私はうつ病になりたい

 子どもの頃から、私は憂鬱な人間だった。
 幼稚園の頃のことはあまり覚えていない。だけど、小学校低学年の頃からずっと、うつ病になりたいと願っていたことは、はっきりと覚えている。
 理由は、病気になれば学校に行かなくて済むから。当時は、うつ病は「心の病気」だから、がんや心臓病のように「体の病気」になるよりつらくないと思っていた。今はそれは違うと知っているが、確かにうつ病になりたいと思っていたことは事実だ。
 私は、小学1年生になったばかりの時からずっと、教室に入れない。理由は自分でもわからない。しかし、一つだけはっきりわかっていることは、群衆がそろって同じ本を読むという空間が気持ち悪くて仕方ないということ。最近、その気持ちは深刻化していて、ヒトが整然と並んでいるのを見るだけで吐き気を催すようになってきたし、群衆だけでなく、一人のヒトですら怖いと思うようになった。
 私は、皆にとって当たり前のことがどうしてもできない。
 学校に行くと、教室に入らなければならない。狭い部屋に三十人ほどのクラスメイトが集まる。それを想像しただけで恐ろしくて、気持ち悪くて、私はいつも教室から逃げ出していた。今も、それは変わらない。
 小学1年生の5月から、私は保健室登校するようになった。中学の頃もずっと同じで、一度も教室には行っていない。高校は通信制を選んだ。
 始めのうち、両親は私を心配して、子どもの心療内科に連れていかれたりした。心理検査をやったりしたが、残念ながら異常は見つからない。誰も私が教室に入れない原因を突き止めることはできなかった。親を泣かせた回数はもはやわからない。私は必死に自分の思いを訴えたが、誰も私を理解してはくれなかった。それに、私には、人生で一度も友達ができたことがない。教室に「居られない」私を、ほとんどの同級生は笑って見ていた。
 人が怖い、群衆が怖い。
 私は、ただそれだけなのに……

「お母さん、私、大学に行きたい。」
 高校3年生の夏のある日、私はそう話しだした。
「私、管理栄養士になりたいの。」
 テレビでたまたま管理栄養士の仕事について見聞きした私は、初めて夢を持った。テレビに映っていたあの人のように、栄養の知識を必要とする人のために働きたいと思った。
 娘はいつもメランコリーの中をさまよっているだけだ、と解釈していた母にとって、あの言葉は一種の光だったらしい。教室を克服したのだと思ったらしい。全力で受験を応援してくれたし、合格したら一番私をほめてくれた。でも、いざ学校が始まると、やはり私は講義室に入ることができなかった。
 瞬く間に欠課がたまり、もうすぐ6月の現在、5科目の単位を落としてしまったことが決定した。
 ねえ、誰か、お願いです。
 私を助けてください。
 夢なんて持たなきゃよかった。苦しくて苦しくて、毎日朝が来るのがこわい。キャンパス内を歩く同級生、先輩たちが怖い。人が怖い。群衆が怖い。もう、大学なんて行きたくない。私は小学1年生の頃から何も変われていなかった。そんな自分が嫌いだ。「普通」が出来なくていつまでたっても強くなれない、こんな私が嫌いだ。

 ねえ、いいことおもいついたよ。
 もし、びょうきになったら、ガッコウにいかなくていいよね。
 だから、わたし、ウツビョウになりたい!

 6歳児の心の声が、頭の中でこだまする。

私はうつ病になりたい

私はうつ病になりたい

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-05-17

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