恋した瞬間、世界が終わる 第69話「煙の先、溯上する」

恋した瞬間、世界が終わる 第69話「煙の先、溯上する」

 ーー彼は暗がりから抜け出して、白昼夢の外へと立っていた

【私】は彼を追って外に出てから、ふと頭上を見上げた。
旋回する鳥が2羽、右回りと左回りで周回しながらウロボロスとなり、円環する物語が、陰と陽の気配で再び締め上げられて、色濃く彼を包み込んでいた。
その意味がウロボロスの輪から降って来るのを感じたとき、血に飢えた乾いた大地は、血を啜っていた。
赤い馬の首元から溢れ出る血ーーテュポーンの身代わりであったのか、それともーー

そのあと、巫女も暗がりから朦朧としながら出て、意識を失い床に倒れた。
身につけている麻の服が明るみに出ると、血で染まっているのが分かった。
彼はそれに驚くことよりも、“煙(息吹)”を吸ったことで身に纏っていた青白い燐光としたものが変容したことに戸惑っていることが見て取れた。
これが、【私】の役割だったのか…?

「一体、これは何があったのだ!?」

神官や案内人たちは、普段の神託と取り代わってしまった何かに怯えていた

「神が…なぜ?」

「神の意志なのか…?」

「デルポイの地が禍事で汚(けが)れて、堕ちてしまった……」

「そうではない! 決して、デルポイの地は汚れてはいない!!」

「しかし…これは……この現状は…巫女を通して、神が怒りを現している」

「お前たち、何をした!!」

神官たちは頭上のウロボロスに気づくことなく、【私】たちの方を見ていた

「赤い馬など、なぜ持って来た!?」

【私】は、この神官と案内人たちの誰かが、全てを知っているのにと思った

「ここから出ていくのだ!!」


「いや、待て」

そう言ったのは、デルポイの神官だった

「彼を見るんだ」

デルポイの一同は彼の印象が変わっていることに気づく

「……アポロン神?」

「神の息吹が彼に憑っている」

頭上のウロボロスに気づかない神官たちに見えていたのは、彼に宿ったアポロン的な神格の一側面だった。
それにすっかり魅了されてしまった神官たちは、意見をころっと変えていった。

「神が…アポロン神が、いま、私たちの眼前に現れた」

「分かる…分かります…アポロン神……私たちが分かりますか?」

「アポロン神よ…ああ…、赤い馬は奉納であったということですね」

「そうだ、きっとそうに違いない!」

「あれは、神の贈り物であったのだ!!」

加工された判断が、彼らの信仰心を利用していった

「しかし、巫女は……処女であると言えるのですか?」

あの案内人が、崇拝する化身を前にしてすっかり身の丈にあった小さな器から、威厳のない声を搾った

「あの巫女は、それでも処女であると言えるのですか…?」


 肉体的ニハ処女デアル
 シカシ、精神的ニ犯サレタ


アポロン神の化身とされた彼が、口を開いた


「デルポイで出会った神は
 悪魔だった
 いや、神の悪魔的側面だ
 神を善だと思い込んでいたんだ」

アポロン神ではない側の彼が、続いて口を開いた

その声は小さく、彼らには届かなかった

「アポロン神よ、我らは一体どうしたら良いのです?」

神官たち一同は神託を授かろうとしていた

 
 巫女ヲ、泉ヘ運ビナサイ


彼のアポロンの神格は、意識を失っている巫女をカスタリアの泉へと運ぶように指示を出した。
神官たちに運ばれてゆく彼女の地面には血が滴り落ちた。
恐らく、犯されたであろう部分から。

彼はよく通る声で悲しく小さな声の音を上げた


  赤い馬に乗ったきみ
  どうして、こんなことに
  きみが放ったから? 言葉を

 

カスタリアの泉に運ばれた巫女は口元の陰鬱な隙間から、神官たちによって慎重に汲まれた泉の水を含んだ。
巫女は目を開け、そこに彼のアポロン神の姿を視た。

「奇跡だ!」

神官たちは意識を失っていた巫女が、再び、目を開けたことを神の御業とした。
しかし、そこに居るのは虚(空)になった巫女であった。

彼の耳に、過ぎ去りし時の流れがーー唸りを上げる横溢するものーー輝きを失いながら枯渇してゆくものーー読み取られてゆくのはある時代の同年代の若者の骨伝導ーーブレインwi-fiがランダムに選曲したーーTHE THEの“PhantomWalls”ーー速度を上げた過去がまたやって来るーー痛みを伴った響きーー100年の孤独?ーーいや、もっとーー増幅されたり、減退したりする、2種類の炎ーーSpace Oddityの映像の波形みたいにーー彼は、割れてしまった黒曜石の鏡を彼女に翳(かざ)した

裂け目の分だけ、巫女の意識に別な者たちが入り込んでいった


巫女を容れ物のように奪い合う、思念たちの姿が鏡に映されたーー



【私】は、見守るしかなかった

ただ、アストライアーのように最後まで人を諦めずにいたかった


 歴史は『第一次神聖戦争(古代ギリシャの戦争の一つ)』を開始するーー



彼は、預言者へとなった
神託を贈る者であり、そして、詩人に

彼の語る言葉は、布教される物に

教えとして
だが、詩として

信望者を集め、数を増やし、崇められた



 僕は赤い馬に乗った

 一夜にして、粛々と暗闇に火が放たれた
 
 火は列をなして、次へ次へと遡る
 煙の先が道案内するように

 歴史が【始まる】ということ



【私】の“右手”が、時間的制約を越えて、想いを運んだ。
辺りが鎮まり、新人類たちはネジが止まったように地に横たわり腰を休めた。

「これは?」

立っているのは【私】だけだった


黒い服の男がやって来た。
【私】の右手を見るなり、薄笑いを浮かべた。

 
 “キットコウナルダロウトオモッタ”


消えてゆくきみの何かを、【私】が完成させるということか

これが旧人類の伝承や口伝という物か

【私】は君のように、“僕”として生きよう

君のやりかけた物語を引き継ごう

パピルス文書に僕は、彼が遺した言葉を綴った

後世、僕はそれを虎の巻のように秘伝として、木版印刷、活版印刷にし、ジプシーを通じて世界に散らばらせた

古代からの息吹が、私(僕)の中を通るーー



 黒曜石で作ったナイフで、人身御供として
 それは、褐色に乏しく、鎮まっていった


 雨のしずくのように
 時にちからづよく、一瞬で



最後まで地上に残った神の話がある
それは、ディケーの最後まで地上に残った話

恋した瞬間、世界が終わる 第69話「煙の先、溯上する」

次回は、10月中にアップロード予定です。

恋した瞬間、世界が終わる 第69話「煙の先、溯上する」

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  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-09-07

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