葉山洋二の大学時代にどんな事が起きたか?

葉山洋二の大学時代にどんな事が起きたか?

世代が違えば・・全く異なる・・。


 葉山洋二の大学時代にどんな事が起きたか?


(今日は時間が無いので、葉山洋二の大学生時代に起きた出来事を羅列しながら、洋二の目から見た1970年~74ん年までの間の此の国の状況を書いてみる事にする。)
 


 それ以前の事からピックアップすると、更に分かり易いのかも知れない。「全学連」という学生を中心にした組織があり、砂川基地拡張反対闘争、勤務評定反対闘争、原水爆実験反対闘争、警職法反対闘争を経て、1960年の日米安全保障条約改定反対闘争において、その激しさは頂点に達していった。
 国会前で機動隊と衝突した際に、東京大生の樺美智子さんが亡くなった。30万人という数のデモ隊であったが、当時の静岡市の総人口に相当する大きなデモ隊と言えそうだ。
 昔は、「ideology」という言葉がよく使われたし、「intelligentsia」も同様だった。
 前者は「思想」のような意味で後者は「知性的な者」の様な意味。インテリと言われれば、悪くは無いimageだった。
 今の世代には何が何なのか分からないだろうし、興味も感じないのは当然で、昔の学生というものは、議論を戦わす学生だから知脳が高い様な気配を感じたのかも知れない。
 議論と言っても、意見の異なる者と意見を戦わす事も少なくなく、更にその昔には「三段論法」と言い、「正・反・合」という言葉が使われた。
 洋二は其の後の70年に学生になったのだが、その言葉は既に古いとされていた。其れでも、学友達と議論をするのが学生の知的な所と思った。
 例えば学友二人を相手にし、「原始人類社会は経済と法律の何方の方が、先に成り立ったのか?」というテーマを議論するとして、実は経済だと言われると、洋二は内心では経済だと思っても、何が何でも政治が先だと主張し、相手に降参させるなどもあった。
 後輩などとも他の事で議論を戦わせても、何時の間にか相手の主張を封じ込めてしまう事が得意だった。
 要は相手にこれ以上理論的に反論できないと、諦めさせてしまう事になる。理論展開をしながら相手を納得させる事、つまり、無、であっても,有として納得させるという事。
 社会で其れが生きることは無かったが、法廷で口頭弁論を戦わす際などには、ideaの豊富さで少しは役に立った様な気がする。
 最も法律がある事が前提で、其れを絡めて主張をするのだが。
 其れは兎も角、時代背景は70年。実は自宅から蒲団など生活用品を川崎・新丸子の汚い学生アパートに運ばなければならない時に、伯父の軽四輪で運んでもらった。
 その年の正月明けには、東京大学の安田講堂に於いて、学生達と機動隊が衝突をし、学生達は全員検挙されたという事があった。
 伯父の運転でアパートに向かう途中、車のラジオから流れていたのが、「よど号ハイジャック事件」で、随分驚いたのは、赤軍の何人かが航空機をハイジャックしNKに着陸させ、共産国の人となったのだから。
 伯父や母が帰った後、アパートで不味い夕食を味わった時には、淋しくなったものだ。
 ペラペラの豚肉のソテーやら何やらで、家の料理とはまるきし異なったが、当時は四畳半の部屋の賃借料が月6000円という安さは、仕方が無い。
 今でも記憶しているのは、其の時味噌汁か何かをひっくり返してしまった事や、初めて銭湯に行く事になった・同じアパートの先輩達とはあまり気が合わなかった。
 或る時、洋二は月餅が食べたくなり、渋谷の東急department storeに立ち寄った際に、月餅が食べたくなったのだが、何故か贈答用の一箱を購入してしまった。
 部屋に戻り、一人でむしゃむしゃ食べたものだ。駅前からの道路はまだ舗装がされてなく、犬の糞などもあり、嫌な気がしたが、駅の改札口を出たところに屋台のうどん屋がおり、変わった味付けのうどんはまあまあ美味しかった。
 其のアパートは僅か三月程で出る事にし、友人の紹介で目蒲線の洗足という駅から高級住宅街を歩いたところにある、下宿で60畳間を間借りする事になった。家賃は1万円だった。
 その家は、古くトイレはまだ汲み取りだったが、日本冷蔵~ニチレイ~の会長さんの家だった。
 襖越しに隣の部屋には、同じ郷里の文学部の先輩がおり、其の人には何故か随分可愛がられた。
 最初から意気投合し、言いつけは守った。先輩がどうして洋二をすぐに気に入ってくれたのかは、おそらく坊ちゃんだったからなのかも知れない。
 というのも、其の一年後に、同じ高校から一浪して合格した同級生が遊びに来たとき、洋二が先輩に紹介をしたのだが、先輩が何故か友人を気に食わなかった様で、お近づきの印にと、先輩が作った酒を友人に飲ませた。
 ところが、先輩がトニックで割るからと言いながら、友人に渡し、友人が飲んでから吐き出してしまった。
 なんと、トニックと言ってもジン用のものではなく、髪に付けるトニックだった。
 友人は、あの野郎・・と少し怒った様だったが、洋二は先輩に逆らうことは無かった。
 お陰で、先輩から教えて貰ったのは、都立大学駅の近くにある、三つの居酒屋とスナックで、先輩から誘われると、オンの字で従ったが、必ずタクシーを止めて行ったから、金持ちだなと思った。
 其れも其の筈、先輩の父は弁護士で、郷里の大きな家に住んでいたくらいだから。
 更に、東京でケーキの美味しい店が、アンデルセンとあと二つだと教えて貰い、帝国ホテルに連れて行って貰い、渋谷のロシア料理のサモワールという店でウォッカの味見をし、西銀座の「一元客~誰かの紹介が無いと客として入れない~お断り」で、古くから文豪や写真家が通う、ルパンという有名な店だった。
 すっかりお坊ちゃんになったような気がしていた。或る日、大学から帰って来ると、TVが騒いでいる。
 作家三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊の駐屯地に立て籠もったとかで、後に盾の会のメンバーに介錯をして貰い、切腹をしたという大事件だった。
 この辺りからが、洋二の何でも初めて・・体験の幕開きだった。下宿の会長さんは推定80位で麻雀が好き、奥さんは会津の出身で気丈な女性だが、先輩と洋二を誘っては十円麻雀を楽しんだ。
 賭け麻雀は次第に厳しくなり、わりと最近の事だが、検事が賭け麻雀をやった事で大騒ぎになった。
 時代が変われば・・何でも・・ころっと変わっていくのが世の常と言える。だから、今の世代とは考え方が全く異なるのも頷ける訳だ。
 先輩・おじさん・おじさんの長男・洋二、皆、義塾卒だった。先輩はクラスメートが多く、山登りとアマチュア無線が趣味だった。
 先輩の妹が二人、クラスメートの美女は年上だったが憧れた。それで、「魔女には絶対服従・ブルーボサ」等の作品のmodelにさせて頂いた。
 兎に角、先輩とは気が合って、酒は進むし、深夜放送の「ジェットストリーム」には二人共、海外に憧れ、JAL提供・城卓也のナレーションを聴いたものだ。
 其の、オープニングのナレーションは
 遠い地平線が消えて、
深々とした夜の闇に心を休める時、
遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、
たゆみない  宇宙の営みを告げています。

 満点の星をいただく果てしない光の海を、
豊かに流れゆく風に心を開けば、
煌く星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の、
なんと饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も
瞼に浮かんでまいります。

 これからのひと時。
日本航空が、あなたにお送りする
音楽の定期便。「ジェットストリーム」。
皆様の、夜間飛行のお供を致しますパイロットは、
わたくし、城達也です。」
  
 いいでしょう・・バックにはstringsで・・ミスターLonelyが流れていた。

 endingのナレーション
 夜間飛行の、
ジェット機の翼に点滅するランプは、
遠ざかるにつれ、
次第に星のまたたきと
区別がつかなくなります。

 お送りしておりますこの音楽が、
美しくあなたの夢に
溶け込んでいきますように。

 日本航空がお送りした音楽の定期便、
「ジェットストリーム」
夜間飛行の
お供をいたしましたパイロットは
わたくし、城達也でした。 

 此れを聴いていた二人の頭には・・海外への夢が浮かんでいたのです・・。


 下宿でのあれやこれや・・中でも長男がLondon出張中で不在の時に、奥さんが遊びに来て、おばさんは嫁いじめの様に思えたが、奥さんは日産生命の社長の娘。
 其れが、藤村志保(当時、週刊誌に載っていたのは、サラリーマンが妻にしたい女優ナンバーワンと言われていた。)にそっくりなのだから・・こりゃあ・・お傍で拝見できるだけでも儲かったようなもの。
 小さな娘がいて、何か、妹もいたようだが、ロンドンに遊びに行って、交通事故で亡くなったというから、なんだ?会えれば・・惜しかった?
 其れで、雪が降っている或る日の事だが・・洋二が二階の部屋にいた時、襖をノックし声を掛けて来た女性・・誰かと思えば、志保さん・・「娘に雪を見させてあげたいので、宜しいでしょうか?」
 そりゃ、結構も何もない。窓は洋二の机が置いてあるすぐ横だから、二人並んで窓の外の雪がしんしんと降っている景色に見とれていた・・のは、奥さんの方で・・洋二は実は雪も見てはいたが、肩を並べている奥さんの顔をまざまざと見た。
 こりゃ・・眞白き美女だ・・どの位そうしていたかは分からないが・・。ああ、それと、ゴミを出しに下まで下りて玄関に行った所、おばさんと奥さんがおり、洋二はうっかり、ゴミを零してしまった。
 奥さんが其れをとってくれようとしたのだが・・おばさんが「久恵さん・・そんな汚いもの・・やめなさい」
 ところが奥さんは黙って拾ってくれた。やはり、良家のお嬢さんだから育ちが良く優しいのだと思った。
 先輩との出来事はまだ幾らもあったが、二年程して彼は卒業をした。「魔女には絶対服従」などは、土日にでも載せるので良かったら見て下さい。
 先輩とその級友の女性二人と飲みに行き、帰りは下宿で無く一人の女性のアパートに雑魚寝をした事もあったが、朝起きたら簡単に朝食を作ってくれていたなんて事も。
 先輩の郷里の実家に及ばれに行ったのだが、例の級友の二人の女性が美女で面白かった。
 冬に洋二が友人と飲みに行き、帰って来たのだが眠くなって美和で寝てしまっていた。
 凍死寸前で、二階の窓が開き先輩が見つけてくれ二階まで運んでもらった事もあった。
 今は弱くなった酒だが、若い時には強かったから先輩とどっこいだった。70年から五年程の間に起きた出来事を挙げると。高度経済成長が日本にもたらしたのは好景気だけではありません。成長の弊害として公害問題が深刻化してきました。
 「3C」が生まれました。この「3C」とはカラーテレビ・クーラー・カー(自動車)の頭文字をとった言葉出、status symbol~地位の象徴~。
 女性がジーンズを履いたり男性が髪を伸ばしたりといった、ユニセックスファッションが広まったのも1970年代。
 「日本万国博覧会 EXPO'70」~大阪万博。オリンピックもそうだが、洋二の世代には関心が無い事を、二度行うというのには関心が持てなかった。一度見れば充分。
 第一次・第二次オイルショック~洋二が卒業をする年に起きたのが第一次で、フジテレビなど大手企業がかなり、募集を取りやめてしまったので、就職難の時代と言える。
 1972年に沖縄県がアメリカの施政権下から日本へと返還されました。返還後は、日本の本土並みの経済回復や生活水準の向上を目的として、公共投資などが行われています。
 しかし、返還後の沖縄県民と日本の自衛隊は折り合いが悪く、隊員に対する迫害や住民票の未交付といった人権侵害が問題視されました。
 2023年現在、沖縄が日本に返還されてから50年ほど経つものの、アメリカ軍の駐屯地に関する問題や産業発達の遅れなど解決すべき課題は山積しています。
 ロッキード事件とは1976年に発覚した世界的な汚職事件で、真相が解明されていないことで有名です。
 全日空の新しい旅客機導入に絡んだ事件で、日本をはじめとしてアメリカやオランダ、ヨルダンなど数多くの国を巻き込みました。アメリカの航空機製造会社の「ロッキード社」は、自社の航空機を使ってもらおうと世界各国の政治家をお金で買収しており、その中に大型航空機の受注先を探していた日本も含まれていたのです。
 事件当時に首相だった田中角栄はすでに辞任していましたが、賄賂の受け取りと海外との不正な取引の疑いで逮捕され、周囲の関係者の多くが不審死したことからロッキード事件は「総理の犯罪」とも呼ばれます。
 事件が発覚したきっかけがアメリカのチャーチ委員会の公聴会だったため、外交問題にも発展しました。
 当時の日本政府は、元首相が犯罪を起こしたことで大混乱に陥ってしまいます。
 国民は事件の隠ぺい工作や政治家・警察の対応に不信感を抱き、テロや暴動を起こすようになりました。
 この事件は戦後最大の疑獄(ぎごく)といわれ、現在でも世界的な大事件といわれています。
 中国政府からのパンダ寄贈。
 
(1960年の日米安保条約反対デモでは、国会前で30万人のデモ隊と機動隊が衝突し、東京大生の樺美智子さんが亡くなった。
 30万人と言えばほぼ地方の町の総人口に匹敵する。此の時には「全学連といった」)
 其れが、70年に再び「安保反対闘争」が勃発し、学生達が多数機動隊と戦った。
 今度は全共闘と言い、東京の都心で何回も各大学のジグザグデモが行われたり、新宿西口では解放区をつくったりし、その場ではフォークソングを弾き謡う学生で纏まっていた。
 全共闘は幾つものセクトに分かれ、helmetの色も、白が革マル・中核。緑は共産主義同盟~ブント、赤は社会主義学生同盟、緑は共産主義同盟、青は社会主義青年同盟、黒はノンポリと言って、何処のセクトにも所属しない学生達。
 武器は、火炎瓶・ゲバ棒・手拭いでマスク・投石など。対する機動隊は、ジュラルミンの大きな盾・長い警棒・放水・催涙銃。
 このうち、催涙銃は法律では45度以上上に向けて発射しなければならないが、実際には水平に撃ち、学生の中には顔面に直撃され、失明をした者もいた様だ。
 騒乱罪・凶器準備集合罪などの法が出来たのも此の時期。白の中核と革命マルは、次第に互いに殺し合う事になった。
 また、ブントからは赤軍に発展し、世界で照り行為をする様になった。国内で有名な事件は,浅間山荘事件で、山荘に閉じこもった赤軍は猟銃で機動隊と撃ち合いになった。
 機動隊に殉死者が出、京橋にある「警察博物館」に行けば、様々な物が見られ、その中には殉職をした警察官の着ていた穴の開いた服なども陳列されているが、子供用にモンタージュで遊ぶ事や、表に白バイが置いてあり、子供が隊員と同じ制服を着て白バイに跨り写真を撮る事が出来る。
 今日は、此処までで中止とし、明日続きを出来ればやるつもり。



「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ。夏目漱石」

「 人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わねば危険である。芥川龍之介」

「幸福は弱く不幸は強い。志賀直哉」



 「by europe123 ORGBIT」

 https://youtu.be/TibQnxeGdPc 
 




 
 

葉山洋二の大学時代にどんな事が起きたか?

70年から74年までの出来事。

葉山洋二の大学時代にどんな事が起きたか?

今は、その当時の出来事が嘘のよう。 其れでも、今の世代の様に、何も知らないよりは・・良いのでは・・と思うが・・。 人類でも・・全く違う人類なのかも知れない・・。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-04-11

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