かえるろーど(一)

続く習作の一つ。




 特に手足が長くて小難しい従兄弟のケイ兄ちゃんが四人並べば丁度だろうか,小さい頃に目一杯に広げた私が六人と半分いれば測れたその幅はジグザグに追いかけっこが出来るぐらいに広い。向く先が違うケンケンぱを隣り合って行ってもぶつかりはしないと思う。小さい半円が道に埋まっているから不便はあるだろうけど,ミニサッカーも可能かもしれない。したことがないからはっきりとは言えないけど,いずれにしたって『かえるろーど』では男の子も遊ぶし女の子も遊ぶ。大人も歩くし,犬は走って猫は寝る。『公園的道路』なんていうものがあるとしたら,それはこの『かえるろーど』になるだろう。
 『かえるろーど』は私が通う中学校と車道と歩道が分かれている道路を挟んで,環状線と高速道路の出入り口に通じるから車がよく通る大きい車道と長い歩道を跨ぎ,人と車が譲り合って通行する半端な住宅街な道路にぶつ切りにされたかのように始まり,小高い丘にある向井神社への参道に通じる丘の麓に通じて終わる。神社側から見れば終わりと始まりは逆の表現になるけど,私たちにとってはこの順番でいい。『かえるろーど』は住宅街道路から始まって,向井神社の麓で終わる。
 『かえるろーど』のひらがなをどう読むかはきっと人の自由だけれども,そこを通って学校へ行く私にとっては『帰る道』とは決して思えず,『カエルロード』と結構そのまま実感するのは,『かえるろーど』を往復する形で開かれる毎年の夏祭りの中で,蛙が沢山居たのを本当に見た道だからだ。狭い範囲でひしめき合って強く光を灯すから,暗闇混じりでありながら明るくて,過ぎ行く人と,向かう人と,ぶつかることもない石畳みの道で,長くて,でも広くて,デコボコと,息継ぎをするように丸い半円が顔を出して下駄の人をふらつかせ,しかしだから手を繋がせて,絆を生んで確かにもして,「通るな!」なんて意地悪は「何それ?」って知りもしない。そんな中の足下の隙間,蛙達は踏まれることなく迷うことなく,ピョンピョンと跳ねて移動していた。スニーカーの爪先に乗ったりするヤンチャ者も居たけど,多くは生まれた人が通って作る,生まれる道の隙間を進んでいた。出店のおみくじに導かれて迷子になった私は『かえるろーど』の道端でしょげてしていた体育座りで,その様子を発見した。私の視界の右側から現れて左に消えて行く蛙達は,不慣れな人が作ったアニメーションの一コマを繰り返し見せられているようで,最初は眺めて次から見ていて,途中から目で追いかけ,最後には楽しんでいた。不思議と左から右に行く蛙がいないのはあとから気付いたけれど,その時の一人ぼっちな私にとってその一定運動は祭りを行く皆と体育座りで行けない私とを結ぶ中間地点のように思えて,励まされる気持ちになった。こんな時もあるけれども,そうじゃない時もあって,また関係もない時もある。重なっていいんだし,そうじゃなくても。今はとにかく待とう。一人で帰ってもいいんだし。そう開き直りも出来たのだ。
 その年の夏祭り,家族で行き,妹がまだいなかった家族と無事に帰れた私は,スピーカーな祭囃子を背後から聞く距離の『かえるろーど』にバイバイをして好きになった。私にとって『かえるろーど』は『カエルロード』になって,接し方も決まっていた。足元だけ見ていれば良いのだ。『カエルロード』の夏の道は。
 





 食パンはサクッと裂けて,サラダはザクッといって,口の中がモシャモシャする。オレンジはまだ飲めない今はテーブルが埋まっている。食材の数も同じだから食器の数もそうなり,一緒に住んでいる家族だからということで食器の種類も同じになる。色が違うぐらいだ。パパは青で妹はピンク。ママと私が赤色だ。物としても足りないのはバターナイフぐらい。もたつく妹の手つきにその使用回数が滞っている。
 会話はあっても杓子定規,パパは今日の予定を聞いている。ママは遅い朝からショッピング。妹は居場所も教えずとにかく出掛けるそうだ。私も早い朝からカヨちゃんに会うけどきちんとは教えない返事をする。パパの予定は誰も聞かない。仕事をしているかそうでないかの,どちらかだろうしどっちでもいい。新聞紙のページのように静かに話題が占いテレビの予約に変わって,完了してから無言の中で,クシャミが出たからパン屑が飛んだ。誰の顔も見ずに取った。ティッシュは一枚で十分だった。空いたバターナイフはやっと使えた。
「お姉ちゃん,牛乳取って。」
「ちょっと待って。いま無理。」
「こっちがすぐ済む。牛乳取って。」
「無理。もう塗り出したもの。止められない。」
「止めれるじゃん。置けばいいじゃん。」
「置きたくないし,置く気もない。もう最後の二枚目だし。自分で取りな。」
「嫌だよ。近いじゃん。そっちが近いじゃん。」
「離せない手は0に近いの。さっさと取りな。時間の無駄。」
「絶対ヤダね。絶対取って。」
 妹と私のやり取りにイライラしたママが取って,妹はすっかり黙って私はちゃんと黙った。さっさと取れば良かったのだ。意地と無駄で牛乳は,刻一刻と生温くなるというのに。
  空いたお皿を掻き分けて真ん中においた珈琲を飲んで,パパは新聞紙を一面から読み始めて,広げた二,三面を続けて読み進めていると私は,一面とテレビ欄と真向かう。関心のある大きな事件に細かく書かれた各時間に流れる番組は文字でとっても書かれている。パパの話と同じだ。パパは五十音で出来ている。
  お皿に乗った最後の一枚は(おかわりは禁止されていないけど女子だから),多めのバターで頂いてしまって,ママの理由なき叱責をそれは綺麗に拭き取ってから席を立つ。パパの分まで片付ければ取り敢えずママは黙るのはある意味パパへの文句も入れていたのかもしれない。経由をしなきゃいけないのだ。ハブ空港も大事なんだそうだし,不満はもう言いたくもない。
「姉ちゃん,ついでだし,いいでしょ?」
 妹も終えた食事は,残すところママだけになった。パパはまだお礼を言わない。言う気も無いのかも分からない。
「ママがいるじゃん。まとめて後で片せば?」
 「えー!」という抗議の声色に私の名前を呼ぶママの声は流した蛇口出身の勢いある太い水と一緒に,ステンレスを叩いて排水口に流してからリビングを出る。それでも抗議と名前が聞こえた。良くある光景で情けなくなるからやめて欲しかった。登る階段は今日も重い。下る階段はきっと軽い。
 ミルクレープの生地は何層にも重なっているが,だからと言って一番下の層が一番古いという事にはならないのは,各層が同時に作られて美味しいミルクレープを成しているからだ。時間のズレはあってもそれは深刻なものじゃない。思い出の数にも影響しない。思い出の質にも差異は産まない。姉妹とそれは同じじゃない。生まれ育った順番と,それは決して同じじゃない。裕福になったことが当たり前になって妹が生まれたから,妹はその前を知らないしパパもママも話はしない。忘れたのかもしれない。もう無いもの,なのかもしれない。でも私にとってはあった。子供の頃を表す背景で。
 無い物を数えることをやめ,有る物の少なさに悲しんだりせず,持てるものを見つける。持てたらそれを大切にし,壊れる前に直したりして無くしたら悲しみ,失ったらもっと悲しんだ。限りあることが常にあって残りの数をどう捉えるのかが悩みになった。半分もあるし半分しかない。どっちも感じる私であってどちらか一方なんて,そう簡単に決まらない。蛇口の真下にあるコップを取って飲めない心境で,横から誰かに飲まれたら,『ああ,やっぱ飲めば良かった。』とコップがあった所を見つめる心情。簡単と複雑の行ったり来たり。頭ぶつける角部屋な心。
 しかし実際には二階廊下の途中にあって角っこにない私の部屋に入って、私は出掛ける準備を始める。ショートパンツはもう履いている。起きてそのままに朝ご飯を食べない私は、洗面して着替えてからテーブルにつくからあとは,上半身を大きく変えることと伸ばしているし伸びている髪を束ねて,一応涼しげにすることだけだ。カバンは小さくていい。美しさも,また可愛らしさも今から部屋に帰宅するまで放り投げても,また帰って来る。
 素朴で機能的でないポッケの数のカバンの中,1つ2つの捜索の中で3つめに見つかったビニール製の水色バックは正方形で肩から下げる肩紐が細い。長さは私が,今より身長が低い私の時に調整したままだったはずだと思ったとおり,紐はまだ短かった。どれくらい長くしなきゃいけないか。それは分からないから一度提げてまた外し,紐の長さ調整に取り掛かる。固定箇所もすぐに見つかって,時間はそれほどかからず,修正なんて一度で終わってそのまま肩に提げ続けた。重くもないし,気にならない。邪魔になんてもっとならない。
 立ったまま,机に置いた手鏡の中で輪ゴムを咥えて見てみれば,パパに似た切れ長の眉にママに近い二重の大きな目がある。鼻は分からない。唇はママのお姉さん,つまり私の叔母に似ている。ということはママのママ,私のお婆ちゃんに似ている。ママも叔母もお婆ちゃん似だって、小さい頃に三人で出掛けた時に聞いたのを覚えているから。私の唇はお婆ちゃん似。バーツの多くはママ側だ。配置は?自分で聞いても分からない。そんなところは見たことない。パパかもしれない。そうじゃないかもしれない。
 妹はパパ似。完全にパパ似。だからパパを見ないのかもしれない。嫌でも顔合う妹の,顔を見る以上はしないのかもしれない。
 束ねた髪が跳ねるのを感じる振り返りで財布を取って,隣にあった鍵も持ってカバンに入れて,カバンを閉めて,私は部屋のドアーを開けて廊下に出た。不要な電気を点けない家の,どこかから入って来ている明かりのような光を感じて階下に下りる階段を進む。膝に負担なんて感じない。やっぱり下りは軽い。だったらサンダルがいいや。持ってる靴の凝り方で,減らされるものなんて1つも要らない。
 玄関ドアーの施錠を外す。ガチャっとなる。ガチャっと閉まる。






 真夜中に冷えてもどうしても夏の熱は残る。大したもので,何層にも重なって存在感を増していく。今はまだコンクリートな道路に染みていくだけなのだろうけど,そのうちに一番近くの気流になって素足なサンダルが汗ばんでいく。それは朝からの出来事になって肌もどんどん焼けていく。『暑いね?』なんて確認しなくて良い日が来る。
  既に門扉を閉めた私はショートパンツに半袖Tシャツを身につけて,ショートカットで車道を歩く。『住んでる車』しか通らないこの道は,車が来れば車道になってそうでなければ広い歩道になるとても近所な道だ。『カエルロード』にも繋がっている。だから私はここを通る。
 顔見知りのお婆ちゃんに仕草で挨拶したぐらいで『カエルロード』に入る。密かに下り坂になっている角度は急な猫に驚いて,玉葱か何か丸い野菜や果物を落とした漫画みたいなヒサ姉さんしか気付かないだろう。拾うために後方へ戻って行ったヒサ姉さんはそのことを,熱く報告してから東京に帰った。次に来るのは年末だろう。蜜柑でも転がすかもしれない。
 いつもは学校に向かう方向性も,今日は途中で降りてそこで途切れる。公園とかに良くある円柱の間をすり抜けて人専用で車は通らない『カエルロード』をあとにする。『パーラーみなみ』は遠くない。男子がパンチするノボリももう見えている。
『パーラーみなみ』は結構雑多で,ご注文のソフトクリームが熱々にたこ焼きを焼いている熱気の上を通過して渡される。お釣りは百円から三十円を引いた数。うまい棒もあるからきっかりゼロまで使う子もいる。私はたまにだ。カズちゃんはいつもだ。
 時間についでに見た携帯に入っていたメールは広告メールを除けば,カズちゃんの携帯から届いたもので,待ち合わせ場所は『カエルロード』が途切れる中間,『パーラーみなみ』となっていた。もっと言えばそこの外のベンチになるだろう。暑いとはいえ朝である夏にはまだまだ耐えられるし,『パーラーみなみ』は効きが悪い冷房機器を室内に備え付けている。
 期待通りにカズちゃんは,外に置かれたベンチに座ってたこ焼きを食べていた。ホクホクそうに食べているのが遠くて暑い。朝から何でも食べるカズちゃんに季節は関係ない。時間的にも距離的にも一番近いときはすき焼きを美味しく朝から食べていた。冷房の風を背中で受けてご馳走様まで見ていた炊きたてのご飯はあまり気分のいいものじゃない。
爪楊枝を持った手で見つけた私に手を振って,応じた私にカズちゃんは「おふぁよう。」と言った。私はちゃんと「おはよう,カズちゃん。」と言った。
「ごふぇんね,はまんできなふて。」
「いいよ,もうカズちゃんらしいし。」
「いっふぉどう?」
「いいえいいえ,ケッコウです。」
「うん,分かってた分かってた。一応礼儀でね,聞いてみた。」
 一個食べたカズちゃんがもう一個食べ始めたので,私は店内に入ってシャーベットを頼んで50円を払ってから受け取った。味は見た目まんまのメロン味。それなりに美味しい味だ。ベンチに座れば隣のカズちゃんが『それもいいね。』と見ているのを『お腹壊すよ。』と教えるように,先が開いたストローでシャクシャクいわせて一口目を掬って頂いた。すぐに溶けた夏だった。冬でも同じなのは忘れていた。
 「どう?」
「調子?」
「うんそう,調子。」
「見ての通り。」
「まあまあ?」
「うん,まあまあ。」
「ぼちぼち?」
「うん,ぼちぼち。」
「じゃあ調子いいんじゃん。」
「良くないよ。」
「だって,ぼちぼちって。」
「謙遜,なんてないぼちぼち。」
「じゃあやっぱりまあまあか。」
「うんそう,まあまあ。」
 食べ終わるまでの暇つぶしの会話は,私とカズちゃんが始めるいつもの会話だった。どうでもいいのがいい会話はなかなか出来ない。教室の隣席のイシヅカさんとは出来ない。意味ある会話しかイシヅカさんはしない。
 たこ焼きを食べ終わってうまい棒は食べずにオレンジジュースを買ってきて飲んでいるカズちゃんは今日も晴れた青空と,見えないところで実は繋がっているかもしれない屋根から顔出す数個の,真っ白な雲を見ながら私に夏祭りの頼みごとをしてきた。
「今週の土曜日にさ,夏祭りあるじゃない?」
「うん,あるね。」
「わたしさ,キミオくん,好きじゃない?」
「うん,出会った小学校三年生から好きだって言ってたね。」
「うん,そう。ずっと好き。」
「それで?」
「うん,そう続き。でね?」
「うん,それで?」
「キミオくんはマサオくんと仲がいいんだよ。」
「うん,知ってる。クラス違うのに廊下でよく話してるし,部活も違うのに放課後も待ち合わせて帰っていることも多いね。」
 私は吹奏楽部でカズちゃんは合唱部だから活動場所が音楽室周辺と近くて,私たちは部活終わりで一緒に帰る。その途中の始め,学校の校門付近から二人は他の部活仲間で仲がいい男子とかたまって帰るのを必ず見かける。二人とはクラスが違うし同じになったことも無いけど,カズちゃんはキミオくんと同じクラスになったことも一度じゃないし,私も何となくの顔見知りだから,目が合えば『いま帰り?』って感じで声をかけたり,手を振ったりして何となくの交流をする。
「そうそう,マサオくんも野球部の補欠だけど,」
「キミオくんはバスケ部のレギュラーで準エース。」
「そうそう,でももう,すぐにエース。」
「はいはい,そうだね。『もうすぐ』エース。」
 カズちゃんは少し睨む気配を漂わせて続ける。
「『もうエース』のキミオくんがね,夏祭り,一緒に行ってくれるって。」
「あらホントウ。ソレハソレハ。」
 信じていなかったというよりは冗談だと思って応じた私にカズちゃんは予想通りとも期待はずれとも取れる顔を,見合わせた私に見せた。仕切り直しにオレンジジュースをカズちゃんは吸う。私はシャーベットをメロン味でシャクっと掬って一口頂く。喉を潤したカズちゃんは話をまた始める。
「うん,そう,本当なの。キミオくんと,夏祭りに行けるの。マジで,行けるの。」
 そのトーンとさっきの表情と間を合わせれば,カズちゃんは本当のことを冗談抜きで言っていたことに私は気付いた。時間差があった分だけテンションは上がる。喜びと驚きで出る質問は朝でも早い。
「え!マジ?本当なの!?何で?どうして?」
「うん,マジで本当。何でどうしてかは頑張ったから。誘ったの。私が直接,面と向かって。」
「え,『それでOK』ってもう,決まりじゃないの?そうじゃないの?」
「うーん,そうかもしれないし,そうじゃないかもしれないし。」
「何で『うーん』ってなるの?何かあるの?」
「うーん。」
「うーん?」
「うん。」
「うん。」
「うん。」
「うん。」
「うん。」
「うん?」
「うん?」
「うん?」
「うん?」
「何?」
「何?」
「何よ?」
「うーん。」
 振り出しに戻っては同じところに行き着いて,また振り出しに戻る会話は二往復で止めた。どちらかは忘れたけど,どちらかが止めた。カズちゃんがオレンジジュースを飲み干して,私がシャーベットをメロン味でシャクっと大分食べ,最後にジュースのように飲み干してからカズちゃんは私に本題を話し始めた。
「Wデートって知ってる,よね。」
「知ってるよ。」
「じゃあ,大丈夫だ。」
「何が大丈夫なの?」
「はじめた話はほとんど済んでいる,ってこと。」
「まさか。」
「まさか。」
「そうなの?」
「そうなの。」
「行ってくれる?とか?」
「うん,そう。行ってくれる?」
「私がそういうの,」
「嫌だってことはよく知ってる。友達だから,よく知ってる。」
「じゃあ答えは,」
「『No!』,なんて言わないで。お願い。」
「じゃあ嫌です。」
「それも出来たら言わないで。」
「もう言ったよ。」
「じゃあ改め直す機会をあげます。『ハイ。』って言う?」
「言いません。」
「言いましょう。」
「言いません。」
「言ってみません?」
「言ってみません。」
「行きましょうよ?」
「行きません。」
「一度でいいから,」
「行きません。」
「二度目はないから,」
「一度目も行きません。」
「いや行きます。」
「ちょっと,勝手に決めないでよ。」
「じゃあ行きましょう?」
「行きません。」
「あ,ズルいです。」
「何がよ?」
「『勝手に決めなければ行きますよ?』って雰囲気,醸したところ。」
「醸したりしてません。」
「しました。確かに。」
「してません,確実に。」
「お願いです。」
「聞きません。」
「お願いします。」
「叶えません。」
「叶えて下さい。」
「他の子でいいでしょ?」
「駄目なの。」
「何でよ。」
「他の子じゃ駄目。」
「私じゃなきゃ,ってこと?」
「そう,駄目ってこと。」
「でも理由は,」
「言えないの。」
 私の眉間に皺が出来て,その分重くなった頭を抱えた。
「言えないってことは,」
「うん,流石,そうなの。そういうことなの。」
 『はあー。』と言わない溜め息短く,聞きたいことも短くなった。
「相手。」
「キミオくんと仲がいい。」
「部活。」
「野球部。」
「私は『ソイツ』を,」
「うん,知ってる。さっき話してたし。」
『はあー。』と漏れる溜め息に,カズちゃんの「ねえ,お願い。お願いします。」が連呼して重くのし掛かる。さらにカズちゃんは私に色んな食べ物を『奢ってあげる!』と力強く約束してくる。しかし私は『うん。』とは言わない。
「そのWデートってさ,実のメインはカズちゃんとキミオくんじゃないよね?二人はサポートで,だからある意味カズちゃんはキミオくんに頼まれて,」
「オッケーを『した』ほうなの。」
「けれどもそれでカズちゃんは,結局の目的は達成されるから,」
「寧ろチャンスと思って,只今こうしてお願い中。」
「カズちゃんはこの流れに不満は,」
「ないので今もお願い中。ある意味まだチャンスだし。」
「ああ,カズちゃんらしい。」
「そうでしょ?」
「うん,とっても『カズちゃん』しすぎ。」
「そうでしょ?」
「『カズちゃん』だから,」
「諦めないし,」
「既に相手と,」
「土曜日は明後日だから,明後日のココ,『パーラーみなみ』の午後六時に待ち合わせする予定の約束。」
「私の返事は?」
「『きっと大丈夫っ』て言っといた。」
「はあー。」
 今度こそ声に出して私は溜め息を吐いた。下から斜めに見上げるカズちゃんはすぐに見える口元から愛想の良い笑顔を浮かべている。私は言う。
「あのね,『お願い』も何もないよ,それじゃ。事後承諾ってやつじゃん。ただの報告じゃん。」
「そんなことないよ。断られたらこの約束,無かったことにするつもりだったもん。きちんとキミオくんに電話して,ゴメンて謝って,無かったことにするつもりだもの。無理してなんて私の性に合わない。断ってもいいよ。全然いい。でもお願いもする。だから,どう?四人で祭りに行こう?」
「その前に。」
「うん何?」
「私がそのお誘いを断ったとするよね?」
「うん。」
「それでカズちゃんがキミオくんに電話かメールで連絡するよね?」
「電話にする予定。」
「うん,それでね,カズちゃんはそこでどうするの?キミオくんと一緒に行く夏祭り,諦めるの?」
「ううん,誘うよ。『でも二人で行かない?』って誘うよ。」
「キミオくん,怒るかもしれない。」
「うん,そうかもしれない。」
「断られるかもしれないよ?そっちのほうが起こりやすい流れだよ?」
「うん,そうかもしれない。その時は謝る。謝ってから,言う。」
「許して貰えないかもしれないよ?イイカゲンナヤツって思われて,もうお終いかもよ?」
「うーん,そうかもしれない。それは嫌かも。うーん,でも。うん,でもやっぱり言う。」
「何で?」
「お終いかどうかなんて,個人的事情だよ。問題もあるけど,例えばストーカーとか,でもやっぱり個人的事情。神様にだって決められないもん。やって見なきゃ分からないことは,やって見なきゃ分からない。」
「夏祭りに一緒に行けないかどうかは,一緒に行けなくなるまで分からない?」
「うん,そうそう。返事だけじゃ,約束だけじゃ確かじゃないもの。」
「誰かさんの返事みたいに?」
「そうそう,まるで私の返事みたいに。」
「それが好きな相手に対するものでも?」
「そう,そこのところがどうしても変ってくれない。うん,とても厄介なことです。」
 カズちゃんはとても真面目に困って見えた。たまに本当に困っているときがあるのが分かるのは,付き合い長い私に分かってしまうから厄介だ。だから言う。
「つくづくカズちゃんって,」
「うん,私らしいでしょ?」
『はあー。 』と声を出さず,息だけ吐いた三度目の溜め息は,人を前向きに諦めさせると分かった夏の早朝にゆっくりと漏れ出た。『パーラーみなみ』の屋根越えて出て来た気温を上げる午前の陽射しに,ベンチごと影が健康そうにすくすく伸びて,『カエルロード』に向かった。方向性って大事だ。流れようと流されようと。約束は守られるだろう。そして何なのかはまだ,決まってないけど,カズちゃんは私に奢ることになるのだ。例えば隣町の特大ワッフル。また例えば『パーラーみなみ』の,ソフトクリーム二人の分。







 部屋のドアは開ければ窓を閉め忘れた風が入って,カーテンレースを随分と部屋の中まで入れていた。机の上?整理されて散らかっていない。クローゼット?乱れてなんていやしない。箪笥の中?下着も靴下も可愛く出番を待っている。青い花咲くポーチの中。背後の本のラインナップ。カーペットの起毛具合。誰彼構わず見せてもいい。吹出物のの気配もないのだから。
 ドアーを開けっ放しにして部屋に入ってすぐ,妹は二階で目の前にある廊下を通って行くところだった。さっきから帰って来ていたのだろう,出かける時にはいつも提げている桃色に咲く花が目立つ鞄が見当たらず,カズちゃんと隣町までウィンドウショッピングをし,フードコートのファーストフードで夕飯を済ませてきてから私は家に帰って来た。通った一階にはママも居た。そしてパパは居ないだろう。確認するまでもない。最後はパパの,家の順番。
 私より奥の廊下の突き当たりが自分の部屋のくせに妹は,開いた私の部屋の入り口に立って多分食後のアイスを食べながら話しかけて来た。片付けている私は荷物を片付けるために片付けるための動作をやめないことにした。背中はだから向けているし,顔も上げない。
「どこ行ってきたの?」
「別に。」
「別にって何よ。答えになってない。」
「そう?」
「そうだよ。どこ行ったの?」
「どっか。」
「お姉ちゃん。いい加減にして。」
「そう?」
 妹は間をあけてする溜め息を重く短く吐いた。まだ居るから,また話すだろうと思ったら,やはり妹はまた話し掛けた。
「何か買ったの?だとしたら見せて?」
「何それ?」
 上げた顔を妹に向けた私は,妹を見てしまった。分かっている過敏さは炎症のように敏感になって,質問をしたがっている。『どういう意味?』の意味合いを探りたがっている。でも今の勢いじゃ駄目だ。子どもにも思える私なんて,妹に見られたくない。視線を送るだけの今は,視線を送るしか出来ない。言葉は少しも漏らせない。けれども視線だけの間もうまいことにならない。制御して先に出す言葉は,反復だった。
「何それ?」
「『何それ?』ってなに?買い物したかどうか,ただ聞いてるだけじゃん。」
「何で買い物って決めつけてるの?」
「決めつける?別に決めつけてないよ。新しい服でも買ってたら見ておきたいじゃん。どうせ貸さないって言うだろうけど,どうせまた内緒でも借りるし。」
「貸さないよ。」
「ほらね。やっぱり言う。でもそう言うってことはやっぱ買い物したんだ。ふふーん,『語るに落ちるは犯人』ってやつだね。ムキになって,隠しちゃって。あーあ,大人気ない。」
「何も買ってないよ。」
「もう信じないよ。そんなウソ。」
「買ってないよ,何も。」
「『今度借りるね。』を,今にうちに言っとく。『今度借りるね。』。」
「買ってない。買ってないよ。」
 何を焦ったわけでもないのに入り口から居なくなろうとする妹を引き止めるように言った言葉は,廊下を抜けて玄関付近に転がって止まらず,妹はそのまま奥に帰って行った。すぐに閉めてしまったドアーから離れて私は鋏を仕舞う場所を間違え,携帯を置いた場所を忘れてしまった。本当に私は何を焦っているのだろう。何を焦ったのだろう。ズクズクと疼くのなら気休めにさすることだって出来るのに,あいにくどこも疼きはしないし痛みもしない。痛いはずなのに痛まないことも,常に痛いことも,痛みと随分長いこと付き合わされるし悩まされるのが,きっと辛い。そう思える。





屋根をトランポリンに代えてしまってでも耳に聞こえる祭囃子の音がもう近くに聞こえる待ち合わせは,只今影の主人公待ちであった。『パーラーみなみ』の前には私を含めて三人いる。私の他の男の子に間違いはない。マサオくんは時計を見て,キミオくんは私を見て言った。
「カズ,遅いね。」
「うん遅いね。」
「お腹でも壊した?」
「それはない,かな。見たことないし。」
「だね。俺もそう思う。」
 間を埋めようとして起きた笑いは私とキミオくんの顔見知りな関係を少し積極的にして,まさに『一所懸命に』に頑張っていた。何せこれから夏祭りを過ごすにしては知り合いが少な過ぎるし,マサオくんは未だに時計を見ているから,誰かが何かをしないと歯車が回らない。黒幕不在じゃ動かない悪巧みは,問題なく計画が成就するより広範囲でとても迷惑なのだと思う。メールで来ると言っているカズちゃんの姿は視界に収まる範囲に居ない。『早く来てよ!』と思って願う。
「マサオ,今何分?」
まだ時計を見ていたマサオくんを,会話に加える意図でキミオくんはマサオくんに話し掛けたように見えた。マサオくんは「六時二十分。」と言って初めて見せる笑顔っぽい笑顔を見せながら,「確かに遅いな。」と言った。キミオくんがお決まりとばかりにカズちゃんに三人分,奢らせることを決めたから三人で笑って,場はこなれた雰囲気が漂う予感に『温まった』感じがした。私達は前期最後のテストの結果や通知表のそれ,またそれぞれ違うクラスの目立つ話題を話し始めて,笑ったり,同意したり,『うそっ?』と小さく,驚いたりもした。二人ともよく話すけど,必ず私を含めて話をした。会話の内容の外にある気遣いのサインは人の仲を良くさせる。
 マサオくんもキミオくんも背が高いからどうしても見上げてしまうのだけれども,その感覚は悪くなかった。頼れることに通じるようなその動作に好感は生まれるのだろう。夏休みの部活の話から,マサオくんの日焼け具合と二人の背の高さに話が及んだ時に二人,特にキミオくんは,背なんて高い方じゃないって言っていたけど,バスケ部の常識と補欠とはいえ野球部の体躯の良さは吹奏楽部な私には十分なものだ。
「いや,十分高いよ。」
「そうかな?でも自分としてはもっと欲しいんだよ,身長。」
 マサオくんが短く刈り込んだ後頭部を撫でていう。彼が着ている浴衣の袖が大きく広がって,縦線と横線が描く格子模様が目立つ。自然に捲れる袖口から太い腕も見えてしまう。
「マサオ,身長あれば先輩押しのけてレギュラー投手狙えるって『豪語』してるしな。」
「『ゴウゴ』の意味わかんなくても,からかってるのは分かるぞ。これはマジな望みなんだよ。」
「マサオは投手以外でレギュラーは要らないんだってさ。勿体無いよな?」
「うーん,でもそういうのもアリだと思う。吹奏楽部で言えばトロンボーンとかも上手く吹けるのに,指揮者を狙い続けるようなものでしょ?」
「うーん,そう,なんだろう,けど。何だろう。何か違う気もするな。うーん。」
「チームコントロールっていう点で,指揮者はどっちかというとキャッチャーに近いかも。投手は,そうだな,自分の中のイメージでは先頭切ってチームを引っ張るって感じだから,各楽器のエースってとこかな。そういうの,いる?」
「うーん,いるといえばいるけど,先頭切ってる感じは,あんまりしないかな。ある意味固まりで鳴らすハーモニーが重要だから音を合わせないといけないしね。室内楽とかに限れば,そのイメージに近くなるかもしれない。」
「『シツナイガク』って?ごめん。あんまり音楽に詳しくなくてさ。」
「ああ,そっか。『室内楽』っていうのはね,…」
  それぞれの個性があるイメージに,『尊重』というちぐはぐでも隣に立って同じ景色をみようとする気持ちが加わって,話は色んなところに顔を見せる。色んなところに転がっていく。今は私がマサオくんに『室内楽』について説明しているところにキミオくんは何も言わず,でも一緒に聞いていた。キミオくんはさりげない役割を,さりげなく果たしているようだった。ある意味私も役割を果たしている。いずれ,キミオくんとカズちゃんというシチュエーションと時間は,自然に生まれる予定なのだから。
 マサオくんが『室内楽』の,勉強会っぽいイメージを払拭し始めたところで,カズちゃんから『もう着く,ごめん!』のメールが届いて,カズちゃんが小走りで走って来ているのが見えた。確かにもう着いたカズちゃんは私達三人にしきりに謝って,キミオくんからのペナルティ込みの『奢れ命令』に従うことを誓っていた。嬉しそうに見えたのは私の気持ちがからかい半分で映す表情だったのかもしれない。
 三十五分遅れで四人が無事に揃ったところで,私達は夏祭り開催中の『かえるろーど』に向かって歩き始めた。その途中,カズちゃんは遅れた理由を話した。お母さんが選んでくれた黄色基調の花柄な浴衣がそれ以上出来ないってくらいにデコレーションが施された携帯と合わなかった。家にはまだ浴衣はあったから,それに合う浴衣は残念にも無いというお母さんの進言はすぐに受け入れられなかったそうだ。それを知り受け入れたのは,待ち合わせ時間を諦めた五分前だったと言う。
キミオくんとマサオくんには『どうしても外せない家の用事』と漠然と,しかし申し訳なさそうに伝えて,「勝負のときに,待ち合わせ時間は破らざるを得なかったのだよ,同志。」と,友人の黒幕は友人である私に真剣に言った。「あ,あと,マサオくんとも話す時間を既に設けたのよ。」と,とって付けたように言っていた。





出店が並ぶ『かえるろーど 』を夏祭りを訪れた人たちが向こうに行く人たちとこちらに来る人たちの,二つの流れになって往き来する。聞き分けられずに声はただ楽しそうな雰囲気を生んで,夏祭りは始まっていた。一番近くのライトが剥き出しで眩しい。過ぎても次のライトで眩しい。
 人が多く通るところを四人一緒に,と歩くのは難しい。だからといって個人個人で歩くのはつまらない。だから二人と二人で歩く。偶数はこんな時にすごく良い。初めは男の子同士と女の子同士。立ち止まる出店,例えば焼きそばからりんご飴まで扱っている万能店などで四人並んで会話して,食べ物を買って抜け出れば,流れで別のペアが出来たりする。たまに私とキミオくんというペアもあるけど,やっぱり基本は私とマサオくん,カズちゃんにキミオくんという組み合わせだ。今もそうで,座る場所を(というより立てる場所を)探して歩いている。
 夏祭りは『かえるろーど』で開かれているけど,そこに限られていないのもまた夏祭りだ。『かえるろーど』に繋がっていて,人が通る道であれば出店は開かれ人はまた集まる。夏祭りは周辺で行われているようなものになる。どこまでが夏祭りで,ここまでが夏祭りと,はっきり分からないものまた良い。
 食べ物を新たに買いに行くわけでなく,もう居なくなる様子を感じるカップルが空けそうな『かえるろーど』に立つ木々の間に当たりをつけていたマサオくんが,急ぎ足でその場所を確保してから私達は皆で立って『戦利品』を頂くことにした。私とカズちゃんはお互いに分担を決めて(私がジュース係,カズちゃんは食べ物係),お互いに欲するものを提供したり,キミオくんがマサオくんに焼き鳥を『あーん。』としてあげたりした。ここでなら誰でもしそうな光景でも十分楽しいのは,やっぱり狭い範囲でひしめき合って灯す強く光だったり,暗闇混じりでありながら明るい皆の顔だったりするのだろう。そう思った。
「下向く癖,あるね。」
 カズちゃんの口元にストローを向けて炭酸ジュースを『あげていた』私に,マサオくんが確認のような質問をして来た。私はマサオくんを見た。マサオくんはたこ焼きをもう食べ終わって,ウーロン茶が入ったカップを手に持って,飲んではいなかった。
「え,ああ,うん。そうかな?」
 私はちょっと誤魔化したくて曖昧に返事をした。大事にしたいことの気配があったのだ。仕方ないのだ。
「うん,なんとなく,というか基本的に,というか。」
「そうかな。ああ,でも,うんそうかも。こんなに人が多いからね。転けないように,だったり踏まないように,ね。それに,ほら。今日は下駄だし。」
紺の浴衣の裾を直しつつ私は,鼻緒が三色で密かに目立つ下駄の横や後ろを見せるように動いた。
「そっか,成る程ね。いや,『ここ』に来てから特にさ,下向いてる気がしちゃって,何かあったのかなー,ってね。ほら,ね。」
 マサオくんは『あわあわ』が似合って『ホッとした』のを隠せない様子で,左隣に立つキミオくんを見た。『ああ,そっか。』と思ったのはキミオくんも同じようだった。
「お前はヨコ,見過ぎじゃないか?俺,何度か踏まれそうになったのをずっと回避してる。」
 『気をつけておくれ。』という顔で冗談めかして言うキミオくんに「そっか,そうか?」と,誤魔化そうとするマサオくんはキミオくんを見てから私を見た。私は笑って,マサオくんも笑った。気にしていることが同じじゃなくても,ホッとしたのは多分同じだった。
「キミオくん,これ食べた?」
 と言ってカズちゃんはジャガベーコンが入ったパックを差し出して言った。キミオくんは「あ,まだ食べてないわ。」と応じて既に上手にジャガイモとベーコンが刺さった爪楊枝を摘まんでから,ジャガベーコンを食べた。「美味い!」に続けてキミオくんは「カズ,ありがとな。」と,カズちゃんに言って爪楊枝をまた刺した。カズちゃんは嬉しそうで,私は喜んだ。
「さて,次どうするか。よりデザートでも頂くか,それとも何かゲームでもするか。」
 そろそろ終わりそうな『食事タイム』を見計らって,キミオくんは円を囲む四人真ん中辺りに『夏祭りの議題』を置いた。カズちゃんはデザートの購入を強く所望したけど,ゲームも一回ぐらいは良いんじゃないか,という方向で決まりそうであった。私は円卓で簡易なその議場を,少し離れた気持ちで通りを眺めた。行き交う人の量は正確には分からないけど,大まかには変わっていないようだった。ただそれでも見つけたのは,やっぱり家族だから,なんて言われるのかもしれない。
 妹はパパとママと一緒に来ていた。『かえるろーど』の夏祭りに,三人で来ていた。







 『動揺の定義はコントロールの困難性と不可能性にある』って手足が長くて小難しい従兄弟のケイ兄ちゃんが言いそうだけど,『確かに。』って私は一人で思ってしまった。勝手に始まるのが動揺で,収まらないのが動揺なんだ。そうして欲しいのにそうならない。反動みたいに動悸する。
 私が知らないだけだろう。三人であんな風に出掛けることを。私が見ていないだけなのだろう。三人はきちんと『家族』していたことを。そして私が関わっていないからだろう。三人があんなに話すのは。あんな風に笑うのは。
「どした?何かあった?」
 カズちゃんに呼び掛けられ,キミオくんもマサオくんも私を見て,ただ二人は聞いていないだけだった。私は動揺を抱えたままに三人を見てしまったために,何かを上手く言える自信が無かった。だから取り敢えず事実を言った。
「あ,ウチの家族が,居たから。」
「そうなの?どこどこ?」
「あ,そこ,だったんだけど。もう,居ないや。気のせいだったかも。」
 人通りは流れるから振り返ればもう,三人は居なかった。見えなくなって良かったのか,見えなくなったために,なのか私の気持ちはまたどこか変わったように感じて,少なくとも動揺は収まる方向に傾いた。だから事実以外のことも言えた。
「で,どうする?どこ行く?」
 取り直す私の言葉にマサオくんは応じてくれた。キミオくんも同じだった。
「うん,水風船でも取ろうってさ,ことになった。まあその前に綿あめとかも買うけど。」
「カズのご所望。で,カズの奢り。」
「いいでしょ?どうせ奢るなら私が一番好きなものってことで。」
「もちろんもちろん。つまみ食いの一つもさせないけど。」
「『そんなこと』はさせません。」
 私の家族を探していたカズちゃんも会話のために『さっきのあそこ』から戻ってきて,私達は四人でまた『かえるろーど』に入っていった。ライトは今も眩しいから,私はじっとそれを見るようにした。眩し過ぎても目に良くないから,それで良いと思った。あるいはまたじっと良く足元を見た。今は蛙が居なかった。私の足は歩いていた。





 行儀良くなって白色は決められた本数を,立てられた場所から届くだけ照らして途中であっさりと諦めて次に任す。暗闇が多くて明かりが少ないのは同じ夜なのに夏祭りと随分違う。下駄の音が,すごく硬く響くのも。
 帰り道とするのをやめた道は,何と言えばいいのか分からない。方向からしてまた,『かえるろーど』の祭り会場に向かってしまっているけど,夏の祭りはもう終わっている。沈黙するスピーカーは日常感を無音で伝え,祭囃子ももうすでに来週へと引っ越して,隣町に行かなきゃもう聞けない。お面の一つも買ってないから,遮蔽した余韻も感じられない。
 夏祭りは最後まで過ごした。会場にも最後まで居たし,それまでに水風船,ダーツ,ゲームが当たるクジ引きから輪投げと,並んでいたからという理由だけで遊んだゲームもあった。りんご飴は美味しかったし,イチゴ飴なんていうのもそれなりに口に合った。カズちゃんはあれからも沢山食べたし,キミオくんは変わらず皆の間を取り持って,育った親交をさらに育て,マサオくんは私を気遣って少しだけ話したり,少しだけ黙ってくれたりした。私も皆と話して皆と笑って,皆と食べ歩き,皆と過ごした。積極的だった?それともあるいは,自然だった?聞かれれば首を振るような,随分とした半端さだったかもしれない。『パーラーみなみ』でしたお別れは,ホッとしたものにも,寂しいものにもなったから。
 帰りたくない自分になりたくないから家に帰らない私は,何処にも行けないと知って,ますます家に帰れない。大事な場所になんてなって欲しくない場所は大事なものなのか,なんて思ってしまって嫌になる。『やっぱり』はつけないで『どうしても』を付けて繰り返し考える意地は,こんなにも頑張らなきゃいけない。
 再び訪れた『かえるろーど』の通りにはまだ屋台が残っていたり,近くのゴミを拾う人も少しは居たりするけどやっぱり閑散として,終わった祭りは寂しさが余って徘徊していた。真ん中を歩くのは変に目立つから通りの端を歩いても,浴衣姿の女の子が大人でもないのに一人で歩いていれば,その場に居る人は気にかけてくれる。「どうかしたかい?」と声まで掛けてくれるおじさんに「ちょっと落とし物を。」と言えば,「そうかい。一緒に探そうか?」とまで言ってくれて,「あ,大丈夫です。ちょっとしたものなんで,大丈夫です。大丈夫です。」と何らかの事情があるような言い訳をして,歩き続ける時間を拾い集める。人の少ないところに行かなきゃいけない時間なのだ。私はまだ大人じゃない。
 屋台の裏を歩いたり,刈り込まれた草むらにも入ったり,無い何かを探したりするフリもして,着いたのは麓で神社ごと,一段と暗かった。神社に向かって上がっている階段の三段目まで登ってから,もうしゃがんだ。雪のように夏の暑さから免れた冷たさが石の表面からお尻に伝わって,座ったことを実感する。立てないなんて,思ったりもする。動かなくなって散漫さを失った意識がようやっとこさという感じで心のうちを探り出す。
 私は何をしたいのか。私は今からどうするのか。
 現在進行形のような疑問を立てても,どうやら答えは過去になりそうな予感を既に感じていて,それでももっと時間を逆巻いた疑問文を作る気持ちにはなれないのが,すでに答えじゃないかと答える私自身に逆らって,そうしてまた何をしたいのか,今からどうするのかと繰り返す。何も出来ない結果。何もしない結果。何にもならない結果。でも何でもないって言えない結果,私はまた止まっている。一人ぼっちで止まっている。
 開けても同じだから目も瞑って,また開けて,また瞑る。眠れない時より嫌な気持ちは意識に重さを与えて息苦しくさせる。浴衣のせいにする。帯のせいにする。見てしまった自分のせいにして,妹のせいにする。二人のせいにしてまたバラバラにして,パパとママのせいにもする。何で居たの。何で笑うの。私は居なくて,何で何で。
  『日頃のせい。態度のせい。』。小難しいケイ兄ちゃんが長い手を組み足を伸ばして,私に向かって言う。それに対して答えなければ,これはまた疑問になってしまう。『答えないのは?分かっているのに?』。『望み』の高らかな靴音が闊歩して聞こえて来て,分厚いくせに軽い扉に背中を預けて凭れ始める。その分倒れそうになる方向で私は前に押されて,『さあ,どうする?』って問われるように感情が凪になる。妹と同じ体重の,『望み』がそこで欠伸をしている。二酸化炭素を増やしている。お姉ちゃん,どうしたい?お姉ちゃん,そうしたい?
 忘れ物を取りに行きたいのに近いんだ。けれどもそれより性質(タチ)は悪い。邪魔なおもちゃを仕舞った箱から,一番大事なものだけを取り出して,見て見てって,言いたいんだ。変わっていないものを変わらないままにして,もう蓋を,閉じてしまいたいんだ。あの頃の狭さのまま,あの頃の数のまま。置いてけぼりに感じる変化に季節の足まで引っ張って,まだだよって,ここだよって。
 要らないものは要らない。だから,要らない。






 欲しい靴を買ってもらった時は嬉しくて,何度もママに『ありがとう!』って繰り返して,ママも嬉しそうだった。パパは『うんうん。』ってずっと持っていた荷物を降ろすようにして頷いていた。店内であることとはまた違った温かい空気は,家族皆の気持ちを温めた。ママに抱っこされて妹も,ぬくぬくと眠っていた。その妹も靴を買った。当然だ。私も買ったんだし,妹はそろそろ歩く。妹の最初の靴は私が選んだ。可愛いリボンが付いていた。色はお揃いだった。
 お家は広くなった。高くもなったし,自分の部屋も出来た。大きいテーブルにはスペースがあって,潜って帰宅し,立って外出するお家の中の『おうちのママゴト』をした。歩けるようになった妹とリビング中を走り回って怒られたり,庭を走り回って怒られたりした。パパの帰りはその頃から遅くなったり,ママも何かと『他人から見たら』が初めにつく話をよくするようになっていたけど,四人で過ごせば温かさは広い部屋のテーブル分だけ漂って,ホットココアも美味しくした。コップだってあの三色が,咲いて何も変わっていなかった。朝しかパパを見なくなり,ママの話し方も似たような感じになって来た。 
 歩けば後ろをついて来ていた妹も私の隣に立って同じものを欲しがったり,自分だけのものを欲しがったりして大きくなって『アリガト。』なんて軽くも言わなくなり,『買えない理由』を問いただすようになるころに私はママに「あれはよくない。怒るべきだよ,ママ。」と言った。
 「しょうがない。」とママは言い,「小さい頃から何でも買ってあげていたから,」と続けて「幾らか値段を言いなさいって伝えて。」と,私に頼んだ。買ってあげられる状況だから,買ってあげられない事はしたくないから,それも一つの考えというのは理解出来る。
『けど,ほらママ?だけど,ねえママ?』。
 そう思って,だから伝えたのに,パパは何も言わなかった。あえて言う気から何もかも,パパにはないようだった。新聞紙ごしに話すパパ。今思えば,今とそう変わらない。
  一個のものを盗む。そして何も買って貰わない。また一個のものを盗む。やっぱり何も買って貰わない。いつかバレる。だからバレる。未成年者の保護者であるのは法律上も事実上も親だと思うから,ママは来た。パパはやっぱり忙しかった。
 言われたことは「幾らなの?」。そして「次からは言いなさい。」。
 靴にバッグに可愛いスカート。綺麗な時計にワンポイントなカチューシャ。一対のピアス。ピンキーリングな一個の指輪。ベッド。頻繁に変わるルームシューズ。靴にバッグに可愛いスカート。綺麗な時計にワンポイントなカチューシャ。一対のピアス。ピンキーリングな一個の指輪。ベッド。頻繁に変わるルームシューズ…。
 いつからかの価値観のすれ違いはそのままに,行った行為の隙間は埋まらず,行儀の良い走り幅跳びみたいに引かれた助走距離は誰も走らないから何も起こらず,フライングにさえ怒られない。知っているか知らない妹は態度を変えず,それでも私と違う感覚ですくすくと育って,今じゃ背丈もそんなに変わらない。妹は素直にものを見るんだそうだ。妹は愛想も良いんだそうだ。妹は良く笑う。妹は良く走る。妹は良く話して,あまりにも黙らない。
『塀を飛び越えすぎるように見えてしまっているんだ,お前には。そんなことはないのにな。価値観に,古いも何も無いと思うけど。』。
  小難しいケイ兄ちゃんが,長い足を組んで私に向かって言う。じゃあ,私は文句を言う。
『私だけが置いてけぼりに,なってるように思うんだから,仕方ないし,もう遅い。理解なんて,ないんだもの。』
『あの態度が,何も言わないのがお前の両親の理解の仕方だったら?お前の気持ちを理解した上での,更なる理解だったら?』
 少し怯んで,けれど言う。
『そんなの,分からない。そうだとすると,理解出来ない。』
『そう,理解出来ない。理解は難しい。理解は大変だ。』
 小難しいケイ兄ちゃんは長い手を折り曲げてから指を鳴らして,背中を伸ばすために腕を頭より上に伸ばしながら言った。最後には欠伸までした。頭に来て,まだ黙らない。
 『分かりやすい言葉を知らないの?理解しろって言ってんの?』
  皮肉を意に返さないケイ兄ちゃんは変わらない小難しさを言葉で表現して言う。
『いや,ある意味褒めてもいるんだよ,俺は。優しい遠慮。誰に対してと言えばパパとママ,またお姉ちゃんな自分。ということは妹にも,だ。家族のため。皆のため。置いてかれてるんじゃなくて,立ち止まってる。』
『馬鹿にしてるの?』
『褒めているって言ってる。』
『馬鹿にされてるとしか思えない。』
『要らないか?こんな言葉。』
『要らない。』
『要らないか。』
『要らないよ。』
『要らないもの,多いなお前。』
 言われて黙る私は。言われて言えない私は。
『どうしたいって,また聞くか?』
『さっきも聞いたよ。自分で聞いた。』
『さっき,か。』
『ずっと,だよ。』
『そうだな。ここまでってところか。』
『うん,そうだね。』
『ここからってところ,か?』
『わかんない。』
『わかんない,か。』
『わかんないよ。』
 小難しいケイ兄ちゃんは珍しく小難しい何かしらも言わず,長い手足で立って私の頭をひと撫でして去って行った。本当に来ていたのなら多分乗り換えがない各駅電車で,遠くの街に帰って行ったと思う。ケイ兄ちゃんに会いたい。小難しいこと,言って欲しいから。待っていても来ないけど,顔上げなくても,やっぱり何も変わらないけど。ああ,まただ。ケイ兄ちゃん,どうしよう。やっぱり『ここまでっ』て,感じちゃう。
 向井神社に背を向ける,私と付き合い深くなる。『かえるろーど』の下の部分。見えない土の,見えない湿り。



(つづく。)



 






 




 

かえるろーど(一)

かえるろーど(一)

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-01-11

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