自分は正しい症候群

 老齢による弊害のことを、一般的には「老害」と呼びます。「害」という漢字を使っていることからも分かりますが、老害はネガティヴな意味で使われる言葉です。

 さて、この「老害」という単語、近年になりよく見聞きするようになったと思っていたのですが、この言葉が生まれたのは、何と今から四十年も前のことだそうです。1983年(昭和58年)に出版された、松本清張の「迷走地図」という長編の中で使われたのが最初だろうと言われているのです。
 とは言え、この言葉が周知されるようになり、日常でも普通に使われるようになったのは、平成に入ってからではないでしょうか? 私個人の記憶では、実業家の堀江氏(ホリエモン)がプロ野球への参入を計画していた際、プロ野球の球団オーナー達の古い体質のことを、「老害の蔓延る世界」と皮肉ったコメントを出した時に聞いたのが、おそらく最初だったと思います。2004年頃だと思います。
 強いインパクトを持つ妙に説得力のある言葉だと感じたのですけど、毒気がすごくて、あまり好きな言葉ではありません。ただ、妙に説得力を感じた通り、的確に言い表す言葉こそ知らなかったものの、既にその頃から「老害」に当たる方も身近にチラホラといたのも事実です。

 そう、「老害」という言葉に関係なく、高齢者による威圧的な言動やマイルールによる身勝手な立ち居振る舞い、古い価値への固執など、様々な問題が表面化したのも、平成に入ってからではないでしょうか? もちろん、昔からいたのでしょうけど、社会問題として取り上げられるようになったのも、特に目立つようになったのも、比較的最近のことだと思います。
 老害だけじゃなく、社内での様々なハラスメントもそうだし、社会的地位の高い者による理不尽な言い掛かりもそうです。若年層や女性を見下し、更に敵視したり蔑視したり、自分への忠誠や服従を強要したり……それどころか、それが当たり前だと思っているような高齢者の問題も、年々取り沙汰されるようになっている気がします。

 また、「キレる老人」なんて言葉も、この数年の間によく飛び交うようになりました。
 これは、加齢により前頭葉が収縮すると、判断力が低下したり感情の抑制が困難になるという、医学的にもある程度は解明されていることですから、ここまでの話とはまた別件かもしれません。
 ただ、「キレる老人」が「キレる」理由は、大抵の場合はどうでもいいような瑣末なことだったり、単なる逆ギレだったりします。幾ら、加齢により抑制が効かなくなったとは言え、そもそもがわざわざ抑制する必要があったとは思えないようなくだらないことです。
 つまり、老齢化するまでは、普通の人なら軽く流せるようなことにも怒りの感情を抱き、前頭葉の働きで抑制していたのだということです。

 実際、そんな瑣末なことぐらいでは、「キレない」ご老人の方が多いのです。個人差はあるとは言え、同じように前頭葉が加齢で収縮していても、です。なので、どうしても元々が怒りの沸点の低い、残念な人だったのかな? と勘繰ってしまうのです。
 逆ギレの理由は、ほとんどの場合、自分のミスが原因です。見落とした、聞き逃した、勘違いした……など、相手側には何の落ち度も無いケースも珍しくありません。「ごめんごめん」で済む程度の些細なトラブルだったりもします。
 しかし、ここで前の話と繋がってくるのですが、普段から見下している女性や若年の方からの指摘は受け入れられず、目下からの批難と受け止めてしまい、「キレて」しまうのです。なので、「キレる老人」も「老害」の一種と見做されるのでしょう。

 得てして、こういう高齢者は何か大きな問題を起こしても、謝罪や反省を頑なに拒否し、逆に相手や他者を責めるなど、不遜な態度に終始することも多く、一層反発を招くのです。
 例えば、最近では、高齢ドライバーによるブレーキとアクセルの踏み間違いによる交通事故が多発しており、社会問題になっていることは周知の通りです。事故を起こしてしまったほとんどの高齢者は、ペダルの踏み間違いなど運転の過失を認め、反省し、謝罪し、罪を償う意思を示します。免許の返納を約束するケースも多いそうです。
 その一方で、絶対に過失を認めず、謝罪もせず、反省もしない人もいるのです。最近では、親子を轢き殺しておきながらも、最後まで「車の異常」を主張していた高齢者もいました。あれこそ、「老害」の典型例でしょう。

 こういった「老害」の問題は、全てジェネレーションギャップの一つの側面だ、という見方も出来るかもしれません。ただ、実際のところ、「老害」とカテゴライズされる高齢者は一部のみであり、普通の高齢者は「害」どころか社会的に「益」な面もあるはずです。なので、安易にジェネレーションギャップと片付けるのは、私は反対なのです。
 ただ単に、世の中の変化に付いていけず、完全に時代に取り残され、年功序列や男女差別など、古い体質から脱却出来ないまま歳を重ねてしまった人なのです。「人を見下す」習性がこびり付いたまま、老齢化したのでしょう。
 つまり、「害」となる人は、なるべくしてなっている、そう思うのです。

 最近知ったのですが、「自分は正しい症候群」という言葉があるそうです。専門的な医学用語でも心理学用語でもありませんが、最近の一部の高齢者の言動を説明するのに説得力を齎してくれる言葉です。
 これは、思考の柔軟性を失い、独自の身勝手な解釈に固執し、論理的、客観的に看破されても、尚「自分は正しい」という感情に支配され、偏狭な視野から身動きが取れなくなり……それでも「自分は正しい」とだけ主張し続ける人のことです。そう考えると、前述した自動車事故の高齢者も、典型的な「自分は正しい症候群」ではないでしょうか。
 実は、この症候群が中年以上の男性に見受けられた場合、「老害」の始まりとも言われています。

「自分は正しい症候群」に陥る動機は、主に三つあるそうです。それは、「利得」「自己愛」「否認」です。

「利得」は、言うまでもなく、その方が自分が得するというだけで、自分の正しさだけを主張するのです。そこに正しい根拠があるかどうかは関係ありません。客観的な証拠、論理的な考察もなく、とにかく「自分は正しい」のだそうです。なぜなら、その方が得だから。得している意識はなくても、直感的に得する方に固執するのです。
 また、「得する」だけでなく、「損しないため」の主張もありますが、ロジックは同じでしょう。

「自己愛」は、いわゆる「承認欲求」と同列のものでしょう。自分の正しさを認めて欲しくて、価値観や考え方に共感して欲しくて、ただ自分は正しいんだ! と繰り返すことです。ややもすると、立場を利用した強要に発展することもあるのです。「な! 俺は正しいよな! 間違ってないよな?」と、ノーと言いにくい立場の人に突きつけるのです。
 また、正しさを主張するだけでなく、自分が被害者であるかのように装うこともあります。自分は悪くないのにこんなことをされたのだ、と吹聴し、同情や共感を引き出そうとする人もいます。それにより、正当性が確保出来ると勘違いしているのです。

 そして、もう一つの動機が「否認」です。これは、自分が正しいことを主張する為に、反対意見や間違いの指摘などには、とにかく反射的に否定し、しかも悪いのは相手だと、全てを他人のせいにすり替えていくことです。何故なら、「自分は正しい」からです。
 何かが間違っているなら、自分以外の誰かが間違っている、誰かが悪いのなら、自分以外の誰かが悪いのです。そこに、説得力のある「根拠」も「理由」も「証拠」も何もありません。あるのは、「自分は正しい」という硬直した思い込みだけ。それが全ての大前提となるので、外に責任をなすり付けるしかないのでしょう。
 また、自分を省みることが出来ないので、もし綻びが表面化しても、相手が悪いことにしておかないと、一つ目の「利得」の観点からも整合性がとれなくなるのです。二つ目の「自己愛」からも、自分は悪者という考えには結び付かないのです。なので、正しいことを突かれ、自身の誤りを指摘されても、「否認」するしかないのです。

 この三つの動機により、「自分は正しい症候群」に陥った人は、そのまま老害街道まっしぐらとなるそうです。実際に、「老害」と認定されそうな高齢者は、ほぼ例外なく、「自分は正しい症候群」だと思います。
 しかも、これは進行性の症状ですので、年月を重ねる度に酷くなっていく可能性が高いのです。

「自分は正しい症候群」は、一種の「認知の歪み」だと言われています。なので、病気ではないとは言え、専門家によるカウンセラーを受診し、認知行動療法にて、物事の捉え方や考え方などを改善していくことをオススメしたいところです。
 しかし、残念ながら「自分は正しい症候群」の方は、基本的にプライドが高い人が多いのです。しかも、負けず嫌いで我が強くて、自分に甘くて防衛本能の強い傾向があるので、自発的な受診は期待出来ません。
 それなら、身近な人に勧めてもらえると……と思っても、多分、自分が一番だと思い込んでおり、周りの人を見下している可能性が高いので、人の進言には一切耳を傾けないでしょう。しかも、人に煙たがられ、年々周りから人が離れていく傾向も確認されており、進言してくれる人もいないかもしれません。
 それに、そんな所に行っても何も得はないという「利得」、自分はメンタルケアなんて必要のない人間なのだという「自己愛」、誰に言われても行くものかという「否認」、全ての動機を満たす上に、そもそもが「自分は正しい」と思っているのですから、受診はまずあり得ないでしょう。

 さて、「自分は正しい症候群」の人、皆さんの身近にもいませんか?
 何をどう説明しても、きっと「自分が正しい」という主張は曲げません。何故なら、「自分が正しい」という思考回路しかないのですから。

 数日前の「20字の物語」に書きましたが、「分からない人は、何を言っても分からない」のです。何をどう説明したところで、常に「自分が正しい」のですから、分かり合えないと思った方がいいでしょう。
 もし、そういう人を見かけたら、建設的な議論は諦めた方が得策です。関わらない方がいいのです。

自分は正しい症候群

自分は正しい症候群

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-01-14

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted