放言



誰かを刺殺したナイフみたいな、とろんと流れる血を滴らせる凶器みたいな存在と同じ様に、僕は僕を扱えないんですよね。なんでそんな悲しい事を自分自身に強いらなければいけないんだろうって悲しくなるし、想像するだけで馬鹿馬鹿しいって思ってしまう。自暴自棄になるんならまだしも、普通の顔して、自分自身を貶める行為を何でそんなに楽しそうにできるんだろうって頭に浮かぶ疑問は、どんなに荒唐無稽な想像をし尽くしても本当に、何一つ理解できない。珍妙奇天烈。意味不明。意思疎通の手段を持ち得ない宇宙人の方がよっぽど親しみを覚えられると思うのはこういう時なんだなぁ、と心から理解できる様になったのは有り難いことだけど。僕の宇宙の広がりは少しずつだけど果たせています。その存在の隣にあって、途方もない隔たりを楽しめる事がとても嬉しいです。


直接的であれ又は間接的であれ、誰かを殺そうとしなくても生きていけるはずの世界に生きている、そう自覚するから誰かを殺せる自分になる必要性を僕は感じません。いや、アイツを殺さないと「私」たちは普通に暮らせない。だから殺す、死ぬまで殺す、なんて口にされる方も散見されますし、実際にそれを実行する方も知っていますが、どうでしょう。その方の個人的な感覚に由来する倫理ないし道徳において、なお殺人は許されないという一線が形式的にでも守られているのなら、かかる殺人行為を実行する事それ自体がその方の日常生活を壊している原因では?なんて思ってしまう事が少なくない。それとも、日常的にアイツを殺そうとする方々は、既にそんな感覚すら失われてしまったのでしょうか。それなら、僕の方から言えることは何一つありません。「住んでる世界が違う。」この一文を、互いに命を奪うことなく共存し合える世界の実現の為に極めて冷静に、愛を込めて捧げます。保てる距離感を保って、生きていけたらと願います。
あるいは、もし仮に、未だ一線を越えるのに抵抗を覚える方がいたとして、それでもなおアイツを殺すことを止められないというのなら、そうですね。無責任な当てずっぽうとしてこんな言葉を記しておきたいと思います。「やらかしてしまった尻拭いを自分でしたくないからと言って、自身が守り育てるべき大切な存在を道具の如く用いて言い訳がましく殺人ごっこを繰り返すのを、一時でもいいから、我慢なされてはいかがでしょうか。」
向き合うべき時期を見誤らない事は、いつの時代になっても大切ことなのでしょうね。反省します、僕も。




おっと。
そうそう、僕ができる限り人を殺したくないと思う理由はまだあって、その正当化に要する説明の面倒臭さというのがあります。生きている事が楽しい僕は僕の命を大切に思わざるを得ません。そんな僕と同じ(にしか見えないし、思えない)他の人間の命も、だからとても大切だと直観的に判断してしまうのです。なので、そんな他の人間に宿る大切な命を奪うという事態に対して、僕は大いなる矛盾に陥ってしまう。何故、そんな事をした?何故、大切な命を他人から奪っておきながら、なお自分のそれを大切に思える?何故?何故?と半永久的に個人的な疑問が湧いてくる。想像できるのは、僕の性分としてこれらの悩みに対していちいち答えを出さないと気が済まなくなり、それをやり出すと論理的不整合があちこちに生まれて、それをまた正そうと躍起になる自分の姿です。で、その途中で面倒臭くなって飛躍混じりの結論を出せば、要らないバイアスで自分自身を捻じ曲げたりするでしょう。そうでなくてもバイアスだらけの僕なのに、さらに歪になってどうするんだ?ってそこで諦めちゃうんです。僕は。馬鹿馬鹿しいって、だから口にしちゃうんですよ僕は。悪い癖だとは思いますが、なかなか直らないのもまた事実で、クソめんどくせぇってしょっちゅう口汚く自分を罵っています。悪い言葉に取り憑かれていますね、僕も、あなたも。
いやいや、そちらも。



理屈で編まれる世界にあって、言葉が真に呪いめいた機能を果たすばかりなら、そうですね。少しでも納得できる形で、面白可笑しく呪われたい。聞く耳は勿論、他人を見る目も養い、どうせ分からないんだからという諦念に突っ込んだ足を一本ずつ引き抜く努力をしては、口八丁手八丁で皆んなという名乗るの者たちが闊歩する「世界」を欺き、ベケベンベンという音色を奏で、咲いたばかりの花びらをそこら中に巻き散らし、色という色を敷き詰めては我が物顔で道を歩き、挨拶を交わし、すぐに別れてそのうちに正しく死んでいく。夜の帳が下りる日に一等輝く星をスケッチして満足するのも、それを破いて捨てるのも無意味なほどに意味がある。それぐらい、人の命ないし人生は呆気なくて厄介なものだと僕は思います。なら、それでいいんじゃないですか。拾える種を植えて、埋めて育てる。いや、「見守る」といった方が心情的に納得しますね。ここは。未来の手足を縛りたくはないですから。どうぞご自由にって、何度でも言い合いましょうよってね。
生き死にの果て。ほら、どこか、幸せにって。思える僕でありたいんです。



この一線。
そういう全てなんですよ。ベケベンベン。

放言

放言

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-09-27

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted