潮風の先

予感で終わってしまった、確かにあるはずだった人生

   「潮風の先」

 小学五年生になった年、人生がめきめきと目覚めつつあるのを感じていた。
 初めて大人の本を読んだ。ユースホステルに泊まって、見知らぬ人と深夜までおしゃべりをした。恋について正直に話す友達の顔は桃色に火照っていた。
 今はまだ知らないことが沢山あって、必ずそれを知るはずだった。私はわくわくしていた。望めばその通りに歩いて行けると信じていた。
 目の前に果てしもない大海原が広がっている。潮風の匂いは鼻先に濃く漂っていた。私は準備していた。さあ、いよいよ漕ぎ出して行こう!

 私が目の前の大海原を感じていられたのは、ほんの束の間のことだった。三学期に転校をすると全てが一変した。虐めの日々が始まったのだ。もう一日一日を生き延びるのがやっとの思い。潮風の薫りは何処にも無い。
 あれから何十年と経ち、虐めの日々もそこからもたらされた苦悩も、全ては遠い過去となった。それなのに、あの時感じていた大海原は今も見出すことは出来ないままである。

 私には解らない。私が特別不運だったのか?それとも、それがよくあるお話で、私の不運も多くの人にありがちな人生の理に過ぎないのか?
 仕事仲間の十代の子供たちの話を伝え聞くたびに、あの時大海原に漕ぎ出せていたらどうなっていたかと考えずにはいられないのだ。
 「でも、もう遅いのかな?あの大海原に出る航路はもう残っていないのかな?」
 気付けば私は今も暗闇に鼻をひくつかせ、あの潮風の薫りを探しているのである。
             了

潮風の先

潮風の先

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-12-08

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