卒業 3

卒業 3

同志

 眠れなくて2階へ行った。この頃思い出す。忘れたいから消えていた記憶。
 僕は祖母と寝ていた。祖父が亡くなると祖母はさらに僕をかわいがった。夜中目が覚めると長い怖い階段を登りママのところへ行った。ママは掛け布団を持ち上げ僕を入れる……懐かしい香り……

 奥の部屋は立ち入り禁止だ。ママが使っていた部屋。かつての夫婦の寝室に明かりが見えた。そっと開ける。座っている父の後ろ姿が見えた。酒を飲んでいる。
 ノックをした。締め出されると思ったが父は、一緒に飲もう、と言い自分のグラスをよこした。
「眠れないのか?」
 話題は美登利のことになる。
「美少女だな。なにを悩む? 贅沢だな」
 冷たい口調だった。意外だった。
「強迫神経症か? おまけに……」
「なに?」
「おまえに感謝してたぞ。犬にもさわれるようになった。亜紀のスープも飲めるようになったと。しっかりした娘だ。近くを通ったら店に買いにこいって。アドレスも教えてくれた」
 若い娘にはもてるんだな。
「店を手伝いながら園芸の資格を取りたいそうだ」
 話が続かない。普通の父子でもこうなのか? いつも亜紀がいた。亜紀を通して僕たちは話をした。ふたりだと話題を探し、諦める。
 グラスが空になり、父が注いだ。ひとつのグラスで順番に飲む。

「美登利と本の話をしていたの?」
 父は答えない。2度聞くことはできなかった。 
 父は歌をくちずさむ。
 Don't give up……

「ママの好きな歌だ」
「ああ、強い女だった。たくましい女だ」
「酔ったの?」
 亜紀と混同している。
「パパは忙しすぎるよ。だから彩が和樹なんかに懐くんだ」
「和樹か」
 話が思わぬ方向に。
 僕も『和樹』に懐いていた。ママを奪って行った『和樹』に。
「……パパの望みはおまえと彩の幸せだけだ。あとは……亜紀はちょっと面白い女だ。家事はだめだけど」
「おかあさんは頑張ってるよ。最初はすごかったけど……おかあさんのおかげで僕は丈夫になった」
「初めて会ったときにホースで水をかけられた」
「……」
「ひどい父親だったからな」
 父は珍しく僕を見つめた。じっと見つめた。
英幸(えいこう)、パパを許すな」
 そのひとことが涙腺をこわした。涙がポタポタこぼれた。意思とは関係なく。情けない。
 父は僕の肩を叩き出て行った。
 
 許してるよ。もう、とっくに許してる。 


 美登利がドアを開けた。
「立ち入り禁止だ。掃除してない。君には無理だ」
 階下のリビングで美登利は話す。
「今は最高の時なの。もうすぐ私を産んだ女が死ぬのよ」
 幸子の話を思い出す。
 圭と年上の女が一緒にいた。親密そうだった、と。
 サッカーに夢中だった少年は年上の女と……不潔!

「……圭は君のおかあさんと……?」
 美登利が僕を殴った。肯定したようなものだ。
「こんなことだろうと思った」
 いつのまにか和樹がきて、誤解して僕に殴りかかる。夏生と彩以外全員が起きてきた。

 鼻血だ。ポタポタ血が流れる。僕は震えその場にしゃがんだ。血圧が下がり心拍が上がる。

 夏生がガラスをかぶって血だらけだ。僕のせいだ。僕が殴った。夏生があいつの名を言ったから。夏生のせいでママが出ていったから。
「和ちゃん、どうしているかな? ピアノうまかったね。死んじゃうなんてかわいそう……」
『和ちゃん』に僕はなついていた。祖母は僕にピアノを習わせた。祖母も『和ちゃん』が好きだった。夏生のママも芙美子叔母さんも好きだった。『和ちゃん』は芙美子叔母さんと結婚するのだと思っていた。
 僕がママに教えなければママは出ていかなかった。なにもかも捨てて、余命宣告されていた男を選びはしなかった。


 美登利が父の胸に飛び込み泣いた。衝撃だ。なぜ父の胸なんだ? 大丈夫なのか? 父の息と体臭? 
 別荘中が大騒ぎになっているのに夏生は起きてこない。
 僕は美登利の荷物を取りにいった。夏生は幸せそうに眠っていた。美登利の荷物は一目瞭然、几帳面に引き出しに並んでいた。亜紀に見習わせたい。
「さわらないで」
と言う美登利の手を引っ張った。夏生は目を覚まさない。

 病院へ向かう。車の中で美登利ははしゃいでいた。
「おじさまとだったらよかった。ステキな人。好きになりそう。メルアド教えちゃった」
 病院に着いたが美登利は降りない。手を引っ張ると、
「圭がいるわ。私はまた元に戻る。そうさせたいの? 圭のおかあさんはママと同じ病院に入院してた。ママと顔見知りになって買い物とか頼まれるようになった。死を宣告された女に同情したのよ。特別室に見舞客も来ない哀れな女に。圭は見捨てられないはず」

 僕は見舞客を装い病室を聞いた。すでに亡くなっていた母親は葬儀場の霊安室に移されていた。
 戻ると美登利は歌を歌っていた。
「異邦人だな。まるで」
「なに? なに? 異邦人?」
 夜が明ける。
「海で泳ぐか?」
「無理」
「プールは?」
「もっと無理」
「体育は? 授業は出てないのか?」
「しょうがないでしょ。失神するわ」
「バカ。体育で単位落とすぞ」
「夏休みの補習も無理」
「ドリー。誰でも恐怖症はあるよ。僕だって克服するよう努力してる」


 美登利は家には帰れないと言う、あの女が死んだ日にパパとふたりきりになりたくない。
 誰もいない三沢家。ソファーで眠った美登利をベッドに移す。僕は机に伏して考えた。圭のこと。考えても仕方ない。無理だ。
『卒業』のラストは有名だが、続きは無理だろう? 
 美登利は目を覚ますと悲鳴を上げた。
「なにもしてないよ」
「信じられない。あなたのシーツなんて。無理。卒倒する」
「そんなに汚いか? 父に抱かれてたくせに」
 美登利はポロポロ泣き出した。
「来いよ。全部吐き出せよ。僕たちは母親に捨てられた同志だ」
 素直に美登利は僕の胸で泣いた。

 美登利は母親の見舞いに行った。祖父に頼まれて行ったのだ。乳癌なのに手術を拒否してる……
 贅沢な特別室に若い男がいた。手術をすすめていた。哀願していた。
 美登利は来たことを後悔した。母親は喜んだ。
「来てくれたのね、大きくなったわね、私に似てきたわね、ね、圭?」
 驚愕。圭の顔が目に浮かぶ。
「ママの恋人?」
 美登利は気丈だった。
「責めないで。もうすぐ死ぬのよ。今までこんなに親身になってくれた男はいなかった。手術しろって言うの。どうせ死ぬのよ。きれいまま死にたい」
「よろしくね、圭……さん。ママをよろしく」
 圭は追いかけることもできなかった。追いかけてこられない関係なのだ。金を出したのは美登利の母親だった。あとは考えたくはない……
 息ができなくて廊下で倒れた。目が覚めたらすべてが汚れていた。

先生

「オレが治してやる。荒療治だ。午後はプールに放り込んでやる。犬だって大丈夫になっただろ? 亜紀のひどい料理も食べられるようになったろ?」
 美登利は自分の作った花壇に水を撒き手入れをした。バラにも詳しくなっていた。咲いている花を切り落としグラスに刺した。
 午後、プールサイドで、美登利は爪先立ちで歩いた。面積の多い水着。体重は半分は戻ったか?
「プールは塩素で殺菌してあるんだ。菌もウイルスも移らないように」
 放り込まれそうになりつかんできた左手首を見た。
 美登利は振り払いプールに飛び込んだ。泳ぐ。きれいなフォームだ。僕はあとを追いかけた。美登利は速かった。身軽に上がる。捕まえて問い詰める。
「小学5年の時よ。それきりやってない。あとで話す」

 僕は何年か前のことを思い出した。圭と同じ電車に乗り通学していた。駅前の商店街、まだ開いていない店の前に女が寝ていた。酒臭い、まだ15 歳くらいの少女だった。
 その少女は僕を見ると立ち上がり抱きついてきた。振りほどこうと腕をつかむと美登利よりも痛々しい傷の跡がたくさんあった。
 リストカット、初めて見た。
 少女はうつろな目をして離れていった。

 あの少女は僕だ。亜紀がいなければ、夏生がいなければ……ピアノに逃避していなければ……僕もさまよっていたかもしれない。

 僕の家に戻り美登利はシャワーをもう1度浴びた。念入りに。
「襲わないでよ。唾液や体液、我慢できない。発狂するから」

 リビングのロッキングチェアに座り告白が始まった。
「初恋は10歳の時よ。17歳年上の担任の先生。小学5年のときの担任。奥さんも男の子もいた。
 ママに出ていかれた私を励まし、交換ノートをしていた。先生のおかげで勉強も運動も頑張れた。女子にはひいきだって言われたけど。
 そのうちパパが携帯買ってくれて、先生とメールした。朝も夜も、奥さんがお風呂入ってるときも。寝る前には、おやすみを。
 私は先生の特別な生徒。同級生の女子は気づいていた。お土産買ってきてくれたし、ペンダントももらった。
 大好きだったの。先生がいなかったらあの時期を乗り切れなかったと思う。
 先生の用事で放課後出かける時も一緒に連れてってくれた。車で。
 ラーメン食べたりハンバーガー食べたりしたわ。
 私が遊園地行きたいって言ったら計画してくれて、嬉しくて私は喋っちゃったの。その子がおかあさんに話して、そんなバカなことあるわけないでしょって、パパに電話してきた。
 パパは私が眠っているときにメールを見てびっくりしたと思う。
 美登利、かわいいな、好きだよ、なんてメールだもの。
 
 運動会に先生の奥さんも男の子も見にきていて、楽しそうにしてた。私は嫉妬したの。先生のところへ行って、なにも言わず見つめたわ。先生のパーカーの紐をいじりながら。先生は驚いたけど見つめ返してくれた。私は愛されてるって確信した。
 パパが私を引っ張っていった。
 それから少しして先生は学校を辞めた。携帯もつながらなくなった。パパは私が傷つくから大袈裟にはしなかった。郷里に戻るとか、そんなんだったと思う。
 学校には知られなかったけど、女子は私のせいだと。10歳の娘が誘惑したみたいに言ったわ。母親の血だって。 
 パパもそう思ってるんだ……私は見放された。
 相談する先生もいなくなり、女子には汚らわしいものでも見るような目で見られた。パパにも、嫌われたかと思った。
 母の実家にあずけられるのではないかと思って、私は腕を切ったの。パパの気を引くために。私を見捨てないでほしかった。

 元々気が強いからね、私は。負けるのは嫌だった。悪口を言う女の、好きな男を誘惑してやった。私が見つめれば私の言いなり。いちゃいちゃしてやったわ」
「ロリコンか? 今でも同じことしてる」
「違う。愛し合ってたの。魂が触れるのを感じた」
「今の君には興味を示さないだろう。巨乳は……なくなったが毛が生えてる」
「殴るわよ。先生は10歳の私にはなにもしなかったわよ。あれは、愛じゃないの?」
 問いかける美登利の目は純粋だった。無垢な子供の目。
「私は、先生の前途を壊した。家庭を壊したかもしれない。

 中学は皆と違うところへいった。知ってる子のいないところ。神経質になって、しょっちゅう手を洗ってた。でも陸上部に入ったの。顧問の男の先生に誘われて。
 走って汗かいて疲れて、シャワー浴びないで眠っちゃった。先生のおかげで軽い潔癖症はすぐ治った。高飛びをやったの。先生は30代の独身の男の先生。怖い先生だった。
 朝練、放課後、土日も練習。怖い先生が新鮮だった。パパは優しくて気の弱い人だったし、男子にはチヤホヤされたしね。
 パパはスポーツに打ち込んで喜んでくれた。大会にも出て記録も出したし。
 受験前まで部活頑張って最後の日、先生は私を抱きしめた。信用していた先生が私を抱きしめたの。
 いやじゃなかった……私って魅力あるんだ、さすがママの娘……
 いやじゃないけど、パパには嫌われる。

 私は師弟関係の抱擁だと思うようにした。先生の前途を壊せる。噂にはなっていたし……パパに軽蔑されたくなかった。ママの血が流れていると思われたくなかった。私は……魔性の女」
 僕はわざと吹き出した。
「以前の私ならあなたのパパだって誘惑できたわ」
「じゃあ、誘惑してみろよ。巨乳に戻って」

 母親の葬儀には出ずに、美登利は火葬の間ずっと外にいた。
「おじさまからメールがきた」
 わざと大げさに喜ぶ。
「辛かったら、亜紀のところに来なさい……」
 
 美登利をH高まで送る。プールの補習。その間、音楽室に行ってみた。卒業して3年たった。ピアノを弾く。
『ミラボー橋』を口ずさむ。
 やり直せたら……高1の秋に。圭との友情を壊す前に。
 いや、過去は振り返らない。

愛の方程式

 秋、夏生が変わった。無口になった。泣いたのがわかった。
「和樹と喧嘩でもしたのか?」
 うん、と夏生はうなずく。
 ふたりの帰りが遅い。僕は窓から見ていた。夏生を送ってきた和樹は、名残惜しそうに夏生の髪にふれ肩に手を置き、帰っていった。

 追いかけ怒った。帰りが遅いと。
「もう18ですよ。ボクたち。夏生の両親にも認めてもらってる」
「じゃあ、泣かせるな。夏生を」
 橘家でなにかが起きていた。おばさんは、
英幸(えいこう)、今は聞かないで」
と言った。英幸、と呼ぶときは深刻なときだ。
 僕だけ蚊帳の外。 

 そして車の窓から見た。産婦人科へふたりは入っていった。
(知り合いの赤ちゃんでも見にきたに違いない)
 そう思い、そう和樹に尋ねた。
「僕たちの赤ん坊は幻だった。妊娠してたら結婚したのに。そうだったらどんなにいいか」
 腹に1発。別荘でのお返しだ。和樹は黙って殴られた。2発目は亜紀が止めた。
「外でなにやってるの? 通報されるわよ」

 気がついたら夏生はもう僕の夏生ではなくなっていた。いや、修正されただけだ。夏生は僕のために違う道を選んでいただけた。
 長い年月、湧き上がる感情を押し殺していた。誰よりも女らしいのに。
 夏生は和樹を選んだ。
「夏生、大学行かないそうよ」
「え?」
「夏生の志望は服飾学校。夢はドレスや舞台衣装を作ること。なんで気がつかなかったんだろう?  あんなに器用なのに」
 服飾学校? 考えもしなかった。ずっとそばで見守っていたのに。夏生はひとことも洩らさなかった。
 夢はドレスを作ること? 人形や彩の服を作っていた。目を輝かせて。
 夏生は気がつかせなかった。夏生はドレスを着たかったのだ。毎年のピアノの発表会、色とりどりのドレスで着飾った少女たちの中で、誰よりも上手な夏生は男の格好で登場した。
 僕のせいで夏生は女でいることを諦めた。それを……
 負けた。和樹に負けた。


 美登利の部屋で勉強を教える。ベランダにプランターの寄せ植えがいくつもあった。
「君が植えたのか?」
「そうよ。素敵にできたでしょ? 今度、バラのフェスティバルがあるの。つれていってくれない?」
「ああ。試験、頑張ったらな」
「数学苦手、知ってる? ノーベル賞取った、なんだっけ? 統合失調症で……映画になった……」
「知ってるよ。ジョン ナッシュ。圭に……」
 圭に勧められて僕も観た。  
『圭』は禁句だ。

 圭は当時、愛を信じられないでいた僕に実話だから、と勧めた。
「面倒くさいの省いてセックスしようぜ……あっただろう? このセリフ」
 圭に何度も茶化して言って呆れられた。圭といると楽しかった。
「謎に満ちた愛の方程式の中に理は存在するのです。今夜、私があるのは君のお陰だ。君がいて私がある。ありがとう」
「なんでも暗記してるの?」
「ノートに書き留めておく」
 圭はセックスしたのか? 美登利と? 美登利の母親と?

 美登利と見に行ったバラの祭典。美登利は夢中だった。興奮して写真を撮る。それを再現する。 
 店先の左側のスペースに寄せ植えのコーナーができた。パンジー、ハボタン、ストック……見事なリース、ハンギングバスケットが増えていく。客が感心して眺めている。
「売ってくれって言われるの。注文がくるのよ」
 美登利とのデートは庭園と大きな園芸店。熱中するものを見つけた女は輝く。

 終業式間近、美登利はまた体育で単位を落としそうになった。
「あの先生、私のこと毛嫌いしてる。体育館で、体育座りなんて無理、寝るなんて無理」
「補習は学校の周り百周? 80キロ? 無理だな」
「大丈夫よ。陸上部だったの。体重も戻ったし。お願い、練習付き合って。足も、心臓も大丈夫。弱いのは精神だけ」
 スポーツセンターで美登利と走る。マラソン大会の前にはよく亜紀に走らされた。亜紀は独身時代が長かったからいろいろなことをやっていた。フルマラソンにも出場していたことがあった。
 美登利はすぐに走れるようになった。
 マラソンの補習。年内に終わるのか? 毎日学校まで迎えにいく。美登利は座席に乗り横になる。
「汗臭くない?」
「君の汗なら歓迎だ」
「足がパンパン」

 風呂に浸かっている間、美登利の部屋を眺める。几帳面な女だ。病的かもしれない。読書家だ。  
 圭が読んでいた本。映画のビデオ。捨てなかったのか? 圭の好きな映画だ。この部屋でふたりで観たのか? 
 1冊の本を手に取り開いた。
『この顔と生きていく』
 先天性の顔の奇形。これも圭の本か? 自分の顔を嫌う美登利に……
 夢中で読んだ。ハッとした。
「美登利?」
 浴槽で寝ている美登利を起こした。
「見たわね?」
「バカ、死ぬぞ。早く上がれ』

 美登利が出てくる前に部屋を出た。情けない俗物だ。圭の愛した女の裸を見て逃げ出した。
 最終日に美登利は走り切り抱きついた。
「苦手じゃないのか?  息と体臭」
「先生がシュークリームくれた。根性あるって」
 車の中で食べる。僕の口にも入れる。僕の口の周りのクリームを指で取り舐める。
「進歩したな」
「お礼するわ。キスしていいわ。あなたとならできそう」
「無理するなよ」
「キスするとアドレナリンが放出されコレステロール値が下がる。細菌を交換することで免疫力を高める効果がある」
「亜紀に聞いたのか?」
「自分で調べた。でも歯を磨いてからね。唾液の交換は無理」

 美登利の部屋でキスをした。コンビニで歯ブラシを買わされ念入りに磨かされた。美登利の唇にふれる。上唇を挟み、下唇を挟む。長い時間。体がうずく。
「さすが、キスもうまいのね」
「初めてだよ」
 美登利は吹き出した。 
「口開けろよ」
「無理。気絶する」
「唾液の交換しようぜ。唾液には殺菌消毒作用がある」
 ぎこちなく舌を絡める。
「気絶しないのか?」
 聞きたい。圭は? 圭とはしたんだろ? ヘビーなキス。 圭とは寝たんだろ?
「面倒くさいの省いてセックスしようぜ」
「ここじゃ無理」
「どこならできる? できるのか? 僕と?」
「あなたはきれいだから」
「きれい? どこが? 心か?」
 美登利は僕の顎をさする。
「きれいよ。女だったらよかったのに」
「子供の頃は女みたいだって言われた。コンプレックスだ。だから鍛えた」
 美登利は化粧道具を出し笑いながら僕に化粧した。写真を撮り父に送ろうとした。
「駄目だよ」
 携帯を取り上げた。中を見るのはご法度だが……
 内容は僕のことばかりだった。
 勉強の教え方が上手。優しい人、思いやりのある人……
 美登利を通して息子のことを知ろうとしているのか? 自分で聞けばいいのに。
 女だったら、僕が女だったら、父はどうしただろう? 溺愛しただろうか?

「キスの報告はするなよ」
 美登利に化粧をしてやる。変身させてやる。美しくないドリーに。平凡で真面目で地味な女に。
「すごい。メイクアップアーティストになれば? コンプレックスだった。派手な顔。亜紀さんには贅沢だって怒られたけど」

卒業 3

卒業 3

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2024-02-11

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  1. 同志
  2. 先生
  3. 愛の方程式