オウムアムア

「一体、あの教授は何を言っているんだ!?」

 ジェフ大倉がコンソールルームから声を上げた。居合わせたドリー内藤こと龍昭が、手渡された紙コップを、ジェフ大倉にも手渡しながら、言った。
「近頃、巷を賑わせている例の事件について、お話を聞こうとお呼びしたんですがね」
 手渡された紙コップの中身を一口飲んで、ジェフ大倉は、再びその紙コップをドリー内藤こと龍昭に手渡しながら、言う。
「しかし、正気かあの教授は」
「いらないんですか?」
 手渡された紙コップを手渡された同じ位置で持ったまま、静止させて、ドリー内藤こと龍昭はジェフ大倉に聞く。
「いらない」
「いらないみたいだ」
 許しを得られた紙コップの位置は、動かされ、ドリー内藤こと龍昭の腕の動きに扇状に宙空を回転し、アルバイト社員であるカナ染谷に手渡された、戻されたといえる。手戻された紙コップを持つカナ染谷は、コンソールルームから見下ろされる、すでに全国に放映されている情報特別番組の収録現場が、にわかに騒然としているのを呆っと眺めている。
 数台の据え置き式カメラに取り囲まれた中心に矩形のテーブルがあり、そこに二人の男が座っている。この番組のホストである龍造寺ふさのぶことふさのぶと、ゲストである伯爵大学応用物理学教授の基本院テテオである。大仰な身振りで龍造寺ふさのぶことふさのぶが、迷信にもほどがある、とか、そんな馬鹿な話はあり得ない、などと昂ぶった声を上げている。
「しかし、これは事実だ」
 深刻そうな顔で応じる基本院テテオ。言った後に奥歯を噛み締めて苦痛に耐えるように宙空を睨んでいる。それをテレビカメラが捉えている。コンソールルームのモニターにも教授の顔が大写しされている。それに気付くと基本院テテオは厭がるように、蠅を追い払うような手振りを見せて顔をそらした。俺は言わなければならないことがあるから、こんなところに来のだと言わんばかり、だ。
「しかしですね教授、あの棒状の宇宙飛来物オウムアムアが、単に宇宙を飛来しているだけではないというのはですね……」
 龍造寺ふさのぶことふさのぶは、冷静を装うように、一旦息を吸う、そしてスーツのポケットからハンカチを取り出して、額を拭う。ふううん、と息を漏らす。それから、テーブルに置かれたスポーツ飲料らしい黄色い飲料を流し込んだ。しばらく沈黙。ホストの動揺に呼応するように収録現場は静寂している。コンソールルームのモニターの前でジェフ大倉とドリー内藤こと龍昭も沈黙している。じっと次の瞬間まで注視している。アルバイト社員であるカナ染谷は、収録スタジオを見下ろしながら、男が二人座るテーブルの裏面に、自分の名前が彫りつけられていることを知っている。カナと以前にこっそりと彫りつけておいたのだ、趣味で。そして、今し方ハンカチを手落とした龍造寺ふさのぶことふさのぶが、拾おうとした際にそれを見つけた。
「え? カナ……」
「そうだ、カナーンだ」
 伯爵大学応用物理学教授の基本院テテオは議論が再開されたと思い、切り出した。
「カナーンだ。オウムアムアを想像したのも彼らたちだった……」
「いえ、その……」
「巨人兵の格納のための移動式ドックというべきか。オウムアムアは宇宙空間を無目的に飛び回っているわけではない。明らかな法則性に基づいた特異な挙動をしている。ありふれた数字のちょっとした法則性ですらオウムアムアなのだ。総体的なものとして私たちは巨人兵に収斂されてしまう」
「ちょちょ待ってください、巨人……?」
「私たちは拡散傾向にある個別ではない、凝集傾向にある総体なのだ。すでにその兆候は悪魔学的に見たウィークリー・ノットリビングにも現れている。あの歩く屍だ……」
「でたらめだ!」
 カメラマンの一人が叫び声を上げた。
 全く、何を言ってやがるあのおっさんは、そうして現場は再び混乱する。黙って聞いてりゃあ、もう俺あ帰るぜ、と帰り出す者までいる。ウィークリー・ノットリビングなんていねえ、あれは、迷信だ! ひときわ大きな叫び声が反響している。
「おい、誰かマックシェイクを買って来てくれんか」
 ジェフ大倉がコンソールルームから声を上げる。居合わせたドリー内藤こと龍昭が、手渡された紙コップを持ちながら、ずっと持ち続けながら、聞く。
「マックシェイクですか?」
「マックシェイク」
「マックシェイクを買って来てくれ」
 紙コップは、動かされ、ドリー内藤こと龍昭の腕の動きに扇状に宙空を回転し、アルバイト社員であるカナ染谷に手渡された、戻されたといえる。
「俺にもマックシェイク」
 二人分の紙コップを両手に持ちながら、カナ染谷はコンソールルームから見下ろされる、すでに全国に放映されている情報特別番組の収録現場の、騒然としているのを呆っと眺めていた。カメラに囲まれて男二人が長テーブルに沿って差し向かいに座り、その長テーブルの裏面には、自分の名前が彫りつけられていることを知っている。カナと。あそこには自分の名前が彫りつけられている。男たちが座るあのテーブルの裏面には、あのような議論を交わしている今にも下半身の波動が、もう充満しているのだろう。なまちゃ。やさし~いお茶。
「おい、マックシェイクだよ」
 ジェフ大倉と居合わせているドリー内藤こと龍昭改めたつよりたしなめられたカナ染谷は、マックシェイクを買いにコンソールルームを後にする。急な階段を降りていると、狭苦しい行き違いの出来ないところを、登ってきたカメラマンのケンショー銀河と出くわしてしまう。紙コップで両手を塞がれたカナ染谷はどうにか壁に沿って横に広がるように薄くなろうとして、ケンショー銀河を行かそうとする。ウィークリー・ノットリビングなんているかっふざけやがって、と興奮しながら大量の油汗を流したケンショー銀河は、その油がローションになって結構ぬるぬるとしていたから、むしろ自力でぺろんっと行き違っていった。
「おい!ふざけるにもほどがあるぜ!俺はもうここを出て行くぜ!カナ、お前も身の振り方を考えたほうがいいぜ!」
 まるで彼自身がウィークリー・ノットリビングなんて認めないと言いながら、恐ろしくて逃げだそうとしているかのような客観を見いだしたのか、急に口をつぐむとコンソールルームに駆け込んでいった。コンソールルームを通った先の廊下のすぐ手前に男子ロッカーがあり、正規のルートで行くよりこちらの方が近道なのだ。彼はきっともう辞めるに違いない。コンソールルームで騒動が起こるのかと思われたが、入っていったケンショー銀河の怒声などが聞こえないところから、きっとそのまま入ってそのまま出て行っただけなのだろう。
 カナ染谷は階段を降りる。収録スタジオを通ると降りてすぐの壁沿いを行くと一階分下の廊下に出れ、そこの96番エレベータで五階分降りた地階は一般に開放されて、イートインもあるファストフード店が入っていた。そこまでマックシェイクを買いに行かなければならない。給湯室で入れてきたコーヒーは上役二人には口に合わなかったようだ。最近、上の空ですぐにぼんやりとしてしまう、と同じアルバイト社員の同僚にも口をこぼすカナ染谷は、紙コップを持ったままなことにようやく気付いた。両手が塞がったままで、更にケンショー銀河が興奮して撒き散らしていった油に、足を取られまいと注意して、降りなければならなかった。それは大体、全部で16段ぐらいであろうか、踊り場のない傾斜のひどい直線状の階段である。上役二人によく連れられていかれる雑居ビル二階の居酒屋チェーン『甘からっ太郎』の入り口の階段みたいだ、とカナ染谷は常々思っている暗い階段である。ケンショー銀河と行き違った場所から数えても、まだ10段ぐらいは残されている。
 足を踏み降ろす、慎重にもカナ染谷は油と一段ごとの階段の接地面において、もっとも摩擦抵抗の大きい場所を軸とする、そして今度は反対の足を踏み降ろす、慎重に。両手に持った紙コップがある種の天秤のような役割を果たしているのだろうか、それはもっとも好ましいと思える状態には、中のコーヒーがさざ波立たないのではないだろうか。カナ染谷の身体の上半身は垂直にそそり立ち、下半身は規則正しく膝が曲げられ油にコーティングされた階段の接地面の上を、ゆっくりとあたかも理想的に降りていく。
「だとすればですね、教授。だとすればですよ、あの謎の宇宙飛来物オウムアムアと近頃巷を騒がせているウィークリー・ノットリビングに一体どんな因果関係が見いだせるのです?」
「それは君たち自身も感じていることではないのかね。私は客観的な観測から、悪魔学と物理学の双方からそれ以外には考えられないと結論している。しかしだね、それ以前から如実に感じられていたことだ。感じられる、そういうことだ」
「感じられる、だと!」
 再び、スタジオが騒然とする。冷静なトヴィ可当がテレビカメラを微回転させて、衝撃的な発言をする伯爵大学応用物理学教授の基本院テテオの顔をじっと覗き込むように撮っている。その顔は、収録されると同時すでに電波に封入された信号として各家庭に送信されている。生放送である。
「これ、生なんだよん」
 コンソールルームのジェフ大倉はドリー内藤こと龍昭改めたつを見遣り、言う。それにしても、マックシェイク遅いね、マックシェイク。その後ろを通り抜けるケンショー銀河。
 そういえば、マックシェイクの味については聞いていなかったな、と階段を降りきったときにカナ染谷は気付いた。そして、振り返って階段を見上げたが両手が塞がったまま、もう一度階段を登るのは途方もないことに思えた。まあ、言われなかったら聞かなくてもいいだろう、とそのまま地階のファストフード店に行こうとしたところ、階段からボストンバッグを肩に持ち掛けて降りてくるケンショー銀河が、怪訝そうに、
「なん、ここ、ぬるぬるして。歩きにくっ!」
 興奮も静まったのか、滝のような汗は止まっていたが、その衣服はびしょびしょに濡れている。階段の油分の多い汗でまみれた段がぬるぬるしていることと自分が出していた滝のような汗はにわかには一致しない。いやむしろ、すぐに一致したが、一致しないのを装った風に、ここ、なんか、暑いな、などと濁している。服がびしょびしょだ、とか言いつつ。
「カナ、ここはもう終わりだぜ。いや、というか、大体からして……」
 まるで何か言う方向性が見えたが、その方向性の先の認識に消化しきれない、言いにくい何かが見えたのだろうか、急に口をつぐむと、慎重に階段を降りる。慎重に、なので、ゆっくりと、降りてくる。きっと96エレベータを使って彼も地階に降りるつもりなのだろう。紙コップを両手に持ったカナ染谷は、ぼんやりと彼が降りてくるまで待っている。
 その時、血相を変えたシリング金華銀華の片割れ、金華のほうが収録スタジオに走り込んでくる。総務部が誇る二輪の花の姉のほうである。大変よ、大変よ、と普段は取り澄ました優雅な、ほとんど一歩も動こうとすらしない女子社員のシリング金華が、急いで、勢い込んで、収録スタジオに走り込んできたのだ。何事だ。収録スタジオのサンダースーパーバイザーを任されているビッグ大囃子が、すでに混乱し、何も出来ない自分自身において、何か出来そうな対象を見いだしたように、シリング金華のほうへ駆け寄ってきた。
「ああ、シリング金華ちゃん、今度、この際だからセクハラさせてくれませんか」
「無理~、ですね」
「無理~、ですね」
 その言い方が面白かったのか、ビッグ大囃子は鏡の反映をした。
「電話がひっきりなしになってますよ。苦情が殺到しているぞ、ってこの私が言われるとは思ってませんでしたよ。それを、普段は何もしない課長から言われて、だから、そのことを言いにきたんです、そのことを伝えてきてくれ、この私に、妹ではなく、大変大変」
 シリング金華がその場でくにょくにょして言うと、ビッグ大囃子は、
「ええ、と。君は総務部のあの課長、名前は何だっけ、なんとか言うあの人から、言われたんだね。電話がどうのと言っていたね。見えてこないな。何が大変なんだ」
「苦情が殺到しているぞってねむしろ私に言われてきたものですから、苦情は殺到しているんですが、妹でいいじゃないですか、みんな視てるから、目立ちたくないのに、それだのに言付かって、大変大変」
「大変なのは分かった。大変なんだな。それで何が大変なんだ。見えてこないぞ。君と妹の間にあるもの、視られているからということ、目立ちたくないって言ったね。それらが容易に結びつかない、僕はどうすれば?」
「もう、無理~!」
「え。もう、無理~!」
 その言い方が面白かったのか、ビッグ大囃子は鏡の反映をする。
「あんたは何も分かっていねえな、サンダースーパーバイザーなんだろう、大言壮語もいいところだな、へへへ。彼女は電話がひっきりなしで、苦情が殺到していると言ってるんだ。この番組があまりにも馬鹿げているからだ、ウィークリー・ノットリビングなんていねえ、さあ、そのことを上のコンソールルームにいる二人組に言ってやんな、きっと何も分かっちゃいねえけどあいつらはまるで……」
 ボストンバッグを肩に持ち掛けたケンショー銀河が油まみれで、二人の出口の見えない会話に業を煮やして言うが、ある種の確信の肯定に近づこうとした矢先おっと口をつぐんだ。
「俺は何もびびっているわけじゃねえ、認めないだけだ」
 紙コップを両手に持ってカナ染谷はぼんやりと、広い空間にそこだけ照明に照らされた矩形のテーブルを見ている。そこに座る男二人が議論を交わし合う矩形のテーブルの裏面には己が名前が刻まれている。カナと。
「カナーンにおける愚鈍なる偶像は、悪魔学的に見てもオウムアムアとの周期的な数学的な一致が彫りつけられてある」
「また馬鹿なことを、あなたは物理学者なんでしょう、それを証明出来るのですか?」
「それは、カナ、だ。君は確かにそう言った。カナと。カナーンは古くからオウムアムアを一つの容れ物として見ており、偶像的なカナは、それ自体としてオウムアムアの鍵となるように、量とそれからその数とで、暗号を隠しているのだ」
「いや、それはこの机の下に誰かがいたずら書きをしていたんですよ、誰かがカナって」
「何! そうなのか、ならば、この机が、カナ、に他ならないぞ!」
 そして、伯爵大学応用物理学教授の基本院テテオはテーブルの下に潜り込んで、その文字を確認した。確かにカナと彫りつけてある。フムと息をつき、そうしてから、教授は椅子に座り直すとテーブルの天板をゆっくりと両手でなで回した。
「これは確かに、カナ、のだ」
 教授がそう言うと、再びスタジオは騒然となった。ふざけんな、そんなことを聞いてんじゃねえ!
 それを冷静なトヴィ可当がテレビカメラを微回転させて、その顔をじっと覗き込むように撮っている。その顔は、収録されると同時すでに電波に封入された信号として各家庭に送信されている。生放送である。そして、時計のみ自らの頼みとするチクタク屋ごえさんがコンソールルームに廊下から入り、モニターに見入っていたジェフ大倉とドリー内藤こと龍昭改めたつをの間から手を伸ばし、コマーシャル切り替えボタンを押した。
「わあ、今いいところなのに……」
 ジェフ大倉は顔を上げたが、チクタク屋ごえさんはコンソールルームを後にしていた。とは言え、また一分ぐらいすれば、今度は番組切り替えボタンを押してくれるだろう予想はついたジェフ大倉とドリー内藤こと龍昭改めたつをの間、彼らはモニター画面に見入っている。
 その頃、全国放送されているテレビ番組を見ていたシンパ麺麭男はあまりのくだらん番組に怒り心頭であった。くだらない番組のあまりのくだらなさに怒りに震え注視していた。手元にあった電話を取り上げ、すでに電話帳に登録している西日本社提供あとはごらんのスポンサーの提供でお送りしている緊急な特別情報番組を放映しているVTVに、すなわちVTV社に苦情を入れようとしたが、やさし~い木の家、緑のひろ~い庭、ぬくもりを伝えたい、にすぐに呼応してしまった。
「やさし~い、木の匂いを、感じた~い……」
 電話を持ちながらシンパ麺麭男はZUBIZUMO不動産の企画したモデルハウスに感応している。それからシャンプーの映像に切り替わり、美しい女性の後ろ姿、カモシカのような脚がノリノリで、石畳の道を歩いていく、ペティペのシャンプー。
「ペティペ……」
 もーちょ、もちょもちょコミケル、いっぱいちゅっぱいうはははは、むっちめちゃもちょもっちょ、もちょもちょコミケル~、今ダケ、漫画全巻無料見放題。美しい、水。やわらかい、浸透~する、水のちから。清流からやってくる、川のながれ、ああ水が飲みたい。
「ああ水が飲みたい……」
 ジェフ大倉は言った。ドリー内藤こと龍昭改めたつをの間から改めD内藤もまた承って同調する。
「水が~、飲みた~い……」
 丁度、一分経とうとするころ、廊下側からチクタク屋ごえさんがコンソールルームに入ってくる。モニターに見入っていたジェフ大倉とドリー内藤こと龍昭改めたつをの間から改めたD内藤の間から手を伸ばし、番組切り替えボタンを押した。おもちゃアイランドのお城からこびと達がCGで飛び出してくる瞬間のところで映像が切り替えられ、コマーシャルがあけてからすら尚も騒然としているスタジオが映された。
 シンパ麺麭男の怒りが再び心頭に発し、またテレビ画面を睨みつける。彼は図らずもCMがあるまでそうやってくだらない番組を注視しているのだった。
「ああ、今、なんか初めて見るバージョンのおもちゃアイランドのCMやってたのに……」
 ジェフ大倉は顔を上げたが、チクタク屋ごえさんはコンソールルームを後にしていた。時計以上に正確な指針であるチクタク屋ごえさんであるから、コマーシャルの時間配分自体が、この場合不正確だと言わざるを得ない。これもオウムアムアの影響であろうか。一度、その正確性から研究室にも招いたことのある伯爵大学応用物理学教授の基本院テテオはチクタク屋ごえさんの挙動と一分という時間配分に収まりきれなかったコマーシャルとの関係に、オウムアムアの影響を感じている。やはり何もかもウィークリー・ノットリビング化しているのか。カメラとカメラの間のモニター画面に自分が映っている。俺はこんなところに来るべきではなかったのではないか。いや、そもそもオウムアムアなんてあるのか。ウィークリー・ノットリビングなんて迷信だ。これは、とテーブルをさすり、これはカナのんだ、教授は独りごちる。カナのん、に過ぎないのだろう。
「この机はカナのん、だ。それに関しては異存はない」
「え? 何ですって、教授」
 この番組の進行役であるふさのぶが、龍造寺ふさのぶが、伯爵大学応用物理学教授の基本院テテオの発言をうっかり聞き漏らし、もう一度確認する。
「だから、この机は、カナのん、と言うわけだ。それはそれで手を打とうではないか」
「カナノン……?」
 何だよカナノンって、ふざけんなよっ、再びスタジオが騒然とする。それにしても、
「あの机は我が社、VTV社のものだ、違うかね、ええと……」
 ジェフ大倉は顔を上げ、居合わせているええっと誰だったか、
「ドリー内藤こと龍昭改めたつをの間から改めたD内藤でしたが、もう普通にたつおと呼んでください」
 と、ドリー内藤こと龍昭改めたつをの間から改めたD内藤でしたが、もう普通にたつおと呼んでくださいは、いらえた。
「うん、ドリー内藤こと龍昭改めたつをの間から改めたD内藤でしたが、もう普通にたつおと呼んでください君か、そんなやつ我が社にいたかなあ……」
 ジェフ大倉は怪訝そうに隣に居合わせている男に目を向けた。
 普通のたつおはたまたま居合わせただけに過ぎない、通りがかりで、普通に普通のたつおなだけであった。
「おい、たつお。そろそろ行くで」
 コンソールルームの廊下側の扉から兄であるよしおが声を掛けた。彼らはウィークリー・ノットリビングであった。オウムアムアの影響から歩く屍として、何処においても地表上にあるものは彼らの庭みたいなものであった。すでにそれ自体が普通の状態であった。
 そして、ジェフ大倉が腰を上げた。ジェフ大倉たつおは立ち上がり、ジュン倉善よしおがコンソールルームを横切るのを駆け寄っていく。
「オーソレ・キャピタル・マインドからの融資が欲しいぞ。溶融的な」
「おお、んなら、オーソレ・キャピタル・マインドで融解しにいくか。ゼリーっぽく」
 ジェフ大倉たつおとジュン倉善よしおはスタジオに降りる方の扉を開けて階段を降りていく。
 残されたたつおもといドリー内藤こと龍昭改めたつの間から改めたD内藤こと普通のたつおと呼んでくださいは、普段はドリーとしてコンソールルームに入り浸って現場の指揮を執るディレクターであったが、明らかなウィークリー・ノットリビングだと思われる一人から解放され、ようやく息をついた。同僚のジェフは彼が通りがかった時、先ほどの一人に溶融的にスナッチングされていたものの、平静を装って、隣に座った。アルバイト社員のカナ染谷が紙コップを両手に入って来た時も、冷静に振る舞い、もらい受けたコーヒーを自分も受け、もう一つをジェフに渡そうという風にしてウィークリー・ノットリビングに手渡し、しかしウィークリー・ノットリビングが一口飲んでいらないと言ったので、それは、カナ染谷に手戻した。そして、ウィークリー・ノットリビングは急にマックシェイクが飲みたいと言い出したので、自分もそれに合わせて部下であるカナ染谷に、自分もマックシェイクと言ってコーヒーの入った紙コップを手戻し、買いに行かせたのであるが、しかし、彼もまた、ウィークリー・ノットリビングであったのだ。彼ら二人は単に知らないウィークリー・ノットリビングであって、見知らぬウィークリー・ノットリビング同士で警戒し合っていたに過ぎない。しかし、もはやドリーではなくたつおというべきか、ジェフ大倉たつおと、ドリー内藤たつおは、直近でたつおから枝分かれした、ウィークリー・ノットリビングなのであり、同系統の、ほぼほぼたつおで、もうほぼたつおであったのだ。
「おい、たつお、行くで」
 コンソールルームの廊下側の扉から兄であるよしおが声を掛けた。よしおはたつおの兄である。ドリー内藤たつおは腰を上げた。ダリー能㌧よしおがコンソールルームを横切るのを追いかけていく。そして一緒に、スタジオに降りる階段のあるほうの扉を開けて、階段を降りていく。
「ああ、スポンサー企業からのとろけそうなチーズが、ピッツァの上でとろけているわひゃ」
「おお、んまやな、これは、オーソレ・キャピタル・マインドなあ、ほんま、こりゃあ、えらい、こっちゃ、ナア……」
 階段を降りるにつれ、ウィークリー・ノットリビングの身体が溶けていく。一足ごとに足の裏からふにゃ~、だるだる~、ぬたぁ~っと、下半身、そして上半身と、とろけていきつつ階段を降りていく。
 紙コップを両手に持ったままカナ染谷は、階段から、とろけて降りてくる明らかなウィークリー・ノットリビングをぼんやりと見詰めている。
 先行したたつおよしおばかりか後から降りてきたたつおよしおのウィークリー・ノットリビングが混ざり合い、完全にとろけ合い、一個の、たつおとよしおが混ざり合い枝分かれする前の、本来的なぼぼおに戻っていた。ぼぼおにまで退行したウィークリー・ノットリビングはもはや為す術がないように、とろけるにまかせて、完全にとろけたまま、うめき声のような、言葉というより、音を漏らしている。
「……カナ……」
「え?」
 カナ染谷はそのとろけ合う蠢きから息のように漏れ出た音が自分の名前を呼んだように感じた。紙コップを両手に持ったまま、凝然とぼぼおに退行しているウィークリー・ノットリビングを見下ろしている。
「危ない!離れるんだ!」
 ケンショー銀河がカナ染谷をウィークリー・ノットリビングから遠ざけようと、その身体に飛びつき、ウィークリー・ノットリビングから遠ざける。その油染みた衣服から、香気が漂ってカナ染谷の鼻をついた。液状化したウィークリー・ノットリビングから飛沫が飛んだのだ。
「ここらももう随分、連中の巣窟と化してしまった。いや、あ」
 おっと、ケンショー銀河は口をつぐむ。まるで言いにくい何かがそれ以上言葉を続けると言ってしまい、それを認めることになりかねなかったからだろう。ところで、身体を押されたカナ染谷の持つ紙コップのコーヒーは一切の波紋を起こさなかった。理想的なほどの動きでカナ染谷の身体は後ろに退いていた。それはケンショー銀河の柔らかさのあるカナ染谷をかばう動作といより、カナ染谷の動かされる方向に対しての見切られた動きの正確性が示されている。
「諸君!あそこにいるのは、厳然としたウィークリー・ノットリビングではないのか!」
 コンソールルームへと登る階段付近の薄暗がりを指さし、階段の前でとろけているものに向けて伯爵大学応用物理学教授の基本院テテオは声を上げた。すかさず、冷静なトヴィ可当がテレビカメラを半回転させて、階段付近の薄暗がりを写す。
「おい、照明、あそこにスポットライトを当てろ!」
 この番組の進行役である龍造寺ふさのぶことふさのぶは、教授と向かい合っていた椅子の位置を回転させクルッと反転、テーブルに肘を置き「この机は、カナのん!」教授の声を後ろに聞きながら、もう片方の腕を振り上げ延ばした指先でその薄暗がりを指さした。そして、同じ手でパチンっと格好良さそうに指まで鳴らした。
 その指パッチンに応じて照明の向きが変わる、リモコン操作するサンダースーパーバイザーであるビッグ大囃子であった。そして、階段付近のとろけているものと、その周りにいる四人の男女、カナ染谷、ケンショー銀河、ビッグ大囃子、シリング金華がテレビ画面に映し出された。
 照明を当てられたビッグ大囃子は、自分が今カメラに写され全国にその顔が映されていることを感じ、咄嗟に顔を隠し、また慌ててリモコンを操作する。電源をオフにしたので、スタジオは全ての照明が落ちてしまった。
「おい、こら、何だ、真っ暗じゃないか!こりゃ、ふざけるにもほどがあるぞ!」
 電話を持ったまま、シンパ麺麭男は雄叫びを上げた。怒り心頭に発しもう我慢ならないと、卓上にもなる移動式の電子計算も行う電話を操作し、何度となく意見の電話しているのでもう電話帳に登録しているVTV社に苦情を入れようとしたが、やさし~い木の家、緑のひろ~い庭、ぬくもりを伝えたい、にすぐに感応してしまった。時間には全く正確で、むしろ時間以上により正確なチクタク屋ごえさんが誰もいないコンソールルームにおよそ廊下側の扉から入り、コマーシャル切り替えボタンを押しに来のだろう。
「やさし~い、木の匂いを、感じた~い……」
 電話を持ちながらシンパ麺麭男はZUBIZUMO不動産の企画したモデルハウスに感じ入っている。それからシャンプーの映像に切り替わり、美しい女性の後ろ姿、カモシカのような脚がノリノリで、石畳の道を歩いていく、ペティペのシャンプー。
「ペティペ……」
 もーちょ、もちょもちょコミケル、いっぱいちゅっぱいうはははは、むっちめちゃもちょもっちょ、もちょもちょコミケル~、今ダケ、漫画全巻無料見放題。美しい、水。やわらかい、浸透~する、水のちから。清流からやってくる、川のながれ、ああ水が飲みたい。
「水が~、飲みた~い……」
 おもちゃオー子くん、おんもちゃオー子くん、おんもちゃ大好きくん、電話を片手に持ったままテレビと差し向かいシンパ麺麭男はリズムに合わせて身体を揺すっていたが、突如として映像が切り替わる。チクタク屋ごえさんが誰もいないコンソールルームに、もはや誰にも頼まれていないのに、およそ廊下側の扉から入り、番組切り替えボタンを押しに来たのだ。
 そして、正確にもまた、コンソールルームに来るまでの間の十五分間、正確に、回廊にもなっている廊下を正確な周回軌道をして丁度十五分間歩き回り、コンソールルームに入ってコマーシャル切り替えボタンを押す動作まで含めて正確な、仕事をしてくれるだろうが、
「ああああああ……」
 今し方、コンソールルームに入ってきた普通の、歩く屍然とした、時たまよくいる、普通のウィークリー・ノットリビングに出くわしてしまい、それが倒れかかってきてそれ諸共チクタク屋ごえさんは床に倒れた。一口だけ囓ると、この普通のウィークリー・ノットリビングは、「ああああああ……」と、うすのろな動作で立ち上がり、廊下に出て行った。
 いつからか、回廊をピッタリとチクタク屋ごえさんに張り付いていたのだろう。チクタク屋ごえさんが自らに課したこの日の戒律、今日の縛め、それは回廊を一周するのを遅くして、それでも時間的に正確に、十五分後にコンソールルームでコマーシャル切り替えボタンを押す、だったが、ああ、何ということだろう、それが災いしたのだ! 
 普段のチクタク屋ごえさんの歩調はもっと早く、きっと回廊では普通のウィークリー・ノットリビングでは追いつけず、チクタク屋ごえさんが周回遅れになった普通のウィークリー・ノットリビングを追い越していただろう。
 しかし、そうなると、その時には普通のウィークリー・ノットリビングに近づくことになり、その時にも、食べられる蓋然性が大いにある。むしろ、チクタク屋ごえさんは、いずれにせよその瞬間に、正確に、普通のウィークリー・ノットリビングに食べられていたんだろう。その普通のウィークリー・ノットリビングは、いずれにせよ、チクタク屋ごえさんを一口だけ囓るのだろう。「ああああああ……」と、うすのろな動作で立ち上がり、廊下に出て行く、普通のウィークリー・ノットリビング。しばらくして、「ああああああ……」と、うすのろな動作で起き上がるチクタク屋ごえさん、その動きは時計のように正確だ。うすのろな動作で立ち上がり、廊下に出て行くチクタク屋ごえさんは普通のウィークリー・ノットリビングであり、もっとも正確に、もっとも正確なウィークリー・ノットリビングでもある。回廊を正確な周回軌道で歩き、再び十五分もすると、正確にも、コンソールルームに入ってコマーシャル切り替えボタンを押すに違いない。
 馬鹿野郎、お前はサンダースーパーバイザーなんだろう、龍造寺ふさのぶことふさのぶの怒声が上がる。暗闇の中、ビッグ大囃子の握っている照明のリモコンを奪おうと立ち上がる。どよめきに包まれたテレビスタジオで、「この机は、カナのん!」教授の叫び声だけが暗闇にこだまする。冷静なカメラマンであるトヴィ可当は暗闇にも関わらず、番組の司会者である龍造寺ふさのぶことふさのぶの歩みを足音を頼りに追うが、今はコマーシャル中でもある。それに龍造寺ふさのぶことふさのぶは暗闇を手探りに歩かなければならなかったので、今はもう開かずの間として締め切られた第四便所の方へと向かって行っていた。
 第四便所はVTV社の前身、旧電磁波調査試験場時代からのものであり、お化けが出ると噂されてから締め切られたものだ。普段であれば龍造寺ふさのぶことふさのぶもそこを通る時ですら、息を止めて、収録中も出来るだけそこを見ないようにしていたものであった。しかし暗闇であるため、手に取っ掛かりを感じた龍造寺ふさのぶことふさのぶはサンダースーパーバイザーに一任されている照明のリモコンだと合点し、それを渡せ、と力一杯取り上げようとするも、そのリモコン様の取っ掛かりはまるで固く、あたかも鎖で繋がれているみたいである。馬鹿野郎、お前はサンダースーパーバイザーなんだろう、そのリモコンを手渡せ、と怒声を上げてますますと引っ張るに、年古りて錆び付いていたのか鎖の繋ぎ目が暴力的に引き剥がされたような金属的な音がして、そのリモコン様の物は外れた。その時、照明が点けられた。
 電話を持ったまま、こびと達とほとんど同じ大きさのおもちゃのお城からこびと達が飛び出してなめらかに滑るような駆け足で空中を走る映像とお歌に合わせて、身体を揺すっていたシンパ麺麭男であったが、映像が急に切り替わってくだらない番組が再開されたところから、怒りが注がれ画面を注視する。
「何をしておるんだ!」
 画面は未だ暗闇のまま、馬鹿野郎、お前はサンダースーパーバイザーなんだろう、そのリモコンを手渡せ、という怒鳴り声だけが聞こえ、すぐにガチャッと金属的な鎖の繋ぎ目が引き外される音がしたかと思うと、パッと画面が明るくなった。冷静なカメラマンであるトヴィ可当は動きのある方へとカメラを向け、スタジオに入る扉の手前の壁にある照明のスイッチを押していたシリング金華銀華の片割れの銀華を映していた。「おい、こら、何だ今のはお化けか!? お化けをテレビで流してもいいのか!?」シンパ麺麭男はテレビ画面に向かって吠えた。どうしたんですの真っ暗じゃないですか、という声がしたが、カメラはまた振れて第四便所の方を映していた。今一瞬だけ、開かれた第四便所に奇妙な人影が映っていたような気がしたからだ。見間違いであろうか、しばらく、確認するように第四便所を写していたトヴィ可当であったが、一段高くなった屈み式便所と片隅に置かれた旧電磁波調査試験場時代からだろうと思われる汚物箱以外に何も見当たらないことから、気のせいと断じて、再びスタジオの入り口にいるシリング銀華へとカメラを向けた。
「真っ暗、真っ暗、姉さんが帰って来ないからって、まさか、わたしが、大変大変」
「お化けがいたぞ! お前らはお化けまで出演させるのか!そのことを説明しろ!」
 テレビ画面に向かって吠えるシンパ麺麭男。テレビ画面の端からリモコンを持った男が出てくる。サンダースーパーバイザーであるビッグ大囃子である。ああ、シリング銀華ちゃん、今度、この際だからセクハラさせてくれませんか、と言いに来たのだ。しかし、すぐにトヴィ可当のカメラに気付くと、あっ、と顔を覆い、リモコンのボタンを押した。電源をオフしたのだ。
「ああ! また真っ暗だぞ!ふざけているのか!」
 吠えるシンパ麺麭男。電話機を握りしめている。この電話機は両端にバネが取り付けられてあり、握ると抵抗があって、握力も鍛えられる。テレビを見ながら握力も鍛えるシンパ麺麭男である。
「無理~、ですね」
 シリング銀華が壁の照明スイッチを押しながら、応えた。
「無理~、ですね」
 その言い方が面白かったのか、ビッグ大囃子は鏡の反映をした。そして、リモコンに手を掛けようとしたのを、ケンショー銀河がそのリモコンを奪い取った。サンダースーパーバイザーのビッグ大囃子は声を張り上げ、はっ、それは自分にだけ持つことを許されたリモコンだぞ、それはおれの物だ、このサンダースーパーバイザーであるこの……
「ビッグ大囃子のものだぁッ!」
「んで、この机は、カナ、のん!」
 すぐにも伯爵大学応用物理学教授の基本院テテオが叫んだ。そして長テーブルをさする。そして、自らの手を自らの手と擦り合わし、僕は基本院テテオで、これは……
「僕の、お手て、オテテ!」
 と叫んだが、冷静なカメラマン、トヴィ可当はカメラをそちらには向けなかった。
 トヴィ可当のカメラはリモコンを持つケンショー銀河を撮している。ケンショー銀河が諭すように幾分鼻で笑う調子を込めて何処か哀れにひざまずいているサンダースーパーバイザーであるビッグ大囃子に向かって喋っているが、トヴィ可当はケンショー銀河の足下をゆっくりと這いずる何かの液体が気になってならない。それはシリング金華らしかった。何かの液体にまとい付かれたシリング金華が、腹ばいで移動しているのであった。髪を気にしてとろろ状のまとわり付く液体を、取ろうともがきながら、もがけばもがくほどまとわり付かれていた。これはテレビで放映してもいいのだろうか、冷静なカメラマンのトヴィ可当に迷いが生じている。今、ひょっとすると誰かご飯を食べているかもしれないぞ。とろろ状の液体にまとわり付かれたシリング金華はとろろ状にとろけ始めていたが、この番組の視聴率はすでに0,1パーセントにも満たなかった。むしろ、視ていたのは、シンパ麺麭男ぐらいである。それにシンパ麺麭男は電話機を持っている。この電話機は中に小さな空洞があり、そこに小さなパンを収納できた。今し方、収納部をスライドさせパンを取り出し、食べ始めていたシンパ麺麭男はパンを食べているところだったのだ。
「飯を食べているときに、何だこれは!」
 食べながら、怒っている。そして、姉さん、姉さん、と勢い込んで駆け寄るシリング銀華が画面に映し出されている。なんてことお姉さん、嫌よ、わたし、駄目、駄目だってばあ、とろけている姉に向かって泣き叫んでいる。
「お涙ちょうだいか、くだらんぞ!」
 シリング銀華が助けようとして、ああ、待って、嫌あああ、とろけたシリング金華に身体をとりこめられる妹。
「はははっ」
 画面を注視していたシンパ麺麭男は一瞬だけ笑った。少し、心の琴線に触れたシンパ麺麭男は、ふむ、と今まで立っていたが背後のソファに腰を下ろした。今のはなかなかだ、と肘掛けに肘を置いてしかし、その手には電話機が握られている。いつでも抗議の苦情を入れるためだ。
 美しい姉妹がとろけていき、一個のぼぼおと化す。ぼぼおとにまで退行したぼぼおは完全なぼぼおと言える。それは美しい姉妹を取り込んですらなおもぼぼおだ。それでサンダースーパーバイザーとは聞いて呆れるぜ、以前あんたはハイパーファイヤードラゴンブレスだったよな、格好いい名前ばっかり付けたがるが名前負けもいいところだぜ、全く、全国にこれは流れているんだ、それだのに照明を点けたり消したり、遊んでるんじゃないんだぞ、とケンショー銀河は以前はハイパーファイヤードラゴンブレスで今はその肩書きをサンダースーパーバイザーに変えていたビッグ大囃子を叱りつけていたが、ビッグ大囃子の膝から下は液体にまとわり付かれている。そしてとろけはじめていたが、ハイパーファイヤードラゴンブレスでもなくサンダースーパーバイザーでもなくそれはウィークリー・ノットリビングであって、全的なものであった。いみじくも伯爵大学応用物理学教授である基本院テテオが指摘した通りそれは拡散傾向のある個別ではなく、凝集傾向にある総体であり、ぼぼおがたまたま退行し、それがオリジンとなったところから、ぼぼおであり、全なるぼぼおである。いや……ケンショー銀河がまとうためのものなのか……?
「教授、確かに、あれはウィークリー・ノットリビングですな。間違いない、それが一個の何かに膨らもうとしている。あれはオウムアムアによる影響と考えてみていいんでしょうね」
 龍造寺ふさのぶことふさのぶは隣の教授を振り返って言ったが、教授には聞こえないようだった。そして、絶対に見たくはないあの場所、第四便所の扉が開いているのを見てしまった。そして、その前に倒れた自分の姿を発見した。あれ、なんで、みんな、このおれの姿が見えないんだろう、疑問に思う龍造寺ふさのぶことふさのぶ。すると、彼の腕を薄気味の悪い蒼い手が掴んだ。いやだ、と彼は身をよじり何かにしがみつこうとしたが、身体が物に透過する。
 正確な軌道で回廊を周回してたチクタク屋ごえさんが、もっとも正確に、コンソールルームに至る階段を降りてきて、正確にも、正確な時に、いち早くぼぼおに交わった。
 上役二人からの言いつけを暗闇の中で思い出していたカナ染谷は、両手に紙コップを持ったまま、スタジオを後にし、96番エレベータで地階に降り、マックシェイクを購入しようとしていた。両手に持った紙コップにその時に思い至り、これでは両手が塞がっているので処分しようと思い立ち、テーブル席で互いに差し向かいで足を組んで座っていたウィークリー・ノットリビングに、これ飲んでください、とその紙コップを彼らのテーブルに置いてやった。こころなしか、ウィークリー・ノットリビングの手が上げられ、それをカナ染谷は謝意であると理解した。カナ染谷はマックシェイクを今度は両手に持って、コンソールルームに引き返した。もはや一人となり店を切り盛りしていたチーフマネージャもカナ染谷にマックシェイクを売ってからは、厨房の一角で気分が悪いからと休んでいたアルバイターに一口、囓まれてしまったことでウィークリー・ノットリビングと化してしまった。カナ染谷が店を出て行くと同時に、ウィークリー・ノットリビングたちも見えない信号に働かされ、陰嚢的電磁力と言おうか、強い、じんじんとした、強調的な波動に導かれるように立ち上がっていた。
 廊下がごった返しており、行き違う人々みんながカナ染谷を噛もうとしてくる。カナ染谷は動きの見切りによって、無音の空間移動をしている。マックシェイクは波立たず、揺すられることもない。見切られている。96番エレベータはウィークリー・ノットリビングだらけで、閉じるボタンを押そうにも次から次へと乗り込んでくる。ある瞬間の、狭間、人並みの途切れを見極めたカナ染谷は閉じるボタンを押してエレベータを閉めた。ウィークリー・ノットリビングだらけのエレベータ内の身動きの取れない領域においても、他者が動こうとする流れそれ自体が大きめな空隙を生み出すことになって、また彼女は噛もうとする動きを調節すらしているように、閉所に追い込まれない場所に動きつつ、無音の空間移動を行う。いや、それはもはや、動いてすらいないような動きであった。当然、マックシェイクにはどんな揺れもない。何故、噛もうとしてくるのかとか、そう言った疑問が湧く以前にすでに彼女の身体は動いているのである。
「全く、これは、ふざけるにもほどがある。ははは」
 シンパ麺麭男がソファに座って、嬉しそうに笑っている。画面では今しも無数の人々が一個にとろけ合っているのだった。こういうのをもっとやればいいんだ、その時彼の頭上を蠅が飛び回っていた。それを払いのけようと、電話を持っていない腕を振り上げた。その時、一口噛まれた。この蠅もウィークリー・ノットリビングである。そして、シンパ麺麭男の身体はソファに深く沈み込んだ。肘掛けに置かれた手からずっと握りしめられていた電話機が滑り落ち、床に転がった。
 スタジオは溢れんばかりのウィークリー・ノットリビングでごった返していた。ケンショー銀河はそれをあくまでも認めなかった。認めれば認めたことになり、存在を肯定することになるからだ。しかし、彼自身がウィークリー・ノットリビングを全的なウィークリー・ノットリビングとするために必要な媒体を体内に生成することが出来た点で、それは皮肉になろう。彼の発する汗である。それにより、拡散傾向のある個別ではなく、凝集傾向にある総体となって、オウムアムアの移動式ドックに容れられべき巨人となるのである。
「ああ、おれはウィークリー・ノットリビングなんて認めないんだ。絶対、こんなものは認めないぞ!」
 叫びながら、ケンショー銀河もまた全なるぼぼおと化し、いや、繭状に彼を取り囲んだぼぼおと言えるのだろうか、彼の意識は確としてあり、ぼぼおの奥深くでオウムアムアを如実に感じられた。そして、それは彼は認めないと言いながら絶えず感じており、感じながら認めないということは、背後には認めていたものとも言える、大いなる意思のようなものであった。
「これは、カナ、のん!」
 伯爵大学応用物理学教授である基本院テテオは、感じられ、様々な文献や数字などを考察しその結果からオウムアムアの意思を確信し、言語に表出することで広く喧伝しなければと、テレビ出演を決断したが、自らの言語と大いなるオウムアムアの意思とのギャップに精神に異常を来し始めていた。そして、次々に取り込まれていくウィークリー・ノットリビングを見て、立ち上がり、うつらうつらと未だ彼はウィークリー・ノットリビングではないのに、ぼぼおに向かっていく。
「こん机は、カナのー!」
 と叫び万歳をしながら、取り込まれ、とろけていった。その様をすでに誰も視聴すらしていないテレビに放映するためにカメラを回していた、冷静なカメラマンのトヴィ可当であった。自らの足下にまとわり付くぼぼおを振り払おうともせず、カメラを回し続けたが、そういえば、彼は思った、いつになればコマーシャルが入るのだろう。
 マックシェイクを持って帰ってきたカナ染谷は、みんながとろけて一個の総体のようになっているのを、ぼんやりと見詰めていたが、そういえばこれをジェフとドリーの二人に言付かっていたんだ、と思い出し、コンソールルームへの階段を登っていた。当然、当人は素知らぬふりをしていたがケンショー銀河の油のような汗が撒き散らされ、滑るから注意すべきところ、彼女の上半身は垂直に立ち、膝は理想的に曲げられて、天空を登るように登っていく。マックシェイクは移動をするもののあたかも静止しているかのようである。
 あいにくコンソールルームにいたジェフとドリーは席を外してしまったようだ。彼らがよく座っている椅子の前の操作盤の上にマックシェイクは置かれた。そして、スタジオの様子をぼんやりと見下ろす、アルバイト社員であるカナ染谷。
 ふと、誰もいないのなら、と、カナ染谷はボールペンをポケットから取り出し、コンソール盤の下に屈み込んだ。そして、そっと自らの名前を刻みつけた。カナ、と。
 

オウムアムア

オウムアムア

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-11-17

Copyrighted
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