蜂の孫


 祖母が死んだ。朝目が覚めると息をしていなかったのだ。
 両親はため息をついた。
 通夜に葬式、墓の手配と忙しくなるのは目に見えている。
 そのために両親が二人とも出かける必要があり、俺が一人で留守番をしなくてはならなかった。
 祖母は娘時代には大変な美少女で、映画会社が何回もスカウトに来たという昔話は聞いていたが、年を取ってからの姿しか知らない俺には関係のないことだった。
 祖母は生まれ育った田舎で過ごし、農家の嫁になり、ごく普通に生きて死んだ。
 それが今は仏壇の前に寝かされている。
 線香の煙と匂いが漂う中に、俺が不意に気付いたのは、かすかな羽音だった。
「何の音だろう?」
 キョロキョロすると、一匹の蜂が祖母の口元にとまるところだった。毒々しい黄色をしたでかい虫だ。
 だがもう遅い。
 追い払おうと俺が手を伸ばしかけた時には、蜂はもう祖母の口の中へ姿を消していたんだ。
「いいのかな?……」
 恐る恐る近寄って、祖母の口をそっと閉じてやることしか俺にはできなかった。
 俺が住んでいた地方には、変わった風習があった。
 死体は焼かず、そのまま土に埋めるんだ。竹筒をそばの地面に刺して、風抜き穴も作ってやる。
 葬式の日以降、母に言われ、花や線香を持って、俺は毎日のように墓参りをするようになった。
 だから最初の変化に気づいたのも俺だった。
 さっきの風抜き穴さ。
 この穴を通って、なんと蜂がさかんに出入りしていたんだよ。
 でもだからって、どうこうは思わなかった。木の根元など、土中に巣を作る蜂も存在するからね。
 事件が起こったのは、数週間後のことだった。
「あれは何だろう?」
 いつものように墓へやってきたのだが、地面に大きな穴が黒々と開いているのを見つけ、俺はひどく驚いた。
 穴があるのは、ちょうど棺が埋まっているあたりで、人が通り抜けられるほどの直径がある。
 家へ飛んで戻り、俺は両親に知らせた。両親は警察に知らせた。
 だが犯人はもちろん、何が目的かもわからず、やってきた警察官も首をかしげるばかりだった。
 もちろん棺の内部は空っぽで、祖母の死体は影もなかった。
 山中のことゆえ目撃者もなく、捜査にも成果はなく、時間だけが過ぎていった。
 何ヶ月かして事件のことも忘れかけた頃、村の何でも屋の前を通りかかった時に俺は気が付いた。
 店には本棚があり、その月々の月刊雑誌が並べられている。
 そのうちの1冊が俺の目を引いたんだ。
「これはお祖母ちゃんだ!」
 ああいう雑誌のお約束で、表紙でニッコリと微笑んでいた若い女。デビュー間もない新人女優の写真だ。
 でもそうだったんだ。
 あの女優は祖母に違いない。ずいぶん若返ってはいるが、面影ははっきりしている。
 よく知っている俺が、見間違えるはずはない。
「あれはお祖母ちゃんだ。間違いない」
 月が替わるたび、雑誌は新しいものが届いた。
 もちろん毎回、祖母の写真ではなかったが、それでも何ヶ月かおきには元気な顔を見ることができた。祖母は、スターへの階段を着実に登っているようだ。
「お祖母ちゃんは新しい人生を始めたんだ」
 だけど俺は、この話を両親にはしなかった。両親は雑誌にも映画にも興味はないし、教えてやっても混乱するばかりで、なんの役にも立つまい。
 そう思って、自分の胸に収めておくことにしたんだ。
 俺が風邪をひいてしまったのは、ちょうどこの頃だ。
 特に寒い日々だったのでもなく、冷たい思いをしたのでもない。
 だけど数日の間、咳が止まらなくなった。両親は心配し、俺に風邪薬を飲ませた。
 とはいえ病院へ行くほどの症状ではなかったし、学校を休むこともなかった。
 だからあの時も、俺は下校途中だった。
 学校の近所を離れると、家は途端に少なくなり、友人たちとも別れ、俺は一人きりになる。
 道も、田んぼの間の細い道に変わる。
 突然、俺は咳がしたくなった。
「あれれ、もう直ったと思ってたのに…」
 立ち止まり、俺は口に手を当てた。
 咳はいったん収まったかに見え、出る気配が消えた。
「あれ?」
 そこでまた咳の気配。
「?」
 喉の奥に、なんだかむずかゆいような奇妙な感覚がある。
 俺は少し力を込めた。
 ゴホン。
 咳が出た。
 だけど変なんだ。
 咳だけじゃなく、何か別の物も一緒に喉を通り抜けていった感じがある。確かに何かが喉の内側に触れていった。
 俺は手のひらを見た。
 そして、自分の喉の奥から何が飛び出してきたのか、はっきりと知ることができた。
「死ぬ前には、おばあちゃんもこんな咳をしていたのかなあ」
 それは俺の手のひらの上でちゃんと生きていて、足を動かし、羽も小刻みに震わせている。
 黄色い蜂…。

蜂の孫

蜂の孫

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-02-24

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