卒業 4

卒業 4

親友の愛した女

 美登利の父親が礼だと言い、フグをご馳走してくれた。 
 美登利は笑った。
 僕は伸ばしかけの口髭にメガネ。
 メガネをずっとかけていればよかった。
「気にしてるの? あなたは男らしいわよ」

 父親は酒が入ると涙もろかった。美登利は父親には優しい。
 僕は過去を振り返る。
 どうにかできなかったのか? パパと僕の過去は? パパは僕が寝たふりをしていると、泣きながら謝った。叩いた頬を撫で謝り続けた……

「あなたと結婚したらパパが喜ぶ。結婚しない?」

 毎年夏生と行っていたクリスマスコンサート。今年は断られ美登利と出かけた。肩を抱き頬寄せる。髭が痛いと美登利が笑う。
 仕事の疲れでコンサートの間、美登利は眠っていた。第9のラスト、美登利を起こした。クラッカーが鳴り拍手した。夏生ではない女とのクリスマスコンサート……


 大晦日の夜ひとりぼっちだ。梅酒で酔った情けない僕は美登利を呼び出した。
「さっきまで働いてたのよ。もう寝るだけ。大晦日も元旦も関係ないの」
「誰もいないんだ。ああ、旅行だよ。水入らずで。僕だけひとりだよ。来いよ。タクシー捕まえてきてくれ」

 来てくれるとは思わなかったが美登利は来た。
「酔ってるの? あなたらしくないわね」
「ああ、君が来てくれなかったら、なにかやらかしてた」
 美登利は散らかったテーブルを片付けた。
「君も飲めよ。亜紀の作った梅酒だ」
 美登利はひとくち飲んだ。
「芳醇。缶のとは全然違う」
「だから飲みすぎる」

 隣に座らせ話す。仕事で疲れ切った19歳の美登利。疲れ切った美登利に母の話をする。
「ママは19歳でパパと結婚した。中卒で都会に出てきて、田舎に仕送り。働いて疲れて寝るだけ。水泳だけが楽しみだった。パパはプールで会ってそんなママがいとしくて、親の反対押し切って結婚した」
 美登利は1杯飲むと眠気に負けて寝息を立てた。疲れて眠る女。第一印象はあてにならないものだ。ひたむきで必死に生きている美登利はママと重なった。

 酔うと思い出す。抑えてきたことが蘇る。死んだママの顔。眠っているようなママの顔……
「おい、眠るなよ。生きて……いるよな」
 眠っている美登利の顔をさわりキスした。額、頬に鼻に唇に。舌を入れると美登利は腕を回してきた。
「20歳過ぎた男に礼はキスだけか?」
 酔いが、出してはいけない名前を出した。
「圭とは寝たんだろ?」
 美登利は平気だった。その名には耐性ができていた。
「寝たのは君の母親とか?」 
 美登利の肩が震える。
「おまえに似てたんだろ、ママは。顔も体も声も」
 言い過ぎた。
 謝り土下座する。父そっくりだ。
 手を取ったが振り払われる。
「許さないか? ダメなのか? おまえのたったひとりの、おまえの……」
「圭は死んだの」
 美登利はコートを羽織る。もう僕を見ない。
「待てよ。帰らないでくれ」
「飲み過ぎよ。みっともない。もう寝たら?」
「帰らないでくれ。ひとりにしないでくれ」
 美登利を引き止め話した。パパのこと、亜紀のこと。亜紀の従姉妹のこと……
「瑤子、ひと回り年上の……僕の初恋かな」
「いくつのときよ?」
「11歳くらいかな」
 美登利は大声を出して笑った。そのあとは夏生のこと、和樹のこと。
「和樹は大嫌いだ。ママを奪っていったやつに似てる。名前も……夏生はどうしてあんなやつと……」
 そのあとはところどころしか記憶がない。飲まないと誓ったのに。情けない。
 美登利は僕の話を聞きそばにいてくれた。酔いが、なにを喋らせたのか?

 僕は美登利に甘えた。美登利は抵抗しなかった。痩せた女が元の体型を取り戻していた。数日のマラソンで健康美を取り戻していた。
「あなたのおかげ……」
 頭の隅で止める声がした。圭の愛した女、この女を抱いたら完全に圭を失う。

 美登利は脱がせた服を畳む。ちょっと待って、と言い几帳面に。僕の服も畳む。下着も。
「君の番だ」
「シャワー浴びなきゃ」
「好きだよ。君の汗の匂い。もっと嗅ぎたかった」
 美登利は叩いた。
 バスルームでシャワーを浴びながら抱きしめた。唾液の痕をシャワーが流す。
 
「病気、ないでしょうね? 感染症なんか移したら死ぬわよ」
 美登利は泡だらけにして僕を洗った。犬を洗ったように。
「今日、大丈夫?」
「知らないわ」
「女だろ?」
「あんなに痩せたのよ。生理も止まった。今はめちゃくちゃ」
 勢いのままベッドに運ぶ。
「シーツ、無理」
「変えたよ。新しい年だからな」
 美登利は電気の明るさにだけ文句をつけた。ふたりで妥協した薄明かりの中、コンドームをつけると
「切れない? 怖いから2重に、3重にして」

 花開き折るに堪へなば 、直ちに(すべから)く折るべし


 僕は体を離し隣に寝た。圭の大事な女。圭が大事にした女の体を指でなぞる。
「愛しいよ。君が」
「処女だから? 最初は軽蔑してたでしょ? 1年の時は」
「ああ。なぜ圭が君と付き合っているのかわからなかった。どう考えても圭のタイプじゃなかった。君は、清潔で純粋、真面目で努力家、几帳面、根性もある。父親思い……」
「どうしたの? 美登利の水揚げしないの?」
 美登利の体を唾液で汚す。美登利は抵抗もせず気絶もせず死にもしなかった。念入りな愛撫を……
「眠るなよ」
 美登利には限界だった。連日の立ち仕事。荒療治に疲れ眠りに落ちていく。
 圭の愛した女。僕は決めた。

 僕たちは親を乗り越えたんだ。僕たちは同志だよ。君を愛している。愛おしい。本気だ。
 結婚しよう。この家からも解放だ。会社は彩が継げばいい。オレはおまえと結婚する。大事にするよ。大事にする。おまえのパパも……

アリサ

 美登利は仕事の時間が迫っても起きなかった。
 僕は美登利のために浴槽に湯を張りバラの精油を落とした。夢うつつの美登利の頬をつつき目を覚まさせる。

「ああ、いい香り。贅沢ね。ダマスクローズ、高いんでしょ?」
「父の会社の商品だよ。元々は小さな石鹸工場だ」
「あなた、跡継ぎなのね。」
「さあ、僕は血統が悪いからな。君と結婚してコンビニ継ごうか」
 聞こえなかったようだ。
「美登利、僕は酔って何を喋った?」
 酔うと失われた記憶が蘇るようだ。しかし酔いが覚めれば覚えていない。
「歌ってたわ。夜中にピアノ弾いて。ネコ踏んじゃった、ネコごめんなさい……
 幸せだったって。パパとママと……」

 美登利を送り車を駐車場に止めたまま離れられずにいた。
 美登利は店の外に出てくると年賀を売り始めた。寒い中、道行く人に声かける。いじらしい、またママと重なる。
 しかし美登利のハスキーボイスが男に財布を出させる。店のためと開き直っているようだ。積み重ねた箱がみるみるなくなっていく。 
 女性客には通用しない。表面だけしか見ない女に美登利は嫌われる。夏生が初めてできた女友達だと言っていた。夏生は逆に男みたいな性格だからうまくいくのだろうか?
「媚び売るなよ」
 僕は隣で販売を手伝った。女性客に丁寧に礼儀正しく勧める。品物は減っていく。


 あの夜のことはなにもなかったように美登利は接した。勉強を終え美登利の肩に腕を回す。
「旅行しよう。キャンプしよう。風呂も入れない」
「行かない。もう卒業できるから」
「卒業したらもう僕は必要ない?」
「お礼はしてあるでしょ? お釣りがくるくらい」
「……」
「あなたは、いい人よ。お酒なんか飲まないで、いい人のままでいてくれればよかったのに」
「僕は本気だ。結婚も考えた」
 フン……美登利は鼻で笑った?
「さすが、ドリーはすごいわね。三沢英幸をその気にさせるなんて」
「ああ。君のためなら家も捨てる。大事にするよ。君のパパも。理想的だろ? 僕は?」
「圭のことばかり言うくせに。忘れたいのに」
「……言わないよ。もう言わない」
「あなたといると圭のこと忘れられない。セットでついてくるの」
「……」
「あなたのせいで、いやらしいことばかり考えてる。バスルームであなたがしたこと……快感だった。シャワー浴びるたび……」
 美登利は手首を見せた。新しい傷跡が生々しい。
「だから罰を与えたのよ」
 美登利は剃刀を出し脅した。
「私はママみたいになる。だから罰を」
 いきなりの展開に僕は言葉をなくした。
「私はアリサなの」
「アリサ?」
「狭き門、倫理で読まされたでしょ? アリサはジェロームとの愛を諦め神を選んだ」
「ジェロームはアリサを奪うべきだった」
「ママみたいになりたくない」
 振りかざされた剃刀。
「よせっ」
 血が飛んだ。
 奪った瞬間手のひらを傷つけた。美登利は僕が流した血には臆病だった。
 僕はもっとうろたえた。血圧が下がり心拍は上がる。
「血が怖いの?」
「夏生がガラスに突っ込んで血だらけだ。僕のせいだ。僕は必死でガラスをどけた。僕の手からも血が流れた」
「怖い思いをしたのね。かわいそうに」
 美登利はおじけずいた僕の手の傷を自分の唾液で消毒した。
「僕はもう君を助けられない」
「いい人ね。一生忘れないわ」
 美登利は僕の手を治療した。
「僕は消えるから、頼むからやめてくれ。もう傷つけないで。そばにいたいよ。君のそばに」
 美登利は小さくごめんと言った。
「一生結婚しない。パパのそばにいる。犬を飼おうと思うの。もう克服できたから」
 僕が未練がましく動かないでいると美登利はまた脅した。僕は恐ろしい場所から逃げるようにして出てきた。

 負けた。もう少しだったのに。原因もわからない。なぜなんだ? 
 圭。結局ダメだった。あんなに、あんなに愛してやったのに。美登利の気持ちがわからない。

 いや、おかしい。こんな別れなんて。こんな結末はおかしい……
 戻って……いや、戻れない。情けない。
 心配だ。美登利が心配なのにそばにいられない。どうすればいい?

封印

 母が死んだ。
 長い闘病生活だった。入退院の繰り返し。
 葬儀が終わると気が抜けた。数日眠れない日が続いた。風邪気味で薬も飲んでいた。心の中は空虚だ。がらんどう……

 1カ所だけ封印している場所がある。7年前の恋だ。封印してある。思い出すと辛いから。
 抑える。思うのを抑える。あんなに好きだった女、いや、まだ少女のままだった。深い悩みを抱えていた……
 力になると誓ったのに、あの少女の涙が一生を決定したと思ったのに、残酷に残酷に裏切ってしまった。
 どうすることもできなかった。謝ることも。2度と顔を合わせることはできなかった。

 衝撃……
 自損事故か、よかった。誰も巻き込んでいないならいい。
 死んでもいい。死んでもいい。あの女が呼んでいる。悲しい女だ。
 愛した少女の母親。愛した少女の憎んだ母親、あの女が呼んでいる。
「来てくれたのね、大きくなったわね、私に似てきたわね、ね、圭?」

「ママの恋人?」
「責めないで。もうすぐ死ぬのよ。今までこんなに親身になってくれた男はいなかった。手術しろって言うの。どうせ死ぬのよ。きれいまま死にたい」
「よろしくね、圭……さん。ママをよろしく」

 ドリー。許してくれ。幸せでいてくれ。おまえといた時間だけが幸せだった……


 屋上で女はタバコを吸っていた。特別室の女だ。
「なに? 悪い? それとも心配してくれるの?」
「別に」
「坊や、毎日きてるわね。おかあさん? 幸せね」
 圭は黙っていた。金のことで頭がいっぱいだ。
「ねえ、買い物頼まれてくれない? 頼める人、誰もいないのよ。天涯孤独なの」
 最初は雑誌やCDだった。多すぎる駄賃をくれた。
「取っておきなさい。どうせ死ぬのよ。使いきれないの」
 何度目かに、ある男を探してくれと頼まれた。
「初めての男。反対され見合いさせられ、駆け落ちしたけど連れ戻された。死ぬ前にどうしているか知りたい」 

 興信所に頼むだけで簡単だった。
 かつて駆け落ちした男には妻も子もいた。
「私が死んだら、伝えてくれない? お嬢さんが愛したのは1人だけだったと。あ、もしかしたら坊やを好きになるかも」

 女は金を貸してくれた。貸したのではない。先生に話をつけ母の手術の段取りをつけていた。圭は断れなかった。
「返すよ。必ず返す」
「無理よ。死ぬほうが早いから。その代わり付き合いなさい。遊びたいの。死ぬ前に」

 ボーリングをした。力のない女はうまかった。圭は初めてだった。女に教えられストライクをとった。
 酒を飲みにいきダンスを教わり歌を歌った。金のため……それだけではない。同情……それもある。だが、初めての男を生涯思い続けた女に感心した。
 その店で幸子に会った。言われたことが引っかかった。女が歌いにいったとき、
「うまいわね。プロ級ね。ねえ、ドリーに似てない? ドリーはどうなったの? あの巨乳のハスキーボイス。男子のセックスシンボル。寝たの? 圭君? あのサッカーに明け暮れていた少年は今は年上の女と、不潔」

 圭はもう1度女に聞いた? 身内はいないのか? 女は嘘がうまかった。平気で嘘をつく女なのだ。
 その夜、飲み慣れない酒とひどい疲労で女の部屋で眠ってしまった。
 美登利の夢を見た。圭の母親のことを自分のことのように心配して励ましてくれている。美登利がいるから夜学も卒業できた。辛い境遇も恨まずにすんだ。
 美登利が、美登利の声が圭を誘った。決して許さない唇、性的な行為は嫌った。ふれあうのは手と腕、頬、髪……美登利がしないことなのになぜ? 酔いが判断力を鈍らせた。
 愕然とした。女は、死を覚悟していた女は最後の男にすがりついた。


 圭は帽子を被りマスクとサングラスをしてドリーの部屋を見上げた。電気がついている。
 とてつもない悲しみを与えてしまった。美登利は心の病気になった。1年留年した。
 情報は母親が教えた。聞き出させた。母親を断ち切ることはできなかった。金を借りている。もうすぐ死んでいく女だ。憎んでいても美登利の母親だ。
 美登利に対しては、もうどうすることもできない。窓を見上げて、電気が消えるまで見守る。そんな日々が続いた。

 遠目で痩せすぎた美登利がやがて元気を取り戻した。下ばかり向いていた美登利が前を向くようになった。
 同じクラスの橘夏生と親しくなり、彼女の家で勉強しているという。夏生のそばにはあいつがいる。
 あいつが美登利を送ってきた。美登利の隣に三沢がいた。かつて圭の親友だった男。美登利に似た境遇の、すねていた男。美登利は笑っている。
 三沢が美登利を立ち直らせている。三沢なら安心だ。安心して任せられる……

卒業 4

卒業 4

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2024-02-12

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  1. 親友の愛した女
  2. アリサ
  3. 封印