punishment

「選んで、兄さん」
これは、罰なのだろうか。
あの日の俺の過ちへの――

「こら、危ないだろ」
爪先立ちになりながらベランダから乗り出している妹の首根っこを掴み後ろへと引っ張ると跳ねた声色で兄さん、と呼ばれる。俺が家を出て四年、何一つ変わっていないはずの声は酷い懐かしい響きを伴って心に沈んでいく。
持ってきたペットボトルのキャップを開けて手渡し、自分の分の缶ビールを開け軽く乾杯して一口呷る。
「あーあ、早く兄さんとお酒飲みたいなー」
「あと二年の辛抱だな」
「長いなぁ。二人は寝たの?」
「ああ、今日は疲れたんだろうな」
(色気も何もない中学生だったのにな)
出ていった時から見違えるように綺麗になった妹の横顔を眺めると強い後悔が胸を覆う。自分のせいだとはいえ、この成長を間近で見守ってやれなかったことが今この瞬間何よりも悔しくて仕方が無い。
「そういえば今日帰ってきたのって私の卒業祝いのため?」
「ああ、それもあるけどついでに報告しにな」
「報告?」
「明日言うつもりだったんだけど――」
結婚するんだ、俺。

「……結婚?」
「ああ。また近々正式に紹介しに来るから、今回は結婚するって報告だけだけどな」
「……そっか、おめでとう」
一瞬視線を落としたように見えたがすぐに微笑みながら真っ直ぐに視線を合わせてくる。けれど、何処となく目の前の瞳の中に非難の色が滲んでいるように見えて喉が凍り付いて上手く言葉が出てこない。
一瞬にして張り詰めた空気がすぐに解かれ彼女は柔らかく微笑んだまま一歩距離を縮め顔を寄せてくる。眼前に迫りかけた双眼の中であの欲望が生々しいまでの熱気を孕んだまま再生されていき、耳元で囁かれる甘い声音は嘲り弄ぶように俺を責め立てる。

――兄さんの中であの夜のことはもう時効なんだね

俺は生涯、あの夜のことを後悔し続けるだろう。
ずっと守り続けて愛してきた無垢な妹を下らない欲望のままに穢してしまった四年前の中秋節。感情と欲望に突き動かされるように触れた柔肌。
穢してはならなかった聖域を土足で踏み荒らした、あの夜を。
「私はまだ忘れてなんかいないのに」
非難的な言葉とは裏腹に彼女は楽しそうに俺を覗き込み、綺麗なグレーに透けた瞳に情けない自分の姿が映る。冷えた夜風に彼女の真っ白な長髪が靡く。
聖域のように色素の抜け落ちた愛しくて綺麗な俺の“妹”。
「兄さんは、忘れてしまったの?」
「わ、すれる……なんて、出来るはずが――」
「良かった」
トン、と踵を鳴らして彼女は満足そうな笑みを浮かべたまま一歩引き下がる。たったそれだけの行動が何故だか不気味に見えて仕方がない。目の前にいる女がまるで知らない女のようで後退りかけた左足がゴミ箱にぶつかり、白く靭やかな指が胸元に触れる。
「ネタバラシをしようか、兄さん」
頭の中で警鐘が何度も鳴り響く。突き飛ばして逃げたいのにこの指を拒めない。
あの夜と同じように。
「4年前、兄さんにとっては思い出したくもない、あの夜。言葉にはしなかったけど、兄さんはあれをただの過ちとして片付けて逃げるようにこの家を去ったよね」
生々しい湿度と熱を伴って彼女は俺が侵した罪を一つ一つ暴いていく。
「でも私にとってあの夜は過ちでも何でもなかったんだよ。だって兄さんは言ったもの、『こうするのは愛し合う二人なら当然だ』って」
心臓を鷲掴みされているように心臓が早鐘を打ち額から汗が滴り落ちる。
(やめろ……)
「だからあの記憶は私にとって過ちなんかじゃなくて兄さんに愛された大切な記憶なの」
「違う、あんなのは……」
あんな感情、愛なんかでいいはずがない。あれは過ちでなければいけない。あれが過ち以外の何かであっていいなんて、許される訳がないだろう。今まで遊ぶように身体に触れるか触れないかの感触を楽しんでいた指に力が込められ、俺にもたれ掛かるように彼女の身体が密着する。さっきよりも遥かに近く、少し動いただけでキスでもしてしまいそうな距離でやたらと熱い彼女の吐息を感じる。
唇が触れ合いそうなほどの距離、欲情したような熱い吐息で、最愛の妹は俺の“隠し続けてきた”罪を暴き出す。

「兄さんは私を愛してたんだよね。妹としてじゃなく一人の異性として」

三歳差でアルビノとして生まれついた妹を、俺は物心がついた頃から守ってやらなければと思っていた。不思議なことに俺は自分とも、両親とも他の奴らとも違う妹を綺麗だと思いはすれど一度たりとも恐ろしく感じることはなかった。お兄ちゃんと無邪気に懐いてくる姿が可愛くて、好奇の目に晒されて涙の膜を張ったグレーの瞳が綺麗で、毎日成長していくお前が愛しくて、兄としてこれからもずっと成長していくお前を傍で見守っていたいって、そう思っていたのに。
『お、お兄ちゃん……あの、男の人ってどういう女の子を好きになるの、かな』
『急にどうした? 好きな奴でも出来たのか』
『…………うん』
あの日から何かが壊れてしまった。
可愛い妹を何処ぞの男に取られたくない兄としての嫉妬心は醜い男の執着心に変化していき、俺は愚かな欲望のままに妹の肌に触れてしまった。
『大丈夫か?』
『お兄ちゃん……? どうして部屋に……』
『さっき具合悪そうだったし薬渡しに来たんだよ』
『そっか……ありがとう』
『具合は? 大丈夫か?』
『うん、少し寝たら楽になった』
『なら良かった。後でも良いから薬飲めよ――……何?』

まだ、行かないで。お兄ちゃん……。

縋り付くように伸ばされた手。小指に絡む指先。不安気に揺れる瞳。悪夢のせいで薄っすらと汗ばんだ白い肌。そのどれもがやけに扇情的に俺の目に映ってしまった。

「――違う」
「愛してるって、言ってくれたのに」
「……違う」
あれは行為を正当化する為だけの戯言にすぎない。いや、もし本当にそうだったとしても到底許されるはずがない。あれは一時の感情に身を任せてしまったが故の過ちでしかない。
(そうでなければ、俺は)
最悪の想像に一瞬にして背筋が凍る。
悍ましい。
そんなもの、まるで獣だ。
「俺は、お前を妹以上に思ったことはない」
吐息が重なり合う距離にいるというのに声になる言葉は守るべき妹を否定するものばかりで、兄としての罪悪感が胸中に重苦しく広がっていく。
「じゃあ、愛してくれてないの?」
「……ああ」
「……兄さんにとって私はただの妹で、見たくもない罪の象徴?」
「………………」
「だから進学と同時に出ていったの? 私を見れば罪悪感に苛まれるから」
「……ああ、そうだよ」
(本当は今日だって顔を出すべきか悩んだ)
妹に手を出して逃げるように家を出た俺がのこのこと帰ってきてもいいものなのか?償うのにも忘れるのにも四年という月日はあまりにも短すぎて、何事もなかったかのようになんて過ごせる訳がない。以前のような兄妹を取り繕うだけだ。
俯いた後、分かったと小さく呟きながら彼女はゆっくりと身体を離し、上がった分の体温を心地良い秋風が奪っていく。
「もう冷えるな。夜も遅くなったしそろそろ部屋に戻るか」
ほら、と俯いたままの彼女に手を伸ばしかけた瞬間乾いた音を立てて手が振り払われ、何の感情も映さない目で俺を一瞥した後ベランダの手摺に腰掛ける。
「おい! 何して……!」
「一歩でも動いたらこのまま飛び降りるよ。うちの階層知ってるよね、妹を殺したい? あぁ、まぁでもどうでもいいか」
「どうでも良いわけあるか! おい、冗談はやめて――」
「冗談じゃないよ。……兄さんがあまりに頑なだから強硬手段に出ただけ」
「は?」
「私は兄さんに愛される為に生きてきた。一種の処世術だったんだろうね、子供の頃から兄さんだけが頼りだったから、見放されないように愛してもらえるようにって必死だった。兄さんに愛してもらえるなら私は別にそれが家族愛でも異性愛でもなんでも良かったのに、だから受け入れたのに……兄さんは私を捨てた」
冷えた口調で語られる独白に何と言ってやることが正解なんだろうか。アルビノに生まれたというだけで幼い頃から好奇の目で見られてきたことによる俺への強迫観念にも似た依存。そんな中で起きてしまったあの日の出来事。愛されているという確信を得た瞬間に俺に見捨てられた絶望。
いっそ清々しく見えるほど全部、俺のせいじゃないか。
「でも、私は兄さんに愛されたんだって確信があったから生きてこられた。また戻ってきてくれるって信じてたのに、兄さんは今度こそ本当に私を捨てたんだよ。だから選んで、兄さん。私を殺す? それとも――」
また、この手だ。しなやかに俺に伸ばされる白く細い手。縋り付くみたいに頼りないのに振り払うことを躊躇わせる、彼女の指先。

「愛してくれる?」

誰か、教えてくれ。
この手を振り払う方法を。
この妹にどう償えば良いのかを。


(了)

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愛されたい妹と愛することを拒絶したい兄の話

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-10-03

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