二月の歌
暗い夜の底で。きみがみている。
はちみつ入りの、紅茶を飲んでいるあいだに、すこしずつ眠気は削がれて、しらないだれかの歌を聴く。いまどきめずらしい、ストリートミュージシャンのひとは、愛よりも夢を語り、わにさまはそういうドロクサイのが好きなのだという。すっかり寂れた地方都市よりも、さらに荒廃がすすんだ都心の駅で、彼女の歌声だけが響いている。駅としての機能がほとんど停止している改札は静かで、捨て置かれたバスは色褪せ、かろうじて生きている街灯は二基。ふたつの間隔は空き、完全に光が届かない場所が存在して、だいたいそういうところから、きみはみている。
呼吸のしかたを、忘れる。
きみにみられているとき。
わたしは、にんげん、としての無意識の、本能的な、思考を放棄しても勝手に行われるはずの、生まれ持った生命の理を、その瞬間だけ忘れ去り、ただの肉塊となる。
ストリートミュージシャンのひとが、ギターをかきならす。
わにさまが彼女の歌にあわせて、ゆるゆるとからだを揺らす。
人工物はひとが手を放すとすぐに、ただのガラクタとなる。
近いようで遠い、春。
二月の歌