半端者。

良心の矛先を選ばないことを理性と呼ぶのなら、その理性で飽和していてもまだそれ以外の要素もある、この、どこを向いても中途半端しかない自分が心底嫌になる。
帰属理論に浸かり込んだお前が、理由と行動が結びつく必要はないと考える。不可知であれば温情も不要だとすら。行動が全てだと言い続けてきたのは、取り返しのつかない最大の後悔があったからだ。
自分は思い出を餌にし経験を喰らった、何より忌むべき存在ですと浅慮故に告白したのだ。あまりの愚かさに笑いが絶えない。
私は、思い出の使い道を間違え、思い出の使い道などという言葉を遣わなければならない状況に陥り、自己愛故に哀れみ、自己愛を認めることすら渋り、生きてはならなくなり、何も望んではならなくなった。


「傷付いた分だけ、いつか誰かに優しく出来る。」
「失敗を活かせば前より上手く出来る。」
「選択と後悔を重ねて大人になる。」
言わんとすることはわかる。
けれど、けれど私は、
一度の失敗で、一度の後悔で、一番大切なものを全て裏切った。
半年未満の人生だった。
それで終わりだ。
それなのに私はそれを使って、使って、その先は言うことも憚られるようなことを、した。
散々に、した。
一番大切なことを前提などと呼ぶべきじゃない。当然だ。
どうしてここまで間違えているのだろう。
間違えた分の責任を取ろうと考えてみても、もうあらゆる方向はねじ曲がっていて、誠実さを通せる道がひとつもない。
ただ、過去になったことを認めたくなかったのだ。
都合良く、自分を守る為にいくつかの言葉から必死に耳を塞いだ。
そうして天秤を狂わせてきた。


概念に簡潔な名称があるだけで盲目や免罪符や誤魔化しが生まれる。
その構造上どうしようもない多くは、人間のどうしようもなさが表れているだけだろう。
罪は常に人間にあるのだ。
言葉を作った者、意味に名前を宛がった者、それを使った者、
そこに罪を見出した者。
良心を向けるとはつまり、罪の所在を短絡させないということだ。
その結果、開放された良心は無限に拡散していき、当然どこにも到達出来ない。
けれど想像力は尽きる。浅い良心は見えた場所を仮想の到達地点にする。
事柄全てに良心を用いれど、無限の前にはあまりに矮小だ。
浅慮は多少補ったところで計算機(無機物)には及ばない。無意味を思い知るだけ。
そんな人間という種族共通の特徴ならば、それ故に起こったことを罪とは呼ばないのだろうか。
いいえ、違うでしょう。罪を見出す私は、常に趨勢と結末だけを見ている。
不要に見出した私が最も重罪で、自己満足だったなぁと笑い、信用のない世界に帰る。
ここまで来ればもう、何がしたかったのか忘れている。
裏の裏は更なる裏で、逆さの逆さの逆さも逆さであるように、
半端者が半端を徹底的に半端に極めたところで、半端が半端であることは変わりない。


半端に、半端に、半端に、それが役目だとでも言うように。
結いあげるはずだった最後の舞台を、
四十二しかないはずの詩を、壊した。


何もわからないというのは浅慮の言い訳で、
中途半端は怠けたことの言い訳だとわかって尚、
同じことを言い続けている。

半端者。

半端者。

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-11-22

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