お気に入りの音楽 125

お気に入りの音楽 125

ボブ・ディラン

 1941年5月24日、ミネソタ州ダルースに生まれる。出生名はロバート・アレン・ジマーマンだが、後に自ら法律上の本名もボブ・ディランに改名している。

 幼少時より家にあったピアノを独習。
 ラジオを頻繁に聴いていた。レコード店に入り浸り、ギターをかき鳴らし、ピアノを弾いて、自分の周りにはない別の世界からの歌を覚えて育つ。
 ハイスクール時代はロカビリーの全盛期で、ボブもまたエルヴィス・プレスリーらにあこがれバンドを組んで演奏活動を始める。
 
 1959年9月、奨学金を得てミネソタ大学に入学するも半年後には授業に出席しなくなる。
 持っていたエレキ・ギターをアコースティック・ギターに交換。ミネアポリスでフォーク・シンガーとしての活動を始め、この時にボブ・ディランと名乗っていた。
「ボブ」はロバートの愛称ボビーから、「ディラン」は詩人のディラン・トーマスから取ったとも、また叔父の名前であるディリオンから取ったとも述べている。

『風に吹かれて』『時代は変る』『ミスター・タンブリン・マン』『ライク・ア・ローリング・ストーン』『見張塔からずっと』『天国への扉』他多数の楽曲により、1962年のレコードデビュー以来半世紀以上にわたり多大なる影響を人々に与えてきた。
 現在でも、「ネヴァー・エンディング・ツアー」と呼ばれる年間100公演ほどのライブ活動を中心にして活躍している。

風に吹かれて
https://youtu.be/sEAgwzKszEg

 ディラン自身の歌はチャート・インしなかったが、ピーター、ポール&マリーがカバーしたシングルが全米2位のヒット。
 時代を超越したこの歌は毎年のように数多くのカバー曲を生んでいる。

ライク・ア・ローリング・ストーン
https://youtu.be/tqS_qTkmm2I

 1965年7月発売。全米チャート2位。この時の1位はビートルズの『ヘルプ』
 2004年特集〈ローリング・ストーン誌の選ぶ偉大な500曲〉では1位に輝いた。『ヘルプ』は29位。

コーヒー、もう1杯 One More Cup of Coffee
https://youtu.be/ujgqOgMIwfA

 歌詞は美しく神秘的な女性との別れを難解な比喩的表現で書いている。
「下の谷」(the valley below)は直感的に「死の谷」、人によっては「孤独の谷」(Lonesome Valley、聖書のダビデの経験-詩篇23篇にある死の影の谷)の宗教的イメージを連想させる言葉。そうでなくとも「下の谷」を行くことは孤独へ踏み出す決意のような感情を、聴くもの感じさせる。
 これは、安定した環境に別れを告げ、苦難が待ち受けるだろう「谷」に降りてゆく男の惜別の想いと決意を歌った。そして、断ち切れぬ未練を捨てるには、もう一杯のコーヒーが必要なのだ。https://magictrain.biz/wp/2021/07/コーヒーもう一杯[歌詞和訳・加筆修正版]ボブ/

天国への扉
https://youtu.be/An0Hz4Rq_V0

西部劇映画『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(1973年、MGM、監督: サム・ペキンパー)への楽曲提供であることから、歌詞は米国西部開拓時代のガンマンが「視界がだんだん暗くなり、今まさに天国への扉をノックしている。バッジや銃はもう使えない」と、死に行く際の心境を歌っている。


 グラミー賞やアカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入りも果たしている。また長年の活動により、2012年に大統領自由勲章を受章している。そのほか、2008年にはピューリッツァー賞特別賞を受賞している。

「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第18位、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第7位、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第2位、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のソングライター」において第1位を獲得している。

 ディランは、よくメッセージソングやプロテストソングの旗手と評される。
 ジミ・ヘンドリックスはディランに心酔しており、サム・クックは『風に吹かれて』を聴いて、曲が黒人ではなく白人によって書かれたことが信じられなかったと述懐した。
 しかし、このようなことを本人は迷惑に感じており、同世代については「ほとんど共通するものも無いし、知らない」と述べ、自分の詩が勝手に解釈され、運動の象徴として扱われることに辟易していると明かす。
 自身の関心事は「平凡な家庭を築く」「自分の子供の少年野球と誕生日パーティー」と述べている。

 元々ユダヤ人、ユダヤ教徒として出生したが、1970年代末には保守派のビル・グレアムの影響を強く受け、福音派(新興宗教的キリスト教)に改宗(ボーン・アゲイン)し、コンサートでブーイングを浴びた(ジョン・レノンは、ディランのキリスト教を勧める歌詞に反発し、反対の意味のアンサー・ソングを書いている)。
 ソニー・ミュージックなどによれば、1983年以降はユダヤ教に回帰している。

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 英セント・アンドルーズ大学や、米プリンストン大学は、彼に名誉博士号を与えている。
「現行の音楽をすべて忘れて、ジョン・キーツやメルヴィルを読んだり、ウディ・ガスリー、ロバート・ジョンソンを聴くべし」 
と後進のアーティストに提言している。

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 歌詞や自伝における引用・盗用(盗作)が数多く指摘されている。
 佐賀純一(ディランの愛読書)やジャック・ロンドン、アーネスト・ヘミングウェイ、ヘンリー・ティムロッドや、旅行ガイドからの引用も突き止められてきた。
 エド・クック教授は、ディラン自伝での盗用を発見し、がっかりしたと述べている。
 ジョニ・ミッチェルは、LAタイムズ紙のインタビューの中で、
「ディランは盗作野郎で、名前も声もインチキ、まがいもの。彼と私は昼と夜みたいなもの。彼は彼。私は私」
と厳しく批判している。


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 ディラン・ファンのフォーク歌手は1960年代から岡林信康、高田渡、加川良などかなりの人数がいた。
 だが、レコードの売り上げは伸びなかった。レコードの売り上げが伸びる切っ掛けとなったのは、ボブ・ディランの影響を強く受けた吉田拓郎が、1970年代初頭にラジオの深夜放送や音楽誌のインタビューなどでボブ・ディランを熱心に語ったことが一つの原因であるといわれている。
 それまでボブ・ディランは知名度はあっても、レコードは売れなかったが、この影響でCBSソニーから出ていたボブ・ディランのレコードが、以前の5倍以上売れたといわれる。
 1973年には吉田拓郎の選曲でソニーからボブ・ディランのベスト盤『BOB DYLAN; Gift Pack Series10』が発売された。みうらじゅんや浦沢直樹は、吉田拓郎を通してボブ・ディランを知ったと語っている。
 また、ガロの大ヒット曲『学生街の喫茶店』の歌詞にも「ボブ・ディラン」が登場していた。
 ディラン・ファンの作家も多く、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や伊坂幸太郎の『アヒルと鴨のコインロッカー』などの文学作品にも登場する。


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 2016年10月13日、
「アメリカ音楽の伝統を継承しつつ、新たな詩的表現を生み出した功績」
を評価され、歌手としては初めてノーベル文学賞授与が決定した。
 発表からしばらく沈黙を守っていたが、同月28日に授賞を受け入れると発表した。
 2週間も沈黙し続けた理由について、
「あまりの事に、言うべき言葉が見つからなかった」
と答えている。
(Wikipediaより引用しました)

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『おススメ作家を3行で紹介』というお題で投稿しました。

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「予期せぬ驚くべきこと」

言葉をメロディーに乗せた。 

2016年に歌手として初めてノーベル文学賞を受賞。

ボブ・ディランは1941年生まれ、ユダヤ系アメリカ人のミュージシャン。

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朝日のあたる家
https://youtu.be/RP_caKDfoyU

 ボブ・ディランに興味を持ったのはこの歌を聴いてから。 
 大勢がカバーしています。ちあきなおみがすごいです。


岡林信康ソロコンサート(1978年)あの娘と遠くまで
https://youtu.be/q70I4BSTMr8

 歌の前にボブ・ディランのことを語っています。面白いです。観客が、
「岡林のが上」
「そうでしょうね。当然。
問題は……ディランが武道館で、なんでワシが読売ホールかと……」

お気に入りの音楽 125

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  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-01-04

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