思い込みハラスメント

 学院長は書類を机の上に積み重ねる。
「こうしていれば、書類が紛失することはあり得ません」
 と学院長は自慢気に言う。
 それは几帳面なのか、そうでないのか分からないのだが、いかにも学院長のやることらしい気がする。
 さて、事件は起こった。入学金の紛失だ。
 入学のご案内は学院長が行う。そのときに入学金を持参する父兄も少なくない。百万を超えるような大金になるので、学院長もさすがに引き出しに入れるし、それには鍵もついている。
 この日も持参があったのだが、その大金がなくなったようだ。うろたえて引き出しを開け閉めしている姿を、講師たちは横目でずっと見ていた。
 やがて学院長は応接室に籠ってしまって、しばらく出てこなかった。
 一日の終わりには終礼がある。そこで講師たち全てにメモが配られた。見ると、それは学院長の携帯電話の番号であった。
「みなさん、入学金の紛失がありました」
 自分のせいという顔ではなくなっている。
「あずかったお金を引き出しにしまったのですが、その後に所在が分からなくなりました。みなさんがご承知のとおり開ける鍵はその下の引き出しに入っています」
 学院長は全員を見まわした。
「本部に電話して相談させてもらったところ、やはり鍵の在り処を知っている人たちに問うてみる必要があるだろうということでした」
 今度は講師たちが顔を見合わせる番だった。
「皆さんにお配りしたのは、私の携帯の番号です」
 それは職員名簿で分かっていることだと皆が思った。

 そう言えば、こんなことがあった。
 講師の一人が、自転車で通勤途中に車に接触される事故があった。
 その講師は電話で学院長に報告をしたのだが、学院長が皆に説明したときには、
「車で接触事故を起こしたようです」
 という加害者扱いになっていた。
「お気づきの点を……」
 学院長はそこで言葉を切ってから、
「関わっている人は、ぜひ帰宅してから電話をしてください」
 と言った。
 その日は金曜日だった。
 翌日は土曜日で授業はない。順番に講師が一人だけ出勤する。その土曜出勤になっている講師は、ああ自分だ。
 何かが起こるかもしれないと、思わざるを得なかった。

 さて、翌日。
 その講師は、できるだけ学院長の机のほうは見ないようにしていた。
 しかし、そうすると逆にそちらのほうが気になってしまうというのが、よくあることだ。
 講師は立ち上がったついでに、ふと机の上の書類の山を見てしまったのである。
 重なった書類に妙な隙間があるではないか。そして、そこに明らかに膨らんだ封筒が見えているのだ。
 何のことない。学院長はそこに入学金を押し込んだのだ。引き出しだとばかり思って、そちらは見ようともしなかったのだろう。
 見てはいけないものを見てしまった。講師は後悔したが、もう遅かった。
 後はどうするか。
 知らない振りをしているのが、いいに決まっている。そう考えた。
 しかし、時間が経つうちに、
「このままにしておいては、それこそ紛失してしまいかねない」
 そんな思いが強くなってしまった。
 まあ、ありましたよと言うだけだから。
 講師は電話をした。
 学院長はすぐに出た。
「ああ、君だったのか」
「いえ、入学金は学院長の机の上に……」
「いや、いいんだ。いいんだ。正直に名乗り出てくれれば、それでいいんだ」
「いえ、ちがいま……」
「いいんだ。いいんだ」
「いえ……」
 講師の声は虚しかった。

思い込みハラスメント

思い込みハラスメント

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-08-12

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted