二月の歌

 暗い夜の底で。きみがみている。
 はちみつ入りの、紅茶を飲んでいるあいだに、すこしずつ眠気は削がれて、しらないだれかの歌を聴く。いまどきめずらしい、ストリートミュージシャンのひとは、愛よりも夢を語り、わにさまはそういうドロクサイのが好きなのだという。すっかり寂れた地方都市よりも、さらに荒廃がすすんだ都心の駅で、彼女の歌声だけが響いている。駅としての機能がほとんど停止している改札は静かで、捨て置かれたバスは色褪せ、かろうじて生きている街灯は二基。ふたつの間隔は空き、完全に光が届かない場所が存在して、だいたいそういうところから、きみはみている。
 呼吸のしかたを、忘れる。
 きみにみられているとき。
 わたしは、にんげん、としての無意識の、本能的な、思考を放棄しても勝手に行われるはずの、生まれ持った生命の理を、その瞬間だけ忘れ去り、ただの肉塊となる。
 ストリートミュージシャンのひとが、ギターをかきならす。
 わにさまが彼女の歌にあわせて、ゆるゆるとからだを揺らす。
 人工物はひとが手を放すとすぐに、ただのガラクタとなる。

 近いようで遠い、春。

二月の歌

二月の歌

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-02-12

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted