私はカマキリになりたい

私はカマキリになりたかった


私がカマキリになりたい
そんなことを考えだしたのはいつ頃だろうか
確か高校生あたりだったと思う

私がカマキリになりたいと思ったのは
鎌がほしいわけでも、
頭の触角がほしいわけでもない
私がカマキリに憧れたところは
その「愛」の形だ
カマキリは行為のあとオスがメスに食べられるということがあるそうだ
私はそこに「愛」を見出した
相手のために死ぬことが究極の愛だと思った

「愛」には様々な形があるが
どれをとっても結局最後に行き着く先は
共依存だ
私は「愛」という言葉は「共依存」を
わかりやすく、オブラートに包んだだけの言葉だと思っている

私は「共依存」が悪いと言ってるわけじゃない
というかそれこそが人のトップに立つべきのものだと思っている
ここまで来るともはや崇拝に近いのかもしれない

だいぶ話が本題からズレてしまったので
もとに戻そう
私がカマキリになりたい理由はもはや心中に近いのかもしれない

心中と捕食は違うことだと考える事もできる
いや、別の事と考えるのが普通か
その面だけを捉えるのなら心中と捕食は別物だ
だけど私が捉えたのはその先だ
「死」
生物の根幹にありほとんどの生物が平等に受け入れなければいけないものだ
そしてその根幹にあるものを相手に託すことができる関係を「愛」と呼ぶのではなかろうか

昔の人はよく心中をしたらしい
私はそれはなぜかと考えた
そうすると身分というものが浮かび上がってくる
身分の違う恋を死で解決する
これを最初に考えたのは小学生のときだろうか
その時の私はまだ普通だったので
他の人のように怖いと考えることができた
たが今再び考えてみると
昔の人こそ「愛」に飢えていたのではないか
そう考えることができるようになった

私は相当ひねくれていると思う
私自身もそれはよくわかっているつもりだ
これからは少し私の昔話をしようと思う
私というものが出来上がった過程の話だ


私は都会でもなく田舎でもなくいわゆる普通という場所に生を受けた
祝福された出生ではなく
俗に言うデキ婚というやつだ
そこから私の形だけの家庭は始まった

家庭を一つの花壇として理解するのであれば
私の知り合いの花壇には皆
それはそれはきれいな花を咲かせていた
一方私の花壇は手入れもされてなく
雑草が生い茂っていた

私の家は多少お金がある方だったので
形だけの愛を作るのは簡単だった
だけど蓋を開けて見てみたら
それはそれは醜かった

父と母に言葉で貶されるのは日常茶飯事だった
酷いときは拳が飛んできた
もっと酷いときは別々に拳が飛んできた
毎日怪我をしているので傍から見れば
スポーツ少年のように見えたのだろう
ご近所さんや学校の人に通報されることはなかった
ある日あまり仲が良くなかった両親が二人だけで出かけることがあった
当時中学生の私は両親が仲良くなったと勘違いをして嬉しくなっていた
もちろん現実はそうではなかった
その日二人は帰らぬ人になった
私が「愛」と「死」を脳で並列処理してしまったのはこの日が初めてだろうか

両親が亡くなったあと私は叔父に引き取られた
意外にも両親は多くの遺産を残していたらしい
私は税金を除いたそのすべてを引き継いだ
叔父の家よりも私の家のほうが広かったので叔父の一家は元々の私の家に住むことになった
叔父は3人家族で叔父とその妻と娘がいた
花壇で例えると普通花壇で栽培しない花まで咲いているぐらい仲の良い家庭だった
皮肉にも私の家族と対比するような

叔父の一家が引っ越してきて私の周りが大きく変わった
怒号と泣き声が響いていた家の中は
笑みと歓喜に包まれた
その反面私はとても居心地が悪かった
変な話元々の家族の家庭環境は最悪だった
だけど私はその家の家族であり一員だった
最悪な日々だったけどとても過ごしやすかった
今は違う
叔父の家族はよく私を気遣ってくれた
だけどそれをされるたび私は疎外感に包まれた

叔父が私の家に来て少しした頃
私の人生の歯車はここからおかしくなってきていた

私はカマキリになりたい

私はカマキリになりたい

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-06-25

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