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愛し、愛される。
それがどれほど幸せで尊いことか、私は知っている。
けれど同時に、そんな尊い幸福はいつまでも続かないことも知っているのです。
貴方が誓ってくれる永遠の愛を信じていない訳ではないの。
それでも人は幸福に簡単に慣れてしまう生き物だというのに、悠久にも似た時間の中でその愛が何物にも変化しないと誓えるというの?

だから私はまた微笑みながら貴方に口付けるの。
絶望を紡ぎそうになるこの唇で、紛れもない愛を伝えるために。


「んっ……っ」
何度体験しても皮膚を抉られる痛みには慣れそうにない。
快楽なんてものはどこを見渡しても有りそうもなく、あるのはただ牙で皮膚を蹂躙される苦痛ばかり。それでも耐えていられるのは、偏に愛する人が私を求めてくれているから。大切にしたいと囁く私の体に牙を埋め、唇を血で真っ赤に染め上げながら何度も必死に求めてくれる。
苦痛だらけの吸血行為だって、彼を想えばいくらでも耐えることが出来る。
(だけど、どうして)
こんなにも愛しているのに、彼との未来を描くことができないのは。
彼に愛されて、私も彼を心の底から愛してるのに。
窓の外に目を見遣る。
開きっぱなしの窓からは木々の香りが湿った風に乗って私達の元へやってくる。
深い森に囲まれた古びた洋館、そこに住まう見目麗しい吸血鬼と彼に捕まった一人の女。まるで何処かの御伽噺のような現実。
「何を見ている」
「……外を、見ていたのです」
視線を移すと悲しげに眉を寄せる貴方と目が合う。
「何故そんなお顔を――、もしかして不安にさせてしまいましたか?」
「君は、出ていきたいのか」
「…………出ていきたい、そう言ったら貴方はどうしますか」
唇を拭った指が首に掛けられる。
「君が望むのなら」
言葉とは裏腹に首に掛けられた指に力が込められる。首筋に食い込む滑った爪先、苦痛に歪む貴方の表情、決して呼吸を奪わない心地良い圧迫感、そのどれもが私を愛していると悲痛に叫んでいる。
ああ、なんて幸福。
角張った貴方の手に左手を重ねもっと、もっともっと深く沈み込ませる。圧迫感は更に強くなり呼吸を奪っていく。至高の一時に掠れた笑い声が漏れてしまう。このまま刻が止まってしまえばいいと思えた瞬間、貴方は強い力で重なった手を振り払う。
「あら、残念」
「君は相変わらず質が悪い」
「これだって恋人同士の可愛らしい戯れじゃあありませんか」
彼は決して私を奪わない。それが私が望みだと知りもしないで、私に悠久の孤独を埋める恋人を求める。切ない程に傲慢なヴァンパイア。
そんな貴方が誰よりも愛しくてたまらない。
できることならば永久に続く時間を貴方と過ごしていたい。
貴方の愛に生涯溺れていたい。
貴方の整った綺麗な顔を見て、こうして、――口付けてじゃれあって、愛を囁きながら二人きりで永遠の時間を過ごせるのならどんな痛みにだって耐えられると云うのに。
――どうして私達は、人間と吸血鬼に生まれてきたのでしょう。

私が灰になっても貴方は私をずっと覚えていてくれますか?
貴方が灰になるまで悠久の刻の中で私を愛してくれますか?
私だけを想い、私だけを愛し続けて下さいますか?
怖いのです。
貴方が私を忘れてしまうことが。
私以外の人を愛してしまうことが。
この愛が永遠のものとならないことが。
貴方の記憶に私以外が存在してしまうことが許せないのです。

喉元まで込み上げる想いを塞き止めるように深く口付ける。
醜い心中と貴方から与えられる清い愛にぞくりと肌が泡立つ。世界中の美しいものだけを集めて作られたような貴方が、こんなに醜く狡い嘘つきの私を愛してくれている。愚かな恋人、憎らしい人。いっそ貴方を殺して差し上げたいくらいに愛しています。
「私を、生涯愛してくださると誓って下さいませんか」
「…………ああ、君が望むなら」
慈しむように瞼に口付けが降ってくる。貴方の心のように優しさを伴った口付け。
幸福という劇薬は分け与えられた熱を介して全身に巡る。
「誓いの口付けなんて必要ありません。……どうか私に痛みを刻み込んで下さい」
絡まった舌に痛みが走る。
そうだ、この苦痛、この傷こそが彼の愛。
ナイトテーブルの引き出しの中をまさぐり目当ての物を手に取り貴方の手に握らせる。離れかける貴方の頭を抑えて角度を変えて何度も口付けてはその甘美な味に酔い痴れる。右腹部に感じる冷たく鋭利な触感がより脳を沸騰させていく。
何度も夢見た光景。
貴方の手で終わりを迎えたいと幾度願ったでしょうか。
その望みを幾度愛する貴方に壊されてきたでしょうか。
その度に貴方を憎み、愛しさが募っていきました。
貴方が私に抱いているのが愛情ではないと知っていながら、貴方を愛しました。
右手で彼の手を包み、ナイフを一気に身体に沈み込める。
「――んんっ、んっっっ」
身体が鋭い苦痛に跳ね、離された唇からは荒い呼吸がいくつも漏れていく。
痛くて、苦しくても本懐を遂げられたことが嬉しくて仕方が無くて笑いが込み上げる。理解が追い付いていない貴方の顔が今までで一番愛しく見えてしまって困ってしまう。その次に来る絶望に満ちた表情こそが私が捧げる唯一無二の愛。

貴方はただ寂しかっただけでした。
永久に続く世界で、孤独になりたくなくて私を求めて下さった。
孤独に戻りたくない執着を愛と勘違いしてしまうほど。
(……いいえ、きっと貴方にとってその執着こそ愛だったのかも)
貴方が求めたのは、私という個であると同時に『二人きり』の状況。
貴方はきっと私が灰になったら別の誰かと愛を交わす。
私と過ごした日々を、他の人と過ごしてしまう。
その日々が幸福であればあるほど私は貴方の中から消えてしまう。貴方の過去になってしまう。そんなこと私は許せない。
だから貴方に生涯忘れられない傷を残して差し上げます。
目を背けたくなるほど醜くて忘却なんて許されない疵痕に私が成りましょう。
(……ああ、愛しい)
愛する貴方、どうか絶望なんてなさらないで。
私は貴方を置いていく訳ではないのだから。
これでようやく私は貴方と一つになれるのに。

ねぇ、これ以上の幸福なんてこの世にありはしないでしょう?


(了)

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愛する男の疵に成りたい女と永遠を生きる男の話

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-09-14

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