「赤ずきん姫」

 むかし昔森のなか
 氷水晶の湖面の真ん中で
「もしもしお嬢さん、どちらまで?」
 首を左右に動かしても誰も居ないのに
「そう、それならわたくしめがご案内さし上げましょう。」
 少し違った赤ずきん姫の物語(はなし)、これより。

 赤い毛布は家族の形見、お誕生日に贈ってくれた高価な物で
 せめておまえが寒い思い凍える憂目を見ぬように
 お祈りと祝福を、どうかこの子に毎日毎日そゝがれますように
 だから大切な、大切な毛布。

 けれどある時毛布は奪われ
 春の奥深くの廃れた空家に投げ入れられた
 愚かな愚かな赤い娘よ
 悔しかったら取って来い

 けれどこの子の心は朝露と滴る硝子の水のようで
 怒りと呼べるもの、悲しいと呼べるものは漾わずたゞ素直に受けとめる
 野原を行く動物たちが花草の上から離れられないように
 露草も花びらも生者を憎みはしませんのにね
 人のくせに愚かだと
 感情持たないは愚かだと一人残された赤ずきん姫
 優しい家族はもう居ない

「君が一人でも生きていけるように、と信じて祈り想いを込めた赤毛布(ケット)、それを腐った空家に放りこまれたって訳か。いいねえ、泣かせる御伽噺だ。」
 御伽噺は本の世界、けれどもこれは此処の世界、何の感情も持たない筈の若い娘が湖にまでとぼとぼ歩いて来たのは可笑しいとでも言いたげな声が愉快を嘯く不愉快なのは娘の聞き間違いではなかったのです。
「だけれど貴女、どうやって廃屋まで行かれるのです?」
「はゝあ、何もお答えにならないとは、つまり分からないということでしょう。それならわたくしめがご案内申しましょう迷うのはよくありませんからね。」

「子守唄を御存知で?」
 勝手に案内役になり好きに質問し始めた案内人
 それは兎のアリスのような
 予測通りの狼のような
 やっぱり何でも無いような光で
 星屑の亡骸を指で繋ぐ少女
「その目にわたくしめ…私は見えていないのでしょうね。」

「赤ずきん姫川へお寄りな、身体を綺麗に洗わないと」
 川は浅くて深くはない、パシャパシャ鮎が戯れる
 尾鰭の輝き眩しいか目をつむりながら汚れは溶けてまたいづこ
 さよならさよなら汚い町々よくもこの子をいじめたな
 赤い天鵞絨によく似合う白いパフのふんわりスカート
 王子さまのブラウス引き締めて
「さあ此方へどうぞ赤ずきん姫」

 赤ずきん姫はどこへ行く
 赤い毛布をも一度抱きしめるために廃小屋へ
 案内人あなたはだあれ
 まさかその子を()べてしまいやしないだろうね
 まさかそんな残酷思いながら読んでるの?

 翡翠の眼玉の子は喋らない
 だから優しい案内人だけが喋っている
 好きな星座は、季節は色はと透明な心にひっかき傷を
 傷痕からは何味の血が沁み出ている?それが君の心の形だよやさしい()
 笑った記憶も持っていたくなかったんだろう悲哀と憤怒は以ての外
 君には藍色のマフラーが似合うけれど今は毛布に逢いに行こう

 心に張らない防御線
 何から守る為かも忘れてしまった

 薄桃淡雪爪もほのかな子は目を覚まさない当然今は夜だもの
 誰かの家のベットに眠ってまあ小人でも住んでたのかしら
 それでも今は夢のなか誰も文句は言えません
 すやすや眠る籠のなか甘いりんごはよく眠る
 なにも思い出さないで
 つないだ星座も忘れ果てて

 お日さまと案内人の声が娘の頬にかかります
「おはよう姫さま。さあ起きて美味しいブランチ待ってます」
 寝坊癖は最近ついた、空家を目指すように誘われた日から

 誰もがその()を嫌っていた
「あいつは愚かな子だ」
 誰もがその娘を憎んでいた
「人間なのに心が無い感情を持たないなんて」
 でもそれって

「お次はどの歌で踊ります?」
 歌も踊りも知らない主人公よ
「それでもまた白昼の星座を作りますか?」
 指を動かすことしかよく知らない
「お腹が空いたら果物でも採ってきましょうね。」
 唯一赤くて艶々した林檎から切り離された人の姿は
「あゝまた傷が滴って」
 こんなに捨てられた姿なのだろうか

 さあお話は町に戻って
 空に長い帽子かぶった縦笛穏やかな夜の町
 星は陰々と口をつぐみ
 男の歩くを邪魔しない
 君は案内人?いやいやよく聞く笛吹きさ
 (ねずみ)も人も分け隔て無く平等に連れ去った張本人
 お伽の国の住人が此処にも一人やって来て
 ほらほら夢の侵食が始まった

「さあ、大事(だいじ)の毛布を取りに行きましょう。捨てられた小屋はもう直だ。」
 取られた物を取りに行くのに取るの言葉以外何を話せばいいのだろう
 何も話さぬこの娘に
 何を正しく教えてやれたら良かったのでしょう、かみさま。

 お祖母さんはよくご絵本出して
 北極星は哀しいけれど誰よりも暖かいのだと仰有っていた
 悲しいとは何がだろう
 温かい、は毛布のこと?
 分らない赤ずきん姫に分からないお祖母さんは微笑んで
 あゝ、何て言葉だったっけ

 町に戻ったところで建物だけが立っているのだから
 もう帰ることはないじゃないか愚かな子
 どうして足早に湖にも寄り道せず
 人を喰いつくした廃墟になんて()くなんて

「誰⁉」
 人が居ない、人が居ない、あんなに溢れていた人が居ない!
 その後ろ姿はもうハーメルンの男ではなくてブレーメンに行きそこねた隊長の体になっている
「如何して町を襲ったの!」
 抑えきれない、今まで見向きもしなかった感情が止められない。
 赤い毛布抱き込んだ唯一の人が叫んでしまう。
「あゝ、いけない、いけないよ、君はかわいい人なのだから、愛されるべき愛おしまれるべき愛らしい姿の筈なのに、まるで考えてはいけないよ。」
 寝る前の読み聞かせみたく穏やかで優しい声。知っている、知っている、私はこの声の正体を知っている。
「大丈夫。また夢の前、朝の前夜の前に呼び起こされる。その時君はまた元通りに落ち着くさ。」
 そんな、待ってよ、じゃあ私は―
「さよならどこかの赤ずきん姫。君は赤ずきんに食べられる。」

 昔、赤ずきんと言う一人の女の子がいました。
 ある日赤ずきんは森の中に住むおばあさんの家におつかいに…


終幕

「赤ずきん姫」

「赤ずきん姫」

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-11-07

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