蛾様蜂

学生時代の友人に誘われ、植物園に来た。彼は昆虫学者として世界的に有名になっていた。最近はもっぱら国外へ出向き新種の発見をし、その傍らで著作を出版している。一方私は名の上がらない数学者で、ただの会社員になった。数字が好きだという理由だけで経理の仕事をしている。そんな社会的立場こそ違うが、お互いにとって数少ない友人の一人であり、もう十年そこそこの付き合いになる。あの頃はお互いに、友達なんて必要ないなんて思っていても、生物学科の彼と数学科の私とは隣り合った建物で各々の活動をしていたので、キャンパスで度々顔を合わせ、挨拶をしたり学食を共にするうちに、縁が生まれた。その後院に入っても大学を卒業して就職しても、私たちは友達だった。あの頃からの友人たちとは食事をする名目で月に数回は会っている。彼も例外ではないし、私も彼にとってその例外ではなかった。
その植物園は、国内外から集めた様々な珍しい植物を栽培していて、販売も行われているようだった。私は植物も好きだった。植物は物を言わない割に主張的な態度を取るので、なんだか生意気だと思いつつも憎めない存在だった。施設に入ってすぐのところに小さなサボテンの鉢が並んでいる。帰りに買っていこうと思った。
園内の奥の方は区画分けされた、光や温度や湿度の管理のまるで違う空間が並び、熱帯植物や高山植物などを育てるための部屋がある。そこには現地にしかいない虫や魚がおり、その生物たちの力も借りて、植物たちは繁殖している。彼いわく、ここに来るとたまに「新種」が見つかることがあるという。なのでシーズンに一度はここに来て、昆虫採集をさせてもらっているそうだ。「今日もし、ここで新種を見つけたら、君の名前をつけさせてもらえないだろうか」彼は言う。これがプロポーズだったと気付くまでにこの時から数ヶ月かかった。その上私自身の力では気付くことができなかった。
熱帯植物の部屋では特に珍しい虫が多い。そこで私は小さな蜂を見た。頭上をかすめた私の小さな親指ほどの大きさの蜂は、熱帯植物の葉の上に着陸し、じっとしている。その様は蜂というより蛾だった。三角の小さな粉っぽい羽衣に包まれた、でもそれは蜂のようだった。「これは」彼がひっそりと驚いた声をあげる。
「新種だよ。」「え?」「名前のない虫だ」「へえ」「名前をつけよう」「蛾のような蜂だから、ガヨウバチっていうのはどうかな」「え?」
彼は困ったように微笑んだあと「それ、とってもいいね」と言って改めていつも通りに笑った。
そして数カ月後、数少ない友人を家に招いて結婚パーティを開いた。あの日のあの後、私と彼は結婚した。結婚を前提にした交際と同棲を数週間経て、あっという間に結婚してしまった。パーティの折に、高校の教員になった友人から「新種の虫に好きな女の子の名前をつけるのが彼の夢だったんだって。」と聞かされた。

蛾様蜂

蛾様蜂

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-10-09

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