風と雪と

雪と、風とは、相思相愛だと、おもう。其は、極めて、簡単な、風景画だと、感ぜられる。風と、雪とは、共に、存する。在るのみ、と云う、実存上の個性、と云うよりも、寧、風と雪と、共に遊ぶ、その一途さ、あどけない、微笑。由々しき事態だ、個性の陥落が、沈黙する地下街で、美人のシスターの涙が、私の心を、黒く焦がして、塵の如く崩れ行く。その哀しさが、戦争の前の嵐の静けさが、哀しいほどセンスを感じられない。
「よう、一体、どうした?」
「女のドールを、良い値で競り落としたんだ」 
 私は、風が、喚んでる。
 雨が、降り始めた。
 雨が、降り、大地が震えはじめた。地上の人類を震撼せしめる颱風が、冷酷な霊的存在を、喚び醒ました。
「君は、知ってるか?」
「何を」
「世界の破滅する瞬間は、唯ひとりの天才に依る天災だと云う」
「ギャグか?」
「君の楽観主義は常にクリエイティブだな」
「酷く稀な先客が居たらしい」
 そいつは、大理石のベンチで、新聞が強風に飛ばされてゆくのを茫然と見守っていた。
 「地下牢獄の破廉恥を処分すべきだ、哀しいほど、愚かで無知蒙昧な一般市民風情めら」
 その語調は、不変的な肉体を軽蔑するかのような、合理すぎるこの世の矩を越えたものの、呟きに似た独り言を吐いた。
 冷めたい水面から顔を揚げた囚人は、風の吹き荒れる窓硝子を、円らな瞳で見遣った。
 「俺が見えないのか」
 看守は、心臓の急停止する、無作為な死の予兆が、脳裏に、魔女の断末魔めいて、鳴り響いた。
「所長がお呼びだ」
 平静を装って、私は、看守の身体の隙を縫い、出入り口を、身を潜水士のように、避けて通った。
 同時刻、看守ののちに躍り出たかの如く軽薄そうな顔付きで、所長がデスクの前に堂々と折柄沈み込みように坐り、滋養のある、渋味の効いた白い呼吸を吐き、低い声で、
「釈放だ、ユーリ。君は、特例で上から解放要求を此方が受理し、君が許諾すれば、君の身の自由を保障しよう」と、所長は薄ら笑いを浮かべた。
 「一体、何がそんなに可笑しいのです」
 「この監獄は、もうじき完全に沈黙する。閉鎖される前に、囚人全体の特赦が異例の解放宣告を呑んだ」
 「は? ジョークにしては、さして捻りの無い単調な台詞だ」
 ユーリは、所長の隣りに儀礼的に立つ美人秘書の目線に依って、所長室を退室した。
 「脳に蛆虫が涌いてるような芥どもを一掃するチャンスだな、君」と、所長は、慈悲のない冷笑を禁じ得なかった。
 ベルが、地下監獄内に木霊する。
 粛々と、けれども、クロマチックに、機械的な女性の悲鳴にも似た鉄格子がひらき、死刑囚等が避雷針めいた暗澹たる黒煙の靡く人肌めいた微風が建築の外壁を撫で、解放に伴う熱気の最中に、ユーリは、扉の付近に黙して坐り込んだ妖精めいた美少女が素晴らしい潤いを含む上目遣いに、次の刹那ーー、眼が合った。そのとき、互いの脳に火花が散ったのは、瞬きにも似た、無意識の幻触に過ぎない。
 「行くか」と、ユーリが膝を屈めて、右肩にそっと触れた。
 「気安く触んな、虫ケラ」と、ユーリの掌を振り払った聖バレンタインと云う字の処女は、可憐な土臭い体臭を匂わせて、冷めたく突き放すようにいった。
 「女性は、常に戦闘モードなのだよ」と、ポップコーンをもぐもぐした。けれども、深い秋の美しい鳥の羽音が、穀物の雨の降りしめるように、扉をひらいた。
 死刑囚が、中央門の見張りを射殺した。
 「嗚呼、喉が渇いたな……」
外壁を覆う雑木林から、殺気に依って飛び立つ鳥の数を、のんびり屋が切実に数えて居た。
 「うー、うー、」
 「あたしってば、ほんと天才」
 と、聖バレンタインは云った。
 小柄な体格に似合わず、漆黒の美しい馬体を想わせるバイクが、外壁に用意されていた。
 ユーリは、ポケットから、手紙を取り出した。

愛するユーリへ
ユーリ、貴方はさほど日常的に幸福感を感じずに居るようですね。
 貴方のような名もない小花を愛でる余裕に秀でた有用な人間が、何故こんな煉獄で涙を明かすのでしょう。蕾を摘む乙女たちの唄声が、少数の生存者に、罪悪感と云う悲鳴に懐かれることもない。
 ユーリ、常に笑顔を忘れない貴方が、折に触れて、涙を見せるその哀しさが、私の心を灼く已然に、四辺に漂う殺気が、宇宙の知性すら、美貌を無に還すのでしょうか。
              フレイアより

 バイクの排気音が、ふっと、止まった。
 「やっと着いた」
 と、聖バレンタインが、云った。
 街のネオンサインが、煌々と夜の風に、光を与えている。
 「ここで、金銭を、集めるんだよね、ユーリ」
 ユーリは、聖バレンタインを見遣り、頸をギリギリと捩って、
 「ちょっと化粧室へ行く。単純な時間計算で、十分で帰って来る。」
 「ユーリ、あなた、ほんとにわかってんだよね?」
  

「私は、貴女が、すきだった。喩え手軽な生命だとしても、大切な貴女が、何時も傍に居る気がした。貴女が、大切だった。貴女が、どうしても必要なら、私を喚んでくれ」

 

風と雪と

風と雪と

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-11-25

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