ロベルト・シューマン

 ロベルト・シューマンと聞いて、「トロイメライ」を思い出す人の大半は、きっとピアノ経験者だろう。ロマン派を代表する作曲家、シューマンの代表作の一つとして、トロイメライは最もメジャーな小品だ。
 しかし、シューマンは(当然ながら)他にも沢山の名曲を残している。もちろん、ピアノ曲だけではない。室内楽から歌曲、シンフォニーやコンチェルト、いやオペラやミサ曲まで、ありとあらゆるジャンルで多大な功績を残した偉大な作曲家なのだ。
 もっとも、ここまでの説明は、大抵の方には目新しい話ではないだろう。シューマンの具体的な作品は知らなくても、教科書にも出てくるような昔の有名な作曲家で、名前は知っているし、実際に聴いたことはなくても沢山の作品を残している……それぐらいの情報は、大方の社会人には共有されているものだ。
 その上で、ピアノ経験者なら「トロイメライ」や「飛翔」「子どもの情景」、歌曲を学んでいるなら「詩人の恋」、オーケストラが好きならシンフォニーの「春」や「ライン」、クラシック通ならピアノ協奏曲や沢山の室内楽なども思い浮かぶだろう。
 残念ながら、シューマンは音楽史を語る上で、バッハやモーツァルトやベートーヴェンに匹敵するぐらい、とても重要な位置付けにあるのだが、その三大巨匠だけでなく、ブラームスやショパンやラフマニノフやドビュッシーやヘンデルやシューベルトなどにも劣る程度にしか名前が知れ渡っていないかもしれない。その功績に対する評価としては、ある意味で「不人気」の作曲家なのだ。

 しかし、シューマンの作曲家以外の顔は、どれぐらい認知されているのだろう?
 シューマンの妻、クララ・シューマンぐらいなら、思い浮かぶ人もいるかもしれない。作曲家、ピアニストとして「天才」と称され、ヨーロッパ中に名声を博した才女だ。おそらく、西洋の音楽史でもっとも名を馳せた女性音楽家だろう。
 クララ・シューマンのことは、私のようなハリボテ愛好家が、どうのこうの述べることは出来ないぐらいの偉大な音楽家なので、ご興味のある方は是非お調べいただければと思う。

 シューマンの特筆すべき「もう一つの顔」は、クラシック通の方はご存知だろうが、「音楽評論家」だ。
 元々、文学への造詣も深く、作曲活動の合間に音楽新聞(というものがあった!)に評論を寄稿することもあった。しかも、その最初の寄稿が、「諸君、脱帽したまえ、天才だ!」という見出しの、今となっては歴史的な意義もある有名な記事で、当時の新進気鋭の音楽家を紹介したのだ。
 その記事で紹介された音楽家は、その後すぐにヨーロッパ中を席巻し、何百年経った今も世界中のピアニストから特別な愛情を注がれているのだから、シューマンの目は正しかったのだろうし、評論家としての資質も際立って優れていたことの証明にもなる。
 その時にシューマンの記事で紹介され、世界に羽ばたいた音楽家は、ショパンなのだ。

 その数年後、シューマンは「新音楽時報」という音楽誌をライプツィヒで創刊した。余談だが、「新音楽時報」は現存する世界で一番古い音楽雑誌であると共に、ドイツで一番権威のある音楽誌とも評されている。つまり、今尚、刊行されているのだ。
 シューマンは、自身の雑誌で有望な音楽家を沢山発掘し、紹介した。前述したショパンは、雑誌の創刊時には既に人気を博していたが、新音楽時報でも度々取り上げたそうだ。他にも、ベルリオーズやブラームスの才能をいち早く見出したのもシューマンだし、ほぼ同世代のメンデルスゾーンのことは、「十九世紀のモーツァルト」と呼び、その才能に畏敬の念を示し、メンデルスゾーンが死ぬまで友好的な交流を続け、その作品も紹介し続けた。(メンデルスゾーンは、当時でも早逝となる三十八歳で亡くなった)
 また、シューマンは、バッハやベートーヴェンといった過去の偉人を取り上げることもあった。元々、幼少期よりバッハやベートーヴェンを教材とし、その音楽性に触れ、リスペクトしてきたのだ。シューマンによると、「バッハは桁違いの天才でとても敵わない」そうだ。ベートーヴェンに関しては、ピアノ曲や室内楽からオーケストラ曲まで、沢山の楽譜を所持し、研究していたと言われている。実際、ピアニストとしての自身の演奏会でも、よくベートーヴェンの作品を取り上げていたそうだし、作曲家としても大きな影響を受けているのは作風から明らかだ。
 もう一人、ピアノの演奏会で好んで弾いていたのがシューベルトだそうだ。1828年、シューマンが十八歳の秋、シューベルトは亡くなった。その訃報を聞いたシューマンは、夜通し泣いたと言われている。そして、その約十年後、シューマンはウィーンでシューベルトの交響曲第八番の楽譜を発見した。この曲は、後に盟友メンデルスゾーンの指揮で初演された。 
 余談ではあるが、その盟友のメンデルスゾーンも、バッハの忘れられた名曲「マタイ受難曲」を編曲し、自らの指揮で蘇演を果たすという、音楽史におけるとても重要な功績がある。
 バロック音楽の終焉、ポリフォニー音楽をこれ以上ないレベルまで引き上げたバッハだが、当時のバッハは対位法の「教典」としての扱いに過ぎず、その「作品」は正当に評価されていなかったと言われている。
 しかし、メンデルスゾーンやシューマンはバッハの音楽性に目を向け、復興に力をいれたのだ。「教材」ではなく、「作品」だと感じていたのだ。中でも、今でこそ有名な「マタイ受難曲」は誰の目に止まることもない完全に忘れられた作品で、メンデルスゾーンの蘇演がなければ歴史の中に埋もれたままだったかもしれないのだ。それだけでも、大きな功績と言えるだろう。

 シューマンの取り上げた作曲家達は、皆シューマンと友好的な関係だったとは限らない。例えば、リストがそうだ。
 もっとも、リストはシューマンが発掘したのではない。むしろ逆で、シューマンの才能をいち早く見出した音楽家の一人がリストなのだ。シューマンより一年早く生まれたリストだが、十歳からソロコンサートを開催するような神童で、アイドルのような圧倒的な人気を若くして得ていたのは有名な話だ。
 そのリストは、一つ歳下のシューマンのことを、ベートーヴェンの後継者と見做し、高く評価していた。また、自身の演奏会でシューマンの曲を弾くこともよくあった。シューマンはリストを心から崇拝し、自作を紹介してくれることに感謝し、絶対的な信頼から作曲する度に助言を求めたそうだ。
 そういった交流を通じ、リストはシューマンの作曲家としての目覚ましい成長を感じ取っていた。そして、リストはシューマンがやがてピアノ曲では満足出来なくなるだろうと見抜き、室内楽を書いてみるように、と助言したのだ。
 実は、最初はピアニストを志したシューマンだが、自作機械を用いた無理な練習により、指を痛めてしまい、断念したと言われている。その後、本格的に作曲家としてのキャリアを歩み始めたのだが、ピアノ曲に始まり、歌曲や室内楽を経て、オーケストラ曲に、とキャリアを重ねるに連れ、編成が大規模になっていく傾向が見受けられる。そのきっかけとなったのが、リストの助言であったことは間違いないだろう。

 しかし、次第にシューマンは、リストの成金趣味や上流階級志向に困惑するようになってきた。音楽家としてのリストには、変わらずにリスペクトしつつも、その嫌味で傲慢な人間性に疑問を持つようになってきたのだ。
 親友のメンデルスゾーンは、リストのことを「スキャンダルと音楽的理想像の間を往復し続ける人物」と評していたし、妻のクララもリストのことを好ましく思っておらず、「ピアノの粉砕者」と呼んでいた。
 音楽性の違いも少しずつ表面化してきた。伝統的な古典主義的理想を追求し、その枠の中での新しさを表現しようと模索してきたシューマンやメンデルスゾーンに対し、リストは伝統に固執せず、標題に基づく表現を追求し、交響詩などそれまでの型だけにとらわれない、自由な形式も編み出していた。
 そんな折、ある晩餐の席で、メンデルスゾーンとマイアベーアの功績について、二人は議論を交わした。前述の通り、メンデルスゾーンは古典主義的な音楽を継承した作曲家だが、マイアベーアはリスト寄り。伝統にとらわれない先進の音楽を模索した人物だ。
 リストは、その席でマイアベーアを褒め称え、メンデルスゾーンを貶したのだ。シューマンにとって、メンデルスゾーンは音楽の方向性が同じだけではなく、人間としても特別な存在で、最高の友人なのだ。若くして死んだ親友を批判されたシューマンは、リストに激昂し、そのまま疎遠となった。
(後に、シューマンはリストに長い手紙を送り、水に流したと言われてる)

 その後、ブラームスとワーグナーという二人の偉人が出てくる(と言っても、ワーグナーの方が二十歳も歳上)のだが、ブラームスは明確な古典主義後継者、ワーグナーはリスト以上の革新派。当然ながら、分かり合えることはなかった二人だ。
 もっとも、ブラームス派とワーグナー派の衝突は、音楽界での主流争いのようなもので、其々のシンパがやり合っていたに過ぎない。本人達は、積極的な交流こそないものの、互いの音楽の方向性の違いを認めつつも、その才能を認め、リスペクトしていたそうだ。

 ブラームスは、シューマンが発掘し、新音楽時報で紹介した音楽家だ。しかし、シューマンの素晴らしいところは、自分が見出し、音楽性を継承するブラームスを籠愛し支援するのは当然だろうが、「敵対関係」にあるワーグナーの音楽も、フェアに評していたことだ。もっとも、晩年になってからの話ではあるが、ワーグナーのタンホイザーを鑑賞したシューマンは、約二年も沈黙を貫いたものの、二年後に以下のような評論を残したのだ。

「タンホイザー、手短には論ずることのできぬオペラである。天才的な筆致によることは確かだ。もし彼が発明の才と同様に旋律の才にも恵まれた音楽家であったら、まさに時の要求する人であったろうに。このオペラについては多くのことがいわれようし、またその価値のある作品ではあるが、別の機会に譲る」(Wikipediaより抜粋)

 結局、その続きを語ることはなかったものの、音楽評論家として、シューマンは個人的な感情や思想を排除して、純粋に音楽を評していたことは窺えるだろう。

 さてさて、話が逸れまくって思いのほか長い前置きになり恐縮でございますが、ここからがようやく本題になります。ここからは「ですます調」に変更しますし、本題の方が短い予定ですので、よろしければもうしばらくお付き合いいただけますと幸いでございます。
 シューマンの活躍したロマン派の時代は、言うまでもありませんが、現代のようにネットもスマホもありません。それどころか、ラジオもテレビもない時代ですから、メディアは紙媒体が主流でした。具体的には、新聞がメインなのです。それに、電話もメールもありませんから、メッセージのやり取りは書簡になりますし、音楽に限らず、アートやエンタメの鑑賞はライブだけなのです。
 そんな時代だからこそ、新音楽時報は大ヒットしました。読者は、色んな作曲家の色んな作品を、または色んな演奏会での様子を、紙媒体で想像しながら知ることが出来たのです。映像メディアもレコードもカメラもない時代です。実際に音楽を聴ける機会が限定される時代ですから、音楽は文字で表現され、伝えられたのです。だからこそ、シューマンの評論はドイツの民衆に好意的に受け入れられたのでしょう。
 音楽文化の啓蒙や発展という意味でも、シューマンの評論活動の意義は大きいでしょう。新しい才能の発掘だけではなく、音楽の歴史や伝統、未来の展望などの伝達にも貢献しましたし、演奏表現や解釈、作曲手法や哲学まで、一般市民へ音楽を「文章化」して伝えたのです。
 要するに、音楽ジャーナリズムの世界最古の成功例と言えるでしょう。

 シューマンは、新音楽時報の中で、ちょっと面白い試みも実践しておりました。「ダヴィッド同盟」という架空の団体を作り、ペリシテ人と闘うというコンセプトで評論を展開したのです。ちなみに、ペリシテ人とは、「芸術や音楽に関心のない無趣味な人(Wikipediaより)」を意味する俗語です。
 このダヴィッド同盟には、シューマン自身だけでなく、フロレスタンという行動的な情熱家やオイゼビウスという優しい夢想家、そして、分別をわきまえたラロ学長という調整役を始め、多数の女性を含む沢山のメンバーが在籍しておりましたが、実は全員がシューマンです。そう、一人で何役もこなしていたのです。今でいう「複アカ」のようなものを、最古の音楽誌で既にやっていたのです。
 シューマンは、色んな架空の人物になりきり、他の架空の人物と対談させたり、時には激しい意見の衝突や議論を展開させたりと、複数の「アカウント」を巧みに使い分け、読者の目を惹きつけました。
 おそらくですが、その行為はシューマンの音楽作品からも窺い知れる内面の二面性の表出でもありますし、自身の主観だけに基く評論の危険性を排除する目的もあったかもしれません。要は、色んな意見の共存、今でいう「多様性」の受容そのものです。
 ただでさえ、機知に富んだ洒脱で華麗な文章で音楽に切れ込み、注目を浴びていた新音楽時報です。その上、こういった独自のアイデアや切り口から読者は増え続け、シューマン自身に財政的な安定を齎しました。実は、創刊時には、まだ作曲家だけでは完全に経済的な自立は出来ていなかったのです。

 一人で複数の人物になりきる……言わば「自作自演」行為は、新音楽時報の創刊から二百年近くが経過した現在でもよく見掛けます。特に、SNSや小説投稿サイトなどには、よく出没する印象です。
 実は、つい数ヶ月前まで私が入り浸っていた小説投稿サイトにも、自作自演行為と思しきアカウントがよく見受けられます。大抵は、「いいね!」の獲得の為で、おそらくそうなんだろう、という状況の推測だけで、実態はなかなか目にすることは出来ません。
 しかし、最近は自作品宛に感想コメントを送っている(と思しき)方までいます。ある方のある作品には、登録しただけでプロフも活動実績も何もない空っぽのアカウントの方から、次々に感想コメントが送られています。一人ならまだしも、複数のアカウントからで、皆揃いも揃って空っぽのアカウントなのです。
 何も証明は出来ませんが、高い確率で自作自演でしょう。文章にも個性は宿ります。使う語彙や文法、言い回しなどだけでなく、改行や句読点のタイミングといった書式の癖なども、知らず知らずに身に付いているのです。この方に寄せられたコメントは、表向きは全て別人から届いているのに、全員空っぽのアカウントで、同じような文体の同じような内容なのです。
 まぁ、類は友を呼ぶ、なんて言葉もありますし、偶然似たような人が集まっている可能性もあるにはありますけどね。

 もし、作者本人による自作自演行為なら、このコメントの内容は作者の願望に他ならず、そう思うと恥ずかしい限りです。誰もコメントをくれないから、自分で他人になりすまして書く……それだけでも相当恥ずかしい行為なのですけど、内容に願望を曝け出すのですから、なかなかのメンタリティだなぁと思ってしまいます。
 それに、こう読んで欲しい、という願望の表出は、作品へのアプローチを恣意的にコントロールするようなものですから、個人的には好ましく思えません。どんな創作でも、発信者は受信者に全て委ねるべきなのです。たとえ、意図通りに受け止めてもらえなくても、また、思いもよらなかった受け止め方をされても、それが悪意に満ちたものでない限り、全て受容すべきなのです。
 それに、どうせ自作自演をやるなら、キャラに多様性を持たせ、その性格や主義主張まで完全に確立させ、文章の個性も固めて、完璧に使い分けた方がリアリティがあります。それが出来ると、コメントのやり取りを読んでいる方も自作自演とは気付かないでしょうし、純粋に楽しめるのに、なんて思ってしまいます。
 自己満足と承認欲求と自己顕示欲の為だけの自作自演なら、はたから見ていても虚しさしか伝わりません。どうせやるなら、徹底的にやって欲しいものです。二百年近くも昔に、シューマンは既にそれをやり、誰にもバレずに読者を増やしていたのですから。

ロベルト・シューマン

ロベルト・シューマン

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-01-06

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