熱風

熱風

Le gioie più grandi vanno sempre divise con chi si ama.

最大の喜びはいつも、愛する人と分かち合うものです。

伊太利亜の愛に纏わる格言より

ギィのマスターを自称する人物にオーナーこと羽瀬山社長が撃たれて以降、パワーバランスが音を立てて崩れたお陰なのか、おっかない顔と雰囲気の人間たちが餌を求めて彷徨うハイエナ、はたまた禿鷹よろしく『スターレス』の周辺は勿論の事、街のあちらこちらにウロチョロする様になり、もうだいぶ時間が経とうしていた六月の或る晩の事である。
閉店業務を終え、数時間振りとなる外の空気を堪能しようと、店の外へとやって来たソテツは、意外な人物から、一緒に帰ってくれないか、と依頼をされた。
其の意外な人物とは、チームPのNo.2であるマイカであった。

誰かにでも付け狙われているのか?。
至極単刀直入な質問で申し訳ないが。

まぁ、そんな所。
確信は無いけれど。

ソテツからの単刀直入「過ぎる」質問に対して、実にあっけらかんとした口調で答えたマイカの表情は、まるで針金を強いチカラで以ってしてグイと曲げたかの様な、何処と無く不吉なカタチの三日月から放たれる冷たい光に照らされていた事もあり、ソテツの眼には酷く寂しげに映っていた。

良かろう。
詳しい話は歩き乍ら。

ソテツは柑橘系の味のするガムを口に放り込むと、気分が落ち着く一助にでも、と言って右手に握ったガムを差し出した。

御心遣い、どうも。

そう言い乍ら左手でガムを受け取ったマイカは、ソテツがマイカの歩く速度に合わせてくれている事を感じ乍ら、ガムを口に入れた。
育ちの良いマイカにとって、物を口に入れた状態で道を歩く事なぞ、正直言って御法度も御法度であったが、今夜ばかりは其の様な事迄気が回らなかった、と言うより気を回したくはない様子だった。
普段から情報の売り買いをしているソテツにとって、マイカが付け狙われる理由と言うか原因が、単に『スターレス』の人間であるから、と言うだけではなく、ひと頃マイカがチームBの藍と一緒に色々と嗅ぎ回っていた事も原因の一つであろう事は、最初〈ハナ〉っから分かっていた。
が、所謂「寝た子を起こす」様な無粋な真似をする程、ソテツも野暮な人間では無い。
道中ソテツは、終始聞き役に徹した上で、誰かに付け狙われている様な感覚を抱き始めたのは四月末から、直接的に何かをされた訳では「まだ」ない、念には念をと思い、興信所の人間の力を借りて部屋に盗聴器or隠しカメラが仕掛けられていないか等を調査して貰った結果、「現段階」ではシロ、と言った情報をマイカの口から得た。
軈て二人は、マイカが契約をしている二十五階建てオートロック式マンションの直ぐ側にある公園へと辿り着いた。
虫を寄せ付けないタイプの照明が爛々と光り輝く紺色のベンチの側に、二台の自販機がある事を確認したソテツは、ちょっとひと息吐くか、其方さえ良ければの話だが、と言ってマイカに聲を掛けると、マイカは、あゝ、と呟き、ソテツからの誘いに乗った。
ソテツは鞄の中から枇杷茶色のハンカチーフを一枚取り出すと、ゆったりとした手付きで其れをベンチに敷いて、さあ、お掛けあそばせ、と態と芝居がかった聲色でマイカの笑いを誘う素振りを見せた。

ソレ、誰かを口説く時のテクニック?。

如何にも莫迦莫迦しい、道化染みたと言わんばかりの聲色の嗤い聲を響かせ乍ら、ハンカチーフの上に腰掛けたマイカが言った。

まさか。
今日が柿〈こけら〉落としさ。
信じてないと思うだろうが。

そう言ってのけたソテツは、沢山のボタンが並んだ自販機の前へと立つなり、何れが飲みたい、とマイカに質問をした。
マイカはすっかり味の薄れたガムを包み紙の中へプッと吐き出すと、包み紙をぐちゃぐちゃと丸め込み、塵箱の中へ包み紙をポイ、と棄てたのち、炭酸系、暑いから、と呟いた。
分かった、と返事をしたソテツが、爽やかなメロンソーダ味が売りの炭酸飲料のボタンを押して電子決済で支払いを済ませると、ピロン、と言う決済終了の音、そしてガコン、と言う鈍い音と共に、炭酸飲料が落ちて来た。

やっと笑ったな。
こんな時に言う台詞にしちゃ、我乍ら実に青臭い気がしてならんが。

右手で取り出し口から炭酸飲料をにゅいと取り出し、キリリ、と言う音を奏で乍ら、炭酸飲料の蓋を開けたソテツがそんな事を述べると、マイカはソテツが差し出してくれた炭酸飲料をギュッと握り、右手の掌がペットボトルからポタリと零れ落ちる水滴で濡れるのを感じ乍ら、久し振りだよ、こんなに笑ったのは、と呟き、ソテツとのやり取りですっかり渇いた喉を炭酸飲料で潤した。

もっと笑える様になれば良いな。

マイカに蓋を手渡したのち、マイカと同じ味の炭酸飲料を選択したソテツが言った。

してくれるの?。
笑える様に。

此の際乗り掛かった船だ、笑える様にもするし、いざとなりゃ、守ってもやるさ。

相変わらず「おもしろきこと」には直ぐ飛び付くよね、ソテツって。

楽しまなきゃ損だろ、一度っきりの人生。

ソテツはマイカの横に腰掛けると、マイカの横顔を拝み乍らペットボトルの蓋を開け、そして其れを勢いよく流し込んだ。

さてと。
部屋の近く迄届け終えた事だし、俺もそろそろ退散しなきゃな。

夜の風が頬を撫でる中、ペットボトルの蓋を締め乍ら、ソテツが呟く様に言った。

今夜は有難う。

マイカは腰掛けていたベンチからゆっくりと立ち上がるなり、ソテツに向かって言った。

次に帰る時は明るい話題にしようぜ、もうちっと。

其処はお前の腕の見せ所とやらじゃないか?。
明るい話題を引き出すのも。

中々な事を言いやがる。
ま、此れも又人生の醍醐味だ、何とかしてやるよ、何とかな。

結局ソテツはマイカが無事に自身の部屋へと戻る所迄、しっかりと見届けたのちに自身の寝ぐらへと帰った。
熱めのシャワーを済ませ、備え付けのシーリング・ファンが回るリビングにて上半身裸の状態で呑むウヰスキー・ソーダは、何処にも立ち寄る事無く部屋に帰って来た時、或いは裏の世界の人間たちとの路地裏でのやり取りを終えて戻ってきた時と違い、えも言われぬ爽快感があった。
そして同時に高揚感を感じていた。
誰かを送り届ける。
そんな事は今迄にも何度となく経験して来たにも拘らず、である。

いかん、いかん。
こいつぁ、タダの遊びじゃないんだぜ。

線引きの出来ない人間など、ただただ未熟な存在でしかないと言わんばかりに高揚感を打ち消したソテツは、二杯目のウヰスキー・ソーダを呑み終えると、冷静さを取り戻す意味での片付けをしたのち、眠りに就いた。
明日の為に、そして一切の事を忘れる為に。
其れからソテツは、マイカとシフトが被る時限定でマイカの送り迎えをする様になった。
其の際ソテツは、過去に海外で見聞きしたジョークを披露し、スタンダップ・コメディアンを演じた。
何も話しかけないで欲しい、と言う雰囲気をマイカが醸し出している時以外、は。
そして必ずミネラル・ウォーターか炭酸飲料を一本奢った。
必要とあらば、コンビニでマイカが買い物をする際の荷物持ちの役迄買って出ようとするソテツの自身に対する働きぶりと言うか献身ぶりに対し、当初こそこそばゆさを感じていたマイカだったが、回数を重ねるうちに心地良さを覚える様になっていた。
同時に、こんな時間が何時迄も続く筈は無いとも思っていた。
聡明過ぎる頭の片隅に於いて。
そうこうしているうちに季節は梅雨から夏へと移り変わろうとしていた。
ジメジメとした空気感から街全体が解放された事を告げるが如く、爽やかな七月の風が吹き抜けていく中、毎朝欠かさず決まった時間に行っている朝のゴミ捨ての序でと称し、化粧品を買い揃える為に立ち寄った薬局からの帰り道、マイカの視線に入って来たのは、例年であればスルーをするどころか、認識すらしていなかった電信柱に貼られた花火大会のポスターだった。

もうそんな季節か。

頭の中でそう思うと同時にパッと思い浮かべたのは、一人で見るより、誰かと一緒に見た方が良かろうと言う考えだった。

でも誰を呼ぶんだ?。

歩き乍ら色々と考えているうちに、ふと気が付けばエレベーターの扉の前にやって来ていた。
外の風とは又違った質感でひんやりとした空気を含んだ冷房の風がマイカの髪を軽く靡かせた其の瞬間、マイカはとっておきの人物が居る事を思い出し、居ても立っても居られないとばかりに、直ぐ様服のポケットに突っ込んでいたスマホを取り出すや否や、とっておきの人物へとメッセージを送信した。
其の頃ソテツは本日の朝食であるハムエッグを載せていた皿を洗い終え、黒革で誂えた書斎の椅子に腰掛け、『夜の手帖-マリー・ローランサン』を読み乍ら、スマートフォンのスピーカーから流れるアール・クルーの『リヴィング・イン・サイド・ユア・ラブ』に耳を傾けていた。
所謂特注品扱いになっている黄褐色の伊太利亜製のクラシックな書斎机の上には、淹れたての珈琲が注がれた此れ又伊太利亜製の珈琲カップがスマートフォンの真横に置かれており、マイカからのメッセージが届いてスマートフォンのバイブレーション機能が作動した瞬間、ほんの一瞬だけカチャン、と言う鈍い音を響かせた。

今度の週末の夜、ウチで花火を見ないか?。

ソテツが視線を向けたスマートフォンのら画面上には、マイカからのストレートな誘い文句が表示されており、ソテツは手に持っていた詩集に書店で購入をした書籍に必ず挟まれている紙の栞〈しおり〉を右手で挟むと、其のまゝスマートフォンを握り締め、メッセージアプリを起動させるなり、以下の文言を綴った。

花火鑑賞には浴衣が付き物。
料金はコチラで支払うから、お前が着る浴衣を買いに行こうぜ。

送信を終え、其のまゝ画面をじっと見据えていると、今度は通話アプリからの着信音が書斎に鳴り響き、ソテツは淡々とした口調でよう、おはようさん、とマイカに朝の御挨拶の言葉を告げた。

本当に選ぶ積もりなの、浴衣。

まるで猫の様にダブルサイズのベッドに寝転がった状態のマイカが言った。

あゝ、本当だぜ。
何なら着付けしてやっても良いぞ。

執事面〈ヅラ〉して良いと許可した憶えが生憎とないんだけど?。

なら其の旨記載しておいてくれよ、新しい契約書に。

ったく、あいも変わらずいい加減なんだからお前ってヤツは。
まぁ、分かったよ。
で、何時買いに行くんだ?。

明後日はどうだ。
確か其の日はお互いに休みだろ。

ソテツはそんな風な内容の提案をすると、珈琲を静かに啜り、青藍色のカーテンの隙間から差し込む眩しげな日差しがまっさらな色彩のソーサーを照らす中、丁寧な手付きで其の上へとカップをゆったりと置いた。

じゃあ時刻は十時。
何処かで待ち合わせる?。

いや、何時もの様に此方が直接迎えに行く。
花火当日の前哨戦と洒落込もうぜ。

気が早過ぎるってば。
じゃあ細かな事は直接会ってから又話そう。

了解。
そんじゃ又後でな。

あゝ。
又後で。

自身に対するソテツの優しげな聲色の余韻を引き摺り乍ら通話を切ったマイカは、たかが買い物じゃないか、そう、たかが買い物、と気持ちを落ち着かせる事にした。
買い物の当日は、ある種の憎らしさすら感じさせる程の晴天であり、其の為マンション迄迎えにやって来たソテツは、マイカへの配慮なのか、所謂メンズ用の日傘を持ってマイカの前へと現れた。

ねぇ、もしかしてだけど、相合傘でもする気でいるの?。

若干の呆れ顔と聲色でマイカがそう指摘をすると、青藍色のレンズが嵌め込まれたティアドロップ型のレイバンのサングラスを掛けたソテツは、間髪入れず、御名答、と答えた。今は亡き名優のバート・ランカスターが、スクリーン上で垣間見せる様な笑みをニカっと浮かべ乍ら。

一々笑わない。
さ、歩こうよ。

あゝ、そうだな。

畳んでいた傘をソテツが開くと、ソテツの背の高さに合わせている事もあってか、其れは単なる傘と言うだけでなく、まるで一つの空間であり、マイカの心情的には大木にでも其の身を預けている様な気分であった。
同時に何時もとは又違ったカタチと雰囲気で自分は此の男に護られているのだと言った感覚を自然と抱かせるモノが、ソテツとソテツが持っている傘にはあった。
そう、不思議と。
暫くして二人は駅ビルへと辿り着いた。
ソテツ曰く、呉服屋は其の駅ビルの四階にあるらしかった。

迷子になるなよ。

流石は大都会。
平日でも人がごった返す駅ビル内へと歩を進めるなり、揶揄い気味にマイカが言った。

なら、迷子にならない様にこうするか。

そう言い返し乍らソテツは、さりげなく且つ自然な手付きでマイカの右手を握り締めた。

腕を組むよか罪は軽いと思うが如何かな、判事さん。

余所見厳禁だからな、其方が其の気なら。

其の積もりだと言ったら?。
最初〈ハナ〉っから。

なら尚更だ。

ソテツに向かってそう告げたマイカは、自身の手と違ってゴツゴツとしたソテツの左手をギュッと握り締めた。
人の心を玩〈もてあそぶ〉なと言わんばかりに。
呉服屋に辿り着くと、品の良い女性店主が現れ、二人の対応をした。
ソテツの態度から察するに、ソテツは其の女性店主とは長い付き合いらしく、女性店主に対してソテツは、『スターレス』で接客をしている際にも滅多に見せた事が無い、実に丁寧な口調で話し掛けていた。

で、どの様なのがお望みで?。

女性店主がマイカに話しかけた。

此処に来る迄の道中、二人で色々と話し合った結果、お揃いのを選ぼうじゃないかと考えていまして。

ならこんなのは如何でしょう。
情熱的で宜しいんじゃないかと、アナタ様の髪色同様。

お洒落なレストランのメニュー表めいたデザインのカタログをパラパラと捲っていた女性店主が捲る手を止めて指し示した頁には、所謂ワインレッドの色彩が眩しい浴衣を羽織ったマネキン人形の姿があった。

如何する?。

マイカがソテツに向かって言った。
ソテツは他の女性店員が用意をしてくれた葡萄味のジュースが入った和蘭製のグラス片手に、今日の主役が其れでオーケーなら、と答えるなり、勢いよく最後のひと口を飲み干した。

では此れで。

ぐずぐずなんて野暮な真似はせずに、其の場で即決をしてくれた事が嬉しかったのだろうか、試着室で浴衣の試着をする間、女性店主はマイカに対してソテツに対するあれやこれやを「ソテツの秘密主義」に反しない程度に教授をした。
其れを聴き乍らマイカは、つくづく不思議な魅力を持ったオトコだ、あの大男、とこゝろの中で呟いた。

帯に下駄に腰紐。
其れ等合わせてざっと5万か。

三階先のフードコートへと向かう際に乗り込んだ硝子張りのエレベーターの中で、寄せては返す波の如く、人と車輌がひっきりなしに蠢く白昼の大都会をじっと見つめ乍らマイカが何の気無しにそう呟くと、呉服屋で購入をした揃いのアクセサリーと江戸前の扇子が入っている紙袋片手に横眼で其の様子を見ていたソテツが、其処にコイツを足して、ざっと六万か、いやはや、結構な買い物になったモンだ、と言った。

こう言うの、何て言うか知ってる?。
「乗せられる」って言うんだよ。

そう言ってのけるなり、マイカは微笑った。
其の微笑はまるで一輪の向日葵を彷彿とさせる明るさがあった。
少なくともソテツの眼には。

フードコートにある喫茶店『ナイアガラ』に入ると、静かな方が良いだろうと言うソテツの提案で隅の席を選んだ。

此処のお勧めは?。

被っていた帽子を脱ぎ、深い背もたれのついた青緑色のソファー席にゆっくりと着座するなり、先程の呉服屋の女性店主よろしくメニュー表をペラペラと捲り乍ら、マイカが言った。
其のマイカの額に薄らと浮かんだ汗を腕を伸ばし、鞄の中のポケットから取り出したばかりの浅緑色のハンカチーフで拭ったのち、此処は軽めにオムライスなんて如何だ、とマイカの質問に答えた。

デザートは?。

其奴はちょっと我慢してくれ。
後でとっておきの場所へと「御案内」する予定だから。

ふうん。

オムライスの写真が掲載された頁越しに、若干怪訝そうな視線をスッとソテツに向けたマイカは、そんな軽めの返事をすると、期待させといてガッカリさせるのだけは勘弁してくれよ、と付け加えてから、テーブル脇のベルを鳴らした。

お待たせいたしました、オムライスでございます。

軈て自分達と変わらぬ年齢と思われる男性店員が二人分のオムライスを運んで来た。
出来立てのオムライス、そして其の上に丁寧に掛けられたのソースの香りが互いの鼻腔を心地よく擽る中、銀色のスプーンを握り締めたソテツは、スプーンひと口分のオムライスを掬い上げるなり、マイカの方へと差し出した。
さも其の行為が当然かの様に。
マイカは気恥ずかしさを押し殺し乍ら口を大きく開けると、オムライスを口に含んだ。
其れからモグモグと咀嚼し、何時の間にかソテツがおかわりを注いでいたらしい冷たい水で流し込み終えるや否や、僕にもさせろ、と言わんばかりに自身もスプーンでひと口分のオムライスを掬い上げ、味も素っ気も無い処か、況してや色気も無い態度で、ん、とスプーンをソテツに差し出したのだが、ソテツはひと言、ありがとよ、とだけ言って、オムライスを食べた。

何たってしたんだ、あんな事。

ソテツの言う「とっておきの場所」へと向かう為に電車に乗り込むなり、マイカがソテツに言った。
其の質問に対しソテツは、実にあっけらかんとした表情と口調で、牽制だよ、牽制、と答えた。

店に入った瞬間から変に色めきだっていたからな、良く言うだろう、煩わしい蠅共はさっさと追っ払うに限る、と。

随分と乱暴な言い回しだけど、ボディーガードの入門書は大昔からそんな「体たらく」なの?。

少なくとも俺が読んだ時にはそうだったぜ。

兎も角、大胆な事を外じゃあんまりしないでくれよ。

二人きりなら良いのか?。

そう言う問題じゃないってば…!。

はっはっは、悪い、悪い。
でしゃばりは此処迄にしとくさ、仰せの通りにな。

反省の色無しってツラなんだけど、如何見ても。
で、次は何処に?。

真昼時の窓の外の風景を眺め乍ら、マイカが言った。
が、案の定ソテツは、其奴は到着してからのお楽しみ、としか答えなかった。
四つ程駅を通り越した辺りからだろうか。
軈て電車は海岸沿いを走り始めた。
空も海も青々としており、時折海鳥が防波堤の周りで疲れた羽根を休める様がチラリとではあったが二人の眼に映った。
そうこうしているうちに、二人は漸く目的地付近の駅に到着をした。
車輌から降りる人は二人を含めると、二、三人程度で、思わず美しくカタチの整ったマイカの唇から、遠い場所に来たモンだな、と言う言葉が溢れ落ちた。
ホームの自動改札機を通り抜け、建物の外に出ると、強い日差しが暇を持て余した○×交通のタクシーの真っ白な車体とロータリー全体を照らし、熱さを含んだ海風が椰子の木の葉をゆさゆさと揺らしていた。
駅から徒歩で凡そ五分程。
急にだだっ広い土地が互いの眼前に現れたかと思うと、其処には白亜の色彩が眩しく、そして美しい美術館の姿があった。

ホレ、此処が「とっておきの場所」だ。

ソテツが言った。

まるで何処かの宮殿かホテルだな。

人によっては「オアシス」と呼ぶ人間も居ると言う話だ。

窓口で入場料金を支払い、ゆったりとした足取りで二階の展示室へと通ずるスロープを登り始めると、社会科見学で此の場所にやって来たらしい何処ぞの高校の生徒達、数名の引率の先生とすれ違った。
皆顔色が迚も若々しく、夏服を羽織っている事もあって、皆大なり小なり肌が焼けていたが、運動部に在籍している様子の子達は、日焼けの度合いが段違いであった。

お前にもあんな時期があったとは、到底思えないな。
どう贔屓目で見ていても。

特別展示室のチケット片手に、マイカがソテツに言った。

そんなお前も身のこなしさえ替えれば、まだ十代で通せるぜ。

妙なタイミングでの誉め言葉。

特別展示室に入ると、態と照明は薄暗くしてあり、藍鉄色の壁に飾られた額縁、或いは硝子ケースの中には、フィンセント・ファン・ゴッホの絵画が展示されていた。
絵画鑑賞中、ソテツは敢えて「くだけた」物言いで展示されている絵画或いは時代背景等の解説を、多過ぎず少な過ぎずの要領でこなし、マイカの知的好奇心を上手く刺激した。
そもそもソテツは教養だの藝術だのとは、縁遠い顔をしている癖して、実は藝術大學卒で在學中は美術史を専攻及び研究していた事もあり、敢えてソテツ流の言い回しをするならば、満更「縁遠い」存在でもないでもなかった。
が、「昨日何をしたかよりも、今日何をすべきか」を旨とする此の男にとって、自身がどの様な人生を歩んで来たかを話す事なぞ、如何でも良い事だった。
無論、過去を曝け出し、其れが回り回って自身の足を絡め取ってしまう事を避ける意味もそこにはあった訳だが。
特別展示室を出た後、二人は二階のテラスに設けられた喫茶室に足を運んだ。
其処からは街と海を眺める事が可能で、広々とした駐車場を通り抜けた先にある浜辺に於いて、泳ぎ或いは日焼けに興ずる人々の姿を見つめる事も出来た。

さて、お待ちかねのデザートの御時間だぜ。

真っ白且つ皺一つ見受けられぬテーブルクロスの敷かれたアンティーク調の円卓の上に置かれたメニュー表をマイカに手渡し乍ら、ベルを鳴らしたソテツが言った。
現れたのは、四十代前半の女性店員だった。

御注文をどうぞ。

華尼拉氷菓〈バニラアイス〉と氷菓珈琲。

同じ物を。

畏まりました。
直ぐにお持ちいたしますので少々お待ちください。

此の後の予定は?。

マイカが言った。

浜辺を歩くも良し、其のまゝ帰るも良し。

歩こうよ、折角だから。

なら帰りの電車でお前の綺麗な寝顔を拝めるかもな。

其れは巫山戯過ぎ。

いやはや失敬、失敬。

華尼拉氷菓と氷菓珈琲がテーブルに運ばれて来ると、今度はマイカがソテツに向かって氷菓の載ったスプーンを差し出した。

したいんだろう?。
こう言う事。

ソテツはひと言、冴えていらっしゃる、と返事をすると、華尼拉の香りが鼻腔を擽るのを感じ乍ら、スプーンを咥えた。

お味は?。

マイカが言った。

大変に美味。

なら結構。
さ、今度はお前の番だぞ。

へいへい。

口の中の華尼拉の余韻を楽しむのもそこそこに、右手にギュッとスプーンを握り締めるや否や、穴でも掘るがみたいに氷菓の表面を抉ったソテツは、どうぞ、召し上がれ、と言い乍らスプーンを差し出した。
綺麗に整ったマイカの鼻先へと。

どうも。

華尼拉同様、あっさりとした御礼の言葉を述べたマイカは、スプーンを咥えると、悪戯っぽい笑みを浮かべ乍ら、此れで満足だろ、とソテツに向けて言った。
互いの耳に風が椰子の葉を揺らす音が響き渡る中、ソテツは静かな口調で、あゝ、此れで満足、とマイカに伝えた。
デザートを嗜み終えた二人は、約束通り、浜辺を散策した。
日傘を差し、魔法の粉でも振り撒いたかの様にキラキラと光り輝く白い砂浜を、教会のバージンロードでも歩くみたくゆっくりと歩き乍ら、次に来るときゃ、水着を持って来ようぜ、と冗談混じりにソテツが述べると、此処迄来ると、一々取り合うのも面倒だと言わんばかりの口調で、新品の水着代、お前持ちだからな、とソテツに向かって言った。
其れから履いていた厚底サンダルを其の場で脱ぐなり、海には入れないけど、と言いつゝ両足を浸し始めた。

付き合えよ、お前も。

マイカはそう言い乍ら手を差し出した。
手を差し出されては断れない。
開いたまゝの日傘を地面に置いて、のっそのっそとサンダルを脱いだソテツは、砂の熱さを直に感じ乍ら、日傘を手に持った状態で海水に自身の両足を浸し、そしてマイカの手を握った。
此の様な事をするのは、去年の夏フェス以来であるからして、丁度一年振りの事だった。

ちょっとそんなに強く握らなくても、僕はマーメイドになんかならないよ。

お前、何時から人のこゝろの中が読める様になったんだ?。

なんだ、図星だったのか。

我乍ら脇が甘かったな。

諺に曰く、「門前の小僧習わぬ経を読む」。
自然と癖付くものさ。

そうだな。
其れが良い事か惡しき事かは兎も角として。

ざぶん、ざぶん、と言う音に耳を傾け乍らソテツがそう答えると、着替えだの片付けだのを済ませて駐車場の方向へ歩き出した五人家族の姿が二人の視線に入った。
其れを見たマイカが、そろそろ帰ろう、僕たちも、とソテツに言うと、ソテツも、そうだな、と答えて、マイカをエスコートし乍ら水辺を離れた。
そして鞄の中から青緑色のフェイスタオルを一枚取り出すと、足、拭きたいだろ、と言ってマイカに差し出した。
するとマイカは、お前が拭いてくれよ、どうせなら、と「らしからぬ」提案をした為、降参だ、と言わんばかりの何とも言えぬ笑みを浮かべ乍ら、日傘を畳むなり、そんじゃ失礼と言って、高価な陶器にでも触れるかの様な丁寧な手付きで敷物も無しに砂浜に腰掛けたマイカの足に触れ乍ら拭いた。

宛ら『アラビアンナイト』の世界だぜ。

マイカの左足に纏わり付いた水滴をそっと拭い乍ら、ソテツが言った。

お前は家来と言うより盗賊だな。
其れも悪どい。

そう言ってマイカは微笑い聲を響かせた。

我乍ら反論出来ないのが情け無い話だ。

苦笑いを浮かべる事しか出来なかったソテツは、綺麗になったぜ、と言って、マイカのサンダルを差し出し、そしてマイカの手をゆっくりと引っ張ってマイカを立ち上がらせてから、タオルを鞄の中へと仕舞った。
帰りの電車の中は、寝顔も含めた海で泳ぎ疲れた人々の顔が其処彼処に並んでおり、自然と気持ちが現実へと引き戻される様な気がマした。
少なくともマイカには。
そんなマイカにも心地良い疲れが訪れたらしく、ソテツの身体に寄り添う様に暫しの眠りに就いた。
柑橘系らしいシャンプーの香りが鼻腔を擽る中、ソテツは黙ってマイカの身体を受け止めると、ただただ悪い夢を見ないで欲しい、と願い乍ら、美術館で手に入れたパンフレットに眼を通した。
マイカの眼が醒めたのは一つ前の駅に車輌が止まっている間の事で、眼が醒めるなり、垂れなかったかい、涎〈よだれ〉と、ソテツに質問し、欠伸を噛み殺した。
ソテツは鞄の中から取り出した眠気覚ましのブラックガムを、マイカの左手に握り締めさせ乍ら、あゝ、大丈夫だ、と呟いた。
そんなこんながあったのち、花火大会当日はやって来た。

さ、後は髪を整えるだけだぜ。

服のみが収納してある部屋に設置された玄色の立ち鏡の前で、マイカが羽織った浴衣の帯を力強く結び乍ら、自室で既に浴衣に着替えた状態でマイカの部屋へとやって来たソテツが言った。

お前、本当に着付けが出来たんだな。

マイカが驚きの表情を浮かべ乍らそう呟くなりソテツは、出来ると言う様に出来る様に仕込まれた、と言うのが実情だがな、と言って帯を結び終えたマイカを、羽織ったばかりの浴衣が皺にならぬ様にドレッサーの前の涅色の椅子へそっと腰掛けさせると、「使ってあげたい人が見つかったら、其の人に使ってあげるんだよ」と其の昔、父方の曽祖母から手渡されたのだと言う戌の絵が刻まれた櫛を使って淡々と髪を梳かしたのち、マイカの髪を結い始めた。
髪を結う際の表情は役者と言うよりも、熟練の職人或いは髪結いの様で、改めてソテツが「多彩な才能」を何重にもひた隠しにしている事をマイカは其の手際の良さから察し、同時に其の秘密を知っている事に対するある種の優越感をこゝろの中に覚えるのだった。
マイカの髪を結い終える頃には、外はすっかり夏の夕闇に包まれており、ベランダにぶら下げた金魚のカタチをした風鈴が、夜風に煽られリンと音を立てる以外は、精々道路をクルマが行き交う音位しか聴こえては来なかった。

朝の駅前の立ち喰いも良いが、やっぱり誰かと一緒に喰うのが一番だな、蕎麦みたいにアッサリとした料理は特に。

茹で上がったばかりの蕎麦を啜り乍ら、ソテツが言った。
尚、蕎麦が食べたいと提案したのはマイカの方で、作ったのはソテツだった。

此処最近、言う事が段々と所帯染みて来たんじゃないの?。

お前みたいな「イイコ」ちゃんが、何処で覚えるんだよ、所帯染みた、なんて言い回し。

そう言ってソテツは氷が二、三個入っている空になったばかりの紺色のグラスに麦茶を注いだ。

さあ、忘れちゃった。

良くもまぁぬけぬけと。

お互い様だろう、駆け引きは。

蕎麦を冷やす為に氷が放り込まれている朱色の器へ、金粉が塗してある大内塗りの箸を使って新しい蕎麦を盛り乍ら、マイカがソテツにそう言うと、其れもそうか、ソテツは返事をし、又蕎麦を啜った。
蕎麦をあっという間に平らげた二人は、片付けもそこそこに、大きな花火が上がる中、缶麦酒片手に並んで弾けては消えて行く花火をじっと見つめた。

今夜だけどさ、泊まっていけよ。

赤々とした色彩の花火が大空で炸裂し、自身の横顔を照らす中、マイカが言った。

ならリビングのソファー使って寝て良いか?。
さっき座った時、座り心地が良かったモンでね。

「自身の肌を触れさせたオトコを泊める」って言う事がどんな意味か知らない程、ウブなネンネじゃないんだけど。

なら願ったり叶ったりだ。
だが・・・。

だが、何?。

麦酒の白い泡を唇に付けた状態で言う台詞にしちゃあ、ちと艶っぽ過ぎらぁ。

ソテツはそう言い乍らマイカの唇に付着をした白い泡を金青色の手拭いでそっと拭ったのち、何時になく真剣な表情で、愛してる、と呟いてから、マイカの唇を奪い、そっとマイカの身体を抱きしめた。
自身の口元がほんの少しだけ麦酒の苦い味のするのをマイカは感じ乍ら、愛してる、と答えた。
混じりけ無しのソテツの真剣さに応える様かの様に。
軈て花火も凡て上がり終えたらしく、今一度静寂が訪れた。
熱い風が頬を撫でる中、空になった缶麦酒をマイカから受け取るなり、グシャリと潰したソテツは、俺たちが思っている以上に、世界は案外慈愛に溢れているのかもしれん、と誰に言うともなく呟いた。

まぁ、かと言ってあの店の連中に胸襟〈きょうきん〉を開こうと言う気にはまだなれんがな。

現金なヤツ。

そう言うモンだろ、人なんざ。

そりゃそうだけど。

そろそろ入ろうぜ。

そうだな。

マイカは広げていた扇子をピシャリと閉じると、下駄を脱いだ。
ソテツの分の下駄を靴箱へと持っていこうとすると、塵箱に缶を棄てていたソテツが其れを見て、ちょっと待ってろ、と聲を掛けられたので、其れを辞めた。
ソテツはマイカの側へ寄って来るなり、リビングの照明を浴び、紺色に輝く自身の下駄の紐を右手で持つと、こう言うのは、共同作業でするのが、筋ってモンだろ、と言って、マイカの右手を優しく握った。

其の手の映画の見過ぎじゃない?。

マイカが微笑い乍ら言った。

そいつぁ、悪うござんした。

手を繋いだまゝ廊下を歩き、靴箱の中に下駄を収納した二人は、お互い満足そうな表情を浮かべ乍ら、顔を見合わせた。
マイカは先程とは違って自身の方からソテツの顔をゆっくりと引き寄せると、ソテツの唇に口付け、愛してる、と告げた。
ソテツも其れに応える様に潮騒を思わせる柔らかな聲で、愛してる、と返した。
内なる想いを帯びた熱い風が、互いの身体を吹き抜けていった。〈終〉

熱風

熱風

様々な経験と体験を経て、絡まった糸を解き放していくソテツとマイカを主人公にした熱い小説。 ※腐向け要素,独自設定があります。 ※ 本作品は『ブラックスター -Theater Starless-』の二次創作物になります。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-06-26

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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