Showroom Lady

Showroom Lady

法務職の中年の男と和解女性。

 田辺郁夫は横浜駅に近い商事会社に勤めており、妻も子供もいる所帯持ち。   
 一階は通りから見えやすいように、総ガラス張りで、新車が陳列されている。 
 お客の応対が仕事であるショールームレディーの菊野早苗。   
 郁夫の仕事は企業法務であるから、十階の本社にdeskがある。  
 トイレは各階の通路にあるが、郁夫は一階のトイレに行きがてら早苗と話をする事が多い。   
 来客が無い時もあるので、早苗が暇な時は二人で長話をする事もある。
 早苗の上司である営業所長の生沢正は、普段、二階のFloorの営業部にdeskを構えている。  
 生沢は偶にショールームの様子を見に来るが、郁夫と早苗が長話をしていても注意をしたりはしない。 
 郁夫は系列グループの別会社に勤めていたが、法務という仕事柄グループ各社を見る事も少なくない。
 法務と言えば堅苦しそうだが気軽に社員達と交流をすし冗談を飛ばす事もあり、社員からすれば助っとの上司。
 郁夫はM市に住んでいるが、早苗の住まいも郁夫の住まいから近くM駅からバスに乗り十五分程の団地。 
 早苗は電車通勤だが郁夫は車通勤で、朝など早苗のバスを待っている停留所により社迄載せてあげる事もある。
 仕事柄、郁夫にいろんな相談を持ち掛けて来る社員は多いのだが契約に関するトラブル等が多い。
 早苗はその一人と言えるとしても、法律相談などでは無い。
 いろいろな知識を持ち合わせている郁夫に、自分の仕事に関するちょっとした相談をする事もある。
 早苗は社内の営業幹部である常務の秘書から指示を受けたり、プレゼンテーションを行ったりする。
 会社が終わった後、二人で郁夫の車に同乗し帰る事もある。
 そんな時は郁夫は早苗の団地の児童公園に車を止め、仕事の相談に乗る事にしている。 
 其の日は常務の秘書から指示されたプレゼンテーションでの発表の原案を作成した早苗から質問があった。
 郁夫が経験上助言を。夜間の団地内に止めた車内で長い間話をしていたりすれば、団地の人達から何かと噂されそうなものだ。
 なにせ、二十歳そこそこの若い娘が年が一回りも離れている男と密室の中にいる訳だから。
 近所の人達は兎も角、郁夫は所帯持ちであるし、早苗は法務の専門である郁夫を信用しているのだろう。
 いって見れば早苗は郁夫にとっては仲の良い部下であり、相談に乗ってあげられる娘とも。
 郁夫の早苗に対するそんな気持ちを、早苗も年輩の良きアドバイザーと考え理解している筈だ。 
 郁夫はグループ全体の幹部でもあるから、営業のsales達も其れなりに頼りにしている事になる。 
 根っからの営業マンである所長の生沢なども郁夫に対し、最初は抵抗感を感じたようだが、今は逆の立場。
「惚れられているのでは?」など冗談を言う事もあるが本心では無い。  
 郁夫にそういう事を言うのは、生沢としても郁夫を買っているからで、自らとは畑違いの知識人との意識を。
 生沢流のjokeであり、万一の場合郁夫の知恵を借りる事もあり得るからだ。
 首都圏に幾つもある営業所でも重役が常駐する要の拠点である生沢所長らしいリップサービスと言える。
 或る日、ショールームで何か大きな声がした。salesが何かあったのかと、何人か様子を見に来ている。  
 男性客と早苗にセールスマンが話をしているのだが、生沢も駆け付けてきている。  
 客が車を購入した時に締結した契約の担当salesはお坊ちゃんだった。
 其れが、客がある場所に車を止めていた時。いきなり他車に追突された。
 其の客は個人塾を経営しているようだが稼ぎは如何程も無さそうだ。郁夫も学生時に塾の教師をやった。  
 営業で埒が明かない時には当然法務の出番となる。生沢から相談を受けた郁夫が聞いたところによれば。
「其の客に販売をした坊ちゃんsalesはまだ入社して間もないのだが、父親が大阪で車の販売会社の社長をやっている。
 其処で、何れは次の社長に成るのだが、社長は修行とし息子に他社でsalesをやらせたという事のようだ。
 今回は早苗の出番は無い。salesが対応をしているうちに客の要求は次第にエスカレートをしてくる。
 販売時の契約内容と異なるというのが一つ。更に事故に遭い修理を依頼したサービスの請求金額に注文を。
 その両方の部所に難しい要求をしている事になる。販売契約時に値引きをするという約束をした際の金額。
 其れが坊ちゃんsalesが文書で無く口頭で説明をした事が災いの元。必ず契約書で契約をというのは常識。
 つい、お坊ちゃん癖が出てしまったsalesは法的な基本を甘く見た。
 客の要求する金額と正規の金額が異なる。口頭なら証明をしようがない。其処を逆手にとった契約者。
 事故の修理に出した際、サービスの責任者の請求する金額を認めず、販売時の値引き額の約束と違うと主張。 つまり、曖昧な値引き額の両者の誤差を修理代に充当するのは当然だからサービスの請求金額を値引きするべきとの主張だ。
 事の発端は契約書を甘く見、口頭で値引き額を伝えた坊ちゃんsalesと客の主張する値引き額の食い違いという事になる。 
 坊ちゃんalesは大阪の社長の息子であるから、経験不足にも拘らずうぬぼれ過ぎたという事。
 幾らお坊ちゃんの身でも、まだ駆け出しなのだから謙虚に事に当たらなくてはならないのは当然。 
 生沢も取引先の息子だからと、彼に強くは言えないという心境。 
 客は、青山学院大を卒業した塾の教師。自らを頭が良いと思い込んでいる。  
 だから、早苗まで巻きこみいちゃもんを付けようとしたのだが、早苗には全く関係無い。 
 生沢もsalesの甘さは百も承知なのだが、自分も契約に関する深い知識は無く、増してや坊ちゃん絡み。
 法務である郁夫は、所長からの要請で話し合いに参加した。
 しかし、書面という証拠がない以上、その場でなど結論が出る筈はない。
 客は「契約に問題があったし、その後サービス(修理を担当する部署)に修理を依頼したのだが、客の主張を無視したという事。
 従い、修理代も購入代金もいい加減であるから支払わない。
 車は自分の主張が通るまでは返さない」と主張。
 郁夫は事の次第は掴めたのだが立証が難しい。其れでも原告代理人とし支払督促を申し立てた。
 契約者は青山の有名な法律事務所の中でも有名な女性弁護士を立て争う事にしたようで、異議の申し立てを。
 管轄は簡易裁判所であるが、支払督促とは被告から異議の申し立てが無ければ、何れは確定判決と同じ効果のある仮執行宣言付き支払督促に至るのだが、異議で通常訴訟に移行した。 
 被告代理人弁護士は面子があるので、最初から高飛車な態度で対抗してきた。
 当時は今と異なり感染の為弁論期日が遅れるという事が無く、一か月に一度期日が入り結局一年余に亘り争った。
 その間に両者で延べ十数人の証人を尋問したのだが、書証が無ければ其れも仕方がないという事になる。
 先ず第一回目の弁論の際、法衣(黒い服)を着た判事(裁判官)が郁夫に目の前まで来るようにとの指示。
 郁夫の目を見厳しい表情で身分証を見せろとか、表情を観察したのだが、印象は悪くなかったようだ。
 其処までやる事は先ず無いのだが、その判事は所謂「書記官上がり」と言われている、書記官をやりながら勉強をして判事になったという苦労人。
 原告・被告(民事事件だからこう言うが。刑事事件になると、此れに、「人」がつく。)双方の証人尋問と弁論合戦になったのだが、最初に証人として証人台に立ったのは、お坊ちゃんsalesだ。
 顔からして坊ちゃんの彼に、先ずは判事がキツイ言葉を掛ける。
 証人は証人台で「宣誓文」~嘘を言わない・言えば偽証罪になりますよというもの~を読んだのだが、判事が。
「宣誓文を見ないで暗記して宣誓しなさい」
 此れで坊ちゃんも緊張と躊躇で良い勉強になる。
 次に。
「話の語尾が小さくなり聞こえなくなる。最後まではっきり話しなさい」
 こう立て続けにやられたのでは、蒼白になるのが初めて法廷に出た者の反応と言える。
 serviceの責任者も証人席に。此方は契約者の被告本人を尋問する。
 特出すべきは、弁護士は決して正義の単なる味方では無く単なる商売だという事だ。
 此の国の弁護士の7割はそんなものだと思われる。そろそろ一年がたつという頃、法廷が終り判事が部屋に戻る時に郁夫と話をする機会があった。
 本当はこういうことはあってはならない事なのだがどうやら判事も郁夫の正義を感じた様だ。
「・・先生、少し尋問が的から外れているから、決めないと・・?」
 片や、威張りまくっていた女性弁護士には集中砲火が浴びせられた。
 弁論の手法の中に、謂わせたい事があるのだが、ストレートに尋問すれば、役に立たない・・というケースで、例えば、迂回をする事がある。
 右に寄った尋問から次第に左に・・相手方に核心に触れる発言をさせようとする。
 三回目の尋問で、此れで引っかけたと思うのは早計で、判事から。
「被告代理人、其れは誘導尋問ですよ」
 と言われれば、誤る弁護士もいるしそうで無い者もいるが、何れにしても其れに関する尋問はストップせざるを得ない。
 案外、自慢気な弁護士に多いのだが、一般的にTVの法廷場面などでも見られる事である。
 更に、被告代理人は次第に気がせって来たようで、早口になって来た。
 其れも、かなりの早口。
 其処で・・判事の前に向き合って座っているのが「速記書記官」という者なのだが、此れから被告代理人に。
「先生は早過ぎて・・書きとれません」
 此処までになれば、敵は幾ら有名だろうが何だろうが・・自信を無くしてくる。
 そうなれば・・勝負あったも同然。
 最後の期日。
 判事は原告勝訴の旨を・・。
「そういうのありなんですか?」
 が相手代理人の呟きだった。  
 よく、TVなどで裁判所の前で「勝訴」の表示を掲げるシーンがあるが、社の連中も・・。
「大したものだ」
 一躍郁夫の活躍はグループ全体に広まる事になった。
 此処で、郁夫としては、実は途中で被告から。
「示談にしませんか?」
 社からも、同様の意見があったが、郁夫は黙って従わなかった。
 或いは、訴訟中でも「法定和解」というものがあり、法定外の「和解」と全く異なる。
 其れに、生沢所長からも、彼の仕事に差し支えると・・。
 という弁もあったが、坊ちゃんが発端の案件で、彼が行く行くは立派な社長に成る為の勉強にさせようと思った。
 一般的に弁護士は相当優秀な弁護士で無ければ、依頼人からの指示に従う。
 そういう意味では郁夫は少し変わっていたと言えるだろう。
 費用対効果を考えての事だが、其れでも強引に押し通した。




 さて、早苗と共に帰る車内で、郁夫は早苗に、実は社を辞める事にしたんだと話した。
 これ以上、成長の余地が無ければ更なる段階に挑戦をしたかったからだ。
 結局海外のeuropian union lawyer とし、Parisに事務所を持ち、現地のnative lawyer を何人か雇い、28か国共通弁護士とし働く事にした。
 事務所にはbilingualの女性同時通訳を置いた。
(実際にはこれ以前も此の国で数々の案件を解決したのだが、其れでは話から逸れるので割愛をした。)
 郁夫の家庭。
 妻は働き始めてから次第に帰りが遅くなるようになった。
 或る日、朝帰りをした事があったが、郁夫は何も言わなかった。 
 結局、渡航の件では妻と意見が別れた。一人旅になる事が決まっていた。


 大雪の日の帰りに彼女を送って行き、最後の坂道でチェーンが切れた。
 其の時には丘を避けながら、相当遠回りをしたのだが、彼女は会話を続け少しも退屈そうにはしていないようだ。
 何時も通り、彼女を家まで送り車内で話をしていた。
 やはり、常務から指示された発表の件だった。
 彼女は積極的に自らの意見を言い、郁夫は常務の秘書の意見に疑問を感じた。
 其処で、初めて自らの意見を述べた。
 彼女は、暫く考えていた。
 其の話は結論を出さずに終える事にした。
 一方、salesの男性で元は高校で野球をやっていたという好青年が入社したという噂を聞いていた。
 懐かしい話も出た。
 というのは、休日だったが、仕事の都合で翌月曜に彼女を送って行けないという事を彼女に伝える為、家を訪れた。
「・・何時もお世話になっている・・と申しますが・・」
 彼女は生憎不在で、父親が出てきた。
 郁夫は其の晩ビールを飲もうと思い、二リットル樽缶を手に提げていた。
 何を勘違いしたのか、父親はビールの方に興味があったようで。
「済まないね?」
 郁夫は謂い難かったが、此れは私が今晩・・。
 その場は二人共笑ったのだが。
 更にその話を彼女にしたのだが、彼女も大笑いをした。
 間が空いた様に静かになった。
 郁夫は助手席の早苗に目を遣る。
 早苗は何も言わず郁夫の眼に視線を移し顔を寄せる。 最初で最後の口付けだった。  
 早苗は車のドアを開け大雪の降りしきる中を傘もささずに去って行った。 
 


 



 渡航をする前にちょっとした用があり、元の会社の最寄り駅で下車した事があった。
 知人が経営している会社に立ち寄った帰りに、駅のすぐ近くの本屋に寄ってみた。
 十五分ほど雑誌に目を通していた。
「田辺さん・・?」
 聞き覚えのある声で、其れが誰なのかは勿論。
 雑誌を閉じ。
「・・君とは上手くやってね・・」
 そう言うと郁夫は、若過ぎる彼女に一度だけ視線を移しすぐに駅の改札に急いだ。




 
 電車の窓から慣れ親しんでいる景色が見えている。
 既に薄暮から変わり、ようやく稼ぎ時が来たと話掛けてきそうな街は暫くは居座っていたのだが。
 電車が速度をあげるに連れ、色とりどりの灯りが記憶の彼方に流れて行った・・。
 



「呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。夏目漱石」

「われわれを恋愛から救うものは、理性よりもむしろ多忙である。芥川龍之介」

「取らねばならぬ経過は泣いても笑っても取るのが本統だ。志賀直哉」


「by europe123 original」
 https://youtu.be/WOd05LXYI2g
 
 


 
  
 

 

Showroom Lady

行きかえりに彼女を送る事があった。

Showroom Lady

法廷での一番。 相手は有名な女性弁護士。 坊ちゃんsalesの修行を。 showroomladyの送り迎え。 若い彼女にピッタリの男性がと。 大雪の日の出来事。 渡航先へ向かう彼の最後の想い出。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-01-28

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