ポチさん、結婚介添人になる

「なんか、さ」
『なんでしょうか、お嬢様』と私は彼女のお顔を見上げました。
といっても高機能な人間のものとは違って、私の口蓋部及び下顎部の造りは言葉を構音できるほど複雑にはなっておりません故に、吻から「ハフッ、ハフッ」という少し荒目の息が漏れ出ただけでした。
「久し振りだよね。こうして2人でお散歩するのって」
 そうでございますな、お嬢様。
昨年の春に就職なされてからはお忙しく、毎日夜遅くまでお仕事をなさっておいでであったのですから。私なぞを散歩に連れて行く暇など全く有りはしなくても当然というものでございます。
「でも、ホントに良かった。有給を貰って」
 私は再びお嬢様のお顔を見上げました。
眼が合ってしまい、少しだけドキリといたしました。
違う生物種とはいえ、その端正な造作の相貌は何度見ても驚かされるのです。
「こうしてポチさんとお散歩ができるんだから。しかも平日の午前中に」
 そうでございますか。そう仰って頂けると私も非常に嬉しいのでございます。
「それに、さ」
何でございましょうか?
「こうしてポチさんと昼間にお散歩するのって初めてじゃん?」
あぁ、そういえばそうでございますな。
「昼間の街って、雰囲気が違ってるから、違う別の街みたいに感じる」
なるほど。
 サナコ様は私を見下ろしながら『フフッ』と微笑みを浮かべました。
そうする度に栗色の髪先が肩を舐めます。
とても印象的な光景でございます。
 お嬢様は幼少の頃から前下りボブ・カットというヘアスタイルを好んで採用なさっておいでだったのですが、暫く前からはセミロングとでも申しましょうか、長めのボブとでも呼べばよろしいのでしょうか、とにかく髪を伸ばしています。心境の変化、でございましょうかね?
「フフッ」
「ハフッ、ハフッ」
 何か、見つめ合っていると気恥ずかしさの様なものが身体中に充満していくようです。
私は自分を落ち着かせるために視線を外して辺りを見渡しました。
 あぁ、今日は良い陽気でございますな。
昨日までの冷え冷えとした寒さとは打って変わった陽気でございます。
太陽がやる気を出しておるのでしょうか?
「今日は暖かくて良い感じだよね、そう思わない、ポチさん?」とお嬢様は笑いました。

これぞ、拈華微笑!
お釈迦様が霊鷲山で説法した時に摩訶迦(まかかしょう)唯1人だけが真意を得て微笑したという故事そのものでございます。
 私も口角を持ち上げまして笑おうとしたのでございますが、お嬢様ほど上手く微笑みを携えることができません。うーん、少しだけ悔しさを覚えるのでございます。
 しかし相変わらず壮麗なお顔をしておりますな。
眼と眼が合うとドキリとしてしまいます。
サナコ様が姿勢を変える度に栗色の髪が肩口を舐める、その情景が私の眼に染み込んで来るのです。一年ほど前でしょうか、サナコ様はそれまでの定番でありましたボブカットを止め、セミロングの髪型を為さる様になりました事は先ほどお伝えした次第でございます。
何故、なのでしょうか?
 私にはその理由、知る由もございません。
「なんか、さ。『春めく』って言葉が似合う感じ、しない?」
 そうでございますな。
確かに『春めいた』陽気でございます。
まぁ、しかし暦も既に3月に入って20日も経過していて、あと少しで春のお彼岸なのですから、春めいても当然かと思われますが…
「やっぱり、さ。『暑さ寒さも彼岸まで』って言うもんね」

またもや以心伝心っ!
私などのような動物の心がお嬢様の御心と繋がることができるなどと、非常に嬉しいのと同時に恐れ多いのでございます。何せお嬢様は命の恩人、私にとっては神様、仏様、そしてサナコ様でございます。
 あ、自己紹介を忘れておりました。
お久しゅうございます。
私、ポチでございます。
ミヤウチ家でお世話頂いております、しがない雑種の老犬でございます。
私の記憶が確かならば、こうして文章上でお逢いするのは1年振りですね。
お見受けするに息災であられるようで、とても幸いです。
月日の経つのは早いもので私も歳を無為の内に重ねてしまいました。
人間に換算すると、そうですね、80歳は軽く超えているのでしょうか?
しかしながら、まだまだ元気でございまして、近日やってくる彼岸からのお呼びが掛かってくる気配など微塵もありませぬ。吻に白いモノも大分増えましたが、足腰の方は未だ弱ることもなく、散歩も全く苦になりませぬ。まぁ、若かった頃のように散歩にお連れ下さるミヤウチ家の方々を引っ張り回して翻弄する事こそ無くなってはいますけれども。
 さて、いつもは秋にお逢いするのですが、今回は春季でございます。
何故に春?
それにはちょっとした理由があるのでございますよ。

 一人と一匹でお馴染みの公園へとやってきました。
私たちは、これもミヤウチ家の人々にとっての定席である、四角い敷地の西側の柵沿いにポツンと1つ設置されている木製のベンチへと歩み寄りました。
 腰を下ろすとサナコ様はスコップやウンチ容れなどの散歩用具が入ったバッグを自分の傍らに置きました。
 私は、というと、これも常々やるように、彼女と向き合う格好でお座りします。
「あー、いい天気っ!」
天を衝くような勢いで両腕をグウッと伸ばしながらサナコ様が仰られました。
彼女が背伸びをすると、その伸びやかな肢体がより一層延長されたような錯覚に陥るのでございます。サナコ様は頭の天辺から脚の爪先まで神様が全力でタクトを振り回して創り上げたような容貌をされております。毎日のように拝見致しておりますけれど、見慣れるということは決してなく、逢う度に新鮮な驚きで私の身体は満たされるのでございます。
 今日のサナコ様は春めいてきた気候に合わせたコーデをお召しになっております。
ライムイエローのフード付きパーカー、いえ、フーディーでしたね。白色の細番手のカシミアのセーター、身体にピッタリと密着したインディゴブルーのデニムパンツ、そして足許は浅葱色のナイキのスニーカー、といった、ほぼ完璧な春の出で立ちでございます。
『今日も素敵な装いですね、お嬢様。本当によくお似合いでございますよ』
 しかし漏れ出るのは「ハフッ、ハフッ」という吐息だけ…
「ね、ポチさん」私を見下ろした拍子にサナコ様の胸許でキラリとペンダントが輝きを放ちました。おや、いつものベニトアイトのペンダントではございませんね。
 私の視線に気付いたのでしょうか、サナコ様は「あ、これ?」チラッとご自分の胸許に一瞥を落とし「ヒロさんがくれたの、先週。婚約指輪の代わりだって」と続けました。
「別にいいのにね、指輪とか、さ」
「ハフッ、ハフッ」
「前にくれたベニト...なんだっけ?」
ベニトアイトでございます、お嬢様。
「んー、ま、いっか」
私、そのお言葉を聞きましてガクッとまるでコントのようにズッコケそうになりました。
「そのベニトなんとかだって、とっても高いヤツらしいし、さ」そういうの、ホントにいいのに、と口では仰っておられましたが、その表情から内心では非常に嬉しさを感じているご様子が窺えます。
 とても好ましいことでございます。
さて、何の宝石でございましょうか?
ほほう、ペアシェイプカット。
つまり洋梨のような形をしたカットですな。
よく一般的には良いペアシェイプカットの形は真円が膨らんだ部分の外郭にピッタリ入るものとされているものなのですが、定石通りにピッタリとハマっておりますな。
 ウワッ!
こっ...これはっ!
「コレ、アクアマリンかなぁ?」それにしちゃ、色味がと少し薄いような気がするけども、と仰った後「フフッ」と蕩けるような笑みをお漏らしになりました。
 いえいえ、お嬢様。
それはアクアマリンなどではございません。
その妙なる輝きは、ダイアモンドだけが備える絶対唯一のもの。
正真正銘のブルーダイアモンドでございます。
 しかし、デカいっ!
5カラットは優にありそうです。
一体、お幾らなのでしょうか?
私のような野良犬上がりの駄犬には全く見当も着きかねます全く見当もつけられません。
ヒロさん、投資をなさっておいでとは聞き及んでおりますが。
何か、怪しげな商売にでも関わっておいでなのでは...?
 いえいえ、あの方に限って、そのようなことはありますまい。
お逢いした時に十分と匂いを嗅がせて頂きましたが、満腔の優しさがそこかしこに溢れ出ておいででしたから。
あらぬ疑いをかけてはいけません。
 ただ単に投資の神様が背後に憑いていて、とてつもない博才が備わっているのでしょう。
神の見えざる手が後ろから推している、という事なのではなかろうか、と推察できます。
大体、怪しげな人物などにサナコ様が惹かれる訳がないじゃないですか。
馬鹿馬鹿しい 考えにも程があります。
私のお馬鹿さんっ!
「ね、ポチさん」
はっ!
何でございましょうか?
「ごめんね、ポチさん」
何のこと、でしょうか?
「今晩、一緒に連れていけなくて」
 あぁ、そのことでしたか。
それならば私、全然気にしておりません。
というよりも気にもなりません。
盲導犬以外のイヌはレストランのような飲食店には立ち入れないことなど先刻承知しておりますから。最近の衛生観念を鑑みれば断られるのは当然の帰結でございます。
「今夜のさ、レストランでの食事会には連れて行きたかったんだよ。
家族全員、そう思ってる」
サナコ様、少しだけ声が潤んでいるご様子...勿体無いことでございます。
「ポチさんは家族の一員なんだから...私は傍にいて欲しかったんだよ...ホントに」
本当にありがたいお言葉でございます。
「ヒロさんも、ね。何回もお店側に掛け合ったんだけど...」
そのお気持ちだけで私、十分に幸せでございます。
「家の...家族だけで貸し切るから、って」
あぁ、何という僥倖なのでしょうか、この様に思って頂けているなど、一介の犬としては望外の喜びでございます。
「でも衛生上から...結局ダメだって」
 サナコ様は私の顔を両手で挟み込むようにし、ご自分のお顔を近付けて来ました。
私の鼻先とサナコ様の形の良い鼻梁の先端がくっつきそうに…
あぁ、その玲瓏たる相貌。
 異種ながら陶然とした気持ちにさせられます。
あぁ、動悸が…
「ポチさん、ありがとう」

「お散歩の時、色々なことを聴いてくれて」

「辛い時も、嬉しい時も、ポチさんが聴いてくれたから、私...だから、ありがとう」

「ね、ポチさん」

「私、ポチさんのこと、好き」
 えぇぇ?!?
まさか、これも夢、なのでしょうか?
 すると身を翻す小魚の群れのようにサナコ様はスッと身体を起こして言いました。
「じゃ、行こっ!」彼女は快活な笑顔を見せたのでした。
 どうやら夢ではなさそうです。

 いつもの公園から出ようとする直前にサナコ様は脚を止めました。
『どうなされましたか、お嬢様?』と見上げると、
「あそこ、行っておこうよ」とサナコ様はこちらを見下ろし、踵を返すと公園の中ほどへと歩みを進めました。そして一本の巨樹の前で脚を止めました。
 それは大層立派な楠でした。
「ここだったよね、カナコがポチさんを見付けたのは」
 そうでございましたな。
この楠の根許に瀕死の状態で横たわっている私をカナコ様とサナコ様のお二人が見付けて下さった。そしてミヤウチ家の一員として迎え入れて下さった。僥倖でした。
あのままだったら確実に私は鬼籍に入っていたでしょうから。
本当に私は果報者でございます。
「ホントに良かった」

「あの時、ポチさんと出逢えて」
 いえいえ、それはこちらの言葉でございます。
お二人と出逢えたこと、それが私の犬生(?)の一大転機だったのです。
何せ、生まれついての野良犬犬生から脱出できたのですから。
 サナコ様は、その威容からたった一本で森林を思わされてしまう程の神韻とした樹木の枝葉を見上げています。 風に揺さぶられて葉っぱ達が葉擦れの音を盛大に立てております。
まるで透明な巨人が手であおっているかの様です。
「ね、ポチさん」
何でございましょうか?
「この楠っていつも青々としてるけど、葉っぱが...落葉したりしないのかな?」
サナコ様、楠の落葉の時期は4月でございます。
4月になると紅葉し、一斉に落葉するのです。
しかしながら常緑広葉樹である楠が丸裸になることはありません。短期間の内に新旧の葉っぱが交代するだけなのでごさいます。ですから落葉の時期には枝先に伸び始めた黄緑色の真新しい葉っぱと赤く染まった古い葉っぱ、そしてまだ高揚を終えていない濃緑色の葉っぱの三種類が混在しているのです。
「ハフッ、ハフッ」
 何か、想う所がお有りなのか、サナコ様は暫くの間ジッと楠の姿容を見つめ続けておりました。何分経ったのでしょうか、何かを吹っ切るかの如く、サナコ様が、
「さ、行こっか?」と私を見下ろしたのでございます。

 1人と1頭でポチポチと歩いて行きます。
一軒の家屋から芳醇で濃厚なカレーの匂いが漂ってきています。
見るからに、いえ、嗅ぐからにスパイシーそうでございます。
「澤口さん家、お昼ご飯はカレーだね」
「ハフッ、ハフッ」
「昨日の晩御飯の残りかな?」
また、身も蓋もないことを仰られますなぁ。
まぁ、確かに昨晩のお散歩の時にも芳しいカレーの匂いが辺り一面を占拠しておりましたが。
「ここで、さ」
「ハフッ、ハフッ」
「カナコと3人で見たよね?」
「ハフッ、ハフッ?」
「青い色の火球を、さ」
 あぁ、あのことでございますか。
私の記憶が確かならば、あの藍色の火球を見たのは一昨年の秋でございましたな。
「あの後、カナコがネットで調べたら、青い色で燃えるのはインジウムって元素なんだって」
はい。インジウムの発光スペクトルは濃い藍色でございます。
藍色、つまり『indigo』がその名称の由来です。
「銀色してるのに燃えると青だなんて」不思議だよねぇ、と首を傾げるサナコ様。
「あと、さ」
「ハフッ、ハフッ」
「カナコの調べだと液晶パネルにも使われてるって、ホントかなぁ?」
本当でございますよ、サナコ様。
ITO(Indium Tin Oxide)と省略される酸化インジウムスズは透明で導電性があるので液晶パネルの電極に使用されているのでございます。
「ハフッ、ハフッ」
 サナコ様は何かを思い出されたご様子を見せて『フフッ』と極々小さな笑みを漏らされました。
「ハフッ、ハフッ?」
「あの時、さ」
「ハフッ、ハフッ?」
「現場を押さえられちゃったんだよね」
「ハフッ、ハフッ?」
「ヒロさんとのデートの」
あぁ、確かにそうでございましたな。
「あの時、カナコと私とでスゴイ言い合いになっちゃって」
「ハフッ、ハフッ」
「このままじゃ、一体どうなるんだろうって、自分たちでも思ってて」
「ハフッ、ハフッ」
「それを、その窮状をポチさんが救ってくれたんだよね」
「ハフッ、ハフッ?」
「おっきなオナラで、さ」
お恥ずかしいことで...消え入りたい想いでございます。
「ありがとう、ポチさん」
「ハフッ、ハフッ」
「さ、行こっ!」
「ハフッ、ハフッ」

 1人と1頭でトポトポと歩いて行くと突如として住宅地にそぐわない一角が現れました。
住宅地とは全く違う、異質な時空間、時空の歪みとでも申しましょうか。
この街自体が大地の上に展開しているのですが、その中でも一際小高い場所に小さいながらもこんもりといった趣で鬱蒼とした森が忽然とその姿を顕にするのです。
 いえいえ、森ではありません。
神社でございます。
しかしながら一見すると多種多様な木々の集まりから森に見えてしまうのです。
 その名は須佐之男神社といい、ご近所さんでは『須佐之男さん』と呼ばれて親しまれております。
社格は村社くらいなのでしょうか?
宮司も禰宜も不在、誰も常駐していないくらいの小さな神社で境内は小さく、社殿もまたこじんまりとしております。板書された由緒書板や縁起書板を読むと創建は意外とも思える位に古く794年、主祭神は当然の如く建速須佐之男命。その他の祭神は櫛名田比売命と大己貴命(すなわち大国主命)でございます。
案外と由緒正しく立派な神社とお見受けいたします。
 しかし何故にここへ...?
 あらっ?!?
神社の前の道路の上に見覚えのある黒いクルマが…
思わずサナコ様のお顔を見上げると、
「ヒロさん、もう来てるんだ」とポツリと、しかし嬉しそうな口調で言いました。
そうです。
あのクルマ、タイプ991GTS。
世界で唯一無二のシックスフラット2981ccツインターボ。
 はて?
本当に一体何を?
「昨日ね、ヒロさんと相談して結婚式を挙げようってなったの」
ええぇっ?!?
しかしながらお二人は結婚式を挙げないご予定だったのではございませぬか?
「不思議そうな顔してるね、ポチさん」言葉解るのかな? と独りごちながら、
「あのさ、私たち、結婚式挙げないで内輪の者だけでお食事会をするってなったじゃん?」
「ハフッ、ハフッ」
「ヒロさんのお父様はもうお亡くなりになってるから、お母様だけがご出席される予定」
「ハフッ、ハフッ」
「ヒロさんのお母様って素敵なの。そりゃ、当然お年は召していらっしゃるけど、茶道の先生をなさってるから背筋もシャンとしていらっしゃるし。なによりも笑顔が素敵なの」
「で、こちらのミヤウチ家からパパとママ、そしてカナコ」
「ハフッ、ハフッ」
「カナコ、今年の5月にアメリカに留学しちゃうじゃん」
「ハフッ、ハフッ」
「別にいつでも帰ってこられる訳だから、今じゃなくても良いんだろうけど」
「ハフッ、ハフッ」
「例えば、新興感染症とかどこかの国で出て来ちゃったりして」
「ハフッ、ハフッ」
「パンデミックとか勃発しちゃったら、簡単に帰国できなくなるし」
「ハフッ、ハフッ」
「それに、どうせ結婚するんだから、今しても良いかって」
「ハフッ、ハフッ」
「ヒロさんと、そう話したの」
「ハフッ、ハフッ」
「ホントはそこに、ミヤウチ家の側にポチさんが加わるはずだったんだけど」
「ハフッ、ハフッ」
「ダメになっちゃったじゃん?」
「ハフッ、ハフッ」
「だから私とヒロさんとポチさんだけで結婚式を挙げようって」なったの、とサナコ様は世界全体が蕩け出す様なとびきりの笑顔を浮かべました。
 えぇぇえぇぇ?!?
「だから私、今日『Something Four』身に着けて来てる。知ってる、ポチさん?」
『Something Four』って、と仰います。
 勿論でございますよ、お嬢様。
『Something Four』」とはイギリスの童謡集であるマザーグースに出てくる次の詩に由来するものですな。
”Something old, something new, something borrowed, something blue and a sixpence in her shoe.”
結婚式に臨んで花嫁が身に着けたほうが良いものを表しております。
1)古いもの=先祖から受け継がれてきた家族の絆、伝統の象徴。
2)新しいもの=未来への希望を象徴する。
3)借りたもの=幸せな結婚生活を送っている人の幸運にあやかるという意味。
4)青いもの=青は幸せを呼ぶ色とされる。花嫁の純潔さや清らかさを表す色。人目につかないように身につけると良い。
 そしてこれらに加えて花嫁は6ペンス銀貨を靴の中に潜ませるのが望ましい、とされています。
「ね。これ新しいペンダント」とサナコ様は胸許で微かに揺動するブルーダイアモンドを指差しました。
「ハフッ、ハフッ」
「ホントは結婚した友達から借りるのが良いらしいんだけど、私の友達、みんな独身だから、ママに借りた腕時計」と左腕に嵌めてあるブレゲーの腕時計を見え易い様に私の顔の前に差し出されました。
「これもホントは他人から見えないように着けるものらしいんだけど」とデニムパンツを指差します。「6ペンスの銀貨はヒロさんから借りたんだけど、痛いし、歩きづらくて」
サナコ様は左足のかかとをスッと上げて、再びソっと降ろしました。
なるほど。
 あれっ?
古いものはどうされたのでしょうか?
「そして、ね」サナコ様はコケティッシュな笑顔を湧き上がらせながら続けました。
「古いもの」と私の顔を指差しながら。
私が『古いもの』ですか?
それは光栄な事でございます。
『with my honor』でございます。
 鳥居の許に男性が1人立っております。
短躯ながらミッドフィルダーの様な佇まい。
黒いジャケットにチャコールグレイのハイネックセーター、藍色のデニムパンツに脚許はエアマックス’95復刻版。こちらに気付いて手を振っておいでです。
 サナコ様は男性に手を振り返してから、私を見下ろして「そして、ね」
「ハフッ、ハフッ」
「君は結婚付添人も兼ねてるんだよ、ポチさん」
何とまぁ、悪魔の軍団もひれ伏すような笑顔!
 結婚付添人?
私がですか?
よござんす、立派に努めてご覧に入れましょうぞ。
お任せあれ、でございます。
 しかしながら、どちらなのでしょうか?
『Bride’s maid』と『Groom's man』
 私、年老いてはおりますが一応、オスでして。
となると『Groom's man』?
けれども『側』からすれば『Bride’s maid』になろうかと存じます。
 さて…
ま、それは臨機応変に対処することとしましょうか。
 ではお嬢様、参りましょう。

〈了〉

ポチさん、結婚介添人になる

ポチさん、結婚介添人になる

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-01-19

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