舟よ、お前は何を見てきた。

舟よ、お前は何を見てきた。

 舟よ、お前は何を見てきた。
 人の世の恥を見た。
 人の世に望を見た。
 移ろう世の衆生の歌が、瞬く間の愛が唄われた。

 悲しみの入り日に佇む若人が、
 胸に描いた、誰かを呼ぶため、歌を詠む。
 右手に握る珊瑚の欠片、想い人の骨と見紛う。
 小波が流す砂は幻、人が宙に投げた幻。

 船に積まれた屍を、船頭が沖へと運び出す。
 一人一人の村の者を、海の民の故郷へ帰す。
 海の子として輪廻せよ。
 かつての同胞を、その水底より見守り給え。

 暗い暗い水の底、魚群は血肉を貪り、階段を造る。
 国を興せ、天の計らいに従え、天の子らに献上せよ。
 痛みも無く、苦しみも無く、去り行く寂しさ、雨の音。
 海と暗雲、境目は無く、その密度の違いを、空と呼ぶ。

 海に帰した赤ん坊、波は揺り籠、鯱は守り人。
 賊が子守を害したならば、慈悲を乞うまでも無い、文に成れ。
 文は南洋の潮風が、御仏の威光を運ぶ道中に在り。
 一念の胸の内、救うため、奉公の心に食いつく定め。

 星の影には営みの憂い。
 月の裏には涙の溜め池。
 陽光に焦がれる小さな己。
 北上の鳥、啄む北の星。

 北山の身震いには歓呼の声。
 南の真っ赤な人の影、追えども掴めぬ裾が煙る。
 真っ白、真っ白、残した灰に、語る人々、道化の憂い。
 明日は我が身と知る心、明日は誰かと他人事。

 船に積み荷は似合わない。
 船は心を咎とせよ。
 咎は赦しの供物にて、昇華の折には雲を割れ。
 照らせよ舟を。舟を照らせよ。

 神は舟を与えたもう。
 仏は舟を正したもう。
 人は舟に道を違えて、
 命は舟と銀漢こそ仰ぐ。

 悲しいと、嬉しいと、苦しみと、幸せの、
 数珠を結べよ、五つの道よ。
 海原に金や銀の光を零せ。
 ただひとつの道は眼には見えぬ。

舟よ、お前は何を見てきた。

舟よ、お前は何を見てきた。

  • 自由詩
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2023-12-30

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