ダージリンティーを淹れてくれないか殺人事件

相も変わらずWordにコピペで見にくいです。申し訳ないです。

 殺すわ。私、あの人を殺す。愛のないあの人のもとでは愛ある生活なんて夢のまた夢だもの。だから殺すの。簡単よ。殺しなんて。大変なのは殺すと決めるその時までだけ。後はね、ちょっと手をこまねくだけ。トリックなんて必要もないわ。習慣を利用するの。言い換えるなら、あの人と私の思い出を凶器として使うの。ドラマチックでしょう?あの人は思い出に殺されるの。愛のない思い出にね。
 あの人はね。キスを嫌がるの。いえ、私とのキスが嫌いなんじゃないわよ。だってボディとボディの触れ合いには凄く積極的だもの。声も通わせないのよ。ただ、キスは駄目なの。照れちゃうのよ。あの人。初心なのね、いつまでも意地っ張りで堅ぶつぶってるからそうやって照れちゃうのよ。私の肩に口づける時は、あんなに恥も外聞もない無茶な吸い方をするくせに。
 ただ、私はキスをねだるの。あの人を困らせたくってキスをねだるの。あの人が家に帰ってきたら、そりゃあもう愛らしい声色でパタパタとスリッパを鳴らして駆け寄って、キスをねだるのよ。いじらしいでしょう?あの人の息は決まって上がっているの。緊張ではなくって、マンションの階段を登って疲れているの。健康のためってね。ディスクワークばかりじゃ、早死にするってんで。テレビだ何だに影響されたのよ。くだらない悪あがきだと思うでしょう?でも、私、あの人のそういう下らなさが好きなの。
そうして息を切らしながら、帰ってきたあの人にキスをねだると、あの人。ほんの少し頬を赤らめながらそっぽを向いて、こう言うの。
「ダージリンティーを淹れてくれないか?」
って。キスの前に必ず、こう言うの。私は何も言わずに淹れてあげるのよ。お茶っ葉から丁寧に淹れてあげるのよ。ミルクは無し。でも付き添いの私は必ずミルクティにしていただくの。イギリスではこう飲むのが主流なのよ。そうしてお湯で淹れて、ウェッジウッドのコップにほんの少し少なめに注ぐの。それをまだ、ネクタイも外す前から飲ませるの。
私とあの人、もう五年もこうしてキスをしていたの。だからあの人の唇は、ウフフ、ダージリンティーの味ね。毎日の事よ。だからもう、あの人の帰る時刻には、お湯を湧かせて待っておこうかと何度も思ったわ。でも、それじゃあダメなのね。キスも紅茶もがっつくものではないんだもの。
 ああ、楽しいわ。私、あの人との思い出を思い出すのが、一番幸せを感じる瞬間なの。私、幸せだったわ。ねぇ、そう思うでしょう。やだ、スーン。貴方に言ったんじゃなくってよ。貴方は新参者。貴方を家に招き入れたのは確か、去年の縁日じゃない。ジョー。貴方をあの人が掬ってくれたのはもう五年も前のことかしら。貴方は変わらないわね。もう五年も経っているのに貴方は変わらないのね。ジョー?貴方はあの人が変わってしまったと思う?また、もうじき縁日だわ。いつもなら貴方たちの家族が増えるのだけれど。今年はあの人、一緒に行ってくれるかしら。いえ、行かないでしょうね。あの人にはもう、愛がなくなっているのだもの。
あの人は、貴方たちの誰がジョーで誰がズィーで、誰がハリーで、誰がスーンか、きっとわからないもの。信じられる?あの人は貴方達、家族のことを金魚というのよ。
 ああ、私。あんなにも幸せだったのに。あの人とのことを思い出すのが、こんなにも楽しいのに。幸せな私と、今の不幸せな私。比べるようになってきたのよ。あの人ったら、もう私の肩をちっとも吸わないのよ。あの人ったら、もうここまで帰るのに階段を使わないのよ。あの人ったら………。ああ、哀しい。哀しい。あの人の愛がね、次々消えていくの。やっぱり、あの人との思い出は鋭い凶器よ。こんなにも、私を苦しめるのだもの。死ぬわ、私、あの人を殺して、その後、私も死ぬわ。
 私、やっぱりキスをねだるの。怖いけれど、私はそれでもキスをねだるのよ。あの人、遂に昨日、頬を赤らめなくなってたわ。もしかすると、ずうっと前からキスを何とも思わなくなっていたのかもしれないわ。それはね。あの人と私の、愛の終わりを意味するのよ。愛の終わりは、あの人と、私の終わりを意味するのよ。殺すわ。やっぱり、あの人を、殺すしかない。
 私、毒を用意したわ。あの人がストレートで飲むダージリンティ―に、入れるの。だって、あの人は今でもキスの前にはダージリンティーを飲みたがるし、私はやっぱりダージリンティーをお湯から淹れるのだもの。
「ダージリンティーを淹れてくれないか」
 優しい響き。大好きな言葉。大好きなあの人の。もうじき聞けなくなってしまうのね。聞けなくなる前に、死にましょう。出会ったことが間違いになる前に、私達。
 私たちが死んだら、貴方達も死んでしまうのね。でも、それは仕方のないこと。だって貴方達は私たちの思い出の中の子どもたちなんだから。私たちが消えてなくなる前に、既に消え始めて然るべきなの。だから、同じよ。同じ毒で私たちが向かう同じところに向かいなさい。さようなら。さようなら。さようなら。貴方たち。迷わないでね。迷っては駄目よ。離れ離れはイヤよ、だから迷わないでね。
 あら、貴方達。体が透けているわ。少しずつ体が透けていって、真っ白な貴方達が飛んでいくわ。ああ、私は自分の目が信じられないわ。体から滲み出すように貴方達の、魂なの?魂が、真っ白な貴方達が、飛んでいくわ。
それを見て、私。堪らなくなったの。悲しいような。切ないような。嬉しいような。堪らなくって、私。貴方達の名前を叫んだの。
「ジョー!」
「ハーイ」
「ズィー!」
「ハーイ」
「ハリー!」
「ハーイ」
「スーン!」
「ハーイ」
 貴方達、とても優雅に泳ぐのね。まるで縛られていたものから解き放たれたように。素晴らしいことだわ。私の声に応えながら、くるりと回るその姿。素晴らしいわ。解放されたのね。そして私を元気づけてくれるのね。
待っててね。私も、すぐ、そこに行くわ。あの人と、一緒に。
 
         
 泣かないと決めていたのに。私、泣かないって決めていたのに。涙が止まらないの。横たわるあの人を見ていると。イケないわね。どれだけ愛がなくなっていっても、あの人はあの人なのだわ。私にとって、殺してもなお。
 でも、泣いている場合ではないわ。あの人は今、旅立とうとしているのだから。きっと私を待ってくれているのね。待っててね。私、今、唇を重ねるわ。あの人の口の中に残った、ダージリンティー。あの人とのキスの味は、ダージリンティーの味…………。
 私が見えるわ。あの人と、口づけをしている、私が見えるわ。とても美しくって、哀しい姿が見えるわ。私、今飛んでいるのね。真っ白な私になって、飛んでいるのね。ああ、あの人の声がする。温かい、優しい、大好きな声。そうね。あれは抜け殻だもの。下ばかり見ていては、ダメね。ああ、真っ白いあの人が、手を差し伸べているわ。幸せが、今、永遠になろうとしている。ああ、嬉しい。私、思わず叫んだの。
「ハレルヤ!」

        
 おかしいわ。こんなこと、あり得ないわ。あり得ていいはずがないわ。こんなこと。残酷なんて言葉じゃ言いきれなくってよ。こんな仕打ち。私、今どこにいるの?私、今、どこにいると思う?私も分からないわ。分からないけれど、私が望んでいた、あの人と目指していた場所ではないわ。それだけは断として言い切れるわ。ここは、だって、私とあの人の部屋よ。私、あの人のいないこの部屋で横たわっていたの。ちょうどあの人と、お別れのキッスをした場所に横たわっていたわ。違うことといえば、一緒にいたはずのあの人がいないこと。
ああ!イヤよ。こんなの、イヤよ。信じられないわ。水槽の中に。貴方達どうしてそこにいるの?どうしてそんなところで泳いでいるの?貴方達は確かに、飛んでいったじゃない。真っ白になって、先に向かって行ってくれたじゃない!どうして?何故?何故なの?答えてよ!ジョー、ズィー、ハリー、スーン。名前を呼んだわ。私、水槽を揺すりながら名前を呼んだの。でも、貴方達なんにも言ってくれないのね。残酷なのね。私、夢でも見ていたというの? 
 夢かどうか、分からないけれど。分かることといえば、私も、この子たちも、そしてあの人も、確かにまだ生きているということよ。死んではいないわ。だって今、時計を確認したけれど、日は確かにあの人を殺す日だし、時刻も確かにあの人が帰ってくる少し前の時間だもの。眠っていたんだわ、私。そして夢を見た。貴方達が返事を返してくれたのも、真っ白になったあの人が私を優しく見下ろしてくれたのも、全て夢だったということなのね。忌々しい。
 でも、これで、予行演習は済んだと言えるわ。今度こそ、私、あの人と一緒に、覚めない夢を見てやるんだから。
 貴方達も、もう一度お別れよ。さようなら、少し早いような気もするけれど、先に向かっていてね。迷っちゃ駄目よ。ね。
「ジョー」
「ハーイ」
「ズィー」
「ハーイ」
「ハリー」
「ハーイ」
「スーン」 
「ハーイ」
名前を呼びながら、私は毒を注いでいくの。嫌だわ、幻聴みたい。水槽の中から貴方達の声が聞こえてくるわ。あら、あら、なんでよ。なんで……だって、あれは…夢でしょう?それなのに、貴方達、また白くなって飛んで行くの?おかしいわ。私、もう既に醒めない夢を見ているというの?嫌よ!そんなの!あの人がいないのに!夢なんて一人で見るものではないわ!貴方達!貴方達が、悪戯な恋の試練を仕掛ける天使のように、貴方達が私をかき乱しているの?やめて!今すぐやめて頂戴!ひどいわ、私、本気なのよ?それとも貴方達夢でもないのに、白くなって飛んでゆくの?答えてよ!ねえ!
「ジョー!」
「イヤよ」
「ズィー!」
「イヤよ」
「ハリー!」
「イヤよ」
「スーン!」
「イヤよ」
 私が必死に、浮かんでいく貴方達に声をかけても、みんな私の真似をしてからかうだけなの。私をバカにするのがそんなに楽しいかしら?イヤな子たち。
 そこから、貴方達がニヤニヤと見守っていたわね。いやらしくニヤニヤと笑っていたわね。あの人が帰ってきて、私、下手な芝居をしてる気持ちで、キスをねだったわ。でも、あの人は何一つ疑ることなく
 「ダージリンティーを淹れてくれないか?」
 ええ、そこからはもう、分かるでしょう?例え、夢でも、悪夢でも、天使のイタズラでも、私とあの人とのキスはダージリンティー無しでは始まらないの。あの人がダージリンティ―すら求めない程、変わってしまったら、私、あの人を殺すこともできなくなってしまうわ。
だから、何があっても私はあの人を殺さなくてはいけないの。あの人とのキスの味は、ダージリンティーの味でなくてはいけないのよ。


 結局、私はあの人を殺して、やっぱり私も死んだわ。私、分かってたの。それでも、今度こそ、今度こそって思いながら目をつぶったのよ。いじらしいでしょう?そうして私を待っている真っ白なあの人のもとに飛んで行って、あの人を抱きしめたの。そうして私、叫んだわ。思いっきり叫んだの。優しく微笑む、あの人に。
 お願い!もう、決して!私を離さないで!もう私を、あの部屋に戻さないでって。もう私にこれ以上、貴方を殺させないでって。私、泣きながら叫んだの。そうしたら、あの人、困ったように微笑んで、私を優しく突き放すの。信じられないわ。どうして!私は一体、どうしちゃったというのよ!
 そこから、そうね。何度だったのかしら。何度、私はあの人を殺して、貴方達に嘲笑われて、そして死んだかしら、そうして、何度あの人に突き放されたのかしら。
 それでも私、何度も何度も繰り返したの。だって、あの人、何にも言わないけれど、私を突き放す時、とてもやさしい顔をしているのだもの。初めて会った時の、あの優しい顔。あの顔をされてしまったら、私は、もう、ダメよ。あの人に何かを託されている気さえするの。ねえ、だったら、ダメよね。諦めたら。私、何度だってあの人を殺して見せるわ。
 


 それでも、やっぱり、ダメね。女というのは。ダメな生き物なのよ。自分の愛を犠牲にしてまで、誠実にはいられないわ。私、癇癪を起してしまったの。そうね、五十回以上あの人を殺したあたりだったかしら?けっこう、頑張ったでしょう?私。でも、ダメ。私、遂に、浮かび上がる時、真っ白なあの人の優しい顔をひっぱたいて、あの人をほっぽってグングン上を目指したわ。落ちないようにね。一人でも、別に構いやしないと思ってたのかもしれないわね。ダメね。やっぱり死に過ぎるっての言うのは心に悪いわ。やさぐれちゃったのよ。私。
 それで、私、何を見たと思う?白い白い、輝く天空の上に、その先に、光の奥に、私、何を見たと思う?
 私よ。答えは私。私たち。あの人と私と、その周囲を天使さながらに舞っているあの子たち。一人じゃないのよ。いっぱいよ。いっぱいの私たちが、それぞれ一組ずつになって、幸せそうに、お話したり、キスをしたりしているの。まるで初めて会った時のようだったわ。私たち。
 私すぐにわかったわ。この私たちは、私がずっと前から送っていた私たちなんだって。滑稽よね。私が戻されてたと感じていただけで、実際は毎度毎度、私じゃない私が、あの人と寄り添って、行くべき場所に向かっていたの。私一人、あの部屋で、あの日にあの時で、あの人を殺して、繰り返し、殺し続けて、旅立つ私たちを生み出し続けていたの。笑っちゃうわ。仲人よ。私。お人好しで、ロマンスが大好きな仲人。
 私、それが分かって、狂ったように暴れたの。あの人の優しい顔なんて見たくもなかったわ。だってそれはどこかで、こっそり浮いていた私の分身に向けていたものであって、私自身に向けたものでは無かったのだもの。
 私、ヒステリックに叫んだの。ずるい!って。だってそうよね。この殺人事件は私が考えて、私が実行したものなのよ?それを他の私に美味しいところだけ持っていかれるなんて、嫉妬で死んでしまいそうだったわ。泣き喚いたわ。私。そうしたら、あの子たちが、私を囲うように泳いで、そのまま下に降ろそうとするの。そうして、その前を悠然と、私とあの人が上がっていくの。耐えられなくって、私、叫んだわ。
「イヤよ!」
「ハレルヤ」
「イヤよ!」
「ハレルヤ」
「イヤよ!」
「ハレルヤ」
「イヤよ!」
「ハレルヤ」
 叫ぶ私の周りで、あの子たちが、上っていく二人を祝福するの。そうして、私、気が付いたら、また、一人で眠っているの。繰り返すのよ。私は団地。あの人たちはどこか夢のような天空。私、泣こうと思ったけど、あの人が帰ってくるまでに用意を済ませなければいけないし、すぐに立ち上がって、毒の用意をしたわ。
 それで、結局、私は今でもあの時間を繰り返して、あの子たちを見送って、あの人とキスをして、もう一度キスをして、そして浮かび上がって優しい顔のあの人と、ほんの少しだけお話するの。
 確かに、随分明るくなっちゃったけど、私、別に割り切れたわけではないわよ?むしろ、逆。今では私、すっごく充実してるわ。そりゃ、もうお外も出れないし、飲み食いするものはダージリンティーだけよ。それも毒入りの、でもね。私、あの人さえいればそれでいいわ。やっぱり、どうしようもないほど好きなんだもの。何度殺しても飽きないわ。
 初めはそりゃあ、あの人を私に盗られたって嘆いたものよ。でもね。ある時、私、何千回と繰り返した時に、どれだけ泥棒猫が増えたのか見物に、またあの人を置いて先に上ったことがあるの。そうしたらね。幸せそうな私たちに混じって、何組かそこまで幸せには見えない私たちがいたの。それこそ、昨日までの私たちの日常を見ているようだったわ。きっと初めの方に旅立った私たちよ。きっと新しい二人になっても、どんな世界でも、愛というモノは失われていくものなのね。そう思ったら、急にあの私たちが気の毒になって来たの。それに比べたら、多少、愛想をつかしてるとはいえ、私のあの人は、キスをねだれば、ダージリンティーをねだってくれるわ。上のあの人たちは、どうかしら。いつまでも、ダージリンティーを飲んでキスなんて、できるかしら。そう思ったら、本当に気の毒だわ。
 私、永遠の愛を手に入れたの。私のあの人はいつまでも変わらないし、2人で白くなって、あの人を私に引き渡すまでの間、私は少しだけ、あの人と、それはそれは愛おしい会話ができるの。いくらほんの少しでも、永遠なんだから、それは積み重なって永遠になるわ。私、永遠に愛に不自由しなくなったのよ。
 あら、いけない。やっぱり、幾ら退屈だからって、独り言なんてしていてはダメね。もうじきあの人が帰ってくるわ。ダージリンティーはねだられるまで支度しないけれど、今日のあの人との会話を、いっぱい考えなくっちゃ。それじゃ、バーイ!

ダージリンティーを淹れてくれないか殺人事件

特に参考にした作品
小説「殺人者様」星新一………『悪魔のいる天国』(新潮文庫) ※文章表現
音楽「20世紀の終りに」ヒカシュー………『ヒカシュー』(イースト・ワールド) ※セリフ、及びそれの重複表現

また、本作の発起はTBS系テレビ番組『リンカーン』内の企画、「朝までそれ正解!」内のお題「『だ』で始まるキスの前のカッコイイ一言は?」に対するウド鈴木氏の解答「ダージリンティーを淹れてくれないか?」から。

ダージリンティーを淹れてくれないか殺人事件

夫婦関係にひずみを感じ始めた「私」は、「あの人」との愛を不滅のモノにするため、無理心中を量る。その方法は、キスの前にダージリンティーを飲みたがる「あの人」の習慣を利用した服毒であった。「私」の計画が実行されるとき、電脳世界のような奇妙な空間が「私」と「あの人」の愛を包み込む………

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-03-15

Public Domain
自由に複製、改変・翻案、配布することが出来ます。

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