原稿用紙一枚の上(étude)
1. 子供とお城
子供がお城を壊しています。積み木のお城を壊しています。口元に、無邪気な笑みを浮かべて。ローマ風のアーチが壊され、ゴシック式の窓が壊され。子供はただもう笑っています。そうして塔を押し倒し、駐とまった荷馬車を叩き潰し。
お城の中では、王さまが困っています。王妃さまがしくしく泣いています。侍女も近衛兵も、乳母もコックもおびえています。大広間には近くの住民が集まって人で溢れています。かなりお城は堅牢に造られているのですが魔の手が大広間に及び、終わりの見えない恐怖が終息するのも時間の問題となってきました。傭兵はどこかへ消えて、城を守ろうとした騎士ももう帰ってはこない。
子供がお城を壊しています。ただもう無邪気に笑いながら。口元に無邪気な笑みを浮かべながら。両親におもちゃを片づけなさいと言われながら。終末への時間を数えながら。
そうして時が過ぎてゆきます。
(2019年4月13日)
2. 最後の推理
年老いた探偵が死んでいた。無機質な部屋の真ん中に冷たくなって。彼は殺されたのだ。
彼より少し年下の犯人の男はその日、客人としてその家に招かれた。片手には朝焼いたケーキを、もう片方の手には時限爆弾のリモコンを持って。爆弾はすでに家に仕掛けてあるらしかった。別室に妻のいる探偵は、犯人の要求を呑み、睡眠薬入りのケーキを食べた。
その探偵の趣味は庭仕事だったので剪定鋏を探すことはわけもないことだった。
探偵の息が絶えるのを待ってから、犯人は物を探し始めた。金目の物ではなく、犯罪者データのファイルを。彼は昔の婚約者を絞首台に送った探偵を恨んでいた。復讐に成功して、恋人の顔を見たかったのだ。しかし本当は、彼女は凶悪な犯罪者でありながらとても美しかったので、探偵も好きだったのだ。
犯人がファイルを発見し、彼女のデータを見つけた。写真・名前・情報の下に手書きの字で、「犯人はあなたです。」とあった。
(2019年4月14日)
3. 狛犬と手袋
吉田くんが神社の境内を歩いています。吉田くんは小学校一年生の男の子です。
吉田くんのお母さんはついこの間病気になって入院してしまったので、早く治って帰ってきてほしいと思った彼は、寒い冬の中なのに毎日この神社に通うようになりました。
ところで、僕は狛犬なのですがあまりにも彼がけなげなので応援してやりたくなりました。向かい側の獅子さんも同じ気持ちのようです。
夜になって僕たちで境内の見回りをしていると、足元に柔らかいものがあって、それが吉田くんの手袋の片方だとわかりました。
僕は一緒に届けに行こうと言いましたが、獅子さんは反対しました。ガーゴイルみたいなのはごめんだ、と。だから僕は一人で吉田くんの匂いを追って町へ飛び出しました。
はたして彼の家はありました。でも僕は不安で彼に声をかけられずに、家の前に手袋を置いて、裸の木と月光の中を帰りました。
(2019年4月15日)
4. 桜花(さくらばな)
(平成最後の夜に)
風が花びらを散らした。ふうわりと白い衣が風になびいて跳ねて揺れる。空気の流れが私のもとに彼女を運んでくる。
――ごきげんよう。読書中ごめんね。
私が目を上げると、白い服の少女がにっこりする。その表情が私の心にすうっと馴染む。
「大丈夫だよ。君は? 見かけない顔だね」
――私はこの辺に住んでるの。君がずっと独りベンチで読書してるのが前から気になって声をかけてみたんだ。
「そっか」私は周りで遊んでいる子供たちを眺めた。私と同じくらいの年齢。
「ねえ、何か話そう」その日私は少女といろんなことを話した。私には珍しいことだった。
彼女は翌日来なかった。風が強い日だったから。それから他の子とも遊ぶようになった。
きっとあれは花の精だったのだ。ある日、風の中こんな言葉が聞こえた。
――きっと、また来年会えるよ。それまではしばしのお別れだ。
(2019年4月30日)
5.ぐるぐる
(平成から令和の間に)
二槽式洗濯機がガタガタ言って回り続ける朝の風景。洗面台の前で祖母が洗濯物の仕分けする。朝寝坊の僕には音だけ聞こえる見えない風景。その機械の扱い方を僕は知らないし直接動いてるのを見たことも少ない。
少し遅い朝食を摂る。砂糖入りのカフェオレにママレードをのせた食パン。食べた後、食器をシンクに置いて、家の中を逍遙する。
ふと洗面所が気になって覗く。特に誰がいるわけでもないのに気になるのだ。洗濯機の中を覗いてみる。濡れたあとで、乾かしているといった様子。ふと思う。
洗濯機に入ってぐるぐる回されてみたい。
全自動でもいいけど贅沢を言うなら二槽式がいい。でも洗濯板はごめん蒙る。二槽式の二つある感じがいい。田舎臭くて懐かしい。
催眠術のようにぐるぐると。回転椅子の上のようにぐるぐると。ふらついて、暫く立てないようなめまい。風景が回転運動して視界に振り落とされる。やっぱり二槽式がいい。
(2019年5月1日)
6. 百年(ももとせ)
テクストを入力してください。
小さなビープ音が、絶えず鳴る。そこに、ことばはなかった。
棺のような、大きな機械に繋がれた少女は、眠る。温室の中は暖かかった。風もないのに高い樹が揺れる。
少女の傍で若い女が頬杖をついた。唇から微かに息が漏れる。
いつ目覚めるのだろう。自分が生まれたときにはすでに、この状態だったではないか。学校の遠足でもここに来た。
少女の頬の赤み、わずかに開いたやわらかそうな唇は、彼女が動き回っていた昔を思い起こさせた。ただの空想だ。そのときはあなたと同い年だったね。昔のまま、眠ったまま、の彼女を自分は通りすぎてゆくのだ。
つれないね。百年がすぎるよ。
遠くから音楽が聴こえてくる。他の管理人のトランジスタラジオだろうか。踊ろうよ。踊ろうよ。ジグのリズムだよ。若い女は眠っている少女を抱き、ステップを踏み、拍子に乗った。そこに、ことばはなかった。
画面は乱れる。
テクストを入力してください。
(2023年10月24日)
原稿用紙一枚の上(étude)