掌編集 2

掌編集 2

投稿済の10編をまとめました。
某サイトの『お題』で書いたものです。なので、ジャンルはめちゃくちゃ。掌編とは言えない長いものもあります。

11 どちらも有名

 はらせぬ恨みをはらし、許せぬ人でなしを消す。
 仕掛けて仕損じなし、人呼んで仕掛人ではないけど。
 ただしこのふたり、かなり有名。

 幾度となく殺人現場に居合わせ、居合わせなくても、昔の事件さえ解決してしまう。
 犯人には罪を償わせる。すなわち死刑。つまりは復讐代行人。ヒゲのおっさん。

 でも、1度だけ犯人を見逃した。
 被害者は、正義の名の下に殺されてもやむをえない人物だった。
 絶対に犯人はわからないだろうと思ったが……さすが。でも、私だってわかったわ。

 もうひとりは、復讐代行人というより、復讐の女神と呼ばれた。
 上と違って無報酬。編み物好きなおばあさん。油断させておいて、実力のほどはすごいです。

 このふたりは合わないから、作者は一緒に登場させなかった。
 ふたり一緒のところを見たかったな。

 そんなアニメがあるらしい。観てないけど。

12 やばい場所

 暗い砂漠のハイウェイを走っていた。
 涼しい風が髪を撫でる。
 コリタスの甘い香りが、あたりに立ち込めている……

 遠くにかすかな光が見えた。頭は重くなり視界はかすんでいた。
 今夜はもう休まなければ……

 入口に女が立っていて、礼拝の鐘が聴こえた。
 俺は自分に問いかけた。
「ここは天国か、それとも地獄か?」

 女はロウソクを灯して俺を案内した。
 廊下の先から聞こえた声は、こんな風に言っていた。
「ようこそ。
(ここは誰にも紹介してない秘密の場所です)
 とても素敵な場所です。とても素敵な外観でしょう?
 たくさんの部屋で、いつでもいつでも、あなたの訪れを待っています」

 ティファニーに夢中な女がいた。
 メルセデス・ベンツにもご執心で。
 素敵な彼氏達もたくさんいる。

 彼女たちは中庭で踊っていた。
 甘い夏、ほとばしる汗。
 思い出に浸るダンスや、忘れるために踊る人々も。

 俺はマスターを呼んだ。
「ワインを頼む」
 彼は言った。
「1969年から、ワインは一切置いていません」

 深い眠りに落ちたはずの、真夜中でさえどこからともなく、俺に囁きかける声が聞こえる。
 
「ようこそホテル・カリフォルニアへ。
 とても素敵な場所。 とても素敵な外観。
 みな楽しく過ごしています。ホテル・ カリフォルニア。
 なんて素敵な驚き。ア・リ・バ・イをご用意ください」

 天井には鏡を張りつめ、氷の上にはピンク・シャンパン。
 彼女は言った。

「ここには自分たちの企みのために、囚われの身となってしまった人たちばかり」

 やがて大広間では、祝宴の準備が整った。
 集まった人々は、鋭いナイフで獣を突くが、誰も殺すことはできなかった。

 最後に覚えていることは、出口を求めて走りまわっていることだった。
 前の場所に戻る通路が、どこかにきっとあるはずだ。

 すると夜警が言った。
「落ち着きなさい。
 私たちはここに住みつく運命なのだ。いつでもチェックアウトできるが、 決してここを去ることはできない!」

作詞・作曲:ドン・フェルダー、ドン・ヘンリー、グレン・フライ
『ホテル・カリフォルニア』
https://www.worldfolksong.com/popular/hotel-california.html 

<注:コリタスとは砂漠に咲くサボテンの花で、マリファナ(マリワナ)の暗喩でもある。>

『Hotel California』は世界中で爆発的なヒット曲となり、イーグルスの曲の中で知名度はダントツだ。
『ホテル・カリフォルニア』の人気の秘密は、楽曲の良さはもちろんのこと、聴く者の想像力を駆り立てる短編小説のような歌詞にあるのかもしれない。
『ホテル・カリフォルニア』の歌詞については、たくさんの憶測や解釈が飛び交ってきた。

 ドン・ヘンリーは2007年9月11日の英デイリー・メール紙にてそれらについて
「幾つかのこの曲の歌詞の拡大解釈には大変驚かされ続けている。この歌詞の内容はアメリカ文化の度を越した不品行と、私達の知り合いだった女の子達についてだった。しかし芸術と商業主義との危ういバランスについてでもあった。」
と述べている。

『ホテル・カリフォルニア』の解釈として、インターネット上では、次のようなものが散見される。
メキシコでマリファナのことをコリータス(colitas)という。
メキシコ人だったイーグルスのツアーマネージャーがマリファナのコリータスという呼び方をメンバーに教えた。
離婚したばかりの男の歌。
ドラッグが止められない人の歌。
悪魔崇拝のアントン・ラヴェイのことを歌っている。
https://usamimieigo.com/truth-meaning-of-hotelcalifornia/

 舞台は、コリタスの香りたつ、カリフォルニアの砂漠エリアのハイウェイ。主人公は、長時間の運転に疲れて、休むために立ち寄った小綺麗なホテルに幾日か滞在し、快適な日々を送っていた。 
 しかし、堕落して快楽主義的な過ごし方を続ける滞在客たちに嫌気が差して、以前の自分の日常生活に戻るため、ホテルを去ろうとしたものの、離れようにも離れられなくなった……というミニストーリーである。(Wikipedia)

13 嫌われ者だけど

 わたしは嫌われものだ。
 名前には、「あざむく」とか「興ざめする」という意味がある。
 まあまあ美しいんだけどね。
 触るとトゲがあって驚くよ。

 ヨーロッパでは牧草地によく生えるけど、トゲがあるから、牛や馬も食べることはない。
 だから、わたしだけが食い残されて、雑草として広がっていく。
 なんともやっかいなわたし……

 ところが不思議なことに、スコットランドでは、わたしは国花として愛されている。

 昔、スコットランドがノルウェーの大軍に攻められたとき、夜襲を掛けようとしたノルウェー軍の兵隊がわたしを踏んで悲鳴を上げた。
 おかげで、奇襲に気がついたスコットランド軍は大勝を収めることができた。
 そして、それ以降、スコットランドの人々を悩ませていたノルウェー軍の侵攻はなくなったという。
 こうしてわたしは国を救った花とされ、スコットランドの国花や紋章となったのである。
https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1259

14 言語線を切れ

 1年ぶりに旅行します。九州です。線状降水帯です。ホテルも空港も観光地も雨です。被害も尋常ではありません。

 でも、行くのです。
 去年も雨でした。土砂降りの松島。通行止めの道路。
 ゴルフも大雨が数回。皆キャンセルする中、バカ夫婦はやりましたが……

 ︎

 数日前、たぶん新聞だと思うのですが、バロウズのことが載っていました。その時は、検索したのに、すでになんのことかも忘れている……

 ︎

 ウィリアム・シュワード・バロウズ二世(1914年2月5日 - 1997年8月2日)は、アメリカの小説家。
 1950年代のビート・ジェネレーションを代表する作家の一人。1960年代にJ・G・バラードらによってニュー・ウェーブSFの輝く星として称えられた。
 その後も、パフォーマンス・アーティストのローリー・アンダーソンや、ロックミュージシャンのカート・コバーン(ニルヴァーナ)らによって、最大級の賛辞を受けている。
 私生活では、ウィリアム・テルごっこをして誤って妻を射殺したり、同性愛の男性にふられて小指を詰めたりするなど、何かとエピソードに事欠くことがなかった。
https://ag-skin.com/daily/skinblog.cgi?mode=2&sn=5104

 ぜんぜん知らないのですが、名前に聞き覚えが……
 思い出しました。

 拙作『お気に入りの音楽』の『無惨の美』で出てきたのでした。

 ︎

 淋しさを紛らわすために多くの人は詩を書き始めるが、詩は決して救いにならない。
 むしろ、淋しさにはっきりとした形を与えてしまう。
 麻薬中毒の作家、W・バロウズは
「ことばはウイルスだ。言語線を切れ!」
と言ったが、彼の意図するところとはまるで違うかもしれないけれど、自分も、言葉は人間の心を蝕む病原体だと思うときがある。
 淋しさに形を与え、(こだま)となって無制限に増殖してゆく……
http://anti-buddhism.doorblog.jp/archives/21920952.html

 これも、わからないながら、引っかかっていました。
 バロウズや上の彼の意図するところとはまるで違うかもしれないけれど、旅行の間、言語線を切ります。
 書きません。打ちません。読みません。
 頭の中を空っぽにして、行ってきます。

15 死因は?

 君に勧む 惜しむ(なか)れ 金縷(きんる)の衣を

 君に勧む 惜しみ取れ 少年の時を 
 
花開き 折るに堪へなば 直ちに (すべから)く折るべし

 花 無きを待ちて 空しく 枝を折ること莫れ
 
 あなたに申し上げるが、金縷の衣装などは惜しむに足りない。
 生涯に1度しかない青春の時期を、他の何にもまして大切にしよう。
 花が咲いて見ごろになったら、すぐに折り取るがよい。
 花が散り終わった後に、枝だけを折るようなヘマなことをしてはならない。

 これは何度も観た中国ドラマ『宮廷の諍い女(いさかいめ)』の中で皇帝の前で、まだ夜伽(よとぎ)に召されていない側室が歌う。

「私を折り取って! すぐに!」

 召されるときはなにも着ずに、布団にくるくる巻かれ皇帝の元へ抱えられていく。
 皇帝を傷つけるものを持ち込めないように。


『宮廷の諍い女』は元々は中国のネット小説。読まれた回数はスケールが違う。
 架空の時代のネット小説が、清の雍正帝(ようせいてい)時代に置き換えられ、とんでもないドラマになった。

 2012年、中国をはじめ台湾・香港で一大社会現象を巻き起こし空前の大ヒット! これぞ中国版「大奥」の真骨頂。



 愛新覚羅(あいしんかくら)胤禛(いんしん)は清王朝の第5代皇帝。

 在位期間の元号が「雍正」だったので雍正帝(ようせいてい)と呼ばれる。

 母親の身分が低く皇太子にはなれず、皇子たちの後継者争いでも中心的な存在にはならず。
 でも最終的に父、康熙帝(こうきてい)の信頼と有力な支持者を得て、後継者争いに勝ち抜いて皇帝になった。
(他が陰謀を巡らせ脱落しいったのもある)

生年月日:1678年12月13日
没年月日:1735年10月8日
享年58

在位期間:1722年12月20日~1735年10月7日

子:
乾隆帝

 日本では江戸時代。8代将軍 徳川吉宗と同じ時代。

 康熙帝には成人した皇子が24人いた。その中で後継者争いを行ったのは9人。(九王奪嫡きゅうおうだっちゃく )
 なかでも、皇后が生んだ次男・胤礽(いんじょう)を大変可愛がり皇太子にしていたが……
 いろいろあって、いろいろあって、廃した。

 康熙帝はその後、皇太子を決めなかったが、14男の胤禵(いんてい)を気にいっていた。
 これに危機感を持ったのが4男胤禛だ。

 康熙帝が病気になり、やがて死去。
 重臣の隆科多(ロンコド)が「第4皇子胤禛が跡継ぎ」と発表した。

 康熙帝は臨終の間際に14皇子に皇位を継がせると残したのを、第4皇子の息のかかったものが改ざんしたという説もある。
 が、能力・年齢から行けば、第4皇子というのが一番妥当……

 
 皇帝になった雍正帝は皇子や重臣が派閥(朋党)を作って争うのを嫌い、徹底的に潰した。
 その中で皇子たちが地位を失い幽閉され、重臣たちが処刑されていく。
 雍正帝の容赦の無さは康煕帝もあの世で驚いただろう。

 母親の身分が低い雍正帝には味方になる重臣はあまりいなかった。そこで、部下を次々に高い役職につけた。ロンコドを皇帝の補佐役にした。

 しかし、自分を皇帝にしたロンコドや年羹堯(ねんこうぎょう)をも粛清していく。

 このあたりの執念深さ、冷酷さが雍正帝が人気のない理由かも。頭がいいだけに怒らせると怖い。

 様々な場所に密偵を放ち、疑わしいものは処罰。大臣達の権限を縮小し、独裁的な政治を行い、清朝を批判するものは厳しく処分した。

 しかし雍正帝はただの独裁者ではなく、皇帝としての仕事は勤勉に務めた。

 大量に送られてくる上奏文は目を通し、自分で返事を書いた。
 満洲語の上奏文には満洲語で返事を書き、漢文の上奏文には漢文で返事を書いた。
 大量の仕事を自分で行うため、睡眠時間が1日4時間しかとれなかった。
 また自ら倹約に務めた。特に重要でない書類には裏紙を使った。

 康熙帝の時代には王室の財政は赤字だった。しかし雍正帝は戦争を仕掛けず、内政に力をいれ、赤字を解消して黒字にした。

 後の乾隆帝の時代に清王朝は全盛期を迎えた。でも赤字を解消して朝廷の財政を潤し、後の繁栄の基礎を造ったのが雍正帝なのだ。


 雍正13年(1735年)、死亡。
 死因はわからず。

 過労死だったとも、ストレスから不摂生な生活をして死を早めたともいわれる。

 不老不死を求めて道教に凝った結果。丹薬を服用しすぎて中毒死したともいわれている。

 
 
 ドラマは主にヒロインと皇后と側室たちのドロドロ物語。
 
 嫉妬、恨みから、雍正帝の子はことごとく流産させられた。麝香や紅花。それで、ほんとに流産するのだろうか? (あくまでドラマの話)

 側室は池に落とされたり、陥れられたり、撲殺されたり。
 白絹で自害。壁に激突して頭から血を流し自害。手首を切って自害。

 ヒロインとの仲を疑われた医者は自分で去勢した。
 ヒロインは耐える。逃げれば9族皆殺し。
 ヒロインは笑顔の裏に恨み辛みを隠し、皇帝が弱っていくのを待つ。
 代行人は別の側室。最後は毒を盛り死に至らせた。(あくまでも、ドラマです)

 ヒロインは死ぬ間際に耳元で囁く。

 陛下は兄弟さえ亡き者にした方ですよ。私めの残忍さなど足元にも及びません。
 教えてあげましょう。あなたに触れられる度、吐き気がしました。
 侍衛は下げております。用件なら私めに命じてください。


 雍正帝は『三国志』曹操役の俳優さん。

 (Wikipediaを、参考にしました)

16 きついけど大丈夫?

 3人目の子供が幼稚園に入った頃、パートで働き始めた。
 まだ医療費も幼稚園も無料ではなかった時代。住宅ローンの金利も5、5パーセント。夫の給料だけでやりくりするのは大変だった。
 口にすると、
「じゃあ、働け」
「……」
 結婚したときは、外に出さないで、押し入れに隠しておきたい、と言ったのはどの口だ?

 じゃあ、働くわよ、と求人広告を見た。条件はまず、近いこと。時間は幼稚園の送りから迎えまでの間。 
 今なら、午前中だけ、というのがあるが、当時はそんなのはなかった、はず。
 歩いて行ける食肉工場で、時間応相談というのがあったので、期待しないで行ってみた。
 面接したのは40歳くらいの男性。私はまだ30代。
 どうせ、ダメだろうと、言いたいことを言った。時間は9時から2時半。包丁は……怖いです……
 パートの女性はきついけど、大丈夫ですか? と聞かれた。
「はい、たぶん」

 働けることになった。
 幼稚園に連れて行ってから向かう。
 ビニールの厚いエプロンをして長靴を履く。包丁が苦手と言ったので、手前の台で、年配の正社員の女性Kさんの補佐を。
 Kさんは、30キロ入った鶏肉のコンテナを台に持ち上げて出す。私は目分量でビニール袋に詰めていき、Kさんが包丁でカットし1キロにしていく。
 黒板にその日の注文が書いてある。主に学校や会社から。
 皮なしの鶏肉のときは、皮を剥ぐ。
 そのあとは挽肉。袋に入れ平らにする。
 シシトウのヘタを取る。焼き鳥用。ひとつずつ悠長に持って取ってたら、年配の女性が飛んで来て、取り方を教えた。
 なにモタモタしてんのよ……というように。

 そこで、だいたいお昼になる。Kさんは台を掃除する。熱湯をかけ豪快に。

 昼は家に戻り1時から続きを。 
 別の長い台では、女たちが骨付きの鶏肉の骨を取る作業をしている。
 私も袋詰めが早く終わると包丁を持たされた。研いである包丁は怖い。
 教えてもらったが、なかなかうまくさばけなかった。

 そのうち、不況で注文が減ったのか、パートの女たちは午前中で帰されるようになった。夕方4時までのパートは当分の間、午前中3時間だけ。

 ところが、入ったばかりの私は2時半までの契約だから、そのままだった。
 当然、非難轟々。
「なんで、あんただけ?」
と、露骨に言われた。
 課長に聞けば、帰されるのは4時までのものだと。

 非難轟々、まだ若かった。
 ひいきだ、なんだ…………

 誰が悪い? 
 Kさんは、気にするな、と言ってくれた。
 いい人だと思っていた。作業しながらいろいろ聞いてくる。
 子供のこと、旦那のこと。
 私は愚痴をこぼし、アドバイスをいただいた、つもり。
 どこかへ行けば、土産を買ってきてくれた。
「あんたにだけだから、自転車のカゴに入れておいたから」

 長い間働いていたKさんは、女の恐ろしさを教えた。
 肉を詰める作業。大量の肉の中に包丁が紛れていたことがあった。知らずに勢い付けて肉をつかんだら……
 恐ろしい女のゴタゴタ、嫉妬。
 少し前に働いていた若い女性は10キロも痩せたとか。

 男は面接をした独身の課長と若い男性ふたり。あとはKさん以外はパートの女性。私より年上の女性たち。
 
 文句は言われていたようだが、ポーカーフェイスを装った。
 しかし、ある女性が私に告げた。
「Kさんがあんたの悪口言ってるよ」
 なに、懐いてるの? みたいな。

 これはショックだった。
 今なら、黙ってはいない。
「私、なにかしました?」
くらい、言ってやる。いや、言えない。

 とても信頼していた方でした。
 だから、怒りで夜中に目が覚める。
 言ってやりたかった。
 葛藤……

 そして辞めた。仕事を辞めた。冷えで腰が痛いから、と。
 今なら辞めない。
 施設の女性蔑視の高齢の男性に、バカヤローと言われようが、ブタがブヒブヒ言っている、と思うようにしている。

 辞めるときに、世話になったからとKさんに茶を渡した。
 高い、木箱入りの高級煎茶。お茶が好きだと聞いていたから。
「お世話になりました。Kさんのおかげで今まで頑張れました」 

17 かえる

 30年前の正月は落ち込んでいた。
 暮れの3ヶ月検診で次女が重い心臓病だろうと言われ、すぐに大学病院に行った。夫は仕事を休めない。報告したときの第1声は「嘘だね」だった。
 当時は紙おむつの性能もよくはなかった。ミルクと魔法瓶に湯を入れ、大荷物。タクシーを呼びひとりで病院まで連れて行った。
 それからが長かった。生後3ヶ月の重い心臓病がある子供だろうが、待たされた。
 混んでいた。古い建物の中を行ったり来たりあやしながら、ほぼ昼近くまで待ちようやく呼ばれた。
 先生はすぐに検査が必要だからと、いっぱいのところに午後予約を入れてくれた。ずっと抱っこ。昼食を食べたかどうかは記憶にない。

 検査では睡眠薬を渡され、眠らせるよう言われたが、なかなか飲んでくれず困った。
 検査の後、すぐにも入院が必要だったがベッドが空いていない。空き次第連絡が来る。そうしたら入院。そして手術……

 暗い暗い正月。年始の客は断った。次女は熱を出した。大学病院まで連れて行く。夫と車で。長男長女はふたりで留守番したのだろうか? 記憶がない。小2の息子と幼稚園年長組の娘。

 夫は治療費と葬式の心配をした。子供の医療費はまだ無料ではなかった時代。
 母はいざとなると強い。マンションを売ればいい。借金は残るだろうが。たくさん残るだろうが。
 ところが、治療費はタダだった。書類をいただき、保健所へ手続きに行った。封はされていなかったので見てしまった。手術代400万円。それが無料に!
 だから、私は健康保険はいくら高くても文句は言えない。

 手術前はICUで昼夜10分の面会しかできなかった。昼の面会の後、夜の10分の面会まで6時間ロビーで待つ。そういう親が何人もいた。成功率は調べたら90パーセント。でもこの子にとっては0パーセントかもしれない。

 台の上にカエルの置物があった。大きな緑色をしたやつが。それを何人かが撫でていた。
 撫でると、無事帰れるらしい。
 そういうことは信じるほうではなかったが、藁をもつかむ思い。渾身の想いを込めて毎日撫でた。
 そしてふたりの子供の待つ我が家へ帰った。往復3時間。毎日。

 夫は酒を飲むと弱気になった。この男はいつでも最悪を考える。
「手術しないでこのまま死なせてやりたい」
 母親は前しか向いていないのに……母は気丈だったが、弱みは髪に出た。まだ30歳過ぎたばかりなのに白髪が。

 手術の日、生後5ヶ月の次女はワゴンのような物に乗せられエレベーターで降りていった。見送りはエレベーターまで。娘はキョロキョロしていた。
 夫と私はずっとロビーで待った。10時間くらいかかったのではないだろうか? 

 手術が成功すると、回復は早かった。術後は何かあればすぐに駆けつけられる近くの旅館に泊まった。
 回復は早かった。体に付いた管がどんどん外されていく。近くの汚い旅館には1泊するだけですんだ。
 
 全国から子供が集まってくる病院だった。大勢の子供が手術の順番を待っていた。娘は待てない病気だったので手術も早かった。動脈と静脈が逆になっていた。全身に血液がいかない。肺と心臓の往復で肺が3倍くらい肥大していた。

 ミルクを飲んでも吐いた、体重が増えたら危なかったのだろう。飲むたび吐いた。それを3人目の子の母親は、兄姉もそうだったから、と呑気で検診まで放っておいた。
 放っておいてよかった。いくらかでも月数が増えたから逆によかったかも、と女医が慰めてくれた。
 入院中、産まれたばかりの子が運ばれてきた。産んだばかりの母親は気丈だった。しかし、術後少したち、泣き喚く声が部屋まで響いた。

 あれから30年、次女は大きくなった。体力もある。
 胸の傷跡も気にせずビキニも着た。青春を謳歌した。
 大きくなりすぎ、体重は言わないが。

18 えーっ?

『セクレタリー』という映画。SMだけど素敵な映画。男優のジェームズ・スペイダーに魅せられて何度も観た。役柄に魅せられたのかも?

 その美形の男優さんが……『ブラックリスト』のレッド(1話しか観てない)だなんて!


 ︎


 こちらは古くてご存じの方はいるかしら?
『欲望』『サスペリア2』のデヴィッド・ヘミングス。
『欲望』は何度観ても意味不明だが、若き日のヤードバーズが出ている、知る人ぞ知る映画なのだ。
 今は亡きジェフ・ベックがギターを壊す。
 美形のデヴィッド・ヘミングスが観たくて、観たくもないホラーまで観に行った。
 あの美しい男優さんが、『グラディエーター』のカッシウス(支配人)だなんて!


 ︎


 もうひとり、悲しいのは、『ベニスに死す』のビョルン・アンドレセン。
 ビデオのない時代。上映されるたび何度も名画座に通った。立ち見までいて、アップになる場面ではシャッターの音が。
 それが……
 ネットで観た、変わり果てた世界一の美少年。

 彼の人生は悲しすぎる。

19 二級酒を日本

 父は真面目で子煩悩だった。働き者で家族思いだった。
 子供の頃は滅多に外食などしなかった。そんな余裕はなかったのだろう。
 だから、たまの外食は楽しみだった。正月は上野の聚楽でスパゲティミートソースといちごパフェを食べた。
 何年か、毎年同じものを。それがなによりの楽しみだった。

 あとは時々近くの中華料理店。
 父とふたりで入ったことがあった。頼むのはラーメンと餃子くらい。父は二級酒を飲んでいた。あとから相席になった男が一級酒を頼んだ。
 子供心に差を感じた。
 父も感じたのだろうか? 二級酒をもう1本頼んだ。酒飲みの父には質より量。

 しかし、今、調べて見たら、日本酒の等級は質とは関係なかったらしい。

 子供の頃は酒を飲むと陽気になる父が好きだった。
 母に死なれてからは、酒を飲むと泣くようになった。酒に飲まれるようになった。

 若い娘には許せなかった。
 だから、この世でいちばん嫌いな酔っ払い。
 思い出したくもない。

 でも、投稿するようになって、キャラクターを登場させたりしている。

 ひ孫が来ると写真の前で手を合わせてくれる。5人もいるのよ……


 ひいおじいちゃんは真面目で子煩悩だった。働き者で家族思いだった。

20 すべらない話

 私はすべったことがない。
 スケートもスキーも。
 スノーボードもスケボーも。

 私は……ない、ない。
 口がすべったことも。
 手がすべったことも。
 足がすべったことも。
 
 私はすべったことがない。
 受験も、就職試験も。

 私は見てもわからない。
 サルスベリもスベリヒユも。

 でも、過去に1度だけ、筆をすべらせたことがある。
 そして、すべらせたことも忘れた。
 皆に言われたけど、自分のことではないと思った。
 そして、またすべらせた。
「すべってない。すべってない。決してすべってない」

 筆は走らせてもいいが、すべらせてはいけない。

 でも、わかったことが。
 すべらない話って、面白い話のことだったんですね。逆だと思っていた。

掌編集 2

掌編集 2

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-08-20

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  1. 11 どちらも有名
  2. 12 やばい場所
  3. 13 嫌われ者だけど
  4. 14 言語線を切れ
  5. 15 死因は?
  6. 16 きついけど大丈夫?
  7. 17 かえる
  8. 18 えーっ?
  9. 19 二級酒を日本
  10. 20 すべらない話