タイムマインド(プロローグ)
時代は昭和初期。前世の記憶を有する初瀬惣一は、恋人の奥田愛子に前世の話を持ちかける。そして二人は輪廻転生に興味を抱き、未来に想いを馳せる。奥田愛子は言う──うちらは点ではなく、一本の線で結ばれているのだと思います、と。
ある日、奥田愛子が近隣の県に嫁ぐことを知った惣一は、ひどく狼狽する。いとしい人を失いたくない。自分には愛子さんしかいないのだ。彼女と添い遂げられない現状に、嘆き悲しむ。
そして悶々と悩んだ末、惣一は奥田愛子との邂逅を未来に託すことにした。非現実的なやり方で。
平成四年。早川愛美はサッカーの試合を観戦していた。目的は同級生の初瀬惣次を応援するためだ。しかし、その試合で惣次は脊髄を損傷してしまう。惣次のことがひそかに気になっている愛美は、毎日病院に通いつめ、惣次との仲を深めていく。
それと並行して、祖母──奥田愛子の過去も掘り起こしていく。きっかけは物置で見つけた、一冊のノートだった。それには祖母に対する愛が示されていた。愛美は、お祖母ちゃんがどのような恋をしたのか気になり、奔走する。
祖母の過去、惣次との恋。意外にもそれらは密接につながっていた。
平成十七年。久野潤一はプールの飛び込み台から落下し、そのため水恐怖症に陥ってしまう。セラピストに診てもらうが、原因は不明なままだった。
結局、前世療法の力を借りて、過去への旅に出ることになった。そこで、潤一は二つの人生(前世)を見る。一つは初瀬惣一の、もう一つは初瀬惣次の人生だった。その二つの人生に共通していることは、一人の女性を純粋に、熱烈に愛したことだ。潤一は自分の前世に惹かれ、惣一と惣次という二人の人物に魅力を感じていく。
惣一から惣次へ、最後に潤一──と語られていく線の物語。
結末に迫るにつれて三つの人生が重なり合っていき、共鳴した瞬間に起こる出来事とは──
プロローグ
エレベーターから降りると、そこには、なんでもあった。
いろんな色の洋服がずらっと並んでいて、いろんなかたちのアクセサリーが置かれていた。いろんな人たちも、いた。
お父さん、今度のボーナスで買ってくれないかしら。お母さんはそう言いながら、いろんな色とかたちのものをながめていた。
ねぇ、おもちゃ持ってきていい? 僕はお母さんを見上げて、向こうにあるおもちゃのコーナーを指さした。
──しょうがないわね。安いものだったら、買ってあげる。
その声を聞いて、僕はうきうきした気分になった。思いきり走って、おもちゃコーナーに向かった。走っちゃダメよ、というお母さんの声を無視した。
いま流行りのカードゲームやヒーローの人形。新しいゲーム機に新しいゲームソフト。ほしいものばかりだった。どれにしようかな、と、僕はつぶやきながら、歩きまわった。
たまにお母さんといっしょに来るデパート。僕はここが大好きだった。見たことがないものがいっぱいあって、一日じゅういても飽きない。上の階ではヒーローたちが戦っているし、下の階にはおいしい食べ物──大好物のトロトロアイスとか──がたくさんある。それに、がやがやした感じも好きだ。お姉さんや、おばさん、おじいさん、お兄さん、僕と同い年ぐらいの子。赤や青や、黒、ネズミ色──さまざまな服を着た人たちがここにはいる。見ているだけで、わくわくする。どこを見ても、きらきらしている。まるで魔法の国だ。
そのとき、にぶい音が聞こえた。後ろを見ると、ひとりの女の子がおもちゃを落としていた。その子は僕を見ていて、驚いたような顔をしている。
髪が長くて、目が大きい。英語の書かれたワンピースを着ていて、僕よりも少しだけ背が高い。たぶん、ひとつかふたつ、年上だと思う。
あゆほ、なにやってるの。おもちゃを早くもとに戻しなさい。と、ワンピースの女の子のところにお母さんらしき人が走ってきた。きれいな女の人で、ひらひらしたスカートをはいている。
あゆほと呼ばれたその女の子は、僕のほうをじっと見ていたけれど、すぐにお母さんの後ろに隠れてしまった。でも、顔だけは出して、やっぱり、僕を見ている。僕はどうしたらいいかわからず、ただうつむいて、ときどき、少女のほうを見た。
──舜也(しゅんや)、ほしいものは決まった?
振り向くと、僕のお母さんがこっちに来ていた。
と。あゆほ、どこ行くのよ、という声が聞こえた。僕はびくっとして、向き直った。
少女がエレベーターの方に向かって走っている。
なぜかはわからないけれど、追いかけようと、僕は思った。
僕の名前を呼ぶお母さんを無視して、僕は駆け出した。胸の中にもやもやしたものがあふれきて、ふしぎな気分になった。
洋服と洋服の間を、人と人の間をすり抜けて、ぶつかりそうになりながらも、女の子の背中を追いかけた。
──待って。待って。
いつのまにか僕は叫んでいた。待ってよ、と。
女の子はエレベーターには乗らないで、横の階段を降りていった。僕も急いで階段を降りていく。が、途中でつまずき、床に転げ落ちた。
僕は痛みを我慢して、のろのろ立ち上がった。手のひらがひりひりしたけど、普段ならお母さんを呼ぶかもしれないけど、泣くかもしれないけど、今は我慢できた。
女の子はもう出入り口に向かっていた。長くて黒い髪の毛が、ふわりふわりとはずんでいた。僕は慌てて走り出した。
階段でこけたことよりも、あの女の子が逃げていくことに、悲しくなった。なんで逃げるの、と、僕は泣きたくなった。逃げないでよ。こっちに来てよ。
レジのそばを通り過ぎようとしたとき、太ったおばさんとぶつかった。
──ごめんなさいね、だいじょうぶ?
僕は唇を噛んで、うなずいた。そしてまた、走り出した。
もうすぐ出入り口だった。手や足に力が入る。僕は全力でそこに行った。
自動ドアは思ったよりも開くのが遅くて、おでこを打ちそうになった。
外に出た。デパートよりも息がつまりそうなくらい、たくさんの人たちが歩いていた。コンビニやお花屋さん、パン屋さん、ピザ屋さん、背の高い建物に背の低い建物があちこちに並んでいる。遠くにはビルがにょきにょきと生えていた。空からはうとうとしてしまいそうな、あたたかい太陽の光が降りそそいでいる。左を見て、右も見た。どこにもあの女の子はいなかった。
せっかく会えたのに……。そう言ってから、僕は、自分の言葉に驚いた。
なんでそんなことを言ったのだろう。
なんで、あの子のことがこんなにも気になるのだろう。
タイムマインド(プロローグ)