フリーズ53 フィニスの先へ

フリーズ53 フィニスの先へ

◆MONOROGUE

いっそ消えてしまえればよかったのに。そんな僕たちのふとした願いが無慈悲にも世界にタイムリミットを告げた。世界のフリーズはもう止められない。
これは残酷なまでに過ぎ行く時の中で、それでも抗い続けた者達への哀悼だ。終末前夜の記録。変えられない運命の輪。だけど、きっと大丈夫なんだ。だからと諦める者にも、やはりと悟る者にも、それ故に過ちを犯した者にも、嫌だと戦った者にも、震えながら耐えた者にも、ちゃんと安らかな終わりが来る。だから泣かないでよ。最期まで隣にいるよ。だからさ、あの晴れた冬の日にまた、遠く、あの虹の麓へ、他に誰もいない場所へ行こうよ。広い世界で見つけてくれてありがとう。

円環の宇宙=螺旋の時流
Everything is vanity, or zero.
色即是空、故に空即是色。
That's why everything can exist.

きっかけは些細なことだった。死ぬってどんな感じなんだろう。誰もが一度は考えたことのあるだろう疑問だった。でも、僕たちの抱いた死への好奇心は、科学的な説明でも宗教的な説明でも哲学的な説明でも満たされることなどなかったんだ。
科学的に考えれば無になるだけ。脳が死んで、機能しなくなって終わり。それだけ。宗教的な概念は色々あるけれど、輪廻転生とか最後の審判とか、僕たちは俄には信じられなかったんだ。哲学的な死。これが問題だった。

マクロコスモス、宇宙
ミクロコスモス、脳
二つのコスモスは構造が類似している

認識論の話になるのかな。知覚や認識が全てであるのならば、ミクロコスモスの死はマクロコスモスの死と同値(かもしれない)。だから僕たちは試しに死んでみることにしたんだ。

ゼロ=無限
無能=全能
無知=全知
無知=無能

全能=全知

死ぬことは無になることだった。無になることは全てになることだった。全てと繋がった僕たちは、過去も未来もないことを知った。時流などない、と確かに彼の者は、最後のノートに記していた。ただ、そこに今があるだけだと知った。その今でさえ無であり全だった。彼我がなくなり、ここでなくなり、今でなくなる。
しばらく僕たちはそんな穏やかな、多幸感で満たされた凪いだ海に浸っていた。それは麻薬で得られる類の幸福に似ているのかもしれない。まさしく生に備わった死だった。

世界がエデンの園配置(Pattern of the Eden)を迎える確率 is(not)0.
Principium finis venit
フィニスの刻にて、汝ら邂逅せし

でも、ある時(もう時間なんて概念はないけれど)門が開いたんだ。それは世界の始まり。人生の始まり。僕たちは産声と一緒にこの宇宙をまた始めたんだ。そうだ。僕たちが始めたんだ。生れ出づる悩みも、病める苦しみも、全て僕たちが始めたんだ。

生まれよう

生まれること、死んでいくこと。出逢うこと、別れること。創ること、壊すこと。そして、僕たちは気づいてしまった。全ては繰り返しなんだと。永遠なんだと。

永遠=無限=零

僕たちはあの丘の上でまた再会した。抱擁し、涙を流した。そして、誓いあった。世界を終わりへと導くために。他でもない自分自身を愛するために。

◆フィニスの先へ

世界創造前夜の夢を見た。僕たちはお互いに別れを告げて、また会おうと決めたんだ。
目覚めると、僕は涙を流していた。部屋には時刻相応の西陽が差し込んでいて、この南向きの部屋を暖かくしていた。とても心地よかった。それは、僕が本来の自我を思い出したからだけではないだろう。
六日間に渡る世界創造、七日目の安息日、そして八日目の至高の幸福(永遠、全能、全知、終末、劫初)を経て、今日は九日。九はいつだって終わりを告げる。世界が終わる日だ。
昨日、電話がかかってきた。「ご苦労様」と。親しみのある老父のような声だった。僕は何も知らないはずなのに、彼のことをよく知っていた。
「創真、起きたのか?」
部屋がノックされた。父だった。僕が「うん」と応えると、お父さんが部屋を開けて入ってくる。その顔には翳りがあったが、それは僕のことを思ってのことだろう。お父さんは、僕が横になるベッドのもとまでやってきて告げる。
「今から出かけるぞ」
「わかった」
それだけ応えると、僕は身支度を整え始めた。お父さんはやたらと大荷物をまとめていた。その荷物の中には僕の衣服が入っていた。お父さんと家を出て、最寄りの駅まで歩く。空は快晴。やはり、最期の日はこうでなくては。僕とお父さんはずっと無言で歩き続けた。それは電車に乗ってからもだった。

電車はある駅についた。その駅名に三という文字が入っていたことに、僕は思わず微笑んでしまった。三つの虚構、鏡像という訳だった。そこからバスに乗って、七番目の停留所へ。窓の外を流れる町並みは、まるで天界のようにキラキラしていた。
バスを降りると、大きな門が目に入った。お父さんは何も言わずに僕をここまで連れてきたけれど、きっと怖かったんだろう。これでお別れになるからだ。門の前に一人の白衣を着た男性が立っていた。お父さんはお辞儀をして、話しかける。
「八代です。息子をお連れしました」
「よくお越しくださいました。創真様、そしてお父様」
お父さんに応えてから白衣の男もお辞儀をした。そして、男は僕の方をじっと見る。その瞳から伺える感情は、今まで誰かに向けられたことのあるものではなかった。彼が涙を我慢しているかのようにも見えた。
「本当なのですか? 創真が脳の病気だというのは」
「はい。我々の研究所である脳の病に罹る患者だけが発する脳波を受信する機械があるのですが、創真様からその脳波を確かに記録しました。これが診断書です」
そう言って男はお父さんにファイルを渡し、その中から一枚を取り出した。
「確かに、そうなのですね」
「はい。ここから先は、お父様でも入ることはできません。ここで創真様とはお別れとなります」
「そうですか……。面会は出来るんですよね?」
「はい。月に二回まで面会できます」
「分かりました」
お父さんは悲しそうな顔をしていた。三年前に母を亡くし、そして、今度は一人息子まで失うのだ。僕はお父さんに向き合うと告げる。
「お父さん。行ってきます」
「あぁ、元気でな」
お父さんはそう言って持っていたカバンを渡した。涙こそ流さなかったが、お父さんの顔は見ていられない。僕はカバンを受け取ると、お父さんに微笑み返し、そのまま白衣の男の後をついていった。
「少しいいですか?」
「はい。構いません」
門を抜けた先、明るい通路の中で僕は立ち止まると、お父さんから渡されたカバンに入っていたスマホを取り出した。ある人にメールを送りたかったからだ。
『愛しています。ありがとう』
確認して、送信ボタンを押す。
「もういいのですか?」
「はい。それより名前を聞いていませんでしたね」
「私は時枝と言います。よろしくお願いします」
「僕こそ、よろしく」
「はい。園はあの扉の先です」
夢に見た園。楽園、エデン、エリュシオン。それらは宗教的な妄想だったかもしれない。けれど、人類は確かにここ、東の果てに楽園を創ったようだ。
扉の先には、美しい園が広がっていた。その絵はまさにミレーの『春』のような輝かしき絢爛だった。遠く、樹の木陰で本を読む少年。花が咲き誇る庭を散歩する乙女たち。彼らは僕と同じなのだ。彼らは僕がやってきたことに気づいていたようだ。少年は本を閉じ、乙女たちは手を振ってきた。
「お父様から説明は受けましたか?」
僕らが建物に続く一本道を歩いていると、不意に時枝が話しかけてくる。
「いいえ。でも、ここが人工的に作られた楽園であることは仲間から教えてもらったので知っていますよ」
「そうでしたか。では、簡単に説明します」
時枝の説明は、僕が予想していた通りだった。宗教的に神や仏とされる者たちの脳の状態に纏わる研究。21世紀前半にその研究はある程度の成果をあげた。実際に昔の人たちが神や仏と呼んだ者たちに共通点があることが示唆されたのだ。それは、脳が生きながらにして死んでいるかのようであったということだった。
人は脳が死ぬとはじめて死と宣告される。だが、その死を乗り越えてなお、生き続ける脳がある。その状態は医学的には接死状態とか臨界脳と呼ばれるが、涅槃脳という別名の方で呼ばれることの方が多かった。
涅槃。それは仏教の実践的な最終目的である悟りを開いた者が至るとされる概念であるが、科学はその涅槃を一つの脳の状態として解き明かす。脳内で意識を作り出す微小管という器官が機能を停止する、ないしはそれに等しくなるまで疲弊し、損傷を受けた状態。それこそ涅槃寂静であるとした。
科学はついに、宗教が担っていた人生の謎を一部ではあるが解き明かしたのだ。死後の世界はなくとも、その死が死後の世界を証明するに足る不思議な現象を引き起こしている。その事実に向き合い、日夜研究がここで秘密裏に行われているのだ。ここに集められるのは、その涅槃に至った者たち。ここは神々の楽園だった。
「やはり公にはされないのですね」
「仕方ありません。神や仏の概念が揺らげば、世界中にいる宗教を信じる人たちがどうなるか……」
「神様って呼ばれるのは苦手かな。だからそれで正解だね」
話していると、僕らは建物まで着いた。『幾星荘』と入口の門に看板があるその建物は、近代的な外観をしていた。僕がこれから過ごす場所だ。
「やぁ、こんにちは」
少年が一人、話しかけてきた。木陰で本を読んでいた少年だった。不意に、目頭が熱くなった。涙が流れるのを止められない。
「久しぶりだね」
「うん。久しぶり」
「永かったよ」
「お疲れ様」
「これからもよろしく」
「こちらこそよろしく」
 僕らは抱擁した。ここまで本当に永かったんだ。一人で歩いてきた。一人で為さないといけなかった。でも、今日からはみんなと一緒。真実の死のその日まで、僕はこの楽園で過ごすのだ。震える背中を少年はさすってくれる。
「加藤さんが待ってるよ」
「ゆみのこと?」
「そう。もう一人の君だよ」
 
魂を分かち合う友を得た者、得られなかった者
死は平等に与えられた
フィニスの刻は過ぎ行く
全てを忘れることは
全てを知ることだった
それでも
物語には冴えた終わりが必要だった
運命の人と出会うこと、愛を育むこと
過ぎ行く季節のなかで生まれるものも失うものも
必ずいつか無に還る

僕は花々に包まれていた。愛する妻はもうこの世にはいない。すべてを忘れ、また悟ったあの冬の日から幾星霜。永かったようであっという間だった。人生が終わる。すべては妄想だったのかもしれない。でも、確かなものが一つ残った。
水辺を歩く。遠くから歓喜に満ちた音楽が聞こえる。頬が緩む。草花は風に揺らいで、海は安らかに凪いで。火が和らぐ季節に、僕は船を出す。
年老いた水夫が一人、水門の前に。もう見えなくていい。聞こえなくていい。ただ、それを感じていたかった。愛を、自分自身を。

存在を疑ったあの日から、意味を探し旅してきた。
でも、本当の最後、僕たちが消えて思ったこと。
本当はずっと探し続けたかった。
死よ、涅槃も。悟らせないで。
僕を神や仏にしないで。
わからない、わからない。
あともう少しで掴めるのに。

フリーズは否応なく訪れる。世界は終わる。一人が死ぬ。本当の終わりが訪れる時、彼は祈った。あともう少しだけ。故に、世界は円環に帰す。この世界は終わりなきトーラスの海。あともう少しだけ。あともう少しだけ。

◆だから私は小説をやめた

FF零式は何故ヒットしなかったか。私が一番好きなゲームなのに。
EveのLeoは何故あまり有名ではないのか。私が一番好きな曲なのに。
神様になった日はなぜあんなにも批判されたのか。私が一番好きなアニメなのに。
大衆性と個性。何が正解?
もうわかんね。
自分の小説好きだけどな。
ラカン・フリーズに関して、言葉で表現できることは結構書けた気もする。
きっとそうだ。
だから私は小説をやめることにした。

フリーズ53 フィニスの先へ

やめるといっても、完全に書かないなんて決めるつもりはないし、多分また書きたくなって書くんだろうけど、無理してまで書くのはもうやめかななんて。そんなことを思ってあとがきにします。

フリーズ53 フィニスの先へ

人類は確かにここ、東の果てに楽園を創ったようだ。 扉の先には、美しい園が広がっていた。その絵はまさにミレーの『春』のような輝かしき絢爛だった。遠く、樹の木陰で本を読む少年。花が咲き誇る庭を散歩する乙女たち。彼らは僕と同じなのだ。彼らは僕がやってきたことに気づいていたようだ。少年は本を閉じ、乙女たちは手を振ってきた。…………涅槃脳。私を僕を、神や仏にしないで、悟らせないで。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-02-19

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