Enigma Break : Cardinal

※ ≪連載≫というものをやってみることにしました。楽しんで頂けたら幸いです。週一回ずつ、更新して行きます。

※ 一月一日。第一話、投稿しました。

※ 一月八日。第二話、投稿しました。

※ 一月十六日。第三話(前半)、投稿しました。この回は、仕事の都合上、書く時間があまり取れなかったため、急きょ前後篇でお送りします。後篇は明日、十七日の夕方を予定しています。

※ 一月十七日。第三話(後半)、投稿しました。

Ⅰ;深紅の少年

体中の血管と言う血管から、赤く澄んだ血液が流れだして、少年はうなり声を上げながら、寝台の上でのたうち回った。

何かを言おうとしているが、言葉になっていない。叫ぼうとした端から、血液が喉を逆流して、少年は床一面を鮮血に染めると同時に、血溜まりの中へ倒れ込んだ。

清潔だった部屋の備品の一切が、彼の体から吹き出した深紅の奔流で赤く染まり、医者も看護士も、彼の両親も呆然として、少年の獣のような悲鳴を聴き続けるだけだった。

【これ以上、人間にどうしろと言うのか……】



尽くせる限りの医術は尽くした。行えるだけの祈りも、神秘の加護も尽くした。けれど、少年の体に埋まる紅色の石は、少年の体からは離れず、無理に離そうとすると、力を暴走させて少年の体を蝕み、周囲の人間に、無力感と絶望を痛感させるだけだった。

【このままでは、少年の命が持たない……!】

部屋の床は、溢れ出る血に、既に浅い池のようになりつつあった。およそ、人間に生来より備わっている血有量などとうに越えた鮮血で、部屋中が満たされていく。

それでも尚、少年の体からは、赤く鮮やかな血液が流れ続け、血の涙を流し、上げた悲鳴は血の塊を吐き、身を捩る度に、皮膚から新しい傷が生まれて行く。



少年の母親は、頭の中で、自分の息子の体が、血の勢いに破裂する様を想像してしまって、気を失った。

「神よ……! これはいかなる事か!」

少年の父親は、倒れ込んだ妻を支えながら、必死に天を仰ぐ。顔に我が子の血がかかり、祈りの声は一層大きく、半狂乱になって、叫んだ。

「私の息子に! 私たちの大切な息子になぜこのような! このようなむごいことをなさるのか!」

「どうか。罪無きこの少年に救いを!」

「悪魔を取り除いて下さい! その苦しみからの救いを!」

「私の子どもの命を、どうか、どうかお守り下さい! 神よ!」

少年の父と共に、周りの医師たちも口ぐちに祈りの言葉を叫び、そこに、一際大きな少年のうなり声が重なって、そして唐突に、幼い少年を苦しめていた現象は、終わりを告げた。



狂ったように祈り伏していた者たちが、我が目を疑い、瞬きをした瞬間に、少年の体からは一切の傷が消え去り、顔も、口も、身体からも、溢れ出ていた鮮血の痕跡が無くなっていた。

まるで、密室の天井を突き破って、神が下した清らかな風が、少年の身体から、傷と、血の一切を拭い去り、浄めたような現象が起こったのだ。

少年の父親は、妻の身体を部屋の壁に凭れ掛けさせると、我が子の元へ駆け寄り、その両手に、幼い身体を抱き上げた。

「大丈夫か! 私がわかるか!?」

少年は、憔悴仕切った表情をして、父親の顔を見つめ、力無く、微かに首を縦に動かす。

それを見て、すぐに、医師たちが正気を取り戻して、少年の容態を確認し始めた。

「ダメだ。石はまだ少年の身体の中にある」

「もうこれ以上、彼の中から取り出す方法はない……」



大勢の医師たちに、後ろに追いやられる形になり、おぼつかない足取りで、横たわる妻の元まで戻ると、少年の父親は、糸が切れた操り人形の用に、その場に座り込んだ。

すべてが夢だったのではないかと思いたかったが、足下からあがってくる人肌の温もりに、自分が息子の血で出来た池の中に座り込んでいるのだと思い出し、戦慄する。

【神は、これを育てよとおっしゃるのだろうか。こんな人の英知の一切が及ばぬ存在を、私たちに……?】

妻の方を見ると、衝撃に眉根を寄せたまま、未だ失神している。

【これが、奇跡だとでも言うのだろうか……? 我々は、あの石をどうすれば良いのだ……!】



騒ぎを聞きつけた別の医師たちが、部屋に入ってくる音がする。皆、扉を開けてすぐに流れてきた赤い流れに驚愕し、中にいた医師たちから説明を受けて、更に嘆息を漏らす。そして、薄布にくるまれて介抱を受ける少年を見ては、何事かを囁きあっていた。

少年の父親には、すべてが遠いところで起こっている物事のように聞こえていたが、それはすべて、紛れもない現実なのだ。

自分の子どもには、この世のものとは思えぬ現象を引き起こす爆弾が眠っている……。人間の取り外せないそれは、人間が神の示した道にかなわぬ行いをしたならば、罪の報いを、宿主である息子に与える、恐ろしいものだ。

「神よ……。何故、私の子どもなのです……。何故、私の息子が、このような試練を与えられねばならないのですか……!」

少年の父親は、頭を抱えて、嗚咽し、その場に崩れ、やがて声を上げて泣き始めた……。



自分の周りで、たくさんの大人たちが重く沈んだ声で話している中で、少年は、父親の声を聴き留めて、声をした方を見ようと、ゆっくりと首を動かした。

こちらの視線に気づくことなく、父親は、地に伏して泣き崩れている。傍には、気を失った母親が倒れており、少年はそんな両親の様を見て、申し訳ないような思いに駆られ、一筋の涙をこぼした。

人としての、当たり前の透明な涙は、燭台からの明かりを受けて金色に光り、少年の頬を伝う。

【ごめんなさい。お父さん、お母さん……。こんな風に生まれて来て、ごめんなさい……】

少年には、何も決められないこと。けれど、彼は、心の中で、強い罪悪感を感じていた。両親を悲しませる存在である自分が、酷い悪魔のようにさえ思った。



自分に何が起こっているのかは、何もわからない。だが、自分の身体がおかしいことと、それで周囲の人間が困っていることは、もうわかっていた。

自分が悪いのではないか、という思いが湧いていた。自分は、よくよく気を付けていないと、いつかきっと、大きな過ちを犯し、もっと多くの人を悲しませるのかもしれない。だからきっと、こうして罰を与えられ続けているのだ、そして両親はそれを悲しんでいるのだと、少年は思っていた。

【僕は、気を付けなくちゃいけないんだ……。僕には、罪があるんだ。きっと、大きな罪が……。それをしてはいけない。悪いことをしてはいけない。誰にも、迷惑をかけてはいけないんだ……】

少年は、幼心にそう思いながら、目を閉じた。両親の嘆き悲しむ姿が瞼の裏に焼き付いている。

【僕は、悪い人間。そのままだったら、悪いことをしてしまう。悪いことをすると、罰がある。胸の石が痛む。それが罰の印。もう絶対に、誰にも迷惑はかけてはいけない……】

天國(あまくに)薔一(しょういち)は、そんな思いを抱えながら、両親との短い生活を過ごして行った。



朝の日差しが、水平線の下から上がって来る。

青と白の小石が敷き詰められた坂道に、折り重なるようにして並んだ白い砂壁の家々。自然に湧き出ている聖水の小さな泉からは、輝石からこぼれた光が、振り子のように揺れながら空へと上がっていく。

それと一緒に、朝には、道端や家の庭に植えられた木々の花々から、香りを含んだシャボン玉が生まれ、風に乗って流れていく。それらを虹色に輝かせる光は、深く生い茂った木々の間を抜け、島の高いところに位置する、この小さな一軒家の窓に当たり、ブラインドの隙間から、部屋の中へと差し込んだ。



家中の至るところに、聖水をいっぱいにまで入れた硝子管が置かれており、その中に浮かぶ、切り出された姿のままの鉱石や輝石は、いつまでも褪せることのない輝きを放って、日の光を受け、新しい一日の訪れに歓喜して上下左右に揺れ動き、鈴のような音色を響かる。

「ん……。もう……、朝か……?」

天國薔一は、耳に入ってくる鉱石の音階と、足先に陽の暖かさを感じて、目を覚ました。

ぐちゃぐちゃになったシーツごと上体を起こし、判然としない視界の中から、手探りでブラインドの紐を探り当てると、勢い良く引っ張って、部屋中にいっぱいの朝陽を迎え入れた。

「あー……! 眠い……!」

目を擦り、あくびと一緒に背伸びもすると、ずり落ちるブランケットもそのままに、ベッドから起きあがって、もう一度伸びをする。

やっと少し、しゃっきりとした頭で、枕元に置いた、横に長いサイドテーブルを見やり、朝の支度に必要なものを一通り確認すると、階下へ降りて行く。



壁の上半分が、大きく切り取られ、二重構造の窓硝子が填められている。この家に来てすぐに、薔一が家具を運び込む際に壁を壊してしまい、その他も使われていなかった期間の分、あちこちが傷んでいた為に、だいぶ修理と改装が行われて、最近やっと落ち着いたところだ。

薔一は、手に入れた快適な睡眠時間を存分に満喫すると共に、家全体の維持のために、休日の丸一日を費やして、全体を掃除するのが日課となっている。

昨日も、その日課を終えて、快適さが増した階下へ降りると、居間を通り、廊下へ出て、洗面所に入ると、シャワーを浴びて、身なりも整える。

朝一番の陽の光がまっすぐに入ってくるこの家だと、目が覚めるのも早くなるため、身支度を整えるのに、充分な余裕を持って取り組めた。



家は玄関を入ってすぐ左手に、キッチンと一緒になった居間があり、大きな橙色の輝石を浮かべた硝子管が、一時間ごとにクルクルと回転しながら低く柔らかい音を奏でて時を知らせてくれる。

右手には、水回りと裏口があり、裏口からは、この家の持ち主でもある白銀(しろがね)家が営む紡績工場へと続く、細い階段延びていた。

薔一が寝室に使っている二階は、部屋の一部分が腰の位置までの高さの低い本棚が集まった、読書スペースになっていて、主寝室の方にある机もその両サイドの本棚も、全部元から備え付けられていたものだ。

元々は、白銀家の紡績工場で働く従業員で、住み込みで働く契約をした者が使っていた家なので、仕事関係の資料や、(まなぶ)術書を収納するスペースが豊富にあるのだ。



薔一も、ここに住んでいる限りは、学校が休みの時間に、紡績工場を手伝うことになっている。海から取れる海聖石から、海の情報だけを抜き取り、色も性質もそのままに、細かな青金糸へと変える行程の中で、一番難しい、石の性質を変えずに情報だけを抜き取る課程を任されていた。

普段は学校で学業に専念し、帰ってくると、家にある資料や本から、必要な知識を吸収し技術の精度を上げていく。より多くの量を、短時間で仕上げることが出来れば、それだけ、自分の身体についての謎も解明されていくのだ。

それが、薔一が選んだ生きる術だった。

出来るだけ、自身の力で生きていきたい。確かな価値を自分の中に培おうと、自活の道も選択した。

家を掃除する日は、市場が立つ日の午後と決めている。その日は、学校も工場も休みになるので、朝に市場で必要なものを買って、物置に仕舞い、そのまま掃除道具や消耗品を出してきて、一気に全部のメンテナンスをやってしまうのだ。

白銀家の長男もメンテナンスを手伝って、二人がかりでやってしまい、終われば、そのまま勉強するか、遊びに出かける。居間の先にあるテラスでは、小さいながらも鉱石群を育てる庭を作り、そこで採れた鉱石や植物を標本にして、自分たちだけの資料を作るのが、目下の二人の重大事業だった。



制服に着替え、玄関と物置付近の戸締まりを確認し、居間に戻る。キッチンの隣に作られた小さな食料庫に入り、魚の缶詰とパンと牛乳を、テラスに降りて、鉱石群の庭から適当に二、三枚葉物を取ってくると、慣れた手つきでサンドイッチを作り、牛乳瓶の蓋も開けてテーブルに置いた。

「よし! いただきます!」

薔一は、手を合わせ、日々の糧を得られることに感謝を捧げ、朝ご飯にかじりつく。

制服の胸ポケットに入っている手帳を出して、今日の予定の確認をした。



今日は、夕方から工場で仕事があるが、学校の方は昼すぎで終わるため、少しだけ時間がある。何か用事を頼まれればそれをするし、何もなければ、家に帰って来て、昨日作り残した鉱石標本を作ることにして、その旨を空欄に書き込んだ。

珍しい、マゼンタの鉱石が生まれたのだ。赤い色の石は、輝石も各種聖石も含め、めったに生まれることのない貴重な石だ。今回出来たのは、少し乳白色が混じった色で、価値はそこそこしかないが、自分の体にある石が生み出したものかもしれないからこそ、きちんと記録する必要がある。

保護してもらっている白銀家のひとたちは、石のことなど気にする必要はないと言い、薔一が紡績の仕事をするのにも、反対していたが、薔一自身が、自分の力を何かの役に立てたいと望んで、働くことと、記録をつけることを始めたのだ。

月に一度、枢機教会から使いの者が来て、石に異常が無いか調べられることにもなっている。

それでも、こうして人並みに自由な生活と学業の権利が与えられただけ、とても有り難いことだと、薔一は思っていた。



「あ、そろそろ行かなきゃ」

橙色の輝石が、登校時間が近いことを告げる。薔一は、食べ終わった皿を洗い、濯いだ空瓶を食料庫の元あった場所に戻す。こうやって、次の市までの瓶を取っておいて、新しいのを買う時に、店の人に返すのだ。そして、コップに水を汲むと二階に上がって行った。

備え付けの机の上から、鞄を取り、中身を確かめて肩にかける。服装と身なり以外には特に規則は無い。せっかくだから気に入った鞄を使おうと、薔一は、子どもの頃に父親からもらった作業鞄を通学に使っていた。

そして、サイドテーブルの上においた石の状態を安定に保つための薬を取ると、持ってきたコップの水と共に、喉に流し込む。

赤い石を持つものは、過去にも何人かいたらしく、その人たちの記録を元に作られた薬だが、これが薔一の体内に眠っているものに有効なのかは、はっきりしたところはわかっていない。

薔一が持つ石は、どんな方法を使っても、薔一の体内から一片たりとも離れる事が無く、いったいどういう理由でそうなっているのかも、どんな力が眠っているのかもわかっていないのだ。


二階の戸締まりを確認して、階下に戻り、居間とテラスをチェックして、裏口へと向かう。

裏口の鍵を閉めたところで、階段の終点付近を見るが、そこに待機しているはずの白銀家の長男の姿はない。

「ふむ……。また戦争だな」

薔一は、仕方なさそうに、苦笑いした。


薔一が暮らしている家の下は、木々が生い茂る山肌で、海から来る風に、制服の裾が翻る。

階段は山の斜面に沿ってジグザグに曲がり、朝一番のシャボンが弾けて放った香りが残る、乳白色の石の階段の途中には、山肌から大きなビリジアンの輝石や、青藍の鉱石がむき出し、それらを育てる土からは、朝露に濡れた深い緑の木々が一面を埋め、天然の屋根のように階段の上まで枝葉を伸ばしていた。



丁度、階段の終盤に差し掛かった頃だ。そこからなら、白銀紡績工場の外郭が見得始めるという所で、

(はじめ)ぇーーーーーーっ!!」

という女性の声と共に、薔一の頭上から、声が降って来た。

「薔一! こっちだ!」

見上げると、白銀紡績工場上階に位置する、従業員詰め所の窓から、年の頃は薔一と同じくらいの少年が顔を出し、後ろを気にしながら、叫んでいた。

「創! 今日もか?」

薔一は、笑いながら答える。

「ああ。まったく、母さんのヒステリーは嫌になるよ! すぐ行くから、僕の部屋の下で待っててくれ!」

少年は言うと、顔を引っ込める。すると、すぐに違う顔が窓からこちらを覗き込んで来た。

「おはよう! 薔一! ちょっと今日は、母さんも収まらないみたいなのよね。私も上手くやるから、薔一は気にせず、創の部屋の下に行ってて!」

白銀家の長男、白銀創の姉で、白銀佐里(さり)が、先ほどの創と同じような苦笑いで言った。

薔一は、「OK!」とジェスチャーで伝えると、走って、工場の表に回り込む。



白銀家の中は、きっと、二人の子どもたちの朝寝坊に怒り心頭の奥方が、今日こそ二人の性根を叩き直そうと、追いかけ回している最中に違いなかった。

創も佐里も、成績優秀でクラスでも一目置かれた逸材なのだが、人を喰ったような態度と、朝寝坊に始まる生活のだらしなさがなかなか直らず、自身の両親でさえも、鼻であしらうような態度を取るので、彼らの母親はいつも胃をキリキリさせていた。

「どうしてうちの息子は、薔一君を見習おうとか思わないのかしら……。一緒にいるなら、少しくらい影響を受けてくれても良いはずなのに……。お願いだから、薔一君は、うちの子たちみたいにならないでね!」

いつだったか、創たちの母親から、そう言って、涙ながらに訴えられたことがある。

薔一は、どんなに母親に泣かれても、悪びれもせずに逃げる創たちを想像して、声を上げて笑った。

そんな事をしながらも、時間内に準備をして、登校してくるのだから、やっぱりあの姉弟は逸材なのだ。



階段を降り切ると、紡績工場の裏手に出る。そこから、エンジ色の土壁に沿って、意匠の施された透明な鉱石の垣根を左手に見ながら、階段と同じ乳白色の石の道を進み、工場の表に出ると、大きな青磁の門の前をくぐり、守衛さんに挨拶する。

守衛さんも、防犯カメラや工場内を行き交う従業員たちの話から、今朝の騒動を把握していて、薔一と三人で、苦笑いを交わした。

白銀家の住居は、工場の左隅、門から荷卸しと倹品場を抜けて、普通の白色硝石から、白糸を取り出す工場の隣にある。元々は、この白糸の工場だけだったのが、先代の社長、つまり創の祖父で現会長の代に、高級青金糸や、原料となる鉱石輝石類の生産にも着手し、今では、町の主力産業の一つになっている。

創が薔一の家のテラスで鉱石群を作るのを一緒にやっているのも、将来の事業に役立てるためだ。家族総出で働いているので、鉱石輝石の性質や、紡績の技術の基礎は、自分で学ばなければならない。

白銀家私有の庭は、姉の佐里が使っているので、創は薔一と共同で、あの家のテラスを使っているのだ。今はまだ小さいが、ゆくゆくは庭の方も手入れして、もっと大きな鉱石群を育てる予定だ。今度の市場には、木々の苗を買いに行くことになっている。



白銀家と工場の間には、住と工を隔てる背の高い木々が並んでおり、一部分だけ空いた場所に、門と同じ青磁の装飾が施された石の門が作られ、そこが工場からの出入り口になっていた。

薔一は、門の取っ手に手をかけ、押し開けようとしてその手を止めた。

「☆※◆♪ー!!」

何か、言葉にならないような、声のような、不思議な音が聞こえた気がしたのだ。

振り返って当たりを見回すが、後ろには、忙しそうに行き交う従業員たちの声と、石を運んで来る荷台車の音だけで、おかしなものは何もない。

けれど、検証のために頭の中で何度も音が再生されるうちに、それが人間の声になって、意味の通るものになって行っていることに、薔一は更に驚いた。

【音が声になって、意味がわかる?】



こんなことは初めて起こる。普段から、鉱石や輝石が発する音色は聞いているが、ここにあるどの石からも聞いたことのない音色で、しかもそれが、人の言葉に聞こえるなんて、一度も無かったことなのだ。

けれど、薔一の戸惑いを余所に、音だった声は、はっきりと薔一の頭の中で木霊し、繰り返し、繰り返し響いている。

「美味しそうー!!」

甲高い子どものような声だ。何とも間の抜けた、愉快そうな声に、誰か工場内に子どもでも紛れ込んでいるのかと思ったが、そうでもないらしい。

「いったい、何なんだ?」



いくら首を傾げても、何も解決しない。薔一は、意味を無した後すぐに、小さくなって消えていき始めた声の言葉の意味を考えて見たが、何の事なのか、まったく検討がつかなかった。

【とりあえず、学校についたらメモして置こう。新しい石の何かかもしれない……】

薔一は、自分の心臓に深く刺さっている、深紅の赤い石の事を思って、そっと息を吐いた。

不安になったりしてはいけない。落ち着かないと、石はすぐに薔一の体を蝕み始める。

得体の知らない声の事は、ひとまず頭の端に追いやって、薔一は、そろそろ戦争が集結している頃合いの白銀家に向けて、門の扉を押し開いた。

お腹が減ったから

深いため息をついて、瑠璃石の実をもぎ取ると、他の枝葉に養分が行きやすいように、枝切り鋏で、実を摘み取ったばかりの枝は、すぐに剪定して仕舞う。

一鉢で摘み取るのは二つまで。枝を切り取られた瑠璃石の木は、その日から通常の倍、栄養を吸って、一番実が大きくなってる枝葉から優先的に実らせて行く。だから、いつもよりも質の良い肥料をかけて、一番日当たりの良いところに置いてやる。

鉢植えを棚に戻した際に、収穫されていない瑠璃石どうしがぶつかって、凛とした高音を響かせた。



取った実を太陽に翳すと、斑のない濃紺の輝きの中心に、蒼白の煌めきが集まり、一つの光体を作る。光体の縁は、瑠璃石の表面の凹凸が作るプリズムで、虹色に輝いていた。

「輝きの元なんて何でも良い。でも、元のものがないと、光は何も生まないし、何が取り巻いていようとも、中心は中心で、動かないものだ」

桜河(さくらがわ)儚人(くらと)は、呟いて、作業台の上に石を置いた。

儚人の家から延びる細い石畳の道は、それぞれ、瑠璃石や翡翠や、紫金石など、その島の産業の源である、鉱石や輝石の群生庭園へ続いている。各庭園ごとに、簡単な作業場と、東屋があり、家族一人一人に、担当の庭園があった。儚人の管轄は、瑠璃石と菫青石。どちらも逆境に強く、手をかければかけるほど、大きくたくさんの実りを生む。


木々のエネルギーを元に、その実を石に変えて大きく育てる技術は、儚人の両親が開発したものだ。けれど、教会の意向で、技術の拡散と進展は大きく制限され、今は、教会で特別な催事がある時に、衣装や装飾品の原料として、鉱石を卸す程度に留まっている。

儚人も、子どもの頃、たくさんの菫青石を改良して、自分の名前でもある、《桜色》の鉱石を新しく生み出そうとしたが、人間が、世界の根底を支える《青》や《紺》から、神の色である《赤》に近づくものを生み出すことは赦されないと言って、教会からの使節に庭園ごと潰された。《桜色》の鉱石も、原石ごと使節の者たちに残らず持って行かれてしまった。


その頃から、儚人は、自分の意志で何かをしようと積極的に行動することはなくなった。したい事は一つ。両親たちが生み出した技術を、自分の手で飛躍させたい。もっとたくさんの石を扱って、誰も作ったことのないような、見たこともないような石を生み出したい。それが純粋なエゴであって、教会の戒が色濃く反映する今の時勢には、あまり歓迎されない想いなんだと知っていても、消えることなどない志だった。それを実行出来ない世界なら、命なら、そんなものに何も意味はない。

新しい瑠璃石の実を、手摘みの時用の小さい籠に纏めて入れ、儚人は東屋を後にした。


早朝の光景が、儚人の沈んだ心に染み入って来た。昇り始めた太陽の光に反応して、木々の上の方が揺れ、湧き上がってきたシャボンが割れて、風が、島中に花のような涼しい香りを運んで来る。

儚人は、石の養分になる運命を免れた一本のイチジクの木から、食べごろになった実をもぎ取って、自宅のドアを開けた。両親と妹は、もう起きて、朝の支度を始めている。何も新しいことなど生まれない止まった庭園。けれど、そこにも確かに時は流れ、そして、流れゆく時は、美味しそうに焼けたパンの匂いを、儚人の元へと運んで来た。



「早かったのね」

儚人の母親が、台所から顔を出し、声をかける。

「お兄ちゃん。もう私、早摘み終わったよ! 今日は私の勝ちね!」

妹も、居間から顔を出して声高に宣言した。

「明日は、俺が勝つよ。父さんは?」

「まだ、庭園よ。緑柱石の庭園の様子だね、ちょっとおかしいらしいわ」

「どうおかしいの?」

儚人の手に自分の腕を絡ませながら、妹の倖日(さちか)が訊ねる。


「なんだか、まるで何かに食べられたみたいに、生まれたばかりの若い石ばかりが、ちょっとだけ、無くなってるのよ」

「若い石ばっかりが?」

倖日が怪訝そうに顔をしかめる。この島に、鉱石を食べる生物は存在しない。季節ごとに、本土から動物園が巡業公演でやってくるが、その中の動物が逃げ出したなどと言うことも無かった。

「誰かが取ったとか?」

儚人が聞く。儚人の言葉に母親は首を降ると、

「それがね。さっきも言ったように“食べられた”っていう雰囲気がするのよ。信じられないけれど」

「野生化した動物が、海を渡って本土から来たの?」

倖日が聞く。

「貨物船からも、不審な動物や人間の報告も無いらしいし、そうとしか考えられないわね」

「政府や教会の言うことなんて、あてになんかなりゃしないよ……!」

倖日が、儚人の心を代弁するように言う。二人の母親は、その言葉に困ったように笑うと、

「とにかく、役場が開いたらすぐに、調査の人が来るわ。さ。ご飯にしましょ!」

儚人も、倖日も、顔を見合わせ、仕方ないなと目配せをして、居間に入っていった。


島の東側付近で、いつもとは少し違った朝を迎えた少年たちが、通う学校は、島で唯一の学校だった。島全体に音が鳴り響く、美しい大時計がシンボルマークの学校には、小学校から高校までが、一つの校舎に入っていて、コの字型の校舎の南側が小学舎で、北側が中学舎と高学舎だ。中心には、共同で使うグラウンドがあり、敷地の東にあって、双方の学舎を繋ぐ建物には、特別教室や職員室が入っている。

正面玄関は、東舎を挟んで、グランドの反対側にあり、島の港から延びる公道と校舎までの間に設えられた、海聖石の敷石の広場には、学校の歴史を端的に記したレリーフや、部活動関連の掲示板、休み時間中に生徒が自由に使うベンチなどが置かれている。広場を取り囲む芝生のところには、季節の花が代わる代わる植えられる花壇に、風避けの背の高い木々にと、どれにも、いつも行き届いた整備がなされていた。


広場に入ってすぐ左手には、元々教会の研究所として使われていたものを改装した、学校の資料館へと続く道が延びている。

その道の中程からほど近い、東学舎三階の北の端。家庭科室と言う札が掲げられた教室の中からは、軽快にリズムを刻む包丁の音と、ガラス瓶がぶつかった時に鳴る高音とが、響いていた。



取れたての新鮮なアボガドを二つに割って、中の種を取り出し、薔一は、隣で控えていた白銀の手に、洗った種を丸のままぽとんと落とす。白銀は受け取った種を綺麗に消毒し、粉末の輝石を溶いた聖水に一旦付け、それを変化液の入った広口の瓶に入れた。

「どう?」

包丁を握る手を止め、薔一が瓶の中をのぞき込む。

「いけそうだ。反応が良い。コレは明日、テラスに植えよう」

白銀が応えて、瓶の蓋を締める。変化液の中の種からは銀色の細かい泡が立ち上り、くるくると回転も始めている。

「もう一個作ろう。そっちは今度の月至祭の時まで置いておいて、姉さんの温室の方に提供するよ。桜河先輩と一緒に、新しい石作りたいんだって」

白銀は、新しい広口の瓶に自家製の変化液を注ぎながら言う。薔一は、二個目のアボガドを切って、種を取り出した。

「新しい石って、教会から許可でもおりたのか?」

「いいや。でも、ぎりぎりの所までやって、データをとるくらいは、誰だってやってるから、問題は無いだろう。姉さんたちのことだ、上手くやるさ」

白銀は、二つ目の種を受け取って瓶に入れると、反応を確認して、蓋を締めた。そして、先ほどの瓶も一緒に、家庭科調理室の戸棚に並んで仕舞い、鍵をかける。


薔一は、更に三つのアボガドを切って、種を取り出し、中身をくり貫くと、小さめのボールに移し、フォークで実を細かく潰して、魚の缶詰の中身をその中に空け、醤油とマヨネーズで味付けをし、大きめのスプーンで材料をよく混ぜ合わせ始める。

白銀は、棚に瓶を仕舞った足で、隣の準備室の壁に備え付けられた小さな竈へ向かうと、そこで、竈に入れられた玄米パンと挽き肉とジャガイモのミートパイの焼き加減を見ることにかこつけて、香ばしい料理の匂いを堪能し、目を輝かせていた後輩三人に声をかけた。

「おい。おまえたち! もうすぐ開店の時間だから、さっさと机のセッティングをしろ! あと、実験器具も片付けろ! 変化液の瓶の蓋を開けっ放しにするな、変質するだろ!」

「はーい!」


白銀の一喝に、青柳(あおやぎ)颯汰(そうた)紺屋(こんや)ソラ、金杜(かなもり)灯織(とおる)の一年生三人は素直に返事をし、家庭科室に戻っていく。みんな、先の休み時間にお昼は済ませてしまっていた。今日も今日とて、薔一お手製のバケットサンドを分けてもらっていたので、充分、お腹も気力も満足している。バケットサンドの中身は、薄く切ったローストビーフと半熟卵とチーズの組み合わせと、特製ポテトサラダに、和風ドレッシングがかかったものだった。ローストビーフの方には、マスタードが効いていて、半熟卵のとろみも一緒になって、もだえるような美味しさだった。

三人は、思い出しただけでも涎が出そうになるのを堪え、仕事に当たる。


「今日は、部長がいないから、キリキリ働けよ?」

白銀の号令に押されて、後輩たちは、一人が片付けに、もう一人は食器の持ち出し確認に、最後の一人はテーブルメイキングにと、動いていく。

「グラタンの受け皿、準備室のように置いておきますね」

ソラが薔一に声をかけ、数枚重なった皿を準備室の方に持っていく。柔らかい色素の薄い髪に、黒目がちの目が印象的な子だ。

「ああ。ありがとう」

薔一は答えると、混ぜ終えてディップ状になったアボガドと魚の和え物を、くり貫いた後のアボガドの皮に詰めて、上から溶けるチーズとパン粉を振る。それを十個作ってプラスティックのプレートに乗せると、準備室の方へ運んで行った。


「ちょうど、空いたぞ」

白銀は、玄米パンとミートパイを取り出し終え、次に入れるアボガドのグラタンの為に、竈の中を整えているところだった。

「すまんな、急に献立を変更させてしまって」

「良いよ。予約してた人たちも、構わないって言ってくれてるし、また来週には入るんだろ?」

白銀が退くと、薔一は厚手の手袋をして、竈の前に立つ。ブロックを使って、竈の中に四角い支えを十個分作り中で料理が転がらないようにすると、一つ一つグラタンを竈の中へ並べて行った。

「今回だけ、発注したのと別の積み荷が本土から来たんだ。よくわからない、インカローズの原石。うちは注文してないし、教会からの指示も来てない。運搬の段階で別のものが混じったんだろってことなんだが……」

「珍しいな。そんなこと」

「ああ。昔はあったらしいがな。積み荷の行き違いとかが。でも、うちが教会直轄になってからは、初めてだ」

薔一は、料理を全部並べ終わると、竈の蓋を閉じて、時計をセットする。

「じゃ、看板出してくるか」

「ああ。俺はここにいて、出来上がりを持っていくよ」

竈の火自体はもう消してある。余熱だけでも、十分に火は通るくらいに、中の温度は上がっているので、二人も番は要らない。白銀は、薔一を残して、家庭科室に戻っていった。



薔一たちの部活は、《鉱石クラブ:Σ(シグマ)》。土地柄、《鉱石》関連のクラブはいくらでもあるが、薔一たちが行っているのは、すべての分野での可能性溢れる、応用鉱石研究だ。

と、一学生が銘打ったところで、大した研究内容も展開していないが、自分たちの身近に起こった鉱石関連の出来事を独自に研究して、実生活に役立てようという目標はちゃん実行している。

教会直轄で鉱石を扱う職業の家の人間ばかりが集まったこの部は、将来の職人ギルドの雛形と言っても過言では無かった。


学校のシンボルである大時計の文字盤に使われているアズライトやスモーキークォーツは、薔一たちの部が作ったもので、時計が定時を告げる度に、互いに反応して、決められた音階を奏で始め、生徒たちの学業を規則正しく運行する手伝いが施されている。

学祭での香料石オルゴールの売り上げも、薔一たちの部が一番で、意匠の得意な金杜と薔一が主になって彫り上げた。繊細で、それでいて本物の職人の仕上がりと遜色ない薔一たちの彫刻には、学内外にもファンは多い。

デザインは桜河と白銀が担当した。二人とも、降りてきたインスピレーションのすべてを、躊躇も遺憾もなく発揮するタイプなので、デザイン画を見た瞬間に、机に座っているよりも野山を駆ける方が好きな青柳や、細かい作業が大の苦手な部長の五百蔵ゆかりなんかは、逃げ出したが、デザインした本人たちも手伝って、オルゴールは見事に完売した。


それらの功績に比例して、部の予算も潤沢にあるが、薔一たちは更に、部の次なる課題を決めるためと、必要な研究材料を取り出した後の、有機物の有効的活用のため、週に一度、学内の家庭科室を借りて、レストランを開いている。

調理は普段から家で料理をしているものが担当し、後の者は材料の調達や、経費の計算、客取りを行う。

それぞれが得意な仕事を分担して行うことで、この半年、滞りなく続いてきたこのレストランも、つい今し方、初めての小さなピンチを迎えていた。

白銀の名義で発注した、レストランに使う食材の一部が、今朝になっても届かなかったのだ。


いつもなら、必ず指定した日に届くはずの荷物がない。教会直轄の工場に卸す物の一部に加えられていたそれは、薔一たちには覚えのない、市場ではそこそこの価値のある、拳大のインカローズに変わっていた。

「こんなのは、工場自体も頼んでないらしいんだが、どうしたものかな……」

白銀は、自宅で数名の社員と一緒に頭を抱えている父親を横目に、階上の姉から投げ落とされた通学鞄を受け取ると、母親の降り降ろす箒の一撃を紙一重で避けて、姉が昨夜、洗面所に置きっぱなしにしていたと言う、バニティバッグを階上に放る。

それを見て、息子よりも娘の方が、のっぴきならない状態にある事実に気づいた母親が、息子から目を離し、階段を上り始めるのを認めると、白銀はきびすを返して全速力で母親の脇をすり抜け、廊下を突っ切り、開けて置いた窓から外へ飛び出して、薔一の待つ玄関の庇に足をかけ、そのまま下に飛び降りた。

「お、おはよう……」

「おう! 行くぞ!」

若干引き気味の薔一を後目に、何事も無かったかのように走り出す白銀を、薔一と同じく、引き気味に、門扉の警備員が見送る。

予定していた食材が届かなかったことを薔一が知らされたのは、そのすぐ後だった。



「おかしなことが、少しだけ起こってる……」

呟いた薔一の瞳に、のぞき窓から漏れる、赤く燃えた煌火石の光が揺れる。

熱を感知すると火の様に変わり、感知した熱量の倍のエネルギーを発する煌火石は、分量と加える熱量が完全に比例するので、扱いやすい。金杜は、これを改良して、貴金属の工芸品を作る竈を新しく自宅に作ると言っていたが、煌火石の熱量が他の石に与える影響には、例外の石もある。

「《赤》の石……」

《生命》そのものを表す、《赤》の石たち。

インカローズもそうだが、《赤》に関連している石はすべて、教会が徹底して管理しているため、手違いでも他に出回ることなどない。

「白銀のおじさん。大変だろうなぁ……」


教会と言う場所が、どれだけ《赤》の石に固執しているかは、薔一が一番よく知っている。幼い子どもの体に、想像を絶する負荷がかかろうと、彼らは薔一の体から《深紅の石》を取り出そうとするのをやめなかった。

けれど、“人を殺してはならない”という戒に従って、薔一の命までは、彼らは取れない。だから、あのとき、本当に絶命するまでには至らなかったのだが、教会で一番神聖をされている《石》を、一介の少年でしかない薔一が持っていることは、白銀の家以外には、この島で知る者はいない。

隣の家庭科室で、一際賑やかな声が上がった。きっと、予約の生徒と教師が入ってきたのだ。作る側の手に限りがあるので、一度に数人しか入れないが、レストランは学祭での出店と同じくらいに人気があった。


今まで、必死に自分の存在を得る為に身につけた術を、人に喜んでもらっている。それを表す、歓声を壁越しに聞いて、薔一は、照れくささと嬉しさに、座っていた椅子の背の上で手を組んで、微笑んだ。

と、そのままニヤニヤと笑って仕舞う。やっぱり、人の役に立つのは良いことだな。


と、その時、

ドーーーーーーン!!!

と言う轟音が校舎に響いて、同時に、開け放たれた窓から焦げ臭い、樹木の焼ける匂いが漂ってきた。

薔一が音のした方を見ると、学校を挟んで山向こうの方から、白い煙に続いて、太い黒煙が立ち上っている。ちょうど、白銀紡績工場の方だ。

「工場で何かあったのか!?」

竈の煌火石が、鎮火に状態に入っているのを、確認して、薔一は家庭科室に入る。


部屋には、白銀と、紺屋ら後輩三人、クラスメイトが四人、先輩が二人に、中学舎からの生徒が二人、そして、この部の顧問の翠戸(みどりど)咲音(さくね)と学校長がいた。

めいめい窓の外を見て、何事かと話し合っている。白銀と目があった薔一は、二人で顧問に早退の申請をすると、承諾を得てすぐに、白銀紡績工場へと向かった。


後ろで、翠戸が生徒たちに指示を出しているのが聞こえる。学校長は、一足先に職員室に戻っていったらしい。学内を走る薔一たちの目にも、轟音がもたらした動揺の有様が見て取れた。

窓の外を見るものや、家族が工場で働いている者は、家に連絡を取っている。


正面玄関へ向かう階段のところで、反対側から走ってくる儚人と出くわした。

「先輩!」

「早退するんだろ!? 早く行こう。僕も家が心配だ。今朝から、役場の人たちも家に来てる。対策はきっと早いさ」

「役場が先輩の家に!?」

「ああ。緑柱石の庭園で、ちょっとな。“食べられてた”んだ、石が」

「え!?」

「続きは走りながら話そう」

言うが早いか、儚人が走り出し、薔一たちも後に続く。正面玄関を抜けて、門をくぐるまでの間に、薔一たちは今日の早朝に桜河惣庭園(さくらがわそうていえん)で起こった不思議な出来事を聞かされた。

石食動物

葉の部分にはめ込まれた純度の高い緑柱石や蒼空石の板が、夕方の光を通して、床に淡い光の円を描く。

桜河惣庭園の緑柱石の庭園内にある作業場は、儚人の自宅から四方に延びる小道を北東の方に進んだ山中にあった。

役場から来た数人の人間と、桜河惣庭園の主が、暗い面もちで庭園を見つめている。本来は役場からの人間はもっといたが、庭園から少し下ったところにある白銀紡績工場の方で火災があり、そちらの方に人が駆り出されていったのだ。

遠くから、再びの轟音が聞こえてくる。何人かが、そちらの方を見たが、

石食動物(せきしょくどうぶつ)ですな」

と、緑柱石を苗床から削り取り、小さな顕微鏡で詳しく検分していた役場の人間の声に、庭園の方に視線を戻した。


「どこかで特別な《根源色》と《構築色》の石も食べているのでしょう。実際に記録されている石食動物とは、大きさが異なるようです。恐らく、石の力で巨大化して行っていますね……」

一人が、レンズを覗き込みながら言う。

「ここで《緑》を得た後は、どこかで《黄》と《橙》。最後に《赤》を食べるために動くはず……」

その周囲で控えていた役場の者も、重い口調で行った。

「下の紡績工場でしょうか……」

「いや、下には《黄》系の石は保管されていない……」

「《赤》はあるが、まずは《黄》だ。石食動物は、鼻が利く、まっすぐに《黄》系の鉱石があるところに行くはずだ……」

「では火災は……?」

「こちらとは別のことだろう。まずは、石食動物の確保が最優先である……」

役場の人間は、鉛の塊を飲み込まされているかのような表情で、話し合っている。

石食動物は皆、枢機教会の管轄の元、他の人間の介入がないように厳重に保護されている。混沌から世界の基盤を作り出す根源の《紫》から始まり、神の威光を表す《赤》に至るまでの色の石を食し、その力を宿した動物は、神の世界に達するからだ。

神がそれを赦し、その運命を与えた存在。そば近くに置き、最後の《精算》の時にそれを円滑に執り行う存在、それが石食動物だ。



それまでの文明が、一陣の突風によって、瓦解と保護とを経験し、目には見えない大きな存在の御心に叶ったものだけが残った世界。

《精算》と呼ばれる、その現象が起こった後、今までの文明から引き継がれたものと、新しく、生み出された生き物とで、世界は新しく回り始めた。

木々が浄化のシャボンを湧かせ、鉱石や輝石を元にした産業が生まれ、新しく生み出された命や営みを利用して、育まれるサイクルがある。

石食動物は、世界が《精算》の時を迎えた後に現れたものの中で、彼らが神の世界に至る課程に、人類が意図的に関与してはならないとされている。その最たるものでもある。石食動物を動かすのは神の意志であり、彼らが神の世界に昇るのを妨げてはならないのだ。

世界のどこかで、新しく石食動物が見つかり、それがもし、《紫》の石を食べ始めていたなら、すぐに教会に連絡し、保護下に置かれなければならない。



「この先の方針が決まりませんと、なんとも……」

「《黄》は無くとも、何かしらの手がかりは、工場の方にもあるかと……」

「そうだな、《紫》と《紺》はそこで摂取したのかもしれぬ。《根源色》と《構築色》は、来月の祭で使われるからな。何か痕跡はあるやも……」

役場の者たちは顔をあげ、庭園の主に向き直った。



「今期の納付分の緑柱石の確保はどうなりますかな。枢機教会の神庫におさめる分です」

「え……。ああ、それなら、倉庫に翡翠の在庫がありますので、それに返させて頂けるなら、今回の緑柱石分の威力を納付させて頂きます……」

儚人の父は、そう言うと、緊張した面もちで頭を下げた。

「質の良いもので頼みます。ひょっとしたら、残った緑柱石も一緒にと言う連絡が入るかもしれません。くれぐれも、管理を怠られませんように。私たちは一旦、役場に戻ります。橙野(とうの)君」

「はい!」

先ほどから、紡績工場の方からの轟音を気にかけていた燈野学は、急に呼び止められて、姿勢を正した。

「何をしているのかね」

「はい?」

聞き返した燈野に若干苛立った風で、

「桜河さんと、ここを荒らした動物の正体を突き止めてから、役場に戻ること。紡績工場の方の報告書も君が作成してくれたまえ。あと、白銀工場長にあったら、今期の納付量に支障が無いかも聞いておいてくれないか。枢機教会の方に、報告せねばならないから」

役場の人間は、そういっぺんに言ってしまうと、またそれぞれの額を付き合わせて、教会への報告内容を相談しながら、作業場を出ていった。



役場の人間が通ったドアから、外の喧噪が、風に乗って流れてくる。轟音は無いが、島中から、たくさんの人が集まって来ているのはわかった。

どこの家庭でも、島で一番大きな工場で、家族の誰かは働いている。今日が出勤の日では無かったとしても、友人や同僚を心配して、駆けつけた者も多いだろうと、推測出来た。


燈野は、上司たちの姿が完全に見えなくなるのを待って、

「はぁーーーー…………」

と、大きなため息を吐き、庭園の主と顔を見合わせる。

「取引先が大変な時に、すみません……」

燈野が頭を下げると、儚人の父も頭を下げる。

明確な期限は言われていないが、言外、その日一日で、彼らが満足する結果をもたらさなければならない。

正体不明の動物を島の中から見つけ出し、それがどうやって本土から離れた離島の鉱石庭園に来たのかを突きとめ、どこで《紺》と《青》の石を食したのかも調べる。

やれやれと頭を掻いて、上司たちが残していった顕微鏡を覗こうとして、ふと思いついて、儚人の父に訊ねた。

「息子さん、学校の鉱石クラブで石の生産をやっていましたよね? 妹が、息子さんたちの作った、オリジナルの輝石オルゴール持ってます! あれには、シトリンやカーライトもあった!」

「ええ……。どの色をやっているのかは知りませんが、自分たちが作る品の材料は、全部、自分たちで作っているようですので……。白銀家の子どもさんたちも、それぞれ立派な庭園をお持ちで……!」

儚人の父は、そこまで言って、自分で気が付いたようだ。二人で、紡績工場に向かった役場の人間を追おうとしたが、彼らは既に、庭園を抜けて、島の公道に入って行く後ろ姿が見えた。



「きっと気づいていませんね……。桜河さん、息子さんたちはいつ戻って来ます? 彼らからも詳しい話を聞かなければ!」

「いつも夜前までには帰って来ますが、今日の騒ぎに、もう帰って来ているかもしれません」

「ちょっと電話をお借りします。学校の方で、彼らの部室や、他の部室も調べてもらいましょう。《紫》から始まって、今は《緑》、どこかで《黄》の食べかけがあったら、石食動物が神獣になるまで、もう少しです」

いったいどの種類の、どんな動物が神の世界に降り立つのか。降り立った瞬間に、何が起こり、どんな変化が起こるかは、毎回違う。災害であるかもしれないし、限りない福音かもしれない。

それは、石食動物が神の世界に達した時に足を付けていた地の様相で決まる。その地が、神の御心に叶っていれば、福音が起こり、そうでなければ、より良くなるための試練が与えられる。

それは大切な神託でもあるため、石食動物は教会で厳重に保護されるのだ。



「極端に《色》の集まる島で、石食動物が生まれるなんて、何の神託なのだろう……」

燈野は、庭園同志を結ぶ小道を駆けながら思った。


燈野はこの島で育ち、今の役場に就職した。燈野以外にも島出身の者はいるが、役場のほとんどは本土から来た枢機教会の者だ。


島の中にあっても、島とは違う場所。本土と連絡をとる事の多い部署では、そんな雰囲気がいつもある。燈野も慣れたとは言え、やはり、そんな空気がいやに思うときもあった。


けれど、島の自然や産業を支える仕事は素直に誇りに思える。自分が暮らした町並みや学校、それらを守ることにも誇りを持っていた。

「はい。……はいでは、……ええ、お願いします」

学校に数ある鉱石クラブの中で《黄》以上の色の石を栽培しているクラブがあれば、それはすべて、役場の保管庫に持ってくるように連絡を入れる。

役場の方にも、受け入れを整える旨の連絡は済ませてあるので、すぐに対策は出来るはずだ。

更に、自然に生息している《黄》の石の場所にも職員が向かっており、商店で取り扱っている石についても、連絡と対策の通知が行っている。

「では、僕は工場に息子さんたちを探しに行ってきます!」

燈野は、儚人の父にそう言い残すと、公道へと出た。


「先輩は《石食動物》だと思うんですか?」

「ああ。それ以外には、何も無いと思う」

「…………」

薔一たちは、紡績工場へと続く青と白の道を走りながら、お互いの今朝の出来事を話し合っていた。

薔一の耳に聞こえた美味しそうという言葉も、石食動物なら納得が行く。枢機教会の中枢で暮らしていた時も、教会の人に連れられて、石食動物の生誕の瞬間に同行したことがあった。

その時には、《赤》を求めた石食動物に、心臓の石を食べられそうになった。



「工場には、《黄》はない。どこか他で食べる気だったんだ」

「きっと姉さんの庭だな」

「ああ。シトリンでその色の濃いものを作っていた」

「じゃあ。きっともう《黄》は食べてる。朝のがそれだったんだ……」

なぜ聞こえたのかはわからないが、薔一の聞いた声は石食動物のものだったと思って間違いない。島に誰かが持ち込んだのだ。それが逃げ出したか、もともと神の世界に達する石食動物を教会の保護無しに作りたかったのか、定かではないが、恐らく、勝手に自分の手で作り出したいと思った人間がいるのは間違いないだろう。

薔一たちは、紡績工場の青磁の門まで来ると、中の騒ぎを人だかり越しに見た。



四棟の工場の家、白銀の自宅から近い方の三棟から、煙があがり、消防隊が放水消火を行っている。白銀が、集まった人の波に中へ消え、しばらくして戻ってきた。

エンジ色の煉瓦の壁が黒く煤け、窓ガラスはすべて割れていた。

「もっとひどい事になってるかと思ったけど、そうでも無さそうだな」

他の誰でもない、被害が出ている工場の主の息子が、そうつぶやくのを隣で聞いて、薔一も儚人も、複雑な笑いを浮かべる。少し、冷や汗がした。

「次は《橙》だ」

すぐに薔一が駆け出し、意味を理解した白銀が続く。儚人は、どうしたのかと二人に問いながら、後ろに続いた。

「《橙》の石は下手をすると《赤》よりも入手しにくいかもしれない」

人だかりを縫って、水晶の垣根を目指す。

「さっき確認しましたが、工場の《赤》の保管庫は無傷でした。三つの建物それぞれに保管庫があるんですが、《赤》が入っている第4棟の保管庫は無事です」

「石食動物を持ち込んだ何者かは、全部の保管庫を探して、破壊してみようとしたけれど、目的は達成出来ずに、違う方法を考えたんだな」

「堅い保管庫より、忍び込んでしまえば後は安易な庭園を選んだ、ということです」

三人は、やっとの思いで人混みを抜け、水晶の垣根沿いに第4工場の裏へと回る。

「うち《橙》の石も第4棟の保管庫です。《橙》は、僕の知る限り、作っているクラブも庭園も無い。桜河先輩のところは《黄》も《橙》も、まだ出来てないでしょう?」

「すべて取り終わったばかりで、まだ普通の岩肌ばかりだ。とても動物を変態させられるほどはない」

「《橙》は下手をすると《赤》よりも大変だ。時期を逃すと、手に入らない」

垣根の道を抜け、薔一が使っている一軒家へ向かうための白の階段を登り始める。そこで、薔一が口を開いた。

「今日、家のテラスで《赤》の石が生まれたんだ……」

「マゼンタの石だろ? 白色混じりの」

白銀が補足する。

「ああ。でも、突然変異だった。それに、白色混じりでも、《赤》は《赤》です。色の力を吸収して、石食動物は大きくなる。人間にとって純度は低くても、彼らが欲するのは、石の本質です。だったら、俺たちが考えてるよりも、ずっと、彼らは目的のものを得やすいのかもしれない……」

「さっきから、よくわからないんだが?」

儚人は、二人に付いていきながら、首を傾げる。

「先輩は薔一の家に行くのは初めてですよね。薔一の家の今には、大きな《橙》の石があるんですよ。時計代わりに使ってるものが」

「半分人工で作られています。でも、それでも彼らには十分なんです。力が宿っていれば良い。それは僕らが手を加えて、小さな石から大きくしました。彼らが欲する力も十分あります」

「そして、そのすぐとなりにはマゼンタの石。出来すぎです」

儚人は、息を飲んだが、それが本当なら、生まれるべくして、この事態は生まれたことになる。

終盤まで来ているのだ。すべては薔一たちのテラスの鉱石群にマゼンタの石が生まれた時に、もう完成していたも同然だった。

《それが始まるときには、それはもう既に完成してもいる》

枢機教会で習った言葉だ。始まりは完結と同じ。初めて聴いたとき、薔一には、それがとても窮屈な言葉のように思えたが、今、その言葉が頭の中を何回も反響して回っている。

Enigma Break : Cardinal

※ お読み頂きありがとうございました。≪赤色≫にまるわる謎。頑張って書いて行きます。

※ これは去年に書いた話の三話目を元に、いろいろ膨らませたり、変更したりして、書いています。

Enigma Break : Cardinal

※未完。次話掲載時期も未定。 光り輝く数多の石から産業を興し、発展した世界。 世界を根底から支える≪紺≫や、神の奇跡を示す≪赤≫など、教会が伝える創世からの戒が色濃く残る世界。そこに生まれた≪生ける血の石・深紅≫を宿した少年の話。 人間の力では、取り出すことも出来ない≪石≫を抱えたまま、日々を生きる術を磨かなければならなくなった少年の元に、自分の体に潜む≪色≫と同じ、≪赤色にまつわる謎≫が現れる。命の重さを測る術は、誰にも赦されないーーーー。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-01-01

Copyrighted
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  1. Ⅰ;深紅の少年
  2. お腹が減ったから
  3. 石食動物