CAT File 1 :おみくじダルマとサイレント・ミャウ

CAT File 1 :おみくじダルマとサイレント・ミャウ

子供と話しながら書きました。
アメリカの刑事ドラマみたいに展開を早くしたくて、細かいことは気にしない感じで書きました。
子供と、児童書の某探偵シリーズの警察は犬のオジサンばっかりでかわいくないね、話していたあたりから、女の子の猫ばかりの警察っぽい組織の話を作ろうかとなったのがはじめです。

000. CAT: Chasm Adjustment Taskforce

 この世界には、現実と齟齬が生じるような別種の現実やもうひとつふたつ向こうの世界の秩序との衝突が生じさせる境界性の強い大小様々な事象が多々ある。その境界をなんとなく適当にうまく現行の現実に馴染ませてとりあえず凌ぐための組織がCAT(シーエーティー)である。CAT(シーエーティー)はネコビトと呼ばれる、人間の世界向けには人もしくは猫の姿を取り、気を抜いた時には猫と人の間のような姿を取る、ネコ・サピエンス達によって運営されている。これは彼女達の物語である。

Scene:001. 殺ダルマ事件

Scene:001. 殺ダルマ事件

初夏の日差しはまだ柔らかく、新緑に覆われた早朝の深堀寺の境内は爽やかだ。そこに、二匹の猫がいる。すっきりとした体格のシャム猫と、金色っぽい毛色の仔猫だ。のんびりと身を伸ばし、仔猫は中空に爪を立てて石畳の上をゴロリと転がる。やがて、シャム猫が立ち上がったかと思うと、美しいスーツ姿の女性が姿を顕す。その女性は、階段を上がってきたグレイヘアの中年女性に挨拶する。
「ああ、沼田(ぬまた)署長。いらっしゃってたんですね。」
グレイヘアの女性は、ふくよかで品の良い笑顔を部下に向ける。それから、彼女の足元に目をやって言う。
「うわあ、凄惨(せいさん)だわね。かわいそうに。」

足元につぶれた赤い小さいダルマがいる。アルファベットの見える芯材と薄茶の粘土らしきものをそこらに撒き散らしている。深堀神社の、神社兼寺院の入り口の門の辺りだ。この門の柱は朱に塗ってあり、それが故に視界に赤が多くなるので、必要以上に惨たらしく見える。山門の塗装のひび割れまでもが、哀れな小さいダルマの傷に呼応している。

「質問です!せいさんって何ですか?」

先ほど、仔猫から人間姿に戻った新人のちゃる捜査官がメモ帳を手に質問する。ちゃる捜査官は、人間としては小学生だ。最近、「黒猫かぞえ」事件で人間界からCAT(シーエーティー)入りした期待の新人で、正式にネコビトになったのがうれしいので、猫に寄りがちなことが多い。

「ちゃる捜査官、挙手しての質問は偉いね。でも、猫爪が出ちゃってるよ。うーん、凄惨(せいさん)、せいさん…難しいな…」

先輩の遮無(しゃむ)捜査官が、にっこり笑ってしまうのを抑えられずに眼鏡を直すふりをする。遮無(しゃむ)は真っ青な瞳と目元のアイラインが美しいクール系の女性だ。その動作に気付いた沼田(ぬまた)署長が、朗らかに言う。

遮無(しゃむ)ちゃんは真面目だから。難しく考えないでいいの、せいさんは…うん、こんな感じで、ぐちゃぐちゃって、ひどいなって感じよ。ピザを床に落としちゃったみたいなかんじ。」

CAT(シーエーティー)日本支部署長の沼田(ぬまた)は、ボリュームのある体格に経験と威厳を漂わせている。凄惨(せいさん)という漢語をまだ子供であるちゃる捜査官に、具体的に易しく説明するやり方に、遮無(しゃむ)捜査官は感嘆する。やはり大物は違う。

「さすが署長、分かりやすいですね…。しかし、なぜ今日はこちらに?」

「新人の人間の仔の様子を見に来たのよ、どう?ちゃるにゃん。」

ちゃる捜査官は光が当たると黄金に輝く毛の持ち主だが、今日は新人の常で、黄色いCAT(シーエーティー)帽子をかぶっている。これは人間の小学校1年生が使用するものによく似ていて、CAT(シーエーティー)の物には耳飛び出し防止機能が付いている。

「まだ爪の出し入れが難しいです。」

「そうよね、人間からCAT(シーエーティー)に入った仔は、最初は大体そうなのよ。大丈夫、すぐ慣れるわ」

沼田(ぬまた)署長の優しい励ましに子供らしい笑顔で応えるちゃる捜査官。そこへ、遠くから呼ぶ声がする。

遮無(しゃむ)さん!大変だ!」

遠くから三色の髪色の小柄な女性が駆けてくる。人間ビトの流行とも呼応した配色具合で、洒落ている。

Scene:002. サイレント・ミャウ

Scene:002. サイレント・ミャウ

三ツ池(みついけ)ちゃん、どうした?」

遮無(しゃむ)捜査官が、銀縁の眼鏡を直しながら、素早く小柄な三ツ池(みついけ)捜査官に向き直る。三ツ池(みついけ)は、山門の短い階段を駆け上って上がった息を落ち着かせようと肩で息をしながら、3色のボブをかき上げて報告する。

「サイレント…サイレント・ミャウがまた…」

「あら…ここ数週間巷を騒がせている、あれね…」

ちゃる捜査官の後ろからゆったりと沼田(ぬまた)署長が立ち上がると、驚いた三ツ池(みついけ)はその毛を逆立たせて敬礼する。

沼田(ぬまた)署長!お疲れ様です!しかし、なぜここに…」

「だって、お天気がいいんですもの。それで、サイレント・ミャウのガイシャは?」

「例によって、オスビトです。39歳会社員、人間、男性。長期にわたる徘徊で極度の睡眠不足と栄養失調、ひどいもんです。」

「生きてはいるのね?」

「はい。先刻、雨所(あめしょ)捜査官が人間の病院へ搬送しました。」

「うむ。それで、三ツ池(みついけ)ちゃんは病院から走ってきたの?」

「いえ、署に帰る雨所(あめしょ)さんにそこまで送ってもらいました。」

「あら、じゃ、なんで走ってきたの。」

「それっぽくなるかなと思ったからです。」

「にゃるほど。」

ネコビトたちは、ネコビトたるが故に、それで納得する。「それっぽい」ことは、この人間社会においては何よりも重要であり、ネコビトたちはそれを十分に理解している。それで、三ツ池(みついけ)沼田(ぬまた)に詳しい報告を始め、遮無(しゃむ)はその隣で手持ちのタブレットにその情報を入力するプログラムを起動させて音声を拾わせる。そのうちに、あちらからのんびりとさらに二人のネコビトが現れる。一人が手を振る。

遮無(しゃむ)ちゃぁーん、三ツ池(みついけ)ちゃぁーん、おつかれさまぁー。」

ロングヘアをふわふわに巻いて白衣を着た丘斜(ぺるしゃ)検視官は独特の間合いで優雅に手を振り、署長に会釈をする。隣で明るいオレンジの髪をショートカットにした阿日(あび)分析官が沼田(ぬまた)に気づいてサングラスをずらす。

沼田(ぬまた)署長!マイナ事件の現場にいらっしゃるとは、珍しいですね。」

「まあぁ、ちゃるにゃんも今日は現場なのねぇ。新人帽子、かわいいわぁぁ。」

丘斜(ぺるしゃ)検視官は、ちゃる捜査官の頭を帽子の上から撫でると、ゆったりとダルマの方へ歩を進める。阿日(あび)分析官もそれに続く。

「二人とも気が早いわね。」

「実は、さっき話したニンゲンのオスが死んだかと思って呼んじゃったんですよ…」

「ねーえー、もうご遺体回収してもいいかしらぁー?」

山門から丘斜(ぺるしゃ)が、三ツ池(みついけ)遮無(しゃむ)に声をかける。

「あ、ちょっと待って。現場写真を撮らないといけないでしょ。」

遮無(しゃむ)が言うと、阿日(あび)が独特のアクセントで言う。

「ああ、写真な。もうこっちで撮ってますよ。」

「ほんと?仕事が早いね。じゃあ、あとはお願いできるかな。」

「はーい」

「ダルマを殺したのは誰なんだろうねえ」

「死んでません!」

壊れたダルマが声を上げた。それは、軋むような、少し甲高い叫びだ。丘斜(ぺるしゃ)はそれを、猫目の瞳囲む長いまつげをしばたかせて確認する。ダルマは、こちらに顔を向けようとわずかに揺れている。

「ねーえーしゃべったぁー」

丘斜(ぺるしゃ)検視官が声をかけると、遮無(しゃむ)三ツ池(みついけ)が山門に駆け寄る。

「死んでません!」

ダルマが再び、叫び声をあげると、CAT(シーエーティー)の面々は、顔を見合わせる。そして、共通の冗談でも言い合った後であるかのように笑う。

Scene:003. よみがえったダルマ

遮無(しゃむ)捜査官が沼田(ぬまた)署長を振り返り、冷静に報告する。

「署長、ダルマ氏、死んでないそうです。」

「そうねえ、では、ちゃる捜査官、どうしたらいいと思う?」

「事情聴取でしょうか。」

「そうね。」

「あ、でも、事情聴取は犯人?犯人じゃにゃいとできなかったです?」

「よく覚えてるわねえ。」

「署長、新人を甘やかさないでください。」

遮無(しゃむ)捜査官はダルマ氏に年齢と職業を聞き、人間ではない旨の確認を取っている。ダルマはその通りですと神妙に返答する。一方で、内心では、まだ壊れたままなのだけどなあ、と、考えている。

「しょうがないじゃない、人間の時もまだ子供なのよ。かわいいわあ。」

「にゃあ」

「ちゃる、顔が猫に戻っているわよ。」

「すみません、まだ猫加減がわからなくて。」

「ええと、まだ死んでないんで、助けてください。おーい、聞いてますか?」

ダルマは一同ののんびりした様子に困惑するが、ネコビトの秘密警察はこんなものかもしれない。一般的な人間から見れば一同は境内入り口の朱色の山門の横でくつろぐ猫の一団にみえる。一方で、境界にいる人間やその他の処々の事情のある者には、仕事のできそうな警察関係者にも見える。その実は、境界の世界の事件を取り扱う国際組織である。

「すみません、手当てしてくださ…あれ?」

「もう応急手当てはしたわよぉ?」

検視官の丘斜(ぺるしゃ)がのんびりとした口調で言う。彼女は仕事は早いが性格はのんびりしている。

「手、ないのに手当て?」

「そうね、うまい」

ダルマはこの扱いの軽さに憤りを覚えてよいものやら、気安さに気を許してよいものなのか測りかねている。そこへ、泣いて駆け寄る水色のダルマがいる。

Scene:004. 悲劇の付喪神カップル

「赤ダルマさまぁぁ!」

現場を保全しようと制止する捜査官達に阻まれ、水色ダルマは悲痛な叫びをふり絞る。沼田(ぬまた)が頷いて指示を出し、阿日(あび)が水色ダルマにかぶせた虫取り網をはずすと、水色ダルマは泣きながら赤色ダルマとその破片へ駆け寄る。

「ああ、赤ダルマさま!」

「ああ、水色ダルマさん!愛しい人!」

「こんなになって…半分、崩れているではありませんか…」

青ダルマは赤い山門の陰の赤いダルマの破片を眺めやり、散乱した英字新聞の詰め物を視線で辿って泣き崩れる。

「あらあ、なんか素敵」

丘斜(ぺるしゃ)検視官が嬉しそうに言い、じっと2体を観察する。丘斜(ぺるしゃ)捜査官の趣味は観劇だ。一方、悲劇的な二人に興味をなくしたのか仕事が終わったのか、阿日(あび)は最後に無言で全体の写真を撮ると、ふらりと去ってゆく。スーツの背中に視線を感じると、二本指でクールに挨拶を飛ばす。

「ああ、阿日(あび)ちゃん、まってぇー車、私も乗るのよぉ」

阿日(あび)を追って丘斜(ぺるしゃ)が立ち去った後も、ちゃる捜査官は興味津々に寄り添うダルマたちを見ている。

「ダルマさん達、目がないのにどうしてお互いの様子がわかるんでしょうか?」

「そうねえ。ちゃる、猫になっていいわよ。」

「やった」

ちゃる捜査官は嬉しそうに身震いすると仔猫に姿を変える。柔らかい日差しに黄金の毛が透けて神々しい。そんな神々しい仔猫が、2体のダルマの匂いを嗅ぐ。

「何かわかる?」

沼田(ぬまた)遮無(しゃむ)と共にちゃるの様子を見守る。仔猫は金色の瞳でおびえた様子のダルマたちの様子を観察し、匂いを丁寧に嗅ぎ、爪を引っ込めた小さな肉球でちょこんと触れる。

「うーん、二人は…ただのだるまさんではありませんね…わかった、付喪神(つくもがみ)なのですね。」

「GOOD GUESS, ちゃる。おそらくは…」

教育係の遮無(しゃむ)の言葉を遮って、水色ダルマが声を張り上げる。

「ああ…
我らはただ、
御籤(みくじ)の箱に
寄り添い眠る
紅と蒼の夢……

三百文に
揺るる運命(さだめ)を
よけながら
触れぬ願ひを
ただ見送りし

なにゆえに
この日この時
かくも無惨に
裂かれし縁(えにし)
君を砕かむ……」

(ええ、その通りです。わたくしたちはダルマ御籤のダルマに生じた、付喪神(つくもがみ)なのです。いつも三百円を払っておみくじを引く人間の手を避けて、二人で寄り添っていましたのに…)

言葉に詰まって水色ダルマは泣き崩れ、赤ダルマもそれに続く。水色ダルマの嗚咽は高音で、赤ダルマは男泣きだ。

「仕方がにゃいなあ。」

「えーここのダルマお御籤楽しいのにぃ」

「おや、ちゃる捜査官、やったことあるの?」

「うん。かわいいよ、ピンクとかあるですにゃ。」

三人が泣き崩れるダルマに手を焼いているところに、今度は大きな影が差す。

「あ!人間ビト接近!いったん引きましょう。」

猫に戻った沼田(ぬまた)署長は、仔猫サイズのちゃるの襟首を咥えて物陰へ隠れる。建物の陰のシダ植物が、2匹が通り過ぎた余韻で揺れる。その揺れが収まる前に、署長とちゃる捜査官の猫の顔がその下に覗く。

Scene:005. 大型の男性ニンゲンビト

Scene:005. 大型の男性ニンゲンビト

一方、逃げる時間がないと判断した遮無(しゃむ)は、スーツにポニーテールの美しい女性の姿でその場にとどまる。人間の姿で背筋を伸ばし、きちんとした姿勢でしゃがんでいる。

「こんにちは。」

警備員詰所から出てきた、大きな制服姿の男性が、笑顔で声をかける。彼は沼田(ぬまた)署長のように恰幅がよいが、背も非常に高い。かなり大型の人間ビトだ。

「こんにちは。このダルマは、こちらの神社のものですか?」

「ええ?ああ、ありゃりゃ、かわいそうに…」

温和な大型動物のような男性は優しく高めの声で言うと、遮無(しゃむ)のとなりにしゃがむ。そして、飛び転がった赤いダルマに黙礼をしてから、散った赤ダルマの破片を大きな手で拾い集める。肉厚な手のひらに収まったダルマの破片は、まるで毛布に包まれたようにみえる。そして、男性は破片を持っていない方の手で、ゆっくり十字を切る。それを銀縁メガネの向こうのから観察していた遮無(しゃむ)に気が付くと、小声でこういう。

「ああ、この仕草。」

「相撲の…?」

「あ、あはは。僕がやると、そう見えちゃいますよね。でも、似てるんですが、相撲はこうなんです。」

警備員の男性は左、右、真ん中と大きな掌を動かし、それから改めて十字を切りなおしてその差を伝える。遮無(しゃむ)はその差を後で再現できるように小さく指先で真似る。男性は人好きのする笑顔でこっそりと言う。

「僕、神社勤めだけどカトリックなんです。あ、でもここ、神社兼お寺です。」

「なるほど…そして、ダルマはどちらに属するんでしょうか?」

「さあ…僕もよくわからないんです。おや、この赤いダルマさん、マスキングテープが張ってある。可愛い花柄ですね…あなたが?」

「いいえ、さっき白衣を着た人が貼ってしてました。」

それは実際、丘斜(ぺるしゃ)が貼ったので嘘ではなかったが、警備員の男性は奇妙な顔をした。白衣の丘斜(ぺるしゃ)が、この人間の男性にはヒト姿には見えなかったのだろう。

「さっき、猫が何匹かいたのは見たんですが。白衣を着た人…?お医者さんかな。」

「医者ではないかと。」
じっさい、丘斜(ぺるしゃ)は医者というよりは検視官だ。ただ、あまり仕事のない検視官なので、医者的な事はするし、できる。

「そうか…では、コスプレの人もいたんですね。困ったなあ、コスプレ写真は境内ではご遠慮くださいって、僕、言わないといけないのです。すぐ外に映え場所はあるから、教えてあげるんだけどなあ…」

それから、男性は大きな手で2体のダルマをやんわりと拾い上げ、カケラと同じ側の手のひらに収める。それから、反動もつけずに予想外のスムーズさで立ち上がる。もう片方の手でポケットを探ると、ジャラジャラと音がして、小銭がつまみ出された。それを、何回か繰り返して、正確に600円を手のひらに集めると、男性は近くのダルマみくじの販売箱にゆっくり歩み寄り、小銭を料金箱に入れる。硬質な音が響き、百円玉と五百円玉が箱の底に届いた事がわかった。

「実は僕、ずっとこのおみくじ、やってみたかったんです。」

「新しいダルマみくじじゃなくていいんですか?そちらだと、ダルマに運勢を占う紙が付いていないようですが。」

「うーん…そうですね…うん、いいんです。かわいいから欲しかっただけなんです。では、失礼しますね。」

そう言って、男性は柔らかに笑うと、ゆっくり一礼し、大きな手に赤と水色のダルマを持ったまま、詰所へ戻ってしまった。

Scene:006. 沼田署長の贔屓力士と緊急出動

CAT(シーエーティー)本部に戻ると、沼田(ぬまた)署長は署長室でますます丸くなっていた。興奮で灰色の豊かな毛が逆立っている。署長室に集合した遮無(しゃむ)雨所(あめしょ)、三池が何事かとぱちくりさせる。署長は、物陰から阿日(あび)が撮った遮無(しゃむ)と神社の警備員の写真をおもむろに拡大し、モニターいっぱいにその笑顔を表示させる。その静電気に、署長の興奮で逆立った毛が引き寄せられて揺れる。

「やっぱり大熊丸(おおくままる)よ…引退した大熊丸(おおくままる)だわ!」

沼田(ぬまた)署長は人間の大相撲のファンだが、そのなかでも昨年突然引退した、大熊丸(おおくままる)のファンだった。他に、海獅子と白虎山のファンでもあるが、大熊丸(おおくままる)の比ではない。

「しかし…彼、引退力士にしちゃ、かなり若くないですか?」

大熊丸(おおくままる)は若くして引退したのよ、もったいなかったけど…田舎のお母さまがご病気だったのよ!」

そう語る沼田(ぬまた)署長の瞳は、まるで親戚の子を語るかのような誇りで煌めき、引退の言葉には限りない同情が滲んでいる。

「もうこっちにいるってことは、お母さん治ったんですかね」

「さあ…でもきっと、都会で住んでも平気なくらい、良くなったのよ…」

沼田(ぬまた)署長が曖昧な返答を大きな机の上のモニター一杯の笑顔の前で呟き、三ツ池(みついけ)捜査官と雨所(あめしょ)捜査官が真面目な表情を作りながら素早く自分の机に戻る。そして、大急ぎでキーボードを叩き、大熊丸(おおくままる)について検索し始める。三ツ池(みついけ)雨所(あめしょ)には、今の今まで、相撲は興味の範疇外だったのだ。そんな中、遮無(しゃむ)は香箱を組んで宙を見つめている。

「シャムさん、何か気になることでも?」

「いや…あの赤ダルマ、連れていかれたが大丈夫だろうかと。」

「大丈夫よ、大熊丸(おおくままる)は優しいのよ!」

沼田(ぬまた)署長が署長室から声を張り上げて主張する。

「そうですが…ダルマが壊れていると、付喪神(つくもがみ)が憑いていられなくなる可能性もあるかなと…」

「ふむ、そうね。そうしたらダルマ傷害事件ではなくて、やはり殺人事件…いえ、殺ダルマ事件になってしまうわね。」

沼田(ぬまた)署長は興奮でふわふわになっていた毛を落ち着かせ、思慮深い表情に戻る。

大熊丸(おおくままる)さんがいくら優しいとはいえ、人間からしたら、単なる壊れたダルマです。しばらく机の上で同情に満ちた視線を浴びながら無に帰す…なんて気がします。とはいえ、些末なことで私が何度も行くと怪しまれるかもしれない…」

「にゃんだ、そいなら、ちゃる捜査官に見てきてもらえばいいじゃない。見た目が子供ならダルマに興味があっても無理な感じもしない、かわいいし。心配なら、アタシ連れていってあげるよ?」

三ツ池(みついけ)が言うと、遮無(しゃむ)もちゃるの方をちらりと見て小さな声で言う。ちゃる捜査官は、名前を呼ばれて猫耳が飛び出し、期待に満ちた目で遮無(しゃむ)の指示を待つ。

「そうだな…しかし、まだ訓練中…大丈夫だろうか」

「にゃあに、任せるのも訓練の内さ。」

「そうだな。ちゃる、とんぼ返りで申し訳ないが、おやつを食べたら行ってきてくれるかな?」

「らじゃですっ!」

「はい、おやつ」

遮無(しゃむ)がちゃるにおやつ煮干しを渡し、実は煮干しが好きではないちゃるはそれを、隣に立った三ツ池(みついけ)の白いジャケットのポケットに隠す。三ツ池(みついけ)はそれに気づかないふりをする。遮無(しゃむ)は署長が許可の頷きをするのを確認していたので、本当に気付いていない。それで、ちゃると三ツ池(みついけ)の二人は事務所を後にする。

「さて、報告書でも書くかな」

遮無(しゃむ)が小さく息をつき、モニター向き直って眼鏡を外したときに、突然に黒電話がなる。

「はい、CAT(シーエーティー)

受話器の向こうから、サイレンの唸るような音と、外国なまりの日本猫語が聞こえる。

「アオキです、誰もアプリみてないんですか!重度のサイレント・ミャウ症状の人間男がコンビニを襲撃!現場に急行してください!」

「何?!皆、緊急出動だ!沼田(ぬまた)さん、指揮を頼みます!」

「よし。遮無(しゃむ)雨所(あめしょ)繰津(くるつ)佐備(さび)!出動だ!青木(あおき)ちゃん、あなたは現場で待機、決して一人で行動しないように!」

「了解です!」

事務所はにわかに慌ただしくなり、CAT(シーエーティー)メンバーはそれぞれに飛び出していく。

Scene:007. チャイルドシートとカーナビ

三ツ池(みついけ)は愛車の青いクラシックカーを運転している。狭いバックシートでは、チャイルドシートに座ったちゃる捜査官が、古い型の腕時計型スマートデバイスを確認している。このデバイスは母のお下がりであり、母はちゃる捜査官が見習い以上の行動をする許可は出していないので、ちゃる捜査官は不満でも、沼田(ぬまた)署長はちゃる捜査官には正規のデバイスは渡せていない。

三ツ池(みついけ)さん、アプリに呼び出しがかかっています。」

「おや。」

三ツ池(みついけ)はダッシュボードにおかれたスマホに向かってシャッと威嚇音を発し、スマホはそれを合図に集合司令と指定の住所をナビに表示する。ナビには他の車両の位置も表示される。

「うーん、どれどれ。皆あっちに行ってるのか。」

「召集ですね!」

ちゃる捜査官がチャイルドシートから金色の瞳を嬉しそうに輝かせるが、三ツ池(みついけ)は笑って画面を元に戻す。

「うーん、アタシらはダルマへ行こうよ、大丈夫。コンビニ立てこもりじゃできることがにゃいもん。ダルマ事件の聞き込みするよー」

「ええー」

「あははー」

まだ新人のちゃる捜査官はお母さんが行っちゃダメと言いそうな危険な現場に行ってみたくて仕方がないのだが、ちゃる捜査官のお母さんに怒られたくない三ツ池(みついけ)捜査官は、笑って誤魔化す。するとバックミラーの中でちゃる捜査官があからさまにがっかりした様子で肩を落とすので、三ツ池(みついけ)はやさしく続ける。

「うーん、気持ちはわかるんだけどね。それに、あんまり集まっても、サイミャウの患者じゃどうしようもないよ。それに、ダルマの犯人見つけたら、きっとダルマ喜ぶよ。」

「ダルマくん、大丈夫かなぁ」

三ツ池(みついけ)は緑の多い界隈でハンドルを切りながら、ダルマの事件も危険だったら困るなと考える。それから視界の隅をさきほどかすめていった喫茶店に思考は移り、それから、ちゃる捜査官の声で我に返る。

三ツ池(みついけ)さん、サイレント・ミャウって何ですか?」

「ああ、知らないのかあ。サイレント・ミャウってのはね、猫が声を出さずににゃあってする、一撃必殺の奥の手ことさ。食らった側はその猫のことが頭を離れなくなる。」

「声を出さないにゃあ。こんな風にですか」

ちゃる捜査官は、運転する三ツ池(みついけ)の後ろで黙って口を開け閉めする。三ツ池(みついけ)はバックミラーでそれをみながらにこにこする。ちょうど赤信号に行き当たったので車を止めると、振り返って、まだ無言で口を開け閉めしているちゃるをみてつい吹き出す。

「ひゃはは、かわいいねえ、ほんとにかわいい。でも、サイレント・ミャウの破壊力がない、でも、そこがいい。」

「サイレント・ミャウの破壊力ってなんですか?」

「うーん、…胸をかきむしる哀れさ、圧倒的な弱さが求める助力。そしてそれを拒否することによって生じる自己嫌悪…て、教科書に書いてあったけど。助けないと自己嫌悪でなんにもできなくなっちゃうの。」

「…すごいワザですね。」

「うん。でも、サイレント・ミャウは最後の手段なんだ。身寄りのない仔猫、体が弱って動けないような猫、そういった、本当に助けの必要な猫が使うべき必殺技なんだ。これがなきゃ、生き延びられないような。健康な心優しい人間を陥れるのに使うべき技じゃない。」

信号が青に変わり、三ツ池(みついけ)捜査官は前を向いて、軽くアクセルを踏んだ。

「ま、これはアタシの意見さ。サイミャウが通じない人間もいるし、サイミャウで人間を狂わせる猫もいるだろう。でも、今日はダルマ傷害事件の捜査。さあ、聞き込みだよ。」

「そうなんですね。」

後部座席のちゃる捜査官はメモ帳から顔を上げ、小柄な三ツ池(みついけ)捜査官の後頭部をじっと見つめる。童顔で可愛らしいその輪郭の奥に、元・野良として生き延びてきた大人の気配を感じる。

視線に気づいて、三ツ池(みついけ)は「あはは」と笑った。

「ほれ、ナビの暗号は解けるかい?」

カーナビの画面には、略語だらけの連絡事項が流れている。

「沼/ヒトケイMTG、Aok短ヤネウラ、SabRainTk(G㉜K別件聞)」

「うにゃ……沼田(ぬまた)署長は人間の警察と会議、Aokは青木(あおき)さん、短はクルツさん……Tkは……わかんにゃいです。」

「わかんにゃいよねえ。Tkは待機。普通に書いたほうが、手間は少ないと思うんだけどねえ……あ、それ、着いた。」

駐車場に入ると、黒いスポーツカーが一台停まっている。

遮無(しゃむ)さん、コンビニ行かなかったんですか?」

「んー、行こうかと思ったんだけど、なんかつまんなそうかなって。」

遮無(しゃむ)さん、たまにそういうとこありますよね。」

「そうねー。それに、ちゃる捜査官に何かあったら、ちゃるママに殺されちゃうからねー」

遮無(しゃむ)捜査官はにっこり笑うと、神社兼寺院へと続く通りへ歩き出した。

Scene:008. 大熊警備員

午後も遅い時間になった神社兼寺院の境内は、観光客の波も引いてのんびりとした空気が流れている。警備員の大熊(おおくま)は、のんびりと境内を一周し、小さな雑草の花を摘んで詰所に戻った。入り口に三毛猫と金色の仔猫がいたので、詰所の冷蔵庫に何かなかったか、覗いてみる。

「すみませーん」

ドアのところに、小さな女の子が立っている。黄色い帽子をかぶっているので、小学校1年生かもしれない。

「はいはーい、どうしたの?迷子?おとしもの?」

「あのですね、こちらのダルマみくじについてお聞きしたくて。」

「うーん、僕じゃなくて、あっちの巫女さんに聞いた方が…」

大熊(おおくま)が高めの優しい声で答える。適当に話題をでっち上げながら、ちゃる捜査官は素早く警備員詰所の中を見回す。事務机2脚、折りたたみ椅子2脚、折りたたみ椅子に腰かけて昼寝中のおじいさんビト1名、冷蔵庫1台電子レンジ1台、テレビ1台。おじいさんがビトが寝ていない方の机の上に、赤と水色の色彩が見える。

「あ、ダルマさん!」

ちゃる捜査官が子供らしく元気よく言うと、大熊(おおくま)警備員はにっこりしたあとちゃる捜査官をその机の前まで通す。ダルマは、花柄のマスキングテープがはがされ、代わりに砕けても粉砕されなかった部分が何か茶色っぽい樹脂でつないであり、それを支えるような形で置かれた新聞紙の上にいる。そして、目には動かすと目玉が動くシールが貼ってある。隣には水色のダルマが、同じように目玉シールを張って置いてあり、こちらにはまつ毛も描き足してある。

根田(ねた)のおじいさんが、金継してくれるんだって。キンツギって知ってる?」

警備員が椅子で寝ているおじいさんビトを大きな掌で示して静かな声で言う。ちゃる捜査官は自分のメモ帳を素早くめくり、キンツギのページを開く。

「キンツギ…あった。食器などの壊れた部分を漆でつないで金をのせる修繕方法ですね。古くは大名物、茶入つくしナス…つくも?よめにゃいや。有名な何かが壊れたのを直したと。」

「へえ、よく知ってるねえ。」

その時、ふがっと音を立てて根田(ねた)さんが起きる。

「ありゃ。迷子かい。」

「どうも、根田(ねた)さん、あなたが継いだダルマさんを見たかったようで。」

「そうかい。まだしばらく乾かないんだよね。乾いてきたら金粉載せるよ。」

「最近壊されたのは、このダルマさんだけですか?」

「うーん、最近はあんまりないかな。前は、立ち入り禁止のところに上がって足跡つけたり、木にぶら下がって枝を折っちゃった人がいたみたいですよね。」

「ああ、そうだな。でも最近は、ないなあ。こないだも変な男を追い払ったし。さすが、サー・ナイトベアーだ。」

おじいさんビトの根田(ねた)さんは、なぜかとてもうれしそうに大熊(おおくま)の肩を叩く。大熊(おおくま)は慌てた様子で根田(ねた)さんに向かって人差し指を立てる。

「サー・ナイト・ベアー?」

ちゃるが素早く根田(ねた)さんの机の前に張られたポスターへ眼をやる。ずらりと、屈強そうな半裸のオスビトが並んだポスターが貼ってある。ちゃる捜査官は、それが沼田(ぬまた)署長の好きな「相撲」という競技というかもしれないと考える。

「こんにちはーすみません、妹が…あ、いた。もう、おいでーダルマおみくじあっちだってよー」

「はぁーい」

三ツ池(みついけ)はちゃるに出て来いといいながら、半歩足を中に入れてぐるりと一回り、見渡す。それから、「ありがとうございましたぁー」と言って、ちゃる捜査官の手を引く。ちゃる捜査官は、大熊(おおくま)が追い払った「変な男」についてもう少し聞くべきではなかったか、と考える。

Scene:009.コンビニ・コモーション

「こちらもね、もう同じ質問を何度もしたくないんですよ。ええ?僕の白助はどこですか。ねえ、どこへやったんですか、どこへ隠した!言え!!」

焦燥した様子の痩せたオスビトが、カウンターの中のメスビトの髪をつかみ、彼女をカウンターに押し付けて怒鳴り散らしている。そのすぐ隣に出刃包丁が置いてある。午後のコンビニの駐車場は人間とネコビトの警察車両で埋まり、人口密度を上げている。そのコンビニの屋根裏では、青木(あおき)繰津(くるつ)が天井に穴をあけ、オスビトに向けて麻酔銃を向けている。

青木(あおき)G、OKです。」

「オーケー、ではいつでも撃てるように…」

「待て、撃つって何だ?」

無線の向こうで、人間の機動隊が心配そうに口を出す。

「あ、いや、麻酔銃です。」

「麻酔銃?効くのに時間が…」

「大丈夫です、CAT(シーエーティー)の麻酔は人間にも安全でしかもすぐに効くので…」

「しかし、どうやって人間に麻酔銃を使ったと言い訳すればいいんですか?おたくらは非公式の組織だから責任取ってくれとも言えないし…」

「大丈夫です、CAT(シーエーティー)としても…」

イヤホンの向こうでは沼田(ぬまた)署長と人間との政治的なやり取りが続く。青木(あおき)はうんざりしたようにため息をつき、繰津(くるつ)は面白そうにニヤリと笑う。

「また署長のグレイな毛並みが白っぽくなるにゃあ。」

そして、繰津(くるつ)は最近新しくしたネイルアートを、下から漏れてくる光に透かして眺め始める。

「Oh、その水玉、かわいいですね。」

「ありがと。蛸の吸盤柄にゃ。」

「え…?」

と、にわかに天井の下の店内が騒がしくなり、すさまじい物音と共に一台のバイクが店の正面のガラスを突き破って入ってくる。雑誌の棚がなぎ倒され、大量のガラス片と共に飛び込んだバイクがその奥の棚に突っ込む。生活雑貨が散乱し、ガラスがその上にまき散らされ、バイクからは白とピンクのライダースーツをまとった人間が振り落とされる。

「にゃに!?」

「バイクだと!化粧品の棚も全滅だ!運転してる奴は大丈夫か…?」

化粧品の棚の上に倒れていた人間はぴくりと動き、それから、足を器用にバイクの下から引っ張り出す。体を覆った革製の白いライダーススーツには、所々ガラスが刺さっている。

「小柄だな…メスビト?」

立ち上がったメスビトはヘルメットをかなぐり捨て、大声で「メレンゲ!助けに来たよ!」と叫ぶ。ライダースジャケットに刺さったガラス片を抜き、それをカウンターの中へ移動した男性へ向けてそちらへ進む。

「てめえか!!アタシのメレンゲちゃんを捕まえたのは!?あんな小さな仔猫ちゃんになんてことしやがんだ!返せ!!」

「んだとこらぁ!俺の白助ちゃんだ!!どこへやった!?」

「やめて、助けてぇ!」

男性に人質にされた女性が必死に泣き声を絞り出す。ドスの効いた低い女性の声が響く。

「そのバイト女子を放しな。」

重度のサイレント・ミャウ患者の二人は、人質の女性を挟んでじりじりとお互いの距離を詰める。男性の無精ひげの頬が、さらに青ざめて黄色く見える。

「こちら青木(あおき)G,このままじゃ人質が危ない!」

繰津(くるつ)も撃てます!」

「ええい、仕方ない!FIRE!」

青木(あおき)の銃が男性を、繰津(くるつ)の銃が女性の肩甲骨の間を確実にとらえ、吹き矢状の注射が大人のニンゲン2名の意識を奪った。呆然とする人質の女性のもとへ、毛布を持った沼田(ぬまた)署長が走り寄る。ネコビトの姿の署長のモフモフの腕に抱かれたとたん、女性は緊張の糸が切れたのか、わんわんと大声で泣き始めた。

「いいのよ…泣きなさい、怖かったわね…」

「ネコビトさん…はじめてみました…もふもふ!可愛い!あったかい!」

「あら、そう?ウフフ…ほめられるのは嬉し…」

「オジサンなのにこんなに可愛いなんて…」

「オジサン!?」

「あ、沼田(ぬまた)署長、爪出てますね」

「手に汗握ったものにゃー」

言い交わしながら青木(あおき)繰津(くるつ)ペアは、屋根裏からひらり飛び降りて見事な着地を決める。

「…あれ? Hum、あの人間…」

気を失ったまま救急車まで担架で運ばれる人間を眺めながら、青木(あおき)捜査官は何か思うところがある様子だった。

「どうしたにゃ?」

「あのメスビト…なんか、知っている気がシマス…」

Scene:010. 根田さんへの聞き込み

「すみみゃせーん」
夕刻の深堀寺の小さな警備員詰所の前に、小さなちゃる、小柄な三ツ池(みついけ)、すらりとした遮無(しゃむ)と三人が並ぶ。ちゃる捜査官が声をかけると、ふがっと音がして、奥から根田(ねた)警備員が出て来て扉を開ける。
「こんにちは。大熊(おおくま)さんは、いらっしゃいみゃますか。」
「おや、こないだのお嬢さん。と、猫2匹。」
根田(ねた)のおじいさんには、今日は三ツ池(みついけ)遮無(しゃむ)は2匹の猫に見えるようだ。
大熊(おおくま)さんは、いらっしゃいみゃすか。」
ちゃる捜査官が同じ言葉を繰り返すので、根田(ねた)さんは耳が遠くはないとさりげなく伝えようと、穏やかに話す。
「ああ、大熊(おおくま)君ねえ。ごめんねえ、今日は、彼はお休みの日なんだよ。」
「ほう、それは休暇ですか、それとも欠勤?」
いつの間にか人間姿に変わった遮無(しゃむ)がちゃるの後ろから根田(ねた)の方へ身を乗り出し、根田(ねた)は大慌てで椅子の上に座りなおす。古い椅子がきしむ。
「こりゃあ、べっぴんさんだ…」
「シャムさん、けっきんってなんですか?」
ちゃるが遮無(しゃむ)を見上げて聞く。根田(ねた)さんは、遮無(しゃむ)の全身を上から下までまじまじと見つめる。驚かされるのなら美人の方がよい。
「うーん、欠勤ねえ。だいたいは、お仕事に来ることになってたけどやっぱりお休みってときかな。病気とか。」
遮無(しゃむ)の説明を聞いて、ちゃる捜査官は心配そうな表情になる。
「おおくまさんは、病気なのですか?」
「ああ、違うんだ、今日は…試合なんだ。」
根田(ねた)さんは嬉しそうに、机の前に張ってあるポスターを指差す。屈強そうな半裸のオスビトが並び、そのうちの幾人かは覆面をしている。
「へええ、大熊(おおくま)さん、プロレスファンなんだ。」
先ほどまで猫姿で顔を拭いていた三ツ池(みついけ)も、素早くドアの死角で人間姿に変わり、入り口から中に足を踏み入れる。
「いやいや。でも、言うと嫌がるんだよね、まだ弱いからって…だから、秘密なの。」
「弱い?」
「彼ね、覆面レスラーなの。そのポスターでも、熊のマスクしてるでしょ?でも、優しいからねえ、弱いんだよね。」
「いやあ、優しくても強いレスラーもいるよ。」
さらに一歩、詰め所に踏み込んだ三ツ池(みついけ)の鼻息が荒いところを見ると、三ツ池(みついけ)はプロレスが好きなようだ。
「グレートボブクィーンなんて小柄なのにめっちゃつよ…あ!」
三ツ池(みついけ)は何かを思い出したようだ。急に黙り込み、スミャホで何かを調べ始める。
「ごめんなさい、ちょこっと野暮用。」
そう言ってスミャホに集中し始める三ツ池(みついけ)に瞬間呆れつつも、ただならぬ気配を感じて遮無(しゃむ)は構わない事にする。
「ああ、三ツ池(みついけ)ったら…で、すみません、では、大熊(おおくま)さんはプロレスラーなんですね?」
「ああ、はじめたばっかりらしいけど。なんでも、子供のころからあこがれのスターがいるらしいよ。お嬢ちゃん方、お団子どう?さっきあっちのお店で買ったの。」
「いただきます。」
「ちゃる、蜜がいいー」
「ベタベタに気を付けて」
人間の警察組織では接待を受けるのはご法度だが、ネコビトの秘密警察は全く気にしない。人間の接待を受けるのは猫の当然の権利であり、猫姿でなくてもその感覚は常に一貫している。おじいさんビトの根田(ねた)さんは、可愛い子供と美しい女性がお団子を食べるのを、嬉しそうにみている。
三ツ池(みついけ)は珍しくお菓子を遠慮して、まだスミャホをいじっている。
「すみません、ちょっと業務連絡で…」
「いいの?おだんご。」
「はい、あとで…」
「ああ、おじょうちゃん、そこにちり紙あるから使ってね。僕の孫もこんなだったなあ…もう中学生なんだけどね。ほんと、あっという間。先生みたいに美人になるかねえ。」
どうやら根田(ねた)さんは、遮無(しゃむ)を学校の先生だと思っているようだ。
「校外学習かな?生活科ってやつかい?こないだも色の白い男の子が、境内で座っててね。迷子かなと思って声をかけたんだけど、おじさん怖かったのかな、逃げちゃった。」
「おじさん?」
「ちゃる、おじさんはおじさんだよ。で、その男の子は、どういった特徴で…?」
不思議そうな顔のちゃる捜査官が反論しそうになるのを無視して遮無(しゃむ)捜査官が質問する。
「うーん、これと言って…色が白くて、可愛い顔をしてて、何か言うようなそぶりを見せて、裏のお墓の方へ逃げちゃった。」
根田(ねた)さんは、その子の事が気になって夜も眠れないといった症状はありますか?」
「ないねえ。だって、この辺は安全だし、今どきの子供はしっかりしてるからねえ。なんだい、まさか、行方不明の子がいるとか?」
「いいえ、そういったことはないんです。ただ、そういった…ええと…」
「えっと、よーかいです!そういう妖怪の話が、はやっているのです。」
サイレント・ミャウの事件噂をあまり人間界に流布したくないので、ちゃる捜査官が子供特権で誤魔化す。
「ああ、学校の七不思議みたいな。そういえば、妖怪と言えば…お嬢ちゃん、妖怪見る?」
根田(ねた)さんはあちらの隅にあった「すずめサブレ」の空き箱をこちらに持ってくる。

Scene:011. ダルマとつけまつげ

「よっこらしょ。」
根田(ねた)さんは「すずめサブレ」の空き箱をゆっくりと机におろし、やさしく声をかける。
「あけるよ、いいかい」
「まあまあ根田(ねた)さま、お手をお煩わせまして…どうぞ、お開けあそばして!」
中から水色ダルマの声がして、根田(ねた)が箱を開ける。そこには、立体のまつ毛が張られた水色ダルマと、樹脂が固まるまで新聞紙のうえで固定された赤ダルマと、隅に水の入ったお猪口が置いてある。
「わぁ、水色ダルマさん、まつ毛伸びたね」
「ええ、根田(ねた)さまがおつけあそばしてくださったのでございます。」
水色ダルマの付けまつ毛の下で、プラスチックの瞳がきらきらと輝く。頬も若干ピンクがかっている。
「孫がつけまつ毛、分けてくれてねえ」
「ありがたき幸せにございます。」
「いいのいいの。さっき選ぶの手伝ってくれたプレゼントね、孫が喜んでたよ、ありがとね。」
「まあ…それはこの上なき喜びにございますわ!」
「何あげたのー?」
根田(ねた)と水色ダルマが当然のように会話を交わし、さらにそこちゃるも加わるのに根田(ねた)も驚かないので、遮無(しゃむ)は状況を解釈しかねている。若干の動揺が瞳孔をタテに狭めるが、すぐにまた人間の瞳に戻る。ちゃる捜査官はあまり動揺もせず、素直に聞く。
根田(ねた)さんはダルマがしゃべるの、わかるのー?」
「はじめはびっくりしたけどねえ。赤ダルマがうめき声とかあげるから。そこから、喋るようになってね、慣れたらハムスターみたいなもんだよ。ハムスターは喋らないけどね。」
「ほんとにハムスターサイズだね。でも、ダルマはもふもふじゃないね。」
「君はちゃるちゃん?だったかな?ちゃるちゃんはもふもふが好き?」
「うん。でも虫も好き。」
遮無(しゃむ)は楽しげに会話する根田(ねた)さんとちゃる捜査官とダルマ達の状から、根田(ねた)さんは境界受容能力の高い人間ビトだ判断する。
「では、根田(ねた)さんは私たちが…」
「はいはい?」
「私たちが実は…」
「あ、やっぱり大熊(おおくま)君のファンなの?」
「うーん、たぶん違いますが…」
根田(ねた)さんは境界受容能力は高いが、CAT(シーエーティー)についてはまだ知らない様子だ。
「でもさ、署長、大熊丸(おおくままる)のファンじゃん。根田(ねた)さん、大熊(おおくま)さんのサイン頼めます?」
先ほどから壁のポスターを熱心に見ていた三ツ池(みついけ)が口を挟み、遮無(しゃむ)が「でも色紙持ってないし」と止め、根田(ねた)が棚から別の菓子箱を取ってきて、嬉しそうに手形とサインの入った大量の色紙を取り出す。
「え、1枚くれるの?」
「外で売ってるお焼きを買ってきてきれたらあげるよ」
「ほいきた、何味?」
「高菜」
「私はあんこ」
「ちゃるもー」
机の上では、青ダルマは新しいつけまつげを瞬かせて、ネコビトと人間の会話を見守る。ちゃる捜査官は一瞬お焼きの話題に奪われた関心をダルマ達に引き戻す。
「青ダルマさん、まつげかわいいね。」
「きゃ、ありがとうございます。」
「赤ダルマさんの具合はどう?」
「まだ少し、漆が乾くまで身動きできませぬが…ふふ、お気づきあそばしました?赤ダルマさまは、それはもう“イケダル”ゆえ、金粉がお似合いなのでございます。」
水色ダルマは、鼾をかいて寝ている赤ダルマを自慢げに見やる。睫の下のシールの目玉がきらきらと揺れる。
「治ってよかったねえ。どうしてこうなったのかは、見てないの?」
「ええ、私は箱の底の方にいたので…」
「そうなんだね」
ちゃる捜査官が『ぶるーのだるま→はこのそこ、みていない』とメモ帳に書き付けていると、詰所のドアが開いて三ツ池(みついけ)が戻って来る。
「ただいまー買ってきたよん。ほい、根田(ねた)さん、これが高菜。こっちがあんこ。アタシはシャケ。」
「シャケあったの?そっちがよかったな。」
「裏メニュー、よく知ってたね。」
「へへへー」
「ああ、忘れてた。いいかい、大熊(おおくま)くんがサー・ナイトベアーだっていうのは、僕らだけの秘密だよ。」
根田(ねた)さんは真面目な顔でそういい、それから、「このダルマ達がしゃべるっていうのもね。」と付け加えてほほ笑む。
「ラジャにゃっ!」
三ツ池(みついけ)はそう言ってシャケおやきを頬張り、今一度スミャホ目を落とす。
「…面会時間外かぁ…明日だにゃ…」
シャケの咀嚼をしながら、三ツ池(みついけ)は明日の単独行動決心する。

Scene:012. 大熊さんとボブいの1993

秘密警察CAT(シーエーティー)は、その秘密を守るために警察病院ではなく、一般の病院を使うことが多々ある。根田(ねた)さんを訪ねた翌日、三ツ池(みついけ)は、コンビニ・コモーションで逮捕された鬼ヶ首(おにがくび)花梨(かりん)容疑者(42)が入院している市立病院にいた。入り口のバス乗り場で、ぽつねんとすわる大きなオスビトを見つける。彼は今日は特大サイズのスーツを着ている。
「もしかして、大熊(おおくま)さん?」
「あ、アナタは…昨日のおかあ…」
「昨日は妹がお騒がせしました。」
三ツ池(みついけ)は誤解を別の誤解にすり替えつつ、元気のない様子の大熊(おおくま)が、手に小さな花束を持っていることに気が付く。
「おや、お見舞いですか?ええと…ご家族の?」
すると、大熊(おおくま)は少し照れたように、しかし困ったように微笑む。
「ああ、違うんです、私淑している方が…」
「私淑?先生にゃのか?大変じゃにゃいの!」
「ええ、でも…僕、ただのファンなので…どうにかして届けられたらなあって思うんですが。」
大熊(おおくま)は色白な頬に寂し気な笑みを浮かべる。と、大熊(おおくま)の携帯が鳴る。大熊(おおくま)は、申し訳なさそうに三ツ池(みついけ)に会釈してからそれに出る。
「はいはい。ああ、ボブ様いのち1993さん。」
「ちょっと!おおくまさん!その名前で呼ばないでください!」
すぐあちらの物陰から仕事のできそうなスーツ姿の男性が慌てた様子で現れた。
「すみません、他にお名前を存じ上げないもので…」
「ああ、すみません、わたくしこういうもので…」
ボブ様いのち1993と呼ばれた男性は革製の名刺入れから名刺を取り出し、腰を折りながら大熊(おおくま)にそれを差し出す。大熊(おおくま)は「今は手持ちが…」と言いながらもやはりお辞儀をしながら名刺を受け取り、それを確認してスーツの胸ポケットにしまう。一通りのあいさつが済むと、二人はまるで申し合わせたかのように同時に呟く。
「まさかカリンさんが…」
そして、心配そうに病院の入り口を眺める。病院のグレーのガラスは、そのまま、彼らの切ないファン心を表しているようだ。杖をついたおばあさんがゆっくりと通り過ぎ、二人礼儀正しく道を譲り、そして、再びため息をつく。二人の様子に瞬間我を忘れていた三ツ池(みついけ)が、といただす。
「ちょっと待って!あんたら、ボブクィーンのファン?!」
三ツ池(みついけ)が問いただすと、二人はきょとんとした顔をした後に思いついたように笑顔になる。
「あ、もしかして! アナタは…BBQ22さん?」
三ツ池(みついけ)は BBQ22ではなかったが、グレートボブクィーン・かりんの古参のファンではあった。しかし、職業上、関連する事情は明かせない。加えて、最近は仕事に追われてカリン情報もチェックしていない。大熊丸(おおくままる)/サー・ナイトベアー情報は昨日チェックしたが、カリンとのつながりは確認できなかった。今、この瞬間までは。
「ち、違うけど、なぜこの病院に?」
「SNSで拡散されたんです、コンビニ強盗の人質を助けるためにグレートボブクィーン・かりんがバイクで突っ込んだって。」
「大丈夫かなあ、ボブクィーン、大事にしてた猫ちゃんが亡くなってから、ずいぶん落ち込んでたから…」
「そうにゃのか…」
つい溜息と共に猫語尾が出てしまった三ツ池(みついけ)は、慌てて咳ばらいをする。
「その、猫が亡くなったというのは?」
三ツ池(みついけ)の声が刑事風になったのを受け、仕事ができそうな男性が、高めのビジネスバッグから、最新式のタブレットを取り出す。
「その説明は、この『ボブいの』にお任せください。」
「あれ、名刺には田中と…」
「ここでは『ボブいの』です。」
田中は眼鏡を直し、タブレットを三ツ池(みついけ)に向けてプレゼンを始める。

Scene:013. グレートボブクィーン・かりん

「ボブいの」氏は咳払いをすると、慣れた様子でプレゼンテーションを始める。
「謎の覆面女性レスラー、グレートボブクィーン・かりん。彼女が活躍したのは今から20年から10年前です。」
そう言ってボブいの氏は、プレゼン用資料の中の動画を数秒ほど再生する。画面内で、小柄ながらも筋肉の塊、スピーディかつパワフルなカリンが空中から大技を決める。
「デビュー当初はその強さと悪役っぷりで多くのファンを熱狂させました。ところが突然、敵味方関係なく好き勝手に攻撃し、常に一番強い獲物を狙うというスタイルに変身。男性プロレスにも参加。これで一部のファンは離れ、逆に熱狂的なファンも付いた。女性ファンが一気に増えたのはこのころです。この後、3年ほど活躍した後、現役引退。鬼ヶ首(おにがくび)花梨(かりん)の本名を名乗り、護身術教室やヨガ教室を主宰し、時々チャリティーイベントで戦っています。一方で15歳になる愛猫、メレンゲを溺愛し、猫関係の活動もいろいろと…」
ボブいの君が、かわいい白の長毛種の猫を抱くカリンの画像をタブレットに映しながら解説する。三ツ池(みついけ)は、そういえばカリンが猫を飼っていると聞いて親しみを覚えた事はあったなと思いつつ、飼い猫の名前までは知らなかった自分のファンとしての浅さを思い知る。
「メレンゲ、そうか、猫はメレンゲ…」
そして、大熊(おおくま)さんが、静かな声で悲しげに付け足す。
「ところが、このメレンゲちゃんが1か月ほど前に、長い闘病生活ののちに亡くなってしまったんです…」
「実は、スタイルの変化の裏には、メレンゲちゃんとの出会い、あるいは闘病の影響があったのでは――そんな噂も囁かれています。」
ボブいの君は悲しいニュースを伝えるアナウンサーのように至極真面目に言い、眼鏡のズレをなおす。そして、ついでにこっそりと目頭を押さえる。
「わかった、ありがとう、『ボブいの』。申し訳ないが、行かねばにゃらん。大熊(おおくま)ちゃん、アタシ、ちょっとコネがあるから届けてあげるよ。」
三ツ池(みついけ)大熊(おおくま)から白い花束を受け取るのと、病院の自動扉が開いてグレーのスーツを着た青木(あおき)が現れるのと、ほぼ同時だった。青木(あおき)は人間の男性二人にかるく頷くように挨拶した後で、優しいながらも呆れたように声をかける。
「こんなトコロにいた。ミズ・ミツイケ、単独行動は控えてくださいと署長があれほど…」
青木(あおき)さん!なぜここに?!」
「I cannot tell. 彼らは…?」
大熊(おおくま)さんと、えっと…『ボブいの』さんです。」
「Ah…『ボブ様いのち1993』さん、ですね。」
「え、青木(あおき)さん、しってんの?!」
「Well, he's famous. Now,ミツイケちゃん、 follow me.」
青木(あおき)はそれで踵を返し、足早に病院の廊下へと歩み去る。三ツ池(みついけ)は、心配そうなオスビト二人を振り返り、笑顔を残して、そのあとを追う。

Scene:014. 地下のキャットピープル・ホスピタル

三ツ池(みついけ)が追いつくと、青木(あおき)は「コッチですよ」と言ってブルーグレーの猫姿に戻り、廊下の隅の狭いCAT(シーエーティー)専用扉をすり抜ける。三毛猫姿の三ツ池(みついけ)は、手にした花束を仕方なく物陰に隠す。そして、慌てて青木(あおき)を追う。青木(あおき)を追って扉を過ぎると、ヒゲがビリビリと震えるのを感じる。少し向こうで立ち止まっていた青木(あおき)がいう。
「ココから先はCAT(シーエーティー)CIA(カオス調査協会)の領分です。」
「さすが青木(あおき)さん、アメリカ帰り…」
「アメリカ帰りじゃなくて出身です。それを雨所(あめしょ)サンの前で言わないでくださいね、落ち込むから。」
青木(あおき)はアメリカ育ちであり、人間姿もアメリカ人的である。一方の同僚の雨所(あめしょ)はアメリカンショートヘアという品種にも関わらず、アメリカに住んだことがないのを気にしている。そして青木(あおき)はそれを気にしている。あまり気を使わないネコビトにして人間的である。
「でもアメショさん、フレンチポップな感じじゃにゃい…?」
青木(あおき)は通路を抜けると再び人間の姿に戻り、今度は薄暗い部屋の隅にある扉を開け、ボタンを押す。機械音がして部屋全体が揺れる。暗めの照明もチラチラと点滅する。青木(あおき)の向こうに、エレベーターのボタンらしきものがある。
「しかし、市民病院の地下に、にゃにが…」
「まあ、大したものではないですよ。Cat peopleの病院です。それで、ミツちゃんは上でどんな話しを?」
「グレートボブクイーンのファンが心配してお見舞いに来ているんだにゃ。」
「あの花束はOHKUMAさんからですか。心優しい人間ビトもいるのですね。しかし、GBQの方は…」
「グレート・ボブクイーン、彼女もサイレント・ミャウの犠牲者なのかにゃ?」
「我々もそう思っていたんですが…」
ガタンと音がしてエレベーターが止まり、扉が開く。白い廊下に置かれた丸いクッションの上で、沼田(ぬまた)署長、遮無(しゃむ)検査官、ちゃる捜査官がのんびり待っていた。
「署長、遮無(しゃむ)さん!ちゃるちゃんまで!」
「ちゃるは置いてきたかったんだけど、根田(ねた)さんがシフト終わって交代しちゃったもんだから…」
「知らないニンゲンに預けるのもねえ。」
「ですよねえ。」
「でね!大熊(おおくま)さん、やっぱり大熊丸(おおくままる)よ!お母様も完治しているわ!」
「へえ、そりゃよかったですねえ。」
「でもにゃんで引退…」
「ふふふ、夢よ!彼には追いたい夢があったのよ!」
「ああ、もしかして…」
三ツ池(みついけ)が丸い椅子の輪に加わり、プロレス、言いかけたとき、あちらで轟音が響いた。ネコビト全員の耳が立ち、緊張感が走る。真っ白い廊下に煙が流れ、少し先の扉が爆風で吹き飛ぶ。
「ああ!」
「まずい、目が覚めたようね…」
沼田(ぬまた)署長が緊張した面持ちで立ち上がる。

Scene:015. ボブキャットにしては大きい

もうもうとした白煙の向こうに、大きな猫型の影が見える。その猫は轟くような唸り声をあげている。
「あれは…」
三ツ池(みついけ)が呟くと、沼田(ぬまた)署長が声を張り上げる。
「そうよ、GBQカリンよ。彼女もネコビトよ、しかも大型の…報告では品種はボブキャットの筈だけど…大きいわね。リンクスじゃないかしら。」
煙の向こうのリンクスは、廊下のベンチを易々と持ち上げて、あちら側でサスマタを構えた人間の警察に投げる。煙の向こうで大きな音がし、オスビトの悲鳴と退避命令が聞こえる。
「署長、麻酔銃の使用許可を。」
遮無(しゃむ)が冷静に既に構えた銃を手に許可を求めるが、青木(あおき)が鋭く言う。
「NO!これ以上打ったらオーバードースしてしまう!」
「しかし、あのサイズなら…」
遮無(しゃむ)は狙いを定めたまま沼田(ぬまた)の許可を待ち、青木(あおき)は自分の制止が正しかったかどうか迷い始める。リンクスの影が不気味に伸び、低く唸る。ちゃる捜査官が沼田(ぬまた)へ駆け寄る。
「署長!テーザーにゃ!」
「ちゃるちゃん、ニャイス!持ってるの!?」
「にゃ…」
ちゃるはポケットからニンゲン対応用の小さなテーザー銃を取り出す。
「む、ちゃんと持っているのはえらい!うーん、だけど…」
「10こ、あります!」
ちゃるが肩から掛けたカバンを外してをひっくり返す。すると、さまざまなシール貼り付けてキラキラ仕様になったテーザー銃がいくつも床に転がる。沼田(ぬまた)署長は、ちゃる捜査官がその中から手渡したラインストーン付きの小さなテーザー銃をほれぼれと眺める。
「えらいわ…」
「みんなの分作ったよ、繰津(くるつ)さんと佐備(さび)さんのもあるんだけど今いないから…他の人が2こ使うにゃ!」
「Oh,this one have my name on!! アオキって書いてある! How sweet!」
それぞれにデコられたテーザー銃を選んでいると、次第に煙が晴れてくる。入院患者用の病院服を着せられた大型のネコビトが立っている。その服をはぎ取ると、柔らかな毛におおわれた大きな肩があらわれる。彼女は大きな反り返った耳の先に生えた黒い毛を震わせ、金色の瞳で捜査官たちを見下ろす。捜査官たちは一斉に小さなテーザー銃を構える。
「…ああ、ここにいた。心配したんだから。」
大型のネコビトは思いのほか優しい声で言う。一同が一瞬虚を突かれ、その間に大型のネコビトは目にもとまらぬ速さでちゃる捜査官を抱き上げて走り去る。
「撃て!」
その背中が大きいので、捜査官達は躊躇せずにテーザー銃を撃つが、豪華な斑模様がちりばめられた毛足の長い背中はそれをものともせず走り去る。
「まずい!ちゃるちゃん!」
「ここにほかの出口は?!」
「奥に人間用の階段があります!」
「よし、青木(あおき)遮無(しゃむ)、追って!」
「らじゃ!」
青木(あおき)遮無(しゃむ)が人間用階段へ駆け出し、沼田(ぬまた)署長と三ツ池(みついけ)は元来たエレベーターに飛び乗る。

Scene:016. 猫用エレベーターと院内美容院

Scene:016. 猫用エレベーターと院内美容院

エレベーターの中で三ツ池(みついけ)沼田(ぬまた)に質問する。
「すみません、いまいち掴めないんですが…」
「朝のミーティングをスルーするから聞き逃すのよ。でも、ここにたどり着いたのはいいカンね。グレートボブクィーン・かりんは元ネコビトよ、といっても、今はもうネコビトに戻っているわね…」
「元、とは?」
「私たちネコビトはもともと不安定な存在だから…バランスが崩れたの。猫部分を封じて、人間として生活していのが、鬼ヶ首(おにがくび)花梨(かりん)、リングネーム、グレートボブクイーン・カリンよ。ネコビトの彼女より小さかったでしょ?」
「封じた…?」
三ツ池(みついけ)はさらに質問を続けたかったが、エレベーターは地上階に着いた通知音を鳴らす。三ツ池(みついけ)が駆け出し、猫用通路へ向かうのに対し、沼田(ぬまた)署長は部屋の奥へ悠然と進む。
「署長!そちらは壁…!」
「じゃにゃいのよ。」
人間の姿の沼田(ぬまた)署長は、余裕の微笑みでドアを開ける。当然、その向こうは院内美容院であり、美容院特有の香りが三ツ池(みついけ)の鼻腔を満たす。署長は、素敵なグレイヘアのカーヴィヘヴィーなマダムの姿でその中を笑顔ですり抜ける。
「こんにちは、沼田(ぬまた)さん!」
「あ、沼田(ぬまた)さん!見て、真似してみたの。」
中高年のニンゲン女性たちから声がかかる中、入りかねている三ツ池(みついけ)沼田(ぬまた)が振り返る。
「はやく、ちゃるが危ないわ。」
どこか病院の別の場所から、何かが壊れる音と叫び声がする。

Scene:017. 白い階段の白い猫

真っ白な階段を駆け上りながら、遮無(しゃむ)青木(あおき)は状況を整理する。

「グレートボブクィーン・かりん、元プロレスラーで慈善活動家、サイレント・ミャウの被害者。」

遮無(しゃむ)が階段をハイヒールで一段とばしで駆け上りながらよく通る声で伝えると、青木(あおき)青木(あおき)で掴んでいる情報を遮無(しゃむ)の背中に声を張り上げて伝える。

「サマンサ・リンクス・オニガクビ、元CAT(シーエーティー)のUS支部、NYC支局長です。暗殺未遂後、猫と人のバランスを崩し、やむなく猫部分を封印したと聞いています。」

遮無(しゃむ)は驚いてスピードを緩め、青木(あおき)が荒い息で追いついてから言う。

「…猫部分を…封印!?」

半ば振り返った遮無(しゃむ)は、言うとハイヒールを脱いで手に握り、バレエフラットの青木(あおき)が息を整えて喋れるようになるまで待つ。青木(あおき)遮無(しゃむ)に追いつくと壁に手をついて眉をひそめる。

「It’s awful.ひどいですよね。しかし、さきほどの部屋の爆発…力の強いネコビトバランスを崩すと、空間が歪んで被害が出るんです…苦肉の策というやつです。」

そして、2人は会話を続けながら隣り合って再びハイスピードで階段を登り始める。

「それで不安定になった猫部分を封印か…」

「ええ、人間部分だけなら時空は歪みません。しかし、猫部分が持つエネルギーが全部人間部分に流れ込みます…」

「…それで持て余したエネルギーをプロレスに…?」

「ええ…しかし、どこまで続くんでしょうか、この階段は…遮無(しゃむ)さんがヒールを脱いで走るなんて…」

「ああこれ?ちょっとヒール折れないか心配で。」

「…Nop, didn't hear that.」

二人は体力のある方であったが、いつまでたっても地上にたどり着かないことに焦りを感じ始める。

「署長は楽な方を選んだな…」

「全くその通りですね…」


二人がスピードをゆるめたとき、かすかな仔猫の声が響く。

「にゃーーーーん」

上方の階段の踊り場に、小さな真っ白い仔猫が座っている。その綿菓子のような毛並みに吸い込まれるように、声は響かず消えていく。遮無(しゃむ)青木(あおき)がお互いを見かわし、それに心を奪われていないことを確認する。

仔猫はもう一度小さく鳴き、角を曲がって消える。そして、また小さな鳴き声が聞こえる。遮無(しゃむ)青木(あおき)はもう一度視線を交わしてから、再び走り始める。

「サイレントじゃないな…」

Scene:018. 大熊さんの猫だまし

 大熊(おおくま)は久しぶりに緊張感に満ちた土俵の上を思い出していた。塩を撒くと、周囲の喧騒が消える。土俵に手をつく瞬間、相手の力士の真剣な目、あとは思考と身体の動作が完全に一つになる。自然と、体が動く。そんな風だった。
 しかし、今日は思考ばかり先走って体が動かない。それは、まだ体がプロレスの動きに慣れていないからでもなく、目の前の相手が大きな猫であるからでもない。猫のような、女性のような、その生き物がいる。そしてその生き物は、あこがれ続けたヒーロー、グレートボブクィーン・かりんの声で、逞しい腕に抱いた金色の仔猫に話しかけている。

「Stay there, メレンゲちゃん、ちょっと待っててね。」

グレートボブクィーン・かりんよりも何周りか大きなそのネコビトは、金色の可愛らしい仔猫をバス停の椅子の上に置くと、グレートボブクィーン・かりんと同じ構えを取る。

「も、もしかして、カリンさんですか!?超!!かっこいい着ぐるみですね!!」

「ボブいの」田中さんが、大きなネコビトに話しかけるが、一撃で跳ね飛ばされて伸びる。カリンは低い唸り声を発しながら伸びた田中さんと、その向こうで凍りついた大柄な男、大熊(おおくま)を睨みつける。そこへ粉々に砕け散った玄関のガラスを避けて院内から沼田(ぬまた)三ツ池(みついけ)が飛び出すと、ネコビト・かりんはフルキャットモードへ移行し、巨大な山猫に姿を変える。沼田(ぬまた)三ツ池(みついけ)がそれに対峙する。

「やっぱり、リンクス、オオヤマネコね…」

沼田(ぬまた)が呟き、三ツ池(みついけ)はちゃるがデコったテーザー銃を両手に構える。頭上では、ヘリコプターの羽音が響き始める。大熊(おおくま)が悲痛な声で呼びかける。

「カリンさん!なぜ暴れているんですか!」

「うるさい!もうメレンゲちゃんは渡さん!お前か、お前もメレンゲちゃんを狙っているのか…!!」

「ち、違います!!」

「お前が…お前らが…」

カリンの混乱は収まらず、彼女は本猫姿とネコビト姿の間を行き来する。沼田(ぬまた)三ツ池(みついけ)大熊(おおくま)は、カリンを囲んでじりじりと円を作って狭めていく。カリンは低い唸り声を発しながらそれぞれを睨めつけていく。その間に、金猫モードのちゃる捜査官はそっと円から外れ、カリンの死角でコッソリネコビトモードに戻って三ツ池(みついけ)近くの植え込みに滑り込む。それに気付いた大熊(おおくま)が、カリンの気をそらそうと一歩踏み込む。カリンがバス停標識を地面から抜き、それを大熊(おおくま)に投げつける。

「危ない!」

大熊(おおくま)を押しのけようと飛び出した沼田(ぬまた)に、そのバス停が当たる。

「ああ!母さん!」

「かあさん?!」

分厚い毛皮に守られてさしたるダメージもうけなかった沼田(ぬまた)だが、なぜか動きが止まる。

「すみません、そっくりで!!」

大熊(おおくま)の謝罪に地面に手をつき、絶望に支配された沼田(ぬまた)を守ろうと、大熊(おおくま)沼田(ぬまた)とカリンの間に割って入る。

「なんてことを…カリンさん、あなたはいつも、いつも強い者だけに向かっていったのに…」

「うるさい!メレンゲちゃんは渡さん!」

カリンが大熊(おおくま)に飛び掛かる。大熊(おおくま)がその目の前で大きな掌を叩く。バシン、と目の前で大きな音がして、カリンはたじろぎ、大熊(おおくま)の声が響く。

「猫だまし!!」

そして、大熊(おおくま)が得意の寄り切りに持っていこうと組んだところに、三ツ池(みついけ)が二丁構えのテーザー銃を浴びせ、我に返った沼田(ぬまた)もそれに加わる。そして、こっそり人間に戻ったちゃるも加わる。

かりんがついに気を失い、倒れる。と、同時に、大熊(おおくま)も倒れる。

「ああーごめんにゃさい…」

よく見ると、ちゃるのテーザーは大熊(おおくま)の額につながっている。

「やれやれ、気絶した大山猫にニンゲンの男性二人…どう言い訳しましょ…」

沼田(ぬまた)署長は大きくため息をつき、それから背筋を伸ばす。それから、頬を優しくマッサージして口角を上げる練習をしてから、人間の病院長に高めの声で電話を掛ける。

「あ、もしもしぃー?沼田(ぬまた)ですぅーうふふふ、あの、すみません、表のですねえ…」

ちゃるに三ツ池(みついけ)が駆けよる。

「ちゃる、よくやったね。守ってやれず、すまなかったねぇ…ごめんね、怖かったろうに…」

「えと、へーき。オオヤマネコかりんさん、混乱していたけど、優しかったです。」

「肝の据わった仔猫ちゃんだにゃ。」

三ツ池(みついけ)はちゃるの頭を撫でながらいい、ちゃるの猫耳が撫でられた拍子に飛び出す。

「うにゃ、ネコミミが…でも、ちゃるは白くないのに、にゃんで間違えたんでしょう?」

三ツ池(みついけ)は、不思議そうに尋ねるちゃるが無事だったこと嬉しくて仕方がない。ちゃるにバレないようにそっと潤んだ目頭をぬぐうと、ニコリと笑って言う。

「かわいい仔猫だからかもにゃ。」

「うーん、にゃんか、混乱してて、可哀そうでした。」

ちゃるは、折り重なってちょっとした山のようになっているヒトビトを眺める。ちょろっと隅でつぶれかけた田中、昼寝中ライオンのようなカリンに、座礁した鯨のような大熊(おおくま)

「あ…」

白っぽい影が、大熊(おおくま)の上に立っている。

(あれがきっと、メレンゲちゃんにゃ…)
ちゃる捜査官がそうつぶやくと、メレンゲちゃんは満足そうに口を開け、聞こえない声で「にゃあ」という。その目は、まるで笑っているようにも見える。ちゃる捜査官がそれに答えて口だけでみゃあ、というと、白猫は、すぅと消えた。

「みみゃした?」

ちゃる捜査官は、三ツ池(みついけ)を見上げて聞くが、三ツ池(みついけ)の方は忙しくなっている。沼田(ぬまた)書類が、病院長への電話を終えて、「かあさん」のショックに再訪されたらしく、青ざめているのを慰めるので忙しい。

「署長!大丈夫ですって、お母さんじゃないですって!」

「でも、ほら、ああいう青年は嘘をつかないし…やっぱりちょっと最近老けたなとは思ってたのよ…」

力ない沼田(ぬまた)の言葉に、三ツ池(みついけ)が慌ててかぶせる。

「大丈夫ですって!ほら、美容院でも大人気だし…ん?何、ちゃるにゃん?」

そこに、荒い息の青木(あおき)遮無(しゃむ)が転がり込む。

「待たせたなっ…あ、あれ!?」

「終わってる…?」

肩で息をしながら、遮無(しゃむ)は手に握っていたハイヒールを放り出し、青木(あおき)は上着を脱いで少し離れた、壊れていない方のバス停のベンチにへたり込む。結局、階段を数百階分登っただけで活躍が終わった青木(あおき)遮無(しゃむ)は、目の前のオオヤマネコとクマっぽいシルエットの人間と、ひしゃげた眼鏡の人間を、まだぜいぜいと息をしながら眺める。
「あれは…?リンクスが倒れてる…」
「たぶん解決してマスね…ちゃるちゃん元気そうデス」
「そうね…しかし、どんだけ地下に病院作ってんだ…ナースにモグラっぽい人いるなあとは思ったが…」
「really?」
「うん、あれ猫人じゃない。」
「そういえば、あの白猫は…どこ行ったんでしょう?」
「探す?」
「んにゃ…」

遮無(しゃむ)青木(あおき)が伸びている間に、ちゃる捜査官は田中さんがつぶれないように、大きな二人の下から引っ張り出そうと頑張る。親猫風に高そうなワイシャツの襟をかじり、勢いよく引っ張るが、布地が裂けてツバでベタベタになっただけなので、しばし考えて、「三ツ池(みついけ)さぁーん!」と声を上げる。
だが、三ツ池(みついけ)沼田(ぬまた)署長を元気づけるべく、院内美容院の沼田(ぬまた)ファンを呼びに走っていた。だが、先に、コッソリと、扉の陰に隠した花束を回収に向かう。

Scene:019. ダルマと少年

「ダルマさん、ごめんなさい。」

色白の少年は、金継ぎですっかり格好良くなった赤ダルマに、深々と頭を下げる。

「や、その…今後は気を付けてください。」

赤ダルマは照れながら謝罪を受け入れる。根田(ねた)さんが笑顔でお団子を差し出す。

「さ、コータ君もちゃるちゃんも、どうぞ。ダルマ君たちは、お神酒ね。」

「コータ君がダルマ落としたの?」

「うん…僕も落ちたけど」

少年は膝に大きな絆創膏を貼っている。根田(ねた)さんが語るところによると、高い木の枝におみくじを結ぼうとして落ちたそうだ。その時に、赤ダルマはポケットから落ちたらしい。そして、それに慌てたコータ君も木から落ち、大泣きし、手当てに連れていかれてダルマを拾い損ねたそうだ。

「ああ、あのような麗しき誓いの日々は何処へ……
我ら、ふたつとない縁で結ばれしはずの契りの赤糸、それを油断のみくじの別れとは、なんと無体な仕打ち…!」

「いや、すまぬ。あの時はつい昼寝をしてしまい…お御籤としてひかれたことすら気付かず…」

「ひどい!」

水色ダルマが赤色ダルマの失態を許すのには少し時間がかかりそうだ。

「それで、大熊(おおくま)さんは?」

「それがねえ、相撲に戻ろうかなって…」

「ええ?やっぱり、カリンさんの事がショックで…?」

「いやね、カリンさんがトレーナーについてから、結構しごかれてるみたいでね。」

根田(ねた)さんが嬉しそうに語るが、ちゃるには事情がわからない。

「にゃあ…?」

「やったぁ!サー・ナイト・ベアー、もっと強くなるの?」

ご近所のコータ君は、大熊(おおくま)のファンのようだ。

「そうだといいけどねえ。そうそう、新しく、パンダマンって名前を変えるんだってよ。」

根田(ねた)さんは大きめのタブレットを手慣れた様子で操り、パンダマンの画像を一同に見せる。そこには、熊のマスクを外し、目の周りを黒くぬった大熊(おおくま)がいる。見出しに、パンダマン勝利の文字が見える。

「ああ!ここにいた。ちゃる、一人で見えないところに行っちゃだめ!根田(ねた)さん、こんにちは。」

「ああ、遮無(しゃむ)さん、三ツ池(みついけ)さん、こんにちは。煮干しあるけど、食べる?」

「いただきます!」

「ちゃるちゃん、大熊(おおくま)君のこと知らなかったみたいだけど、話してないの?」

「ああ、署ではちょっと、難しくてですね…」

三ツ池(みついけ)遮無(しゃむ)は苦笑いしながら煮干しに手を伸ばす。

Scene:020. 終わり良ければたぶんよし

「まだ言ってるんですか、考えすぎです、沼田(ぬまた)署長。大熊(おおくま)さんのお母さんにはみえませんよ。」

大熊丸(おおくままる)のお母さまは高齢出産だったからかなりのお年…やっぱりグレイヘア、やめようかしら…」

「私もグレイヘアですが」

青木(あおき)ちゃんは若く見えるからいいじゃない!元の毛色、ブルーグレイだし!」

「にゃんだ、母親が人間って、大熊(おおくま)は本当にただのニンゲンなのか。」

かなり大きめの山猫が、来客用のソファから沼田(ぬまた)署長に声をかける。

「そうよ、だから相撲取りに戻るように説得を…」

「ふむ、Sumoも悪くない。あの『猫だまし』は見事だった。だが、彼はもうPANDAマンだ。目の周りを黒く塗ってから、女性ファンも付いた。もっと強くなる。だから、Sumoに戻らないね。」

「嫌よ、横綱大熊丸(おおくままる)が見たいわ!」

興奮に毛を逆立てる沼田(ぬまた)署長に、青木(あおき)がそっと耳打ちする。

「署長、ここは抑えて…鍛えるべき大熊(おおくま)さんがいれば、しばらくはカリンさんも落ち着きますから…」

「うう、ネコビトのペットロスに贔屓力士を奪われるなんて…」

沼田(ぬまた)署長は悔しそうにハンカチを噛みながら、「パンダマン」を検索する。そして、「パンダマン日記」というブログに、「友達のボブいのさんが、カリンさんにはたかれた手跡をタトゥーにする」と言ってたのを止めた話を目にする。

「…本当に止めてよかったのかなあ、かあ。優しい…」

沼田(ぬまた)署長は、勿論パンダマンもお気に入りではある。

「ミズ・カリン、もうNYCには戻られないんですか?」

雨所(あめしょ)が目を輝かせながらカリンに聞く。雨所(あめしょ)は先ほどから猫英語に関する疑問点をカリンにぶつけまくっている。

「うむ、私はあの街では無理をしすぎた。元がカナダの山猫なのに、ビルの谷間で人間のように捜査や政治や…しまいには、たかが銃弾ごときでバランスを崩し、人間になりきろうと自ら猫を封じてしまったからな…。サイレント・ミャウ現象も愛しのメレンゲちゃんが代替してくれていた猫要素が行き場を失って…」

そこでカレンは愛猫メレンゲ面影を懐かしむように言葉をきる。

「そうだな、人間なりきろうとしていたのを…病弱なメレンゲが代わってくれていたのに…それを失って、溢れてしまったのだな…ま、猫は猫らしく、が一番だ。」

「で、ここに通うの?」

「そうだな。ネコビト姿に戻れる場所もあまりないし。隣のビルにジム用のスペースを借りようと思う。」

「猫英語の教室も開いてください!」

「うん、それもな、おいおい実行に移すぞ。」

そんなカリンの計画に、沼田(ぬまた)署長はグレイヘアが増えそうな予感を感じる。

「ただいみゃー」

三ツ池(みついけ)遮無(しゃむ)がちゃる捜査官の手を引いて扉を開ける。

「あ!」

一瞬、ちゃる捜査官の毛が逆立つが、すぐにカリンに駆け寄る。

「カリンちゃん!また『ジャンプでポイ』やってー」

どうやら、ちゃる捜査官はカリンとはすでに仲良しのようだ。

「ジャンプでポイ?ああ、でもここは狭いから…」

「やってよー」

「だーめ」

「ちゃる、ここでは猫投げ遊びは…」

遮無(しゃむ)も止めるが、三ツ池(みついけ)は楽しげに笑いながら様子を見ている。

「やーだー!ねこなげー!やってー」

そこから2分ほどちゃる捜査官はあらゆる鳴き声で鳴きまくり、皆が耳をふさぐ。そして、それでも効果がないとみると涙目になり、極めつけに、必殺のサイレント・ミャウを繰り出す。

「ああーもう、仕方ないなあ。」

「みんな、周りを片付けて!」

かくして、CAT(シーエーティー)チームは一体となり、ちゃる捜査官の「ジャンプでポイ」を安全に遂行すべく準備をする。新人は初めての事件で、最強の必殺技「サイレント・ミャウ」を手に入れた。

021.エンドロール

🎵 "Silent Meow"

by Manmaru Five(歌係:アンディ)

【英語歌詞】

Midnight shadows cross the floor
A whisper soft, you close the door
No goodbye, no sound, no vow
Just a silent meow... just a silent meow...

You came like rain on summer skin
Left your scent like a secret sin
In the dark, I feel you now
Chasing that silent meow... that silent meow...

(Chorus)
Oh, I hear you in the quiet
Every purr a shattered riot
In my chest, you echo loud
But all you leave’s a silent meow...

Tangled dreams on faded sheets
Moonlight drowns the sound of streets
Every breath, a broken vow
Still I wait for that silent meow...

(Bridge)
Were you ghost or just goodbye?
Your tail a comet in the sky
No claws, no fight, just soft somehow
And gone… with a silent meow...

(Last Chorus)
Oh, I’m haunted by your silence
By the echo of your violence
Love was quick, and cruel, and proud
Now I sleep to a silent meow...


【意訳・日本語訳風】

> 真夜中、床を横切る影
そっと閉じられた扉、何も言わずに
さよならも、約束もない
ただ、ひとつの静かなミャウ…



> 夏の肌に降る雨のように
きみは来て、香りだけを残していった
闇の中、まだ感じる
あの静かなミャウを追いかけて…



> (サビ)
静寂の中、きみの声が聴こえる
ひと鳴きごとに、胸が騒ぐ
強く響く、きみの気配
でも残るのは、静かなミャウだけ…



> ほどけた夢、色褪せたシーツ
月明かりが街の音を消していく
ひと呼吸ごとに裏切られる誓い
それでも、きみのミャウを待ってる…



> (ブリッジ)
きみは幽霊?それとも別れそのもの?
空を駆ける尾を引いた彗星
爪痕もなく、静かに、柔らかく
そして消えた——ミャウを残して…



> (ラストサビ)
静けさに取り憑かれている
きみが遺した暴力の余韻に
愛は早くて、残酷で、誇らしげだった
今はただ、ミャウのない夜に眠る…


ご鑑賞ありがとうございました。
床にこぼしたポップコーンはご自分で拾ってください。

CAT登場キャラクター設定表

CAT(シーエーティー)登場キャラクター設定表(日本語版・最新版)

名前 英語表記 性別 / 外見 年齢・見た目 役職・肩書 特徴

ちゃる Agent Charu ♀ / 子猫系 子ども(新人) フィールドエージェント(新人) 明るく素直。猫加減の調整中。「〜にゃ」口調

遮無(しゃむ) Senior Agent Shamu ♀ / クール系美女 大人 シニアエージェント 冷静で優秀。銀縁メガネ、青い瞳とアイライン

三ツ池(みついけ) Agent Mitsuike ♀ / 小柄・三毛猫風 若い フィールドエージェント 表情豊か、甘味好き、アネゴ肌

沼田(ぬまた)署長 Chief Numata ♀ / ふくよかで威厳あり 年配 支部署長 優しく頼れる上司。教育力と威厳あり

ペルシャ Forensic Examiner Persia ♀ / 優雅でマイペース 大人 検視官 のんびりした口調、でも仕事は超早い

阿日(あび) Data Analyst Aby ♀ / 活発系、短髪 若手 分析官 明るくちょっとクセのある話し方。仕事は迅速

雨所(あめしょ) Agent Amesho ♀ / 落ち着いた大人 20代後半〜30代前半 フィールドエージェント Charuより年上。落ち着いた姉的存在、実務派

繰津(くるつ) Senior Agent Kurutsu (Kurz) ♀ / ミステリアス 年齢不詳 シニアエージェント 古典ホラー好き、愛称はKurz。知識豊富で芯は強いが癖も強い

サビ Agent Sabi ♂ / 見た目17歳 中身は40代 フィールドエージェント 礼儀正しい青年風だが中身は大人。

大熊(おおくま) Ohkuma ♂ / 人間 大人 一般人 CAT(シーエーティー)の外の人物。元相撲取りで今はプロレスラーの稀に見る善人

CAT File 1 :おみくじダルマとサイレント・ミャウ

モデルは、ちゃる捜査官にしかいません。

CAT File 1 :おみくじダルマとサイレント・ミャウ

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-06-13

CC BY-NC-ND
原著作者の表示・非営利・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-ND
  1. 000. CAT: Chasm Adjustment Taskforce
  2. Scene:001. 殺ダルマ事件
  3. Scene:002. サイレント・ミャウ
  4. Scene:003. よみがえったダルマ
  5. Scene:004. 悲劇の付喪神カップル
  6. Scene:005. 大型の男性ニンゲンビト
  7. Scene:006. 沼田署長の贔屓力士と緊急出動
  8. Scene:007. チャイルドシートとカーナビ
  9. Scene:008. 大熊警備員
  10. Scene:009.コンビニ・コモーション
  11. Scene:010. 根田さんへの聞き込み
  12. Scene:011. ダルマとつけまつげ
  13. Scene:012. 大熊さんとボブいの1993
  14. Scene:013. グレートボブクィーン・かりん
  15. Scene:014. 地下のキャットピープル・ホスピタル
  16. Scene:015. ボブキャットにしては大きい
  17. Scene:016. 猫用エレベーターと院内美容院
  18. Scene:017. 白い階段の白い猫
  19. Scene:018. 大熊さんの猫だまし
  20. Scene:019. ダルマと少年
  21. Scene:020. 終わり良ければたぶんよし
  22. 021.エンドロール
  23. CAT登場キャラクター設定表