「創作」と「発表」

 プロアマ問わず、創作活動をしている人を一括りにして、ここではクリエイターと呼ぶことにします。となると、私も一応はクリエイターです。自分でそんなカッコいい呼称を名乗るのは恥ずかしいのですけど、お話の便宜上やむを得ず、ですので、ご理解いただければと思います。
 もっとも、この記事をご覧になるnoterの皆さまも、ほぼ全員がクリエイターでしょう。何かを「創って」「発表する」活動こそ、クリエイターの本懐ではないでしょうか?

 ここで言う「創る」とは、言うまでもなく、文芸だけではありません。ありとあらゆるジャンルのクリエイターにとって、「創る」ことと「発表する」ことは繋がっているのではないでしょうか?
 もちろん、例外もたくさんあることは承知しています。人に見せることを目的としない、自分の為だけの創作もありますし、発表するか否か決めかねたまま行う創作もあります。試作や修作もそうでしょう。完成の段階になって、様々な事情で発表を見送ることもあります。
 また、コンテストなどに応募する際は、未発表作品が条件になっていることも多いので、これも発表する為の創作ではないかもしれません。ただ、この場合は、最終的な目標は「発表」でもあるでしょうから、少し別物かもしれませんが。
 他にも色んなケースがあるのでしょう。でも、基本的には、クリエイターが何かを「創る」と、見て欲しい、聞いて欲しい、読んで欲しい、と思うのは自然な感情ではないでしょうか? そういった意味では、やはり「創作」と「発表」は切り離せない関係だと思うのです。

 では、皆さんにお聞きしたいのですが、作品を「発表」(noteでは投稿に置き換えてもいいでしょう)する時は、どんな気持ちなのでしょう?
「ワクワク」「ハラハラ」「ドキドキ」「ヒヤヒヤ」など、期待もあれば恐怖もあり、楽しみでもあるし、不安でもある……そんな感じではないでしょうか?
 中には、「ドヤ!」って方もいるかもしれませんし、恐る恐るアップされる方もいらっしゃるでしょう。

 それと、もう一つ、お聞きしたいのですが、「作品」はやっぱり皆んなに見て欲しいと思いますか?



 私の回答を書いておきますと、一つ目に関しては、不安なことが多いです。ただ、創作作品による違いも大きいです。
「54字の物語」なんて、局所を狙ったネタも書きますし、批判覚悟の風刺や皮肉も書いていますので、投稿する時は何も思わなくなりました。ほぼ無感情です。
 でも、書き始めた頃は、「誰かとネタ被っていたらどうしよう」とか、「この笑い通じるかな?」「この表現で分かってもらえるかな?」「怒られないかな?」「気分害する人もいるだろうな……」など、不安ばかりが先行して、毎回ヒヤヒヤものでした。それが、いつしか周囲の評価を気にしなくなりました。じゃないと、ここまで続いていないと思います。

 鉛筆画は、自分の中では一番キャリアの浅い創作ですし、楽しんで描いているだけなので、「出来た! 見て見て!」って感じで投稿しています。多分、私の中で「作品」という意識が薄いのと、本当に「作品」を描かれているクリエイターさんほど真剣に取り組んでおらず(ごめんなさい)、遊び感覚に近いからだと思います。
 念の為、弁明しておきますと、それでも上達したい気持ちを絶やさずに、描く時は一生懸命に描いています。ただ、「作品創り」という意識にはなれない、という意味です。

 文芸(54字以外)は……いつも「ドキドキ」「ヒヤヒヤ」綯交ぜで、二つ目の質問とも関連してきますが、「読んで欲しい!」と気持ちと同じくらい、「読まれたくない」という気持ちもあるのです。コレって、私だけでしょうか?
 沢山の人に読まれるのがすごく怖くて、投稿しつつもすぐに消したくなる葛藤と闘っています。もちろん、読んで欲しいからこそ書いていたはずなのですが、書けてしまうとあまり読まれたないという気持ちが芽生えてくるのです。これは、批判が怖いとか恥ずかしいとかそういうのではなく、作品を「存在させる」ことが怖いのだと思います。

 例えば、十年以上前に書いた掌編を今読み直すと、下手過ぎて恥ずかしいし、読んでられないし、手直ししたくなるのです。でも、十年以上前に何処かに投稿した作品は、私が書いた作品として存在しちゃっているのです。たまたま誰かが「今」それを読むと、現在の私の技量とは別の評価を下すことになるでしょう。
 おそらく、それを書いた時は、その時のベストと思う形に仕上げていたはずです。それが、十年も経つと、自分の中での捉え方が激変してしまうのです。必ずしも、これは「成長」とは限らず、「変化」なのです。
 ということは、現在の私が書いた作品も、十年後、二十年後の私が読むと、全く違う捉え方になる可能性があると思うのです。こんなの、私の作品とは認めたくない! と思ったとしても、「存在」しちゃったものは消せないのです。
 未熟な過去の自作を否定するのではなく、単純に今とは別物になってしまった過去の自作を見られたくないのです。

 では、最初から投稿しなければ? と思う方もいらっしゃるでしょうけど、私もその通りだと思っておりまして、実は私は未発表状態の作品が沢山あります。ひとえに、「書いたものの存在させたくない」作品です。
 多分、真剣に書いたものほど、仕舞い込みたくなるのだと思います。だからと言って、noteにアップしているのは、いい加減な取り組みの作品というわけではありません。上手く説明出来ないのですが、将来的に自己評価が大きく変わる可能性が高いと思う作品は、存在させたくないのかもしれません。
 いや、自己評価はどの作品でも変わるでしょうから、少し違いますね。おそらく、そうなった時にネガティヴな気持ちが芽生えそうな予感のある作品は、投稿を躊躇するのかもしれません。早い話、将来の私が読みたくない(だろう)作品ですね。

 上手くまとめられませんが、このエッセイ(?)も読んでもらいたいのか、誰にも読まれたくないのか、自分でもよく分かりません。質問しておきなが失礼極まりない話ですが、本音はそんな感じです。
 なので、十年ほど非公開にしておき、気持ちが大して変わらなければ投稿しようと思います。


(※この記事を書いてから十年経ちましたが、特に気持ちの変化がないので、この度、投稿させていただくことにしました。→もちろん冗談です)

「創作」と「発表」

「創作」と「発表」

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-01-09

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted