この家には亡霊がいる 12

この家には亡霊がいる 12

鎮静剤 続き

 早夕里(さゆり)が危篤だって?
 5月の連休に会ってから半年しか経っていないのに。
 わけがわからず車を走らせた。早夕里の郷里にある病院。
 留学していたはずじゃないのか? 
 僕は最後に会った早夕里のことを必死に思い出した。

 厚い化粧、あれは顔色を隠すためか? ウィッグだって? そんなものが流行っているなんて聞いたこともない。夏生は合わせたのだ。僕に気づかれないように。
 ダイエット? 病気で痩せ細りながら会いに来た。僕に。
 なんという対応をしたのだ。自分のことで頭の中がいっぱいで、考えればわかることを見逃した。

 病院に着くと夏生が通用口で待っていた。
 遅かった、と。

 遅かった?

 個室に早夕里は寝かされていた。逝ったばかりのようだ。家族と夏生のママが泣いていた。僕は倒れそうになった。貧血を起こしたようだ。夏生が支えた。われにかえり夏生を罵倒し頬を打った。
「なぜ教えなかった? 口裏合わせまでして。知ってたら、早夕里のそばを離れなかった」
「早夕里が絶対言わないでって言ったのよ。弱っていくのを見られたくないって」
「バカやろう。こんなことってあるかよ? オレはおまえを許さない」
 おばさんが大声出さないでと怒り、夏生は部屋から出て行った。

 慌ただしく葬儀の準備が行われた。親戚が集まり1日葬だ。早夕里の体はすぐに引き取られる。 
 早夕里は献体していた。僕は続く怒りと悲しみで打ちひしがれていた。
「エーちゃん、早夕里にお別れして」
 夏生が呼びに来た。
「怒るのはあとにして。早夕里は最後までエーちゃんの写真抱きしめて……」
 あとは声にならない。
「夏生、ごめん。痛かったろう」
 謝ると夏生は吐き出した。
「なんで家を出たのよ? なんで、そばにいて欲しいときにいてくれないの? どんなに相談したかったか、どんなに打ち明けようかと。約束なんか破ればよかった」
 夏生は僕を蹴飛ばした。
「なにしてたのよ? 何回電話したと思う?」

 母が死んだときもこんなだった。最期には間に合わず、田舎で少ない親戚が集まった。僕は春樹の存在を知りうろたえた。父は親戚に、少しの間、母とふたりだけにしてくれと頼んだ。
 僕は襖から覗いていた。父はかつての妻にキスをし、しばらく隣に寝ていた。あれほど愛されながら、あんな田舎で非難されながら、あいつの忘れ形見を育てていた。父は春樹を引き取るのではないか? そう思ったほどの光景だった。

 僕は父がしたように早夕里にお別れをした。ふたりだけにしてくれるよう頼むと、早夕里の兄は聞いてくれた。妹に僕のことを聞かされていたのだろう。
 布団に寝かされた早夕里に僕はキスをした。
「あのときしてあげればよかった」
 そして少しの間、早夕里の隣に寝た。
 夏生のすすり泣きが聞こえた。
「早夕里は僕の部屋に来たんだ。気づいてやれなかった。バカだ。僕はどうしようもないバカだ」
 早夕里の部屋に通された。写真立ての僕の写真。僕があげた本、僕があげたCD。感情をなくす訓練は役に立たなかった。今までなくしていた感情がすべて溢れ出た。
 化粧ポーチがあった。
 下手な化粧だった。教えてやればよかった。教えてやれば気が付いていた。
 バカだ。バカだ。なんてバカなんだ……
 心配して入ってきた夏生に支えられ、早夕里に化粧をした。ごめん、早夕里。気が付いてやれずに……
 戻してくれ。やり直させてくれ!

 若すぎる死に皆すすり泣いていた。慌ただしく終えると早夕里は引き取られて行った。
 泣くだけ泣いて、おばさんは残り、僕の車は夏生が運転してふたりで帰った。
 目を閉じている僕に夏生はなにも話しかけなかった。
 僕は母を奪っていった男のことを考えた。余命宣告された男は夏生の母親に手紙をよこした。おばさんは見舞いに行き、結局僕の母の耳にも入ってしまった。そうなることを望んだのだろうか? なぜ人妻である女を迷わせるようなことをしたのか? 
 弱い男。それに比べて早夕里の強さ、潔さ、冷たさ……
 ひどいよ。僕は一生自分を許せない。

「どうする? このまま帰る?」
 家に着くと夏生はさっさと降りて荷物を下ろした。
「寝てないんでしょ? 自分の部屋で寝ていけば?」
「こんな状態では帰れない」
「じゃあ休んでいきなよ。運転は無理」
 言葉がかつての夏生に戻っていた。
 夏生のベッドで眠る。夏生は帰った早々洗濯をする。頭が冴えて眠れない。
「シャワー浴びて帰るよ」
「じゃあ、着替え取りに行ってやるよ」
 あんな言葉が当たり前だったのに、今の夏生には似合わなくなっていた。
 シャワーを浴び葉月のことを思い出し、禁欲を誓った。脱衣室には下着と服が置いてあった。

 キッチンで夏生はコーヒーを入れていた。濃かった。
「君を殴ったのは2度目だ、いや、3度目だ」
「……いいんだ。殴られることしたから」
「早夕里のことは……」
「早夕里のことじゃない」
 夏生は話し出した。
「どうしてドリーと別れた? 結婚するつもりだったでしょ?」
「違うよ……」
「ボクのせいだ。ボクがドリーに頼んだんだ。エーちゃんと別れてくれって。エーちゃんの家に泊まったって彩に聞いて、いてもたってもいられなくなった。
 ドリーはエーちゃんの好きなタイプじゃない。遊ばれてるだけ。財産目当て? ってひどいことも言った。
 エーちゃんを取られたくなかった。なんとかしなきゃって。恥も外聞も捨ててドリーに頼んですがったの。
 この頬の傷はエーちゃんのせいだって。エーちゃんは私と結婚する。エーちゃんは一生かけて償うって言った。責任があるの。だからエーちゃんを取らないでって……」
 夏生は一気に話した。

 美登利の、あの突然の別れは、あのリストカットは演技だったのか? 夏生に頼まれて別れた? 
「ドリーとはなにもなかったよ。家に泊まったけど、仕事で疲れて眠ってただけ。それより、君こそ和樹と?
……君らしいよ。初恋の男と結ばれて生涯ひとりの男に添い遂げる。君はそういう女だ」
「なに言ってるの?」
「え?」
「なに言ってるの? 和樹とはそれこそなんにもないわよ」
「君はよく泣いてた。それに、産婦人科に入っていくの見たんだ。和樹を問い詰めたら、妊娠してたら大学なんか行かないで働くって……昼も夜も働いて君を養うと」
「産婦人科ァ? 妊娠? 誰が?」
「君は? 和樹と? やって……ないの?」
「あたりまえ!」

 やられた。騙された。和樹に。
「エーちゃん、私は捨て子だったの。私は養女なの。おばあちゃんがボケて、私のことも忘れて、景子の娘だって言うと、景子には子供はいないよ。かわいそうに何度も流産してできなくなったんだよ。そういえば、病院に捨てられた子供をもらったことがあったね……最初は病気の妄想かと思った」
「そんな、それで君はよく泣いてたのか? 僕は和樹が泣かせたのだと思い問い詰めたよ」
「和樹に理由を聞かれた。エーちゃんに聞かれて悪者になってやったぞって。だから、和樹に話したの。戸籍藤本取ったわ。ママは大学入るとき話すつもりだった。病院の前に捨てられてたって。捨て子だったのよ。私は」
「なんで和樹に話した? 僕に言えばいいじゃないか」
「エーちゃんには知られたくなかった。絶対。嫌われるわ。捨て子だなんて知られたら」
「バカ」
 泣いている夏生を僕は抱きしめた。
「夏生が捨てられててよかったよ。だから僕たちは会えたんだから。君に会えなきゃ僕は死んでた」
 自然に僕たちはキスした。よかった。疲れは極限だったが頭は冴えていた。疲れは極限だが抱きしめ密着した体は欲情していた。亜紀が来なかったらどうなっていたかわからない。

 ドアが勢いよく開いた。亜紀は珍しく感情を表に出していた。
「英幸、話があるから」
 名前で呼ばれたことは何度もない。余程怒っているときだけだ。僕は否応なく家に連れて行かれた。
 入るなり頬を打たれた。
「早夕里が死んだばかりなのよ。どうしてそんなに節操がないの?」
「……」
「おかあさんが亡くなってから、女は嫌いだと言いながら、幸子さんに美登利に、瑤子。今は篠田葉月。ファンレターの子もいたわね」
 どうして知っているのか? 聞く前に亜紀は怒りをぶちまけた。
「行ったのよ。部屋まで。様子を見に。早夕里のことを伝えようと。
 留守だから車で待ってた。あなたは葉月さんの肩抱きながら部屋に入っていった。あの部屋は女を連れ込むために借りたわけ? 次から次に、夏生まで……」
「マリーは治を愛してた。美登利とは信じないだろうけど寝てない。美登利には僕はただのいい人だ。高校卒業させた恩人。由佳には圭介さんがいた。
 瑤子が愛してたのはパパだ。ショックで家にいられなくてアパート借りた。葉月は葉月は……」
「……」
「誰も僕を愛さない。夏生だけだ」
「夏生は三沢家の嫁にはできない」
「あなたがそんなこと言うなんて。知ってたの? 夏生が養女だって?」
「似てないとは思ってた」
「僕は夏生と結婚する。家も会社も彩が継げばいい……」
「葉月はどうするの?」
「……葉月も……愛してる」
「なるほどね。そういうこともあるわ」
「葉月はパパが愛した人の娘だ。ママに出ていかれてから、パパは葉月の家に行った。酔っ払って」
「犬が死んだ晩ね」
「なんでも知ってるのか?」
「葉月があなたを好きなのはわかってた。葉月は瑤子とは逆よ。パパに会ってパパの中のあなたを見てた」
「……」
「パパは壊したの。操さんの信頼を。高校入る前からずっと思い続けてた人よ。操さんはパパではなく篠田さんを愛した」
 また、立ちくらみがした。亜紀は情けない僕を支えソファーに座らせた。バナナの皮を剥き僕の口に突っ込んだ。また涙が溢れ出た。
「食べなさい。早夕里はあなたが幸せに暮らしてくれることを願ってるわ」
「……哀れなのは忘れられた女です」
「なに?」
「死んだ女よりもっと哀れなのは忘れられた女です。忘れないでね、って。早夕里が最後に言った。気がつかなかった。バカだ。ほんとにバカだ……」

 頭を整理しなければ。
 携帯を見た。3日しか経っていなかった。葉月からは着信もなかった。
 拍子抜けした。この3日で、葉月にプロポーズし、早夕里の死に泣き狂い、夏生の告白を聞いた。そして亜紀の思ってもみなかった話。
 整理しなければ……

 葉月からはなんの連絡もなかった。なにかあったのでは? 電話をしてもメールをしても返事がない。
 僕は家に行った。手前で降りて探した。篠田、立派な家だった。庭で洗濯物を取り込んでいる女性がいた。離れていてもわかった。葉月の母親だ。

 僕は手を取られ引っ張られた。
「なにをしているの?」
「君が電話にも出ないから」
 葉月は僕を車に押し込むとうしろに座り、早く出して、と言った。3日合わない間に雰囲気が変わっていた。僕のほうがひどいだろうが。
 葉月は忙しいからと公園で話した。早夕里が死んだことを話すと、愛してたの? と聞いた。
「ああ。愛してた。とても」
「私、勉強しなきゃ。もう本気でやらないと留年しちゃう。もう会えないわ」
 よかった……
 なんてこれっぽっちも思わなかった。
「なに言ってんだよ? あんなに、愛し合ったのに」
「愛し尽くしたのよ。もう潮時なの」
「まだ2か月も経ってないよ」
 葉月は時計を見て
「今日は母の誕生日だから。明日、行くわ。明日」

 夏生を愛している。夏生と結婚する。自分の運命だ。償いだけではない。夏生がこんなに愛しい。すぐにも会いにいきたい。
 同時に葉月を愛していた。偽りではない。
 なるほどね……ママもそうだったと?
 
 あの、なにを言い出し、なにをやるかわからない女は、明日なにを言い出すのだろう? 
 僕を限りなく優しく、救い出してくれた女は、どんな結末を用意してくるのだろう?

 翌日、葉月は来た。挑戦的な目でも、慈愛に満ちた目でもなく穏やかな目をしていた。葉月は部屋に入ると1冊のノートを僕に渡した。パラパラめくる。
 幸子、ママのこと?
「あとで読んで。
 あなたのおかあさんと別れ、おとうさん、三沢さんて呼ぶわね。三沢さんは家に来たわ。父はいなかった。母に初めて思いを打ち明け、母に拒否されると言ったのよ。売春してたくせにって」

 売春? 葉月が言ったのは母親のことだった? 本当の父親だと思っていた男に騙されたと……
「三沢さんは酔って言ったのよ。母に。売春してたくせに。誰が助けてやったと思ってるんだ……私は聞いてた。しっかり覚えてたの」
 葉月の話には続きがあった?
「あなたでも言うのね? 酔えば言うのね? 子供の前で……
 三沢さんは私を見て後悔した。
 母は、あなたを引き取るって言ったの。おとうさんが立ち直るまで。私の父にはすべてを話すからって。
 入学式に私は三沢さんの声を聞いて倒れた。覚えてたの。夢だと思ってたことは現実だった。
 あなたの家へ行って、彩ちゃんとかくれんぼして私は手がかりを探した。アルバムには母が写ってた。写真部が撮った大きな写真が挟んであった。なにかないかと私は探した。机の下の引き出しの奥にそれがあったの。私はザッと目を通し盗んだ。
 三沢さんはすぐ気が付いたわ。すぐ電話をくれた。公園で会ったわ。
 あれは、創作だと。実名の創作だと。
 私が家に来たことを覚えていると言うと、面白いくらいに動揺して、売春してたくせにって言ったの覚えてますって言うと観念したわ。
 あの、来賓のスピーチをしたステキな方が、私に頼んだのよ。
 おかあさんになにも言わずに、気づかれないようにしてくれって。おかあさんは気高い人で、おとうさんは素晴らしい男だ、おかあさんは篠田だけを愛した……
 私は母のことはショックだったけど、三沢さんがしょっちゅう様子を心配して電話をくれて、会ってくれるのが嬉しくて楽しかった。あなたのおとうさんだもの。声が似てた。話し方がそっくりね。ほんとうに。あなたのことをいろいろ聞き出した。夏生さんのことも。
 あなたは少しも相手にしてくれなかった。もう忘れようと思った。
 夏生さんが入学してきて、私は観察してたわ。あなたの幼なじみは、あなたみたいに勉強もスポーツも音楽もずば抜けていた。頬の傷があってもきれいな子だとわかったわ。表情が生き生きして歯並びがきれいだった。手足が長くて腰の位置が高くて、ああいうふうになりたくて体操したわ。そして誰よりも強い子だった。和樹が夢中になったのがわかる。
 忘れようと思ってたのに音楽室であなたを見た。ピアノを弾いて歌ってた。観客は私だけだった。ずっと続いて欲しかった。
 夏にテニス部のOB会があって和樹に会ったの。まだ三沢英幸を忘れられないかって聞かれたわ。
 諦めたほうがいい、三沢英幸には橘夏生がいる。ふたりは特別だ。無理だ、諦めろって。
 だから最後にしようと思ったの。家にあなたしかいないのは知ってたわ。ダイレクトメール、気付いてはくれないと思った」
「父は喜ぶよ。そんなに愛した人の娘を僕が愛したんだ」
「母は喜ばないわ。父はなにも知らないのよ。母の愛した男は三沢英輔だって思ってる。釣り合わないから諦めたって思ってるの。そう思われたほうがいいでしょ? 売春してたよりあんなステキな人に愛されたって思われたほうが。だから母には三沢家の人間とは関わらせたくないの。
 昨日は母の誕生日だった。母に言われたわ。好きな人がいるのねって……あなたを母に紹介できない。母の少女時代を思うといじらしくてしょうがないの。誕生日のお祝いなんてしてもらったことはなかったって。初めてお祝いしてくれたのが父よ。
 もう、かわいそうなことはさせない。悪夢を思い出させるなんてできない。あなたと結婚したら、いつか三沢さんは言うわ。認知症にでもなったら。私を母と間違えて、売春してたくせに。誰が助けてやったと思ってるんだ?」
「……僕が結婚しようと言ったから?」
「こんなに長く付き合うつもりはなかった。楽しかったの。あなたの変化が楽しかった。全部好きだった。怒るのも、笑うのも、舌打ちするのも、ため息も、絶望的なのも礼儀正しいのも真面目なところもいやらしいのも……でも母のが大事なの。母のためなら捨てられる。捨てるの。あなたを」
 もう葉月は触れることさえ許さなかった。
「夏生さんから電話がきたときホッとしたわ。ようやく終わるって。もう帰りなさいよ。夏生さんのところへ戻って」
「この結末を用意していたんだな?」
「ステキなおとうさんだわ。母の恩人」
「どうしても別れなきゃならないのか?」
 葉月は頷いた。
「酔って私の家に来たりしないで。さよなら、大好きだった。そのノートは亜紀さんに返しておいて。亜紀さんのものだから」

この家には亡霊がいる 12

この家には亡霊がいる 12

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2023-06-05

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