返報性の原理

 仕事柄、コンビニを利用する機会は人より多い方だと思います。お客様宅からお客様宅へと、常に車で周る仕事なので、昼食もコンビニで済ますことも多く、半端な時間調整にもコンビニほど便利なスポットはありません。
 恥ずかしい話ですが、数年前まではWi-Fiを目的にコンビニを利用していたこともありました。
 次のアポまで三十〜四十分とか、半端に時間が空いてしまうと、どうしてもコンビニに寄ってしまいます。街中(まちなか)に車ごと時間を潰せる環境は、それほど多くはありません。たまたま道中にマッ◯やスタ◯などがあれば利用することもありますが、そんなに都合良くいかないものです。大抵の場合は移動ルートから逸れて「わざわざ」行かないとありません。
 その点、コンビニは移動のルート上にも高い確率であります。コーヒーだけ買って、駐車場で本を読んだりスマホを弄ったりして時間を潰すのですが、その上Wi-Fiも繋がるとしたら、私のような職種には理想的な環境なのです。(ひと昔前の話です。今は通信制限はありませんので、ギガ難民になることもなくなりました)

 あと、トイレを目的にコンビニに寄ることも多いです。これは、女性にとっては切実な問題でもあります。業界のマニアックネタになりますが、コンビニに限らず、トイレの絶対数自体がかなり少なかった昭和時代の女性調律師は、高い確率で膀胱炎を繰り返したと言われています。その点、今は恵まれているのでしょうが、とは言え、コンビニでトイレだけを利用する勇気はなかなかありません。
 おそらく、それでも咎められることは滅多にないのでしょうけど、利用させてもらう代わりに、ついつい何か買わないと、という心理はどうしても働いてしまうし、実際にトイレ休憩の度にガムだったりコーヒーだったりのど飴だったりブレスケアだったりポケットティッシュだったりリップクリームだったり、特に緊急性のない商品を「無駄に」購入しております。
 ようやく本題になりますが、こういった「お返ししないと」という人間なら誰しもが持つ(とされている)心理から、実際に行動に移そうとする、若しくは移してしまう法則のことを「返報性(へんぽうせい)の原理(または法則)」といいます。

 身近なところでは、昔からよく見掛ける試供品や試食なんてものは、典型的な返報性の原理を利用したビジネスモデルです。
 例えば、たまたまソーセージを買おうかな、と売り場に行くと、そこでおばさんが簡易時なホットプレートであるメーカーのソーセージを焼いており、一口サイズに切り分けて配っているとします。よくある光景です。
 さて、もしその場に遭遇し、試食のソーセージが刺さった爪楊枝を手にしてまい、食してしまったとします。そのほとんどの人は、同じソーセージを買うか、いっそのこと何も買わないか、選択肢が二つに絞られてしまうのではないでしょうか? 少なくとも、他のメーカーのソーセージは買い辛くなりませんか?
 逆に、もし、別のソーセージを買うと決めていたのなら、何となく買い辛くなってしまわないように、他商品の試食には手を出さないのではないでしょうか?
 もっとも、その辺の「気遣い」や「配慮」に良くも悪くも無頓着な人、率直に言えば「図太い」人が増えているようで、試食や試供品の効果は昔ほどないそうです。でも、ここでは、あくまで実際に「お返しする」か否かではなく、「お返ししないと」という心理は少なからず誰にでもありますよね? という前提で進めさせていただきます。

 この原理は、人付き合いの中にも当然あります。お世話になった人への恩返しなんて典型です。
 昔助けてくれた人が困っていると、手を差し伸べてあげたくなるでしょう。自分に期待してくれる上司の為には、応えられるように頑張るでしょう。旅行に行って誰にお土産を買おうか考えると、よりお世話になっている人から順位付けしていくでしょう。例を挙げるとキリがないのですが、返報性の原理は、日常の色んなシーンで見られるのです。

 しかし、返報性はポジティブなものばかりでもないのです。つまり、好意には好意で返すのと同じように、悪意や敵意もネガティヴな感情を持って返してしまいたくなるものです。
 つまり、「お返し」ではなく「仕返し」……報復や復讐とまで言うと話が大きくなりますが、例えば、ある人にそこそこの大金をぼったくられたとします。後に、その人が商売を始め、自分のところに営業にきたとして、取り引きするか否かの決定権が自分にあるとすると、どうしますか?
 快く請ける人は、まずいないと思います。どんなに条件が良くても、心の中で「この人の為になる契約はしたくない」という心理が働くのは否定出来ません。
 それどころか、もしこの契約が取れないと相手は苦しいことになる、と判明すると、「仕返しのチャンス」と思ってしまう人も必ずいると思います。こういったネガティブな心理もまた、返報性の原理なのです。

 また、譲歩の心理にも返報性の原理は当てはまります。
 ある取引きの現場で、交渉が決裂しそうなぐらい、互いの条件に隔たりがあったとします。しかし、両者とも、交渉をまとめたい気持ちはあります。その時、どちらかがある程度譲歩すると、相手方も「それならば」と譲歩を考え始めるのです。つまり、それまでの関係性にもよりますが、相手方だけに一方的に条件を飲ませるのは良くない、という判断が生まれ、相手がここまで譲ってくれたなら、うちもここまでは譲歩しよう、という心理が芽生えるのです。
 この譲歩の心理も、返報性の原理なのだそうです。

 SNSでの交友にも、返報性の原理は大きな影響があると思います。例えば、数百人以上ものユーザーをフォローしている人は、タイムラインに沢山の新着が届くでしょう。しかし、片っ端から全部見ている時間がない場合、どうしても閲覧する優先順位は生まれるはずです。その際の順位付けは、無意識に返報性の原理に従っていませんか?
 デリケートな話になりますが、自分の投稿を読んでくれないフォロワーさん、自分の作品や自分自身のことに興味を持ってくれないフォロワーさんの投稿に、どれだけの時間を割けますでしょうか? 
 それでもその人の投稿を見たい! と思うケースは、一つだけあります。それは、自分がその人のファンである場合です。ただ、このケースでは、応援している人の投稿(作品であれ情報であれ)を楽しみに受け取っているだけの関係で、その人との「対等な交友」が目的ではないのです。尊敬や応援や崇拝をしている、或いは、憧れている芸能人やスポーツ選手などの著名人をフォローしているのと、同じ関係性と言えるでしょう。

 ここで取り上げているのは、そうではないケースです。つまり、私の場合ですと作品を通じた「交友」を目的にSNSを利用していますので、その部分に疑問を感じる人の投稿は、限られた時間の中では見ようとも思わないのです。要するに、私や私の作品に興味ない人との間に、交友なんて生まれるはずがない、と思っているのです。
 残念ながら、実際にそういう方が、noteに限らず何人かいるのですが、我ながら何故相互フォローになっているのか不思議でして(まぁ、私からフォローすることはあまりないので、フォローしてくれた際に深く考えずにリフォローしたのでしょうけど)、切るに切れず、結果的にスルーするようになっています。
 別に悪意をもってそうしているわけではなく、申し訳ありませんが、他の大切な方との交友を優先しますので、そうなるのは必然でもあるのです。やはり、返報性の原理はSNSにもありますので、やむを得ないと割り切っています。
 悲しいかな、そういった他人(自分がフォローしている人でさえ!)の投稿に興味を示さず、コメントどころかスキも押さない人、いや、そもそも見てすらいないのでは? と疑わしい人ほど、自分自身や自作のアピールはすごいのです。
「読んで!」「こんなのも書いてます!」「他サイトでも書いてます!」「私への質問はありますか?」「私に書いて欲しいリクエストはありますか?」など、やたらとアピってくるのです。
 もっとも、大多数の方にスルーされている様子ですが、自作を読んで欲しければ、他の人の作品も読もうよ、といつも心の中で呟いています。

 もちろん、「読んでくれない人の作品なんて、読むつもりはない」という意味ではありません。一見、似ているようで、全く違います。
 私や私の作品に興味を持ってくれる人のことは、その人の作品も含め、私の方からも興味が生まれるのは必然です。というのも、嗜好や作風や考え方などに共通点が多いかもしれないし、雑談でも創作論でも趣味の話でも、会話が弾む可能性が高いと思えるからです。その結果、返報性の原理からしても、より交友の優先順位が高まるという意味です。
 そもそも、人間関係に順位付けするのは間違いでは? というご意見もあるかもしれませんが、時間は限りあるものですから、どうしても取捨選択は避けられないのです。
 例えば、目の前に鰻丼と焼肉とお寿司とケーキとカロリーメイトがあって、別にダイエット中でもなく、お腹ペコペコなのに、時間は15分しかない時、カロリーメイトから食べる人は少ないですよね。いや、カロリーメイトを選ぶ人もいるでしょうけど、要は環境条件により取捨選択は避けられないのです。

 と書いたところで、この記事を読んで欲しい人ほど、そもそも私の記事になんて興味ないでしょうし、読んでくれることもないのでしょうけどね。

返報性の原理

返報性の原理

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-01-09

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