ドキュメントなど(再掲)

ドキュメント




 書き忘れたことは無かったか。それを思い出す事は無駄なのか。それとも最も大切なことは書かなかったか又は最も大切なことこそ言葉にできないとでも言うか?
 使い慣れた鉛筆を不便になるまで短くし、どうしたって直せなかった悪筆を並べ、せめてでもと消しゴムを動かして何度でも目で追った。そういう言葉なのだろう?そのために、推敲を心掛けたのだろう?
 そうして書かれたものだ、直接に消されたり又は記録媒体が消失しない限り、その時は完結する。裏表なく、完結する。そこに記された以上のものがそこにはない。
 詩人のフードを頭から被り、その顔つきやら何やらを隠しに隠して宣うならまだしもすっかり着替えて、もう部屋にいるのだろう?なら、そのままになれ。そのままになって、氷入りのグラスごと冷や水をあおれ。
 そうして吐き出される真っ白な息で目の前にある世界を、私の世界を綺麗に、綺麗に曇らせろよと。



 輪ゴムで纏めて置いてある、使い慣れた種類の鉛筆の束の太さを誇りに感じたりして私は簡易な鉛筆削りをごりごりと動かし、その最中にも未完成の記録として綴られた「昨日」の内容を目で追い、考えて、思い付きを見失わない内に急いで手に取った消しゴムを動かしては、書き直す。
 晩御飯を食べ終わり、歯磨きなどの諸々を済ませてから自室以外の部屋の電気を消して周り、自室の中から扉を閉めて、デスクライトの白色灯が木目まで浮かび上がらせてしまう机。そこに向かうまでに覚えていたいつかの私のワクワク感は一連の流れがルーティンとなるにしたがって消え失せていったけれど、日々の瑣末ごとにどんなにウンザリさせられても気持ちと意思をフラットに戻せる儀式性に気付けてからは記録しないという選択をまずしない。
 ただ客観的資料として取るようにしていたメモを時系列順に並べる作業からして覚えている事実を正確に記すことに繋がるのだから、記述する前の準備からして私は手間取る。あるいはメモを見ながら記した事実に対してその時々で思ったことを記すにしても記憶を喚起しながらの作業になる、主観的に思うことなどいくらでもでっち上げても構わない、と頭の片隅で考えはするが適切な記録行為を行うことがそもそもの目的なのだから、どこかの過程で手を抜くことは全ての放棄に等しい。だから主にメモに基づき記した日々の出来事に対してその時々で思ったことを、記録する時の私が思い出しては可能な限り正確に残す努力を続ける。



 書かれた事実は読まれてこそ物語になるから情報として読まれる事柄の取捨選択が大事になるところ、かかる作業に関して記さなければならないのは、その準備段階において使いやしないと捨て去ったはずの出来事が紙面の上に記述する「昨日」の内容と照らしてみれば実は大切なものであったという再評価を受け、それを加えた内容全体の書き直しを強いられることが少なくないということであり、ここで覚える感覚を無視すると納得した「昨日」の完成には至らないから、材料の取捨選択こそもっとも力を入れなければならないという心得となる。
 また取捨選択できるものの数と種類を確保すれば嫌でも取捨選択の場面は増えていき、経験則としての判断基準は形成され、かかる基準に基づく選択を通じて朧げながらも自身を知りながら、その質を高めていける。だから記録は有益だ。こう記することで、ドキュメントを心掛ける動機の理解が得られるだろう。



 深夜放送のドラマの主人公が夜明けに微睡むリズムとメロディに乗り、酔って帰って来た勢いのまま玄関ドアが遠慮なく閉まる音で重い腰を上げようと誰かが決意し、リモコンでテレビを消して、行動に移る。
 カーテンの隙間から入り込む日差しに覚える疾しさは、所有するどのスマートフォンやモバイル端末の画面をタッチしても変わりはしない朝の訪れそのものだから、あと少しで完成する「昨日」の記録に夢中になっていた気持ちを頭から押さえつける。原作通りに話が進むのなら、酔い潰れたその口から伝えられるギター兼ボーカルの「カレ」の興奮には適当な相槌を打たれて、ベッドに放り投げられたカバンからは順風満帆なオーディションとタグ付けさられた台本が丸見えになって寝転がるだろう。そこから先の展開には割ける紙面も時間も無いから、もう結果だけ。例えば欠伸の回数だけ浮き足立つ脚本家はお気に入りの珈琲豆を上の棚から取り出して、電動コーヒーミルのコンセントは然る場所に挿されましたよ、だとか何とか。片付け忘れたグラスの一方に、忘れられない思い出が流行りの色で残っていたのを見つけて彼は、とか何とか。
「毎日早く起き、遅く寝るようにしているのは上記した通り必然的に長くなる記録行為にかける時間を確保したかったからであり、また朝方までに「昨日」が完成しなかった時に他の資料の一部となった気分のままに出歩く私が今日の出来事をぞんざいに扱ったりしないよう、頭を冷やしに早朝ランニングに出掛ける時間を確保するためでもあった。
 身支度を整えるために服を脱ぐ、昨晩から出しっぱなしにしていたランニングウェアに袖を通す、スマートフォンを取り敢えずズボンのポケットに入れ、水一杯を一気飲みして、アイスクリーム症候群に頭を痛める。それに耐えながらマスクを着け、帽子を被ってランニングシューズを履き、鍵を手にして開けたドアから玄関の外へ。挨拶気分で目を細めた直射日光に一旦は背を向けてから施錠をして、いざ、という気合が足を手を動かしていく。階段を下り切ればならしで温まった身体を前へと進める、力が入る。」
 本当のメモ、とここで記した所で誰がそれを信じるというのだろう。実際にメモがあるかどうかに関わりなく書き手は好きなだけ「本当のメモ」と記せるのだから、記述される事柄の真実は専ら読み手に帰属するというべきであり、想像する読み手一般に向けて理解される以上の感動や面白さを味わってもらえるよう、できるだけの努力を書き手がするしかない。
 それ故に捨てられそうな色鉛筆と、数冊のノート。それらを読み上げてもらう為に選んだ声が今も耳に残っている、散らかっていた部屋を片付ける為にそこら辺にあったものを手渡して、互いに引っ込めた腕を伸ばし合った感覚も。彼女は、その想いに代わる文字を目で追いながら語った。容易に分かり合えるとは思えない真実より、胸に届く、身近な出来事しか現れないもので埋め尽くされた毎日を、古いコンピュータのデータみたいにぎこちなく、青っぽく、大切に。
 そのお礼を言った後、すっかり飲み干したペットボトルが何の拍子に、綺麗に片付けた後の食卓の上で横にコロコロ転がっていく、それを見届けた私がこの目に焼き付けたその青いラベルに、白い文字。それは全く汗をかかない朝の運動で、ええと、それから書き忘れたことは無かったか。それを思い出す事は無駄なのか。愛は、と易々と書いて黙りするこのワタシに、見えないものは多いから。
 だから、と書かざるを得ない目つきからこの気持ちは始まる。真っ直ぐに届けられるものを信じる。真っ白なノートの上にだけ。丸い文字の、黒い声の、


 声の、
 声の。



 今日の約束から。一つ叶ったから。



暗長短




朝を遠く、避けて来た
水を一杯飲み干して
泥だらけの顔をして
真っ白な笑みを、
歯から剥き出しに。
四つめの腕をごとり、と床に落として。
拾うこと無く、
何でもない事のように、
顧みない眼(まなこ)と、その口は
顎を外してカカカと喋る、その一生で、誰かを呪うことに使われる事が無かった幸せを噛み締めて。
異形なる、
まともからなる、
絡繰言葉の節々を辿り、行き、
夜に冷えた床を嫌う、携えられた真っ暗闇は。
贈り言葉として握りしめられたその、
菓子は。
ぽろぽろと零れ落ちる、
一刻の、理(り)。



刀を落とした理由から、それを手にして物怪(もののけ)を切り捨てた道理まで。古い話をことあるごとに手放すのが情ってもんだ、と捲るたびに口上を垂れようとする手持ちの本の、長々とした題名に、決着(けり)を付けようと思い立った。その若造の長い足。


その足裏にこそ二本の長い牙を立ててやろうと画策し、手抜かりがないようにと夜な夜な寝床を抜け出しては、気に入らない主人のあとをつけ回し、牙を研ぐのに適した道具とその所在を探り当てようと試みてからはや十年。余命という名の灯明にその影も形も失った、鬼。


人でないものは鬼になれない、だから私は鬼になれない。じゃあ君は何者なんだろう。鬼でもなく、人でもない君は。そう問われてから首を傾げる君はこう言った。それ以外のもの、それで私。自分をさす指が人差し指でなかった所まで徹底して、君は君になっていた。それだけで逆手に持った刃物なんて簡単に捨てられる、僕こそが単純で。


向上心と、血に塗れた鼓動が辺りに撒き散らして止まないこの点、点、点。その匂いを嗅いで、跡を追った飼い犬が飼い主を引き連れて辿り着いた誰かの死を想う墓。四角四面な顔をして、何かに悩む人間の様を見上げる、忠実さを取り戻した飼い犬の隣で余った骨が転がっていた。そう記して鼻の穴を広げる書き手の興奮と予感は、下草が生える地の底の怒りを知らない、から。


だから、食いしばる歯。
ひとという字。



唐突に、かつ滔々と喉の方から急に漏れ出す水、だからそれはもう、僕のモノじゃない。
腐らない木製の身体と、目の前にあるこの灯明がどれだけ相性がいいかは知れない。ただ、暗闇こそこの灯明に導かれてその周囲に止まり、ほんのりと円を描く。
例えば火が灯る蝋燭の上で手渡される紙切れの中身、手首からさらにその先にあるはずの誰かの、ひょっとしたら、もう最後を迎えて二度と会えないかも分からない不安の源。あるいはただの一面にしか過ぎないから手放せないんだろうと無遠慮に言われてしまう希望にだって、噛み砕けば頬の内側を出血させるだけの棘が備わる。
明確になる境界線。だから鬼は、人の姿からでないと成れない。この一文の響き。その泥みたいに、きっと、朝になったら床板の隙間で無事に固まり、踏み固められて、慣らされる。悲しみを請わない。
どんなに振っても何も出て来ない、胡乱な器の言葉に守られて、だから人は、こうして人はまた甘えて、泣いて、形を整えて、明々白々な道を行く。
それを惜しむ訳では決してない、それでもこの手で握りしめられる紙片を伸ばして、真っ黒な瞳が見つめる。


そこにあるもの。
悲しき朝の唄、唄、唄。
真っ赤な顔にも、真っ青な顔にも。
長くも短い紐と紐
コトン、と
落ちる。


淡く消え行く。
ひとかけらにならう。

ドキュメントなど(再掲)

ドキュメントなど(再掲)

  • 自由詩
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-09-22

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