群がる蟲よろしく絡もうとする姿が眼に入った。
此れが「知らない顔」で且つ脇道の一つでもあれば、「どうぞ御勝手に」と無視を決め込む事も出来たが、生憎と道は一本道である。
無視どころか逃げを打つ事さえ出来そうには無い事を悟った黒瀬は、スーツの胸ポケットから取り出した銀色の『エルメス』の携帯灰皿に消したばかりの紫煙の吸い殻を放り込むと、黒色が良く映えるアップライトタイプのホルスターから刑事を志して以来、長年愛用をしている「スミス&ウェッソンM-10 2インチ」を片手に輩達の側へツカツカと近付いていった。
そして一切の警告も無しに輩の一人の襟首をグイと引っ張ると、先ずは一撃と言わんばかりに輩の首筋を拳銃のグリップの部分で勢いよく殴打し、返す刀でもう一人の頬へグイと銃口を突き付け、逃げられない様にした状態で脇腹へ向けて二、三度蹴りを浴びせた。
手加減一切なしの蹴りの痛みで相手が叫び聲とも呻き聲とも言えぬ音を発し乍ら其の場にがくんと蹲〈うずくま〉ると、先程頬に突き付けた銃口を今度は右の顳顬〈こめかみ〉に向けて突き付けた。
スーツの右の内ポケットから取り出した警察手帳と共に、そして安全装置を外した状態で。

まだまだ汗を掻き足りないってンならもうちっと「遊んで」やっても構わねぇが、さあ如何する?。

わ、分かったっ!。
こ、降参する!。
いやっ、降参しますから、銃を、銃を収めてください!。

年恰好から察するに二十代半ばと思われる青年の瞳は、拳銃で自身の頭を吹っ飛ばされるかもしれないと言う恐怖から、酷く怯えきっていた。

聞き分けの良い子だ。
おや、お迎えが来た様だぜ、お二人さん。

黒瀬の視線の先には、黒瀬と二人組が「ドタバタ」を繰り広げられている間に通報をしたマイからの情報を受けやって来たパトカーの姿があった。

御苦労様です!。

パトカーから降車して側へとやって来るなり周囲に良く響く溌剌とした聲でそう黒瀬に挨拶をしたのは、去年警察学校を卒業したばかりらしい新人の巡査であった。

あゝ、御苦労さん。
見たところ根っからの悪党〈ワル〉って訳じゃあ無さそうだが、ま、好きなだけ「かわいがって」やんな。
暇してんだろ、どうせ。

拳銃と手帳を懐に収めたのち、燐寸で紫煙に火を点けた黒曜が巡査達に向けてニヤリと笑みを浮かべ乍ら言った。

了解です!。
おい、さっさと立て!。

い、痛えな、お巡りさん。
もっと丁寧に扱ってくれよな。

巡査達によって手錠を掛けられた二人組が乱暴気味にパトカーに放り込まれると、パトカーは夜の闇を鋭利な刃物で切り裂く様な音色のサイレンを鳴らし乍ら元来た道を俊速で戻って行った。
其れを咥え紫煙で見送った黒瀬は、傍らでスマートフォンを操作していたマイに対し、ひと言、送るぜ、家、此処ら辺なんだろ、と聲を掛けた。
マイはスマートフォンを一着数万円はする筈のレディース用のジーンズの右ポケットに収め乍ら、黒瀬に対し、ありがと、と御礼の言葉を述べると、黒瀬の横に並んだ状態で静けさを取り戻したばかりの夜道を歩き出した。
相変わらず蒸し暑い夜風が互いの頬を撫でる中、お互いに黙りこくった状態で歩く事凡そ十分。
黒瀬とマイは、マイの住む十階建てのマンションへと辿り着いた。

こりゃ驚いたな。
同じマンションで生活をしていたとは。

エントランスに辿り着くなり、揉み消した紫煙を携帯灰皿へと放り込み乍ら黒曜が驚きの表情を軽く浮かべると、マイはエレベーターのボタンを押す傍ら、つい三日前に引っ越して来たばかりだけどね、と淡々とした口調で答えた。

何時もあゝなの?。

十階で止まっていたエレベーターが降りて来るのを二人して待つ間、マイが黒曜の眼をじっと見据えた状態で言った。

あの手の輩に理屈は通用しないからな。

黒曜は白百合色のハンカチを左の内ポケットから取り出すと、ちょっと失礼、と言い乍らマイの側へと近付くなり、此の暑さと先程の「騒ぎ」が原因でマイの額に浮かび上がったのであろう汗を軽く拭き取った。

そう言うモンなの。

ハンカチが纏っていた白檀〈びゃくだん〉の香りが自身の鼻腔を擽る中、マイがそう述べると、ハンカチを左ポケットに収め乍ら黒瀬は、そう言うモンさ、と言った。
其れからポン、と言う無機質な音を立てつゝ開いたエレベーターの扉をゆっくりと抑えると、マイに向かって、お先にどうぞ、と眼で合図をした。
マイは其れに従い、黒瀬より先にエレベーターの箱の中へと入った。
空調の風が暑さを緩和する中、操作盤の近くへとやって来た黒瀬が、何階だ、と聲を掛けると、マイはガッチリとした黒瀬の背中へと視線を向けつゝ、十階、と言った。
其れに対して黒瀬は、ホテルのボーイよろしく、お一人様、十階へ御案内、と呟いてから十階のボタンを押し、気怠げな表情を浮かべ乍らマイの隣へとやって来た。

釈迦に説法も良い所だが、夜更かしはお肌の天敵だ、厭な事は全部忘れて死んだ様に眠っちまう事だな。

優しいんだね、そんな事迄気にかけてくれるなんて。

経緯は兎も角、乗りかかった船だしな。
其れに其の綺麗なお顔にクマを作ると、姐さんが心配するぜ。

姐さんとはマイが務めるバー『波風』を仕切っているクミの事で、『啓組』の若頭で「西の暴れ狼」と言う二つ名を持ち、且つ黒曜とは「腐れ縁」の間柄である啓と繋がりを持っている事から、黒瀬は親しみを込めてクミを姐さんと呼んでいるのであった。

流石刑事、痛い所を突いてくるじゃん。

エレベーターが十階へと到着をし、扉が開くなり、皮肉まじりにマイはそう述べた。
黒瀬はエレベーターに乗り込む時同様、扉を抑えてマイを降ろさせつゝ、其れが商賣だからな、と返事をしたのち、軽い足取りでエレベーターを降りた。
そして自販機の前へとやって来るなり、スマートフォンの電子決済で温かい緑茶を購入した黒瀬は、カチッと言う音を、夏の夜に相応しい、実に物憂げな雰囲気に包まれた二人きりの空間に於いて響かせ乍らペットボトルの蓋を開けると、やるよ、とマイにペットボトルと蓋を手渡し乍ら、そういや、部屋の番号教えて貰ってなかったな、と呟いた。

一○〇五。

ペットボトル越しの熱を感じ乍ら、マイが言った。

なんだ、ウチの隣か。

黒瀬の部屋は角部屋の一〇〇六であった。

まぁ・・・そう言う事になるのかな。

緑茶で軽く喉を潤したのち、黒瀬に口元を拭いて貰い乍ら、マイはほんの少しだけ照れ臭い表情を浮かべると、お隣さんだって事が分かった序でに、今からこっちの部屋に来てくれないか、嫌いじゃないんだろ、お喋り、と
明らかに此の手の言い慣れていない事が丸分かりな素振りを見せつゝ黒瀬にそう言った。
マイからの「お誘い」に対し黒瀬は、箱入りも此処迄来ると筋金入りだな、と軽く茶化す様な言葉を添えた上で、此の際とことん付き合ってやるよ、悪い夢を見ない為にも、と言い乍ら、マイから受け取ったペットボトルの蓋を如何にも刑事の手と呼ぶに相応しいゴツゴツとした手でキッチリと締めた。

中々な趣味だな。
まるで旧き良き時代の香港映画に出て来そうな雰囲気の御部屋だぜ。

緑茶の入ったペットボトル片手にリビングほとやって来るなり、部屋の中を鑑賞をすると言うよりも、まるで事件の現場にでも足を踏み入れたかの様な素振りでオリエンタル仕様で固められたリビングを一旦自身の部屋へと戻り、スーツ姿からラフな寝巻き姿へと「変身」を終えたばかりの黒瀬が見渡すと、マイは其れを無視するかの様に、珈琲はブラックとミルク、どちらがお好み、と質問をし乍ら食器類が収められた海老色の食器棚の扉をガチャリ、と開け、其の中から素人でも一目見ただけで舶来品と判別が可能な珈琲カップとソーサー、スプーンと言った食器類を取り出した。

ミルクが良いな、此処ん所のんびりしていられなかったモンでね。

『カサブランカ』のイングリット・バーグマン。
『三つ数えろ』のローレン・バコール。
『アフリカの女王』のキャサリン・ヘップバーン。
『麗しのサブリナ』のオードリー・ヘップバーン。
『王様と私』のデボラ・カー。
『ジャイアンツ』のエリザベス・テイラー。
『ひまわり』のソフィア・ローレン。
『ひきしお』のカトリーヌ・ドヌーヴ。
往年の名女優達の写真が飾られた壁を見つめ乍ら黒瀬がマイからの質問に答えると、マイは了解、と言ってバーで働く人間らしく、実に小慣れた手付きでミルク珈琲を作った。
甘くそしてまろやかなミルク珈琲の香りが鼻腔を擽る中、どうも、と言って黒瀬は其れをマイから受け取ると、アジアンテイスト漂う紅赤色の椅子に腰掛け、いただきます、と言葉を添えたのち、カップに口を付けた。
雅な音楽に耳を傾ける時よろしく、両の眼を閉じ、程よい甘味が口一杯に広がるのを黒瀬が感じていると、緑茶のペットボトルを片手に椅子に腰掛けたマイから、如何かな、御味の方は、と質問されたので、黒瀬は瞑っていた眼を開き、美しさと強さが同居をしたマイの瞳をじっと見つめ乍ら、上々、と言って珈琲カップとソーサーを、果物の絵が印刷されたランチョンマットの敷かれた黒柿色のテーブルの上へ、丁寧に置いた。

自販機の缶珈琲も悪かねぇが、誰かに淹れて貰った珈琲が一番だな、気分が安らぐと言う意味でも、温かみを感じると言う意味でも。

刑事なんか辞めちゃえば?。
其処迄草臥れるなら。

緑茶を飲み干し、空になったペットボトルをキッチンの側に置かれた灰色の塵箱の中へと放り込み乍ら、マイが言った。

其れもアリかもな。
でも今辞めちまったら、退職金と積み立てた年金がお釈迦になっちまうから、此処はパスで。

カード遊びじゃあるまいに。

ま、冗談はさておき、同期の桜と交わした約束があるんでな。

折角だから聴かせてよ。
ミルク珈琲、もう一杯ご馳走するから。

では御言葉に甘えて。

空になったばかりの珈琲カップとソーサーを持って椅子から立ち上がり、其れをマイに手渡した黒瀬は、ズボンのポケットから林檎味のガムを一枚取り出すと、ガムを包み込んでいた銀紙をくしゃくしゃにした状態で塵箱の中へと捨てたのち、ほれ、あーん、と言って
作業中のマイの口を開かせ、口の中へと運んだ。

お気遣いどうも。
さ、忘れないうちに話してよ。
約束ってのをさ。

「もう良いよ」と言われる迄、刑事をやる。
此れが約束だ。
まぁ、今となっては約束だった、と言った方がいいのかもしれんがな。

聴かない方が良い?。
「だった」になった理由〈わけ〉は。

湯気がゆらゆらと揺れるカップを手渡し乍らさり気なくマイが質問をすると、本当だったらこんな事、べらべら喋る必要も無いンだろうが、今夜は特別な夜だ、他愛無い独り言だと思って話に耳を傾けてくれ、と言って黒瀬はカップを受け取ると、約束を交わした同期の桜は約束を交わした翌年の春、兼ねてから自身が所謂「鼠」として潜り込んでいた犯罪組織のアジトへガサ入れを仕掛けた際、組織を裏で操っていた暴力団幹部が「鼠の駆除」に雇った傭兵上りの殺し屋との壮絶な撃ち合いの果てに搬送先の病院に於いて「短い付き合いだったが、結構楽しかったぜ」と言って息を引き取った事をマイ相手に語った。

花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ、か。

キッチンに凭れ掛かって黒瀬の「独り言」に耳を傾けていたマイは、黒瀬が総てを語り終え、ご馳走様でした、と言葉を添えて空の珈琲カップを差し出したのを受け取ると同時にシンクの水を出すと、灰皿なら戸棚の中にあるよ、と灰皿が収納されている朱殷〈しゅあん〉色の戸棚を、指先からポタポタと温さを纏った水滴が垂れる左手の人差し指で指差した。

お気遣いどうも。

ガチャリ、と言う音と共に咥え紫煙の黒瀬が戸棚の扉をゆっくりと開けると、其処には木製で出来た灰皿があり、灰皿を床に落としてしまわぬ様、両手を使ってランチョンマットの上に灰皿を置いた。
其れから紫煙に火を点けようとズボンの左ポケットから燐寸を取り出すと、カップを洗い終え、ペーパータオルで水滴を拭き取ったばかりのマイが、火、点けてあげる、と言って黒瀬の右手に握られていた燐寸箱をサッと受け取るなり、燐寸を擦って黒瀬の紫煙に火を点けた。

良い時刻だな、シンデレラ。

紫色の煙越しに午前二時を指し示したばかりの漆黒色の柱時計の文字盤を見つめ乍ら、黒瀬が言った。

聞き分けの悪い娘〈こ〉はお嫌い?。
王子様。

燐寸の燃え殻を灰皿に放り込んだマイが微笑を浮かべながらそう述べると、ったく、大した薔薇の花だぜ、と言って、黒瀬は左手でマイの頭をポンと撫でた。

で、此れから如何する?。

其の質問が二人の未来に関する質問なら、キングサイズのベッドを買う日取りを決めなくちゃね。

自身の頭を撫でた黒瀬の左手に優しく触れ乍ら、マイが言った。

朝目覚めた時、独りぼっちなんだって事を噛み締めるのはもう沢山。

そりゃ同感。

で、何時にする?。

来週の土曜日が空いてる。
大きな事件がなければ、だが。

生きててよ、ちゃんと。

そう言ってマイは、自身の背丈からするとまるで巨木の様な黒瀬の身体にそっと身を寄せた。
其の為、紫煙の香りが余計鼻腔をくすぐる事となったが、此の際そんな事は如何でも良かった。

はははっ、分かってるって。

如何にも快活な笑い聲を黒瀬は二人きりの宇宙空間に響かせると、吸い終えた紫煙を右手を使って灰皿の上で揉み消し、両手を使ってマイの柔らかな身体を抱きしめたのだが、お返しとばかりにマイも黒瀬の身体をギュッと抱き締めた。
其の際お互いが文字通りの肌感覚でひしひしと感じた温もりは、もう何年も前から味わっていない部類の温もりだった。〈終〉

薔薇と拳銃〈Pistol〉

薔薇と拳銃〈Pistol〉

蒸し暑い熱帯夜、何処となく物憂げな大人たちによる愛の物語が幕を開ける…。 往年のアメリカン&フレンチ・フィルム・ノワールに愛を捧げた黒マイ小説、題名はモンキー・パンチ原作のアニメ作品『ルパン三世 PartⅡ』の同名作品より引用。 ※本作品は『ブラックスター -Theater Starless-』の二次創作物になります。 ※女体化要素、独自設定あり。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-03-02

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