『真空のゆらぎ』展



 『真空のゆらぎ』展の最初の展示スペースで鑑賞できる「Gravity and Grace」は縦に長い空間の奥に種々様々な動植物の文様が施された巨大な壺が設置されており、その口から底へ向けて上下する強烈な光の動きによって四方の壁に大きな影を映し出す。その様子は遠くにあって最も印象的で、入り口近くに置かれたベンチに座ってはその全容を時間を掛けて眺めるに値するものであり、あるいは高まった興味の赴くままに足を進めて壺の近くに行けばより鮮明になる文様の変化を真正面から浴びてしまい、その場に足を縫い付けられる。空間内に鳴り響くサウンドはその状態にあってこそよく耳に届き、壺の内側で起き続ける事象と偶然に足並みを揃えては感情たっぷりの魔法をかける。とにかく綺麗で、かつ実に興味深いインスタレーション。シンプルな要素の複雑な掛け合わせによってその儀式性がどんどんと高められていく。
 しかしながら当該作品表現の面白さはそのコンセプトにあって、最大で84万ルーメンにまで達する強烈な光源が実は核分裂反応の爆発的なエネルギーを象徴しており、壺を取り囲む鑑賞者はそれに魅了された社会の一員となって作者の批評を完成させてしまう。壺を取り囲むように集まる大勢の一人になった後でそれを知った時の奇妙な快感は形容し難いもので、実に落ち着かないし、まんまと引っ掛かった気分にもなって腹立たしくもなるのに一方では清々しい気持ちで納得している。内省をしてこそ認められるこの感性と理性の混ざり合いは大巻伸嗣という作家に対する信頼を高めるのに十分な体験であった。




 大巻さんの制作については終始その広い空間構成に関心が及ぶ。
 例えば長い画廊を思わせる「Gravity and Grace―moment 2023」はフォトグラムの手法を用いて印画紙の上に置いた身体を光で焼き付けた作品群を並べるものだが、暗さが勝つその広い空間において真っ白に浮かぶ姿は磔刑に近しい印象を見る側に与える。人類の罪を背負って天に召されたかのイエス・キリストはその死をもって神の祝福を皆に届けたと筆者は理解しているが、その不在に交差する様々な矛盾は神学を修めるか否かに関わらず人々の意識を吸い寄せる。明快な結論を出せる反面、深刻な対立も生む二項対立の構図を高く掲げるようにして鑑賞者を歩みを遅らせる展示スペースは、だから思索の声を静かに届ける。
 それを受け止めた上で鑑賞する「Rain」や「Futuristic Space」の舞台映像は、その制作過程で描かれたドローイングも含めて、作者の内的イメージがどういう形で表出されたのかという見逃せないポイントのオンパレードであった。筆者が鑑賞しに行った日はダンサーとのコラボレーションイベントが開催されていて、それを拝見する機会にも恵まれたが、踊るという行為が一つ加わるだけで展示空間の意味合いが大きく変わったのには心底驚いた。踊り手とそれを観る人たちの関係がそこに構築されるだけであの巨大な壺はあっという間に背景と化し、一つの世界の表れとなる。主役の座をあっさりと譲るその潔さにいたく感心したのだった。
 舞台演出の本領である空間編成という一点に基づいて大巻さんのインスタレーションを見直すと、作者が真に眼差しを向けるのは壺といった巨大な装置ではなくてそれが置かれる空間そのものであり、そこに手を加える為の適切な手段として巨大な装置が採用されているのでないかと想像できる。それを観るために集まる鑑賞者も、あるいはそれと対面するようにダンスを続ける踊り手もだから作者の作品を完成させる要素として働くのは当然で、その変化をも取り込める流動性が全てであると理解するのも難しくない。従来の彫刻が完成された作品に鑑賞者が関係してその情報群を独自に読み解いていくのと対照的に、大巻さんの作品は鑑賞者が関係することで情報体としての有り様を大きく変えてはその見えない完成を目指し続ける。カタログに載っていた「運動態としての彫刻」という言葉をそう理解する乱暴を働けば、本展の目玉ともいえる規模で表現される「Liminal Air Time―Space 真空のゆらぎ」にあった終わりの見えない感覚、そこにずっと浸っていたい気持ち良さにも個人的に納得する。薄いポリエステルの布が風に吹かれて揺らめく様は確かに波を思わせるものだが、その動き以上に存在感を感じさせるものは物質的に現れていなかった。そこにあるのは李禹焕さんの展示を鑑賞したときにも覚えた対偶関係の妙味であり、しかし大巻さんの作品表現においては言語感覚を背景にした喩えの上手さを備えることで更なる深化を遂げているように見えた。人は感情で納得するとは数学者であった岡潔さんの言であるが、これ以上に本作品を評するに相応しい言葉が筆者には思い付かない。ここにおいても感性と理性は一緒に手を繋いで遊んでいる。本展の作品表現をもっと幼いときに体験できていたら、と思わずにはいられなかった。




 『真空のゆらぎ』展は国立新美術館で開催中である。主催者が美術館や文化庁とあって入場は無料、再入場も自由であった。開催期間は来月の12月25日まで、時間を作って是非とも会場に足を運んで欲しい展示会としてここに紹介する。

『真空のゆらぎ』展

『真空のゆらぎ』展

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-11-22

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted