後悔に映る想い出

頭の中に浮かんだのはりんご飴に映る花火だった。

昔、夏祭りで迷子になった。人気のない暗いところで蹲っている私を、ある女性が助けてくれた。顔は暗くて見えなかったけれど、
幼い頃の私は彼女に憧れを抱いた。私は彼女に聞いた。「あなたのようになれるか」と。その問いに彼女は――。

頭の中でその光景が花火のように咲いて散っていった。明瞭に覚えているわけではなかったし、思い出そうとして思い出したわけではない。
だからこれは走馬灯に近かった。

私はスマートフォンの画面を開きラインを開いた。トーク履歴の一番上に見慣れた名前。短く「他に好きな人ができた」と書かれた文がある。じゃあ別れよう」と素早く打ち込み、彼に送る。
次に履歴の二番目のトーク画面を開いた。「次いつ会える?」とあった。「今日いいよ」と返した。そしてまた画面を閉じる。

恋人と別れるのは今年に入ってから五、六回目だ。理由は人の数だけあった。今回は相手に好きな人ができた。それだけだ。落ち込まないわけではない。人より落ち込むのが短いだけ。それにいつかまた新しい人が現れるから、長く落ち込む理由はない。

いわば、思い出というのはただのゴミだ。それも吸い殻よりも価値のない塵だ。虚無主義でもないし、ニーチェを尊敬しているわけでもない。様々な人と出会う中で得た、私なりの真理だ。
過去を振り返る暇などないほど、毎日は目まぐるしく周る。一秒過ぎたその瞬間から一秒前は過去となる。いちいち振り返っていたら時間の無駄だ。

扉をノックする音が聞こえる。重い体を起き上がらせて玄関へ向かった。扉を開けると明るい髪色をした見慣れた男が立っていた。男は私の腰を抱くと上機嫌で部屋の中へ入っていった。
ろくに話すこともないまま、男は私のキャミソールに手をかけた。
「彼氏とはマンネリな感じ?」
 男は私の服を脱がしながら聞いた。
「さっき別れた」
「まじか! じゃあ次は俺なんてどう?」
男はニヤっと笑った。並びの悪い歯が見える。
「体の相性はいいけど恋愛感情は湧かないからいいや」
「サバサバしてんねえ」
「後悔しないタイプなだけだよ」
男は軽く笑うと私を押し倒した。この行為も過去になる。振り返らないし後悔もしない。誰がセピア色の記憶を見たい? 前だけ向けばいいのだ。
快楽で溶けていく脳みそで結論付けた。
 
目覚めた時、男はもういなかった。気だるさを感じる体を無理矢理起こして洗面所へ向かった。
蒸し暑い朝だった。スマートフォンを見ると母親から連絡が来ていた。今日実家に帰ることを忘れていた。実家と言っても電車で一時間くらいの距離だ。私は母親に「昼頃に着く」と連絡した。朝食を食べ終わり簡単に支度を済ませて部屋を出た。
午前から鋭い日差しが降り注ぐ。茹だるような暑さだ。長い溜息を吐いて歩き始めた。
 
「あんた、夏祭り行ってきてくれない?」
実家に帰ってきて数時間した時、姉がそう言った。姉は大学を卒業してからすぐに専業主婦になった。子供も小学一年生になっている。
私は棒アイスを頬張りながら首を傾げた。指に溶けたアイスが伝う。
「どういうこと?」
「実はね、弥生が風邪引いて夏祭り行けなくなっちゃって。でもずっと『ピンク色のヨーヨー欲しい』って言うもんでさ。私は弥生の看病で手離せないし」
姉は「お願い」と手を合わせた。姪のお願いとあれば私に断る理由はない。
「いいよ、行く」
「ありがと~。ホントに助かる」

今の時間は十四時半。十八時から祭りは始まるからまだ時間はある。姉は突然思い出したように声をあげ、部屋から出ていった。
私はその背中を眺めながら夏祭りのことを考えていた。昨日見た走馬灯も今日の夏祭りのことだった。何故、あの時迷子になったのか思い出せない。きっとそれほどまでに昔のことなのだ。

「ねえ、これ着ない?」
姉の方を見ると、紺色の浴衣を手に持っていた。自分の顔が歪むのがわかる。
何故、一人で行くのに浴衣を着なければいけないのか。姪と行くのならともかく。姪と一緒に行くならば喜んで浴衣を着るし、なんなら髪を姪とお揃いにする。
「弥生もあんたの浴衣姿見たいって言ってたよ~?」
姉はニヤニヤしながら言った。私がそう言われると弱いのを知っているのだ。姪のお願いは断れない。姪に嫌われてはならないからだ。そのぐらい私は姪を可愛がっていた。
「……着るよ」
「そうこなくっちゃ」
姉は楽しそうに笑った。
 
時間は十八時十五分。私は既に浴衣に着替えて、玄関にいた。髪も結い上げていた。姪にこの姿を見せたらとても喜んでくれたので良かった。
「じゃあ行ってらっしゃい。出来れば花火の写真も撮ってきてよ」
「わかったよ」
私は玄関から出た。夏の夜の独特な涼しげな暑さが体を包んだ。私は下駄を鳴らして夏祭りの方へ向かっていった。ここから徒歩五分ほどの距離だ。
既に屋台が見えてきている。まだ人はあまりいないがこれから増えるのだろう。人ごみは嫌いではないが、今は動きにくい浴衣だ。人が増えすぎたら移動しよう。

しばらく歩いているとりんご飴のお店を見つけた。赤く光るそれはまるで電灯のようで綺麗だった。景色を丸く映し出していて万華鏡のようにも思えた。私はりんご飴を一つ買った。少し上に翳してくるくると回すと景色も回る。美味しそうだが、それよりもこの回る景色の方がずっと面白かった。

私はしばらくりんご飴を見つめていた。するとそのりんご飴に映った景色の端に小さな女の子が一人でいるのが見えた。私は振り返った。私と同じような色の浴衣を着た女の子はどんどん人のいない方へ走っていった。日は気が付けば落ち切っていった。女の子が向かっていくのは屋台の明かりがない方だ。
私はその女の子を追った。迷ったりしたら大変だ。

子供は体力がある。私が疲れ切って歩いているころには女の子は人差し指の第一関節くらいの大きさになってしまった。息を整えて辺りを見渡すと人の気配は全くなく明かりもない路地裏のような場所だった。私は走れる体力はなく歩いて女の子を追いかけた。

ふと、この場所に自分が来たことがあるように思えた、デジャヴュだろうか。夢に出てきたのだろうか。そう考えているとすすり泣くような声が聞こえてきた。あの女の子だ。

歩いていくと少し開けた場所に出た。暗闇に慣れてきた目は女の子を映した。塀を背にしてしゃがみ込んでいた。私は女の子に近づいた。
「ねえ、どうしたの?」
女の子は顔を上げて私を見た。私は手に持っていたりんご飴を落としそうになった。
女の子は私自身だった。顔立ちは幼いが昔の私だった。何か間違いかと思ったが、そもそもこの場所にも見覚えがあった。それもそのはずだ。過去に来たことがあるのだから。何故ここに幼いころの私がいる? もしくは私が過去に来たのだろうか。暑さも相まって頭が回らない。

「お姉さん、誰?」
幼い私は泣きながら言った。混乱した頭を何とか冷静にして考えたが何と答えればいいかわからなかった。そもそも私は何と答えてくれたのか覚えてなかった。あの時の彼女は私自身だから私が思いついた言葉を発せばいいのだろうか。
「お姉さんはお姉さんだよ。それよりこんなところで何をしてるの?」
「お祭りの場所わからなくなっちゃったの」
幼い私は涙を拭った。そして唇をぎゅっと噛んだ。
「あおいちゃんが悪いんだもん。転校するっていきなり言うから」
ああ、そうだ。思い出してきた。確か一緒に来た友達に転校すると告げられて喧嘩になったんだ。そんなの聞いてない、あおいちゃんの馬鹿、なんて言ってそこから走り去った。そして迷った。
「ずっと一緒だって言ったのに」

この頃の私は「永遠」を信じていたのだ。数多くの子供がきっとそうだろう。そして大人になるにつれ、「永遠性の儚さ」を知る。過去を振り返ることが「永遠を想う」ことならそんな行為、無いに等しい。永遠なんてない。そんなことを幼い私に言ったら厳しすぎる。
どうせ何を言ってもこの子は私になる。未来は変わらない。

「ずっと一緒なんてないよ」
私はそう言った。幼い私は目を見開いて私を見た。きっと私の顔は見えてないんだろう。私だって自分の顔がどうなっているのかわからない。
「ねえ、万華鏡って知ってる?」
「うん、こうやって覗いてくるくる回すと綺麗なのが見えるやつ」
幼い私は万華鏡を覗き込むような仕草をした。浴衣の袖がひらひらと揺れる。
「万華鏡がずっと一緒のものしか見えなかったらつまんないでしょ?」
「うん、つまんない」
「それと同じだよ。ずっと一緒なんてないけど、毎日少しずつ何かが違ったら楽しいでしょ」
私がそう言うと、幼い私は目を見開いたまま、頷いた。ちょっと難しかったかもしれない。私は立ち上がって手を差し伸べた。
「でも仲直りはしないとね」
「ほらおいで」と私が言うと、幼い私は少し躊躇ったあと私の手を取った。私たちはそこから歩き始めた。来た道を戻るだけだ。幼い私は手を引かれるまま歩いている。何も言わない。歩くほど人の話し声が近づいてくる。

「ねえ、お姉さん」
歩いてから口を開かなかった幼い私が話しかけてきた。私は後ろを向いた。
「何でバイバイするのは寂しくなるのかな」
「それは……」
そう言ってから自分が別れに寂しさを抱いていないことを思い出した。明日は明日の風が吹くと割り切っていた。一般的に別れは寂しいものだ。何故か。私にはわからない。何故、寂しいのか。そして私は何故、寂しくないのか。過去を振り返らないからか。それだけではない気がした。

「どうして、だろうね」
 私はそう答えた。答えではなかった。
「あなたはどう思う?」
私はそう聞いた。幼い私ならどう答えるか気になったからだ。昔、自分が何て答えたかは覚えてない。幼い私は考えるように唸った。そして口を開いた。
「万華鏡のお話」
「ん?」
「お姉さんがしてくれた万華鏡の話。ずっと一緒だったらつまんない。でも、一個だけでも色が無くなったらちょっと寂しいなって。だからバイバイは寂しいのかなって」
私は立ち止まった。幼い私は隣でまた唸っている。上手く伝えられないと思っているみたいだ。私には十分伝わっている。

万華鏡で例えるなら私の万華鏡は単色だ。変わらないから振り返る必要もなかった。幼い私はきっと鮮やかな万華鏡を持っている。だから一つ色が欠けると何か物足りない気がして寂しく思うんだろう。私は自分の身に起こったものを全て同じものとして見ていたのかもしれない。それはセピア色よりも褪せた色だった。
「お姉さん、私の言ってることわかった?」
「うん、わかったよ、ちゃんと伝わった。すごく素敵な答え」
私は幼い私の頭を撫でた。昔の私はきっと一つ一つの出会い、一つ一つの物事にそれぞれ、色を付けて見ていた。だから振り返っても鮮やかで、別れは寂しいのだ。きっとその方が綺麗だ。今は鮮やかな万華鏡を持っているこの子もいずれ単色の万華鏡になってしまう。それは避けられないことだ。でも今この瞬間、私は色を取り戻し始めた。だからこの子もきっと大丈夫だ。

私は歩き始めた。もう人の姿が見え始めていた。その中でうろうろと歩き回る女の子がいた。あの子があおいちゃんだろう。懐かしい、元気にしているだろうか。そう考えることが少し楽しくなっている私がいた。

幼い私もあおいちゃんに気付いているようで、私の手を離してそちらに走っていこうとしたが、もう一度私の方へ戻ってきた。
「ねえ、お姉さん」
「どうしたの?」
「私……私もお姉さんみたいになれる?」
ああ、そうだった。こんなこと聞いた覚えがある。どう答えればいいんだろう。それに対して何と答えてくれたかは思い出せない。「あなたは私だよ」なんて言ってみようか。それとも無難に「なれるよ」と言った方がいいだろうか。考えた末、私は口を開いた。

「それは未来の話。いつかわかるよ」
私は幼い私に一度も齧っていないりんご飴を渡した。そして「早く行ってあげて」と言った。幼い私はりんご飴と私を交互に見た後、頷いて走ってあおいちゃんの元へ行った。そのうち二人は人ごみに紛れて消えた。

大きな音が鳴った。空を見上げると花が夜空に咲いている。それを眺めながら「やっぱり正体を明かした方が面白かったかも」と少し後悔した。それは甘くて心地いい後悔だった。
幼い私にあげたりんご飴には、万華鏡のように花火を映しているのだろうか。
 

後悔に映る想い出

後悔に映る想い出

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2023-07-15

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